【初心者】スレッド立てる前に質問をPart47【歓迎】
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・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
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前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart46【歓迎】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1662430426/
なお、同板内の質問スレっぽいスレ
歴史担当の学芸員だけど質問ある?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1590081701/
は、すでに読者もなく完全に死んでいるので、質問スレとして統一するならばこちらに統一するようにしてください。
間違っても、学芸員質問スレに誘導しようとしないでください。 >>1
乙。
前スレ>>999
昭和六年から同二十年、足掛け十五年。
>前スレ999
>https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1662430426/999
満州事変の1931年から日本の降伏の1945年まで断続的な戦争状態が続いたと計算してるんだろ、だから15年
(期間としては14年弱だが、両端入れで数えてる模様)
満州事変から日中戦争勃発までの期間を全部、戦争期間と見なす立場、そういう政治的主張を含んだ名称だよ 和平交渉やっていた期間を無視した毛沢東の放言なんだけどね
フビライは一切の交渉をせず、いきなり最後通牒だった。あれを丁寧な文章で戦意なしとみる奴なんなの?
おまけに勝った理由も台風説が覆されたから戦意なしを言い訳にしている >15年戦争ってどういう計算で15年になるの?
端的に言うと、「日本帝国主義者どもは、15年もの長い間不当な侵略戦争を行ってましたぁ~
僕たち良心的日本左翼は率先して帝国主義者達を糾弾しま~すぅ
最大限頑張って数字をいじり15年という年数を捻りだしたので
僕たちを褒めてくださぁ~い(テヘッ)」
っていうかんじかな、岩波系の左翼が好んで使う。
20年ぐらい前に韓国のサッカー選手がはじめた旭日旗ヘイト
中国にも飛び火したが、とある中国人女性が旭日旗風のデザインシャツを着たことで炎上
すったもんだと揉めた挙句、抗日戦争が何年続いたかを答えられず更に炎上
このときの中国人達が言ってたのは「抗戦八年」で15年戦争と言っているのは日本の左翼だけ。
ちなみに現在の中国共産党の見解は「14年抗戦」 何で日本は最新型の小型飛行機やロケットで他国に遅れを取るような技術後進国になってしまったのでしょうか? 京都所司代と京都守護職は別組織だと思うのですが、それぞれの格でいうと京都守護職の方が格上で合ってますか?
京都守護職のトップは会津藩主松平容保、京都所司代のトップは誰か知りませんが どうする家康とか影武者徳川家康とかでは忍者が武将以上に強い印象ですが、そんなにも忍者は武力に優れていたのでしょうか?
CIAやKGBのような諜報活動が忍者の仕事で武勇は二の次なのではないのでしょうか? >>9
スレチどころかイタチ。
此処は日本史板上のスレッドです。
日本史に関する事項を実事求是の立場から語る場です。
ドラマ等に提示された「虚構」を前提に議論を望む人は然るべき板/スレへどうぞ。
>>9
信長の息子信雄が伊賀を攻めた時に伊賀者たちが結束して撃退した。
それに怒った信長は大軍勢でいわゆる伊賀攻めをして征服した。
そのくらい伊賀忍者は強かったのです。防衛戦の地の利もあったけど。 >>11
信長の戦歴のなかでは、本願寺や雑賀衆ほどの難敵ではなかったけどな
それどころか、六角氏残党とか松永とかの方が伊賀より手を焼いてるような気がする 忍者はベトコンみたいなもんだろ。
ゲリラとか市民に隠れて、戦う厄介な存在。
むっちゃ卑怯な連中。 黒ずくめの服装で刀を背負い、抜いた刀は逆手に持ち、水車形の手裏剣の連続投げ
こういう忍者の戦い方は、60年代の映画、テレビ俳優が工夫して始めたものばかり アメリカが大恐慌からのデフレ失業率爆上げから脱出できたのは、効果の程が曖昧なニューディール政策によるものではなく、太平洋戦争で失業者が皆徴兵か軍需産業に就職したからなのですが、日本はアメリカを不況から救ってくれた存在とは全く見做されてはいないのでしょうか? 投じた金額は日本よりドイツの方が多いし
そんなことを言い出したら
日本の戦後復興は朝鮮戦争のおかげになっちゃうよ? >>17
アメリカの景気回復より日本の対米開戦の方が遅くないか、順序がおかしくないか? 日本の戦後復興は朝鮮戦争のおかげなのは、一般的にも認識されている間違いない事実 >>20
それが最大の要因なのは事実だが、農地改革とか諸々の政策強行で内需の底上げがあった効能も小さくないぞ >それが最大の要因なのは事実
景気の復興期にたまたま近場で戦争があっただけで
朝鮮戦争に日本の経済が回復するほどの効果はないし
その程度でどうこうできるほどに日本の経済規模は小さくないのが、事実。
たんに韓国の軍事独裁政権へ迎合するためだけの詭弁だよ
>朝鮮戦争による日本の経済復興 詭弁て‥詭弁過ぎるやろ
食うものにも事欠くヒドい状況の中で、戦争に勝つためにアメリカが湯水のように日本でカネを使ったのは大きかった 占領軍がジープからばらまいたキャンディーやチョコレートの代金を日本政府に請求し
重工業を厳しく制限し、軽工業による戦後復興で
第二次大戦での大量の在庫がある衣服を所有しているアメリカが
日本で湯水のようにカネを使ったという資料なんかあるの? >>19
ミルトンフリードマン
「1929-1933年と1933-1941年の期間は別に考えるべきである。大恐慌ではなく大収縮を終わらせたのは、銀行休日、金本位制からの離脱、金・銀の購入計画などの一連の金融政策であったのは間違いない。大恐慌を終わらせたのは、第二次世界大戦と軍事支出である」 朝鮮特需がどれほど大きな効果をもたらしたか、という現代史さえ正確に語り継がれない時代になったのか…。
昭和二十年代前半の日本経済の規模を現代の感覚で考えるとか、若年層の白痴化は何処まで進むのか。
嫌韓は嫌韓で大いに結構だが、それによって史実を歪曲するような愚昧はそれこそ半島人並みの思想だな。
>>26
そこで言ってるのは対独戦のころ、まだ日本が対米開戦するより前の時期だろ
日本が対米開戦してからの話なら1942年までとか1943年までとか言わないと、おかしいじゃん
真珠湾は1941年も末にちかい、12月だぞ
それが原因で景気回復するなら効果が出るのは早くて翌年じゃん
年内に効果が出るはずないよ、2週間もたたないうちにクリスマス休暇で年内の仕事は終わりの時期なんだからさ ニューディールも朝鮮特需も、最新の経済学で覆されて、現在は効果無し。wikiでさえ騙せてない現状
ニートにクリスマス休暇の効果が出る筈ない。徴兵で失業率が劇的に改善した。日本には軍需産業も徴兵制もないから トンデモ論を 最新の とか思っちゃう人キタ----- ウリナラ史観に反する史的考察を、トンデモ論と思っちゃう人だろうね 十五年戦争史論を唱える連中の共通項は、日本の対米英宣戦布告以降の日中戦争の扱いが小さいこと。
吉川三国志の孔明死後や山岡秀吉の関東・九州攻め以降のようなもの。
何故かというと戦前・戦中の大日本帝国は“悪”でなければならないから。
國府が黄河を決壊させ、侵略者である“悪”の大日本帝国に中国人民が対國府で共闘したなんていう歴史的事実にはふれたくない。
中共史論に基づいて、日本軍や国共内戦すら知らない僻地の地主層のもとに、汚らしい武装山賊もどきの連中が訪れ、
偉大な党主席と共産主義思想に賛同した地主層がこぞって数百年に及ぶ在地支配を投げうち、土地も資産も党に差し出し、
貧しい一人の農民になることを誓った。なんていうバカバカしい話にコメントしたくないんだよねwだから概括で誤魔化す。
ちょっと考えれば分かる事なのに、北朝鮮は地上の楽園だとか、朝鮮戦争は韓国がはじめた戦争だとか、日本の戦後復興は朝鮮特需とか、偉大な毛主席の輝かしい業績とか、何百も嘘をつき続け
当時は信じられていたことも、時代とともにメッキが剥がれていく。
今はアメリカの大統領優良ランキングで上位のケネディ、下位のニクソンも何十年後かには逆転しているかもしれない。
スタッフを全く信じなかったケネディが大統領執務室に盗聴器を仕掛けたことすら、間抜けなニクソンが自分で仕掛けて忘れていたのだと、
NHKで米民主党支持者の米人コメンテイターが真顔で嘘をつく。
引き継ぎがなかったのだからニクソンが盗聴器の存在を知らなかったのは当たり前のことだし、ニクソンが何を守って辞職したのかは誰も知らない。 新宗教の開祖、北村サヨが岸信介に「刑務所で三年魂を磨いてこい。そしたら私が総理大臣として使ってやる」と言ったエピソードは史実扱いされてますか?それとも陰謀論やとんでも論扱いされてますか? 日本の近代史、また戦争への流れに向けて田中智学や国柱会の果たした役割や影響って大きかった気がするんですが、良くも悪くも扱いが小さくないですか?
手元の山川出版の日本史本にはどちらの言葉も載っていませんでした 中国メディア 戦後日本の復活は朝鮮戦争がきっかけではなかった
https://news.nifty.com/article/world/china/12190-20201028_00073/
第2次世界大戦で焼け野原となった日本は、朝鮮戦争で
大量の軍需品の発注を出すことによって日本経済を回復させた。
という考え方が定番となっている
しかしこれは正しくない。朝鮮戦争はわずか2年で停戦しており、
日本経済に与えた影響はあくまでも短期的なものだったからだ。
米軍からの注文は大幅に減り、日本国内には景気低迷が渦巻き始めた。
その後日本は、輸出型の経済発展モデルを確立し、急速な経済発展と国力強化を実現するに至ったのだ。
朝鮮戦争は決して、日本経済が復興した真の重要な原因ではなく、表象の1つに過ぎないのだ。 韓国の「プデチゲ」は米軍の残り物
https://www.recordchina.co.jp/b909672-s25-c30-d0192.html
韓国系米国人によるプデチゲのレシピは、朝鮮戦争に端を発し、
もともとは米陸軍の残り物だった。キムチやコチュジャン、ランチョンミート、
ソーセージなどを煮込んだ後にアメリカンチーズを載せて、
白飯と一緒に食べた。
中国ネット
「これは周知の事実」
「韓国人は納得しないだろう」
「米メディアも今回はデマを飛ばさず、真実を伝えているようだ」
「これは韓国の伝統的グルメで1万年の歴史があり壁画にも記されていると、韓国人は言うだろう」 >>34
確かに血盟団事件や226事変や満州出兵はその流れだよな >>34
今更何を。
学校の所謂「歴史教育」に何を期待している?
あれは表層の個別具象をバラバラに羅列するだけの御遊戯だ。
事象の構造も由って来たる因果律も決して教えない。
ましてやそこから事象群を結ぶ本質を抽象するなど思いも寄らない。
諦めろ。 韓国 5千年の歴史の何もなさ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1669796969/
人間と社会の記述は皆無w 記録のない五千年の文化w
古事記執筆は720年。朝鮮半島の最初の歴史書 三国史記は1145年です。
『三国史記』を読んでみると分かりますが、これでどうやって当時の風俗や政治状況、
もっといえば「国ぶり」を知れというのか、というような内容です。
中国に朝貢しました。日食がありました。みたいな記述ばかりしかなく、それで終わりなのです。
歴史学者がいくら読み込もうが内容の貧弱さ、不毛さは隠しようがありません。
韓国の歴史学者が自分たちの歴史について「何もない」と嘆くのは本当なのです なんか、嫌韓厨っぽいのが変なこと言ってるな
たとえ韓国がどれほどアレな国、アレな民族性だったとしても、肥料としての質すら悪いとは限らんだろうに >>37、38
レスありがとうございました
それぞれ内容は違うレスでしたが感謝です
それにしても田中智学、国柱会は全く載ってないのに内村鑑三と内村鑑三不敬事件は両方載ってました
逆にこの不敬事件って歴史本に載せるほど重要な事柄ですかね?
まあ言い出したらキリがないし、収拾がつかないだろうけどね 右翼、それも明治から戦前のそれとなると我々は「皇國思想に凝り固まったカルト」として十把一絡げに軽視しがちだが、
少し調べてみれば実は思想も由来も多種多様な拡がりをもった運動潮流であったことを痛感する。
田中智学や井上日召等の宗教系、
宮崎滔天や頭山満等の汎亜細亜主義、
平沼騏一郎の如き盲目的な皇國思想、
もう少し時代を下ればもちろん「社会主義」「天皇″器官″説」の北一輝、
--等々。
通常は左派呼ばわりされる「天皇機関説」の美濃部達吉でさえ、近代法理の言葉で天皇なる存在の正当化を図ったと云う意味では右翼と考えて可だろう。
到底粗雑に一纏めに出来るものではない。
(続) >>42
左翼にいろんな宗派があるのと同様に右翼にもいろんな宗派があるってたけやん (>>42承前)
彼等は様々な視座から西洋近代と対峙しつつその超克を目指したわけだが、
大日本帝國の敗北と滅亡、従って西洋列強の勝利という時流の中で
彼等の思想はまともに考察されることもなく無条件で「悪」「狂気」「危険思想」として葬り去られた。
爾来七十有余年。
今や資本主義システム及びその極限としてのグローバリズム、或いはその底流を成す「西洋近代」そのものが限界と破綻に直面しつつある。
他方、戦後日本の「体制派」「保守」「右翼」のグロテスクな倒錯が白日の下に曝されている。
そしてアンチテーゼとしてのマルクシズムも今は既に亡い。
この閉塞情勢下、
これらの混迷の打破、「次なるもの」の模索を思う時、
単純なナショナリズムを超えて西洋近代及び資本主義システムとの対決を志した戦前日本右翼に着目することは決して無駄ではないと俺は考える。
彼等の思想を冷徹な批判的考究に掛けるならば、そこから現代の我々が摂取すべき要素が少なからず見えて来る筈だ。
>>43
左翼の「いろんな宗派」はそれなりに研究されて相応の成果も得られている。
右翼のそれが体系的研究の対象とならない現状が問題だと云っている。
戦前の右翼、戦後の左翼と違ってカルトではなく危険思想と見做されていないからね
大本教や統一教会、日蓮正宗系とヘイト本の一角を占めるようになったのは1部危機感の発芽だけど… >>41
内村鑑三の不敬って言っても極端なことしたわけじゃないし、その罰と言っても死刑とかになったわけでもなく、職を追われただけだからな
本人にとっては大事だけど、歴史上の事件かと言えばそうでもないよな
もっと凄い事件は山のようにある >>47
牧口常三郎が神宮大麻を焼却し、天皇を否定して牢獄へ入れられ、そこで獄死した事件の方がデカそう 太宰治が志賀直哉に対して従順な姿勢を示していたら太宰は芥川賞を受賞していましたでしょうか? 古代や中世の頃に比較して現代では宗教の存在感や重みが薄れているので、今後宗教的な事柄や人物が歴史教科書などに掲載されるケースは稀かな
それこそオウムのテロ事件みたいな大規模テロとかそんな物騒なことくらいじゃないか >>51
アベ壺三誅戮はどっぷり宗教絡みの事案。
統一壺民党を壊滅に追い込んで日本の未来を拓くことが出来たなら、
その座標原点として永く語り継がれることになろう。
〇〇を否定的に語る週刊誌→廃刊
〇〇の利権を潰した〇〇の敵橋下を選挙前に中傷した週刊誌→反省してま~す(チッ)→許される
朝鮮人は常に肯定しなければならない。否定するのはネトウヨ!
アベガー←何故か朝鮮人を擁護し、朝鮮人が係わる全てを否定的に語るレスを罵倒するいつもの偏差値の低そうなアレが現れない。不思議だなぁ(棒読み) >>52
現時点で安倍元首相銃撃事件は歴史教科書に掲載されるレベルかな
まあ最長政権だし、銃撃事件自体は掲載されるとして、背後関係=旧統一教会まで掲載されるかな?
現時点ではそこまではないかなと思う
今後の展開次第だろうけどね
公明党が政権与党になったのも現時点で教科書レベルじゃないし、他に教科書レベルのことってあるかな?
宗教関係はどんどん減っていきそう
逆に科学技術関係やIT関係の事柄や人物が増えていくんじゃないのかな ここは教科書板ではありません。朝鮮人ではないのですから 明治の初め、明治天皇が江戸城に入った時は江戸城の本丸御殿か二の丸御殿に入ったのですか?
それで、その後に吹上御所を増築して移ったという流れでしょうか?
吹上御所や宮中三殿を設計した人ってわかっているんでしょうか? 徳川斉昭著の北方未来考の巻末に付属してる蝦夷地図って原本以外では見れないんですか?回答お願いします 京都大番役
1.滞在費は自腹?
2.家来は宿舎みたいなのを借りるの?
3.本人は別邸を建てるの? 大河ドラマでは三河一向一揆での一向宗の門徒は踊り念仏のようなことをしていましたが、実際にこの時代の浄土真宗の門徒は時宗のような踊り念仏とかしていたのでしょうか? >>59
浄土真宗の中にも当時は複数の流派があって、時宗の踊り念仏と似た派は存在してたはずだよ 九世紀末、関東八洲を股に掛けて暴れ回った「僦馬の党」、その一党を率いた「東国賊首」。
彼とその党類こそはやがて平将門公をも生み出す社会運動、即ち「武士」の魁であったと目されている。
彼の名は、物部氏永。
このただならぬ姓だけが今に伝わる。
彼は古代ヤマトに権勢を極めた物部氏と何か関わりある者だったのか。
然りとすれば如何な曲折の末にヤマトの名族が関東へ流れたのか。
素人なりにかなり調べてもみたが何も材料は無い。
今もし幸いにして識者のこれを見るあらば御教示を乞う。
>>61
物部氏は全国各地にいたらしいので(ただし、血縁の有無は不明)不思議ではない
それに、関東には蘇我や中臣だっていたのではなかったか アレクサンダー大王や項羽のように総大将自らが刃物を抜いて敵陣で戦ったのって日本史上では
源義経
新田義貞
上杉謙信
北条氏康
織田信長
徳川家康
真田幸村(は豊臣秀頼の家来で総大将ではないかな)
以外で誰かいますか?
なお、川中島の武田信玄や人取橋の戦いの伊達政宗のように本陣まで攻め込まれて総大将が傷を負った例は除きます。 >>63
まあ…、顔触れを見ると全部軍記物ベースの話のようだから、それで良いんなら…。
・磐余彦火火出見
・平将門
・藤原秀郷
・安倍貞任
・源義朝
・平重盛
・小弓義明
・三浦道寸
・扇谷朝定
まだまだ沢山いると思うが。 神武天皇を入れたら、垂仁天皇、景行天皇、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仁徳天皇とかも入れないと。
記紀を読むと彼らも最前線に立ってるぞ。
崇神天皇、成務天皇は自ら前線に立ったって記録は無いな。
つていうか、この人らは実在してるのかな?
神話を含めて良いの? 「サトシ ナカモト」なる人物がブロックチェーンを考案し、論文をネットに公表したとされていますが、もし本当にこの人物の実在が実証されたら、この人物は後世の歴史教科書に掲載されるレベルだと思いますか?
また、なんらかのノーベル賞や勲章、褒章などが授与されますか?
ブロックチェーンはこれからの時代のテクノロジーや社会制度の中核になると言われていますし、どうなんでしょう? マジレスすると
以前金融機関で決済ビジネス企画をやってたけど
あんな決済方法は全く考えつかなかった
凄い大発明だね、ブロックチェーンは >>66
押入から記紀を引っ張り出すのも面倒くさいから朦朧たる記憶だけで書く。
違ってたら御免。
> 垂仁天皇
刃を抜いたかな?
逃げた女房の袖を引っ張るのさえ手下にやらせてたような。
> 景行天皇
古事記じゃ何にもしてねえからなあ。
> 仲哀天皇
怪死を遂げた以外に何かしたか?
> 神功皇后
勇ましい女傑だけど個体戦闘描写の記憶が無い。
> 応神天皇
ヤマト復帰戦争の時はまだ年端も行かないガキの筈。
> 仁徳天皇
戦争したっけ?
> 神話を含めて良いの?
軍記も神話も虚構って意味じゃ大して変わらない。
朝霧の川中島に直にまみえて龍虎相搏つ!……ねーよ。
日本武尊
天智天皇
板倉重昌
源義経: 「総大将は鎌倉殿であり、俺は同じ御家人である。だから先鋒は俺が務める」 >>71
日本武尊と天智天皇は一軍の総大将と云うよりも独行テロリスト。 天智は現役天皇の命令でクーデター起こしたわけじゃないぞ
命令だしたのはクーデター後に政権を握った孝徳天皇ぐらいしか想定できないが、変の時には天皇ではないからな >>70
仁徳天皇は、隼別皇子の討伐してる。
仲哀天皇は熊襲征伐で戦死とか、神の祟りとか。
どっちにしても、一応、武装して馬に乗ったりはしてるだろ >>75
戦死ってのは書紀の「一書に曰く」だっけ?
古事記では神託にブツクサ不平を云ってスネて琴を弾いてたら突然その音が途絶えた、カミさんが不審に思って見に行ったらくたばってた、
というだけの間抜けな人だったと記憶している。
>>73
「天皇の命」には相違無いんだが、
命令を下したのは重信房子だけど時期、場所、方法まで自分独りでプロデュースして実行し続けた奥平純三ぐらいの位置付けかな、と。
>>76
合ってる
ただ、現代では神功皇后も仲哀天皇も、記紀編纂時に創作された人物ってなってるから、それも追加で 質問させてください。
つい先日遊就館に行ってきて、時間の関係で日清の最初までしか見れずもう一度行こうと思っているのですが、思想的な偏りとかありますか?
高校が理系で日本史も世界史もほとんどやってなくて、中学レベルの知識しかないので改めて日清~戦後を知りたいと思うのですが、偏りの少ない本やHPなどありますか?
回答頂けましたら幸いです。 >>79
偏りの少ない本はほぼないと思う
両方を読み比べる、いろんなのを読み比べるのがベター
まあまあ中間的なのいくつかと、極め付きに右寄りなの1つ、極め付きに左なのを1つ読んで読み比べるぐらいがいいのでは >>79
遊就館が思想の偏りがあるか?無いか?って聞くのはネタだろ?
回答者が言ってるように、極左から極右まで本を読みまくるしかないけど、日本に住んでる以上は、日本寄りの歴史解釈になるのは仕方がないね。 そもそも、研究として対象を客観的に見る訓練を重ねたら、国籍を離れての客観視にも繋がりやすい、その時点で左傾化を避けられないはず
本人が意識して右寄りであろうとしない限りは。
とすれば、右にも左にも片寄らない視点を持つことは極めて困難なことになる、まず不可能と考えていい 新田義貞は、まあ歴史的価値の低い人物だよね
よほどの南朝びいきでもなければ覚える価値がないし 天皇(おおきみ)が自ら剣を取らなくなったのっていつ頃から? >>79
>日清~戦後
質問意図とは全く違うような気もするが、戦後の日本史を経済史という観点から
[草野厚] 歴代首相の経済政策 全データ 増補版
が、偏りなく手堅くまとめている。
もっともアマゾンのレビューをみると、向こうよりからみれば自民党礼賛本に見えるようだが(苦笑
筆者は抑制的に書いてあるし、頭の悪い雑音を一々気にしていたら何も読めない。
遊就館に赴いて、歴史に興味をもったのなら戦史限定なのかもしれない
[堀場亙] 日本の戦歴 大陸編 ペーパーバック
は、シミュレーションゲームのデザイナーズノートを一纏めにし、日清・日露・日中の主要な戦いを適宜纏めてある
個人的な所感だがwikiより読み易い。
だが、個々の戦場を著者視点で紹介したものなので歴史を学べる類の本ではない点は留意 まとめてのレスで申し訳ございません、ありがとうございます。
>>80
やはり偏りのない本はないのですね。
極右・極左の概念も曖昧なのでそこから勉強しようと思います。
>>81
遊就館については本当にわかりません。
>>86
経済史は私学文系併願で政経を選択していたので、嫌というほどやりました…
個人的には戦争(特に第二次の南洋諸島?)が気になります。 徳川慶喜 朝敵
西郷隆盛 朝敵
西郷の名誉回復のためには慶喜の名誉回復先だ
ということで公爵になれたのですか? >>85
実在が確実視される継体天皇は、磐井の乱の時に、物部麁鹿火に命じて討伐させたから、継体から?
その前の、武烈天皇はイケイケのヤンチャボーイだから、弓で射たり、矛で刺したり、馬の交尾を見せたり。
自分で剣を抜いていたぞ >>87
遊就館/靖國は右左以前の利己的偏向に堕ちた施設(組織)だと云うことは知っているのか。
幕軍に不当にも「賊軍」の濡衣を着せたまま節に殉じた碧血の御霊を祀りもせず冒瀆して百五十有余年、
薩長賊の「官軍」詐称を未だに流布し続けて恥じない厚顔無恥の欺瞞組織だ。
敢えて足を踏み入れるのならばこれを心に深く刻んで行くがいい。
>>87
南洋群島というのは、第一次世界大戦後にベルサイユ条約によって国際連盟から日本領と認められた委任統治領のことで合っている? プーチン氏に逮捕状 子供連れ去りで戦争犯罪の疑い―「責任追及の合理的根拠」・国際刑事裁
https://www.jiji.com/amp/article?k=2023031800021&g=int
上杉謙信も関東に出兵した時関東の子供達をさらっていたと聞いたことがありますが、本当なのでしょうか?
本当だとしたら仏の道に反してませんか? >>92
誘拐対象は殺したり喰ったりせずに市場に出して売り物にしたようだ。
佛の道も商売まで禁じているわけではない。
また越後国主としてこれは自国の飢民を救済する為のビジネスだった。
御釈迦様も情状酌量の余地有りと認めて下さったろう。
>>92
別に、子供に限ってつれてったわけじゃないだろ
大人の男女も連れ去ったのではなかったか >>94
家族や関係者が高額の身代金でも買い戻さざるを得なくなるようになるべく地位有る者の誘拐を心掛けていた--という説もあるな。
さすがは不識庵謙信、商売の要諦を心得ていたと見える。
上杉謙信の人狩りと乱取りは本当にあったのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62202 >>96
むしろ人狩り乱取り放火をしなかった戦国大名がいたのかと問う方が早い。
…って、それ以前にこの記事、乃至政彦氏じゃないか。
在野の学究と云えば聞こえは良いが要は単なる謙信ヲタクで、その弁護の為に都合の良い事柄だけを抓み喰いする御仁だ。
こういう人々こそが、多大な労力とリスクを懸けてまで自国飢民救済の略奪戦争ビジネスを確立した上杉謙信の「義」を冒瀆している。
なんでパスポートの訳は「手形」でなくて「旅券」になったの? 武烈天皇の行動は、事実なのか?
事実の可能性はゼロ何ですか?
本当に暴君だった可能性はないので確定? >>99
凶行の説明内容が、紂王や湯王のパクリなんだよな
オリジナリティが全くない文章で、いかにもパクリっぽい
他になにか裏付けでもないと信用できない領域の記事(ここら辺の時代の記事の大半は裏付けを取れない)の中にパクリっぽい文章が書かれてるので、さすがに信憑性は低いと考えざるを得ない
裏付けを取れるものじゃないと史実とは呼べないのだから、凶行の内容だけではなく、かなり多くの部分が史実とは認められないのではないかなぁ >>98
手形だと商売人が決済に使う約束手形とまぎれる恐れがある
だが現在、2026年を目処に約束手形の使用を廃止しようという国の動きがある
そうなればパスポートも晴れて通行手形と称することができよう >>100
でも、それを認めるとなると、何でそんな逸話を入れたのか?ってなって
王朝交代に近い事が起こってたってことになる。
奈良時代の知識人も、同じ事を思って継の文字を入れたのだろうか?
血が繋がってたら、嗣とかの文字が漢風諡号に入ってた? サイパンが陥落した時に心配したドイツ大使に対して、東條英機は
「あなた達はアメリカやイギリスの誇大かつ虚構な宣伝に踊らされている。アメリカは島と島の間を押さえて、つまり飛び石作戦をとって日本本土に来る。しかしそれはあくまで彼らの論理であって、我々から見ると、彼らは我々が軍事的に押さえている二つの島の間にある島を押さえたに過ぎない。だから逆に言えば、我々がアメリカを挟撃していることになる、その二つの島で挟撃していることになるのだから、一つの島を取られたからといって別に不利になる訳ではない」
と言ってドイツの大使を納得させたそうですが、事態が東條の思惑通りに進まず結局は負けてしまったのは、日本の挟撃作戦がどこかに支障をきたしていたからなのでしょうか? >>103
挟撃というか、ろくに出撃できない状態の無力な拠点として残ってたからじゃね? >>99
無かったんだよそんな事実は。
『古事記』に一言も記述が無いんだから察しろ。
『記』は他にも『紀』が不自然に大書強調した「だいじないべんと」を爽やかに無視したりする正直者。
代表例として磐余彦のヤマト侵攻の結末、あの有名な金鵄のくだりなど欠片も書いていない。
結果、磐余彦が本当に勝ったのかさえ怪しまれるヤバい話になってしまった。
『記』がこんな身も蓋もない正直者だから政権が慌てて『紀』を編纂させたんじゃないかと云う勘繰りさえ成り立つ。
飛び石作戦で飛びこされた島の守備隊は孤立し、補給無く、飢えた >>102
桀王や紂王と違って殺されていませんが、何か?
子も無く跡継ぎも指名せず後先考えなかった放蕩な暴君だっただけでしょう。発想の飛躍です >>107
ラバウルは終戦の時まで無事だったんじゃなかったっけ? ♪さ〜ら〜ば ラバウルよ また来る日〜までぇ〜
し〜ばし 別れの 涙がにじむ〜
わたしぃのぉ loverさん 酋長の娘〜
色は黒いが 南洋じゃ美人〜 >>108
記紀では殺されてないけど、18歳くらいで、いきなり死んでるんやぞ?
日本書紀に悪さばっかして、良いことを一度もしなかった。って書いてあって、悪さを列挙して、いきなり死亡って怪しいやろ。
子供も、他に親族も居なかったから、継体に来てもらったってあり得ると思う? 恐らく、日本書紀の編纂時には、もっと万世一系にとってヤバいエピソードが伝わってたんやろ。
それで、ヤバいで、天皇の皇統の正統が疑われるで。そやそや、中国のエピソードを入れたらええやん。
ってなったんやろ。 崇峻天皇は殺されたけど明記されているよ。後“継”は親戚から選んでる 親族の男のほとんどが殺されてて残ってなかったしなあ
王族の範囲で後継を見つけれないからと、地方に婿入りしてた遠縁の親族(実は女系では近いらしい)を呼んだ、と説明されている
さすがに遠すぎるから大王家に婿入りさせる形で。
ところで、ひょっとして継体って、近江出身で河内に長逗留してたのは本人じゃなくて父親で本人は父が河内に来てから生まれたとかって可能性はないのかなあ
継体の子供の年齢を考えたら無理がありすぎるんだけど、太田茶臼山と今城塚の関係がまるで親子のように見えるんだよね
継体陵の今城塚と、その父親っぽい太田茶臼山が。 >>115
崇峻天皇は暗殺されてるけど、継体天皇、欽明天皇と血は繋がってる。
継体天皇は、仁徳系統とは、血が繋がってない可能性があるやろ。
応神天皇とか神功皇后、仲哀天皇、ヤマトタケルとか実在が怪しいやんけ。
確かに太田茶臼山古墳の築造期と比較すると、彦主人王の死期と一致するな。
高島市にある宮内庁の指定陵墓の田中王塚古墳は、あの地域では最大級で彦主人王の死亡期にも一致するけど、天皇の父親にしてはショボイ。
継体が天皇になった時に、仮に田中王塚古墳が父親の墓だとしても、天皇の権力使って、父親の墓は改築して大きく立派にしても良いはず。 >>116
継体が河内生まれだとすると、記紀ではなんで、近江の高島生まれってしたんだろう。古事記も日本書紀も両方やぞ。
めちゃくちゃ田舎。
河内生まれの方が恰好いい、当時は超都会の地域だ、応神陵もあるし、辻褄は合う。
ただ応神は継体の時代に本当に実在の人物だったか?怪しいんだよな。
というのは、日本書紀には、応神の都も墓も書いてない。もともと神様だったのを実在のようにして、そっから継体の系譜に繋いだ可能性もある。 >>118
ごめん、継体陵のあたりは河内じゃなくて摂津やった
摂津国三島郡、後に分割されて島上郡と島下郡に。今城は島上で太田茶臼は島下やな
ヤマト入りするまで長逗留したのは河内で、陵墓は摂津にあるわけや
そういえば、摂津と河内が分割されて別の国になったのっていつやったっけ…… 攝津と河内はもともと別の国やで。
一緒の時なんて無い >>120
あれれ、覚え違いか
分割されたのは和泉か ウクライナとか
刀持ってるたたかいでもいいけど
刺されたりして3日後になってもまだたおれたままいきてる兵士とか
その辺の原っぱに転がってるとかそういう話は何で教科書に載らないんでしょう 武田勝頼は長篠の後は信長に降伏して甲斐以外の領土(信濃、上野半国、駿河、遠江半国、東美濃)を織田徳川方に献上していたら、攻め滅ぼされることはなかったですか? >>122
ブルガリアとローマの戦争で、1万人の捕虜の目をつぶして帰したとか、あったという。
その残酷さに驚いてブルガリアの王様ショック死。 >>122
戦争なる事象の物理的実相を知らせてしまったら、国家権力が国民個々人に戦争参加を強要できなくなってしまう。
国家権力にとっての戦争は「異なる手段による政治の継続」という共同幻想範疇の案件だが、
個々人にとっての戦争は正に物理的/生物的な存否生死の実体現象以外の何物でもない。
凄惨な実態を明示するとこの両者間に存する懸隔、もっと云えば権力の欺瞞が顕在化する。
ひいては「国家権力とは何者か」という根源的な疑問の発生契機を与えることになる。
これは国家権力にとって絶対に忌避しなければならない危険だ。
故に国家権力の検閲と操作の下に在る「教科書」には物理レベルに於ける戦争の実相を記載することなどあってはならず、またあり得ない。
日本の文化史において、平成文化の担い手として初めて「オタク」が出てくると思っています
この考え方についてどう思われますか? 参勤交代の大名、主要道路が領地にかかってたり道が城や陣屋に接近している他領の殿様に
挨拶とかしていくものなの?
通行税(関銭)の徴収されてたりした? それとも接待受けてた? 大名行列と言っても田舎を進むときは家来ども、気の合う者同士でグループを作り散々伍々気ままに歩く
進むのは宿場が完備した街道筋
夕刻には次の宿場入口付近に集合と言われていて、そこで隊列を整えて宿場に入る
アルバイト人足も雇って豪勢に見せる
そんな感じだから領主がどうのこうのなんてのは‥ 財政逼迫で宿泊日数削減しなければならない情勢では、一日の距離を稼ぐために駆け足もしなければならないが >>124
秦時之乱で、降伏した秦の軍兵三千人を皆殺しにしたとかいう項羽って人もいたな
最近じゃ、史記に記されたその逸話は史実ではないらしいともいうが 律令時代、制度としては尼僧は朝廷の許可がいるのにたいして神社は自由だった? >>122
刀での負傷ではないがインパール作戦の時に補給が途絶えて飢えや体力衰退からマラリアやデング熱で死亡した日本兵が多々いて道端にその遺体が放置されたんだけど、インパールから最後に撤退した部隊はそれらの遺体がこの地域特有の高温多湿で半分白骨化しているのを目撃し、その道は「白骨街道」と呼ばれることになった。 >>122
百数十年前のヨーロッパの大きな戦争ンとき、戦死者の大多数は戦闘での直接死ではなく、病気やら、傷の化膿やらの傷病死で、戦闘中に死ぬ兵士は少数だと判明したことがきっかけで、ナイチンゲールさんが歴史の舞台に出てくるんだよな 磐井の乱で糟屋屯倉を献上したと記されているが
屯倉=大王の直轄領じゃないの? >>135
そやで。
そやから、磐井の乱以前は、九州はヤマト王権の支配下には無かった説ある。 1944年のフィリピンでは日本軍がフィリピン国民から物資を強制徴収したためフィリピンでは物不足で凄いインフレになってしまって国民が苦しんだそうですが、韓国と違ってフィリピンが親日国でいるのは1944年の乱暴狼藉を差し引いてもなお余りある善業を日本がフィリピンにしたからなのでしょうか?
もしそうだとしたら、どんなことをしました?植民地からの解放? 大河ドラマは何故、
卑弥呼を描かないんですか?
(´・ω・`) >>139
だいぶ前だが、半年物とか九ヶ月ものの短めの大河ドラマあっただろ
半年の二十話ちょいでも無理な気がするけどさ >>137
>1944年のフィリピンでは日本軍がフィリピン国民から物資を強制徴収したためフィリピンでは物不足で凄いインフレになってしまって国民が苦しんだそうですが
フィリピンは1943年に独立している
フィリピンの米等の物資不足は太平洋戦争以前からの恒常的なもの
フィリピンが日本に占領された頃から共産系のゲリラが活性化し物不足の恒常化に拍車がかかっている
フィリピンでは1944年には米の支援を受けた反日組織が活性化し物不足が常態化している
鈴木静夫『物語フィリピンの歴史』中公新書
補足すると↑には>>137が言ってることなんか書かれていない >>140
31回 琉球の風 が半年の23話
1回 花の生涯 9ヶ月で39話
32回 炎立つ 9ヶ月で35話
33回 花の乱 9ヶ月で37話
それ以外も、最近は45∼48話ぐらいが多いようだね
あと、60回の青天はコロナのせいで41話まで、その前年のも44話 卑弥呼では、数話で限界だろ。
邪馬台国がどこなのか?のも誤魔化して、魏の使者に会ったりして、なかなか大変だと思う ここが日本史板であることを忘れずに。
テレビドラマの話がしたいんならそれに相応しい板もスレッドもあるからそちらへどうぞ。 WW2の時のフィリピンなどの東南アジアの数年間で物価100倍インフレは軍票で食料を現地調達していたから
軍票は借用書だが日本円に交換されることはなかった
もっとも円に交換されても戦後インフレで円の価値も毀損していくから意味はなかったと思うが
フィリピンマニラのインフレは1944年の夏場まででその後高止まり >>144
一応、卑弥呼は日本史
歴史的にみる大河ドラマの実現化についての議論ということで >>137
物資を強制徴収したのは米軍だぞ
日本が占領しても日本が困るように嫌がらせでやった >>147
すると、占領地に焦土作戦を仕掛けた?
現地住民にとっては、ひどい話やな >すると、占領地に焦土作戦を仕掛けた?
占領地じゃなくて植民地ね
米は従順な現地民は統治のためにそれなりに遇したが反抗的な部族民は虐待していた
ネイティブアメリカン相手にやってきたように、戦闘民が出払った後に後方策源地の老人や子供や女性を数万人単位で虐殺し
農地を焼き払うのが米がフィリピンでやってきたこと
>現地住民にとっては、ひどい話やな
米に従順な現地住民は搾取する側だけどね
フィリピンの話をしているのに唐突に話を一般化して
あたかも1944年のフィリピンには何かがあったかのような印象を押し付ける
そしてフィリピンの貧困は日本の占領に起因したという当初の目的に着地させようと試みているむきもあるが
フィリピンの一般民衆が飢餓に喘いでいたのは戦前の米統治からだという現実はそこにない… https://i.imgur.com/77vyirP.jpg
https://i.imgur.com/uuD1Zd6.jpg
大東亜戦争でインフレになったアジアの国はフィリピンだけではないよ
ちなみに戦後の日本のインフレは1945年から1949年の4年間で70倍(あくまで表に出ている商品だけで闇市場でのインフレ率はそれよりもずっと激しかったようだが)
戦時中のアジア各国の方がインフレ率は激しい
全ての国がアメリカの植民地ではないのでアメリカのせいだけには出来ない > 戦時中のアジア各国の方がインフレ率は激しい
あ、これはUPしたグラフの縦軸の目盛りの出鱈目さに惑わされた
まあでもかなりのインフレになったのは事実
今の欧米でも物価は年率1.1倍とかだから 知恵はあなたを追いかけてるけど、あなたは一貫して知恵を追い越してる 江戸城無血開城の時の幕府側代表は勝海舟でしたが、当時彼は幕府側の序列何位だったのでしょう?
少なくとも2位とか3位とかそこまでは高くないですよね? >>154
従五位下だから、交渉役としては妥当なところ。
大国唐に出されていた遣唐使の正使でも五位の位階の人はゴロゴロいるし。
儒教圏では使節はわりと地位が低いし、交渉決裂ならその場で殺されることもあるので
詰腹切らされるレベルの下位者を差し向けるものだ。
念のために言ってくと江戸幕府も公認の思想は儒教だからな。 >>155
ありがとうございます
ちなみに、彼は当時、位階ではなくてポストとして上から何番くらいだったのでしょうか? >>155
小野妹子も、煬帝に殺されかけてましたね。
地元が滋賀県で妹子と同じ地域なんですが、身分が高くないと聞いて哀しい 古代のことなんだけど、前髪をセンターで分けて顔の両サイドで8の字に結んでる髪型、実際にそうだったんだろうか
何かの文献にそう載ってるの?それとも創作? 正四位だと、準大臣ぐらいな感じかな?
中央官じゃなく地方官だと考えれば、大宰率のすぐ次ぐらい? >>159
美豆良(みづら)という髪型だ
古代の貴族や、中世になってもこどもの髪型として結われたが、古墳時代の埴輪にもよく見られるので、後世、神武天皇の画像なんかにも使われているな 継体天皇王朝交替説の一つに漢風諡号が継の字で、血が繋がって無いことを意味する。
っていうのが、あるけど。
交替説信者が、
ファ!これ絶対血繋がってやろ?
っていう漢風諡号を考えるなら、
どういう諡号になるの? >>164
まだ捏造継体交替説ってあるんだ
完膚無きまで雑魚継体なんて論破されてるのに >>166
じゃあ、参考に教えてくれ。
参考文献でも良いよ。
ちなみに、天皇の歴史 大津透 東大教授 10年くらい前に書かれた本だけど、継体は有力な外戚の豪族説を書いてるよ。
つまり途切れてる説を書いてるよ。
反論は? 俺的には、
継体天皇の在世当時の人々の意識のなかでは継体天皇は簒奪ではなく適正に迎えられた天皇だったと考えられていたが後代の常識としては必ずしも直系に含まれない微妙な立ち位置だったのかなと思う(まだ天皇という称号か成立する前なので大王だけど)
少なくとも系図で考えたら、どう見ても諸王ではなく地方豪族だしねえ
(地方豪族の家に婿入りした皇族の子孫は地方豪族でしょ)
166がどう考えてるかは知らないが。 仲哀天皇も神功皇后も怪しいし、その子供の応神天皇も怪しい。
その子孫の継体も王族なのか?怪しいのは仕方ないね >>166
じゃあ、継体新王朝論者を改心できる漢風諡号を考えてくれ。
絶繋天皇は出したよ。
次は何? 怪しいと云い始めたら磐余彦なんざ日向の馬の骨で暴力革命の指導者だし、
沼河耳はどう見たってクーデターで簒奪した謀叛人。
物云へば唇寒し。
邪馬台国は邪馬壹国か邪馬臺国の間違いって説を最近ネットで見たけど、昔からある説なんか?
読み方は「やまいちこく」か「やまいこく」らしい >>172
新井白石って名前を聞いたことがあるかな?
他に有名所となると故・古田武彦氏の我田引水九州王朝トンデモ妄説が記憶に古い。 >>170
嗣体天皇
死体に掛けてるから絶対改心すると思う >>172
臺は台の旧時
残存の明代刊行本三國志で邪馬台国の表記が臺ではなく壹であることから、壹が誤写または書き換えで臺に変わったというのがそちらの説だが、
刊行本より古い時代に倭人伝を引用した諸本ですべて臺を用いているなど文献学的研究からは逆に臺が誤写されて壹に変わったとされており、
古田による普及運動のかいもなく半世紀を経た今でも一部のトンデモ系以外では受容されていない >>173、175
ありがとうございます
一般的にはとんでも説の扱いなんですね いちおう邪馬台国関連は専用のスレがあるから、そっちへ行け
と言いたいのだろうけど、邪馬台国関連のスレは多すぎてどこに質問したらいいのか迷うだろうし、質問を書いたところで九州王朝説信者が見てるスレでは宗教論争で荒れて終わるだけだから、専用のスレに質問しても解決しそうにないよ 159ですけど、何か知ってる方いたらお願いします
服に関しても、古代の手首や足首を縛ってる服って、古墳とかから発掘された物なんでしょうか。
いつから、今の和服のような前で掛け合わせるタイプの衣服になったのか… >>180-181
初心者用スレで解決していない問題について解決を求めたのは御法度
・既に専門スレがあったり、オカルト板の質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・煽り質問もままあります。
邪馬台国畿内説は、韓国製
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1551751058/ 邪馬台国九州説は皇国史観の兄弟分として生まれて、皇国史観の崩壊とともに死滅したんだよ 今の皇室、血統的には北朝なのに、なんで明治に南朝を正統の扱いにしたの? 倒幕運動家たちの思想の根元近くに南朝正統論があったからだろうとしか考えられない
明治時代は、特に初期の政策には、天皇の意思はほぼ省みられていない 少なくとも明治初期の政策の多くが天皇の意思を無視していたことは間違いないよ
当時、明治天皇は攘夷を求めていたが開国を堅持した上にキリスト教の禁教を解いたし、和装を好んでいた天皇に洋装を求めたし、京都に居たかった天皇に遷都と全国行幸をさせたしな >>186
> 明治時代は、特に初期の政策には
明治どころか平安以後令和の御世まで、天皇の政策意志が尊重された時代なんざ無いだろう。
GHQ謹製日本国憲法第一条を俟つまでもなく「天皇=木偶」が本邦の平常運転。
薩長軍閥だって徳川に対抗する旗として天皇を利用しただけで本当の王政復古天皇親政なんぞ端っから考えてやしなかった。
奈良県桜井市に古代天皇の宮の伝承地がいっぱいあるけど、古代史好きな自分は近鉄乗って、桜井駅で降りてウロウロしてたけど、回ってる内にどの程度正しいの?
って思ってきた。
雄略あたりは実在しそうだけど、垂仁とか景行あたりは怪しくないか?ヤマトタケルの父親と祖父って、ヤマトタケルが実在しないだろうにって思ってきた。
推古とか聖徳太子の伝承地もギリ信用出来そうだけど。 >>190
幕末や明治の頃に付け替えられたとこだってあるし、信憑性は微妙かもな
間違いが確定したとこだってあったはず 桜井市にあるのは纒向遺跡だろう。間違いが確定してるのはその中の箸墓古墳が卑弥呼の墓って事
卑弥呼の非実在は確定。雄略は河内王朝で、聖徳は斑鳩。回るとこが間違ってるのに正しいもくそもないわ 金明天皇陵は、宮内庁の治定と違う、別の古墳で確定してるんだよ
奈良県じゃないけど継体天皇陵も別の古墳(宮内庁の治定は太田茶臼山古墳だが、正しい継体天皇陵は今城塚古墳)
間違い確定はこの二つだけで、他は確定ではない(99パーセント間違いやろ、てレベルのは複数あるが、それらは確定ではない)
さすがに実在せーへんやろ、てのも「ほぼ間違い」としか言いようがない
確定させられへんからな お前、日本人か?
宮内庁の治定が公式なんだから、正しいに決まっているだろ! >>194
大本営発表が正しいとか言っちゃうタイプ?
空母サラトガは一回も撃沈されてないのに、何回も撃沈発表してたらしいな。
あんまりにも、過大発表するから、これだけ空母を沈めてるのに、どんだけアメリカ強いんだ。って士気下がったってね >>193
逆に言えば、宮内庁比定の陵は99パーセント近く間違ってるよ 194はただの皮肉で宮内庁を嘲っているだけなんだが 99パーセント云々てのは単なる妄想だから価値はない >>196
逆?? やはり日本語が可笑しくね
日本人でないこと確定しました。老婆心ながら大本営と宮内庁の違いぐらい分かってね >>195
>過大発表するから、これだけ空母を沈めてるのに
発表に疑義が出てきたっていう話なら知ってる
>どんだけアメリカ強いんだ。って士気下がったってね
誰が言ったの?ソース教えて
一方開戦劈頭の米国
次から次へとありもしない過剰戦果発表で議会から対日戦への戦費分配は減らして対独戦に集中することに
だから対日戦終結はドイツが降伏するまでできなくなったとか >>192
スマン。
宮って書いたよ。
雄略の宮は泊瀬朝倉宮って
今の桜井市の大和朝倉駅のそばらしいから、降りてウロウロしてたんだけど
結構、山と山に挟まれた狭い箇所にある。
こんな所、宮に向いてないだろ?
ってところに住んでたとされているから、逆に、雄略は実在が怪しいんじゃないか?って思ってる。
雄略の陵も、河内にあるけど、考古学的には、雄略のではないらしいしな。 吉野はもっと山奥だから、後醍醐〜後亀山天皇も実在は怪しいことになるね
卑弥呼の所在地になると全くの不明。三国志にある創作記事オンリー >>203
吉野におった奴らは、島流しにされてるようなもんやんけ。
雄略はめちゃくちゃ専制政治やった奴やぞ。
そんな奴がこんな山奥に居るわけない >>203
そんなこと言ったら、推古、厩戸だって記紀オンリーの中国の同時代資料には登場しない創作やんけ。 同時代資料と、何百年も後に書かれた資料とどっちが信用出来るか?
歴史学者なら分かるよね >>206
どっちも信用ならない。
所詮はヒトの書いたもの。
信用出来るのは考古学的物証(場合によっては数理計算も)のみ。 日本書紀より千数百年も遅れて書かれた資料なんか更に信用性が落ちる 亡国人の旅行記と、現存国家の公式記録のどっちが信用出来るか?
歴史学者なら分かるよね >>209
歴史学者の誰が、宋書倭国伝と日本書紀と比較して、日本書紀や、古事記の方が信用出来るって言ってるの?
歴史学者でお願いするよ。
出来たら、著名な歴史学者な。
日本でも中国でも韓国でも、何処の国でも良いよ。
名前挙げてみ 逆切れするとワンパターン。お前のいう歴史学者って何なんだよ? しかも著名ってw
お前が無知だから著名じゃないって予防線張ってるんの。無知なお前でも知ってる歴史学者は何人いるの
宋書の朝鮮半島を日本が支配していたと言ってる歴史学者は誰よ >>210
記紀に優位を与えているとまでは云わないが、
考古学に軸足を置く「古代学」の泰斗・森浩一氏(故人)は大陸史書も記紀も全てを等価に突き放して批判的実証、物理的検証の対象としていた。
中華崇拝主義も皇國史観も津田ドグマも科学的実証精神の妨げとなるものとして同じ俎上で弾劾していた。
実事求是の学究としてまことに正しい在り方と云うの外は無い。
大津透とかどうよ?
東大教授で、天皇の歴史の一巻を書いてるけど、宋書倭国伝から倭の五王を引用してるぞ。
明らかに、中国の史書を重視してるよね。
倭の五王の時代にどれほどの文字で記録してたか?分からないから、同時代史書を重視するのは当然だ ヒトの恣意や夜郎自大をいくらでも盛り込める文献史料などに言及するのも馬鹿々々しいが、一応確認しておく。
大陸王朝の正史書は同時代史料ではない。
次代の王朝が前代について書いたものだ。
ついでに正面から訊いておきたい。
文献史料を物神化して無批判に受容する人々はその恣意性や政治性についてどう考えているのか。
如何様にも歪曲記述が可能な文献史料に引き寄せて考古学的物証を我田引水に摘まみ食いする所謂「歴史学者」の論を本気で信用しているのか。
だとすれば、その論理的根拠は何か。
「物証には隙間が多過ぎる。それでは何も語れない。」と反論する人々もいよう。
彼等にはヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の最後に辿り着いた最終結論を捧げておく。
語り得ぬことについては沈黙しなければならない。
物証と物理によって語り得ぬことには沈黙しておけば良いのだ。
徒らに想像の翼を拡げた文学的妄想の開陳は小説家に任せて、
歴史学者たちは--彼等が己を小説家ではないと云うのなら--ただ物証に基づいて語り得ることのみを語らなければならない。
>>212
森センセは文献の読み方がおかしい(文献学そっちのけの素人読みに近い)からなあ…… 逆に日本の王の名が賛とか珍とかの一文字であったとする方が正しいなんて言っている人は聞いたことがないな >>217
その「おかしい」と云う基準が既に倒錯に陥っている。
物証と文献記述が矛盾する時、誤っているのは必ず--100%--文献の方だ。 >>218
そりゃ、当時の日本に文字はないし
名前に近い漢字を当てるのは当然 >>220
だから文字からして間違ってんですよ。任那日本府の存在は正しい
それと「引用」を重視と呼びません。それなら『日本書紀』は偽志倭人伝ほか数々引用してます
それこそ同時代史料をまとめたものですぞ >>219
邪馬台国当時の文献記述を覆せる物証って何があるんや
牛馬とか棺関係とかは見聞じゃなく創作ではないかとの疑いが強いので、そもそもの記述の信憑性が他の部分よりも低いしなあ あー、旅程をそのまま読んだら海の上に出るヤツやな
文章を曲解して自分の好みの位置に到着させるアクロバット読みの温床やけど、まあ、旅程はほぼデタラメやろうね
日数ぐらいは参考にできる可能性があるが、それさえもデタラメの可能性もあるわな で、雄略の宮の位置が、明らかに山の中でおかしいのはなんで?
大和朝倉駅って、山の中やで。
自分が思うに、多分、位置が間違ってるんじゃないの?
本当は桜井駅のそばの開けた地域かと。
あそこは、川もあるし。 そもそも未確定で、複数の候補地がある状態なんだけど 全部の候補地があの周辺の山の中なんだが?
実際に行ってきたから、間違いないし >>222
覆す必要など全くない。
物証を欠く文言など無意味な文字の羅列に過ぎない。
文言を立証する物件なり数理検証なりが得られない限りは無視あるのみ。
古墳時代ごろには奈良盆地のかなり広い範囲が沼沢地で平地じゃなかったぐらいだし、平野部より少し奥まったとこしか宮を置けなかったかもしれん >>230
湖(湾)だったのは河内平野だろう。
津田ドグマに風穴を明けた古地理事実。
>>225
ずっと後の聖武天皇だって、橘諸兄の別荘の信楽に居ついてたし、南朝も吉野行宮やら天野山行宮やら観心寺行宮もこれまた山の中。 >>231
奈良盆地の巨大な湖が北に移動して琵琶湖になったという話もあるが、それはそれとして、古墳時代ぐらいまで奈良盆地にも湖があって、大和川の川幅が広くなってから平地化したと言うが
もちろん河内の湖とは別 由緒あるうちの本家も山の中
山の高い所に住む方が偉いという考えも昔からあったのだろう
加えて防衛上の観点からも都合が良い
利便性とどちらを重視するかはその王次第になるのでは 専制政治やった偉い奴やなんだから、周りからめっちゃ恨まれていると自覚できてるよ
だから山奥に隠れるんだよ。プーチンも地下壕を転々としている >>233
そうか。ありがとう。
それが事実とするとちょっと面白くなりそうな話もある。
もしも整理できたら書くかもしれない。 さまよえる湖、古琵琶湖はそれぞれ独立した別の湖
伊賀湖 400〜320万年前
甲賀糊 300〜250万年前
蒲生糊沼 250〜180万年前
堅田糊 100〜40万年前
現琵琶湖 40〜100万年前誕生
奈良盆地が湖であったのは少なくとも縄文時代以前(1万年前)の可能性 平城京と平安京の間、今でいう京都南部ってかなりの平地が広がっているけど、歴史的にあまり栄えた印象がない
古代の都と都の間で広大な平地、この条件で栄えないはずはないと思えるのですがいかがでしょう?
最近、この辺は災害リスクが低いということで大規模データセンターの誘致が決まったようだし、災害リスクが低いならなおさらのこと 南山城、木津川の北流部は常に氾濫のリスクがあった
東部の山地が花崗岩質で砂を大量に吐くし、築堤を繰り返して天井川化していたしね
データセンターの誘致とかは現代の防災技術での話でしょう 補足
天井川化していたのは木津川本流じゃなくて多数の支流の話ね
ただ木津川が暴れ川なのは変わりなくて、近現代でも流れ橋なんか作ったりしてる 桜井市のあたりにも奈良盆地とは別の湖があって、磐余の地域と大倭の地域が湖の対岸の位置関係ってぐらいなのだから、山手じゃないと平地がなかったのではないのかな >>233
そんな話はない。
滋賀県民を馬鹿にするな。
琵琶湖博物館行って勉強してこい。
奈良の湖と滋賀の琵琶湖は、関連はない >>242、243
ありがとうございました
その辺には木津川、宇治川、桂川などが流れていて水運もあるのにと思っていました
もちろん、水運のあるところ堤防決壊や治水の問題はあるでしょうがね
それにしても広大な平地があるのにもったいない気がして仕方がないです >>241
文献史料ごときの欠如でそう断じるのは早計だろう。
今後何が発掘されて現在の定説がどう変わるか知れたものではない。
一昔前まで鉄板の常識だった「権現様以前の江戸は不毛の泥湿地」なる言説を今語ったら即座に馬鹿扱いされる。
かつて戦国東国史の大権威が虚構と断じた「明応四年大震災」は考古学成果とハザードマップ用シミュレーションによって紛れもない史実と認定された。
そういう喜劇が京都南部に絶対生じないものでもあるまい。 >>241
古代じゃなければ、山城国一揆で蜂起した国人らのたちの多くはその近辺に領地持ってるね
南山城の国人たち だし。
古代は、どうなんだろ
平安京も平城京も長岡京も、都として造営される前には京域の何割かは(半分よりは少ないけど)沼沢地など、水はけが悪かったみたいだし、川辺の平地っつっても沼沢地だったりはしないのかなあ 南山城では昭和48年からの発掘調査で天平年間の日本の首都、恭仁京の跡が見つかっているな >>251
恭仁宮は首都というよりせいぜい離宮、別荘の類でしょ
大仏やら何やらでいい加減力が尽きて、百官の住居も建てられない
近所の豪族が宮外周の板塀を寄付したら偉いと褒められてた >>254
知らんけど、江戸時代とか田とか畑とか隠して作物作ってて、それで結構豊かだった説あるよな。
だから、多分合ってる 古い使い分けでは、田は課税の耕作地のことで水田とイコールではない、
畠は非課税耕作地の意味だったという
ヒエやアワの耕作地(畑)も課税されていた(水田じゃなく畑だけど、区分としては田)可能性がある 助けて下さい
戦国武将で月輪の騎士、もしくは剣士みたいな呼ばれ方をした武将って誰なんですか?探しても見つからない… 騎士とか剣士って言葉は戦国時代には使われてないはずでは? 何れマンガだか小説だかで見て真に受けたんだろうよ。 1960年 NHKテレビ連続時代劇『月下の美剣士』
脚本 南篠範夫 主演 加藤博司 武田信玄は他国(駿河国や遠江国など)に攻め入る時に先に領民に甲州金をばら撒いて調略していたそうですが、その金をもらった領民はその金をどうしていたのでしょうか?
銀行があれば預けられた金を担保として通貨をもらえますがまだそんな時代ではなかったですし。 >>263
「そこで、だ。諸君。その金を日の出の勢いの我々武田家に投資してみないか?三年経ったら倍にしてお返ししよう。」
>>263
そもそも、調略の対象は庶民じゃなくて中小規模な領主
あと、当時は金銀は通貨じゃなく財貨てか、貴重品の一種
換金性が高いが、貨幣ではない >>253
奈良時代まで、宮と京の二都制だからな。
天皇の平時の居場所は宮。自分の領地とか、生母の氏族の勢力圏とかにある屋敷に住んでいて、使い走りが往来する。
京はがっちりした都市だけど、日本には都市が飛鳥時代まで難波京たった一つだけだった。
その京に危急時には全員集合の招集がかかる。
藤原不比等が大変な権勢家で、藤原・中臣一族の氏神氏寺の真ん前に京を作って移転しようとしてたものの奈良盆地の東端で
交通の便がよろしくない。田畑は良いから豪族の領地としては上等なんだけれど、首都には不向。
結局、陪都(副首都)の名目で残していた難波京が引き続き「京」の機能をしていて、平城京は名前は京でも機能は宮。
聖武天皇、平城京にいると藤原一族の干渉がうるさいので、親戚でマブダチでキレ者の橘諸兄の別邸とか難波京とかへ
理由をつけては逃げ込んでいた。
そこそこ交通が良くて、関東・北陸方面の支配が重要になってきたので、平安京を作ったところでやっとこ首都が一つになる。 百舌鳥古墳群の大型古墳って、なんでヤマトから離れた堺市に造営されてるのかと思ってたけど、難波京とか難波津にくる人々(半島から来る人を含む)に威容を魅せるためだったのかもな 全知全能の創造主について質問です
①全知全能なのに人間が知恵の実を食べてしまうことが全知全能なのに予見できなかったのでしょうか?
②イブを唆した蛇に怒って蛇を嫌われ者にさせてしまいましたが、そもそも蛇も全知全能創造主の創造物であり唆したのも創造主のプログラムに沿っての行動だと思われますが、創造主はプログラミングミスを犯したのでしょうか?
③ノアの方舟の洪水によって世界は清められたのにその後も争いごとは絶えません。ノアの方舟は創造主の失敗エピソードですが、全知全能なのに何故失敗したのでしょうか?
④息子のイエスが罪を背負って人類を救済したのなら今の私達は原罪から解き放たれていると思っていいのでしょうか? 古墳時代の人の言い伝えって、現代まで残りますか?
近くの古墳が、言い伝えのある被葬者に比定されてますが、そもそも古墳時代の伝言が残るのか?って疑問です。 >>270
そもそも、古墳のほとんどは江戸時代の時点で被葬者不明です
というのも、それぞれの古墳をメンテナンスする役割を割り振られた集落(税金のかわりにメンテナンスする)は中世までには滅亡していて、誰も管理しなくなっていたからです
当然、言い伝えも消滅しています
伝える人が残ってませんからね >>269
@知ること能うことと対処することは全くの別物です。予見できたとして何もしなかった
A経年劣化、コピーを繰り返すと自然に壊れる
Bリセットして、現在世界は成功しました
C「生まれてしまって御免なさい」から解き放たれ、親ガチャと思っていいです 知ろうと思ったこと、知りたいと思ったことはなんでも知ることができるが、
同時処理の上限か、もしくは、知りたいと気づく思い付き力が不完全か何かで、意外と知らないことが多い可能性 >>257
ナントカ寺 除地 田ナン枚ウン反スン石
……みたいな検地帳の記載があったりするけど >>268
離れてないよ。
飛鳥から難波江(大阪湾)に出る最短ルート。
逆向に言うと堺から仁徳古墳の北をかすめて東へ直進すると生駒山系と葛城山系の間の標高の低い部分にあたる。
ここは大和川が流れていたり、古代から竹内街道だったり、いまでも国道166号とか、近鉄大阪線とかJR関西線とかの経路と大体同じ。 >>275
古代の人は、大阪湾に着いた朝鮮半島とか中国の使者を舟に載せて、大和川を逆に遡って、大和に入ってたのですか?
そう考えないと、あの位置に、巨大古墳があるのはおかしい。
それとも、舟に乗ってではなく、歩きで大和に入ってた?
船か?歩きか?どちらですか? >>269
自由意志が重要なのだとされます。神はアダムが自由意志で選択した結果として自分の意思に従うことを期待した。
アダムの行動を規制する事が重要なのではなくて自由に選択した上で神の意思に沿った行動をして欲しかった。
アダムの行動をあらかじめプログラムするならばそれは自分の一部に過ぎず、他者として創造する意味が無いのだと言います。 でもその当時のアダムには善悪の知識がないのではなかったっけ >>276
そりゃ、陸路の整備は古墳時代の途中からで、まだ交通路は水運がメインだった頃だしなあ >>280
船に荷を載せて、川を遡るなんて出来るの?
動力がない時代に? むかしは、荷物を積んだ船にロープつけて岸から引いて川を遡ることが多かったそうだ
その方が馬より多くの荷物を運べるし、陸上道路より管理の手間が少なかったのかもしれない
無管理の陸上道路はわりと簡単に森に飲み込まれて消えるんだよな げん‐ざい【原罪】
〘名〙 キリスト教で、アダムとイブが神にそむいて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間は、アダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。宿罪。また、転じて、人間が根源的に負う罪。
https://kotobank.jp/word/%E5%8E%9F%E7%BD%AA-60495#:~:text=%E3%80%98%E5%90%8D%E3%80%99%20%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%A7%E3%80%81,%E6%A0%B9%E6%BA%90%E7%9A%84%E3%81%AB%E8%B2%A0%E3%81%86%E7%BD%AA%E3%80%82
ヒトラー
「イエス・キリストはアーリア人だった。パウロがイエスの教えを利用して犯罪者どもを動員し、『原始共産主義』を組織したのだ。この時、それまでの天才、ギリシア・ローマ人の時代が終わったのだ。
人間たちが自分の前にひれ伏すのをみて喜ぶ『神』とはいったい何者なんだ。その神は自分で罪を犯しやすい状況をつくり、悪魔の助けを借りて人間に罪を犯させるのに成功、それから処女に男の子を生ませ、その男の死で人間の罪をあがなった。何ともばかばかしい話だとは思わんのか!
マホメットの説く天国に夢中になる人間の気持ちは私にも理解できる。また、自然の驚異を畏敬する人間の気持ちも分かる。だが、キリスト教の無味乾燥な天国だけは分からん。生きている間はワーグナーのすばらしい音楽に聞き惚れていた君らが、死後、シュロの枝を振りながらハレルヤを歌うしかない世界、赤ん坊と老人しかいない世界に行くのだぞ。
キリスト教! これは腐った脳味噌の産物だ。これ以上に無意味でひどいやり方で神を馬鹿にした宗教はない。パンと葡萄酒がキリストの体と血だなどと真面目に信じている人間よりは、タブーを信じている黒人の方がはるかに上等だ。」 日本史ではない話題をいい加減に終わってくれないかな…… クレムリンにドローン攻撃 プーチン大統領は不在 ウクライナ関与否定 自作自演の疑いも
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2023/05/04/kiji/20230504s00042000154000c.html?amp=1
戦前の日本も関東軍に満州鉄道を爆破させたのを中国軍のせいにして満州進出の口実にした自作自演があったとのことですが、自作自演の証拠はあるの? クレムリン攻撃は自作自演しないだろ。
プーチンの威厳に関わるし。
とは言っても、ウクライナの攻撃なのかは、断定できない。
ロシアとウクライナが対立して利益を得る勢力じゃね?知らんけど 自作自演だったらクレムリンではなく民間施設を狙ってロシア市民に負傷者(最悪死傷者)を出した方が「リメンバーバールハーバー」の再現を狙えると思う >>276
飛鳥時代は難波京が恒久的な都市で、本物の首都。
今でいうと、大阪城から天王寺駅のあたりまで。
ちなみに四天王寺は物部守屋の京屋敷だったところ。 >>276
難波京が首都で外国の使節を供応したり折衝をしたりするのも難波京。
大和まで使節が行ったりはしない。
難波京の方へ号令のかかった公卿が集合する。 >>291
すまん。大阪の河内地域に住んでる者やけど、物部守屋の屋敷って八尾の渋川神社あたりって説を聞いたけど。
まあ、物部氏は凄い勢力だったからな。 大阪民国(テハンミングック)のナショナリズムがそこはかとなく漂う… 古代日本の中心は、現在の大阪だから仕方ないね。
奈良地域は行宮みたいなもんでコロコロ位置が変わってる。
大阪の都は、難波宮と決まってるから。
関東以東の歴史が始まるのは、せいぜい家康以降だから。 >>295
> 関東以東の歴史が始まるのは、せいぜい家康以降だから
凄いな。
この認識の化石っぷりは70年代あたりの人が時空超越して来たのかな、と。
まあ、これが西国の人たちのコンプレックスの歪んで屈折した発露なんだろう。 まあ、浪速京の価値の源泉とも言える外港、浪速津が土砂で埋まって使えなくなったから、都市としての価値はなくなったんだよな
長岡京を作るときに主要建造物を移築したから礎石ぐらいしか残されてないし、住民も連れられていったんでないかい?
それまでは、京職である摂津職ってのが摂津国の国司の役割を兼任してて国司が置かれてなかったが、浪速京が廃止されたので摂津職はなくなり摂津国にも国司が設置されるようになった 鎌倉幕府とか知らないんかな
貝塚や古墳も沢山あるね 鎌倉に幕府があっても、都は京やし、経済の中心は大阪やし。
ただの征夷する為の組織。
古墳がいくら沢山あっても、巨大な盟主墓が何処にあるのか。
その古墳は、大阪の中央勢力から派遣されてきた管理者の物って説もある。
太宰府が北九州にあるから、日本の中心は北九州というくらい寒い。 ちょいと突っつくだけで御約束通り燃え上がるハングックナショナリズム♪
本家ハングックとそっくり♬ 京都みたいな、狭い盆地が経済の中心とは考えられない。
海無しだし。 資料集に、平安からの源氏の系図で源為義って棟梁の絵図が出てるんですが、
その絵の顔が塗りつぶされるというか消されているのです
それがなぜなのかわかる方いますか?? ただ単に古い絵巻物だから剥がれてるのか…
それにしては綺麗にピンポイントで顔だけが見えないんですよねー不思議なのです 今秋、安土城の天守台付近の発掘調査を結構本気でやるみたいだね
さて、何が出てくるか >>309
昔、行ったよ。
大きい石組みしか無いよね。
発掘しようがあるの?
あれ以上掘れるの? >>310
専門家も含めた上での一大プロジェクトだから、そりゃ出来るでしょう
金箔瓦などが期待されてる むかぁし行ったけど、今ある大手道とか影も形もなかった
その後の発掘で出て来た 安土城の近くに、小さい平和堂あるよね。
そこで買い物して腹ごしらえしてから、見に行った記憶ある。 天守閣の後ろか横に天皇用の紫宸殿を建てて、天守閣の上から見下ろすつもりだったとかって説があったけど、それを証明するようなものが発掘されたら面白い
信長も天皇も好きなんだけど、その関係性にはすごい興味ある そもそもノブはそこまで天皇を意識してたのかね?
今と違って、当時の天皇って神社の宮司みたいな感じだと思うけど。
今の有力政治家が、地元の古い神社の神主を意識しないように、ノブも何の意識もしてなくて、歯向かったら頃すか?くらいの意識じゃね。 >>316
天皇に対する信長の態度って難しい
父信秀同様に尊皇だったという説もあるし
、315みたいな説もある
でも、時の天皇に譲位を迫ったりしてるし、無関心ではなかったと思うよ >>316
ノブとか書いちゃう気持ち悪い人は気持ち悪いゲーム脳だらけの戦国板にでも引きこもってて下さいね 気持ち悪いから 名前の一文字目が信(ノブ)なんて、戦国時代の前後だけでも、いくばくかの知名度のある人だけで何十人もいるよな 今と違って、当時の天皇って神社の宮司みたいな感じだと思うけど。
↑これってよく言われることで、わからなくもないけど、日本の名目上のトップだし、官位も全て天皇から発せられるわけだし、宮司の要素を持ちつつも、ただの宮司じゃないわなって思う
この辺、詳しい方の意見聞いてみたい >>321
有名な神社なら、地元の名士とかに、シャーシャーって、白い紙の付いた棒を振って、お祓いとかするぞ。
名士も、頭下げてるやん。 >>321
いや、奈良時代に再構成してからは神道と仏教の両方を並立で束ねる立場でもあった
むしろ神仏習合の源泉かもしれん? 現在の象徴天皇に近い感じ?
当時は象徴なんて言われてないけど、実質的に象徴的な存在っていう意味で もっと悪いでしょ。
今は宮内庁とかあって、国税で生活してる。
当時は、周りの人が差し入れとかで、何とか食いつなぐ状態だよ。 いや、一応は広大な荘園を持ってて収入源はあるよ
荘園収入の九割以上が途中で消えてて入ってきてないだけだ >当時の天皇
今谷明『武家と天皇―王権をめぐる相剋』(岩波新書)
今谷って人が三十年位前に書いた本で当時は時の人になれるぐらい持て囃された。
簡単に言うと、天皇の権威は混乱期に高まり安定期には低くなる。 おや、もとの母数が大きいから1割以下と言ってもそれなりの収入にはなるよ
普段から節約してさえいれば、大きな儀式の時以外はどうにかなっていた
大嘗祭とかで困ってたんだよ 政治のトップが実は文化や教養に優れていた例として、足利義政や井伊直弼らが挙げられるけど、それの現代版なら細川護煕や中曽根康弘らが挙げられますか? 足利義政も井伊直弼も国を揺るがすほどの失策で悪名高い例だな… >>332
義政は政治ほっぽり出しだけど、直弼はあの当時としては仕方ないだろう 義政は足利一門の畠山家で政長・義就の従兄弟同士が戦い勃発しただけだけど
直弼は主君筋の徳川慶篤に喧嘩売ったからなぁ >>334
義政は、そのときそのときの視点では最適解を選んでる(本人視点では)けど、一貫性がなくてコロコロ変わるからなあ
時間のかかる事業の途中で、成果出てへんとかいって方針転換して、もとの責任者の梯子をはずすのが日常茶飯事
はずされて立場をなくしたやつが自己保身のためにあがいた結果が集積して応仁の乱やで 畠山家の当主がコロコロ変わるから。でも足利家は明応の政変まで安泰だった
一貫して水戸家を潰そうとした結果は桜田門外の変だが >>336
畠山家の当主が安定しなくなったのは幕府、将軍のせいやで 質問です
室町時代ってあちこちでナントカ公方とかナントカ御所とかありますけど
足利家ってそんなに権威あったんでしょうか? あ、室町時代って言いましたけどいわゆる戦国時代も込みです ぶっちゃけ家光は、政宗や宗茂やらを、掘ったの? 掘らせたの?
マラソンの双子ちげえよ >>338
ねえよ。
うっかり本家に踏み込むと殺されてしまうから、
それまでのおうちを本拠地にしただけよ。 少なくとも、権威はありましたよ
足利に取って代わろうとする勢力がでてこない程度には。
当主をすげ替えたりなんなりして傀儡にしたがる勢力はあったけど、足利を追放して成り代わりたいとは誰も思わなかった
ただ、戦国時代になって、何度か将軍も将軍の代理をつとめられる人も京都にいなくなる事態がおきて、朝廷が代理をつとめたりしたことで、衰えていた朝廷の権威が再浮上したので、その分だけ将軍の権威が落ちてはいた
将軍を殺害したりすげ替えたりするのは、部外者が将軍になることが困難だからであり、将軍の権威が低くないからです >>338
トヨタやホンダの車と、スズキやダイハツの車。値段とカタログスペックに大差がないのなら前者を選ぶでしょ。
大手家電販売店の店頭で、聞いたことのないメーカーと(名前だけは)知ってるメーカーだったら、なんとなく後者を選ぶでしょ。
昔の人は言いました「犬になるなら大家の犬!」 歴史上の歌舞伎役者も度々事件起こしてるんだね、大奥のやつが有名だけれども 初代の市川団十郎ってものすごいスターやったらしいですが、力道山や長嶋みたいな感じですか?
もっとすごい感じ? 法然さんは法華経を捨てよ閉じよと言ってましたが、法然さんは今正法誹謗の罪で阿鼻地獄に堕ちているのでしょうか? >>346
曹洞宗祖永平道元は
「佛舎利拝むべからず。打ち棄てよ。」
と叫んだが釈尊から特に罰は受けた形跡は無い。
漢土の臨済宗祖臨済義元に至っては
「逢佛殺佛 逢祖殺祖 逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母 逢親眷殺親眷」
と尋常ならざる教えを説いたが宗勢今も盛んである。
彼等の過激と比するに一の法華経を排撃するに留まるが如きはむしろ穏和と云うべく、
またその言葉や行動外形を云々するよりも法然房源空の真意をこそ洞察すべきであろう。 法華経以外の経典は不要と考える宗派の人は別やろ
そこの宗派の人からしたら、それは全ての仏典を否定する言葉に等しいわけやから。 世尊が舎利弗に詩を持って説きました。
この経を信ぜず、疑い、謗るものは、現世においても転生しても、語りつくせない様々な報いを受けるであろう。
そのものたちは、阿鼻地獄に堕ちる、ようやく地獄から出ても次は畜生界に堕ちる、犬や狐となって打擲(ちょうちゃく)される、駱駝や驢馬になって鞭打たれる、奇怪な蛇になって虫に食われる。
もし転生して人になるなら、地獄に堕ちて盲になり、聾唖になり、白痴になり、様々な病に罹り、 身体から悪臭を放つだろう。我執に囚われ、情欲がつよく獣と交わるだろう。
それゆえ、この経は智あるものに説け、浅識(せんしき)のものには説くな。
この経は菩提心をもった人びとのなかで、学識のある人に説け、信厚き人に説け、人のために身命を惜しまない人に説け、凡愚を離れて山林に住する人に説け、悪友を遠ざけ善友と親しむ人に説け、戒を守り真にこの経典を求める人に説け、怒らず柔和な人に説け、 自在に法を説ける人に説け、大乗の経典のみを求める人に説け、 六師外道を求めぬ人に説け。
このような菩薩たちはよく信じ、 よく理解するからである。
— 要約法華経 譬喩品ひゆほん第三 完 — 上杉謙信は妻女山に13000もの大軍を率いて10日以上布陣していましたが、飲み水はどこから手に入れていたのでしょうか?湧水とか? >>352
つか、記録じゃなくて物語やしなあ
創作譚の可能性が高いような 戦国時代の記録も、物語みたいなもんで、何処まで史実なのか?怪しいから、それ以前なんかお察しだよなあ。
そもそも、時代の権力者で、何回も書き換えられて、系譜も作り変えられてる可能性も高いしな。 戦争の補給については、戦国では荷駄隊のことも出てくるけど、源平でもそれ以前でも大戦さには欠かせなことだろう。
こういう裏方作業については記述も残らず残念。 妻女山の飲み水については上杉謙信が槍で地面をついたらそこから湧き水が出てきた
謙信槍尻の泉と呼ばれ今でも水が沸いてはいるがトンネル工事などで水脈が変わり近年になって湧水量は減ってきている チョロチョロ湧くような水量では万余の兵士の需要には追いつくまいて 戦の動員数については全員を整列させてひとりひとり計数したわけでもなかろうし概算の数しかわからないだろう
自軍の数は過大に発表するだろうし、敵軍の数なんてわかるはずない
史料にある人数なんてのは当てにならないだろうな >>354
いや、戦国時代にはいる前には、もう少し信憑性のある記録も少なくない
まあ、軍記ものや物語は少なからず創作が混じってて信憑性に問題があるのが普通ではあるが。 >>358
そういう感じで人数を盛ってるのが普通だから、半分とか3割とか、時には2割ぐらいでちょうどいいぐらいだったりするんだよな
あと、敵の兵数を概算する際に高所の敵は多く見えて低所の敵は少なく見えるから気を付けろ、なんていう教訓を書いてる軍記もあるので、数を見積もり間違えるのは普通だったんじゃなかろうか 戦場では高所に陣取る方が有利
「兵法の「高きによって低きを視るは勢いすでに破竹の如し」とあるように武田軍を撃退する」
「水を断たれたらどうするのか?」
「孫子の兵法書の「死地に生あり」とあるように、逆に勝機が有る」 >>356
弘法大師遅乃井(善福寺池)の段のパクリじゃねえか。 若かりし頃の天才信長のライバル的な存在だった熊の若宮こと竹内波太郎って専門家筋からどういう評価? >>363
実在人物じゃなくてドラマのオリキャラみたいだね
信長の大河のときの瑞天さんみたいな そもそも、熊の若宮でググってトップに来るのが、その人物と無関係な新潟の神社、その次が
>竹之内波太郎
>竹之内波太郎(たけのうち なみたろう、生没年不詳)とは、山岡荘八の長編小説『徳川家康』に登場する架空の人物である。またの名を「熊野若宮(くまのわかみや)」、中年以降は納屋蕉庵(なや じょうあん)と名乗る。
となってる時点で、もう、な
それ以外の内容の、実在人物っぽいのはヒットしてないし >>366
ありゃ!?
自分が竹之内波太郎を知ったのも、まさに山岡荘八の徳川家康漫画版なんですよ
すっかり実在人物だと思っていたんですが、架空の人物だったんですか
ちょっとした衝撃です イザナギも今では黄泉の国に行き体中にウジが湧きまた全身の至る箇所に雷神を纏った姿でイザナミと仲睦まじく暮らしていますか? うーん。
常識で考えたら、仲違いしたから、会って無さそうな気がする。
個人的には、仲良く暮らして欲しいけど。
そもそも、神話の人物の話だし実話でないし、イザナギは死んだって描写はない。
イザナミは、はっきり死んだとあるけど。
繰り返すけど、神話だから、もともとが矛盾だらけの話だから、深く考えない方が良いかと。
古事記でおかしいってよく聞くのが、ニニギが何で、出雲ではなく、高千穂に降りたのか?とか。出雲は既にアマテラスの物になってたはずなのに。 もともと、各地の、諸豪族の神話をツギハギにして組み立ててるから、それぞれの来歴の中では整合性が取れてたとしても全体では矛盾だらけになるのは仕方ない
出雲に降臨したという部分は出雲かその隣ぐらいの豪族の神話だったんだろ >>370
三浦佑之って、大学教授は、
アマテラスの出雲侵攻 と ニニギの高千穂降臨は、もともとは別系統の伝承だったのを、
2つともヤマト王権の神話に組み込んだから、話がおかしくなってる。
って指摘してたよ。 淡路島がイザナギ、イザナミの国造り神話で、最初に創造されたのは、淡路の豪族の要請だろうな。
ちなみに、自分は滋賀の人間だけど、ヤマトタケルの神話で、タケルが滋賀の伊吹山の神様に戦いを臨んで負けて死亡するのは、近江の息長氏の要請だと思ってる。
伊吹山は息長の地元だし。 >>372
だが、その話は日本書紀では本編ではなく一書に曰く という異説のひとつに過ぎないぞ
創世譚は異説が特に多く載ってるんだ >>372
ヤマトタケルの死亡を穿って見れば、息長氏討伐に出て敗死したようにしか見えないんだよな
息長氏が反乱しそう、または、まつろわぬ勢力なので討伐に出たのか、
朝廷の有力者である息長氏を勝手に攻めて(つまりヤマトタケルのほうが反乱)息長氏に鎮圧されたのか、どちらかとなる 息長氏は神功皇后とか、出してる超名門の家柄やぞ。
ただし、神功皇后も、史実なのか?あと、簒奪してる臭いな。
仲哀天皇の正室じゃないし。 もうすぐ吉野ヶ里遺跡の特定箇所の発掘がありますね
専門家がかなり期待をしてるみたい
何かすごいものが見つかると良いですね 卑弥呼の墓とか言うのだろうか?
畿内説が崩れるとおもしろい ヤレ卑弥呼だソレ邪馬台国だと単なる記号に偏執する動機が全く理解できない。
九州北部であれ本州西端であれ本州中西部であれ、
或る時期そこに当時卓越した権力体が存在した、
時代によってはそうした権力体が列島広域にわたって並存した、
それが物理事実であってそれ以上の何が必要なのか。
何故それらに特定の識別記号を割り当てなければ気が済まないのか。
実に不可思議な精神症状と云うの外は無い。
でも、吉野ケ里の最盛期って秦の始皇帝より古い時代で、三国時代には零細になってるだろ >>378
話題性でしょ。
注目を集めないと、資金や公金も得られない。
高度成長期に、宅地造成で貴重な古墳とか遺跡が、壊されまくった。希少価値のある出土品は、裏で高額で売り飛ばされた。
そんな時代に戻るくらいなら、歴史好きからしたら、オカルトだろうが、UFOだろうが、何でも乗ってやるわ。 もし墓誌が発見されたら
「神の手ぇwwwwwwww」
と草を生やす荒らしが唐突に大量発生する気がするのは何故だろう…… 弥生時代の墓誌が出てきたら、100パーセント捏造だろ。
文句なく。
せいぜい信憑性が出てくるのは、飛鳥時代に入ってからか?
ギリ古墳時代後期だろ ウリは絶対に認めないニダありえないニダ
この板、こんなに人がいたか?
と、唖然とするほどのコピペ荒らしは確定だね そもそも歴史学者が、弥生時代の文字を認めてないからな >>382
弥生時代だと日本では文字を文字として利用してないからなあ
紋様みたいにして使うだけしかできてない時代に墓誌なんて、そんなマトモに文章を書けてたはずないやろ、て。 >>385
とはいえ、被葬者が中国人なら、あり得なくはないとは言えるが。
家臣としての小さな墳墓ならば、中国人の被葬者の可能性はゼロではないしな >>386
ウリの偉大なる祖国は自国の歴史が気に入らないから
日本の平安時代以前の文字史料は少数の例外を残して全て燃やしつくし石碑も破壊しつくしたニダ
ウリの偉大なる祖国はその後に歴史を創造した立派な国ニダ
そのウリの偉大なる祖国に現存しているものより更に旧い文字史料がイルボンに残っているなどとは絶対にありえないことニダ
ウリの祖国の偉大なウリナラパワーによって、日本に文字が伝わることは針の先ほどの可能性も一切ないことは全ての歴史学者が認めているニダ~ >>387
なんでやねん
古代には文字を使うのは高等技術だった、てだけやぞ
奈良時代ぐらいですら、文字を駆使して文章を書くのはまだまだちょっとした高等技術で、いまで言う英語ペラペラなみ、それ以上の難易度までしか下がってなかった
欽明天皇の頃でも文章の読み書きはマトモなものは困難で、百済から任期何年とかで派遣してもらってた状態で、日本で自前に養成できていない、
役人の交代(後任の派遣と、明示されてないが先任の帰国も)の記事が書き残されてるやん ネットでちょくちょく、フトニ大王(孝霊天皇のことらしい)とか、九州の物部国がヤマトに攻め入った、みたいな歴史を書いている人がいますが、あれの出所は何ですか? >>388
俺が言ってるのは「だったらいいなぁ」という可能性の話。
一方、100%ありえない。というのは、太平洋・日本海を問わず日本に上陸した全ての者は文字の読み書きができないことが確定しているということの根拠が明示できて、
日本に渡る文物は中国からの直行船も含め全て検閲し、文字史料が一切日本に渡らない万全の方策が当時なされていて、この検閲を突破することは不可能である根拠を明示し、
日本近海の潮流を操ることが往時は可能であったのか、難破船の漂流物すら日本に流れつくことができない何らかの方法を科学的に証明するのか、
文字の読み書きができた渡来人が埋葬者の業績を文字としてのこそうと絶対に考えなかった根拠、若しくは文字を棺に入れることが埋葬時には不可能な理由がきちんと説明できてはじめて
100%不可能と言えるんじゃないの?ただの「だろう・はずだ」にすぎないことを「歴史学者ガー」と妄想まで言い出したら
おはなしにならない >>390
技術も高度だが、文字を紋様としてではなく文章として残す媒体は、石に刻むにしろ金属器にイコムにしろ 途中送信してもた
>>390
技術も高度だが、文字を紋様としてではなく文章として残す媒体は、石に刻むにしろ金属器に鋳込むにしろ、けっこう高コスト
権力者が命令で作らせるのでなく、文字を扱う役人の恣意で作成するのは難しいだろう
で、当時の権力者が文字で墓碑を残すことに価値を見いだしていたならともかく、そういう文化が未発達ななかで墓碑を作らせようとしたとは考えづらい
渡来人の有力氏族の長の墓とかなら、ギリギリでワンチャンかなあと だろう
はずだ
かもしれない
↓
渡来人の意思は関係ない全ての渡来人の行動は上位権力者の命令に全員が従うことは確実なのだから
渡来人は日本国の風習に絶対的な服従を誓い個々人が祖国での風習を勝手に持ち込むことなどはありえない
残された家族が故人を偲び思い出のよすがである文字の類を棺に絶対に入れないことも確実なのだ文字だけは文字だけは絶対に棺に入れてはならないのだ
当時の人々が何を棺に入れるのか厳格なルールがありそれは何人たりとも絶対犯すことがないことは今日の研究で明らかになっている確定した事実なのだ
文字の書かれたものは国内にない事は確固とした事実であり、それは生ものであるかのように死亡後直ちに制作を開始することでしか存在しない
傾いた者が大陸での風習を聞き生前から制作を指示したそんな都合の良い可能性はありえないことは余程の愚か者でなければ考えないであろう真に愚かな発想
偶々手元に大陸渡来の文書があったそんな偶然は認めないし個人では造れない高コスト品しか制作できないと俺が今決めたからそんなものは造れない
これらのことには一切の例外がない俺が決めたことは必ずそういうことになってるのだ(キリッ)それだけを分かってればいいんだよ!
あぁ渡来人の有力者 倭人ではない ありえない 渡来人の有力者であればそんな可能性は認めてやるが渡来人なのだから国内での最古の文字資料としては認めないノーカンそこは外せない
>>392は何でも知ってるんだねぇ~ >>393
渡来系の官僚の墓になら、あってもおかしくないけど、と断り書きを入れたことを無視されて、こちらが許容してないかのように偽装反論されたよ >渡来人の有力氏族の長の墓とかなら、ギリギリでワンチャンかなあと
↓
>>あぁ渡来人の有力者 倭人ではない ありえない 渡来人の有力者であればそんな可能性は認めてやるが
↓
>渡来系の官僚の墓になら、あってもおかしくないけど、と断り書きを入れたことを無視されて、こちらが許容してないかのように偽装反論された
https://i.imgur.com/ytEPBpV.jpg 独自の文字を持った一族がいたが滅ぼされたという可能性だってあり得ない話ではない だが、古代中国でも文字は単一系統しか発明されておらず、辺境に独自の文字が使われたことはないぐらいなので、文字の発明は世界的にも限られた少数だけっぽい
ほとんどの文字は既存の文字をベースに独自改良したもの
漢字をベースに改良するには、まず漢字を学ぶ必要があるので、漢字の受け入れ前には難しいだろう 福岡県で“発見”された金印とやらもすぐに偽造と見破られたからなぁ。江戸時代だぞ
日本の鑑定力は凄いのだ。そもそもどんな文字が現れるのか分からないのに、漢字だと思っている支那朝鮮人のレスは何だろうかね? 文字という発想さえ得られれば独自に新設できる可能性は高くなる
漢字を元にするとしても、内容まで留意する必要性はなく、
例えば漢字の意味は知らないが「不」に似た文字を「あ」と読むのだとすることもあり得る >>399
もともと、漢字の意味は無視して、音だけで合わせてたもんな。
古い神社とかの社名とか、読めないのがあるもんな これらの論拠から、金印は摩耗が少なく使用された形跡が殆ど無いなど偽作説にやや有利な材料もあるものの、
真印と考えた場合の不都合さと、偽印と考えた場合の不都合さを比較すれば、現状真印である可能性のほうが高いとしている
安本美典 「奇怪な印譜『宜和集古印史』 「親魏倭王」「漢委奴国王」をめぐる真贋論争」『季刊 邪馬台国』120号、2014年1月、pp.27-57。 >>399-400
それだって、使い方、ルールを学んでからしか実行できなかったのが実情 できなかったのとしなかったのは違う
そんなものは実情とは言わない そりゃ可能性そのものを否定することはできんわな、単に可能性が低いことがわかるのみ。 まあ、縄文時代にもどっかにはアルキメデスとか居たから、縄文時代の日本にもアルキメデススクリューがあって、遺跡から発見されるかもな。 「妹」は古文では妻や恋人のことですが、いつ頃から現代語の意味になったのでしょうか? フトニ大王のレス、わかる方いたらよろしくお願いします 幕末時点で、徳川家康の子孫(男系女系不問)は、何人くらいいたの? イザナミ神は、言いました。
「いとしい私の夫よ。
あなたがこんなことをするのなら、
あなたの国の人を一日千人、殺しましょう。」
イザナキ神が応えました。
「いとしい妻よ。
あなたが千人殺すなら、
私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」
こういうわけで、
一日に必ず千人死に、
千五百人が生まれるのです。
https://www.kankou-shimane.com/shinwa/shinwa/1-4/index.html
最近日本の人口が減ってきていますが、イザナギ神がこの時の制約?を怠っているのでしょうか? >>411
1日あたり1500人だと、閏年の366日でも年間54万9000人だよ
最少とはいっても60万人ぐらい産まれてるんなら、いちおうは守られてる気はする
すでにギリギリだけど っていうか、奈良時代の古事記の編纂者が適当に作った話なのに 黄泉の国(冥界)に行って見てはいけないと言われたものを見てしまって悲劇に陥るのってギリシャ神話のオルフェウスと同じなんだけど、ひょっとしてルーツは一緒なのだろうか?
スフィンクスとシーサーと狛犬のような関係で? シュメール神話にイナンナの冥界下りてのがあるから、神話のモチーフとしては最古に属するね
スキタイに似たような話があると聞いたことあるんで、伝播経路はシルクロードよりは北方の草原ルートかもしれない >>415 >>417
それらに加えて「神武東征」伝説と高句麗建国伝説が枠組を共有していたり、
詳細は忘却したが「海幸山幸」伝説も北東アジアに類型が認められると聞いた記憶がある。
これらの共同幻想範疇の事例からするとヤマト人は北方系の出自を持つように見える反面、
物理実体範疇に於けるヤマト人の生産技術や生活文化は問答無用で南方系である。
上述の「神武東征」伝説そのものも枠組が北方系でありながら盛り込まれた要素群は明らかに南方系/海洋系であるという矛盾した構造を有している。
ヤマト語の系統問題も併せて、ヤマト人の出自解明は一筋縄では行かない。
>>414
考えてみたら、奈良時代の推定人口600万人で毎年55万人産まれるとかって、かなり無茶な数字やな >>420
いや、それやったら、火の神が産まれて、陰部を火傷して死んで、死者に会いに行って、会話出来る設定の方が、もっとおかしいから。
しかも、兄妹の関係やぞ。
古代は近親相姦しまくりやったからな >>421
まあ、アマテラスと弟のはずのスサノオとの間に産まれた神々もいるし >>419
新羅の建国神話も、外から来た人が建国と言う点では共通とは言える
東の海の向こうから来たんだっけ?
んで、次世代に禅譲? してて血が繋がってないとか ネトウヨは愛国を気取るくせに自国の文化すら理解できない
低学歴底辺で低脳低知能で差別主義者で排外主義者の無教養で低偏差値の愚かで馬鹿な人外の屑でファシストに迎合する統一教会のような暇アノンのような安倍晋三を崇拝してそうなチンパンジーの排泄物以下のゲロのプーの下品を極めた下郎が知識人を誹謗する様相は反知性主義の醜さを世界に晒している行為と言って良いだろう 神話中での近親相姦タブーがゆるいのは農耕系、厳しいのは牧畜系、遊牧民系だという話はあるな
漁民は農耕と同等なんかな? ジャップの神話では世界創造の時に諾冉が天御柱を巡る
これは比較神話学の世界では遼河文明時代から引き継がれたモチーフだと言われているな
復元された原印欧語族の神話と系譜的な繋がりがあるとのこと
ユーラシアステップの東西で流布していた信仰と関わりがあるのだろう
スサノオが竜を殺す話とインドラが竜を殺す話が起源的に一つとか諾冉が天御柱を回る話とデーヴァとアスラが乳海撹乱する話の比較とか興味のある面々は該当の論文を読まれたし ネトウヨは認めないだろうがジャップの起源は明らかに中国の遼寧省にある
これは人類学的にほぼ証明済なことだ
南方系の文化については韓半島時代に山東半島から長江にかけての稲作文化を取り入れているからそこで流入したのだろう
日本語に見られるオーストロアジア的な特徴がそれを証明しているというのも当たらずとも遠からずであろう
今の日本語に縄文時代からの言葉つまりアイヌ語の痕跡は非常に少ない
基層言語としてアイヌ語があるはずなのに少なすぎる
ネトウヨが縄文文明だのと言っているが今のジャップに縄文の血は殆ど入っていない
弥生文化は縄文文化より圧倒的に強く縄文要素はほぼ上書きされて消えたと言っても良い
ジャップは弥生人の末裔で少し縄文が混っているようだとするのが適切な捉え方であろう >>427
弥生時代の人間と縄文時代の人間の間に血縁関係がないとする説は否定が強くなったのでは >>428
俺はNHK?だったか?のラジオ番組で、弥生人は渡来人と縄文人の混血みたいな説を聞いたけど。
まあ、皆殺しにして、入れ替わるのは考えられないだろ。
かわいい縄文人の女の子を見たら、嫁にするだろうし >>427
ハプロDという事実は無視なの?バカなの?死ぬの? 出雲神々やヤマトタケルによって征伐された東夷が縄文人
高天原の一族が弥生人の象徴 >>429
弥生人の祖先のうち、非縄文人系の新規渡来者はせいぜい数千人程度と少人数、縄文人の総人口より1割未満ではないかとさえ言われてるぐらいで、混血説以外(民族入れ替わり説も非渡来の民族的継続説も)はほぼ絶滅してると思う >>431
天孫降臨の神話なんか、大陸から来た話としか思えんもんな。
九州に上陸したり、現地人と結婚したり、敵対したり。
例えば、和歌山辺りに天孫降臨したと言う神話なら、ただの創作話だろうけど。 あのー、当時のフトニ大王に関して知ってる人いませんか… >>433
そこらの一般人とは違う!
的なインパクトを与えるために外から来たと設定するのはむしろ普遍的な感じがするけどな
漢の初代 劉邦が、人外の存在の子供って感じに記されてるのも同様
新羅も高句麗も、どこも初代は外来者だろ?
百済も北方(高句麗)から来たことになってるし、新羅は東の海の向こうからと(天ではなく海) >>435
そもそも、遊牧民の神話に天孫降臨が入っている。
古代朝鮮の建国神話にも、天孫降臨が入ってる。
日本神話から、影響を与えた可能性もあるけど、常識から考えたら、北方の遊牧民の神話を取り込んだものだろ。 >>436
取り込んだと云うよりは各集団の分化以前の母集団に既に原型となる説話があったと見る方が自然だろう。 新羅の建国者はなんか、日本から来た話としか思えんもんな。 天孫降臨神話は遊牧民から取り入れたというよりも、まだジャップが西遼河にいてユーラシアステップの諸民族と隣り合わせに住んでいたときに支配者は天から降りて(垂らして)きた存在という概念を彼らと共有していて、それが日本神話に入っているという事だろうな >>437
しかーし天孫降臨の場所は九州で、そこから曾孫の神武東征の続編込みなのよねw
>例えば、和歌山辺りに天孫降臨したと言う神話なら、ただの創作話だろうけど。
徐福伝説を否定するのか? >>440
徐福は東に向かって旅立ったふりして中国に舞い戻って、資金流用して隠れ住んだって伝説だぞ、本来のは。
それを曲げて日本に来てたことにした漂着伝説が後代に作られただけ お気に入りのホモダチに城とか領地とかくれてやると、そっいったきりなかなかお召しに応じてきにくくなるけど
織田豊臣徳川時代って、そういうことは度外視なん? >>725
戦犯国である日本の加害性としっかり向き合ったコンテンツを作らないといけない
暇アノンはリベラルを被害者仕草などと言っているが被害者コスプレしてるのはウヨウヨしい連中の方なんだよな >>446
同意。今の日本人にはナチス・ドイツと同盟して世界征服を企んだことへの反省が足りない。 江戸時代の山は殆ど禿山だったという話ですが
https://blog.goo.ne.jp/homeroom-goo/e/1de7a09447900ed3093a85f3ad3eec45
これだと線状降水帯が発生するような大雨の時に樹木の木の葉による保水力がなく雨が直接地面に叩きつけられますので、鉄砲水や河川の氾濫などの水害が昔は多かったということはないですか?
今より堤防が貧弱だったとかダムがなかったとかの前の次元で。 >>449
それで水害が増えたから山林対策で植林推奨とか切り出し規制とかの政策をやってるよ、効果が出たかどうかは知らんけど。
いや、十分に効果が出てたら幕末までには禿げ山なんてほとんどなくなってたはずなのに、実際は。
なんだから、伐採規制は効果出てなかったのかもな >>386
楷書の元の書体は隷書って言うんだよ。それより古い書体は篆書。
楷書が読めれば隷書は全部読める、篆書は独特で書体に大きな断絶がある。
隷書はなんで隷書という名称なのかというと、奴隷が使う書体だから。
秦の始皇帝が国家統一をして、統治制度と文書の統一を行った。
その際に、秦の書記奴隷が使う書体を共通の書体として推し進めた。
後代、王義之や顔真卿のような高級官吏やら宋の徽宗のような王様まで署を嗜むようになるけど、
基本、事務処理は奴隷の仕事。
ラストエンペラーの映画で宝物庫の金塊を盗んで帳簿を改竄する宦官が出てくるけど、この宦官も
身分としては奴隷だ。つまり、周から清まで一貫して、チャイナの事務的な文字は奴隷が書いていた。
そんなものの墓碑が果たして出てくるんだろうか。 >>449
いや…それデマだからね。
論者がわざわざ調査しなくても花崗岩採取で山が荒廃しているのが分かっている生駒山や六甲山を代表例とせざるを得ない稚拙さ。。
実際に日本各地を旅行した絵師のものではなく、何故か想像で書いた浮世絵を論拠としている。
東北で局地的に行われた無秩序な山林伐採を類例としているが何故か同書にある河内国の山は大半が樹木を維持しているという
論者に都合の悪い不都合な真実には一切見解を示さない。
そもそも、江戸時代山がほとんど禿山だったとしたら、
種田山頭火が「分け入っても分け入ってもあおいやま」と詠んでも、種田山頭火があおいやまに何を課したのかという以前に、
「あおいやま」とは何かで、誰からの共感も得られず、後世の人口に膾炙するようなことにはならなかったでしょ。
江戸時代ではないが、中世日本人が山林資源を厳格に管理していたことは
盛本昌広『軍需物資から見た戦国合戦』に詳しい。
禿山論者が夢想するような無秩序な乱獲が全国規模で行われたという事実はない。 >>452
> 盛本昌広『軍需物資から見た戦国合戦』
これは本当に良書。
>>436
天界から大きな船で降りてきた
天地を結ぶ大きな梯子・階段で先祖がこの地に居りてきた
系の神話を持っていたところ、結構多いよ。
牧畜の文化の無かった北米プレーリーのインディアンや極北のエスキモー、オーストラリアやニューギニアの原住民
遊牧自体が不可能なポリネシア・ミクロネシアの小島の人種とか。 おまいうように天から来たが世の中のスタンダードなのに、
支那朝鮮から来た証拠だと言い出す莫迦が涌いてくるのが本スレの特徴 別にここのスレが特殊とは思わないな
世界の諸神話の中でも特殊な構成のユダヤの創世記(聖書)が、読者数等の面で世界の標準と思ってる勘違い人間が多数派なだけだろ? 人類学的にジャップのゲノムは紀元前3000年頃の遼寧省の遼河文明人のものだと判明している
縄文人はアイヌの先祖でありジャップは遼寧省から韓半島を経由して日本列島に移住したんだ
遼寧省が農耕に適していた上古に夏家店下層文化が栄えていた
しかし気候変動で農耕ができなくなり遼河人は南方へ移住していった
殷王朝は彼らの王朝だったという説も強い
夏家店下層文化人が使っていた言語が古日本語だった
彼らは農耕が不可能になって故地を捨てて韓半島に移動した
そしてそこで山東から江南にかけての稲作農耕を取り入れた
今のジャポニカ米はその子孫だ
そして古日本語話者の一部は北九州にまで生活範囲を広げていった
これが弥生時代の始まりだ
遼河が乾燥して干上がった後も一部は移動せずに残った人がいた
残った人たちは近隣の狩猟採集民と協力し半農半牧の生活を取り入れてその地に適応した
これが夏家店上層文化人で古韓民族の起源となる
春秋戦国時代の燕が遼寧に勢力を伸ばしていった結果、古韓民族は韓半島へ民族移動をして先住の古日本語族を駆逐した
三韓の土器は夏家店上層文化の粘土帯土器の系譜にある
そしてジャップの弥生土器は三韓に駆逐される前の松菊里文化人の土器が元になっていて、これは夏家店下層文化の一つの偏堡文化の土器に連なる
ジャップの起源は西遼河人であり縄文人ではない
邪馬台国は奈良県であり中国の属国として朝貢をしていた
これが真の歴史だ だから、朝鮮と日本の米は遺伝子が違ってて連続性がないと何回言えば >>458
縄文時代の草創期は紀元前1万年以上なのだが、それより新しい起源だとすると、どこかで人種的断絶があったということか?
九州北部の一部地域以外では縄文人と渡来系の混血で縄文のほうがベース、渡来系の方が薄いとこが多いとされてるけど、どこで断絶してるんだよ >>460
お前は韓国を からこく って読むんか? カラクニと読むのが本来のヤマト言葉ではある。
『古事記』等でもそう読ませている。 >>458
宮本一夫の日琉語説なんかとっくに破綻してるよピピンミョンくん(嘲笑
まず縄文人の祖先の旧石器人の大半は朝鮮半島から入った集団だよ
残りの旧石器人は樺太から入って来ている
両旧石器人の融合人種が縄文人だよ
残念ながら縄文末から弥生開始時にかけて朝鮮半島から入植した考古痕跡はないよ
沿海州南部から入植した考古痕跡ならあるが
沿海州南部と同じ刻目突帯文土器土器を作る集団が縄文末に出雲地方に現れるが、
土器を同じくするその子孫たちによって稲作は朝鮮半島から取り入れられている
そこに朝鮮半島から入植した考古痕跡はない
弥生土器は沿海州南部の刻目突帯文土器が元になっていて松菊里文化の土器が
元ではないよ
それが事実なら、その当時の朝鮮土器である欣岩里式か先松菊里式土器を
もっぱら作っている生活痕遺構があるはずだろ
ない
よろしいですかな?よろしいですかな?
短絡的な思考回路のピピンミョンくん(嘲笑 >>463
じゃあ、今の日本から出ていけや。
今の日本は、気に入らないなら、他の土地で建国神話作って、神武になっとれ >>465
ネトウヨの君に朗報。
「日本」なる国の名前は君たちの大好きな中国の文字で表記され、なおかつ「ニッポン/ニホン」と中国の音韻で発音される。
繰り返すが、それは君たちの大好きな中国語であってヤマト人の言葉ではない。
これを崇めるのは実に立派な愛国心、国粋思想だと云わざるを得ない。
>>466
じゃあ、今の日本が嫌なんだろ?
出てけや >>467
ちょっと揶揄うと期待通りの反応。
良い玩具。
面白ぇ。 神武という名前も「漢風諡号」で、日本書紀の編纂より新しいんだよなあ
古事記はヤマトゴコロで日本書紀は漢風とか言ってるひともいるけど、それなら漢風諡号なんて論外なんだろうね >>469
ネトウヨさんたちの知識や思想なんざその程度の浅いもの。
大体、彼らの崇め奉る「ニッポンのデントー」とやらの大半は明治以後に薩長が捏造したものだし。 神武天皇を祀る橿原神宮なんて、出来たのが明治時代だからな。
如何に神武の実在が怪しいか。 >>471
「実在」はした。絶対に。
大王家の先祖がいつかの時点で木の股から生まれたんじゃない限り、
今上から百何代か遡った男系男子は生物学的に必ず実在する。
仮令それがサピエンスじゃなくても雄系の♂は実在するが、百何代ごときじゃ多分その個体もサピエンスだろう。
記紀にその男の事蹟として書かれた記述が怪しい、と云うだけのことだ。
以前も何処かで書いたが、
文系の人々は「実在」や「事実」などの単語を使うに当たって不用意に過ぎる。
>>470
古事記は偽書で日本書紀は正史と言ってるけど、三国志はプロパガンダ、三国史記なんてファンタジーなんだろうね 武田勝頼は長篠で大敗しましたが、その後築山殿が結託を試みて嫡子信康を天下人にさせようとしました。
勝頼は長篠の後でもそれだけの実力者と思われていたのでしょうか? >>474
浅井長政や松永久秀、荒木村重、明智光秀と層々たる面子が信長を裏切ってます。成算がないのにも関わらずです
信長には生死を度外視しても嫌われる何か不幸属性みたいなものが備わっていたのだと思われます >>472
祖先の実在と神武の実在は違うと理解できてないのか、それとも意図的に混同してごまかしてるのか、どちらやろな >>476
「実在」と云う厳格な定義を持つ術語について混乱している、または無知故に恣意的に濫用しているのはお前さんの方じゃないか?
お前さんの挙げたうちの後者は明らかな誤用だ。
俺の御先祖は神武だ。
俺こそが正当な天皇の後継者
今の天皇は簒奪者
って言ったら、ぶち切れなんだろ
アホか
先祖が居るから、神武は居るって、そんな仮説が、成り立つなら、今の天皇の先祖が神武である。って説は成り立たなくなる。
先祖が居るのと、神武が居るのは同じではない。
小学生でも分かる >>474
その時点では、まだ東に勢力拡大を続けてるし、織田との国境はあまり変動してないから、いずれ織田に反撃する/できると勘違いする人がいてもおかしくはない 昔学研まんがで伊達政宗を裏切った家臣は1人だけだったという眉唾情報があったんだけど、1人該当するとしたら須田親重ですか?
それとネットで片倉景綱は最上派と書かれているけど、本当でしょうか? この方新参者でしたよね >>478
???
論理が何処にもない
「俺の御先祖は神武だ。」は成り立つ
正当な後継者や簒奪云々は意味不明
天皇の先祖が神武であるという説が成り立たないと思った理由も不明 >>481
横からで御免。
>>478氏の文面を見れば判るだろう。
自ら「小学生でも分かる」とのたまってらっしゃる。
言葉通り小学生なんだよ。
あんまり厳しく当たるのは控えて差し上げようじゃないか。
政宗は20年早く生まれておったら天下がとれたとありますが、もし稙宗の時代に天文の乱が無かったら
蘆名・上杉まで傘下に収めており、結構いい線いってたのではないでしょうか? >>415
狛犬は、コーリアン・ドッグだろ、全然ちげえし >>482
なんでカラ犬? と思ったが、高麗(こま)犬か >>424
漢人(農耕)
同じ父系での婚姻の禁止
レピラト婚等寡婦の夫の一族との婚姻の禁止
満人・モンゴル人・アラビア人(遊牧)
同じ父系での婚姻の忌避無し
寡婦の夫の一族との再婚推奨
チベット人やカザフ人の「12代以内に共通の祖先があれば婚姻禁止」というのは、誤り。
両親祖父母が共通でない双方の両親祖父母計12人が重複しない婚姻を推奨=イトコ婚の忌避くらいのもの >>487
中国の源流とも言える殷は、農耕より狩猟と牧畜の要素の方が強いやろ >>484
天文の乱がなかったら相馬との因縁もなく暫くは良好な関係だったろうね
でも軍門に下そうと思ったらやはり相馬は抵抗するか 川中島の戦い、関ヶ原の戦い、第1次幕長戦争はいずれも「実在」しなかった
が正しいですよね? 五分前には、この世界は無かった。
四分前に、世界とか歴史とか記憶が、急に出来上がったという認識で宜しいですね? >>493
いや、5分前にできあがった世界にはお前さん以外の人間は存在しなくて、孤独な世界だよ
おれらスレ民も文字だけの存在で、実在していないしな 目の前に広がってる光景、耳に入る音、肌に触れた感覚、嗅覚、味覚、脳裏に広がる様々な想い。
それらは皆、人間の根源意識である阿頼耶識が創り出した幻影。
阿頼耶識自体が空なので一切は空であり、無常であり無我でありただ移ろうだけ、それが宇宙の真理。 質問。田中正造とか直訴した時のセリフが知りたい
竹を割った先に直訴状をはさんで
膝で歩きながら「◯◯でございます!」って言ってたと思うんです
小さい頃に見た漫画かドラマか何かで。
ていうか、
直訴専用のセリフがあった気がするんです。
「殿中でござる」的な、決まり文句が。
うろ覚えすぎて恥ずかしいのですが、
なにかヒントでも得られればと思い、思い切って質問します。
よろしくお願いします。 回天を考案した黒木という人物は自らが実験台として悪天候の中回天に乗り込み操縦し、海底の泥に突っ込んでしまって動きが取れないまま酸欠で亡くなりましたが、そのメモには最後の方まで現場の状況や今後の課題、遺書などが冷静な文で綴られていたそうです。
酸欠死ってあまり苦しくはないのでしょうか? >>497
むっちゃ苦しいはず
しかも、だんだんと頭が働かなくなるはず
普通の人間に真似できない驚異的な最期だな 質問ですが、江戸時代もしくはそれ以前の旅人って飲み水はどうやって確保していたのですか?
いくら川の水が綺麗だからと言って、生水を飲む事は危険なのは変わらないだろうし。 >>499
あの時代なら普通に飲んでたんでは。
下手したらもっと汚い水でも。寄生虫が普通にいた時代 人間だって動物だからな
特に同じ地域の哺乳類の皆さんが平気なのだから人間も本来は耐えられる >>500
お伊勢参りで旅行する人が増えていた時代で、しかも上流じゃなくて下流の生水を飲むんだから、いくら丈夫とは言え水が原因で死ぬ事例も有ったと思うんだけど。
お茶を飲むのも、煮沸とカテキンでの消毒を兼ねているからなんだし。 >>502
そういう事はあったかもしれないけど、川の水が汚染されているとは考えていなかったと思う。
明らかに汚れているのでなければ川や池の水は汚染されていないと考えて普通に飲んでいたはず。
昭和の頃は山歩きで川とかあれば生水を普通に飲んでいたよ。今は登山人口が増えて汚染されている
から飲むなと言われる様になったけど。 >>503
いや、滋賀県の田舎で育って、人口少なかったけど、山のそばの綺麗な川でも生水は飲むなって言われてたぞ。
実際に飲んで腹痛になったし。
だから、飲んでなかったと思う 川の水って点では江戸の上水は玉川からそのまま取り込んでたんじゃね?
当時は薬品処理とか無かっただろうし >>505
多摩川から引き込んで井戸水として使うのと、多摩川の水をそのまま飲むのでは、違うんじゃないかな。 >>505
そうだよ。神田川だって元々は上水として引いたし。それを地下水路で供給して井戸から汲み上げて使う。
>>504
えー、マジ?そしたら江戸の人も生水は飲まなかったのかなぁ? 確かに玉川上水は多摩川の上流部から引いてくるけど
神田上水は井の頭公園の湧水を上水として使うために引いてきた人工の川。 >>499
生水は危険だから湧水や井戸水でも安全が確認されているのを飲んだ
その中には空海が見つけた水源も多い
空海が錫杖を突くとそこから水が湧いたという箇所が全国にある
弘法水として全国に1500くらいの空海発見の湧水、清水、井戸があるらしい >>509
江戸時代だから徒歩での旅でしょ、地図を見て歩くとしても、飲める水の位置が地図に書かれていたのですか?宿場町で水筒に水を入れても次の宿場迄の距離も有るし、炎天下や何かのアクシデントで水筒の水を飲んでしまうかも知れない。
NHKあたりで、こう言うのを取り上げてくれると有難いんだけど >>510
この辺で水が飲める場所はありますか?
って道中出会った人に聞けばその中には教えてくれる人がいるんじゃね? 嗚呼…、
最近の餓鬼ァ「水」と聞いて湧水も井戸も思い浮かばねえのかよ…。
「蛇口を捻ればいつでも水が呑めると思うなよ?」と年長者がヷカモノを戒めたのも今は昔。
生まれた時から家畜化されて育った小僧どもを「蛇口から出た水じゃなきゃ呑めねえと思ってんのか?」と嗤う時代になったようだ。 違うわ、蛇口から出た水は呑めない。ペットボトルで栓を確かめて飲むように
どうしようもない場合は煮沸して なんていうか、顕微鏡もない時代
菌という概念がどこまであったかなとも思う
鉱毒なんかも、そういうこと想像もせずに飲んだから起きた
私見ですが >>514
東南アジアの旅行でコーラも注意しろって言われたことあるw
ストロー付きで運ばれてくるとか
あと、氷もやばいって >>513
井戸なんて便利な物が、道中にあると思うなよ。 >>517
お前さんは本来の「井(戸)」の意味を解ってねえな。
近代以後のそれをイメージしてると間違うぞ。
>>515
酒造の世界じゃ、室町時代ごろには雑菌を熱で殺菌することがノウハウとして確立されていたらしいし、顕微鏡より前から汚染の知識は少しずつ前進してるはず
なお、室町時代ごろには清酒を作る技術も登場したとのことだ どういう理屈かは分からないにしても、熱を加えて腐敗や酸化(酒が酸っぱくなって酢になる)を防止できると経験的に知ったのだろう コウジカビを加えることによって穀物が酒になってゆくのだから、酒から酢へ進まないように熱を加えてカビを殺す方法くらいは思いついただろう 酒造業の家って地方の素封家が多い
殺菌とかそういう知識が豊富だったことも強みだったのかな ウィルスに比べると菌は見える部分もあるからね
水の場合は見えないけど、大体想像はできるだろう そんな区別をしてどうする
食べ物が腐ったら菌が発生するのだから水だってそうだろうと考えるのは難しくない
実際飲める水を蓄えていたのに飲めなくなった経験なんて沢山あるだろうしな "腐ったら菌が発生する"
それは近代の科学知識だろうが、もっと前の人にそんな知識はない
"菌"言うな 沢山褒美をもらうつもりで突撃命令出して陣頭に立って指揮しているときにヘッドショット喰らって戦死した
板倉重昌の辞世の句が残ってるのは、なんで? >>527
後から、作ってる。
本能寺の変で、光秀の謀反に気付いた信長が色々セリフ言ってるけど、皆創作やで。
実際は、信長の生死すら不明。
焼死体しか残ってない >>526
中世欧州でも、細菌の発見は出来なかったけど、瘴気説を使ってたから、何か?不吉なものが増えてる。
って気付いてたとは思う 瘴気でも病気でも穢れでも、昔のことを取り上げるなら当時の言葉使えっての なんで原意は「キノコ」なのに、見えない微生物のことを「菌」いうようになったんかの?
今でも支那語は「菌」て書いて、キノコやで。それも、傘型のキノコっぽいヤツの意味合いで。
「茸」の方は、キクラゲ類に限定やで。 菌
中国語 地べたから群生して生えるキノコ 松茸、ポルチーニ、ハツタケ等々
日本語 単細胞で移動性の乏しい微生物
菇
中国語 木や藁塊から生えるキノコ。椎茸やマッシュルーム、エノキタケ等々
日本語 カラスウリ
茸
中国語 キクラゲ
日本語 キノコ類全般 病気の原因になる目に見えないちっちゃいのは細菌
めんどくさいから菌というのでややこしくなる なお、ウィルスは中国語で「病毒」という
日本語の病毒はまた意味が違うだろうから、ややこしい >>536
だよな
バクテリアは細菌で、菌ってのはカビとかキノコのことなのにな >>531
ケガレ の ケ の元は気ではなく食(ケ)じゃないか、腐敗や汚染のことではないかと考えると、ケガレの拡散性や伝染性と符合する気がするな
推古天皇の和名 豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)を見れば分かるように、食と書いてケと読む用例があったわけだし。 >>538
すまん。
推古の読み方は、合ってるの?
なんで、漢文なのに発音までわかるの?
当時の人は違う読み方してた可能性もあるやん? 永谷園の即席みそ汁、あさげ、ゆうげ、ってあるじゃないか
朝食、夕食という意味だ 顕微鏡で見える微細な生物の知識が西洋から入ってきた
当然ながらこちらにはそれを表す名前、漢字もない
すでに使われていた「菌」を流用したんだろうが、菌類と新しく知られた細菌とは随分違う生物だ
でも誰かが使ってしまったんだからしょうがない その後発見されたウィルスは、細菌とは厳然と区別するべきものだ
日本では横文字をそのまま取り入れてウィルスと呼ぶようになった
しかし、中国には漢字しかない
悩んだ挙句、「病毒」としたんだろう 後に書かれた書物では家康は正直な立派な人としなければならないからね
家康自身も武田との関係はどうだったのか‥
信康には徳川を名乗らせていないし、秀忠も生まれたし、相性の悪い長男に武田内通を背負わせて成敗したかったかも
それに抗議して築山殿も自害したのかも知れないし‥
さぁ、どうだったんでしょうね 菌の発見まで特に呼び名なんて特になかったみたい。
ゲロゲロ病とか適当に愛称で呼ばれてた気がする
コレラの歴史でググったら
あの人たちの好きそうな記載が出てきたw
wiki
"鎖国中の日本にも、コレラの第一回パンデミックは到達した。
1822年(文政5年)に対馬、下関を経由して
大阪・京都まで到達し、「三日コロリ」と呼ばれた[12]。
この時の患者・死者数は十数万人と推計されている[4][5]。" 「茶屋娘」カテゴリーの浮世絵。実在する茶屋の給仕の実在する女を題材にしたものだけれど、
本当に今でいうアイドルのブロマイドみたいなものだったの?
浮世絵ってデフォルメがきつくて、画から先に見て後から見た人をこの人だと特定出来たり、
人を先に見て画を見てこの人を描いたものと、一発で判ったりしたものなのか?
番所や奉行所が下手人を探す人相書きや手配書も日本画のデフォルメされているから、
あの時代の人はあの手のデフォルメは一定の法則として解るものなのか?
それとも、所謂一つの「パネルマジック」的なものなのか? 見ればわかるとおり、浮世絵の美人画の顔はみんな同じ
服や髪型ばかりに注力 今のアニメも、200年300年後の人が見たら、みんな顔同じ色と髪型で判別、とか言われるのかな?
ってか俺実際にそんなふうに思ってるけどその界隈で言うたら袋叩きだった。
ラブライブとかアイマスとか…… >>548
すまん。
その万葉仮名って発音正しいの?
奈良時代の発音を再現した研究を見た事あるけど、現在よりも発音がずっと多いので、今の人が聞いても、解りにくいって話だったよ 戦後の発音の整理で多くの日本固有の発音が消えて行ったしな >>551
江戸時代には髪型は身分標識だから自由度が低いはず、
髪型で人を描き分ける時代ではなかったと思う >>553
音韻学って研究分野がある
古代の中国語発音の研究と相互参照するぐらいには研究が進んでるはず、
つまり、それなりに高い妥当性がある(ほとんど正しい)レベルだろうと思う >>538
豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)
とよみけかしきやひめ
↑
これは純日本語
その日本語の意味に合う漢字を当てたのが豊御食炊屋姫やがな
「やま」という日本語に、その意味を表す「山」という漢字を当てるのと同じ なんで奈良時代後半くらいから正一位の叙爵が激減したの? >>553
当時の発声はさすがに再現不可能だけど
仮名を当てるのはかなり研究が進んでる
そうじゃないと日本史終わる、てか、当ててくれてありがとう古代の人って思う 初春令月、気淑風和、梅披鏡前粉、蘭薫珮後之香
不意に思い出したのでw >>558
わかんないのでググったら位階に叙せられた人数を数えた先生の論文がヒットした
学習院だと思う
てか正一位ってお稲荷さんのイメージだw
そもそも人間ではそんなに人数いないのでは。
なんとか王とか増えても困るだろうし。どうなんだろ 一品親王とか真人賜姓とか正一位叙爵とか、なんかだか不祥事とか死亡フラグみたいな感じになってるし >>546
マルチですね
支那と違って、子殺しはいても妻殺しはいないなー 家康と黒田清隆ぐらい?
この家康も影武者説ですから実際は妻ではなかった >>559
どの文字とどの文字が同じ発音で、どれが別の発音
て組み合わせを比較することで、かなりのとこまで発音を再現してるもんな
そのへんの研究から、中国での発音の変遷も再現が進んでるし >>566
でも、隋唐の音を持ち込んだ訓読の漢音てなんでそうなってるのか意味不明よな?
馬 とか、泥 とか、怒 とかみたいな、呉音、唐音、現代の北京語やホンコン語で鼻音のところが、漢音だけ破裂音とか。 当初は唐音と呼んで、唐風の発音を使ってたのが、だんだんと訛ったんではないのかな
奈良時代には漢音ではなく唐音と呼んでたのは間違いないんだよ >>539
法隆寺薬師像光背銘文の万葉仮名
「等己彌居加斯支移比売」(トヨミケカシキヤヒメ) 中国から漢字が伝わって、音をそれに当てはめたんだから、漢字渡来以前に文字は有ったんじゃないのですか? >>571
発音、言語はあったけど文字はなかったと考えれている
中国近隣の文化圏の多くは同様だから、契丹文字とかウイグル文字とか含め、周辺地域では漢字の影響を大きく受けた文字が作られている
ハングルや日本の仮名文字も同様 >>571
>音をそれに当てはめた
音はsoundであって文字じゃないだろ >>572
>>573
深く突っ込むつもりは無いけど、海外は石の文化で日本は木の文化だから、人が居なくなって石に刻まれた文字だけが残る様に、文字を失って音だけが残る場合も有るんじゃ無いかと。 世界史の中で自前で文字を作った民族なんて極くわずか、数えるほどだ
多くは先進地域から文字を学ぶのが普通
倭人伝にも、倭国に文字は無く縄に結び目をつくって数えるのみと書かれている
文字を失って音が残る‥ものすごく不自然な発想
言葉をしゃべるのは最早人間の本能だが、文字は学習しないと身につかない
赤ん坊は放っておいても周囲を真似てしゃべるようになるが、文字は尻をたたいて勉強させねば身につかない
それほど口頭言語に比べて文字は特殊なものだ 自力で文字を発明したら四大文明に匹敵する、それ以外で新規に自力で文字を発明したとこが少ししかないぐらい珍しい
図で表しにくい概念とか、概念すら含まない発音だけの部分とかを文字で表現するとこが難しいのでは、といわれている
仮借文字ってのが高度な発明になるってことかな? 日本語の「やま」に最初は万葉仮名で「邪(ya)馬(ma)」を当て
やがて「やま」を意味する漢字の「山」(san)を当てるようになった そうして「山(san)」という漢字を日本語に訳して「やま」と読むようになった
これはboyという英字を「をのこ」と読むようなものだ
音読みがボーイで訓読みがおとこのこだ >>575
>>576
文字が無いのは分かりました。でも集落単位なら兎も角、縄文時代の様に海も越えた超広範囲に村?が広がっている場合、口頭では無く何らかの意志疎通の為の共通手段が有った筈。朝廷vs蝦夷の時代になれば、それこそ文字の代わりになる物が有っても良い。
例えば、襲撃の合図が狼煙だとしても狼煙が襲撃の合図と言う共通認識が必要になるから。 口頭だとなぜわるい
身振り手振りだとなぜわるい
商品現物にその魅力を語らせてなぜわるい
口伝てと暗唱でなぜわるい
なにか簡単な記号をつくったとしても、その意味を口で説明しておかないとわかってもらえない >>580
狭い範囲だと、例え間違っていても住んでいる人が察してくれて間違いを正せるけど範囲が広がれば広がる程、伝言ゲーム状態になるから >>581
そもそも、遠方に情報を伝達する必要性が薄いからね とにかく縄文時代は文字を使ってなかったのだから、それなしでどうやっていたのか、研究してください こんなのもの一つの参考情報
http://ja.kushiro-lakeakan.com/things_to_do/1240/#:~:text=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%97%E3%82%92,%E9%AD%85%E6%83%91%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 神代文字が存在したとする説は古代から唱えられている
独自に文字を発明する例はあるが、普及させるには権威無くしては難しかったのだ
【PR】日本独自文字になる筈だった!?2000年前に使われていた謎の『原文字』を考察
https://youtu.be/YRRzoednUSc >>583
「研究してください」じゃねえよ。
疑問に思うんなら手前ェで研究しろ。
スレ住人はオメエのパパじゃねえんだよ。
>>581
ムラ社会で事足りてたのでは。
そういえばアイヌとか根性で口伝してましたよね
暗記力がいい人が、文字がわりに存在していたのかも >>589
口伝による伝承は、ドゴン族の神話の例が有るので口伝だけでは信頼出来るとは言えない >>591
少なくとも歴史にそういうのを入れると混乱するよね。
徹底批判や考察が必要 発音は伝わるよ。あとはタイムカプセル発明して聞いてきて タイムカプセル:カプセル容器にものを入れて地中に埋め、年月が経ったあとに開ける
「発音は伝わるよ」
昔の発音が伝わって残るということ?
残るもの、残らないものがあるし、どういう発音のことを言っているのか
なぜ急に昔の発音の事を言い始めたのかもわからない 「は」という文字は(ha)と発音していたはずで、今は(wa)と発音する例外ケースが存在する
発音記号か表音文字 上代はpaの発音だった
「ひかり」はピカリ
「ひよこ」はピヨコだった
その後、faの発音になり、haの音になった
変りまくりだよ ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝を信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む >>0598
ひらがなの「は」は漢字「波」を崩したものだ
万葉仮名で「は」の音に「波」や何かを当てていたということ
そうして「波」は支那でpo,pei,piなどと聞こえるような発音だということ
学者はこういうこともいろいろ研究しているんだが、「果たして本当なのか」と簡単に切り捨てるあんたはよっぽどエライ人なんだな >>600
現代中国語と古代の中国語では、少なからず発音が違う
唐ぐらいだと大幅な違いと言うほどではないが、三国時代とか漢はかなり違う 唐の時代は日本が盛大に漢字を入れていた頃だ
そうして唐は李白や杜甫によって高く評価される詩の時代だ
この唐詩へのあこがれから中国でも昔から唐の漢字音の研究はよく研究されている
そこから巡ってその時代の漢字音からも日本語の音韻研究も進むっちゅうことだ
漢とか三国時代とか古すぎて関係ないわ あと、漢音とか言うけどそれは名前だけ
実際は遣隋使、遣唐使の時代の音 >>603
漢や三国時代の発音は、邪馬台国とかの名前を分析するためには必要だ
そのあたりの発音が百済仏教を経由して日本列島に入ってきていた関係から、奈良時代に唐音への切り替えが命じられたあとも仏教関係の言葉だけは呉音として残存したとされている
逆にいうと、呉音で読まれる単語の大多数が仏教関連の言葉 呉音も三国時代より少し下るくらいの六朝時代の南京あたりの音
これは向こうではローカルな音だが日本ではお馴染みだ
漢音は何より中国で唐時代の音の研究ができているのがスゴい
日本に漢音が伝わった頃の音がよくわかるから、奈良時代の日本語研究に役立っている
ハ行はpa行だったとかサ行はtsa行だったとか、母音の甲・乙別だとか、学者がいろいろ研究はかどっている
おまいらみなさんも、すぐに「昔の音はわからんからなぁ」で済ますのではなく、お勉強しましょうね 漢とか魏とか交流しているので関係ないということはない >>572
ウイグル文字はちげえだろ。
カナン文字→アラム文字→ソグド文字→ウイグル文字
でアラビア文字もアラム文字の子孫 男色がタブー視されたのは明治以降な
衆道は男の嗜みだった >>0607
>>602が何を言いたいのかわからなくて
あんま関係ないことを言わんといてと言っただけ
唐の時代の漢字音なんて今とあんま変わらない?
漢の時代はかなり違う‥だから何? 602ではないから真意は知らないが、そういう意味で関係ないと言ったようには解釈できないが…
何れにしても学者が言ったから信じるなんて考えは高卒以下か宗教信者くらいにしておけ
大学に行ったならその説は「果たして本当なのか」ということは常に考えるべき 言う迄もなく、日本語にある音が常に中国語にもあるということはない
当時の日本語のは行に相当する音が中国語になかったのなら別の字を宛てる他はない
拼音(ピンイン)のqaが「くゎ」ではなく「ちゃ」であるように >>0612
昔のことはわからんのだから、で済ます前に学者が何を言っているのかくらいは勉強しないと
>>0613
ピンインのqやxは、中国語独特の発音をあらわすためにアルファベットの中でヒマそうにしている文字を引っ張ってきただけのもの 普通話が普及する少し前までの支那では同じ漢字でも地方によって読みが異なっていたんだから
飽くまで日本で何て発音していたかが大事。隋唐(鮮卑族)の発声などしらんと違う? 昔の日本人が日本語をどう発音していたかを研究するのがテーマなんだが
漢字ばかりで書かれている昔の日本語文書を解読するのに漢字の音がわからないといけない その研究で「は」に当たるところに「波(pa)」と書かれていたら、かなが発明されたころの文書に「は」と書かれていても発音はpaだったこともわかる 魏志倭人伝は支那人が書いたものだが、その中の「卑弥呼」をpimiko(かなで書けば「ひみこ」)と解読したりする
ただし「呼」についてはko、ka、woのいずれなのか実は諸説ある トンデモ説が多いようだが、みな2010年とかの昔の説に基づくものが多いようだな。
邪馬台=ヤマト、卑弥呼=姫巫女。
実は後漢音が近年に欧米人学者によって解明されていて、卑弥呼を火みことか邪馬台をヤマタイなどと読むのはあり得ないは判明しているのだよ。 >>614
頭悪いな
お前が言った程度のことは当然知った上で疑問だと言われているのに 魏志倭人伝は支那人でも漢族が書いたものだが
邪馬壹=ヤマトの一国、卑弥呼=ひめこ(姫子) 文献学の研究からは、邪馬壹の誤記から邪馬臺となった可能性は低く、臺が誤写されて壹となった可能性が高いとされている 欧米の学者などではなく、素人の日本人がてきとーに考えただけに見える >>610
そこがわからん。海外もそんな感じだし。
だったら最初からやるなよって思うんだが。
生理的に毎日っていうやついるけど、こんにゃくとかあるんだしさ
野生動物の場合だと
マウントって行為はあるけど入れない
動物のが健全。感染リスクもない 世界でジャップだけが比較言語学を受け入れていない。
後漢音は既に再建されている。これは中国人ですら然りと認めている。
邪馬台国はヤマト国。仮に邪馬壱国でもヤマト国。
世界から遅れをとるジャップの民間研究者たち。
彼らがなぜ最新学説を拒否するか。
それは古史古伝や平田篤胤のネトウヨ学説や日ユ同祖論などの大本教系の新宗教の信奉者が混っているからだ。
神秘主義を全て捨てて考えれば邪馬台国はヤマトである。 >>604
隋唐は支配層が拓跋人や突厥人で非支配層が漢人だったでしょう ちうても、征服王朝として長く安定し、しかも幾度かは漢化政策を行ったことすらあった北魏の貴族で、建国時点でも遊牧民の性格と中国的な性格をあわせ持ってたからなあ
んで、漢代の上古音に対して南北朝から隋唐ごろの中古音ってのは、侵入した遊牧民の影響で変わってしまった発音体系って意味でもあるから、
北魏や隋唐の支配階層が使ってた遊牧民なまりの中国語ってイメージでいいんでないの 違う。当時も皆殺しが原則
縄文人が弥生人(w)に入れ替わったように、漢字を操る似非漢人(中国人)が誕生しただけ 弥生人が縄文人を皆殺しにして入れ替わったの?
遺伝子的には、縄文人のDNAは沖縄とアイヌが色濃く残し、他の地域の日本人も少し残っている様なんだが >>631
それは、ほぼ証明してないか?
弥生人が縄文人わ殺したり、性奴隷にしたから、そうなったんだろ >>632
戦争での皆殺し文化は大陸だけだよ、変な思想を持ち込むな。 >>632
食料事情の差により出生率や幼少期の死亡率が違うことで、縄文人が稲作を受け入れるまでの何百年かの間にだんだんと弥生人の割合が高くなって縄文人の割合が減っただけやろ >>632
何十年前の説だよ。
それは無かったと云うことで現在の学界はほぼ一致している。
むしろ考古学的には弥生末期の列島西部に於ける100~200年間に及ぶ凄惨な戦乱、
即ち「弥生人」同士の殺戮の方が注目されている。
る 漢朝を滅ぼした晋国の属国と化した邪馬壹国を狗奴国が滅ぼしたことだろ
局地的な 日韓併合の時に日本は朝鮮の人に日本語を教えただけで日本語を強制したのではない
というのは本当ですか? 本当です。てかハングルを普及させたのはその時の日本人
もちろんハングルレベルでは教育不能になるので、小学レベルを教えるには日本語に頼る他なかった
今の後進国における英語授業を考えてみ 自分がジッちゃに聞いた話だと
戦後、韓国では日本の影響をいち早く切りたかったので
漢字でさえ捨てて
ハングルオンリーにするよう自国民に押し付けた
あくまでもうちのジッちゃからの伝聞ですw イギリスのインド統治に比べれば日本の韓国統治は穏やかなものだったのでは?
戦争が始まってからの従軍慰安婦の殆どはデマだろうし強制徴用と言っても日韓は併合されていたのだし韓国人よりも日本人の方がよほど強制徴用されている。 >>641
数十年程度の短期間のうちに、従来の地主たちの大半が破産して土地を手放したぐらいには苛酷な統治をしたぞ
まあ、日本国内で大半の地主が破産した統治方法をそのまま韓国でもやったら、同じようなことが起こるだろうから仕方ないな イギリスのインド統治は単なる富の収奪だったが、日本の半島統治は文化の抹殺を図ろうとした点が違っている。
富の収奪は単なる泥棒だが、文化の抹殺は民族絶滅政策であり、到底正当化の許されぬ行為だ。
日本の植民支配はヒトラーのユダヤ人絶滅政策やスラブ人絶滅政策に近い。 インドが近代化したのはイギリスの植民地になって鉄道が敷かれたのが契機で、その後産業革命後の大量生産の技術が導入されたから、というのはイギリスでの常識。 日本とイギリスの違いは、現地民に対する教育の有無な
それを文化の抹殺と言われても、そもそも朝鮮文化というものが存在したか?
地主を擁護するような屈折した賤民だぞ。検地によって未申告の土地を失っただけ、漢字すら読めない文盲連中だった 邪馬台国畿内説の方にお伺いします。邪馬台国論争における鳥越憲三郎の立場ってどうですか。 >>643
日本の半島統治の間に人口が大幅に増えた点と合わせて考えれば、半島人は家畜化されて増やされたってことか?
家畜化する価値があるほど有能な民族だったときいた記憶はないのだが……
そりゃ、秀吉の侵略当時なら分かる、
そのときに半島から連れ帰った技術者が持ち込んだ技術からスタートした各地の特産品が実在する以上は、当時の日本に無かったレベルの技術を持つ人がいたわけだからな
二十世紀初頭の時点では、そのような先進性なんて無いやろ? 朝鮮半島の奴婢だった技術者が戦乱に乗じて日本へ逃げただけや
後進地域だった九州地方で〇〇焼と自慢しているけど、ありがたがる人いる? >数十年程度の短期間のうちに、従来の地主たちの大半が破産して土地を手放した
朝鮮の土地制度を理解していないうえに言葉を入れ替えて事実誤認へと誘導する詭弁
>日本国内で大半の地主が破産した統治方法をそのまま韓国でもやったら、同じようなことが起こるだろうから仕方ないな
妄想が前提だから誰にも理解できない謎理屈
>イギリスのインド統治は単なる富の収奪だったが、日本の半島統治は文化の抹殺を図ろうとした点が違っている
イギリスがインド独立時に要求したように、イギリスが投下した資本を完全返済させることなく、朝鮮様を乞食扱いして全て譲与してごめんなさい。
偉大なる朝鮮王が「愚民文字」とした同音異義語だらけの欠陥文字を押し付けてごめんなさい。
文明人としてはあるまじき病身舞という文化を否定してごめんなさい。 >>633
大陸からやってきた弥生人の先祖が皆殺しをして……
とか言いだしそうな塩梅。 テレビは大阪人に標準語を教えただけで標準語を強制してない
方言が消えるのは摂理。標準語は存在しないとのたまっても当時の朝鮮語も同じ その昔、騎馬民族日本征服説というのがあってな
従わない日本人は皆殺しだぜ~という話に左翼が飛びついたんだよ
ところが幾ら証拠を探してもそんなものは見つからない
提唱者はコロコロと言ってることを変えながら自説に固執し続けたが
結局日本ヘイト好きの妄執で落ち着いた
ところが未だに左翼はこの説を信じていて、団塊世代の安彦良和とかの素人は吹聴し続けていたりする orz >>653
あー、あったなー
議論を深めようとすればするほどに、中身のgdgdさが露呈して、どうしようもなくなって、学説としては消えたのに、俗説やらデムパとして長く残り続けた
照葉樹林文化とか邪馬壱国/九州王朝説とか、マスク有害説とかも同様 >>649
地元県の農地改革史っつう資料を前に読んだことがあるが、明治初期にたくさんいた、20町ごえ(1町≒1ヘクタール)の大地主の、所有面積別の人数分布グラフが、明治初期にはほとんど20町ちょいオーダーで100町1000町とかはほとんどいないのに、明治後半、大正、昭和初期と、時代が進むにつれて人数は激減し、初期にはいなかった1万町ごえ大土地所有者までが出てくるんだよ、どんどん集積されていく
庄屋地主の大半は没落して土地を失ってるわけ 奇遇だな、俺もだ
農地改革の時点でも、一般の自作農程度にはどうにか残ってたらしいが、そこでもそれなりに削られたとは言ってたがな、ほとんど残ってなかったとも言ってた 近代の方に質問スレが無いのでこっちにいいですか?
大久保利通がロンドンで街灯が灯るのを見て「これがデモクラシーか」と言ったエピソード、これ結構有名ですよね?
ググっても全くヒットしないので、俺の記憶違いかと不安になってます。
皆さん、ご存知ないですか? >>659
すいません、専スレとは?
よろしければ教えてもらえないでしょうか?
近代板になんでも質問スレというスレがあるにはあるのですが、最終レスが二年前なんですけど、人いるんでしょうか?
あと、嘘はもっと駄目というのは? あ、大久保利通スレというのがあるんですね、そっちで聞きます >>659
大久保スレにまで追ってきて、つい笑ってしまった >>655
>数十年程度の短期間のうちに、従来の地主たちの大半が破産して土地を手放したぐらいには苛酷な統治をしたぞ
>まあ、日本国内で大半の地主が破産した統治方法をそのまま韓国でもやったら、同じようなことが起こるだろうから仕方ないな
一行目を指して前提と言っているんだが?日本語分かる?
それと、全体を俯瞰せずに一部の事例だけを取り上げて何を言いたいの?
小学生のl頃から周囲の大人に「お友達が聞いて分かるようにお話ししましょうね」と言われ続けてない?
今、何歳なのか分からないけど、お話の中に少しだけ嘘ではないことを紛れ込ませておけば、どんな嘘をついても他人を騙せる
と、君が思い込むことは勝手だけど、そんなレトリックが何時までも誰にでも通用しないということは社会に出る前に覚えていた方がいい。
君は自分の弁論に自信があるのかもしれないが、周囲の人間は君が何を言っても誰も聞いていないし相手にしていない
そんな可能性も少しだけ考慮した方がいいと思うよ。 >>664
最初、間違えて世界史の質問スレで書いて、日本史スレで書いてと言われたからね
とりあえずスレ住民には謝って、こっちに書いたんだよ
で、こっちで専スレのこと教えてもらったから、大久保利通スレに行ったわけ。
いちいち追ってこないでくれ。
このスレの住民さんにもご迷惑かけました。 いちいち逃げまわるな!笑っておきながら、謝ったとか嘘吐きの言い訳だね
誰かに教えて貰ったからマルチして良いなんてどこで習ったんだろうねw態度でか笑笑 そら、スレから出ていって欲しい奴が、ストーカーみたいに専スレまで追ってきたら笑うしかねぇだろ >>499
水茶屋で一服
手持の竹筒水筒に井戸から給水水サービス
宿場が1~4里ごとにあって町になっていて旅人向の飲食店が当然あり、、間にぽつんぽつんと水茶屋があったので
水くらいは困らなかった
軽食等も補給 >>665
一部の事例だけというが、明治維新後の制度が農民にとって過酷であったとする文脈で、農民の多くが土地を手放したと説明されるのが通説だろ
主に地租改正の時の、一揆が多発したとこの説明で出てくるが、多くの農民が(特に庄屋や地主が)土地を手放したのは明治初期だけのことではなく、その後、大正から昭和初期までずっと続いた現象だ
直接的にみた資料は地元県だけだが、全国的なものだよ >>668
マルチの常習者が他スレに迷惑を掛けに行ったんだから、知らせる道徳心が芽生えるだろう >>670
大規模なパラダイムシフトによってもたらされた社会の変革やその他の要因による社会改変を
土地制度にのみ起因するのだという盲目的な決めつけでしか物が言えないのを
一般には「通説」とは言わない。 >>669
有難うございます。
って水茶屋を検索しても、道端や社寺の境内で茶を出した休息所。としか書いていないのでイメージしにくい。
時代劇とかで見る、お団子とかを出すお店の事ですか? >>672
それはさすがに、話のすり替えじゃないか?
俺は土地制度ではなく統治とか政策としかいってないし、通説を挙げたのは、多くの農民が土地を失って大土地所有が進行したのが地元県のローカルな現象じゃなく日本全国の広域的な現象だと示すためだ
その現象の原因を土地制度に求めた通説(だか俗説だか知らんが)の説明が妥当かどうかは、俺の説明とは因果関係など無いだろ 民族学校じゃ教えられないだろうし
日本の高校でも日本史を教えない学校はあるけど
絶望的な程に日本史の知識が欠けてるし
日々のニュースに接していれば人々の営みへの理解も深まるだろうが
当人に人間社会を理解しようという気が全くなければ
ここまで愚かな思考に拘泥するという一つの証左ではあるな
もうそのまま一生「ウリ達はイルボンに搾取されたニダ」と言い続けていればいいんじゃねぃ >>658
誰かこれの答え書いてー。追っかけたけど答え無いやん
らっきょの皮むきの気分
ガス灯とか大正デモクラシーとか神川村とか出てきたけど
大久保利通が出てこない >>677
レスありがとうございます。
ググっても、ヒットしない為、皆様の記憶を頼りたいと思った次第でした。
こちらも調べをすすめるにつれ、わかったのは、ロンドンではなく、パリ。
街灯、もしくは、ガス灯でした。
川岸にともるガス灯の列を見た大久保が感銘をうけるという記事も見つけましたが、デモクラシーかと呟いたエピソードは見つかりませんでした。 マルチした上にまだ居座り続けるとは、害悪しかないね >>506
ボウフラかメダカの居る水はとりあえず安全、というのが江戸っ子の感覚。
開国したら外国からコレラが入って、そういう衛生環境もあって、大流行。 >>655
そりゃ、産業の発達と資本の蓄積、土地売買の自由化があったからな、
外国の例だと、イギリスの産業革命期初期の「エンクロージャー」、新しめのものなら、ソビエト崩壊・ロシア連邦成立期の「バウチャー」だな。
後者、コルホーズやソフホーズの、農地なら農地そのもの、工場や鉱山なら株式形態の、持ち分に分割。
等しく分配されたはずが、三十数年経ってみると、バウチャーを買い集めた富豪と、売り払って農地・工場持ち分の無い無産市民とに、二分化したろ。 >>682
明治維新後の地租改正の説明で、平年なら払えるが凶作の年には払えないレベルの地租が設定されていたから、土地を手放して小作になる農民が続出したと説明されていた
ちなみに、江戸時代の年貢とほぼ同額で、かつ江戸時代と違って豊作でも凶作でも同額、かつ物納でなく銭納であることが問題とみなされていた
実際のところ、江戸時代でも後半になると、支払いが米なのはともかくとして、収穫高による年貢減免措置は廃止の方向だったのだが。
それに、江戸時代でも、米を買って年貢に出してた人が意外と少なくないわけで、地租に変わったことで改悪となったひとは意外と少ないはずではある 昔は地租改正は明治政府が課した重税策で
明治人はこんな重税になるぐらいだったら徳川様の治世が良かったと皆が嘆いた
と説明されていたが、何を根拠に真逆な話になってるんだろうか…… >>683
幕藩時代だって、平年なら払えるが凶作の年には払えないレベルの年貢が設定されていて、しばしば餓死者を出す有様で
現に。幕藩時代を通して殆ど人口が増えなかったろ。
20~30年ごとに凶作、払えないレベルの年貢を払わされて、増えては餓死、増えては餓死で、人口頭打ちだったろうて。
農地の集中が起こらなかったりは、封建領主ががっつり規制していたからだよ。
領主や上級の家臣より羽振の良い領民があれば勘気に触れて取り潰されるし、短絡的な支配の安定のために農地の集中を
規制していた。
別の見方をすれば、領主こそが農地の所有者でここに農地が集中し、本百姓に耕作義務貢納義務移動の禁止をを課していた
或る意味、農奴制だったわけよ。 >>685
年貢は米穀の物納で、官吏(士分)の俸禄も米穀での支給。
市中は、金銀銅銭。
貨幣制度が二つあるようなもの。
二つの貨幣の交換コスト交換リスクは、支給を受ける官吏と札差(出入の米穀商)が負うていた。
地租改正では、銭納の税制にしたために、米穀から金銭への交換コスト交換時のレート変動リスクを
農民が負うことになった。
無知蒙昧な農民にいきなり経営者センスの問われるものを押し付けられると、そりゃ困窮するわ。 >>686
江戸時代には、豊凶の度合いを代官の下の役人が毎年、農村まで出向いて確認して年貢額の微調整をしていたんだけどな
逆に、そのチェックが農村の負担であるとして、農村が話からの反対で廃止されることが多かったぐらいではあるが、
もともとの建前としては凶作にともなう年貢減免を基本ルールにしていたんだよ >>686
それに、江戸時代の人口が、最初の百年しか伸びてなかったのは、都市への出稼ぎの増大が主な原因で、大都市から遠かった地域では幕末まで人口が伸びてるよ
つまり、薩長土肥が勢力をのばした原因が、それ
長州以西、土佐以西は出稼ぎが少なくて人口が伸びた
大都市周辺は出稼ぎにいって帰らない人が多くて人口は減っていた(大都市の住人が増えたわけではなく、都市民の減少が激しかったのを周辺農村から補ってたせいで人口が減った) >>688
検地の目的は大抵増税だっから、そりゃ、農民側は嫌がるわ。
しもかも、俺がルールだ、の封建制。
殿様の胸先三寸。
まあ、叛乱を起こされれば、領主失格として、知行召し上げの憂き目に遭うし、
槍刀鉄砲を持ってない農民側も叛乱のリスクは高いから、双方チキンレースよ。 >>689
18世紀19世紀って世界中で都市の人口比率が高まりながら人口が急増していた時期だよ。
日本に限って都市に出たから人口が減ったとかいうのも、結局、失策なんだよな >>690
いや、検地とは違うで
一定面積あたりの収穫の度合いを調べるんやで
役人が来る度に饗応する、饗応費が、だんだんと負担増大したらしい >>691
農村在住人口と都市人口の比が、都市民の割合が高くなると供給が追い付かなくなるんだよ
なんせ、当時の都市では流行病が農村より流行しやすくて死亡率が高い上、未婚者比率が高くて少子高齢化してたからな、周辺から人が移住しないと都市機能を維持できないんだ、日本でも他国のでもな
(なお、成人の病死率が農村より高いので、都市には高齢者は少なかった模様) 人口は食糧事情に比例して増減してるだけ
飢饉後は激減するが十数年もすれば一国単位で元のように数万・十数万人増える じゃあ、どうして、世界中で都市人口比率が増加しながら、地域(国)人口そのものも増加していたの?
たとえば、イングランド。19世紀頭に都市人口比率が35パーセントで、都市人口比率が上昇しながら、
19世紀前半に1070万→1700万、20世紀の頭には3200万人に人口が増加している。
日本は明治の頭で都市人口比率が15パーセント程度。
この後は人口増と都市集中が同時進行で21世紀頭まで人口が増加するのは知ってのとおり。 >>692
実際に耕作されている割合、収量の出来不出来を調べるから、検地だよ。
当然、隠し田や、開拓地、天災等で耕作不能になっている田畑も同時に調べて
検地帳に修正が入るよ。 >>692
実際に耕作されている割合、収量の出来不出来を調べるから、検地だよ。
当然、隠し田や、開拓地、天災等で耕作不能になっている田畑も同時に調べて
検地帳に修正が入るよ。 >>696
検見だな
収穫前に作物のできぐあいを見分する
田の一坪分を刈り取って脱穀し、収穫量が平年作とくらべてどうかを調べて年貢高を修正課税する
領主の側からすれば毎年の収入が安定しないので享保の改革で定免法が取り入れられた
定免法は過去の収穫高を平均して年貢率を定めるので、徴収高は安定し、豊作ならば百姓は剰余を持つことができた
あまりに凶作のときは年貢の大幅減が認められることがあった
幕府や各大名でどちらの方法を取るかは様々だったが、検見では領主側にも経費がかかる上に調査が確実でない、百姓の側では接待など苦労が多いので、農学者も定免法を推し、定免法から検見法への変更に反対する大規模な一揆も起きた >>694
都市が発達すると人口が伸びなくなる、その仕組みの中には現代の少子化と連続する部分がある 江戸は男女比がいびつ
商売女は子供を生み育てられない 江戸は男余り
現代の都市部は女余り(日本に経済力があった時代は男余りの農村部に中国・フィリピンから嫁を輸入した) >>701
未婚率が高いだけで、既婚者の子供の平均数は普通やからな
ただし、疫病罹患率が高いだけあって早世する率は高いんだが 平安時代って長いけど最初期と後期では工業とかの技術レベルはどんくらい違ってたのですか >>687
現代の拙い知識で頑張って考えたのは読み取れるけど
根本的に調べ方が浅い。
地租改正が何故重税なのかというと、江戸時代の徴税は抜け道があったのに対して
明治以降は全ての収入から課税と増税を繰り返していったからなのだが?
あと他へのレスでも妄想と決めつけが酷いけど、何で何の知見もないのにそこまで饒舌に嘘を言い続けられるのか…何かの病気? 足利直冬、武田勝頼、松平秀康、伊達綱宗…と
母親が卑賎の出、名前も不詳だと能の別なく父親から嫌われるものですか? >>709
嫌われてるわけではない場合も多いが、支持基盤の薄さゆえに後継候補になるのは難しい
普通は母親の実家親族が支持基盤になって協力してくれることが後継者になる上で必要不可欠なので、それがないことが力不足って扱い 地元の名族である諏訪家の当主の娘だっけ?
そこの跡継ぎを武田家から出せることを重要と思ってたから勝頼を諏訪氏にしてたんだよな
本来ならば分家筆頭として兄を支える立場になる予定だったのに >>711
一瞬、「勝 頼母(かつ・たのも)」って誰だっけ?有名武将か?安房守海舟の先祖か?俺が無知なのか?と思ってしまった。 独眼龍政宗は13才の若さで結婚し側室も数多おりましたのに
長男誕生が25才と遅く、乏精子症かと思われるのですが次男誕生の34才以降は10人以上の子沢山になってます
理由はあるのですか? 子供2人だと秀吉みたいに間男説が流布されるので、その隠蔽のため? >>711
伊達政宗は正室の愛姫と13歳で結婚したが
愛姫が一人目の長女を産んだのはその15年後
普通に正室との間に嫡男誕生を待ってたからでしょう
愛姫が次男で嫡男の忠宗を生むのは
政宗と愛姫が結婚してから21年後のことで
それまでは側室腹の長男の秀宗が後継者とされていた いつも広場で合戦というイメージなんだが
殿様や有力な商人を拉致したり暗殺してはならないというルールでもあるんですか? >>718
警戒されているので困難なだけで、ルールとして禁止されてはいないのではないかな うん、宇喜多のように身内、縁者をやっつける場合は接近しやすいだろうけどな >>717
愛姫と不仲だったから嫡男誕生しなかったのに、待つ意味が分かりません
>>718
病死扱い >>722
愛姫は田村家の一人娘で伊達家と田村家双方の
跡取りを産むことを期待されていたし
不仲だから正室をないがしろにしてよいというわけがない
政宗は伊達家庶流の飯坂の局より前に側室がいた気配はなく
飯坂の局もまた姉がいるのみで男兄弟がいなかったため伊達家と飯坂家
双方の跡取りを産むことを期待されていた
もっとも政宗も関ヶ原で大封を得た晩年は複数の側室を持っていたとみられる 「サトシ ナカモト」なる人物がブロックチェーンを考案し、論文をネットに公表したとされていますが、もし本当にこの人物の実在が実証されたら、この人物は後世の歴史教科書に掲載されるレベルだと思いますか?
また、なんらかのノーベル賞や勲章、褒章などが授与されますか?
ブロックチェーンはこれからの時代のテクノロジーや社会制度の中核になると言われていますし、どうなんでしょう? >>722
まあ、信玄や謙信の病死だって、ほんとは暗殺やったという説は当時からあったわけやしな
織田にとって絶妙のタイミングで死んでるんやから、暗殺でもおかしくないとは言える
暗殺の証拠が残ってる事例はほとんどないにしろ、暗殺がなかったとは言えんわな
そういえば、信長が弟を殺したときに病気と称しておびき寄せたのは、暗殺に入らんのかなあ? 井伊直弼も「病死」だったのよ
日本の教科書は公式記録とは違う嘘を教えているのだわ すぐ近くの国に公式記録が気に入らないからと国をあげて抹消し
新しい物語を創造して正史とよんでいる国があるけどな
日本と中国の古代史には大きな乖離は見られないが
その国の正史では中国と日本の正史から外れている独自の物語が語られている
もっとも、古代・中世という区分は偶々欧米基準と日本が重なっただけで
その国は欧米基準だと古代の次が日本の統治になってしまい、中世・近世という
区分はその国には存在しないのだが
トンデモ説に食いついて喜ぶより、存在自体がジョーク
そんな国に生まれなかった幸運を喜べ >>727
日本國の正史を読むと、
この国を樹立した男どもが揃いも揃ってクズ・ゲス・ダメ男ばかりだった事実に感動する。 タカラヅカや一昔前のディズニーアニメのような小奇麗な話を喜ぶオコチャマかな?
ギリシャ神話をはじめ西欧系の神話も読んで感動したら、聖書でも読んで爆笑してればいいんじゃねぃ
そこまで個人の嗜好には付き合えんわな
正しい学問板住人であるならば、歴史書を通じてそれを記述した人々への思いを重ね思索にふけるものだが
素人さんには素人さんなりの楽しみ方があってもいいと思う
個人の情緒は人それぞれであってよいし、科学的社会主義観点でしかモノが言えないロボットに成りたくはなし >>722
これは俗説だけど、仲がいい夫婦ほど子ができにくいんだって。
>>705
全然わからんけど、平安京と福原京の差を見てみるとか?
海を埋め立てるレベルは上がったんじゃなかろうか >>705
城門のような立派な巨大建造物は作ってから移動させていたんですかね
神社仏閣など今は道路や車が邪魔なのか困難に見えますね >>720
城や城下の外側に大群の騎馬武者用警備網でもあるんでしょうか?
マンガや水戸黄門等ではあまりみかけませんが >>732
それは知らんけど、長岡京を作る際には旧浪速京から多くの建物を移築したことが知られているね >>733
暗殺なんてのは少人数で企てるものなんだから、大掛かりな戦構えをして警戒するものじゃない >>735
暗殺ではなく日常の戦構えというのはどうなっているのですか?
突然大量の敵が来ても良いように工夫されているのですか 堀ってのは、普通は水を張らないので、操作しない
多数派ではない水堀の多くは自然河川に繋いでるだけでは?
さすがに、用水路並みの水門(取水口)すら付けてないものは少ない気もするが >>736
現代でも、敵対国の情報収集も行わず、動向に全く注意を払わなければ危ういだろうな >>737
何のために排水するの?
昔は排水ポンプもないけど ポンプがないと"池の水全部抜く"みたいなことできないけど >>741
それが出来ないような水濠を拵えるほどボンクラな城主なんぞさっさと見捨てて逃散するに限る。 だから、何のために排水しなければならないのだ
姫路城でもどこでも、水堀を干し上げたなんてことは聞いたことがない
無用のことに執着する領主などさっさと滅びるがよい >>744の図は、周囲の地面よりも溜池の水面が高いからサイフォンが効くようになってる
城の堀の周囲は堀より高いぞ 堀の水は抜く必要ないって教えてあげればいいだけなのにマウンティングゴリラはこれだから >>744のような姑息(その場しのぎ)な反論をしてマウンティング取り返そうなんてことをするからだ 日本の城に設けられている穴が石落としや矢を射かけるための孔
となっていますがその用途で使われた証拠でもあるのでしょうか?
現実的に考えた場合、城の中で快適に過ごすため空調として浄化した水やお湯の排出口ではありませんか
堀の水の出どころがハッキリすればよいのですが
>>748
池の水が循環しないとボウフラが沸いて大変ですね殿様たちは 歴史の解釈というのは証拠物件が殺人事件の裁判並に整っているのでしょうか?
一体どのような物を証拠に秀吉、信長という言葉をつかっているでしょうか >>751
信頼に値する文献が有るからだよ、庶民が書いた日記も残っている。 信長という名前については例えば家臣の太田牛一が記した信長に関する一級資料である「信長公記」には
「吉法師殿十三の御歳‥御元服織田三郎信長と進められ御酒宴御祝儀‥」
とある >>751
官職任命とかの公文書に実名が書かれているよ、平信長とか藤原信長とか >>751
大概の歴史的な出来事の教科書に載るレベルの著名な出来事は殺人を伴っているけれど。 >>747
ポンプがないと水を抜けないというレスに対する回答なだけだが
もちっと読んで意味の分かる文章が書けるまでクールダウンしたほうがいいんじゃねぃ?
>城の堀の周囲は堀より高いぞ
多分堀の周囲の地面は水面より高いと言いたいのだろうが、自分の頭の中だけで分かったつもりにならず
人が聞いて分かるように言葉を省略せずに話す習慣をもちなさいと誰かに指摘されたことは今回が初めてじゃないよね。
水を抜くことだけが目的なら、堀の周囲の地面を水面より低くなるように地面を掘り返せばすむはなしだろ?
本当にこんな簡単な事を他人から教えられないと、自分の頭で考えだすことができないの? >>718
暗殺されることは不名誉だし、病死・事故死もタイミングによっては政情不安の種になるから、
死因や死去の時期は隠蔽されることが多々あるよ。 >>758
その方法だと、抜きたい水を収容できる体積(じゃなくて容積か)の大穴を掘らなあかんのではないか、かなりの大仕事やな。がんばってくれ >>737
入口を塞ぐ魏、出口を開ける。
日本の城の濠は、構造としては、溜池と同じ。
自然の河川から分流した水路から水を引き込み、水路から河川や海へ水を放出できる構造。
>>740
石垣とか尖った杭を立てて攻め込みにくくする構造のメンテナンス >>758
いや、君のようなヘンテコなレスをされたのは初めてだ >>762
メインの防御施設としては、水堀ではなく空堀を用いるのが普通で、水堀は、用いている場合でも、外側の補助的な小さめの城壁の外にあるものが多い
水堀の近くには、メンテの必要な設備がある場合は少ない印象 >>761
君の脳内では、堀の周囲は粘土層か岩盤層でなければならないようだが
後だしの条件付けはこの後も永遠に続くの? >>762
石垣が、どうしたの
これから石垣組むの?
そんな大工事だと縄張りでもなんでも取り壊してやりかえてください
水堀に杭なんぞ要らない >>766
壊れない石垣なんて無いんだよ。
いや、加藤清正の普請から400年来壊れたことなかったよ?の熊本城も
そのちょい後に地震で大きく損傷したし。 加藤清正としては400年後の地震なんて知ったことではないわ
高松城の天守台も最近になって子孫どもが積み直してくれたし、そんなあとのことは考えてなかったわい 石垣をやり直せるように水堀の水を排水してしまえるようにしておこうと考えた城主なんて、居ない、居ない >>762
とがった杭って、逆茂木のことかな、大抵の城では空堀の底に設置してるはずなので、水堀の水が邪魔になることはないと思う >>765
よほど水捌けのよいところじゃなければ、水堀から水を抜くような多量の排水は、土に染み込むスピードが遅すぎて、ほとんど減らずにたまるやろ >>771
今度は時間制限か…
それでその話の前提は水抜きを数日以内に絶対にやらねばならないのか
それとも数分以内なのか?
どういう脳内設定になってるのか、
繰り返すけど、当人の脳内設定を省略せずに一度に全部書いてくれないか
もちろん何故数分若しくは数日以内でなければならないのか
月単位年単位では駄目な理由と、それを他人に説明しなくても話の前提となっているのだと
君が確信している理由もな
後、他にも脳内設定で話に縛りをつけたいのなら後出しはいいかげんやめてくれ、頼む サイフォンの原理っていつ発見されたんだろう?
エジプトがどうとかあるけど、
日本でも誰かが水辺であれこれやって
偶然それを見つけた可能性もあるかな
本当にありがたい >>772
理系脳のスレ立てたらどうかな。土木史とか
ここ日本史板でしかも初心者向きのスレだし 維新後に大名の奥方・娘が遊廓にってそんなにあったの? 明治維新後、位階としては下だけど明治政府の要職に就いた元維新志士たちと
位階としては上だけど政府の要職にはついていない元藩主(華族、貴族院)らは
「格」としてはどちらが上なんだろう? >>776
「格」が何かわからないが、例えば宮中席次を格としたならば元大名の伯爵子爵でぷらぷらしているのより、次官とか県知事警視総監といった役人の方が席次は上となる 現役大臣ともなれば公爵より上 >>775
華族事件録によれば羽州上山の松平のお姫様が苦海に身を落とした事例が出ている また、成金が箔付のため零落した華族の姫を札束ビンタで結婚という事例は結構あったようだがそちらは公家が多い
柳原伯爵の燁子、いわゆる白蓮は庶子であるものの大正天皇の従姉妹
それにして卑賤から身を起こした典型的成金の九州の炭鉱王伊藤伝右衛門当時50歳の後妻に入れられた まあ白蓮もバツイチだったが >>777
サンクスです
例えば、内務卿大久保利通がかつての上司である国父島津久光とどこかでバッタリ出会ったら、お互いどんな態度を取ったのでしょうかね? 退職した且つての上司と今は出世している貴方とはお互いにどんな態度を取りましょうや 公侯伯子男が定まった後、元大名の華族とその家臣筋の勲功華族の爵位を比較すると同列までは多々あるが逆転というのは極だった
その稀な例が飫肥藩の伊東子爵家と旧飫肥藩士の家柄でポーツマス条約などの功で侯爵にまでなった小村壽太郎
子爵と侯爵で2ランクも差をつけている なお大出世の小村の伊東家に対する態度がどんなものだったかはよくわからない >>778
すごく大事にされてたらしいですね
なのに、逃げて、貧乏な男のとこに行って、
しかも平民になったくせに皇后の選定に口出しした白蓮は
自分は好きになれない
短歌の才能があったからよかった
KKの嫁はそれすらない。未来のry 元・華族のなかでは
格上← 京都のお公家さん > 奈良華族 > 大名家 > 明治維新以降の功臣 → 格下
という序列らしいな 古い方、天皇家に近い方が偉い、って思想
それが貧乏で実権もなく生活力皆無の公家華族のプライドの支えだった
全公家華族の財力を統合しても、岩崎男爵家の足元にも及ばないという哀しい現実 武家支配時代に、往来や川端で晒し首になった首や、戦功の検分に使われた首は、
最終的にどう処理されたの? 偉い人すごい人の子孫だから偉いの理屈なら、
王様が直々に貴族にとりたてた創家初代やその
初代が育てた二代目とかのが偉い気がするんだが >>781
個々人の性格や関係性とは別に、形式上の「かくあるべし」なら、どちらがどういう対応をするべきなのか?
内務卿が頭を下げたり、最初に挨拶したり、道を譲ったりするべきか、それとも国父がするべきか >>754
>>753
その文献の検証はしないの?
こういう文献がありました、これは信頼に足るとのことですが
本当でしょうか、みんなで考えてみましょう、みたいには教わらない
教科書を鵜呑みにする理由が分からない >>791
現状では、そういう風に検討するのは大学でもゼミに入って以後ってのが大半やろうしな
丸覚えにさせるのは、手っ取り早いから
会話のネタ集を覚える程度の役にしかたたないんだけどな >>791
史料文献を中学や高校の生徒たちが検証なんてできんわ
知識不足、経験不足
中坊、坊を尊敬しすぎや
学者はやるけどな そもそも中高の歴史の授業にそんな時間ないわ
一通り教えることすらままならんのに 嘘でも覚えろ!って言ってる風にみえるぞお前らの言い分 ならば大学関係の人に聞きます
どういう文献を検証しているのですか?
織田信長についての有力な資料のタイトルを一つ教えてください だいたいどこの分野も、研究してる人は少ない印象
信長の研究してる専門家は、たぶんここのスレにはいない
てか、他の分野の専門家もいないかもしれん
スレ民の大多数はアマチュア >>773
お堀にサイフォンが応用されているなら電気使えたのかな殿様たちは
馬の調教とか >>779
衛生上
庭園の池の鯉だって水が循環しないとくるしいのでは >>802
お城の掘りが独立しているケースは無いのでは?何故なら、船による物流も兼ねていたから。 >>802
何が言いたいんだ
殿さまが水堀を掘るときは魚たちの福祉を考えなければいけないのか
池と言うのは淀んでいるもので、別に鯉も平気で生きてるんではあるが
>>802
江戸城の二重橋あたりに荷船が通ってたからな、て‥そんなことねーわ >>804
> 池と言うのは淀んでいるもので
久々に気合の入った馬鹿を見た。
溜池なんかは流れてないぞ
流れの激しいのは池とは言えないだろ
淀んでいるのが大勢だ 池だの沼だののビオトープの話なら生物板の方がいいんじゃないの >>807
ヒトの歴史も本質を突き詰めれば水辺の生態系の極一部でしかない。
「豊葦原之瑞穂之國」なる列島の歴史など正にそのものだ。 酒池肉林ってのは酒が大量に溜められ、うまそうな肉が懸けられて林を為す
酒は流れてるんでなくてたまってるんだ
まぁ、君たちは城の水堀排水同盟でもつくってがんばりたまえ >>806
> 流れの激しいのは池とは言えないだろ
> 淀んでいるのが大勢だ
では「澱み」と「流れ」を分かつ閾値を定義してくれ。
水の代表断面流速でも良いし体積流速でも構わない。
尋常に考えれば多くの「池」でこれらのパラメータは0m/s又は0L/sよりも大きい。
物理的にはその状態を「流れている」と称する。
或いは生物学的には化学物質交換量等から別の定義があるかもしれない。
御教示頂こう。
>>804
大雑把に言えば、人工的に掘って作ったのが池で自然物は湖沼かな?
人工物で流れてるのは堀や運河で流れてないのが池?
なら、水堀は水流があるのか?
道頓堀とかは間違いなく流れてるんだよな 堀りは堀った址だろう。水を入れて水堀にする必然はない
釣り堀は流れているのか? 話がずれて来ている様だけど、結局何を聞きたいんだ?
城の水掘りの事なのか。 >>791
それ、歴史学や、節子。
学校の教科書は文科省が決めるので、文句は文科省へ >>798
その有力な資料のタイトルだと担保できる人、
つまり、述べるに値する人間に出会う場所が専攻の学科な
匿名掲示板じゃ絶対に出会えない
名乗れないからw
自分はそういう先生を求めて大学に行っただけの素人 >>815
土木史がやりたい子どもとみた
お堀の研究してる在野の先生なんかググったらいっぱい見つかるのに。
最寄りのお城の学芸員さんを尋ねる方法もある
リアルに学ぼうとしない人は原典に当たれない 単に、相手の教養を試したいだけの理系マウントアスぺと思うけど、それはあえて触れずにおこう 文献史料は仮令その書誌的信憑性が確保されていても、それが記事内容そのものの事実性を意味するわけではない。
文献は所詮ヒトの書いたものであって誤認、歪曲、誇張、隠蔽、虚偽、捏造を幾らでも恣意的に盛り込める。
記事のうち物証と数理計算によって証明された内容のみが信ずるに足る。
証明の無い、或いは不可能な記事は全て「保留」とラベリングされた棚に上げておくべきだろう。
>>820
その「ひと」を極めるのも歴史学だから、それでいいんですよ
だから人文科学 >>819
単に、理系もマウントもアスペの意味も知らない莫迦だと思う。正直に触れてあげた
「ひと」を極めるのもネット(社会)だから科学(理系)だから >>820
そのように内容の信頼性に限度があることから、様々な系統の様々な文書で裏付けを得られるもの以外は話半分として扱われてることが多い
昔みたいに、単一の文書だけでしか得られない情報でも貴重な情報だからと採用しちゃう人は、研究者にはいなくなったので、そのようなものでも採用しちゃうデムパ系の擬似研究者との落差は大きくなった
つまり、アマチュアの入り込める場所が激減した
騎馬民族王朝説の頃ならアマチュア参入の可能な場所が少なからず残ってたが、邪馬壱国説のころにはかなり厳しくなってきてた感じ、
スペース減少についていけなくなってデムパ化したのかもな、あれ。 >>823
君がアスぺというのはよくわかったw
人文科学を認められないならここは板違いだよ
理系カテゴリに行きな。じゃ ちなみにアスぺの対応も心理学だから人文系な
臨床心理も教育学部の大学院だから、理系じゃないんだわ
不思議なことに 倭=チビなんてふざけた漢字使うなよコラー!
って昔の人は中国に怒らなかったのですか? >>828
怒らなかったと思うよ
でも、気に入らなかったから、奈良時代頃になって、改名を求めたんだと思うよ >>828
【旧唐書 倭國日本國伝】
日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰、倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云、日本舊小國、併倭國之地。
「或ヒハ曰ク、倭國自ラ其名ノ雅ナラザルヲ惡ミテ、改メテ日本ト為ス。」
>>830
4行目の旧はどう訳すのですか?
位置的に動詞っぽそうですが >>831
「舊」=「モト」。
日本モト小國、倭國之地ヲ併ス。
かなり有名な一節。
今でも立派な碩学諸賢がこの極短文から想像(妄想?)を逞しくして議論している。
旧は元なんですね
もともと小国だった日本国が倭国を併合かー 本能寺の変後の秀吉の備中大返しについて質問です。
信長の訃報を聞いた秀吉は誰よりも先に光秀を打ち取って信長の次は秀吉だと天下に示す必要があり、毛利との和睦を早急に進めました。
無事和睦がまとまり、その後は一刻も早く京都に引き返して光秀との決戦を挑むはずですが、ここで秀吉は高松城主の清水宗治の切腹に拘ります。
毛利としては忠臣の宗治は助けたかったのですが、秀吉は譲らず宗治を切腹させ、船の上でのその切腹を見届け「武士の明鏡である」と宗治を褒め称えた後に引き返したそうです。
そこで、ですが、何故秀吉は宗治を切腹をそれほどまでに必要としていたのでしょうか?
切腹がなければ秀吉は3時間ほど早く引き返すことが出来たのでは?
一刻を争う中で宗治の切腹を要求し、見届けると言うのは、秀吉は時間が惜しくはなかったのですか? >>815
殿様たちは城に住んで快適だったかどうか
今子孫は住んでないみたいだけど
飲み水やフロなんかどうしてたんだろう城 庶民のところにいくのかな? 城や御殿は私有物権ではない
どこそこの領地を預かることになったらあてがわれることになる官舎みたいなものだ
廃藩置県で旧藩知事は華族として東京集住と決まったら城は出てしまう
殿様も庶民も飲み水はだいたい井戸水だ
大量の湯を沸かすのは大変なので蒸し風呂が多かった
町人どもは銭湯にゆく
家では風呂なんてものはそうそう入るもんではない 昭和の公営住宅、公団住宅も風呂がなくて、団地の中の銭湯に行っていたものだ >>834
秀吉は本能寺の変を知る前から毛利と和睦交渉をしていたんだよ
清水宗治の切腹は交渉で秀吉側が出した最重要条件
和睦交渉を放り出して高松城から撤退したら当然毛利は追撃してくるので秀吉は形だけでも和睦を成立させる必要があった
毛利軍に追いかけられたら大返しどころではなく、下手すりゃ明智と戦う前に全滅だからな 秀吉としては五か国を引き渡せと主張したが、毛利は三か国だと主張
それならば三か国プラス清水宗治の切腹だということで妥結
切腹を見届けてすぐに撤退したとも言われるが、更に一日を費やして毛利方の動静を見極めてから三日後に引き上げ始めたとも言われる >>804
佃の漁民は鮮魚の納品に限り江戸城の濠に船で乗り付ける免状が出ていたよ 質問>>834
>そこで、ですが、何故秀吉は宗治を切腹をそれほどまでに必要としていたのでしょうか?
↓
回答>>838-839
>清水宗治の切腹は交渉で秀吉側が出した最重要条件
これ理解できる奴いるか? どなたか解説頼む >>806
井之頭池(神田川)、満濃池(金倉川)、狭山池(西除川)……有名どころは河川の源流 >>842
・高松城以前の鳥取や三木攻めでも降伏と引き換えに城主に切腹させたから秀吉の城攻めはそれが基本方針だった
・城を攻める直前に清水宗治に降伏を勧告したけど蹴られた上に毛利の援軍呼ばれた
・高松城攻めには元々信長が援軍に来る予定だったので城主の助命なんて生ぬるいことは秀吉の立場上できなかった 子供みたいな問答だな。ただただやりたかったからwそう決めたからw
降伏ではなく和睦
信長は死んだ 撤退後信長横死が毛利方にも伝わるのを見越して指揮系統を壊しときたかったんだろ 総大将の輝元が本隊率いているんだから、出城の城主ごときに指揮系統があるわけないだろ >>841
江戸城の水濠に限って云うと、
太田道灌の時代に平川という自然河川(平河町、平川門に名を残す)の流路を改変又は分流して城の版図の限りとしたのが始原とされる。
流末は日比谷入江の奥、即ち殷賑の津たる江戸湊であったことから防衛や示威よりも物流(城への/城からの物資直接搬入/搬出)が主目的の施設だったと考えられている。
徳川期の城域拡張に至って水濠の設置目的は変質したものの、
内濠、外濠ともに閉鎖水域に非ず、河川の一部を構成するという属性は変わっていない。
佃の漁民の例に見る如く幕府としても運河としての潜在機能を想定していたことは想像に難くない。
遺憾ながら>>804は二重三重の意味で誤った認識に囚われていると指摘せざるを得ない。
>>845
まあ、和睦ではあるが、毛利は多く失って羽柴はあまり損をしない条件の和睦だな 毛利は甘すぎた。
備中高松でヒデヨシを徹底追撃して刀根坂の朝倉のやうに息の根を止めるべきだった。
暗君と言われる北条氏直よりも毛利の方が愚かであったと言って良いだろう。 >>851
追撃する力がなかったから追撃できなかっただけじゃん 戦の最中における現場への情報伝達はどのようにしていたのですか
何万という兵が皆ピシと言うことを聞き、勝手なことをする奴はいなかったんでしょうか >>853
そういう、近代軍隊みたいなピシッとした用兵は、当時の日本には存在しないからなあ 昔は方言が激しかったり録音もできないからコミュニケーションに苦労したんだろうなあ
発信した内容が誤って伝わってしまい悪者扱いされてしまった人も数多くいるのだろう え、今時の人は業務命令を受けるときにも悪者扱いされないようにコッソリ録音してるのか 方言差がはげしくなってきたのは、織豊時期以降なんだけれど。
薩摩弁やら琉球弁が日本語からかけ離れてくるのもこれより後。 >>858
そういう細かな作戦行動は軍記ものの中以外では、つまり現実世界には、ほとんど行われていなかったと考えられている
そもそも、普通の軍隊は寄せ集めで、個々の部隊が好き勝手に行動してるものだからな 日本史の中でも人気のある時代とか重要度の高い時代があると思うけど、
後世では昭和の時代が人気があり、重要度も高いとされていると思う >>860
重要度というのは、現在につながる度合いによると思う
昭和は重要だわな
何百年か経てば、昭和は重要ではなくなるかもしれんがな、ならないかもしれん >>863
「標準語」なる幻想が設定されていないんだから方言も蜂の頭もあるまい。
あったのはそれぞれの「御国言葉」だけだろう。
「昔」と云うのが「原ヤマト語の成立した頃」のことなら、
そりゃ方言なんか無いよなとしか云いようがない。
昔は方言が無かったというより、昔のことはわからない
日本語の変遷、系統を追うのでも大変なのに、その日本語の中の細かな変異まではとても‥ 万葉集の東国人の歌には方言が見受けられる
庶民が歌い上げた言葉をそのまま記録したという珍しい例だが、普通は地方人の言葉なんて記録に残らない >>864
バベルの塔以前は、「方言」=「御国言葉」はありませんでした
「標準語」=「原ヤマト語」オンリーです。ま、「方言」なる幻想をまず捨てなさい
記録に残るのは口語ではなく文語 現在は第二次大戦後からずっと「現代」という時代区分になっていると
思いますが、例えば今後100年間大きな戦争もなく、天皇制や議院内閣制、
民主主義、資本主義などの国の大枠に大きな変革がなかった場合、100年先まで
ずっと「現代」が続くことになるのですか?
大きな変革がなくとも、「現代が長すぎる」という理由でどこかのタイミングで
時代区分が動くケースっていうのはあるのでしょうか? >>864
まあ、その頃ならヤマトの言語以外は外国語みたいなものか 漢字渡来以前は日本は無文字社会したがって文語も口語も文章がなかった
漢字が渡来して漢文が使われるようになった
万葉集の防人の歌は、本人が口で朗誦したのをそのまま万葉仮名で文字化したもの
かな文字ができてそれを駆使した平安女流文学、これもしゃべることを文字化しただけで、文語ではなかった ↑
文語/口語の区別が付いてないの?
無文字社会に文語があるわけないし、口語に文章が存在するのか?w
「方言」にも「標準」なる幻想が設定されてるから、豆な。たとえば似非大阪弁とか存在する >>872
明確に実証できるものとしては稀有の事例。
但し。
何故に殷の占術記号でしかなかった甲骨文字が斯くも普遍性を持ち得たか、
換言すれば漢字の本質とは何なのか、
その問いを突き詰めれば「訓読み」はむしろ漢字のあるべき使用法だということに気付く。
そして漢字の使用が拡大する過程では無数の類似事例があったことは想像に難くない。
>>875
平安時代や江戸時代などが長いのはもちろん知っていますが、かつての時代と「現代」という括りとはまた別かと
「現代」があまりに長いのもどうなのかなぁと思う次第です
ただ、国の大枠や国際秩序 ↑ミスしました
国際秩序の変化などがないと「現代」の区分が変わるきっかけがないですよね 新羅の経典にカナが振ってあったてのはその後どうなったんだろう 日本史上、宦官に似た扱いをされた人物はいたのですか? >>872
訓読みというのは意味がわかるように自国語に翻訳して読むということだからな
外国語を自国語読みする国なんてのはそうそうない
日 (音) ニチ (訓) ひ
本 (音) ホン (訓) もと
boy (音)ボーイ (訓)おとこのこ
girl (音)ガール (訓)おんなのこ まじかー
その割にはラテン語ギリシャ語ポルトガル語イタリア語英語には互換性があるな その気になれば英語もラテン語も漢字表記が可能。
例えば水と書いてwaterと訓じれば良い。
更に前置詞には於などを充てる工夫すれば完璧だ。
印欧系言語などは下手をすると日本語よりも漢文化しやすい言語だと思う。
漢字のように概念ごとに多くの種類が用意されている文字はこれがやりやすい。
弱点は発音だな。これはハングルを併用すれば世界の発音をカバーできよう。 二十歳をはたち、明後日をあさってと読むとかはちょっとやりすぎな気もする >>885
二十を和訓でハタと読むので、ハタ+歳(どう訛ってチと読むのか、よく分からんが)でハタチは、それほどおかしくはない >>885
まさに訓読み
二十歳、明後日と支那語を書いて「はたち」「あさって」と倭語読みをする 不知火とか時雨とか熟字訓はカッコいいのが多い
こういうのって誰が使いはじめて市民権を得ていくのだろう 改新政府の官制って現在に喩えると
《皇室》
・皇祖母尊→上皇
・孝徳大王→今上天皇
・葛城太子→秋篠宮
《大臣》
・阿部内麻呂左大臣→総理大臣・防衛相
・蘇我倉右大臣→財務・副総理
・中臣鎌足→天皇顧問
・国博士→天皇政治顧問
こんな感じですかね >>889
「知らぬ火」はそのまま読み下したんじゃね。
「飛鳥(あすか)」は「飛ぶ鳥の明日香」という枕言葉から転じた。 水戸黄門では当時最強の剣士である助さん格さんに毎週悪代官お抱えの武士?が日本刀を振り回して殺しに行っては返り討ちにされていますが、実際には江戸時代て街中であんなに派手に刃物を振りかざしたら重罪に問われるのではないですか?
水戸黄門(遠山の金さんなども)のチャンバラって一回でもあんなことがあったら幕末の池田屋や寺田屋に次ぐ大事件になってないですか? >>892
まぁ、フィクションだからね。とは言え正当な理由が有るのなら、武士は刀を抜いても良かったのも事実。
但し、後で問われた時の為に刀を抜いた正当な理由と見届け人が必要だったらしい。勿論、仇討ちに関しても同じ。
しかしそれは形式上の事だけで、面倒事を避ける為に実際は町中で刀を抜く武士は殆んど居なかったらしい、だから竹光でも格好はついた。 三英傑って支那で喩えると
源義経 →成吉思汗
織田信長→太祖趙匡胤
徳川家康→太祖洪武帝
こんな感じですかね >>894
義経は、最大限に持ち上げても君主の列に加われないのだから、韓信が上限かなあ
信長は趙匡胤と違って全国統一してないのだから、ヌルハチなら? てとこか?
支配範囲の大きさだけなら曹操もいいんだけど、スケール的に追い付けてない、曹操の縮小コピーといえそうなのは、せいぜい朝倉敏景っていうローカル大名ぐらいかも 君主は天皇で国にひとり
主君はお殿様など武士階級のトップどころ複数いる
この認識で合ってる? >>896
江戸時代的認識を現代風に解釈すれば、アメリカ的な国と言う認識が正しいかと。アメリカの大統領に当たるのが徳川一族で、将軍と地位を与えているのが天皇家かな。 >>897
つまり、大統領は主君であり、君主ではない? >>898
仕方がないアメリカの場合は、大統領の上は存在しないんだから、大統領宣誓は神の前だったり合衆国憲法の前だったりする。 >>896
複数の天皇が並立して争ってた時代もあるで、例外中の例外やけど。 >>897
だが、江戸幕府の上層部は天皇より将軍の方が偉いと考えてる人が多かったらしい
将軍を任命する儀式のために捨扶持を与えて生かしてるだけの小者、みたいに思ってたのかもな 藩士から見て藩主は主君
藩主から見て将軍は主君
で、将軍や藩主、藩士、また公家、庶民らから見て天皇は君主
こんな感じ? >>900
アメリカの大統領は南北並立して争ってた時代もある
ちな大統領が引き継ぐのは「核のボタン」 >>901
そう思いたい人がいるなら、放っておけば良いだけ。幕末になっても討幕側も天皇の権威に頼っていたし錦の御旗の下では朝敵になる事を避けた幕府側の人間も沢山いたのも事実。
つまり、天皇不要論が出るのは時代が安定している裏返しみたいな物だよ。 >>901 >>904
幕閣の歴々がどう考えていたかは知らず、
少なくとも神田ッ子にとって天皇は「将門公を貶めようとしやがるフテェ野郎」でしかなかったし、
だからこそ最終的には明治帝が出て来て頭を下げるまでは一歩も退かなかった。
庶民にとってはそんなもんだった。 会長より直接の上司の方が活用可能性がある。偉いか否かは別次元の論理、これ自明 朝鮮通信使って天皇の代替わりに来るって話にはならなかったの? 右大臣に仕える直属の配下から見て右大臣は何になる?主君じゃないよね ちうても、右大臣自身が雇用者として、朝廷の官僚制と無関係に独自で人を雇うことはあるし、そんな場合には主君は右大臣になるな
職場内での上下関係ではなく、雇用者と被雇用者の関係のほうに近い なんかよくわからんようになった
主従関係が一番大事なんですか?
家老に雇われている直属の配下からしたら、家老が主君であって藩主は主君ではない?
あと、右大臣に雇われている配下にとっては右大臣が主君?
主君は別に武士、侍に限らず、公卿や貴族でも主君でオッケーなんですか? >>913
そうです、中世には主従関係こそが社会の基軸です
家臣が独自に人を雇ってる場合、それは直臣ではなく陪臣となり、直臣と違って直接に命令を出すことができません >>914
ありがとうございます
でも、その論でいくと江戸時代、徳川将軍を主君と仰ぐのは徳川の直臣のみで全国の多数の武士にとっては主君ではないという状態ですか? 有力貴族の家政機関=自民党の派閥みたいなもんかな
派閥横断的に所属してるのもいるけど
派閥領袖のいうことは党の方針より優先されることもある >>915
江戸時代は多数の国の集まりで出来ていた事を忘れては駄目だよ、武士が使えていたのは○○国の殿様だよ。 >>915
子会社の社員は親会社の社員ではありませんよね >>919
脱藩という言葉はなかったので、逐電、欠け落ちとか言っていた
主君を捨てるんだから立派な犯罪だった 無役であってもいざというときは即、馳せ参じなければならないのだから、勝手に他所へ行ってしまってはダメ 君、君たらされば、臣、臣足らず
欧州の騎士と君主の関係はこんな感じだった また、戦国時代は日本もこうだったが天下泰平となるとそれじゃ何かとまずいので君、君足らずとも臣、臣足らずべからずに切り替わる でも問題有る大名は重臣と幕府が協議した上で押し込めて隠居させるとかもあった。 取り潰しでさえ抵抗した大名家はないという
幕府の指示で、藩主押し込めで代替わりで本領安堵なら家臣一同否応はないだろう
伊達騒動など、家臣たちの若殿の身限りがめっちゃいい
もはや殿様など幾らでも換えが効く状態 >>925
幕藩システムが属人性の排除に成功していたと云うことだろう。
日本人は却って認識が薄いのだが、同時代の世界スケールで見てこれだけ「システムで統治する」ことを実現した体制は珍しい。 絶対王制時代のフランス王権が貴族の相続をどれだけコントロールしているかというと幕藩体制ほどのキチキチ感はないか
神聖ローマ帝国やロシア帝国はさらにフリーダムか
清朝なんかはどうだったんだろうね >>923
>君、君たらされば、臣、臣足らず
欧州の騎士と君主の関係はこんな感じだった また、戦国時代は日本もこうだったが
少なくとも、鎌倉武士ぐらいまではこれが普遍的、以後は人や立場によって様々かと
>天下泰平となるとそれじゃ何かとまずいので君、君足らずとも臣、臣足らずべからずに切り替わる
南北朝時代になると、現実には実行困難ながらも、武士とはかくあるべき、的な美意識、規範意識が一部に見られるようになっていると思う
その手本として楠木正成の物語が好まれたのだろう
逆に、その規範を強調するために、太平記では後醍醐帝を暗君として実態より悪い君主に描いていると思う >>924
室町時代でさえ、多少は行われてるね、特に六代義教のころに。
義教が最後に問題視し、それで大名重臣に押し込められた畠山持国は、それから2ヶ月ほどしか経たない時期に義教が死んだので、チャンスとばかりに挙兵して、自分を陥れた重臣を殺してるね >>925
秀次事件のときに押し込め誓約していたからな
茂庭は減封するなら一戦交えると幕閣を恫喝したし、伊達安芸は自領争いで幕府に直訴したし
>>928
単に現代日本と同じで雇用の流動性がなくなったからだろうね
鎌倉武士はすぐに粛清されたが、楠木正儀は北朝に寝返り、南朝に出戻りと転々とできた それどころか戦国期には「半手」という大名権力体公認の両属制度さえあった。
それも一つの良い例として、小規模政治単位は大規模政治単位の奴隷ではなかった。
むしろ前者が生存の為に後者を選別していた。
後者は前者の意を迎えようとして様々な施策を打った。
この列島の地理水文や気候風土にはそういう社会の方が遥かによく適応している。
明治以後の極端な中央集権=小規模政治単位が大規模政治単位の奴隷となるシステムは極めて不健全かつ危険なものと云える。
>>933
侍も下位の者が上位を選んでいたというのが実態。
>小規模政治単位が大規模政治単位の奴隷
中選挙区制は正しく民意が反映されない!俺たちが駄目なんじゃない!!制度の問題だ!!!
↓
小選挙区制では正しく民意が反映されない!数字を都合よく自分たちにだけ有用に解釈すれば自民党より得票が多い我々に政治の実権を!!! お城の殿様は温泉には興味なかったんですか?
温泉地に城を構え城内に温泉を引いて士気を高めたり炊事に使うという事はなかったのかな 現代人というのは風呂中毒だな
毎日入ったりするんだもの
刀鍛冶に鉄を鍛えさせて温泉給湯用の鉄管でもつくらせとけ >>939
どんな名匠が鍛えた所で、鉄は所詮鉄。
戦国時代にステンレス鋼もNi基やCo基の耐蝕合金も無い。
温泉は酸も硫黄も塩素も塩基もたっぷり。
アッと云う間に鉄管は腐って破ける。
無駄。 長宗我部元親は織田信長に砂糖1.8tを献上したとのことですが、元親はどうやってその砂糖を手に入れたのでしょうか?
四国で竹糖から砂糖が作られるようになったのは江戸時代になってからのようですが。 >>938
武田信玄の下部や羽柴秀吉の有馬と云う例があるんだから無関心ってこたぁねえだろう。
>>940に書いたような技術的限界の他、一元直轄統治を確立し切れていない大名だと源泉から城までの広域工事ができないという問題もある。
工事後も維持管理の人員や費用が嵩む。
利権の按分も領内紛争の種を増やす。
利害の天秤には乗らねえんじゃねえか。
>一元直轄統治を確立し切れていない大名
言いたいことは分かるけど、“一円知行”とかの正しい歴史用語を使わないと
高校生が普段使わない難しい言葉を背伸びして使ってる感が拭えない件w >>943
好みの問題だよ。
本職の学者ならともかく、素人が当時の用語を振り回すのは好きじゃねえんだ。
内容を把握した上で現代の言葉に置換する。
俺は極力そうしてる。
そもそも、酸化してつくられてくらる鉄イオンは酸化反応を触媒する性質があるから、加速度的に酸化しちゃう >>942
有馬まで出かけてゆくのと、城の中に温泉施設を持つのとは全然違うだろ
城に温泉をなどという発想が現代人そのものだ
城にシャワートイレが欲しいなんてことも言いだすんじゃねーか >>944
いやまぁ微笑ましいし夏休みだなぁと季節を感じられるのはいいんだけど
肩の力を抜けよw
>内容を把握した上で
そもそも把握してねぃし…
温泉地に城を構えという前提なのに、一円知行だの利権の配分だの
回答が脳内暴走していて現代の感覚で答えてることに気づいてね 温泉がいいからとにかく温泉地に築城なんてやめとけ
築城にあたっては他に考えなきゃならんことだらけだろ >>950
ローマ帝国が衰退するとともに蛮族により大浴場は破壊され、人類は頻繁な入浴とは無縁となった
イギリスでは紀元400年頃から1900年に至るまで熱い風呂は珍しい存在だった イギリスはローマ帝国領だったが、日本はそうではないから昔っからずっと風呂を沸かすのは大変だった
殿様でも湯舟にざんぶりと浸かることはなく、蒸し風呂で汗を出した後は湯帷子の上からかかり湯をするだけだった
湯をかける役目の女に欲情して産ませた子が徳川八代将軍吉宗になったりしたとかなんとか 温泉のことを知ったあとでも殿様たちは
炊事の際、相変わらずかまどでお湯を沸かしたり飯を炊いていたのですか? 温泉の湯はいろんなものが溶け込んでるので米を炊くには向かないだろ 井戸水と温泉水は違うからな、温泉水は飲食に向かないものも多いんだよ お湯は城内や外の洗浄にも使えそうですねえ
沸かしてたらやらんわな お湯じゃない
運んできたのは冷めて水になってるって言ってるじゃないか 温泉水を城に運ぶというのは熱海から将軍家江戸城へという記事をみるくらい
全国でそんなことが行われてたわけではないだろ >>956
違わないだろ。温泉水は井戸水です
井戸水で飲食に向かないものを温泉水と分類されることでもない 志村けんが演じた「バカ殿様」ってどういうお殿様のことだったの?
戦国時代の大名のことか、江戸時代の藩主のことか、あるいはまた違うものか? >>962
温泉水は、火山由来の様々な物質、金属イオンとか硫黄とかが溶け込んでることが多い
井戸でも溶け込んでることはあるが、そういうとこでは井戸を掘らんのが普通なので(使い物にならないから)、一般的には、井戸水と温泉水は違う ま、現実の殿様とは別モンのお笑いキャラだからな
髷は公家風だし、現実離れしている高貴なお人にアホらしさを加味したんじゃねーの とゆーか、カッコはカネも地位もありそうだが、中身はもーまったく下卑ているという落差かな >>964
地下水の湧水をどう呼ぶかであって、違わない
ペットボトル水が鉱泉水か水道水かの違い。水道水をペットボトルに普通入れないが入れて販売している国もあります >温泉水は飲食に向かないものも多いんだよ
昔の温泉宿で食べる豆腐は時々びっくりするくらい臭くて不味いのがあった。
それはそれで旅の思い出だったけど、今のようにSNSが普及すると飯の不味い宿と書き込まれたくないのか
近年では温泉宿特有の臭い豆腐をだす宿は皆無になったな。
飯の不味い国ってのは大概ミネラル分が多く含まれている硬水のせい。
子供のころから口にしている地元民と、水が合わない余所者。その違い。
ちなみに、水道水をそのまま飲める国ってのは世界では少数派。
昔のハリウッド映画で、南米に派遣された米人が「水道水が飲めないのならどうやって歯を磨くのか」との問いに
「ミネラルウォーターを買って使え」と助言されるシーンがあったな。 雨水が地中に染み込んで地下水となりそれが地熱で温められた温泉もあれば、マグマが分化して最終的に熱水となって地表に噴出する温泉もある それがミックスしたものもある
一口に温泉といっても起源はいろいろ 北海道の地熱開発での事故は熱水起源に近いものだろう 熱水は鉱床を作るくらいさまざまな元素を含んでいる 場所・経路による分類:井戸水、地下水、湧水、ペットボトル水、水道水、雨水
温度・成分による分類:お湯、温泉水、鉱泉水、硬水、ミネラルウォーター、熱水 >>960
お湯じゃなきゃ意味ねーべ
冷めてたら殿様もお怒りだぞ >>963
史実に即した人物像の再現でリアルと思いますよ 江戸とか赤穂とか上水道があったけど、そういうのがないところは井戸水に頼るしかねぇべ
昭和の時代でも田舎は井戸に頼ってた >>975
井戸からの運び方はどうするの?城って広いけど 江戸の水道も末端は井戸のようになったところから汲み上げるから、結局桶や甕の世話になる >>974
城内に井戸がないとかいう、どうやって籠城するつもりなのか問い詰めたくなる城も実在していた 温泉が湧くところを優先で築城したりすると、井戸水に困ることになるぞ
近ごろ、大分県下で温泉施設ができたが、温泉はあるが水源に困ってなかなかオープンできなかった >>974
貯水池作って雨水貯める形式もよくある
特に戦国期の山城に多い
山城で地下水掘りあてるのは苦難
江戸期の平城はたいてい城の掘に
川の水引き入れてるからな 貝塚というのは古代人の叡智が詰まっているのでなく、ただのゴミ捨て場なんですか?
何でわざわざこんなところに大量の貝をと思うのですが 足に刺さって痛いからなるべく同じ場所に捨ててるとか? >>984
集まってくる鳥や獣を捕まえてたんだと思うよ。
簡易猟場。 >>984
保存食用に加工する作業場があったのでしょう、その脇にごみ捨て場があり、そこが後に貝塚となったのだと思います
農業が発達する前の時代には、冬季の食料の多くが保存食だったはずなので(採取できる量が少なくなるため)、秋までにたくさんの保存食を作らないと飢えてしまいます
保存食を作る加工場所がないと冬を越えられなかったのだから、そこで多量のごみが出る必然性があります
そういったごみ捨て場のうちでも、貝殻が多い場所は骨や遺物が残存しやすいので、ほかの遺跡では失われるようなデリケートな遺物が少量ながら残るのです 卑弥呼の時代にもあるとすれば雨乞いの儀式に関係しているとみた
条件次第で電気を帯びるやもしれぬ >>988
日本の土壌は酸性土が多いので、遺物の多くが短期間でなくなってしまうんだけど、貝殻が多く溜まってる場所では腐りにくくて残りやすい
同様な種類のゴミ捨て場は多く存在したんだろうけど、貝塚以外は発見しにくいんだよね
でも今ではいろいろ見つかってるはず
トイレあとの発掘すらできてるわけだし。 中古品は後世に遺物として遺るかも知れない
メルカリ性として 「斎藤道三」(さいとうどうさん)と言えば、戦国時代に美濃国(現在の岐阜県南部)を乗っ取った、成り上がり武将として有名です。権謀術数(けんぼうじゅっすう:他人を巧みに欺く策略)に長け、親の腹を食い破って生まれるとの迷信がある「マムシ」のようだと恐れられましたが、皮肉にも息子「斎藤義龍」(さいとうよしたつ)と対立し、討死します。 「斎藤道三」(さいとうどうさん)の出自については、実はよく分かっていませ 父は「長井新左衛門尉」(ながいしんざえもんのじょう)、別名「松波庄五郎」(まつなみしょうごろう)とされています。 この父である長井新左衛門尉に関しても不明な点が多く、もとは武士でありながら、事情があって浪人となったということです。 斎藤道三は、11歳で京都の「妙覚寺」(京都府京都市上京区)へ入り、「法蓮房」(ほうれんぼう)の名を受け、僧侶となります。 このスレッドは1000を超えました。
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