小野田寛郎について詳しい人ちょっときて
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バイト先の留学中国人が言ってたんだけど、中国では小野田寛郎は
戦後直後ずっとフィリピンで人殺しまくってたって言ってたんだけど事実なの?
ぐぐったりしたけど、そのことについてもあまり記載されてないし、日本語の記事そんな多くないし。。。
もし事実なら日本はこのことを隠してるということなの?それとも中国のデマ? そりゃ、ゲリラ活動を行っていたのだから、それなりのコトやっているよ。
別に隠してないし、ウィキペディアにも書いてあるだろう。
もともと小野田は諜報員で敵地での工作活動ができるように訓練されていた。 諜報員なのに、日本が降伏したという現実を何十年も理解できなかったのは
致命的欠陥だよな。 小野田少尉今BSHiで再放送。
実際、ゲリラ戦で(太平洋戦争は終わってないと思っていた)
基地襲撃したりして比兵士が死亡、重傷もあった。
出てきた後、比大統領は仕方ないと恩赦、無罪。
別に隠してないし、確か本人の本にも、載ってた様な・・ >>7
これはちょっと面白い反論。
30年も戦闘を継続していたと言うのは軍人としては凄い根性かもしれないが
諜報員としては確かに問題があるよな。
日本はアメリカの傀儡政権になってて今に反撃が起きると思ってたみたい。 実際は現地人殺しまくったから投降できなかっただけじゃないの その可能性もあるけど、陸軍中野学校では「生きて虜囚の辱めを受けず」ではなく
「どんな事があっても生き延びろ」と教えられてたって、ソースは2ちゃん。 新聞読んで、天皇が生きてて、皇太子(今の天皇)の結婚式があったり(負けてれば
天皇家はなくなってるはず)、朝鮮戦争・ベトナム戦争で米軍機がいっぱい飛んでるのを
みて「大陸の日本軍が攻勢に出た」って思っちゃったらしい。
なんかで読んだ。 電気・水道・食料の補給なしに島で30年生き延びるのは常人には無理
大抵病気にやられて死ぬ
ウィキにはルバング島で過去30年間で30名の軍・警察関係者が行方不明になったと
記述されているが
あの島の狭さを考えると異常な数字だそうな。 >>18
しかし爆弾の音さえ聞こえないのに30年も隠れてるのは
よっぽどバカだよな。それとも戦前教育が悪かったのか? >>24
組織的戦闘の終結後も生き残っていたらゲリラ戦で敵後方を脅かし、
情報収集や撹乱をせよ、というのはどの国の兵士でも教育される事。
特に小野田少尉には3人の部下がいたから、将校として職務を果たすしか
ないだろ。フィリピンでは投降したら殺される可能性が非常に高かったし。
ただ現実としてジャングルで孤立して生きて行くのは非常に厳しいから
ほとんどの兵士は投降するか、戦死・餓死・病死してしまう。
特に雨期を生き残るのは非常に困難。生き残ったのは本当にすごい事。 小野田が投降した直接のきっかけは、山を下りて村に略奪しに来てフィリピン警察軍と銃撃戦になり、
小塚が射殺されたから。なお日本政府は事件の以前から二人が戦後も山の中に残っていることを把握
しており、山を下りるよう呼びかけてもいた。小野田は事情を知らない日本人には英雄視されている
が、実態はただの強盗殺人犯だった。もっとも戦時中は日本軍そのものが強盗殺人犯の集団だったの
だが。1931年の満州事変から45年の降伏までの15年戦争で日本軍は1800万人を直接間接
に殺したことをほとんどの2ちゃんねらーはご存じないのだろうけれど。 >>26 小野田少尉の投降するきっかけを作ったのは
鈴木紀夫じゃないか? 一億円近くかけて探し出した人間だからな
『英雄』って事にしとかないと差し障りがあったんだろうよ
小野田さんは帰国直後の身辺も精神も落ち着かないうちからかつぎあげられてしまったから
慣れない事に舞い上がったり自分にも周りにも強がりや無理をしてしまったようで
捜索に協力してくれた元戦友たちや一緒に島に残った島田、小塚の遺族にも嫌われる羽目になったそうだし
ちょっとかわいそうだとは思う 個人的には小塚さんが一番かわいそうだと思う
1960年代くらいに
小塚さんは小野田さんに「そろそろ投降した方がいいんじゃないか」と
言ってたらしいし
さすがに高度成長した日本を知れば
日本は敗戦したと気づくし
小野田さんは職業軍人だから
任務遂行したかったんだろうが 小野田さんが最後の日本兵というのは間違い。
実際は、ベトミンやベトコンに参加してフランスやアメリカとの戦争を継続した
日本兵は少なからず存在してる。インドネシア、ビルマ軍、国民党軍、八路軍に
参加した日本兵もいる。彼らは大東亜戦争を継続していたわけだ。
小野田さんのブラジル以降の生き方は尊敬に値するが、
ルバング島に関する事は謎が多くて何とも言えない。
中野学校だから戦後30年残ったという人がいるが、普通は逆だろう。 戦前の平均寿命50歳以下。これだけ見ても、一つの命令が
どのぐらいの長さ有効なのは軍人なら常識で判断するだろう。 >>29
確かに小野田さんの部下三人も二人は亡くなったし、かわいそうだよな
ただ、途中で投降した赤津さんの証言によると
どうも最初、小野田さんは他の班はみんな投降してしまったし残されていた終戦を告げる手紙やビラも気になるから
投降するかは別としても様子を確かめに行きたいと言ってたらしい
それを島田さんや小塚さんが止めたのだとか
(赤津さんは二人がいない時に小野田さんがブツブツ言ってるのも聞いたらしい)
その後は投降は禁句というか何となくみんな牽制しあう感じで言えない雰囲気になってしまったそうだ
その時点では、まさか誰もあんなに長くジャングル生活をする事になるなんて思ってなかったろうけど、
亡くなった二人が小野田さんの命令で残らされた完全な被害者ってわけでもなさそう この人の講演会行きたいんだけど、そういうのが分かるサイトない?
ぐぐったらもう終わったのばっかりしか出ない。 >>33 もうすぐ90歳だし
講演会は体力的にはきついだろ
現在生きている高齢者で陸軍中野学校の教育を受けた人物なんて
わずかしかいないだろうし
小野田さんには少しでも長生きしてほしい つべに三年前の講演映像ダイジェストがあがってるな
背筋が伸びてるせいか歳よりも若々しく見える
肝心のしゃべりはちょっと聞き取りづらいが…
機会があれば講演会行ってみたいものだ >>36
講演会の依頼は自然塾のサイトで受付けてるようだから、問い合わせてみたらどうだ? 最近小野田さんに興味を持ってルバングにいた頃の事を書いた本を読みたいと思うんだが
何冊か出てる本の内容って似たりよったり?
ゴーストライターが暴露本をネットで全公開してるのを見かけて気になった >>37
そうしてみる。
見たい人結構いると思うから公開すればいいのにね。 小野田は「負けない人」。小野田さんを批判した日本人は「負けた人」。
小野田さんにとっての勝負とは、米軍に捕まらない、フィリピン軍に
捕まらない、島民に捕まらない。これは負けられないゲーム。
負けたらゴミのように扱われ、惨めな思いをする。
(実際、ソ連抑留、日本軍捕虜虐待・虐殺、戦犯裁判と日本兵には
惨めな待遇が待っていた。)
「日本が戦争に負けたかどうか」は大きな問題ではない。
重要なのは、自分が負けないこと。たとえば土方歳三は、
「薩長が官軍になった」とわかっても蝦夷共和国を作って戦い抜いた。
だが、多くの日本人は、負ければ新秩序に従わなければと思う。
どんな理不尽な待遇でも甘んじて受け入れる。どんな非合理な事も
「平和のため」「心の平穏のため」と正当化する。
自分の弱さ、勇気の無さを自己憐憫して互いに慰めあう。
小野田さんはそんな日本人が大嫌い。だからブラジルへ行った。
多くの日本人が、自分たちと同じように自己憐憫しない、負けを認めない
小野田さんを批判した。多くの人が「あんな奴はブラジルで失敗する」とののしった。
だが、小野田さんはルバング島の局地戦で勝った時のように、
ブラジルでも粘り抜いて勝ちを手に入れた。
勝ちというものは時に道徳に反するし、時に冷酷さも必要だが、
勝たなければ奴隷になるしかない。
小野田さんは、勝つ事へのこだわりを誰よりも持ち続けた稀有な日本人である。 上官からの命令がなかった(受け取ることができなかった)からずるずるいたんでしょ。
日本に帰ってくる前に、元上官が引っ張り出されてた。 諜報部員だもんな。
戦争終わりました、はい、帰りますってわけにはいかんだろ。
そういうのが多かったとしたら、それのほうが問題あるような…。
だから、小野田さんを旧日本兵っていうのはよくない。
スパイって言わなきゃな。 投降しなかった理由については中野学校の教育やスパイとしての任務がどうたら上官の命令がなかっただのと言われてるけど、
普通に戦中教育受けてりゃ、素直に出ていかなくても不思議はなかったのかも。
アナタハン島に敗戦を信じずに戦後も篭ってた男約30人(女1人)とか、兵士じゃない奴らもいたそうだし。 >>40
祖国が間違いなく総敗北したのに
それを見据えないほうが卑怯な気がするけどな。
緊張の連続でまともに熟睡してなかったそうだし、
統失まではいってなくても判断力は鈍ってたのかもしれない
出て行かなかった理由とか身内の呼びかけを聞いたりビラを見て判断したという事が
仮想敵と日夜闘う自称サイバー攻撃被害者とか集スト被害者の統失の訴えと少し似てる
ある部分では筋が通ってるようで納得しそうになるが、
よく読むとどうしてそう思ってしまったのか意味不明 決定的に違うのは
小野田少尉は戦時中は仮想的でなく現実的と実際に戦っていたこと。 確かに戦時中はな
日本の終戦以降は仮想敵国や仮想味方国を妄想して戦ってたらしい >>49
勝手に日本語を作り出すおまえが馬鹿なのはわかるな >>50
すまん、馬鹿なので何か気に障ったのならかみ砕いて言ってくれ 講演会行きたがってた奴ってまだいるかな?
本人出演のHNKハイビジョン特集が明日の深夜にBSで再放送されるそうだ
あと、本探してた奴は『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』がオススメ
回想録は内容かぶってたはずだからどれか一冊読めば十分
小野田さんへの直接取材こそないものの、赤津さんや生き残った方への取材が中心で
回想録にはさらっとしか載ってない終戦から他の兵たちが投降した経緯や
救出活動の経緯などについても詳しい
どうも小野田さんは若かったしリーダーシップを発揮できるタイプではなかったようで
カッコいい信念の軍人小野田少尉像は若干崩れるかもしれないが
個人的には世間で言われる英雄像よりも人間らしいと感じた
だからといってゴーストライター暴露本のようにあからさまな嫌悪感や
批判的な視点で書かれてないから読みやすいと思う
色々な意味で小塚さんがスゲェ(゚∀゚) どうすごいのだ?
さっきBS途中からみてしまって小塚さんてひとがようわからん 昨日のBS面白かったな
デール・カーネギーの悩みに対する実践方法に見事に当てはまる
ポジティブな思考方法だった 高齢だが、存命のうちに講演会何とかやってくれんかね? 北朝鮮で暮らすより、ジャングルで暮らす方が栄養摂れるの?
帰国した拉致被害者は皆、歯がガタガタだったけど、小野田さんも、横井さんも、歯が驚く程丈夫で綺麗だったよ。 ぶっちゃけ、死んだ戦友は食べたのかと思った。
死体が見つかり、捜索が始まったね。
>>1
人殺して食べなきゃ、あんなにピンピンしてないんじゃね?
ジャングルで考えられる我々と変わらない栄養価って何? 三十年筆持ってなかったのに、なんであんなに達筆なの?
達筆な人尊敬する〜。 >>14
ぶっちゃけマヌケな話だよね。
得ている賞賛に比例したマヌケっぷりだと思う。 >>18
石にかじりついてでも
だよ。
ソースはYouTube。 レイプもしたし、人を殺して食べたと思う。
弱肉強食。
自然界の動物と何ら変わらない。
人をどこまでも野蛮にさせるのが戦争であり、だからこそ、戦争体験者は「戦争を繰り返してはいけない」と言うのだと思う。 小野田さんはSAPIOで従軍慰安婦を否定する記事を書いてたが、その中で拉致されたり騙されて
連れてこられた人たちも確かに少なくない数存在したのも事実って書いてて
ネトウヨに糾弾されとったな
あと、フィリピンってアメリカとスペインの植民地だったんだけど、独立できたんだからイスラム王国時代の国境線に戻そうっていう
独立派ゲリラもたくさんいて、ジャングルなどはとても治安が悪い
平和なのになんで戦争が続いていると思ったか?って疑問だろうけど、それはゲリラと政府軍、州軍との戦闘がばんばんあったから
平和なんて感じなかったんじゃないだろうか? youtubeで、ミンダナオ島の独立ゲリラと軍の戦いの動画あがってたから検索してみ?
ジャングルを空爆してるんだよwww もうね、内戦かと・・・
あれを見れば、まぁ大東亜戦争と勘違いするのもありえるなって思ったぜ
>>60
ニューギニアで終戦後9年間ジャングル生活をして生き延びた日本兵がいるが、
食い物は狩猟と作物栽培で何とかなったそうだが、塩が手に入らず
そのせいか歯がガタガタになったそうだ。
当初は軍の支給物資だった粉味噌で何とか保たせたそうだが、のちは危険をおしてまで
原住民と交渉して塩を手に入れたらしい。 巖と固き軍律に 轟く正義その力
千萬人も敢て往く 是れ~州の大和魂
既に聖戰幾そ度 凱歌は常に我とあり
貫く赤誠たゞ一つ 知れ萬世の大日本 「生き抜く」っていうNHKのドキュメンタリーが好きだ >>7
降伏しても再び戦うからいろって指示されたのしらんのか 小野田氏はルソンの兵団司令部にてルバング島警備隊の遊撃戦指導の任を与えられ、「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。
必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張れ」と命令を受けた。
ルバングに派遣されるとき、最悪の場合、米軍の本土全面占領がありうると説明されていた。
日本が占領された後も中国大陸で徹底抗戦&反撃をするために、敵の占領地に居残って敵の後方を攪乱・牽制して戦い続ける計画。
戦争が終わっていたとしたら、小野田氏の特殊任務を知っている中野学校の関係者が命令を伝えに来るはず。
また、他の島への単独移転は禁じられていた。命令がこない限り、勝手に武装解除して投降しようとは思わなかったのだろう。 なぜ、ジャングルで三十年過ごした人が、綺麗な短髪=ボーズ頭なの?
肌も綺麗だし、髭も割と整えられてるよ。
どーゆー事?
なぜ、たまに見るゾンビみたいなホームレスより綺麗なんだよ。
歯も肌も、髪も・・・
そこが不思議なんだよ。
髭といい、髪といい、定期的に散髪行ってる人のそれだよ。 >>78
女の紐だったんじゃないか?
と言われたのが許せなかったみたいだけど、有り得なくはないと思う。 >>82
日本人とフィリピン人って似てるから、強奪した金で街に買い物いってもバレないだろう >>81-82
ジャングルに潜んでいたという事にはなってるが、実際にいたのは竹林だからな。
湿地のジャングルなら人間も銃も軍服も1年ももたないが、
乾燥した竹林なら比較的快適に過ごせる。
ただ戦闘になったら竹林では敵弾を防ぎようもない。発見されやすいし、
襲われたら全滅してしまう。
ジャングルなら容易には見つからないし、簡単に隠れてゲリラ戦を行う事が出来る。
第二次大戦後の日本兵捕虜がボロボロだったのはそう言う訳。
当たり前の話だが、小野田さん達は、戦闘よりも生活を優先して竹林に住んでいた。
そうしなければ死んじまうからな。 綺麗な水をどうやって確保していたのかが気になる
スコールがあるから雨はかなり激しく降っていたみたいだけど 現地人をかなり射殺してるのは事実。
「当たらない弾は撃たなかった」
「処刑されてもしかたない。それだけのことをした」
それが彼の答え。
僕は心から尊敬している。 どこが尊敬だよwww
補給もせず、現地の人々(もちろん民間人)を襲い殺害し・・・現地調達
こんな恥ずかしい軍ないだろ
某陸軍大尉は、当時の日本兵は乞食の集まりだったと言っている
アジア各地で、村を、人を襲い、物資を強奪した鬼畜達だよ 彼は銃を持っている人間しか撃ってない。
アタマの中が完全に戦争中。
敵が銃を持って近づいてくる。
じゅうぶん引きつけて撃つ。
軍人として当然のこと。 >>89
日中戦争の現地調達は村人が儲ける機会とばかり
食い物売りにきてた歴史をしらんみたいだな。 戦争中でもないのに日本に大挙襲来し売春して稼ぎまくる韓国人中国人。 今日、靖国神社で講演してた。誰よりも背筋がしゃんとしてた。
歩く姿もしっかりしてて、足腰のしっかりした60代にしか見えない。
握手して貰ったが、一人一人に対して柔和な笑顔だった。
イロイロ経験した人にしか出せない深い奥行きのある笑顔だよ。
肌ツヤもいいし、67、68にしか見えない。来年90だそうだ。
身長小さい人は、長生き傾向にあると言うし、あの筋力、足腰、あの若さ!あの肌のツヤ!
またまだ長生きすると思うな。
見たい人は来年靖国神社に行けばいいと思う。 >>93
情報感謝します。どんな話をされていたのか気になります。 >>96
すばらしい動画でした。見られて良かったです。 >>90
普通に山で遭遇した丸腰の民間人とかも撃ってるよ
赤津さんも証言してる
おかげで現地の人は小野田さんたちがいなくなるまで迂闊に山に入れなかった 15日の靖国での小野田さんの姿をチャンネル桜の動画を通じ
見ました。2年前位に憲政会館で小野田さんの姿を初めて見たときのように
背筋がまっすぐでとてもかっこよかったです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています