【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】
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いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
Q45 山縣が亡くなった時、葬儀への参列者は少なかったんだってね。
なんやかんや、国民は山縣の事を知っていたという事だね。 >>561
若い頃に殺されかけたのが
いい経験になったんだよ。 山縣のこと調べてもすごさや功績がいまひとつピンとこないんだが
なんでこの人が元老筆頭にまでなりえたの?
明治の国造りにおいてどのような功績があるっていうわけ?
漫画の昭和天皇物語で若き日の昭和天皇が今の日本つくったのは大久保利通、伊藤博文、山縣有朋の3人であると語ってるシーンがあるが
大久保、伊藤は判るが山縣なんで?と思ってしまうのだが…
無知な俺にわかりやすく山縣のすごさを教えて下さい >>582
組織を掌握する能力に(だけ)長じていた。 >>382
山県は伊藤と違って子分の面倒見がよく、積極的に自己の派閥を拡大していった
山県の地盤というと、陸軍 司法省 内務省 貴族院・・・とこんだけ派閥で押さえているんだから、
奴はもう「歩く大日本帝国」でさあ。
また、山県と言えば軍国主義者のイメージがあるが、本人は日露戦争にはあまり積極的ではなく。桂や寺内などと較べると外交政策は伊藤に近い。
政党は終生大嫌いだったが原敬を高く評価しており彼の首相就任には賛成した。
結構バランスのある人であり、後世の歴史家から「山県が生きていたら昭和軍閥の暴走は無かっただろう」とも言われる。 子分の面倒見がいいのはわかってたが
まあ田中角栄を何倍も大きくした実力者というイメージであってるかな?
で、それはわかったけど国造りにはどんな功績や実績があるのかわからんのよね 幕末の志士達がいた日清日露くらいは良かったけど、いなくなって昭和になってからはダメダメだよな。
第二次世界大戦の時、なんで国力差あるアメリカに戦いを挑んだんだよ。
奇跡が起こって勝てると思っていたんかよ? 元老たちのスタートは攘夷戦争なんだな。日本がコテンパンにやられた戦争。人生の出発点がそれだから
外交と軍事のバランスをうまく図ることが体に染みついている。
そういう原点も経験もない昭和の若手将校(石原や武藤など)が分不相応に我が国を指導したということがそもそも日本の不幸というほかはない。 日清日露も太平洋戦争と同じでやばい戦争だよ
運よく勝てたから良いとされてるだけで >>592
日清日露は結果的に勝てたし、単なる運だけで勝ったわけでもない。
第二次世界大戦の指導者はそもそも勝てると思ってたのかね。 >>593
勝てると思ってたよ
厳密に言うと勝てると思い込んでた
さらにもっと不思議な言葉使えば、勝てなくても決して負けはしないと思ってた
過去の日本が幾多の国難をなんとかしのいで乗り越えてきたことが変な楽観主義をうむことになった
その証拠に日本は講和をどうするか一切考えず戦争を始めてる
この点みてもそれは明らか 狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす」。
山田顯義はヨーロッパ視察後、「軍政建白書」という長大な意見書を
提出しているが、その中に次のような一節がある。
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす。
ここにおいて、国民中貴賤貧富の別なく、幼稚のときより
郷学において、普通学を教え、兼ねて銃器訓練を行はしむ」 レイテで戦死された山県栗花生 第26師団長は山県有朋の関係者ですか? 山田顕義が司法法律の道へいかんで陸軍に残ってたらどうなったろうな?
山縣の立場、ポジションが大きく変わったかな?
元老筆頭などといわれる位置には座れなかったとおもうんだが
ifを考えらるとどうおもう?
また村田新八が下野しないで政府内に残ってたらどうなったろ?
大久保死後の薩摩閥の形が全然違ったものになったんじゃないかと推測するが >>597
村田新八は首相の器だったから、自然と首相になったと思う。 何方か千代子の母である、てつの詳細を教えて下さい! >14:日本の天皇の父上である孝明天皇を殺した罪
>孝明天皇の暗さつですが、考明天皇の崩御は1866年12月25日で、
>当時の伊藤博文は長州の三田尻にいましたし、
>そもそも宮中に入れる身分ではありません。
https://hinode.8718.jp/japanese_ito_hirobumi_assassination_reason.html
これまた おなじみの珍弁明にすぎる
一部のネトウヨが引っ掛かって振り回しているやつか
孝明天皇暗さつ、明治天皇スリカエ説ってのは
長州問題なわけだが
暗殺犯疑惑の岩倉具視とも一味同心で
「宮中に入れる身分」云々とは、
伊藤本人が直接手を下したとでも思っているのだろうか?
孝明天皇暗殺をめぐる伊藤博文の悪を言い立てているのは
サヨではない連中の方が強力だが 歴史を覚える人間の身になって、
1回目2回目とか面倒くさいから 3期まで連続で総理に選出されるとか
もう少し分かりやすく就任して欲しかったな 井上が惟精という諱から馨に改めた理由とかが全く分からん 日露戦争で日本が勝てたのは
ドイツのユダヤ人がロシアに戦費をこれ以上貸さないと言ったから
戦争を継続できずに負けたことになった
カネさえあれば 戦争を継続結局は勝てた
ロシア皇帝はカネを貸さなかったユダヤ人を憎んで迫害する 樋口一葉は 下田歌子の歌塾に通って 師範代してたらしいが
下田歌子は 伊藤博文の愛人
一葉は悪名高き相場師の男に偽名で面会 借金を申し込んで
愛人になれと言われてた 先生を真似たんだろうな 明治9年の学童の就学率・・・
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809147/4
63.24% 長野県
59.09% 山梨県
50.00% 群馬県
38.31% 全国平均
37.03% 山口県
28.86% 広島県
20.11% 鹿児島県
内村鑑三「私は幸いにも、未だかつて信州人に奸物を見ない。長州人の場合は、奸物でない者は稀であることに較べて、信州人の場合は、奸物である者は稀であるようである。」
「これが、私がこの明治の偽善政府の治下にあって、望みを信州人に託す所以(ゆえん)である。」「それにもかかわらず、信州人が伊藤侯を戴き、大隈伯を仰ぐに至っては、言語道断である。私は信じて疑わない。浅間山麓は、狐狸族が繁殖すべき所ではないと。」 『おもちゃのブロック「伊藤博文 暗殺劇セット」に、日本列島激怒』
(韓国報道)
韓国内のニュースですが、少し間違っているので、韓国新聞社にメールしました。
近年日本でも、安重根義士は抗日闘争の英雄として再評価されています。
伊藤博文は、当時の虐殺侵略国家日帝から送り込まれた侵略者なので、
暗殺されても仕方がなかった、という見解が日本でも主流になってます。
例えば、宮城県の大林寺では安重根義士が祀られており、毎年大規模な法要が行われ、
韓国人同胞とチョッパリが何千人も集まります。
チョッパリですら英雄安重根義士に想いをはせ、非道な伊藤博文を憎んでます。
記事の伊藤博文暗殺劇セットですか?むしろ微笑ましいですね。
今なら日本でも売れると思いますよ。
テーハミングマンセー!イルボンチュゴラ!イルボンチュゴラ!イルボンチュゴラ!!!
そして、ウィデハンスリョン、キムイルソンドンジ、ヒョンミョンサーサン、マンセー!
心はひとつ ●青戸六丁目被害者住民一同「色川高志の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●龍神連合五代目総長・色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)の挑発
色川高志「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の色川高志の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志
色川高志の住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者である色川高志の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。
http://101.dtiblog.com/b/bodytk9690/file/kan01.jpg 色々言われるにしても日本史最強の男って山縣有朋でよくね?
日本中(公に朝敵)と世界中を敵を回し、キチってた頃からの念願である尊王攘夷をやり切り大往生
↑これやりきったのはごく少数でずっと中央にいたのが山縣
次点で桂太郎、井上馨かな 故郷の長州ですら敵w(正義派と俗論の対立、功山寺決起)
本当に日本中と世界中の敵だったw
そこから日本中の屈服させ、大陸チャンピオンのロシアに勝ち、不平等条約を解消
尊王攘夷を初志貫徹した男が山縣
他の志士たちは先にくたばるか失脚するか山縣より格下
こう考えると足利尊氏なんて朝敵くらいだろ?甘ったれてるな
山縣が日本史上最強の男でいいだろ
いや世界最強か?w 中世最高の英雄、源義経
近世、近代最高の英雄、楠木正成
現代最高の英雄、西郷隆盛
ただし日本の英雄は志半ばで散った人が偉いとされてるいるから
山縣みたいな成功者できったねえ醜い人物は偉人になれません
残念w 最晩年は事実上の失脚だったのかな? そうでもない? 井上馨の娘で藤田四郎の妻となった聞子は明治元年生まれらしいが馨が武子と結婚してるのが明治3年
となると母親は誰?
聞子は一時期磯野小右衛門の幼女になってるからこの辺関係ありそう 死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。
- 吉田松陰 - 陸軍における山縣閥は山縣死後に田中義一派と上原勇作派に分かれる
正統な長州閥は田中義一から宇垣一茂に引き継がれる
上原勇作の派閥が皇道派に繋がって行く
永田鉄山の一夕会が後の統制派として最終的に昭和陸軍を牛耳っていく お金大好き山縣有朋
女大好き伊藤博文
お金も女もどっちも大好き井上馨 >>618
山縣は金ってか権力だろ
まぁ維新早々に汚職してやがるが 権力ってかイメージだろ
年取るまで政治家やってただけ
普通
紋切り型に引っ張られすぎ
君たちみたいなのが簡単にファシズムの支持者になるんだよな 山縣有朋って超過小評価されてるよな
幕末明治の家康だろ
生前も死後も嫌わていてその曇りのせいで凄さがわからない 実績の凄さよりも語られるエピソードが一々嫌われそうだったり小物臭い内容ばっかりだからしょうがない と、山縣の千分の一くらいちっこい小者が申しております 山本権兵衛失脚にも深く関わってそうだけど、国益考えるとどうなの? 山本権兵衛失脚はどうでも良いけど、政友会潰しのために
半隠居状態の大隈担ぎ出してきたものの制御できず
対華二十一ヶ条とか要求する事態になったのは国益損ねたかもね 近年は大久保利通の復権が始まってるから
次は山縣有朋の番かもしれんぞ
俺も嫌いじゃないぞ
だれか高名な歴史小説家でも山縣有朋伝記を書いてくれないかと 松本清張とか司馬遼太郎とか
どうしても山県は批判的文章で書かれてしまうんだよな
やはり大久保利通みたいな近代史上最高の政治家みたいな扱いをされるのなら
誰かの書き直し伝記が必要 また長州関連スレを徘徊する大久保ヲタ=ID:Qaa5N88x0 山本権兵衛大将を予備役に編入した件に黒幕はいたのだろうか? >>627
大隈の前の内閣が潰されなければ、そんな事にならなかったのにな 大久保利通の復権が始まってんだよ
山県有朋はまだかよ? 西郷が最たる例だけど大久保も途中でくたばってくれたので許し始めてる
それこそ尊王攘夷思想に関係する超英雄であった楠木正成とかも敗死
敗北者・徳川慶喜も最近じゃ偉いらしい笑 (まあ良いところあるよ)
日本人は負けた人、くたばった人が偉い!と評価するの好きじゃん?
のうのうと汚く生き延びた最強の勝ち組・山縣を許せるかな?笑 徳川慶喜、井伊直弼すごーい!って再評価し出すのは日本人らしいな
慶喜とか負けてあげたんだよ!慶喜のおかげだから!くらいの勢いの奴いるからな >>636
> のうのうと汚く生き延びた最強の勝ち組・山縣を許せるかな?笑
最晩年は事実上失脚していたのでは? 恩人の高杉晋作の夫人との関係が悪かったみたいだが。
高杉夫人のほうも、出世した山縣をいつまでも
「夫の部下の足軽」
と見ていたらしいからこれはこれで問題ありそうだが。 >>638
最晩年というか日露後は思い通りにいかないことばかり
政党勢力の伸長をゆるし手勢の官僚更迭されるは
現役武官制廃止されるは推薦した首相にも距離おかれるは…
最強の勝ち組とはとても思えない >>639
伊藤が地元に帰りたがらないのも似た理由
地元で梲が上がらない元奇兵隊や松下村塾生の連中がいつまでも先輩面して絡んでくるのが面倒だったそうな >>633
つーか山本はもとから敵を作りやすい性格だったから
海軍内で不満が起きて失脚させられたと思う。 明治憲政史で最高位の勝ち組といえば山縣以外いなくね?
他に誰?
ヨボヨボのじいちゃんに最晩年がーとか出すのさすがに可哀想だろう 大久保利通と同質同類の人間なのに山縣有朋は人気ない。
大久保なんか政治の鬼才のごとく称えられてるのに 松平春嶽や大隈重信や伊藤博文が大久保利通を必死に持ち上げてくれたから
大久保死後の復権は簡単に可能だったが
山縣には大久保みたいに狂信的信者はいないから難しいな 西郷や長州閥とは関係が余り良くない大隈重信が大久保利通を崇拝者であったため大久保は助かったな 人気がないってそこらの人のチマタの人気でしょ?
学者とか近代日本史上は再評価する声は出てるよ
なんか学者が「国家に尽くすという愚直な姿勢は評価されるべき」とか言ってるの読んだことあるわ このスレも大久保ageの人来てるな
別の話してて後半は大久保アゲ♂アゲ♂の話に落とす人 この人は長州関連スレを徘徊してて大久保アゲ♂キャンペーンやってるのよ
大久保おじさんと呼ぼう どっかの売れてる歴史小説家に肯定的な山縣有朋伝を書いて
ベストセラーにするしか復権はないよ
山縣を主人公にした松本清張の「象徴の設計」では否定的に書かれてしまってるからな
司馬遼太郎の小説でも同様に >>650
いや俺も山縣は大久保に引けを取らない大政治家だと思ってるが
ここまで後世で扱いの差が出てるのは疑問に思ってる
山縣より大久保こそ権謀術数の血で汚れてるはずなんだがなあ 元勲のキングオブキングス
それがアリトモ・ヤマガタすわ 位人身を極めたという意味ではそうだな
伊藤は軍人ではないので元帥功一級の称号は持たない >>644
> 明治憲政史で最高位の勝ち組といえば山縣以外いなくね?
生涯の最後まで一定の権力を持っていたということになると元老の松方あたり? 井伊直弼と大久保利通の復権は始まってるが
ついに2月1日で死後100年を迎える山縣の名誉回復はまだか? >>657
司馬遼太郎「翔ぶが如く」ではカネに汚い以外はまあまあまともな人として描かれていた。 大久保おじさん対策としては「大久保」をあぼーんワードにしておくのを推奨
あとIDコロコロするのでこまめにIDをあぼーんに追加 まもなく山縣卿の死後100年目だぞ
山田風太郎、司馬遼太郎、池波正太郎の生誕100年目と同じである 司馬遼太郎は大久保利通を近代最強の怪物政治家のごとく描いていたから
いわば大久保利通はアンチヒーローとしての魅力満載 >>645
同時代の関わりある人達の証言に全て現れてるだろ
大久保は基本的に讃えられてるけど山縣嫌われてんじゃん
腹心だった桂なんかも造反してるしよ 実際は知らんけど、イメージだけで語ると、大久保は国家の為、山縣は自らの権勢の為に力を使ってる、と感じてしまう。 なんとなくだが話題の北条義時と山縣有朋の性質が似てる気がする。
源義経→西郷隆盛
源頼朝→大久保利通
北条義時→山縣有朋 もうすぐ山縣の死後100周年
少しは明治大正の最強宰相として持ち上げてやろうか 今となっては薩摩の元老、黒田、大山、西郷従、松方らはすっかり忘れ去られて人々もその名前を忘れてしまったが、
長州の元老たちが今でもこうして悪口を言われるなど毀誉褒貶あるのはそれだけキャラが立っていたということよ >>669
薩摩の元老はしょせんは西郷大久保の代走だからな。 2月1日で死後100周年ですb
鋳Nからも恐れらb黷ト誰からも愛bウれなかった山聽p卿(司馬遼太�Y談話) 大久保利通だけでなく岩倉具視の見直し評価も始まってるぞ
残るは山縣有朋の一人だけだ本当に・・
そして山縣有朋には岩倉朋美には濃厚にある曲者的魅力とやらがなさ過ぎて困った でも結局日本人の皆さんは幕末志士ではせごとんが一番偉いで決まりだからな それも板垣退助が西郷なくして維新の成立は不可能だと断言してる。
実際に西郷なくして討幕までは可能だったのか疑問だ。
もし大久保、木戸、岩倉だけで戊辰戦争に挑んでも日本は東西に分裂して内戦状態が何十年も続いてたんじゃないか?
江戸城無血開城の交渉役なんて西郷でしか不可能だろ。 しかしだ人気最悪の山縣有朋卿を誰よりも勝って汚職事件から救い出したのも
なぜか長州閥ではなくて人気最高の西郷隆盛だから歴史の皮肉
山縣有朋は終生西郷には頭が上がらなかったみたいだが。 山縣自身は同郷の長州閥より島津久光、大久保利通、西郷隆盛と気質が通じ合ってたみたい。 幕末期に日本の方向を示した重要人物が楠木正成
そして当時最も高い視座を持っていた人物が大久保なのは間違いない
西郷のアイドルは正成だったのだが足利尊氏みたいな人で草
大村益次郎に思いっきり足利尊氏呼ばわりされてた笑
当時は罵倒語なんだろうけどそれくらいカリスマ性があったということ >>676
そりゃ長州人は陰では足軽扱いしていたからな。 板垣退助の言葉を借りるなら
大久保、木戸、岩倉がなくても西郷隆盛だけでも倒幕は可能であった。
なにしろ西郷隆盛だけで江戸城無血開城に戦術最強の庄内藩を抑え込んでしまった。
もし木戸や大久保が対幕の交渉役ならば無用な反発を買って全面衝突に突入してたのではないかと >>675
どことなく西郷と山県は秀吉と三成の関係に似てる。
司馬遼太郎曰く、
権力を神聖装飾化させることに夢中だったのが石田三成と山県有朋。
人気なさすぎですもんね二人とも 明治新政府の高官の中で最も地味だった大木喬任。
目立たなかったから足を引っ張られることもなかった。 板垣退助と勝海舟の二人は幕末最強の脇役
この両者が人物評では最高位に評価するのが西郷隆盛 西郷が汚い役引き受けたのがでかい
がよく考えたらもっと汚い役だったのは大久保だな 田中角栄が幹事長時代が最盛期だったのと同じことよ。 幕末にまっさきに死ぬはずだった海江田信義が
日露戦争の後まで生存して畳の上で死んだ。 脳筋バカの海江田信義も黒田清隆も薩摩藩士特有の親分肌で人望が厚く新政府内でも嫌われることはなかったのであろう
これが大村、井上、山県の長州人は頭の回転が速いが怜悧だから大衆から嫌われやすいのよ 大久保利通でさえ笑顔になると薩摩人特有の愛嬌があったそうだ
もし大久保が長州人ならば井上薫や山県有朋よりも蛇蝎のごとく嫌われていたに違いない >>688
黒田は酒癖悪過ぎて煙たがられてたけどな 幕末の元勲が日露戦争後にいなくなってから太平洋戦争までの過程がクソ過ぎた
それだけ見ても三人はまともだよ そのすぐ下の世代が早くに消えちゃったからね。
川上操六、児玉源太郎、桂太郎は死に、山本権兵衛は失脚。 巨大組織は三代目に滅びる呪縛から抜け出せなかったな 黒田→酒乱
伊地知→狂人
海江田→大村を暗殺
で明治政府内で嫌われてた >>695
> 伊地知→狂人
ではないが軍事的才能はなかった。 >>695
大村が大阪で暗殺された時海江田は東京にいたから無理だろ 海江田も黒田も大久保に手厚く保護されてたじゃないか
一般的に薩摩人は長州人に比べて嫌われにくい
暗殺された大久保の葬儀にも数千人も集まったのに山県は千代の富士のごとく誰も来ないに等しい
三島通庸も福島県令でメチャクチャやってても薩摩藩士ということで得をしてる
逆に井上や山県は長州人ということで無駄に嫌われて損をしてる 井上薫なんて汚職事件以外に弾圧なんてしたことないのに巨悪の権化の扱いされてるからな
ただし勝海州が井上薫は伊藤博文より胆力が勝って格上だと評価していたが
まあ山岡鉄舟みたいな古武士風味からは「おまえごときはふんどし担ぎだろうと」嫌われるタイプなのは仕方ないか 勝の人物評なんて当てにならない
ホラ吹きだからな
司馬みたいなもん >>697
大村が襲撃されたのは京都。
そのときは海江田も京都勤務ではなかったかな? 日頃から「大村を殺したい」と言ってたし実行犯たちと繋がりがあったんだからもうこれだけでクロやろ
実行を命じていなかったとしてもこれ↑だけで思想的なバックボーンになってるからクロや 花神の影響で見事に脳筋バカにされてる海江田信義だが
真実は大久保利通が評価するほどの行政手腕が高かったみたいだ
むしろ大村益次郎こそがペーパー試験で100点満点取れるだけのKYだったんだろう 大村は偉人だけどアスペと分析される障害持ちだったよう >>683
勝海舟が大河ドラマの主人公になってるなら
板垣退助が主役の大河ドラマも見てみたいものだ
ある意味では最も現代的でスマートが土佐藩士だからな >>708
いかに天才でも絶対に関わりたくない人間はどの時代にもいるもんだ。
薩摩藩士の愛嬌は無敵なり。 結局最後はサツマイモ揚げで〆る大久保おじさんウザス
「大久保」とさらに「薩摩」をあぼーんワード指定推奨
荒らすなキチガイ 氷塊と恐れられた大久保利通ですら笑うと薩摩藩士特有の愛嬌がひどくあったと外国人公使に評されている
男は愛嬌なんだろうな結局は
やたら細かい事にうるさい大村益次郎は女性的だと見た >>710
主役ではないが「獅子の時代」では出番多め。 鍋島直正、江藤新平、板垣退助。
大河ドラマ化されてないの幕末最後の英雄。 今日までの土肥は最高の裏方藩なんだよな
もちろん主役は薩長で。
坂本龍馬も裏方に徹していたし。 残るは鍋島直正、江藤新平、大隈重信の佐賀グループしかない 板垣は知名度は勿論主人公としても十分に魅力的でドラマティックな人生なんだけどな
軍事的才能卓抜ながら維新後は自由民権運動の闘士として藩閥政府と丁々発止議論したり、
後藤と共に日本人初のルイヴィトンの顧客になるとか色々かっこいい
ガチの征韓主戦派だから腐れNHKが忖度してんのか? 最強硬派の西郷が何度もドラマ化されてるからそれはない
むしろ板垣は一代華族論を唱えるぐらい世襲議員を徹底批判して自由民権運動に積極すぎたから
世襲議員が多すぎる現在の政治家連中が嫌ってるんじゃないか? 板垣死すとも… の時に死んだもんだと大半の人は思ってるよ
自由党もパッとせず大隈みたいに再登板もないまま
尻すぼみに消えていったイメージ >>716
江藤新平は「翔ぶが如く」では出番多かった。
最大の見せ場である晒し首シーンもあった。 与党も野党も関係なく世襲だらけの永田町の議員達が『一代華族論』を書いた板垣退助を好きになるわけがない >>707
その勝海舟を徹底批判してたのが福沢諭吉。
両者とも西郷を維新至上に置いてるのだけは一致してるが。 尊皇思想の権化にして無私無欲で公平、
自由を重んじ国民の為に藩閥政府と戦い続けた板垣こそ真の愛国者
理想的日本人 全然自由民権じゃないけどな
ただの暴れたクズが自由民権
あ、地方でやってた本物の自由民権の方たちは素晴らしかった 板垣退助百円札が1953年から1974年まで発行されてた不思議
そこまで大物でもないのにね
戦後ということで政治的な意図があったんだろうな 21年間も、ですよ
それにしては今はすっかり忘れ去られてるな 板垣はそのまま陸軍軍人に徹していれば
元帥になれただろうに 元帥なんて大したもんじゃないだろ
お札になった元帥いる? 最期には西郷と板垣は西郷と大久保より蜜月になってしもうた >>733
薩長がいやがったのと土佐の人材が払底していたから参議にされた。
板垣を陸軍か海軍に入れると大将にしなければならなかった。 てか総理になってはいないとはいえ井上が侯爵なのに元老ですらない桂が公爵っておかしくねぇか?
日露戦争の功績とか安倍ちゃんに抜かれるまで憲政史上最長の総理だけどさ >>737
井上が公爵にならなかった理由はなんだろ? 勝海舟は井上薫の力量は伊藤博文より上だと讃えてたのにな 桂は元勲優遇の詔勅は受けている
ゆえに元老にカウントする説と、しない説に分かれている >>740
何の詔勅も受けてない西郷従道は元老扱いなんだよなぁ 黒田は西郷兄と大久保亡き後薩摩閥の最大の大物で総理経験もある元老だったのに伯爵どまりだったのも謎 >>743
ヒント:歿年
他の元老に比べると早死してる
後20年ぐらい長生きして日露戦争で何か目立った功績があれば陞爵や大勲位菊花章頸飾もあったかな 井上薫は今でも嫌われ者だけど俺は近代日本最強の2ではないかと思うから大好きだ 井上も木戸も薩摩に生まれていたなら大久保利通みたいに超世の英傑扱いされてたのに 政争に敗れ下野したために「民衆の味方」を気取って逆襲に出ただけの板垣。
大隈もその同類。(現代なら小沢一郎) 大西郷の嫡男寅太郎は逆賊となった父のせいで幼少期から非常に貧乏していてそれは父が大赦で赦され侯爵を授かってからも続いたという
従兄の七光りで立身出世を遂げ元帥公爵元老にまでなれた大山も同じく兄の七光りで元帥侯爵元老にまでなれた従道も巨万の富がありながら従兄(兄)の遺した家族に資金援助をしなかった
>>711
これが「無敵」の「薩摩藩士の愛嬌」というやつかな 従道がもっと長生きしてたらどうなってたか
帝国国防方針とか >>751
> 従兄の七光りで立身出世を遂げ元帥公爵元老にまでなれた大山も同じく兄の七光りで
元帥侯爵元老にまでなれた従道も巨万の富がありながら従兄(兄)の遺した家族に資金援助をしなかった
西郷夫人が援助の申し出を拒否したんじゃなかったっけ? 自民党を二度も下野させた小沢一郎は50年に1人しか出てこないような大物政治家だろうが 個人的には田中角栄と小沢一郎だけは明治初期の大物達とも引けを取らないと思ってるんですよ 薩摩藩は嫌われにくいが
長州藩は毛嫌いされてるのう >>756
さすがに西郷、大久保のバケモノに比べたら小沢も田中も劣るが
長州の伊藤博文ぐらいなら拮抗できそうだなw >>728
地方の方が猟銃持ち出して300人規模での戦闘までやる選挙戦やたんやけどな
それで治安維持ができんということで選挙の時に警官が多数動員されたり有力な地方議員がテロ行為せんか見張る役人を派遣してたんやで 明治大正の自由運動というのは江戸の村一揆みたいなもんよ
昭和の成田空港闘争でも面影は消えていない
平和デモは平成以降からだろ? 土佐藩からは板垣も後藤も佐々木も維新の十傑に入ってないんだよなー 元老・元勲、どう違うのだ?
枢密院は機能してたのか?
だとしても「元帥府」はいかに?
「元帥府は絶大な権限があった」という記述をみたことあるが、近代史に元帥府なぞ出て来るかあ?
元帥はいても3名程度で、しかも老体。そんな死にぞこないが集まって何になるのやら・・
あと、軍事参議官というのもわからん。こっちこそミカドの軍事顧問ですか。 >>763
> あと、軍事参議官というのもわからん。
「統帥権の番人」と言われている。 日本軍の場合は、元帥は階級ではなく陸海軍大将に与えられた(名誉)称号
だから、元帥になると大将でなくなるわけではなくて元帥陸軍大将/元帥海軍大将となる
階級としての陸軍元帥は西郷一人のみ
海軍元帥は存在しない 元帥府に列せられた陸軍大将は西郷を除いて18人、海軍大将は13人だから3名程度ということはない
元老と間違えてるのかな 元勲と元老の違い
元勲は王政復古に功績のあった人の中でも特に抜群の働きをした人
維新の三傑や十傑や長薩肥土の主だった志士たちがこれ
明治天皇が板垣を「元勲」と呼んだように三傑や十傑に含まれない人も相当する
元老は元勲の中で天皇直々の元勲優遇の詔勅を受けた人など天皇を輔弼する特別な資格を持った少数の人々
正式な役職ではなく暗黙の了解で決まったのに近い 付言すると、元々元勲は三傑+広沢ぐらいまでを指したが、時代が下るにつれ拡大解釈され人数が増えた感は否めない >>768
元老は
伊藤
井上
山縣
黒田
大山
西郷従
松方
の7人が確定
西園寺と桂太郎を加えて9人とする場合も多い
近年では山田顯義は早世しなかったら元老になっていたであろうという説も出ている
正直、カウントの仕方は学者によって異なる 板垣退助は正面切って『一代華族論』で世襲貴族を批判してのけたから
逆にそれが現代の世襲議員からも敬遠されているのだ
なにしろ現代でも自民党だけでなく共産党まで世襲議員に支配されてる国だからなw
しかも現代より世襲貴族が多い明治期に世襲を徹底批判した板垣退助は本物の闘志としか言いようがない >>766
アホwwww
同時に存命の元帥がその数か? 31人もいるんだから同時に存命している元帥が3名ということはあるまい
いちいちカウントしてないがもっといるだろ
元帥府が存在したのは1898年から1945年までのたった47年間だからな
アホはお前だ では何名?
五、六人では三名と同じようなもの。
死にかけじいさんも居るのだし。
あと死後の追贈もあるから、その場合はハナから死んでいる。 げん‐ろう【元老】‥ラウ
@[詩経小雅、采邑]年齢・名望・官位の高い功臣。年功を積んだ人。長老。
A明治後期から昭和前期、首相候補者の推薦その他の重要国務について、天皇を補佐した元勲政治家。伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・井上馨・松方正義・西郷従道・大山巌・桂太郎・西園寺公望。→元勲2。
広辞苑より
で、元勲政治家ってなんだよ。 げん‐くん【元勲】
@国家に尽くした大きな勲功。
A明治維新に大きな勲功があって、明治政府に重んじられた政治家。
西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通をはじめ、伊藤博文・山県有朋らをいう。→元老2
広辞苑はやっぱダメだ。 永田町の世襲政治家は板垣退助の爪の垢を煎じて飲め。
よしできた 元帥は大体常に陸海3名ずつの構成になってんぞ
誰か死ぬと誰か追加されてる それじゃ3匹と実質かわりねえな。
>31人もいるんだから
のキチガイは、そらを永久に理解でないww 息するように嘘を吐く>>786
終戦時の海軍元帥は伏見宮と永野だけ。
陸軍元帥は、梨本宮・寺内・杉山・畑。
あと、誰かが死んだからと補充されるものでもない。 >>789
こまけぇこたーいいんだよw
発足時は陸軍が小松宮・山縣・大山で海軍が西郷で4人
次に西郷が1902年、小松宮が1903年に相次いで薨去して陸軍の2人のみだったが、
1906年に陸軍から野津、海軍から伊東が追加で再び4人
1908年に野津が薨去で陸軍2と海軍1の3人
1911年になると陸軍から奥、海軍から井上が追加で5人
1913年に海軍の東郷追加で初めて陸軍3の海軍3で同数
1914年に伊東薨去で海軍が1減
この時点だと陸の山縣と大山と奥、海軍が井上と東郷
1915年に陸軍から伏見宮貞愛親王と川村・長谷川が追加
翌年大山薨去するも直後に陸軍の寺内正毅追加
1917年に海軍から伊集院追加
1919年に寺内薨去も直後に陸軍の閑院宮載仁親王追加
この時点だと陸6人(山縣・奥・伏見宮・川村・長谷川・閑院)、海3人(井上・東郷・伊集院)で最盛期
1921年に伊集院薨去で海軍が更に減り、直後に陸軍から上原追加で陸7人の海2人
1922年になるとついに山縣薨去、翌年伏見宮薨御、24年には長谷川も薨去と陸軍が相次いで減少
1926年に川村薨去で陸3人の海2人
1929年になると井上薨去でまた陸3海1の4人に
1930年奥薨去
1932年まず海軍から伏見宮博恭王が、直後に陸軍から梨本宮守正王が相次いで追加
しかし1933年には陸軍から武藤が追加も直後に薨去、更に上原も薨去
1934には東郷が薨去
この時点だと皇族のみに
陸軍(閑院宮、梨本宮)、海軍(伏見宮)
暫く動きはなかったが、
1943年陸軍から寺内寿一と杉山が、海軍から永野が追加
翌44年に陸軍から畑が追加
45年終戦直前に閑院宮が薨御したので、
最終形は陸軍が梨本・寺内・杉山・畑の4人、海軍が伏見宮・永野の2人(杉山は制度廃止前に自決)
実際には元帥任命時に老齢過ぎたりしてるから機能してたのか微妙 いまだ日本は世襲政治家だらけよ
江戸時代と変わっとらん 井上馨の縁組工作によって明治初年以上に政治家、財界、官僚の多重婚姻関係は深まったからな >>793
百年以上、選挙制度が継続している国で
親や親族に政治家がいない、世襲ではない政治家が
半数以上在籍している国を10ヵ国から20ヵ国ぐらい
国名を挙げてみてw それにしても日本は世襲が多すぎんだろうが
そもそも選挙を導入してるのに政権交代自体が起きない魔訶不可思議な異常国家だからな日本は
これは本気で政権を取りに行っていない野党にも問題があるが 薩長土肥の志士達は非世襲
佐幕派でも勝海舟など歴史に名を残してる志士達は非世襲ばかり
やっぱり世襲は時勢が読めないろくでもないクズしか生まないね 薩長土肥の志士達は非世襲
佐幕派でも勝海舟など歴史に名を残してる志士達は非世襲ばかり
やっぱり世襲は時勢が読めないろくでもないクズしか生まないね わるい世界の時勢が読めない世襲武家は佐幕派に多く世界の時勢が読めてる薩長土肥の志士は成り上がり連中が多いの間違いだったわ 封建制度で世襲じゃない武家が多かったら既に封建制度は崩壊しとる訳だが 非世襲でもイイとこの坊っちゃん嬢ちゃんでなければ、議員になれないのが普通。 古い言い方で選挙で勝つには「地盤・看板・カバン」の3つが必要だという
世襲のお坊ちゃまは最初からこの3つを詰め合わせパックで備えてるから有利だし周りの支持者だってイチから候補を探すより楽なところを立てるという 幕末みたいな乱世の世でないと井上、伊藤、山縣は歴史の表舞台に駆け上がれなかったよ
どうしても平時では世襲貴族が幅を利かせてしまうからな
勝海舟なら平時でも変わり種の中堅役人としての人生を送れそうだが土方歳三なんて無名の百姓で終わってんだろ >>807
井上の実家は高杉晋作の高杉家とほぼ同格で桂小五郎の桂家よりちょっと上
井上が養子に入った志道家は長州藩の執政だった周布正之助の周布家と同格
井上自身はのちに藩主になる定広の小姓も務めるぐらい藩主毛利家からの信用も抜群
幕末維新関係なく超エリート幹部に間違いなくなってたよ
もう少し調べようよ っていうか幕末程度で乱世なのか?(笑)
しょぼい乱世だな
当時の当事者たちは大変だったろうが 井上家 大組・100石
志道家 大組・250石
高杉家 大組・200石
和田家(木戸の実家) 寺社組・・20石
桂家 大組・150石(小五郎は末期養子のため、規則により60石は召し上げ、 90石を相続) 幕末は超乱世だろ?
だって700年余りの武家統治が終了したんだぜ
ある意味では究極の政治改革よ >>808
そういや木戸孝允が乱世でも天下太平の世の中でも時勢に関係なく井上薫だけは超大物になれる器だと評していたわ
ただ伊藤や山縣にそして木戸自身も乱世の世でないと歴史に名を残せなかったな坂本龍馬も同類。
薩摩だと大久保利通なら天下太平の世でも名を残せそうだが西郷隆盛は無理だろう ただ山岡鉄舟は井上を、おまえごときはふんどし担ぎで何も功績がないじゃないかと批判してた いうて高杉も井上も山縣も実際は他家からの養子の末裔で血は引いてないんだけどな(井上馨は女系)
当時は家名とその家督を重視してたとはいえ基本は実子相続
高杉家は坂氏の末裔
井上家は馨の父親が棟居氏の出
山縣は父親の有稔が中村氏の出 山岡鉄舟
「江戸城無血開城は俺と西郷の功績だ、井上ごときはふんどし担ぎで何も功績がないじゃねえかよ」 井上馨はどんな世でも大物にはなれるだろうが
井上馨はどんな世でも何も社会に功績を残しそうもない
ただ時勢に乗っかるのが上手いだけで自ら時勢を作り出すことができない。
これが西郷、大久保、岩倉だと自ら歴史を作り出すことができる どんな世でも時流に乗って大儲けするって途轍もない才覚だろ? その代わり自分で何も産み出すことができない人だけどな
井上馨はカメレオンだ
記者 なんで尊王攘夷派から開国派に転身したんですか?
井上 あの時はああせんといけなかったんや! 山岡鉄舟
「江戸城無血開城はオレと西郷の功績だ、井上ごときはふんどし担ぎで何も功績がねえじゃねえか」 大久保、岩倉、西郷に比べたら井上は完全に空気でしょ >>817
井上が益田孝や三井家組んでいなかったら明治の殖産興業の紡績業は全く育たなかったんだぞ
そして紡績業が成り立たないならのちのトヨタ自動車に繋がる豊田織機は立ち上がりすらできんかった
そして豊田自動車がなければ自動車の国産化は恐らく太平洋戦争前にはできず装甲車、戦車も国産化できんかった
それは引いては金属エンジン(豊田が最初に作ったのは陶器製のエンジン)が作れないという致命的な欠陥となって工業化、モータリゼーションは全て輸入に頼ることを意味する
これは大幅な貿易赤字を生み日本の経済成長の前提が全て消失するぐらいの事
そして井上がエゲツない才覚を発揮したのはデフレ経済最中に三井、三菱の身を削る競争を仲介し最低価格保証の約束まで取り付けてデフレと失業から日本経済を脱却させたという事
これがなかったら日本は開国後の金銀流出で陥った円の価格暴落を止められず完全に金兌換性による通貨制度を維持できずインド、中国以上に欧米からの搾取に合うことになっていた
この10年ほど渋沢栄一がやたらと持ち上げられているけれども実際のところ明治から戦中にかけての日本経済の礎の多くは井上馨によるものと言っていいぐらいの功績を残している
君がいう時勢を作るということは具体的に何を指すのか是非とも伺いたいものだ 明治大正の経済産業は渋沢、岩倉、大倉など民間企業家の大功績だろ
井上まじで関係なさすぎる
そして基礎を作ったのが大久保利通
井上は汚職まみれだけ 明治大正の経済産業は渋沢、岩崎、大倉など民間企業家の大功績だろ
井上まじで関係なさすぎる
そして基礎を作ったのが大久保利通
井上は汚職まみれだけ
やっぱ大久保利通だな 岩崎弥太郎
大倉喜八郎
渋沢栄一
この明治財界三巨頭に比べたら井上は完全に空気 全体を保護する一環で岩崎も助けました
もし井上が助けてなかったら小彌太らの出番もなく岩崎家はここで終わっています
大倉はご用達商人で大久保ら政府高官との繋がり、野に下った後の渋沢の周旋などもあって初めて公共事業に関連する商売を手広くできるようになりました
もし政府高官や渋沢の周旋がなければ公共事業を行うこともなく資本拡大もできずその後の大倉財閥形成にはとても繋がらなかった
この辺りは日本の近現代経済史、経営史ではもはや常識です
そしてこの分野で井上より渋沢が日本経済史、経営史で大きな役割を果たしたというような学者はまずいません
そして付け加えるなら戦後の経済成長の中で大きな役割を果たす昭和新興財閥の日立日産グループなどが誕生したのは三大財閥や明治期に誕生した中小財閥との縁故があったから。
その縁故を取り持ったのも井上馨です。
これはGoogleで調べてもすぐ出てくるぐらい有名な話です。
あなたは一体どういう事実、史料、学説を元に意見を述べられているのか教えてください。
非常に興味があります。
それと繰り返しになりますが「時勢を作る」とは具体手には何を指しますか?
西郷、大久保はどんな時勢を作りました?
そしてそれは今現在どういう形で私たちの生活や日本の社会経済に影響を与えていますか? >>817
> これが西郷、大久保、岩倉だと自ら歴史を作り出すことができる
岩倉は微妙 汚職まみれの山縣と井上が今日でも不人気筆頭格なのは仕方ない
井伊直弼より人気ないんじゃないかと 一流と二流の差は、
一流はみずから暴風雨となり歴史そのものと化すことができるが
二流は時勢に乗っかってしか歴史に名を超すことができないということだな
勝海舟
「時間がたてば何ともない奴らだったと気づかされるのが時勢という魔物よ」 まあ帝国憲法発布前くらいにくたばった奴が偉い世界だからしょーがねーね >>831
岩倉具視の能力値だけは未知数。
中岡慎太郎は全身これ胆力と恐れていたみたいだが。 >>836
清華家の三條は兎も角、羽林家且つ藤原氏でもない岩倉が正一位って時点で物凄い評価
明治政府が岩倉以前に正一位を贈ったのはあの楠木正成と新田義貞だけだぞ 1流=歴史を作れる
2流=時勢に乗るしか有名になれない
3流以下=時勢にも乗れない
1流は西郷、大久保、岩倉、海舟の4人のみ 家康は誰にも真似できない徳川幕府制度を作り上げたんだが? 井上馨は二流であるが
二流にもなれない三流四流の政治家が大多数である現状を踏まえると
やはり近代日本史に名が残る大物なのであろう そして俺のなかでは時勢に乗り歴史に名を刻んだ新選組の土方歳三も二流 なぜなら普通人は4流か5流であるからである
2流は相当の大物の証明 山岡鉄舟みたいな古武士風味は井上馨みたいな三浦義村に匹敵する八難六機の謀略家は毛嫌いするだろうが
経済政策通の勝海舟は井上馨の評価が高い 勝海舟が単身クレムリンに乗り込んだらプーチンは止められるか? 糞プーチンみたいな殺すことでしか解決不可能な人間もいますから プーチンに慶喜の爪のアカを煎じて飲ませたらアレルギー起こして死ぬかもね
昭和まで生きた新撰組隊士というの存在するが。維新に一程度の働きをした人間の中ではやはり山県が一番長い気なのかな
慶喜より1歳若いだけなのに慶喜よりさらに9年、昭和が来る寸前まで生きたとか憎らしいわ
憎まれっ子余にはばかるの典型 司馬遼太郎
「多くの暗殺は歴史の不毛でしかないが井伊直弼と織田信長は暗殺でしか止められなかった」 ネトウヨはアンジュングンを叩くが塙次郎殺しが胸糞すぎるから伊藤博文の最期はあれでよかったと思う >>856
しかしこれほど指導者の暗殺が待ち望まれてる時勢があったのであろうか? 明治維新の志士がロシアを最大の敵国に指定してたのが分かったわ
清国でもアメリカでもないロシアだ >>860
江藤新平は
「ロシアと同盟しろ」
と言っていた。 >>863
シーメンス事件が単なる陸海軍間の主導権争いが原因だったとしたら山縣はとんでもない国賊 山縣の海軍省訪問が山本の処遇に何らかの影響があったのかが気になる。 >>860
いまとは比べ物にならないぐらいロシアの脅威はあった >>864
ドイツ海軍と反山本派海軍と山縣が
結託して起こったことだから
山縣は間違いなく国賊 >>844
二流大に入学するには、上位4%ぐらいには居ないとアカンからね >>866
翔ぶが如くでは山縣は常にロシアの南下に警戒してたんだと 長州の児玉と乃木がいなければロシアに勝てませんでしたよと >>868
どう見ても欧米の傀儡である山本の方が国賊
山本こそが条約協調だったんだぁみたいな通説は
ゴミだから 山本でも五十六が国賊。
米帝マンセー
戦いを仕掛けたら負ける→占領→アメリカナイズされる
それが本望で対米戦を始めた。 長州が攘夷運動に熱心だったのは海外からの綿製品や塩の輸入品によって地域経済へのダメージが深刻だったからだけど
そもそも徳川の朱印船・鎖国政策を執る以前の長州・周防地域は
日明貿易の利権を牛耳っていた大内氏による勘合貿易によって銅鉱、硯、扇子、漆器を輸出して倭寇の取締りまで続き
その後は南蛮貿易とシフトして今度は毛利により銀・漆器を輸出して儲けていた外需に強い地域だった
ところが関ヶ原の結果防長2国に押し込められた上に徳川の朱印船・鎖国政策で輸出で儲けることができなくなって
やむなく紙・塩・陶器・櫨といった内需産業へ転換した背景がある
徳川家康や家光が交易に制限しなければ長州の民衆は開国に反発することもなかったのだろうな ロシアの南下を最大の脅威と捉えて種々の対抗策を画策した山縣の認識は正しかったと思うが、
だからと言って山本を陥れたり宮中某重大事件の元凶となった国賊である事には変わりない 長州閥といっても一枚岩ではなく山縣有朋と伊藤博文は水と油 >>884
向いてる方向は真逆だったが個人的な仲は非常にいいぞ
伊藤と井上も仲良し
だが山縣と井上の関係は殆ど語られる事がないよな 江藤新平は明治日本の最大脅威だったロシアと同盟せよとか
渋沢栄一の指摘どおりに正義感が強すぎて空気読めなさすぎたんだよな
いまならプーチン擁護してる鈴木宗男とかれいわ新選組の議員みたいなもんだな 最近は特に暴走気味の橋下徹と江藤新平が重なって見えてしまう時があるわ まぁ江藤みたいな人間には狂信的な信者ができてしまうんだよな >>892
佐賀の乱で1万人以上も江藤の下に集まってしまったわけですね 大河ドラマ「翔ぶが如く」で江藤新平を演じた役者さん(故人)は狂信的なオーラを出していて良かったなあ。 薩長土肥の肥は完全に空気
土佐は坂本龍馬に救われてる
無理矢理にでも肥を持ち上げたいならば江藤新平しかいないわけだ次が大隈重信だが、
薩長土肥で肥が一番好きなやつは江藤新平みたいな偏狂な性格が多い >薩長土肥で肥が一番好きなやつは江藤新平みたいな偏狂な性格が多い
昨今でいえばプーチン信者だなw 江藤新平って本業の司法に専念していればいいのに、なぜか征韓論に手を出して
そのあとすべての判断を誤った人ってイメージ
どこにヒーロー性があるのかさっぱり分からん その弁説だけで佐賀の乱で1万人以上も反政府の佐賀藩士を集めてしまって徹底抗戦を仕掛けて・・
処刑後も丁重に墓に埋葬されて江藤の御霊に祈れば病が治ると参拝者が後を絶たずに自宅で江藤の霊を神棚に祭る人も後を絶たずで・・どこの聖人なんですかと・・・ もはや幕末大河で最後に残されたフロンティアが佐賀藩 >>907
鳥羽伏見の戦いをスルーしたからドラマにしにくい。 司馬遼太郎の「肥前の妖怪」「歳月」「アームストロング」
この三つを組み合わせるしかないほど佐賀藩は見せ所が少ない 敗者の会津藩新選組でさえ時には主役のごとく頻繁に取り上げられるのに
もはや勝ち組でも佐賀藩に出番はないのか 江藤新平の妻は押しかけ女房。死後は墓参者が絶えなかったのを見ると結構カリスマ性が高いのか? 写真で見る限りは佐賀藩だと江藤より大隈重信にこそ個人重力感と大物感を感じるのにねえ
これも弁舌の力かな
勝海舟と松岡康毅も江藤の弁舌だけは重量感が半端なく本物だと評してた 肥は幕末時代が印象薄すぎる
明治になってからちゃっかり出てきても……ズルいと思ってしまう
自分は水戸好きだから 肥前の妖怪は面白すぎるわ。
水戸も空気になってるよ。
幕末では薩長土と会津藩新選組しか名が残らないのは仕方あるまい。
他が大好きなやつはインテリ臭が強烈な奴らが多い。
それこそ江藤新平みたいなw 水戸がつき 薩長がこねし天下餅 座りしままに食うは肥前
とはならなかったねや
土佐人気は坂本一人でもってる感が強い
後藤の大政奉還建白というのもイマイチ地味だし
あとはせいぜい腐女子と厨の岡田人気があるくらいか 鹿児島県には特権が認められたし、福島県は借金は棒引きになったし安積疏水もいち早く着手してもらえた
明治政府が肩代わりした旧藩の借金のうち奥羽地方の諸藩の分だけで4割相当にあったという
それに対して山口県には一切特権が与えられず、江戸時代に蓄えて資金も国に返納(謎)させられ官製事業も特に行われなかった
勝敗でいうなら鹿児島県>福島県>奥羽各県>山口県だな 防長二国に藩が乱立してて一枚岩じゃなかったのも関係あんじゃねぇの?
後薩摩要人は基本出世の過程で藩首脳のルートを通った西郷大久保とその子分達っていうのも関係あるはず 安芸、備前までの根回し含めてそこはほとんど桂が外交で口説き落としてるんだけどね >>916
中岡慎太郎、岩崎弥太郎、板垣退助を忘れてるぞ。
意外に人材豊富が土佐藩。
佐賀藩は鍋島、江藤、大隈の3人しか人材がいない。 >>920
後は吉田東洋、武市瑞山、福岡孝弟、ジョン万次郎 そういえば司馬遼太郎は土佐語こそ日本の標準語であると >>920
>>921
歴史に興味のない一般人に知られてこそ人気があると言えるレベルだよ
一般人は中岡レベルだともう知らないよ
肥前は…大熊が早稲田の創設者と言えばわかるだろうがそれ以外は知名度は皆無レベルだろうな
創作物だと薩摩と土佐はこてこての方言喋りなのに長州はなぜか標準語にされるイメージ
仁義なき戦いとかはだしのゲンとかにちかいしゃべり方だったはずなんだよね >>920
大木喬任を忘れてもらっては困る
佐賀といえば功績も多いが暴走した連中の罪のほうが遥かに大きい
宇都宮太郎や武藤信義といった国を傾けた左肩党の連中やその子分筋の荒木貞夫(神奈川)・真崎甚三郎(佐賀)といった皇道派
こういう寄生虫と上原勇作だけは駆除しなければならなかった >>924
上原閥は主だった皇道派が属してたから長州閥なんかよりも全然タチ悪い
てか統制派や一夕会も大概だったから長州閥の方がよっぽどマシだったんじゃねぇの?
軍人としての分を弁えてたろ 人材の宝庫では薩長より土佐藩が筆頭格なんだろ。
>>915
新生日本にいかなる貢献もしていない新選組が武士道の美学とやらで時には薩長土肥より人気が出てしまうw
かくいう俺も幕末で一番興味を惹かれる人物と聞かれたら土方歳三と答えてしまう。 そら土方のドラマティックな生涯や人間的な魅力は現代人の我々をも惹きつけて已まんやろ いったん嵌ると抜け出せなくなる毒性のカリスマが土方歳三にはある
ピカレスクロマンとしては最高級の主人公 そうかな
慶応4年にもなってようやく「もう槍や刀の時代じゃねえ」とかいってるあほたれじゃん
東北戦争でフランスの力を借りようとか蝦夷をプロイセンに売って軍資金にしようとかいってる売国奴だし
平和をもたらした慶喜は部下があまりにクズで惰弱過ぎて嫌気がさして一回逃げただけで腰抜け呼ばわり
土方慶喜への評価を見てると日本人が平和ボケとか嘘だよね
現実より精神論に終始するただの頭の悪い脳筋やん クラスで孤立している中坊あるあるだけど
高校生にもなってそんなことしか書けないことを大人になってから恥ずかしくなるのか
俺の本当の実力を誰も理解しようとしないからお前達は駄目なんだよと一生ぶつぶつ独りで言い続け他者を否定し続けるのか
人生の分かれ目だね>>929
あっもう手遅れかな? 土方の伝説的な逸話は創作が大半らしいが
土方歳三の有名エピソード、創作由来のものが多くてビビる「まともに信用できるのは『俳句が下手』くらい」
https://togetter.com/li/1834448 ヒーロー = 高杉晋作 坂本龍馬
アンチヒーロー = 土方歳三 近藤勇
キング= 西郷隆盛 大久保利通 奇兵隊創設者の高杉晋作と新選組創設者の土方歳三はキャラ被り。
高杉が土方みたいに直に殺人したのかは知らんがね。 高杉と久坂は早死にした伊藤・井上・山県
伊藤・井上・山県は長生きした高杉と久坂 全体的に軽くて浮いた感じがする長州藩士で個人的重量感を感じるのは井上薫のみ
薩摩なんて西郷、大久保だけでなく黒田や大山からも大物的な重量感を感じるが
長州では井上薫だけがドスが効いた大物感を感じるわ 井上薫なんて現代アイドルみたいな名前の長州藩士は知らんな
井上馨なら知ってるが別に大物感は感じない
長州は一番の大物の木戸や吉田さえ落ち着きがないとか粗忽とか何かしら浮ついた印象を免れない
お国柄かな
唯一落ち着いた大物感を覚える例外中の例外は、毛利敬親 全身が傷跡まみれの井上馨にはビビるやつが多かったみたいだぞw
その胆力は長州藩では随一だと勝海舟も褒めちぎってた しかし長州藩は良くいえば秀麗顔が多すぎる
薩摩藩の島津斉彬なんて鎌倉時代の武将のような顔つきしてんのに >>940
美男の志士となると木戸ぐらいじゃないの? だよね
土方がイケメンとかいわれても正直微妙だと思うんだが木戸はほんまもんの美形
ウィキの写真とか現代芸能界でもお直しなしでこれだけレベルの高い男はめったにいない容姿でびびる
陸奥宗光の嫁の男版と言っても過言ではない 幕末といえば土方歳三になってしまったのは『燃えよ剣』の影響 >>938
そういえば広沢の暗殺だけは本当に不明らしいな。
木戸か大久保だと指摘する声もあるが。 木戸は人気がない
木戸(桂)ときいて思い出すのは
・逃げの小五郎のあだ名
・乞食に変装して幾松に飯を運んでもらう
・薩長同盟の会談の場で切れて龍馬にたしなめられる
・「西郷もういい加減にせんか(ガクッ」
しょんぼりなイメージばかり思い浮かぶしこれといった見せ場がない >>944
政治的な動機による暗殺ではなかったという説があるな。
金品目的の犯行だったのかも。 長州藩は口八丁な小才子が多いからな
個人的重量感が感じられないのはそのため >>947
借金を踏み倒すためとか?
案外そういうものかもしれない 岩倉使節団に接した人によると大久保、木戸、岩倉の骨格は日本人離れしてたとか 大久保と木戸はわかるが岩倉も大柄だったのか?
意外だわ 広沢真臣の賞典禄1800石てなんでそんなに貰ってるの?
大村益次郎なら分かるんだが広沢はそんなに維新に貢献してんのか? 木戸と広沢の折り合いが悪かったのは事実みたいだな
それで木戸が仕掛けた暗殺説まで飛び出した >>953
いや維新三傑は全員170cm以上あるが岩倉は小柄やぞ
木戸:174
大久保:175
西郷:179
>>954
維新早々死んでるから現代では謎が多い面あるやろ
龍馬みたいに人気作家とか大河でフォーカスされれば研究進むんちゃう? >>956
> 木戸:174
白人男性でも小柄な人はそれくらいだな。
アイルトン・セナも174 江戸攻撃をやめて京都に戻ってきた西郷が御所でそれに関する会議をして、呼ばれたのが
三条、岩倉、西郷、大久保、木戸、広沢、土佐の後藤だけなんだよな
広沢tって何者? >>954
永世賞典録1,800石は2,000石の西郷に次いで大久保や木戸と同等なんだよな
大村益次郎や中御門経之の1,500石より上に位置付けられとる 木戸は一人でトップに立つのが嫌いっぽいから広沢を巻き込んだのでは たしかに写真で見る限り長州藩では広沢だけに大物としての重量感を感じるわw
薩摩藩の西郷的な立ち位置だったんだろうか?
それで長州藩士の親分格として祭り上げられて1800石も与えられたのかもしれない
何しろ広沢だけは資料が少ないから良く分らん
西郷みたいな得体のしれない神聖感を感じる人間だったんだろうか? いずれにせよ1800石も与えられるのは常識を超えた貢献があるはずだ >>957
当時の白人男の平均は170無いくらい。
ただし、支配者階級はデカかった。食い物が良かったからね。 賞典録は公金だから>>760の理由じゃ説明がつかんよな
慶応4年の時点で満34歳でそんなに年がいってるわけでもないのに
あと後藤って幕末の頃から大物風吹かせてるから割と年いってるイメージがあったが慶喜よりも年下、
慶応4年の時点で満30歳というのにびっくりした 佐幕派だった孝明天皇のご機嫌取りで取り合えず佐幕派だった公卿の中でいち早く討幕派として旗手を明らかにし冷遇されても三条、岩倉を支えた
三条は都落ちでほぼ1人きりの岩倉を摂関家まで向こうに回して支えた大功労者
三条、岩倉に継ぐ維新功業をなした公卿なんで武士とのバランス考えたらそれほど驚くようなことはないかと >>962
広沢は取り残された幕末最後の大物ちゃうか? >>367
公家なんて岩倉以外フニャチンと思ってたが三条と中御門男らしいな
見直したわ
暗殺も普通にある時代、戦時中に反戦を叫ぶに等しい行為なかなかできることじゃない >>969
それ以外の主だった公卿だと後は中山忠能と嵯峨実愛かな
西園寺は当時まだ若輩 >>970
大政奉還の時点で西園寺は当時17,8歳歳で朝廷の作法もよく分らんまま鳥羽伏見から戊辰戦争まで参謀として出征してそのまま軍人になろうと思ってたかなり変な公家
その後も軍人になろうと思っていたけれども三条、岩倉の後公家出身で政権も担当し得る人材を確保したかった明治政府全体の意向で政治家にならざるを得なかったというねじれたキャリア
山縣や桂相手にも堂々のやり取りできる脳みそも持ってて大正までは山縣と西園寺の両輪で政党政治を支え原敬を育てたところまで含めて一流
山縣は誤解されがちだけども西園寺や原と協調路線堅持の姿勢で基本的に政党内閣でないと憲法体制は維持できないことを理解していて政党に譲歩することが多くなって陸軍内で逆に孤立した晩年になったという皮肉 誤解されがちなんだが山縣は明治憲法体制堅持だからなー
元老として政党を信用してないってだけで 大久保利通「維新に何の功績もない広沢ごときの賞典禄が俺と同じ1800石なんて許せない」
存外こんな理由かもしれない 山本権兵衛なんかよりも対立してた西園寺や山縣のほうがよっぽど立派。
山本は所詮海軍のことしか考えてなかった >>973
海江田信義の逆鱗に触れて暗殺された大村益次郎と同じ事かよ・・ 長州戦争で実戦を経験したのに実戦経験なしの河合継之助に惨敗の山県
指揮官に必要な融通無碍さと大胆さに欠けていたらしい 山縣は軍略に関して慎重派なだけ
バクチ打つタイプとは真逆 山縣も伊藤も先人がバンバン死んでいってしまったからプリっと押し出されてこのポストにつけただけ
本来なら県令止まり程度の出世
井上だけは別
そういうの関係なくこのくらいのポジションには就ける >>975
山本は実戦経験が無かったから海軍内でも
反山本派が多かった。
伊藤は山本を自分の後継候補にする程
高く評価してたみたいだがそこまでかなと思う。 権兵衛は普通に五本指に入る名政治家だろ
トップ3にだって入るくらいだわ >>979
高杉の功山寺決起で真っ先に馳せ参じた伊藤は漢の中の漢
確かに松門四天王が全員死んだからって側面もあるだろうが確実に出世しただろ
日和ってた山縣は小物だが >>976
結局は広沢真臣は大久保利通に殺されたのかよ >>983
それは山縣と比べての話
山縣との優劣にていつも引き合いに出されてたのが功山寺決起に最初に駆けつけたということ
先人達が健在なら伊藤など下手したら通訳官止まり
よくて県令
もしくは外務省の中堅
薩摩にも大久保に小松らなどなど他にもまだまだゴマンといて
更に土肥にも板垣、後藤、福岡、江藤、大隈などなどまだまだいる中で伊藤が出てこれる隙間などあるわけがない
先人が死に、政争で政府を去ったりして穴ができたからこそそのポジションまでこれたラッキーマンなだけだ
大久保、木戸、小松、広沢、久坂、吉田稔…etc
これだけ押し退けても伊藤じゃない人間で穴埋めされてんのに確実なわけないだろ 同時に山縣も大村が健在なら出番などない
西郷がいても出番などない
山田が軍属に居続けたらぺーぺー
板垣が軍属に居続けたらぺーぺー
前原がいてもぺーぺー
更に汚職で地の底に叩き落とされてるというオマケまでついてる
山縣も伊藤も元老ポジションにまでなれたのは一概に長生きしただけ まあその山縣の外交政策の慎重さで大正まで日本は英米との共同歩調から外れず
伊藤による憲政の運用によって憲政の常道が当たり前にできて西園寺、原が2人の内外政策を受け継ぐことができたんだけどな
そしてそれを破壊しかかったのが大隈内閣でありその大隈直系の加藤弘明内閣
大陸への軍事進出、軍の規模的拡大という永続的に金銭的負担がのしかかるこれらの政策に最も批判的であったのは山縣であり原であり浜口
具体的な政策内容への評価も下せず事実を全く知らない人が学問板に居座って素人目線での格付けで過疎化というのは滑稽だ 大隈内閣は山縣が山本を引きずり降ろした結果じゃん。 山本信者からすると山縣は憎い
山縣信者からすると山本は小物 山縣は一方で政治により軍隊を動かすことを嫌い軍権を分離、不可侵にしてしまった
それをどこかの段階(原政権時あたりが妥当)で改めるならまだしも
そのままにした結果が統帥権干犯問題に直結、発展していき日本を滅亡に追いやるシステムとなる
政党政治を否定し、有司専制にこだわり、元老が生存してるうちにしか機能しない様なシステムで日本をグランドデザインしたすべての結果がその後のアメリカとの総力戦とその敗北であることは知るべきである >>943
もはや幕末史を語る上で新選組の名は避けて通ることはできなくなったからなw >>991
統帥権の問題に言及したのは犬養毅でしかもそれは編成権の拡大解釈っていう軍人でもやらんかったことをわざわざやったから 統帥権干犯問題を持ち出したのは政友会だから、
そもそも山縣が政党を信用してなかったってのはある面当たってる
ただ元老の人間関係や有司専制といった制度上の不備を放置したのは大罪だよな
一人元老の西園寺だけで何とかするには遅過ぎた >>994
だから、つまりそれは山縣でしか運用できなかったシステムなのだという動かざる証拠だろ
憲法にはこの件について明確な表記もなく
山縣の価値観、モラル、道徳心、理念でもって節度あるとされる運用をされてたにすぎないということのなによりの証明
だからこそ山縣本人がいなくなればこのようなことにもなる
自身が居なくなればそういうことをされてしまうことが簡単に起きかねないというこんな単純な穴があるこにに気づけない山縣の落ち度は、徹底して政党政治を嫌い有司専制にこだわったことで人々が持つ様々な価値観とあいまみえない、それに耐えかねない狭量な国家のグランドデザインをしたことにある >>993
薩摩と勝海舟を贔屓してる俺でも幕末史で最大に興味を惹かれる人物は実は土方歳三。
別に好きではないがね。 西園寺は山本権兵衛の元老の可能性を握りつぶした屑
元老の立場からでも東郷や伏見宮の暴走を阻止することは可能だった 山縣は自分の派閥(長州閥)が己が死んだ後も未来永劫続き権力の中枢に居座り続けれるとでも思ってたのか?
そうでなきゃ運用できんような国家の骨組みだぞこんなの
山縣がこだわってたことつめていくとここにいきつく このスレッドは1000を超えました。
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