大名家 総合スレ ★2
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スレタイの通り、大名家の話題スレ
便宜上「大名家」にしたけど江戸時代に限定せず
鎌倉時代の御家人から室町時代の守護大名
戦国時代の戦国大名、江戸時代の近世大名
明治維新後の大名華族の話題まで何でも結構
特定の大名家スレではなく、領主や大名家関連の総合スレということでスタート
※前スレ
大名家 総合スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1670510136/ そういう行事も大変そうだよね
相馬中村の野馬追はたしかにスゲーかっこいいから残してほしい 松平氏って派生氏族とかないのかな?
別の名字名乗らせて分家させた家系
十八松平みたいにそのまま名字名乗らせ続けた例って室町から戦国では結構珍しい気がする 個人的に一番興味のある大名家は西尾家です
それがどうしたって感じですが取り敢えず書いてみました
マイナーなところに惹かれます 揖斐西尾は道三から渡りにわたって最後は家康ですね、機を見るに敏というか惜しむらくは旗本での存続ですが
一方横須賀の方は吉良氏の系統で伊賀越にも携わった家でしたっけ、こっちは大名家として存続
個人的には麻生藩の新庄家ですね、西軍方からの大名復帰、江戸期にも改易されたが何故か再興ゆるされた珍しい家 大名華族は石高大きいほどそれに比例して資産も多かった? 秩禄処分で公債の基準が石高比例で、一方でかいなりに出ていた支出は藩政を見る必要がないから減少 結果石高が大きいほど有利になったんでは それまでの負債も払わないで良いし 賞典禄を貰えた家は更に多い。
最高は薩長の10万石。 >>958
その中でやはり数万石程度では資産家とは言えずやはり大藩レベルの家禄持ちじゃなければという話よね
中には上記意外の理由で数万石レベルでもそうなった家はごく少数はあった
加賀八家の横山家とか(鉱山運営)岩国の吉川家とか 石高(実高)が爵位にも影響するし
小藩は何かと不遇だな 狭山の北条氏からは後に装花4代会長浩が出ているぞ、嫡流だが家は継いでは居ない様子だがその縁で一族は学会員 『対馬の亡霊/ゴーストオブツシマ第4話 難易度万死(即死)』
ttps://linkslogger.com/2vc3rc >>962
じゃあ地元や東京にある菩提寺とは縁が切れちゃってるのか? 広尾の祥雲寺に広大な敷地があったようだが今では2代目の墓しかなくて他は青山墓地に移転とか
あとは旧領、今の富田林にある龍雲寺にもあるが共に日蓮系じゃないね 日蓮に帰依して身延の所領を寄進した波木井実長の子孫の八戸南部家(男爵家)36代当主は身延で出家して日蓮宗の僧侶になったとか 鎌倉北条氏と直接関係ないにせよ、よりによって北条を名乗る大名家の末裔が日蓮系教団の幹部とは因果だね >>961
小藩の大名華族は早々に経済的に困窮したしね。
華族は何かと出費を強いられるし士族の方がかえって良いかもしれない。 一関田村家なんてほとんど庶民みたいな生活レベルだったらしいしね 小藩で経済困窮なら公家華族はどうすんだってはなしだよな。
最下層で30石程度だろ? 公家華族は最初から困窮してる
あまりに貧乏なので救済のため明治天皇が自ら金を出したほど(それでも1番やばかったのは奈良華族)
だから裕福な大名家や実業家に娘を嫁がせたり嫁をもらったりする公家華族が続出した 岩倉家は当主の散財で経済的に破綻したけど
その息子が富豪華族の藤堂家から妻を迎えて復活 蜂須賀 紀州も戦前は裕福だった。
戦後のどさくさで凋落したけど・・・・ 今でも裕福なのは島津 尾張 水戸 前田 毛利 立花 細川あたりか? 元総理。俺の先祖の城に入るのに何故金を払わねばならないのか、と
TVカメラの前でプリプリと怒ってたけど、小金貯めてそうだなぁとか、今までは顔パスで入ってたんだろうなぁ
とか思った。 岡部長職・長景の子孫って没落したの?
戦前まではなかなかの名家だったよね。 >>979
大名家ではなくて一家一門扱いの藩士の家系だから >>976
その二つは当主の浪費で戦前のうちに没落してる。 >>975
>>977
鍋島家も戦前、前田家と並ぶ富豪華族
戦後もそのままに非公開になるまで長者番付の常連だった
目立たないが中々やり手 渋谷区の松涛は高級住宅街であの一体は元は紀州家だったのを鍋島家が譲り受けて色々開発された地区
鍋島松涛公園なんてのもある
13代目はアマゴルファーとしても有名、車好きで彼の自らのデザインで手掛けた仏製イスパノ・スイザK6は長らく佐賀県が保有
今はトヨタ博物館に寄贈されとる、14代目もゴルフ好きで元日本ゴルフ協会常任理事 佐賀は内分知し過ぎてね、身内だったり旧龍造寺系だったりと色々
大藩言われるが本家の内実なんてほぼ中堅大名家とかわりはなかったとか
鍋島閑叟の時代にやっとこ名実ともにという風 万石陪臣とか明治30年ころに士族から華族に揃って昇格しているけど30年近く平民同様の生活していていきなり華族なったん?
それともある程度の資産、維持できてたの? 族籍が士族ってだけで普通に豊かな暮らししてたって事でしょ。それまでの家産もあるし、石高に応じた一時金も出たんだから。
華族の体面も保てないと嘆願した数十石取りの平堂上とは違うよね。 それほど豊かではなかった模様というかある程度の保証や平民に比べりゃいい思いはあったろうが基本は
武士時代の生活とほどんど違いはなかった様子
故に官立学校にはその中で困窮した士族らがあつまってという具合、給費制があったから 公爵は華族最高位として最低資産10万円が保証されていた
侯爵はそういうのはなし
貴族院の公侯爵議員は無給なので稼ぎにはならないので侯爵は地味にそんな立場
まあ侯爵の大名華族はみんな裕福なのでそれでもよかったが 藤堂家が手放した秀吉の黄金の茶道具
尾張家とか他の大名家が買い取れば良いのに 金の値段だけで1億円相当となり落札価格は3億円辺りと予想されている
文化庁が買取のアップを始める?
2019年の国の重要文化財・国宝の買取予算は9億5千6百万円 藤堂家って凄いな
戦前から富豪華族として知られてたけど未だ秀吉の黄金の茶器を所有していたとは このスレッドは1000を超えました。
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