写真を残して欲しかった幕末の人物
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ベタだが西郷隆盛と沖田総司と吉田松陰
というか有名どころで写真撮ってない・残ってない人全員 西郷はキヨソネ画とは全然似てないらしいしね
目は寧ろ細かった もうすぐ暴露される、世界一の悪人集団である京都の知恩院の秘密!!
あらゆる陰謀で小沢一郎を攻撃しているのも知恩院だ!!
暴露まで秒読み態勢に入っている!!!!!!!!!!!
人体チップ埋め込み推進者もこいつらだ!!
でもこれは大した秘密じゃない。
世界最大の秘密はもうすぐ暴かれる!!
大村益次郎のデコが本当にあんなにでかかったのか知りたい 本寿院とか実成院とかも明治まで生きたんだから、写真残ってないもんかなー
将軍生母だぜー見てみたいもんだ 壬生浪士組13人勢揃いの集合写真があったらおもしろかったのにな
美男子だったという原田左之助あたりが今より歴女人気が高かったかもしれん 美貌すぎたため水戸斉昭に手籠めにされてしまった唐橋(23歳) いぞう だな
その剣は実戦では同時代ではナンバーワン
斎藤や沖田でも全く歯が立たない人斬りだった 沖田かな
>>20
ダンダラ羽織の姿ならあるじゃん >>21
>ダンダラ羽織の姿ならあるじゃん
あれは合成じゃん >>13
家茂の写真は一応あったらしいと本で読んだ
何かの手違いでなくなったとかなんとか書いてあった記憶が >>25
確か墓を調査した際に、あったって話だよね。
で、次の日になったら消えてしまったとか。 >>27
和宮の墓調査したときに遺体が持ってた写真が家茂じゃないかと
言われてるけど、実物は空気に触れたせいか翌日には消えてしまったので
今となっては誰の写真だったのか不明って話だったと思う 鷹司政通。
「容貌魁偉」だぜ。
あと10年遅かったらもうちょっと活躍してただろうし。 >>28
もったいないよね
写真の写真を撮っておくべきだったw >>28消えた原版が保存されてれば今の技術なら再現可能と思うが・・・酸化して見えなくなっただけだろ? お元、引田屋の女将、お龍の妹、岡田以蔵の彼女、近藤長次郎の妻、近藤勇夫人 >>43
近藤勇夫人・ツネ
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/tune.html 一橋家はゴサンキョウ、オサンケではありません。
ケチ吝嗇将軍吉宗がつくった将軍家部屋住つまり将軍予備家系。
要はオサンケでは足りんつうことで、血筋からゴサンキョウ(御三卿)とし
将軍予備軍を殖やしたワケだ。
各藩の殿様だって「部屋住」つう自分の替わりの血族を子飼いにしてたんだから尤もだろ。
徳川将軍は全部遺骨残ってるんじゃないの?頭蓋骨あれば顔面再現できるよな。 家茂の頭蓋骨はこの前テレビで見たけど本当に虫歯だらけだったな 西郷さんと松陰先生かな
西郷さんの銅像は、親戚、家族が実物とは全然似ていないと言っている
くらいだから 将軍家茂が上洛した際に高杉晋作が、
「いよっ、征夷大将軍!」と茶化す場面の動画をアップして欲しい 吉田松陰
松陰によく似ていると言われていたという弟の写真をウィキかどこかで見た事があるが、
目の細さとか、松陰の肖像画にそっくりだった >>48
あの銅像は高村光雲のイメージ選考で作成されたらしく、
考証的なものはいい加減らしい。実際の西郷はあんな着流し姿で
出歩事はしなかったそうだ。
ルックスは弟の西郷従道や親類の大山巌、残されてる肖像画から
顔の類型的なモノは想像できるので自分は写真なくてもいいw 弟でも全然似てない事例も沢山あるのに
従兄弟まで参考にするとはアホとしかいいようがないな 写真がある時代に、写真撮影をせず、自画像が残ってるのは
白虎隊の士中二番隊の一部の隊員。個人名まで明記されてるが
一体何を見て書かれたのやら(笑) >>6
本のタイトルは忘れたけど、昭和40年代〜50年代頃に発行された本だったか。
その本には確かに芹沢鴨の写真が載ってた。
いかにもケンカ強そうな面構えと腰に差してる刀がゴツかったのをおぼえてる。
あの写真はその時目にして以来他では一切見ないな。 13代将軍家定の最初の正室、鷹司任子。
発掘調査で遺骨を鑑定したら、現代的な顔立ちの美人だったらしい。
時代的に写真撮影は不可能だけど(本人は夭逝)
どんな顔してたのか…。
継室は体が極端に小さかったらしいから、そっちも気になるな。
その次の篤姫は写真残ってるからいいです。
スレチだけど、発掘調査の報告書に家茂の陰毛の写真が載っていた。
専門家はスゴいわ…と思ったけど、恥ずかしい部分を公にされて家茂公もおちおち眠れないね。
ちょっと同情してしまった 手塚治虫の陽だまりの樹に表紙で出てる謎の侍は もう身わかったん? >>64をからかってる訳じゃないけど、芹沢鴨の写真って本当にあったのかな…
記録とか残ってないんだろうか 伏見宮則子女王(徳川則子)
夫は大したことがないのに娘は理知的な美女なので 西郷隆盛 写真嫌いで有名 写真がアリとしたなら それはスリカエ
のはず 上野の隆盛の銅像をみた彼の妻はチットモ似てわ せんのう
と言った >>64
他で一切で無いというのは、そういうことだ。 >>28
俺が聞いたのは、写真は有栖川宮だったので消えたということにしたというもの。
これの方が哀しい秘話だが、脚色されたのかな? >>48・72
上野の西郷さんの銅像に関しては糸子夫人が「全然似ておらん」と言ったのは有名だが
キヨッソーネの肖像画に関しては西郷と親交が深かった人が当時大勢いたのに
「似ていない」と言った人はいないから、そんなに違わなかったんだろ。
>>74
増上寺の和宮の墓の発掘は戦後の話だから、有栖川家は既に断絶しているし
天皇家に対して不敬罪もないから、それはない。 篤姫が可愛がっていた「サト姫」。
当時のねこってどんな体つきだったのかな?
人物じゃなくてスマン。 いぞうの写真本で見たけどあれは嘘もんだったのか?
体はがっしりしてて顔はのっぺりした感じの 「いぞう」って岡田か?
写真が残ってるのはたしか「井蔵」。
龍馬がらみで刑死したのは「以蔵」。
処刑された方は写真ないらしいね。 武市の写真らしきもの、見たことあるけど…
タイトルは忘れたけど人物事典だった。
肖像画にしては妙にリアルだし、てっきり写真と思い込んでた。
>>82
ありがとう、何かそんな感じだった(子供の時に見たきりなんで)
もう少し長生きしてたらなあ… >>82
リアルそうでいてやっぱりデフォルメのある絵だと思う。
そんなに瞳の大きい人がいたら実際には変だろう。 鹿児島で陶芸家やってる西郷隆盛のご子孫をテレビで見たけど、西郷さんの肖像画に似ていたよ。 肖像画にデフォルメがあったりウソの部分があったりしても
雰囲気はけっこう写してるということはままある 孝明帝。
肖像画は見たけど(モノクロで目鼻立ちもクッキリしてる)、泉涌寺にあるのとあまりにも違ってて「別人?」と思った。
大の外国嫌いだったそうだから「写真?けしからん!!」と断固拒否しただろうが。 日本に写真が伝わったのは
1841年にオランダから島津斉興に献上され、上野敏之丞が島津斉彬を撮影したのが最初なのか
1853年の黒船来航時に持ち込まれたのか
どっちなんでしょうか 河上彦斎もないな。るろ剣の某人斬りのイメージしかねえ(笑) 慶喜、島津、山内、伊達、春嶽が会議の記念にとった写真ってどこかで見れる? >>96
死後ならまだしも生きてる間に面が割れること出来んでしょ、やる事が事だけに。
近藤の写真は残ってるけど、切腹や討死の覚悟はあっただろうけど罪人として斬首…とは撮影当時は考えてもなかっただろうね
規律が厳しすぎたのも崩壊の一因だけど、緩やかだった頃に集合写真みたいなのを撮っていたならぜひ見たい。 新人物往来社刊の新選組の本で、明治時代には未だ残っていた浅黄色の羽織
を子供たちが着ながらチャンバラごっこをしているうちにボロボロになって
しまい、処分してしまったと言う事が書かれてあった。
沖田総司の写真もあったらしいが、空襲の折、散逸してしまったともあったが、
こっちの方はあまり信用できない。 幕末の撮影現像の料金っていくら位だったんだろ?
結構高額になると思うんだが。そう考えるとさして身分の高くない
クラスまで写真として残ってるってのは、写真撮影が当時かなり
流行ったんだろうな。ステータスシンボルだったのかな? 龍馬があれだけ写真撮ってるのは…趣味の域を超えてるよな 写真は普及し始めた幕末・明治の頃のが一番そそるなあ
人物に限らず建物とかの風景も 尾張より島津斉彬の方が俺としては神。
不鮮明だけど本人の写真もあるし、城や娘たちも撮影してるし。長生きしてほしかったよ…
写真嫌いの西郷も、主君に要求されたら断りきれず撮られていたかもなあ 芹沢鴨の写真だけど、「激録 新選組」と言う絶版本に『これが芹沢鴨か?』と
題した写真が掲載されている。如何にも豪然たる雰囲気で太刀を持ち、立って写っているが、
専門家が何も言わない所を見ると、どうも別人物らしいね。 八木源之丞の息子さんによると
芹沢は色白ででっぷりしてて目が小さかったとの事 "たばこ大増税&出荷停止。
でも個人輸入すれば大丈夫。日本語の輸入代行も多数。
「タバコ 輸入代行」とかで検索するとあるある、、、
送料込みで1箱90円とかの激安サイトもある。"
>>110
僕もその話は読みました。だけどそれが本当としたら、本に掲載されている
写真はやはり芹沢ではないようです。モノクロだから肌の色までは不明ですが、
目がギラリとして、かなり大柄の武士なんです。
他にも3人の武士が無造作に立っている写真があって、これにも、
『屯所での隊士達』と付いています。確かに目つきはあまり良い感じではなく、
不穏な雰囲気さえ醸し出しているのですが、これも結局誰だか不明のままです。
恐らく新選組隊士ではないでしょう。 >>113
大分前に出版された本だから、著作権侵害とか言われないだろうから
写真を公開して見て貰いたい。
でも、俺には周辺機器が何もないからアップ出来ないんだ。御免。 >>114
その写真見たいけど、個人所有ならちょっと難しいかも。
写真に限らず、史料は大学や研究機関に管理してほしい。個人だと限界があるよ(修復技術も備えている人って限られるし)
横浜の開港記念館(資料館?)行きてぇ… >>114
出来る事ならば俺もみんなに見て貰って色々評論して欲しかった。
だけどこの「激録 新選組」には1つ致命的な疑問点がある。
作者は原康雄、彼は今までプロセス記事専門に書いて来た新聞記者と言う事。
そしてこの本の出版社は東京スポーツ新聞社。プロセス専門の新聞社が突然
新選組の本を出した。 >>116
御免。プロセスじゃなくてプロレスだった。タイプミスをしてしまった。 >>118
因みにこの原康雄は同じ東京スポーツ新聞社から「激録 太平洋戦争」と言う
全20巻くらいの長編を出版している。 大楽源太郎は攘夷家だったからね。しかも、伊藤や山県や井上みたいに維新後
変節した連中と違って最期まで攘夷思想を貫いた人物。
そんな人間が外国から来た写真なんて撮影するとは思えないなぁ。 >>127
不遜ながら、島津家から香淳皇后で入る皇室のお顔(黒田清子さんとか)
はこの人によってからだろうなと思う。 島津斉彬・近衛文麿・細川護熙 (非お由羅の方系)の、なんとなく肉厚な目の大きい顔と、
島津久光・島津忠義・香淳皇后 (お由羅の方系)の、目が線のような顔を比較してみれば、
なんとなくお由羅の方の風貌は想像できる。 幕末頃の写真撮影の値段はいくらだったのかな。現在の貨幣価値で。 まったく根拠なしだが、たぶん数万くらいじゃないかな。
肖像画を残せないレベルの人まで写真残ってることからして、肖像画
よか安かったことが分かる。 まったくのガセネタらしいけど、例のフルベッキ写真は夢があるというかそそられるものがあるなあ
まさに幕末維新のオールスター大集合写真
特に西郷隆盛とされてる塾生は西郷らしい?良い雰囲気醸し出してるw
あの塾生が写ってなければフルベッキ写真騒動も無かっただろうな
勝海舟とか陸奥宗光はどう見ても別人だが、例外的に本物が写ってるらしい大隈重信は耳以外はソックリで面白い 永倉新八、原田左之助の新撰組全盛期の頃の写真があればなあ 井伊直弼・安藤信正・堀田正睦・世良修蔵・和宮・阿部正弘・川路聖模・有村次左衛門・藤田東湖・安藤広重・二宮尊徳・千葉周作・鳥居耀蔵・河上彦斎・相楽総三 唐人お吉・橋本左内・吉田松蔭・田中新兵衛・久坂玄瑞・西郷隆盛・孝明天皇・徳川斉昭・武田耕雲斎・赤根武人 小栗と大村のおデコは人間離れしてるな
北斗神拳喰らった後みたいだ
脳みその量がハンパじゃないんだろうな >>137
フルベッキ写真騒動の火付け役は、大の西郷隆盛マニアの人だったらしい。 >>143
誰が火付け役?
提唱して各所で訴えて回った島田氏は、大隈重信を発見したという主張でしたが。 その島田氏が火付け役でしょう
氏は西郷好きだというのは俺も聞いたことがあるよ
大隈は写っていても不思議ではないものね 西郷の写真なんか、どこかには写ってるんだろうけど、
あの絵と似てないんじゃ、これだと主張されても認められないだろうな。
しょぼい小太りの男なんだろうけど。 こいつ何も成し遂げてないよな
過大評価されすぎ、学問のすすめも国策の売り出し
言ってる事とやってる事が全然違う、屑の中の屑
こいつが一万円である事が恥ずかしい・・・ >>146
写真嫌いの西郷が、わざわざ写真館へ行くとは思えない
また、あの当時の湿板写真じゃ感度も低いし、写真機自体が
でかくて、とても隠し撮りなんかできない
だからやっぱり西郷写真は、ないんじゃないの 一般のおなご様たち。
裸体写真は結構あるらしいな、当時から。 無名の若い女性たちのヌードでしょう。
これしか要りませぬ。 幕末はしょうがないとして
明治大正昭和初期のカラー写真、カラー映像があればなぁ 後付けのじゃなくて
NHKの特番によると一番古いカラー映像が昭和7年だったかな フル勃起の写真は大嘘でしょw どこかの藩の記念写真だろ。
勝海舟、黒田清隆、五代友厚といった目鼻立ちくっきりした人物が、この写真だと典型的なモンゴロイド顔w
てか、明治天皇が侍装束して一緒に映ってるなんてありえねーw >>155
明治期の好事家が撮影させた芸者のヌード写真なら見たことがある
チビ(150センチ未満)のくせに顔がでかく、おそろしく胴長
あまりに不恰好な体型に、まったく萌えなかった
多分、幕末も同じような感じでは・・・?
田布施という町の、これはまあハッキリ申しますが朝鮮部落です。
なぜこれ朝鮮部落かと言いますと、その歴史的に言いますと、
山口県は長州藩になるまでに大内藩だったわけです、守護大名大内家がずっと支配してました。
大内家は完全な、本人達も言ってますが朝鮮人です。
で大内家の家臣が、毛利が侵入してきて負けたために散っていくわけです。
で彼らがちりじりになってほとんどが部落民にさせられるわけです。
その明治天皇を隠し撮りした写真を東大の資料館で飾っていました、大男です。
今の相撲取りでいったらどうでしょうか、百何十キロの大男です、これが明治天皇の姿なんです。
私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには、
日本の暗い部分に目をつけるべきではないか、それを直視しないからいつまでたっても日本人は、
今もそうですけどアメリカ人に利用されてるじゃないかと。
で僕達はそういうことをもう全部知ろうじゃないかと。
知った上で堂々と外国の勢力に立ち向かっていく時が来たんじゃないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=qZve5N-_doI 沖田総司
天草四郎
沖田の似顔絵と天草の似顔絵が
何となく雰囲気似てるから気になる フルベッキ写真は現在の日本そのものです。写真に写っている者はほとんど洗礼を受けています。家畜の皆サマには偽物と見えるらしい 新選組主要メンバーの集合写真かな。
もちろんダンダラ羽織で。 新撰組人気ですね。僕も大好きです。
個人的に見てみたいのは、斉藤一の妻、高木時尾の写真ですね。 http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%20saigou.htm 将軍ならもっと沢山写真残して欲しかったよな。
家慶の存命中はもう写真あった? 明治維新の直前(1866年)まで生きてた、最後から二番目の将軍・徳川家茂の写真が一枚もないのは残念
幕末の重要人物なのに、顔のイメージが湧かない 肖像画は訳のワカラン顔に描かれてるもんな。本人も怒れよな、あんな顔に描かれたらw 明治時代にも写真修整があった!
https://www.youtube.com/watch?v=-8wlDw_5aCU
【顔研究】古い白黒写真の人はやけに美形が多いと思っていましたが写真修正が盛んだったと知って納得しました。
西洋顔に近づけるように彫りを深く、鼻を高くしたり。夏目漱石はコンプレックスのあばたをすべて美肌に修正させたそうです。
293 : 日本@名無史さん[] 投稿日:2008/12/26(金) 23:30:26
西郷写真とよばれるものは何枚かあるけど、確証的なものがないってこと。
上野彦馬が新聞記者との対談で証言したのはまじ。
明治35年 東洋日の出新聞 日本写真の起源で西郷を撮影したって言ってる。
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太田黒伴雄 >>108その点では西郷は問題あるよな。だから明治天皇から慕われたけど、徳川慶喜に嫌われて殺されるわけだ。>>104が指摘した龍馬とは対照的。
>>12本寿院は遺骨が発掘され140センチ前後。>>65継室の遺骨も発掘され135センチほどだそうです。
>>158たぶんそうだけど、存命の人物だとキンタローをおもいだせばいい。 上野の西郷像に関しては、勝海舟が氷川清話か海舟余波であまり出来がよくないのう
って言ってたけど、あまりよくないって程度だから、全くかけ離れてるってことは
ないと思うよ。 >>72>>75
鹿児島の軍服を着た西郷像やキヨソネの絵では西郷の目つきが鋭いけど
上野の西郷像は目がまんまるでなんか間抜けな顔なんだよね
だからきっと実際の西郷は目つきが鋭かったんじゃないかな 「1874年3月陸軍省により撮影された8名」という事であの西郷さんも
この中に写っているそうなんです。
西郷隆盛の写真 ドイツより発見される
この他、伝記も昨年1月にオーストラリアのおばさんのところから発見されたものである。
すでに神戸の歴史学者(名誉教授)より信憑性が高い物として5月22日にラジオ関西で放送された。
ジュリアス・ヘルムが伝記として残し、書かれたもの。1874年3月東京の政府から上京するように連絡が入った。
陸軍省に招かれ、軍の重鎮がいるので記念撮影をした。
和歌山で陸軍創設の折、西郷従道とは面識があった。そこで兄(西郷隆盛)を紹介された。
前年11月に鹿児島に帰っていた隆盛は、従道が直ぐに台湾に行かなければならなくなり、弟が兄に台湾の状況を聞くために上京してもらった、と言った。
従道が立ったままでいいか聞いていた。座るとお尻が痛くなる。と言ったので皆が大笑いをした。
これは長い獄中生活で象牙病(フィラリア)風土病にかかっていたことを立証出来るものである。
下記に1874年3月陸軍省により撮影された8名を紹介する。
http://i.imgur.com/UDRJIvs.jpg
http://i.imgur.com/gRTwOU3.jpg 熊本の実家に曾祖父の写真30cm×50cmくらいなぁ、があって裏に「明治廿壱年 士族 ○○○○」って曾祖父の名前と「馬壱頭ヲ下ル」って裏に書いてあった。
表の写真面には銀粉みたいな絵の具で写真家の名前がローマ字で書いてある。
ちょっと忘れたけど、その写真家を前に調べたら西南の役で落城前の熊本城天守閣を撮った人だった。
ちなみにその天守閣の写真は今の熊本城に展示してあるとのこと。
長くなったけど、写真撮るのに馬1頭かかったんじゃね? あ、たぶん1枚でじゃないよ
かなりの枚数あったけど棺桶に入れたり細川ソバ(刑部邸そばの今の京町と思われ)から引っ越すときに、昭和の白川大水害等で無くなって今はそれと親族集合の2枚の3枚しか残ってない。
男は髷こそ結ってないが、裃、洋装問わずもれなく刀を腰に差してるよ。 別に全員で写れとは言わないけど試衛館時代の幹部達の写真は多摩に送る為に撮ってても不思議じゃないと思うけどな
特に池田屋前後では近藤辺りが言いだしそうな気も全然ある。
山南とかどんな顔だったか知りたいな 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり このあいだNHKの番組の取材で美人で有名な陸奥宗光の嫁さんの新たな写真がアメリカで見つかったんだとさ
しかもネガまで綺麗に保存してあったらしい
一応、写真スレここしかないから貼っとく
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1461064733.jpg >>103
幕末写真師の上野彦馬の代金は、写真一枚2分だった。
2分は1/2両。
米で換算してみる。
江戸時代は幕末の動乱期を除いてだいたい米1石が1両だった。
米1石=1、000合=150、000g=150kg
今、米が10kgでだいたい4、000円位だから、
150÷10×4、000=60、000円=1両
なので、2分は30、000円ぐらい。
いまでも写真館で記念写真撮ればこの位は楽にかかるわな。 >>186
この写真は西郷じゃない。
写真が取られたとされる1874年は明治7年。
軍人が全員旭日章を着用してるけど、旭日章の制定
は明治8年だから、7年にはまだ存在しない。
撮影年が明治8年または9年の間違いだとしても、
西郷は明治6年の政変で下野し、明治10年の西南
戦争勃発まで鹿児島にいた。
勲章を受取りに上京したと言えなくも無いけど、当
時の西郷は維新の元勲にして日本唯一の大将位の軍
人。
叙勲するなら勲一等旭日大綬章以外はありえない。
写真の軍人が着用しているのは勲五等か勲六等の旭
日章で勲等が低すぎる。
また、最前列の二人の袖章が不鮮明ながら写ってい
るが、大尉か少佐のようにみえる。
勲章の等級も釣合うのでそのくらいの階級だと思わ
れるが、軍人が写真を撮るときには最上級者が最前
列の中央で座るのが礼儀。
大将の西郷を後列で立たせて写すことはありえない。
海軍軍人の川村純義は明治7年には海軍中将なのに、
この写真の川村とされている人物は大尉か少佐
の陸軍軍服を着ている。
また、勲章の等級も低すぎるから別人。
山縣有朋も明治6年には陸軍大輔(後の陸軍大臣)
に就任しており、勲章等級も低すぎれば、立ち位置
もおかしい。
なんとなく似てる人達がいるのでフルベッキ写真と
同じ様に有名人の集合写真と言われたんじゃないか
な。
皆もそれぞれの人たちの明治7年ごろの年齢とか階
級とか調べてみたら、違いが分かって面白いかもよ。 青島ビールの創業者
あと、横浜の名も無き中国人通訳 >>170
和宮の遺体上に残っていた銀盤?写真の像がそれか?と言われていたが
その銀盤の所在が不明だか像そのものが消失だったかな話 るろ剣での有名な新撰組の斉藤一の写真が遂に見つかったとさ
ttp://this.kiji.is/126430887490682887?c=39550187727945729
今までスポックやフランケンみたいな怪しい写真ばっかだったからよかったねぇ 孝明天皇。。肖像画は雅調にすべく薄い顔として描いてるが、認められてる特徴が
成年の明治天皇と一致している。写真ならあからさまに示せたろうに、残念だ。替え玉説がウザイ やっぱり沖田総司だよ。
沖田総司はイケメンじゃないんだよって
世間に広めたいwwwww
イケメンじゃなくても沖田総司ファンが
真の沖田総司ファン 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
DV85M いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
V90 やっぱ、かんだかんだ西郷隆盛だろ
あと大村益次郎な
本当にあんなデカ頭だったのか見てみたかった 牧野忠雅、松平乗全、松平忠固、久世廣周、太田資始、脇坂安宅、酒井忠績、酒井忠惇 江戸後期の仙台藩主伊達慶邦の写真がサンドイッチマンの伊達みきおにそっくりでびっくりした
幕末は藩主クラスでも意外と残ってないんだよな んでもあるところにはある、会津の殿様の親父の写真があるのだからw 渋沢栄一の息子の書いた本見たら
西郷隆盛は上野の銅像そのままだって書いてたな 既に書いたかもだが例のフルベッキ写真での西郷さん?の真贋兎も角後日談的な話があって
元ネタは某局の番組での話が後に本(ムック本)となったのだけれど
明治期以降に流行った?維新志士の写真セットの中に1つだけフルベッキに写っていた人物と
思われる老齢の人の写真があって他の写真の裏には該当人物名が記載されていたのに
その人物にはなにも書かれていなかっただったか 小説家の海音寺潮五郎が鹿児島に住んでいたときに、西郷隆盛に一番よく似ていると言われた
孫を市電の中で見たと書いている。
それはそれは見事な男だった。実にいい男だったと書いているぞ。
西郷は石原慎太郎・裕次郎兄弟のような容貌だったらしい。
若い頃はスラリとしていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています