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邪馬台国畿内説 Part853

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001◆n7jxAxKCBhb6
垢版 |
2023/01/20(金) 18:23:06.44
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1673977553/50

◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。
0851日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:15:42.79
>>847
>年代前倒し

だという証拠は?
九州説はデマばかり
0852日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:16:18.44
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)

畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)

大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)

関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)

熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地
(松下孝幸・土井ヶ浜人類学ミュージアム館長)
0855日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:17:12.10
>>850
知らねえ
平安時代か鎌倉時代かそんなもんじゃないか?
0858日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:18:07.10
>>854
捏造は全国の神社だよ
0859日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:18:56.56
>>857
だったら遺跡で証明しろよ
0860日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:19:12.93
まーだやってらっしゃるのか





卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)



卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)





ハイ終了

解散!
0861日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:20:30.88
纏向遺跡は、神社建築の成立を解き明かす重要な遺跡なんだよ。
邪馬台国は関係ない。
0863日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:21:05.00
>>860
高尾山古墳には神社があったらしいな
明らかに後の時代だろうけど
0864日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:22:39.37
>>862
だから纏向遺跡と住吉大社をごっちゃにするなと言ってるだろ
纏向は王宮だろう
0865日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:23:46.95
>>856

神社は倭人=大和民族が住む本州の信仰文化だから
馬韓伝にある大木を立てる蘇塗が糸島平原や吉野ヶ里の信仰文化
0866日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:25:30.46
纏向は殯宮今でいう葬儀場
0867日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:25:33.03
>>861
それは否定しない
後の神社な
0868日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:27:12.32
式内社が多い國 式内社 名神大社(座数)

1 大和 286 50
2 伊勢 253 4
3 出雲 187 2
4 近江 155 13
5 但馬 131 14
6 越前 126 2
7 山城 122 29
8 尾張 121 8
9 河内 113 9
10 陸奥 100 15
11 伊豆 92 5
12 摂津 75 18
13 丹波 71 5
14 丹後 65 6
15 遠江 62 2
16 和泉 54 1
17 阿波 50 3
17 播磨 50 7
17 因幡 50 1
20 信濃 48 7
0869日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:27:26.69
九州の式内社 名神大社(座数)

筑前 19 16
筑後 4 2
豊前 6 3
豊後 6 なし
肥前 4 1
肥後 4 1
日向 4 なし
大隈 5 なし
薩摩 2 なし
壱岐 24 6
対馬 29 6
0870日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:48:41.32
>>826
嘘こけ
0871日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 12:54:17.87
>>798
>採掘している

妄想だけ。   @阿波
0872日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:57:04.46
>>800
>そんな事は国王が許さない

アホか! 下っ端が到着を一大率に報告すれば済む話だ。 馬鹿か!   @阿波
0873日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 12:59:42.24
>>827
>最古の採掘は、「阿波」だけ。   @阿波
0874日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:04:31.50
>>872
一大率の仕事はパシリで済まされる仕事ではない、阿呆か

傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯
0876日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:05:32.90
>>800
伊都国に港は無い。 港の「末盧国」から東南陸行500里の内陸だ。   @阿波
0877日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:08:28.72
>>874
>一大率の仕事はパシリで済まされる仕事ではない、阿呆か

アホか! 下っ端の報告を受けてから「末盧国(福津周辺)」に出向けばよい話。 馬鹿か!   @阿波
0878日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:09:27.93
>>875

越前でも陸奥でも伊豆でも遠江でも多い
高麗盗人の島だけが極端に少ない
朝鮮統治時代に日本が半島に作った数くらいしかない
0880日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:14:02.68
九州は神仏習合が畿内より早かったのだよ
0883日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:28:53.07
>>882
分離していないんじゃなくて王宮だろ
神社なんか存在しない
0884伊太乃に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
垢版 |
2023/01/22(日) 13:29:16.88
>>873
若杉山の辰砂採掘遺跡が残されたのは、
採掘した跡が残っているのは古墳時代初期に採掘しなくなり、
坑道がそのままにされていたから。

それ以上の理由は無い、鉱脈が再発見され、
採掘が再開したのは明治以降、

1000年以上忘れられていた理由はなんなんだろうね。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:34:21.43
物部神道はユダヤ
0887日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:37:10.08
伊勢遺跡や纏向遺跡は神社の形態
依って神社は当時から存在した・・・ ねえよ
0888伊太乃に居たの ◆oRNQXnZmlfa1
垢版 |
2023/01/22(日) 13:43:39.97
神社建築が確立したのは仏教伝来後の話でしょう、
それまでは御神体の山や石、湖なんかを拝む遥拝所みたいなのが有ったかどうか。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:56:57.50
我々大和民族は農耕民族なので、
自然災害が多い日本列島では自然が一番の脅威であり恵みでもある
だから神(自然神)に祈り、豊作を祝う
0890日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 13:59:14.16
池上曽根遺跡に石器の祠っぽいのがあるな
万物に神が宿るみたいな信仰があったのか
岩や大木だけでなく、銅鐸を崇めたり石器を崇めたりしてたら面白い
0891日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:04:03.58
>>890
神道を全否定してるんじゃないから
ただ弥生時代から人だか神様だかを祀ってたてのが疑わしい
0892日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:04:48.53
銅鐸を祭る文化は滅んだ。
筑紫の銅鏡文化に取って代わられた。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:06:21.61
>>887

伊勢遺跡は神奈月に各地の首長が集まって祭りをしたもの。
あそこは出雲の文化圏だからな。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:11:24.68
>>888

仏教伝来で確立したのは寺院の伽藍建築。
塔と回廊が特徴。
瓦や礎石を使うようになる。
纏向遺跡はどちらもないが、様式としては神社そのもの。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:12:28.61
だから纏向遺跡は卑弥呼の鬼道ではなく崇神天皇の神道。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:12:48.67
糸魚川の神社では奴奈川姫てのを祀っててこの人を翡翠の女神に仕立て上げようとしている
何故なら糸魚川が翡翠の産地だという事を最近まで知らんかったから
伝承なんてそんなもんだ
0899日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:14:29.12
>>891
>ただ弥生時代から人だか神様だかを祀ってたてのが疑わしい

じゃあ、縄文時代後期の「円形配石遺構」はなんなんだ? 

人だか神様だか自然だかを祀ってたんじゃないのか?   @阿波
0900日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:18:26.66
>>899
自然だかを祀ってたんだろう
でも自然を人に見立てることなんてできる?
御座敷いて太陽に向かって跪いてその太陽を人に見立てられる?
0901日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:22:43.37
>>897
>だから纏向遺跡は卑弥呼の鬼道ではなく崇神天皇の神道。

その論理じゃ、崇神天皇の神道だと証明しないと
卑弥呼の鬼道であるという主張を否定できないよ
0904日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:28:20.34
纒向遺跡の建築

日本書紀をみると、王宮では崇神天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ)を祭っていた。
天皇は御殿で「同床共殿(どうしょうきょうでん)」の祭祀(さいし)を行っていたが、神の霊威(れいい)を恐れて、宮内の大庭にホコラを建てて、大神(おおみかみ)のご神体である宝鏡をお納めした(神宮雑例集)。
これが建物Cである。
それでもまだ恐れ多いので、垂仁天皇の時代に伊勢に社を造り、宝鏡をお移しした。
それが伊勢神宮であり、建物Cの復元形態は神宮の正殿と極めてよく似ている。
神明造(しんめいづくり)の形が倉庫と近いのは、王宮における建物Cが宝庫だったことによるのである。

建物Dは正面の柱間数が偶数の四間であることが大きい特徴である。
出雲大社本殿も正面柱間数が偶数の二間である。偶数柱間だと正面中央に柱が来るから、王宮や寺社は奇数柱間が常識である。
だから偶数柱間の建物Dと出雲大社本殿は著しい類似性を持つといえる。
出雲大社本殿の建設は、古事記垂仁天皇の条に記述がある。皇子(おうじ)が出雲の大神のたたりで言葉を発しなかったが、大神に祈ったところ皇子が治癒した。
そこで大神のために天皇の御殿に似せて出雲大社を造ったというのである。建物の性格としても、両者はともに外から拝礼するのではなく、内部で祭りごとを行うので、偶数柱間で差し支えないのである。

纒向遺跡の建物Cは伊勢神宮の直接の起源であり、建物Dは出雲大社と関連が深いことがお分かりいただけただろうか。

黒田龍二

結論: 纒向遺跡は崇神天皇の磯城瑞籬宮。
本殿と拝殿の間の中庭に八咫鏡を納めていた倉があるのが特徴。
全体を囲む柵が瑞籬。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:29:47.32
纏向遺跡が崇神天皇の磯城瑞籬宮だとわかると、遠くの溝もあわせて纏向遺跡と呼ぶのは不適切だとわかる。
近くには景行天皇の纒向日代宮など他の宮もあったはずであり、それらと範囲が被るからである。
周囲に住居跡が少ないこととあわせて考えると、用水路で区画された田畑の間に王宮が点在していたのだろう。
王宮といっても平屋の高床建物なので、風景としては昭和の頃の奈良盆地とたいしてかわらぬ様子だったろう。
突如として出現した大都市など、畿内説の夢の中の物語に過ぎない。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:32:51.93
畿内説は崇神天皇や景行天皇などの日本の歴史を捨てて、どこへ行こうとしているのか。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:33:10.60
立派な神社は権威付け
逆に神社で太陽を祀るのもおかしいでしょ
外に出て来いよって話しで
0908日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:33:21.90
三世紀半ばから畿内の奈良盆地周辺に神獣鏡の出土が増えるのは間違いないんだからな。
鬼道は三国志に記述があるように初期の道教。黄巾の乱位はさすがに知っているだろ。

卑弥呼が黄幡を授かるのは、我々が正義だ的な意味合いで、これは狗奴国側も意味を知っている事にもなる。
黒塚古墳にある謎の鉄器はこの黄幡だと言われている。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:36:10.70
日本は言霊やまじないの国だと思うけどね
占いオタクと物信仰の鉄ちゃんの国

氏神信仰はその地の支配者の祖先を崇める風習を作り民を統治するシステムだろう
兵が溢れて留まったところに神社を作ったりしたんじゃないか
物部の地が藤原氏の荘園になり藤原氏の氏神を祀る神社ができるとかも同じやね
0910日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:36:45.27
神仙思想の宮だと回りに住居が多数あると逆におかしいんだからな。

河をずっと遡った先にある神仙の宮、丹山が背後にあり、辺りに桃が沢山なら正に巻向なんてピッタリなんだからな。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:39:37.49
>>903
掘っ立て柱小屋は、神明造。   @阿波
0912日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:46:13.45
>>910

神道の神社だって本来はそうだよ。
道教である根拠にはならない。
王宮の周りが騒がしくていいはずはない。
筑紫の王宮が奴国から伊都国に移動したのも同じ理由だろう。
0914日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:53:46.89
伊都の高祖宮は彦火火出見の宮だが、クシフル峯を背にして糸島平野を見下ろしている。
つまり人々は日の出の方向に向かって参拝することになる。

神武(またの名を彦火火出見)曰く、我々は天神の子だから、太陽に向かって戦ってはいけない。太陽を背にするべきだ。

この配置は三輪山も同じ。
参拝者は東に向かって遥拝する。
大和は筑紫から持ち込まれた神道により成り立っている。
ちなみに現在の天皇の宮中祭祀は東にあたる鹿島香取に向かって遥拝する。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:55:18.06
>>913
棟のある掘っ立て柱小屋には棟持柱が必要。   @阿波
0916日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 14:56:47.33
収租賦有邸閣國國有市交易有無使大倭監之 
これが棟持ち柱の建物でしょう 
0917日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:01:14.48
>>910

その神仙思想は神道そのもの。
崇神天皇が磯城纏向に宮を立てたのは物部氏の家系だからだが、物部氏がそこに居着いたのは大和川の川上だからだ。
ちなみに記紀だと九州の権力者は揃って川上にいた。
その代表が川上タケルこと熊襲タケル。
肥前国一宮の與止日女神社は、元の名を河上神社といった。
川を遡ったところにある宮というのも筑紫からの伝統そのもの。
最も古くは、那珂川の川上の吉武高木遺跡まで遡る。
言うまでもなく、最初の三種の神器がある遺跡だ。
纏向遺跡は明確にその伝統の上にある神道の影響が見られる。
纏向遺跡を囲う塀は、神社の様式にある瑞垣そのもの。
まあ、崇神天皇の磯城瑞垣宮だから、当然なんだが。
0918日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:02:59.46
>>915

纏向遺跡でも、建物Bや建物Dには棟持柱はない。
明らかにCのみが八咫の鏡のための建物なんだよ。
あれは崇神天皇の宮であり、神道の建物。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:07:25.42
まあ、纏向遺跡に瑞垣があることも、纏向遺跡が崇神天皇の磯城瑞垣宮だという根拠になるのかな。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:16:30.01
棟持ち柱建物はそんなに珍しくなくて関東にもあるし倉庫でしょう
0921日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:17:20.66
>>918
>纏向遺跡でも、建物Bや建物Dには棟持柱はない。

棟のない方丈屋根だったんだろう。   @阿波
0923日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:17:58.94
>>919
ならないな
0928日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:32:20.45
済州島、五島列島は橘の自生地域
0930日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:40:54.53
>>926
>まともな反論できない畿内説はオワコン

まともか否かの判断を誰がしてんのw
0931日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:45:20.29
>>929
当然、持衰ルートの話。
0932日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:54:01.37
>>931

済州島は、頭剃りくり下半身丸出しど短小の州胡がブタを飼っていたところ
馬韓の南だが西と書かれている
0933日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 15:59:25.77
ブタ、イノシシ、シカは日本にいた?
日本狼もいた時代
0934日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 16:02:46.22
『肥前国風土記』には、五島の海士は「容貌、隼人に似て、常に騎射を好み、
その言語は俗人に異なれり」と記されている
0935日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 16:06:01.59
弥生輸入ブタは塩基解析により九州・四国の西日本西部地域に限られている
0938日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 16:15:30.96
言語的にどうであろう?
東海と九州は言語が通じたのだろうか?
0939日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 16:41:49.97
>>931
37 其行來 渡海 詣中國 恒使一人 不梳頭 不去蟻蝨 衣服垢汚 不食肉 不近婦人 如喪人
38 名之 為持衰 若行者吉善 共顧 其生口 財物 若有疾病 遭暴害 便欲殺 之謂 其持衰不謹

持衰の話と言うのは、倭人船が単に海峡とか帯方郡ではなく
詣中國、つまり皇帝への朝貢という話、であるなら、

147(8)年の
73 壹與 遣倭大夫 率善中郎將 掖邪拘 等二十人 送政等還 因詣臺
74 獻上 男女生口三十人 貢 白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹
以外には、無いと思うが?

魏志の138年の難升米以下は、帯方郡への朝貢で、
魏船で洛陽へ上がったと思うが

57年と107年の2回は洛陽に上ったのだろうか?
生口100人献上とか無理っぽいけどな?
0941日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 17:00:26.42
要するに纒向説は超妄想
0942日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 17:00:56.27
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種 → 至狗奴国 = 久努国(くののくに)





久 努 国 ( く の の く に )





久 努 国 ( く の の く に )





馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww
0944日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 17:02:54.34
>>922
当り前です。

16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月

女王の王宮は、投馬国=弁辰韓から水行十日で上陸。
さらに、陸行一月=2千里の歩行で到達しています。

この里程の合計は、陳寿の計算によって、

247年の張政の九州上陸迄の里程、水行1万里と
伊都迄の五百里を含む陸行一月の2千里の合計で

22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

と記録されました。 これが倭人伝です。
王宮は、九州上陸から2千里の陸行です。
0945日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 17:23:51.60
卑弥呼の墓は、数か月以内で作られている。
古墳ではない。 墓域に古墳時代が訪れたのであって
印象的には、筑紫の君の古墳の下に卑弥呼の墓は有る。

あるいは、糸島北岸の丘陵、志賀島の金印の地。
絶対王権によって、盗掘に会わない、塚では有り得ない。

絶対王権による古墳は記紀成立で
金石墓誌の焚書だろwww

卑弥呼の墓が、記紀の箸墓だと良かったか?
そういうもんは韓国朝鮮以外じゃ、学問、真実とは言わんよ?

まあ、職業学者と語ってるとも思ってないがw
0946日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/22(日) 17:44:32.87
卑弥呼の墓の発見が絶対条件
なら、絶対見つからない、論争の為の論争煽りだ。

卑弥呼の墓は、多くい盛土=塚でも、古墳ではない。
大王墓古墳は皇室の祖先で良いんだけど
卑弥呼には、墓を守る子孫が居ないのである。

糸島は卑弥呼の領域で、墓を糸島北岸にと言うのは渡来人ロマン。
帳政は、博多湾岸の伊都迄の500里で卑弥呼の墓を見た。

なら、卑弥呼の墓は糸島ダネ。
247年の張政が、卑弥呼の墓を見ないで
径百歩って、目視の単位はありえない。

好立地なら城や神社や古墳になってる。
文献では、九州上陸から2千里が宮城。

敵国になる九州北岸から2千里の
筑紫平野の南限に、卑弥呼の王宮は在った。
0947日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 17:50:26.45
>>944
不彌国かな?
万二千餘理由
周旋5千里と合う
0948日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 17:50:37.77
>>917
三世紀末以降巻向周辺の古墳から出土例が増える三角縁神獣鏡が神道の物といいたいのか?
それはかなりおかしいと思うけどね。
0949日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 17:52:50.33
>>948
那珂八にも出土だよな。
どうなんだろう?
0950日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 17:55:21.32
>>946
邪馬台国の位置の絶対条件は七万戸が可能かどうかだよ。
墓を邪馬台国に造ったと書かれた訳ではないからな。
それと卑弥呼が用いた鬼道に相応しい宮があるかどうか。
まあ結局邪馬台国は畿内しかない。
0951日本@名無史さん
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2023/01/22(日) 17:57:13.19
>>949
そもそも鏡作神社の所在地は奈良の田原本にあり鍵唐古の近く、つまり百襲媛出生地の直ぐ近所だからな。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。