【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎
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他はそのまんまなのに、平日明け方というニート丸出しの書き込み時間と
大河ドラマ板への巡回だけは指摘された途端変えてて吹いたww 意外と気にしいなアンチかわいいよアンチ(*´Д`)ハァハァ >>325
椋梨や赤根等を語りたければ、そいつらのスレ立てて好きなだけやればいいんじゃね?
もっともお前以外に需要があるかは分からんがな 何だかんだ言い訳して絶対立てないだろ。
コイツは赤根の事も久坂と同じく高杉を叩くのに利用してるだけ。
だから高杉の赤根への発言を叩いても
実際に赤根の捕縛や処刑に関わってる山縣は叩かないし、山縣のスレも荒らさない。
木戸スレで河上彦斎持ち出して遅レスで他人に絡んでる奴もこいつじゃね? >>332
見てきた。それぽいやついるね
ここのアンチと同じ書き癖で、朝5時6時に20以上前のレスに長文で絡んでるやつ
ふーん、高杉を叩く時は久坂や赤根を使い、木戸を叩く時は河上を使うのか… 逆説の日本史に
久坂が実は薩長同盟を結びかけてたって書かれてた
そういう解釈や、それ以前に久坂自体がどんな人物で
当時、どういうポジションにいたのか良く知らなかったので興味深かった
久坂と会った人はみな感化されており
彼と会った龍馬もその可能性が高いとか
禁門の変以前の薩長の関係とかあまりよく知らないから
面白かった 逆説の日本史(笑)って
古文書一切読めない小説家が書いた週刊誌の連載をまとめたトンデモ本じゃないか でも久坂って当時の長州で一番存在感があったんじゃね 久坂の存在感は大きいよ。
長井を自刃に追い込んで藩論の転換に成功、薩摩に追いつき一時的には追い越すことに成功したのは離れ業。
(長井失脚に関しては桂の役割も大きいが)。以後の長州は久坂が築いた政治的遺産を何だかんだ利用してる。
研究者でも久坂を評価する人間は多い(NHKの一般向け番組でも佐々木克がわざわざ取り上げたことがある)
久坂は尊攘激派、暴挙党と言う印象が付きまとうが、例えば英国公使館襲撃事件では高杉を抑えているし、
攘夷戦争の時は藩内に「幕命による攘夷」であることを強調し、民衆徴募兵による防衛の契機にしようとしたり、
非常に緻密な頭脳を持っている。禁門の政変に関しても、実は久坂の読みはそう間違ってはいなかった。
一橋慶喜は長州にさほど敵対的ではなかったし、西国諸藩は同情的で、周旋を取り持つ方向に動いていた。
7月に入って薩摩藩兵の上京があり、会津藩主の参内、孝明天皇の頑強な征長意思、そして連合艦隊の長州報復攻撃計画などがあって、
最終段階で抑えに回った久坂と、来島や諸隊の主戦派が対立して御所突入に至ったというのが経緯だな。
厳しい状況でわずかな隙を見つけて、あと少しで逆転という所まで持っていった政治的手腕は評価せざるを得ない。
同時期の正義派には桂、周布、高杉など理解者がいたわけだが、やはり久坂の存在感は大きいね。 >>332-333
自演なのかも知れないが、史料に具体的に反論しろと言ったのにそっちは皆無で、
印象操作に走るのか。必死だね
木戸スレの河上彦斎に触れた部分は諸隊の騒動に関するこれだろう
703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/29(木) 00:37:30.59 ID:82QahCEE0
この時代の尊王は方便みたいなとこあるからな。
一坂太郎の「木戸孝允―勤王の志士の本音と建前」は
河上彦斎抹殺とか脱退騒動とかにもスポットライトを当てたせいでファンからは煙たがられてそうだが
木戸が時に勅を利用し時には勅に追い詰められってのは
木戸と長州の活動を結構上手くまとめた表現だと思う。
で、この前後の木戸スレはこれに対してヒステリックな反応を見せたりしてはいない。
自分が見た限りでは、大久保スレや木戸スレは、西郷スレや高杉スレほど感情的にはならないね。
あくまで「政治家」を評価しているため、信仰の対象にしたりはしないようだな。
もっとも攘夷厨が入ってくるので、大久保スレに比べたらやりにくいが… ちなみに、もちろん河上彦斎に関する指摘は自分のではない。
だいたい「勅を利用し勅に追い詰められ」と言うのはべつに木戸を非難してる内容じゃないけどね。 >だから高杉の赤根への発言を叩いても
>実際に赤根の捕縛や処刑に関わってる山縣は叩かないし、山縣のスレも荒らさない。
こんな八つ当たり的な愚痴もあるけど、高杉の「周防大島の百姓、毛利家恩古の臣」と言う例の侮辱発言は、
学問的には高杉が封建意識に強く規定されていたということを示すものとして取り上げられる。
レベルの違う問題を持ち出して、誰それを叩いて誰それを叩かないなんて言う泣き言じたい笑える。
山県の赤根との確執と言うけど、高杉の挙兵が赤根の交渉を頓挫させたわけだからね。
何でこのアンチはいつもツイッターじゃあるまいし
レスをまとめられないで細切れにして垂れ流すの?バカなの? > ここのアンチと同じ書き癖で、朝5時6時に20以上前のレスに長文で絡んでるやつ
と指摘されてるのに、長文でも遅レスでもない夜0時のレス持ってきたり
以前にも 木 戸 ス レ を荒らしてると言われてるのに
こ の ス レ のレス持ってきて頓珍漢な言い訳してるあたり確実に頭は悪いんじゃないか
日本語が理解できないのか、頓珍漢な真似すれば荒らしてるの誤魔化せると思ってるのか
いずれにしても、かなりアレな人かと なのに全然ごまかせてないところがまた哀れw
>>331
>何だかんだ言い訳して絶対立てないだろ。
331の予想どおりすぎてワロタ 赤根ねえ、最初赤根が高杉に土民と言われたの聞いた時は同情したものだけど
その後、刑場への移動中に赤根が急に立ち止まったので
不審に思った役人が「急ぎませ」と促したら、突然「下郎!」と叫んだ赤根が
その役人を溝に蹴り落としたって話を知って、同情する気持ちも消え失せたな 成り上がり者の卑しさだな。
何の落ち度も無いのに赤根に暴行された役人カワイソス。
赤根が土民上がりなのは事実だけど
役人は別に土民上がりの赤根が下郎と言えるような相手じゃないだろ。 山県が赤根を嫌ってたのは、奇兵隊の給料をピンハネしたのを赤根に見つかって
譴責されたのを恨んでたからだろ
山県が赤根処刑ゴリ押しででっちあげた理由も「幕府への密通、裏切り」とかじゃなくて
「馬関戦争で敵前逃亡した赤根は不忠不義である」だし
>>337
木戸だろう
「高杉や久坂にしたところが、まあ長州の有志の頭株といふところだった。
過激なる有志と政府との関鍵は、木戸が一人で握っていたのだ」
伊藤博文回顧談 >>338
評価してる研究者が多いと言う割に、研究書はほとんど出てないねえ。一桁?w
その数少ない研究書出した研究者もメインは他で、
久坂を専門的に研究してる人はいなかったような・・・
>>349
それで久坂厨はトンデモ本まで持ち出して必死なのかw
久坂って幕末物の小説でも全然出てこないよね
まれに出てもチョイ役w 久坂はドラマでも端役だよ
龍馬伝の桂と高杉は3期のMVP取るほど活躍してたが
久坂はただの字の汚い暑苦しい男で
モブ化していた井上伊藤よりも出番が少なく、いつのまにか消えていたw 久坂の字が汚いのは史実
「久坂から意見書の草案が送られてきたけど読めません
そちらにもう少しマシなバージョンが届いてると思うんですけど
ちょっと貸してくんないですか」 って木戸から周布宛の手紙が残ってる
>>352
龍馬伝での勝俣みたいなウザいキャラ設定は単に久坂の肖像を見てイメージしたんじゃないかと、俺はそう睨んでいる。あの薄っぺらい脚本家なら十分ありえるだろう。 つまり久坂の肖像はウザそうな顔してるとww
確かに、これのどこがイケメンなんだろう?と思うほど
いかつくて暑苦しい顔してるけど JINでも久坂は妙な男だったな
最初は龍馬を暗殺しようとつけ狙うストーカーで
続編では龍馬に押し倒されて変な歌残して自殺したよく分からない男w 木戸の本は20冊以上出している妻木も久坂の本は上巻だけで投げた それは妻木死亡&戦争のごたごたで原稿がどっかいって出せなくなっただけだろ >>349
幾松にも研究家がいるってのに、久坂ときたら( ´,_ゝ`)プッ 久坂は伝記書いた人にも前書きで愚痴られるくらい
戦前も戦後も歴史学者からスルーされてるからな 久坂の肖像って、久坂にそっくりだという息子をモデルに描かれた物なんだよな
正妻との間に子どもはできなかったが、女郎に産ませた子はいたそうで >>363
久坂の書じゃなくて久坂の書の様に作られた悪質なバッタモンでしょw
鑑定士さん俗な作品だって言ってた あの出品者、久坂ごときで本人評価額200万ってふっかけすぎだろ
西郷の書簡でも350万だったのに >>362
正妻は松陰先生の妹だよな、久坂サイテーw 世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい。 >>362
文も「ブスだから嫌だ」って断わるような無神経な男の子どもなんて産みたくなかったんじゃね 木戸の嫁も、高杉の嫁も妾も
夫の死後は剃髪して菩提を弔って生きてるのに
久坂の嫁はあっさり再婚したもんなw >>369
久坂に未練はまるでなかったんだなw
でもまぁ、そう単純なものでもなくて
久坂には他のとこに愛人の子がいて
久坂の家は愛人の子に乗っ取られた感じになったから
当然の流れでもある 三島由紀夫自宅書斎の書棚の写真に久坂の著作集が写っていた。
幕末の志士のなかでは久坂が一番好きだったそうだ。 >>364
先にここ見てニセモノだと知ってから録画見たんだけど
久坂の悪筆を真似るのは大変だろうなと思ってたら
久坂の紙が破れそうなほど力入った殴り書きみたいな文字とは似ても似つかないソフトな文字で笑ったw
少しは似せる努力しろよwwあれなら俺でもニセモノだと解るわwww
松陰から押し付けられたんだから久坂からしたら良い迷惑だったんだろなw
まあ久坂の影響力は半端ないだろ
西郷、周布、木戸、高杉、土佐派あたりは全部久坂の影響受けてる 2ちゃんねるで躍起になって主張しなきゃいけないほど
研究家に存在感のない久坂ってかわいそう
例えば松陰の影響力だったら本も沢山出て語りつくされててて
今更言わずもがなだから、ムキになって主張繰り返す人なんていないのに
恩師の妹を嫁にもらったから頭が上がらなかったんだってな
ブス嫁の尻に敷かれてた久坂w 間もなく10時から
BSTBSのナンバー2という番組で
高杉さんを特集するらしいぞよ 久坂が暑苦しいのは史実
山県半蔵の家に久坂は連日やってきては
相手がうんざりして分かったと言うまで議論をふっかけ
でかい声でがなりたてるので閉口したそう それは暑苦しいというよりウザいわw
議論好きの長州人でも普通に迷惑だろ 高杉の手紙
世間の風説では、久坂兄が忠死とのことですが、どういうことでしょう。
とかく間違った噂が動く世の中、本当なのか信じられません。
この頃は毎夜、久坂殿を夢に見ます。
心配しています。
なにとぞ、実情を御存知でしたら、早く教えて下さい。 久坂って何かというとすごい顔で号泣しながら熱弁ふるってるイメージだ 竜馬が武智の使いで来たときは5歳上の竜馬を小僧扱いしたらしいな。
坂本も久坂に会って脱藩してる
中岡も大政奉還ギリギリに時勢論で、久坂の著、高杉の言葉、彼らがいかに優れた見識を表していたか記してる
長州が大危機に陥った時、誰も滅亡疑いなしと思ったそう
しかし大危機で生まれ変わり、それこそ久坂や高杉が考えだと感動してる
久坂の死から三年、高杉の死から四ヶ月
多く志士と交わった中岡の目にも一際輝いて見えたのが、久坂高杉だったという正直な感想でしょう 久坂玄随の筆跡を見るとやはり秀才だったんだろうと思う。
少し真面目すぎるような気もする。 秀才でもあるが天才でないか?
攘夷で背水の陣をひき始めて軍備富国強兵できるという論はむしろ松陰より久坂が早く気づいてたんではないかな
初めて松陰とのやり取りから北条の例に倣ってと言ってる
むしろ松陰がその頃は宥めて、その後の情勢以降に絶望し久坂の論に近づいてったんではないかな 久坂のあのクソ汚い筆跡のどこが秀才だよww
> 久坂の字が汚いのは史実
>
> 「久坂から意見書の草案が送られてきたけど読めません
> そちらにもう少しマシなバージョンが届いてると思うんですけど
> ちょっと貸してくんないですか」 って木戸から周布宛の手紙が残ってる
同時代人も読めない久坂の悪筆wwwww 久坂が和漢洋学問や海外情勢にも通じてたのは確か。
高杉や中岡は、久坂の思想と方程式受け継いでる分けだから。
松陰が生み、久坂が方法論を作り、高杉が実行し、伊藤が仕上げる。
門下で起承転結なってる。 >>392
秀才だの天才だの言ってるアホは、いつもの久坂持ち上げ厨でしょ
人並み以下の久坂の字を秀才とか無理有り過ぎw
>>389
本来なら久坂なんてアンチも付かないほどのマイナーな存在(個別スレが立ったこともない
専門に研究してる学者もいない、研究書もほぼ出てない、小説やドラマの主人公にも取り上げられない)
でしかないんだけどねw
厨が久坂ageのために久坂以外の人物をsageまくったから色々な方面から反感買ったんでしょう
字が汚いと秀才は関係ない、お偉い数学者など大抵字が汚い。
久坂を持ち上げてるのは師の松陰始め、兄と慕った高杉、薩摩の西郷、土佐の武市や中岡と当時一流とされたやつら。
中岡自体が久坂の死後に、かつて久坂の論を信じてなかったが、今は確かな実論だと確信したと書いてるんで。
討幕を説く時も
大英断ヲ施シ、大危難ヲ経、一朝其旧弊ヲ除キ、始テ其軍備政教一新ヲ見ルベク、国体茲ここニ於テヤ立ツ。
と久坂の論書いてるわけで。
司馬小説やテレビドラマの話は知らないけど。 >久坂玄随の筆跡を見るとやはり秀才だったんだろうと思う。
>字が汚いと秀才は関係ない、お偉い数学者など大抵字が汚い。
統失かこいつ? 学者の研究意欲も、作家の創作意欲もかきたてない久坂。歴史ファンの間でも不人気な久坂。
どの方面からもスルーされてる地味な奴なのに、
無駄に攻撃的な厨のせいで、ファンはいないのに、アンチだけは量産とは久坂も気の毒だな。 松陰のもうひとりの妹婿、久坂玄瑞は、二月のはじめに山口に帰って来ていた。
久坂は村田蔵六(大村益次郎)が江戸麹町の下六番町に開いていた学塾、鳩居堂に十月に入門し、
さらに番書調所にはいった。
ところが玄瑞には蘭学の素養がなく、外国語の書籍講読について行けない。
長州に新しくつくられた洋学所で勉強しなおすことが、彼の帰藩の目的である。
医者のくせに蘭学ダメダメって致命的じゃねw
医術の才能なかったから、武士でもないのに志士気取りで攘夷ごっこしてたのか 江戸の塾、落ちこぼれて、田舎帰って補習ww
さすが和漢洋学問や海外情勢にも通じてる秀才で天才の久坂君!wwwwwwww このニワカなんだwww?
久坂は若い頃から俊才で萩で名が知れ有名、松陰も久坂を褒めて高杉煽った位だからな
大村が蘭学学んだのは22、久坂の兄が蘭学学んだのは20後半
18の久坂が蘭学の素養無くても別におかしくない
当時蘭学が必要とされたのは医療より、西洋の軍事社会体制知る為の翻訳の為w
蘭学学んでる時は松陰が死に、最新の英学学んでた時は長井が航海策出し翻訳ごっこ所でないからw
なんだ 久坂って 秀才どころか お ち こ ぼ れ じゃねーかwwwwww >>399
当時は漢方医が主流な訳で、蘭学ダメ=医者としてダメという訳ではない
ただ、久坂の場合は兄が適塾塾頭なので家は蘭方なんだろう
それで蘭学ダメなのは致命的だなw
早くに天涯孤独になったとはいえ、その前に兄から学ばなかったのだろうか 当時蘭方とか決まってないだろw大村や兄も漢方と蘭学学んでるしw
兄が死んだのは15時、久坂は16で明倫館秀才、17で遊学18で松陰に弟子入り
しかも当時古くなって来てた、蘭学から英学に移ってる先進家
兄は27で適塾入門、その後銃陣ヘロトン翻訳したり、病身で海防策立案命じられ意見書つくり死亡
兄自体尊王家で月性と親しい
大村が長州に雇われた時もあくまで単なる医者や翻訳家としての扱い、軍事のトップとして起用され改革できたのは高杉クーデター後 久坂玄瑞が大英断を施し、高杉が一朝旧弊を除き、軍備政教一新したのが木戸や大村。
こうして大長州が定まった。 >>401
それどころじゃない人間が何で田舎帰って勉強やり直しさせれてるんだよ?wwwww
だいいちお前の中では久坂天才設定なんだろ?
普通人引き合いに出して、いいわけしてどうするよw
久坂は天才だからね、松陰死後から禁門の変まで、実際の政治情勢を覆し尊攘派を引っ張ったのは久坂だね。
幕府の開国策は永遠に武備充実がこないだろうと、松陰と始めて激論した時から見抜いてた。
利口な周布すら流された長井の航海遠略策(清国、李氏朝鮮と同じ方法)を廻瀾條議で覆し、長州藩と朝廷を動かし攘夷戦まで持ってった。
攘夷戦で外に防衛力を見せ、同時に内に武備充実を作り上げた。
例外だったのは禁門くらいだ。
でもあれも結果的に政治の天才久坂から、乱世の雄の高杉の出番来るわけだが。
松陰が久坂の才は縦横無礙、防長第一流、天下の英才と評し、西郷が久坂が生きてれば木戸も自分も参議など威張ってられん。
高杉や中岡が兄と慕うほどだわ。 何でも久坂の手柄にする人って珍しいな
長州の軍備の何が久坂の功績なの
そもそも久坂がやりすぎた結果が禁門じゃね? 俺もそう思う。
倒幕のため政略として攘夷を煽ったら炎が燃え上がりすぎて
自分自身も炎に巻かれて死んじゃったイメージだわ。
中岡がいて良かったね。 久坂先生がいなければ航海遠略でその後100年植民地にされた清国と同じ命運になってたろうな そいや西郷どんも長井討つべしとか言ってたな。
>>408
俺は上の人ほど持ち上げる気にはなれないがw
軍制については、久坂や入江が同志集めて作った光明寺党が後の奇兵隊や遊撃隊(長州)創設の刺激になってるから
まあそれなりにあるんじゃないかと。
身分を越えた部隊の創設を最初に建白したのは吉田稔麿だったっけかな。
攘夷親征ゴリ押しは失策だったな。
>>409
廻瀾条議の頃の久坂は攘夷(下田条約はOK)だが倒幕までは考えてないぞ。
でもまぁ飽くまで朝廷>(越えられない忠義の壁)>幕府だが、それは長州藩自体がそうだったし。(藩是三大綱)
流れとしては、朝廷の威光を高めつつ(幕権削りつつ)攘夷→幕政改革要求(文久二年頃)→5月10日に攘夷始めるっつったのに幕府始めてないじゃん攘夷親征するしかない(文久三年)
かな。 庶民兵については周布あたりも考えてたんじゃなかったっけ
まあ最初に組織したのは久坂たちなわけだが
とはいえ、来原やらが洋式兵制導入に尽力して、上士中士の反発でうまくいかなくて
「士族使えNEEEEE!!!!!」という流れがあっての話だから、
久坂ばっかヨイショするのはどうかと思った
あとたしかに、久坂は「幕府に任せておけん」とは思ったろうが
倒幕まではいってないよな
長州の連中が倒幕意識したのは四境戦争あたりでね?
真木は確実に倒幕まで考えてたみたいだけどね
小笠原の率兵上京(未遂)に危機感を抱いたという説もあるが
久坂はよく知らんが、倒幕に動いたとしたら大和行幸(攘夷親征)が具体化したこの辺だと思われ > 久坂は若い頃から俊才で 萩で名が知れ有名
規模ちっさwwwwww おらが村の有名人レベルw
11歳で藩主の前で兵学講義した松陰は本当の天才だったろうし
親試が優秀な出来で藩主から報奨金もらった木戸みたいな実績も久坂にはないんだろ
せいぜい塾の先生がお気に入りの生徒ちょっと褒めた程度の話
その程度で天才だったら、全国天才だらけになってしまうなw >>411
というか西郷にそそのかされて久坂は長井を斬ろうとしたんだよな。
久坂なんて西郷に殺されたようなものなのに
久坂厨は木戸への嫌味に名前使われても
「あの西郷さんが褒めてくれたー」って能天気に喜んでるんだから
久坂も浮かばれんなw
久坂が長井を斬ろうと、無駄にうろちょろしていた頃
桂は周布、中村九郎兵衛とともに絹服の着用を許され、朝廷と諸藩にたいする藩の外交代表として活躍していた 松陰自体も、通商条約の時点で理論的には倒幕に踏み込んでるね。
久坂の同志で清川、真木、平野の様な先進連中は、もう公武じゃ無理と倒幕まで考え進んでたが。
実際当時状況下で、朝廷は幕府認めてるし、内戦にもなるから幕府の存在自体は認めるって感じでないか。
>>416
当時西郷はその前まで島流しされ情勢に疎くなってる。
急に長州が京に攻め込んで来て、中立の立場取ろうとしたら、幕軍や会津軍が長州に蹴散らされ参戦。
その後に中岡が西郷に会って感触つかみ薩長和解に動く。そもそも久坂自体も京で武力突入自体反対だった。
蛤御門で長州が衰退し幕府が調子にのり公武改革案から幕府絶対主義になりかかり、結局薩摩が見限って長州と結ぶ流れになるけど。 清輝楼のいわゆる血涙会議で諸藩の興論を反長州にまとめ上げたのは西郷だったし、
勝ち誇る嵯峨勢を襲って来島又兵衛を戦死させたのも、西郷が参謀をつとめる薩摩の部隊だった。
嵯峨勢が壊滅したあとも、薩摩は外城水引の兵を先鋒として鷹司の邸を攻めている。
長州藩から見れば西郷はまさに、久坂を殺した元凶のひとりであろう。 久坂、生前も死後も西郷に利用されまくりw
そもそも久坂が長井をおとしいれたのは
松陰が江戸に送られて処刑されたのは長井のせいだと勘違いした久坂の私怨だしね
木戸が最初から誤解だって言ってたのに
異国に物資を運ぶのは尊王攘夷に反するとして、
薩摩の貿易船を捕らえて船長を殺してしまったのも久坂の一党なので、
配下というわけではなく、単に何かに付け劇しやすいひとだったのではないでしょうか。 加徳丸事件か
久坂は薩摩商人殺させて、積荷を焼き捨てたばかりか
薩摩非難を派手に広報するために、適当に選んだ同志を
嫌がってるのに無理矢理自決させて目的達成したんだよな
まったくこいつのどこが君子風なんだか 長井の様な僕知識あるんもん。生兵法開国派は始末悪い。
もっとも重要な王政復古集権の確立せずに、開国した国は全部植民地化。
当時アジアで王政の成功と独立保てたのは日本とタイくらいかね。
長井はせいぜい清の洋務運動クラスでしょ。
それでも心の広い久坂はギリギリまで長井を説得しようとしてる。
高杉はすぐ斬ると怒り、久坂にうん偉いなと褒められ、その後上海送りされたけど。
まあ、木戸のよう松陰から凡才とされたのじゃわからないかな。
一流ほど局面で体張るから死ぬしね。 >>422
同志の命なんかゴミ扱いだったそうだ。
長井の方の件でも、しつこく提出した二回目の弾劾状で、久坂は長井を
「八つ裂きにしても足りない」
って憎悪丸出しの事書いてるしなー。逆恨みコエーw ほらほら、またいつもの久坂厨の他人物sageが始まった
いいよいいよ、そうやってどんどん久坂アンチ量産してくれや 誰かを貶めなければ持ち上げられない久坂なんてしょせんその程度の人間ってことだ 一坂太郎が「吉田松陰は不平等条約に反対した」と嘘を松蔭神社での講演で嘘を吐いた。
吉田松陰は朝廷に伺いを立てずに日米修好通商条約を締結した徳川幕府に怒っただけだ。
『龍馬伝』の白痴脚本家は、
一坂太郎の「吉田松陰は不平等条約に反対した」の嘘を信じ込んで、
『龍馬伝』で久坂玄瑞に不平等条約の不平等さを坂本龍馬に語らせていた。
幕末に日米修好通商条約が不平等だと気付いていたのは、
小栗上野介ら一部の幕臣だけだった。
伊藤博文は明治時代にお抱え外国人から、
修好通商条約の不平等さを教えられて、漸く気づいたのだ。
其れから岩倉具視を団長にして、欧米に向かったのだ。
b 松陰は北山安世に交渉で外夷に次々制せられてると批判してるよ
そこから結局人材が居ない→列強に対抗できる体制となり水戸学よりさらに進んで一君万民まで進む匂いある
その辺が師匠の佐久間と違う、佐久間はあくまで西洋の技術を取り入れれば良いって所でとまってる
幕府も開国後のインフレに、一応経済政対策してるけど結局失敗して効果挙げれずそのまま、
平野国臣なども主に幕府の開国経済政策を批判してる
久坂らが政局の表に出る運動段階になるともう思想は出尽くして、現実の日本にどうやって作り出すかという段階だろう
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