【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】
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では何名?
五、六人では三名と同じようなもの。
死にかけじいさんも居るのだし。
あと死後の追贈もあるから、その場合はハナから死んでいる。 げん‐ろう【元老】‥ラウ
@[詩経小雅、采邑]年齢・名望・官位の高い功臣。年功を積んだ人。長老。
A明治後期から昭和前期、首相候補者の推薦その他の重要国務について、天皇を補佐した元勲政治家。伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・井上馨・松方正義・西郷従道・大山巌・桂太郎・西園寺公望。→元勲2。
広辞苑より
で、元勲政治家ってなんだよ。 げん‐くん【元勲】
@国家に尽くした大きな勲功。
A明治維新に大きな勲功があって、明治政府に重んじられた政治家。
西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通をはじめ、伊藤博文・山県有朋らをいう。→元老2
広辞苑はやっぱダメだ。 永田町の世襲政治家は板垣退助の爪の垢を煎じて飲め。
よしできた 元帥は大体常に陸海3名ずつの構成になってんぞ
誰か死ぬと誰か追加されてる それじゃ3匹と実質かわりねえな。
>31人もいるんだから
のキチガイは、そらを永久に理解でないww 息するように嘘を吐く>>786
終戦時の海軍元帥は伏見宮と永野だけ。
陸軍元帥は、梨本宮・寺内・杉山・畑。
あと、誰かが死んだからと補充されるものでもない。 >>789
こまけぇこたーいいんだよw
発足時は陸軍が小松宮・山縣・大山で海軍が西郷で4人
次に西郷が1902年、小松宮が1903年に相次いで薨去して陸軍の2人のみだったが、
1906年に陸軍から野津、海軍から伊東が追加で再び4人
1908年に野津が薨去で陸軍2と海軍1の3人
1911年になると陸軍から奥、海軍から井上が追加で5人
1913年に海軍の東郷追加で初めて陸軍3の海軍3で同数
1914年に伊東薨去で海軍が1減
この時点だと陸の山縣と大山と奥、海軍が井上と東郷
1915年に陸軍から伏見宮貞愛親王と川村・長谷川が追加
翌年大山薨去するも直後に陸軍の寺内正毅追加
1917年に海軍から伊集院追加
1919年に寺内薨去も直後に陸軍の閑院宮載仁親王追加
この時点だと陸6人(山縣・奥・伏見宮・川村・長谷川・閑院)、海3人(井上・東郷・伊集院)で最盛期
1921年に伊集院薨去で海軍が更に減り、直後に陸軍から上原追加で陸7人の海2人
1922年になるとついに山縣薨去、翌年伏見宮薨御、24年には長谷川も薨去と陸軍が相次いで減少
1926年に川村薨去で陸3人の海2人
1929年になると井上薨去でまた陸3海1の4人に
1930年奥薨去
1932年まず海軍から伏見宮博恭王が、直後に陸軍から梨本宮守正王が相次いで追加
しかし1933年には陸軍から武藤が追加も直後に薨去、更に上原も薨去
1934には東郷が薨去
この時点だと皇族のみに
陸軍(閑院宮、梨本宮)、海軍(伏見宮)
暫く動きはなかったが、
1943年陸軍から寺内寿一と杉山が、海軍から永野が追加
翌44年に陸軍から畑が追加
45年終戦直前に閑院宮が薨御したので、
最終形は陸軍が梨本・寺内・杉山・畑の4人、海軍が伏見宮・永野の2人(杉山は制度廃止前に自決)
実際には元帥任命時に老齢過ぎたりしてるから機能してたのか微妙 いまだ日本は世襲政治家だらけよ
江戸時代と変わっとらん 井上馨の縁組工作によって明治初年以上に政治家、財界、官僚の多重婚姻関係は深まったからな >>793
百年以上、選挙制度が継続している国で
親や親族に政治家がいない、世襲ではない政治家が
半数以上在籍している国を10ヵ国から20ヵ国ぐらい
国名を挙げてみてw それにしても日本は世襲が多すぎんだろうが
そもそも選挙を導入してるのに政権交代自体が起きない魔訶不可思議な異常国家だからな日本は
これは本気で政権を取りに行っていない野党にも問題があるが 薩長土肥の志士達は非世襲
佐幕派でも勝海舟など歴史に名を残してる志士達は非世襲ばかり
やっぱり世襲は時勢が読めないろくでもないクズしか生まないね 薩長土肥の志士達は非世襲
佐幕派でも勝海舟など歴史に名を残してる志士達は非世襲ばかり
やっぱり世襲は時勢が読めないろくでもないクズしか生まないね わるい世界の時勢が読めない世襲武家は佐幕派に多く世界の時勢が読めてる薩長土肥の志士は成り上がり連中が多いの間違いだったわ 封建制度で世襲じゃない武家が多かったら既に封建制度は崩壊しとる訳だが 非世襲でもイイとこの坊っちゃん嬢ちゃんでなければ、議員になれないのが普通。 古い言い方で選挙で勝つには「地盤・看板・カバン」の3つが必要だという
世襲のお坊ちゃまは最初からこの3つを詰め合わせパックで備えてるから有利だし周りの支持者だってイチから候補を探すより楽なところを立てるという 幕末みたいな乱世の世でないと井上、伊藤、山縣は歴史の表舞台に駆け上がれなかったよ
どうしても平時では世襲貴族が幅を利かせてしまうからな
勝海舟なら平時でも変わり種の中堅役人としての人生を送れそうだが土方歳三なんて無名の百姓で終わってんだろ >>807
井上の実家は高杉晋作の高杉家とほぼ同格で桂小五郎の桂家よりちょっと上
井上が養子に入った志道家は長州藩の執政だった周布正之助の周布家と同格
井上自身はのちに藩主になる定広の小姓も務めるぐらい藩主毛利家からの信用も抜群
幕末維新関係なく超エリート幹部に間違いなくなってたよ
もう少し調べようよ っていうか幕末程度で乱世なのか?(笑)
しょぼい乱世だな
当時の当事者たちは大変だったろうが 井上家 大組・100石
志道家 大組・250石
高杉家 大組・200石
和田家(木戸の実家) 寺社組・・20石
桂家 大組・150石(小五郎は末期養子のため、規則により60石は召し上げ、 90石を相続) 幕末は超乱世だろ?
だって700年余りの武家統治が終了したんだぜ
ある意味では究極の政治改革よ >>808
そういや木戸孝允が乱世でも天下太平の世の中でも時勢に関係なく井上薫だけは超大物になれる器だと評していたわ
ただ伊藤や山縣にそして木戸自身も乱世の世でないと歴史に名を残せなかったな坂本龍馬も同類。
薩摩だと大久保利通なら天下太平の世でも名を残せそうだが西郷隆盛は無理だろう ただ山岡鉄舟は井上を、おまえごときはふんどし担ぎで何も功績がないじゃないかと批判してた いうて高杉も井上も山縣も実際は他家からの養子の末裔で血は引いてないんだけどな(井上馨は女系)
当時は家名とその家督を重視してたとはいえ基本は実子相続
高杉家は坂氏の末裔
井上家は馨の父親が棟居氏の出
山縣は父親の有稔が中村氏の出 山岡鉄舟
「江戸城無血開城は俺と西郷の功績だ、井上ごときはふんどし担ぎで何も功績がないじゃねえかよ」 井上馨はどんな世でも大物にはなれるだろうが
井上馨はどんな世でも何も社会に功績を残しそうもない
ただ時勢に乗っかるのが上手いだけで自ら時勢を作り出すことができない。
これが西郷、大久保、岩倉だと自ら歴史を作り出すことができる どんな世でも時流に乗って大儲けするって途轍もない才覚だろ? その代わり自分で何も産み出すことができない人だけどな
井上馨はカメレオンだ
記者 なんで尊王攘夷派から開国派に転身したんですか?
井上 あの時はああせんといけなかったんや! 山岡鉄舟
「江戸城無血開城はオレと西郷の功績だ、井上ごときはふんどし担ぎで何も功績がねえじゃねえか」 大久保、岩倉、西郷に比べたら井上は完全に空気でしょ >>817
井上が益田孝や三井家組んでいなかったら明治の殖産興業の紡績業は全く育たなかったんだぞ
そして紡績業が成り立たないならのちのトヨタ自動車に繋がる豊田織機は立ち上がりすらできんかった
そして豊田自動車がなければ自動車の国産化は恐らく太平洋戦争前にはできず装甲車、戦車も国産化できんかった
それは引いては金属エンジン(豊田が最初に作ったのは陶器製のエンジン)が作れないという致命的な欠陥となって工業化、モータリゼーションは全て輸入に頼ることを意味する
これは大幅な貿易赤字を生み日本の経済成長の前提が全て消失するぐらいの事
そして井上がエゲツない才覚を発揮したのはデフレ経済最中に三井、三菱の身を削る競争を仲介し最低価格保証の約束まで取り付けてデフレと失業から日本経済を脱却させたという事
これがなかったら日本は開国後の金銀流出で陥った円の価格暴落を止められず完全に金兌換性による通貨制度を維持できずインド、中国以上に欧米からの搾取に合うことになっていた
この10年ほど渋沢栄一がやたらと持ち上げられているけれども実際のところ明治から戦中にかけての日本経済の礎の多くは井上馨によるものと言っていいぐらいの功績を残している
君がいう時勢を作るということは具体的に何を指すのか是非とも伺いたいものだ 明治大正の経済産業は渋沢、岩倉、大倉など民間企業家の大功績だろ
井上まじで関係なさすぎる
そして基礎を作ったのが大久保利通
井上は汚職まみれだけ 明治大正の経済産業は渋沢、岩崎、大倉など民間企業家の大功績だろ
井上まじで関係なさすぎる
そして基礎を作ったのが大久保利通
井上は汚職まみれだけ
やっぱ大久保利通だな 岩崎弥太郎
大倉喜八郎
渋沢栄一
この明治財界三巨頭に比べたら井上は完全に空気 全体を保護する一環で岩崎も助けました
もし井上が助けてなかったら小彌太らの出番もなく岩崎家はここで終わっています
大倉はご用達商人で大久保ら政府高官との繋がり、野に下った後の渋沢の周旋などもあって初めて公共事業に関連する商売を手広くできるようになりました
もし政府高官や渋沢の周旋がなければ公共事業を行うこともなく資本拡大もできずその後の大倉財閥形成にはとても繋がらなかった
この辺りは日本の近現代経済史、経営史ではもはや常識です
そしてこの分野で井上より渋沢が日本経済史、経営史で大きな役割を果たしたというような学者はまずいません
そして付け加えるなら戦後の経済成長の中で大きな役割を果たす昭和新興財閥の日立日産グループなどが誕生したのは三大財閥や明治期に誕生した中小財閥との縁故があったから。
その縁故を取り持ったのも井上馨です。
これはGoogleで調べてもすぐ出てくるぐらい有名な話です。
あなたは一体どういう事実、史料、学説を元に意見を述べられているのか教えてください。
非常に興味があります。
それと繰り返しになりますが「時勢を作る」とは具体手には何を指しますか?
西郷、大久保はどんな時勢を作りました?
そしてそれは今現在どういう形で私たちの生活や日本の社会経済に影響を与えていますか? >>817
> これが西郷、大久保、岩倉だと自ら歴史を作り出すことができる
岩倉は微妙 汚職まみれの山縣と井上が今日でも不人気筆頭格なのは仕方ない
井伊直弼より人気ないんじゃないかと 一流と二流の差は、
一流はみずから暴風雨となり歴史そのものと化すことができるが
二流は時勢に乗っかってしか歴史に名を超すことができないということだな
勝海舟
「時間がたてば何ともない奴らだったと気づかされるのが時勢という魔物よ」 まあ帝国憲法発布前くらいにくたばった奴が偉い世界だからしょーがねーね >>831
岩倉具視の能力値だけは未知数。
中岡慎太郎は全身これ胆力と恐れていたみたいだが。 >>836
清華家の三條は兎も角、羽林家且つ藤原氏でもない岩倉が正一位って時点で物凄い評価
明治政府が岩倉以前に正一位を贈ったのはあの楠木正成と新田義貞だけだぞ 1流=歴史を作れる
2流=時勢に乗るしか有名になれない
3流以下=時勢にも乗れない
1流は西郷、大久保、岩倉、海舟の4人のみ 家康は誰にも真似できない徳川幕府制度を作り上げたんだが? 井上馨は二流であるが
二流にもなれない三流四流の政治家が大多数である現状を踏まえると
やはり近代日本史に名が残る大物なのであろう そして俺のなかでは時勢に乗り歴史に名を刻んだ新選組の土方歳三も二流 なぜなら普通人は4流か5流であるからである
2流は相当の大物の証明 山岡鉄舟みたいな古武士風味は井上馨みたいな三浦義村に匹敵する八難六機の謀略家は毛嫌いするだろうが
経済政策通の勝海舟は井上馨の評価が高い 勝海舟が単身クレムリンに乗り込んだらプーチンは止められるか? 糞プーチンみたいな殺すことでしか解決不可能な人間もいますから プーチンに慶喜の爪のアカを煎じて飲ませたらアレルギー起こして死ぬかもね
昭和まで生きた新撰組隊士というの存在するが。維新に一程度の働きをした人間の中ではやはり山県が一番長い気なのかな
慶喜より1歳若いだけなのに慶喜よりさらに9年、昭和が来る寸前まで生きたとか憎らしいわ
憎まれっ子余にはばかるの典型 司馬遼太郎
「多くの暗殺は歴史の不毛でしかないが井伊直弼と織田信長は暗殺でしか止められなかった」 ネトウヨはアンジュングンを叩くが塙次郎殺しが胸糞すぎるから伊藤博文の最期はあれでよかったと思う >>856
しかしこれほど指導者の暗殺が待ち望まれてる時勢があったのであろうか? 明治維新の志士がロシアを最大の敵国に指定してたのが分かったわ
清国でもアメリカでもないロシアだ >>860
江藤新平は
「ロシアと同盟しろ」
と言っていた。 >>863
シーメンス事件が単なる陸海軍間の主導権争いが原因だったとしたら山縣はとんでもない国賊 山縣の海軍省訪問が山本の処遇に何らかの影響があったのかが気になる。 >>860
いまとは比べ物にならないぐらいロシアの脅威はあった >>864
ドイツ海軍と反山本派海軍と山縣が
結託して起こったことだから
山縣は間違いなく国賊 >>844
二流大に入学するには、上位4%ぐらいには居ないとアカンからね >>866
翔ぶが如くでは山縣は常にロシアの南下に警戒してたんだと 長州の児玉と乃木がいなければロシアに勝てませんでしたよと >>868
どう見ても欧米の傀儡である山本の方が国賊
山本こそが条約協調だったんだぁみたいな通説は
ゴミだから 山本でも五十六が国賊。
米帝マンセー
戦いを仕掛けたら負ける→占領→アメリカナイズされる
それが本望で対米戦を始めた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています