【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
対支強硬派ってのは何の目的かさっぱりわからん
結局、予算獲得、利権
出世目的にしか思えない 共産主義者が
日中両国の共産化のために戦争を煽っていた そうなんかー
トラウマン工作見ると
ソ連に行かないように
つぶしたい勢力はいたみたいだけど バカウヨとバカサヨが一緒なって
日本を間違った方向に導いてしまった 政党政治家が腐敗しきってたから真に国を憂える軍人が行動を起こさなければならなかったのだ。
命がけで国を守る軍人には私利私欲というものがないからね。 その軍人に政治的外交的大局観が欠如していたのが大問題だ
政治は動機より結果が何より大切 清廉潔白のように思われがちの軍人も、実際には芸者遊びにうつつをぬかし、
権勢欲と名誉欲に取り憑かれた俗物だらけだったわけだが 昭和新興財閥からかなり高額の裏金もらって遊んだり、アヘン購入して密売させたりの資金にしてたわけでw
まあ、政治家、軍人、起業家、現地の軍閥、女衒も含めて一味だわな。
気の毒なのはそういう人達が清廉潔白だと信じちゃってた国民やら後世の偏った歴史観持った人。
そういう人向けの綺麗事ばかり並べた本がそれなりの稼ぎになるんでそれに乗っかる出版社や著者。 清廉潔白かどうかなどどうでもいい
政治リーダーに求められるのは
正しい現状認識と政治判断だ
大局的に間違わないことが何より大切 >>320
こういう場合は俗者よりも清廉潔白なやつのほうがかえってヤバくなるんだよな。
ポル・ポト然り 清廉で間違うやつより、正しく判断できる俗物のほうが良い 金権屋だが私生活で清貧だとポイント高い
原がそうだった >>323
ポルポトを持ち出すまでもなく東条英機がその典型でしょう なぜ内閣総辞職すると第二党に政権が渡ったのだろう。第一党が政権を担うのを「憲政の常道」にしとけば
政局の混乱はもうちょっとマシだったんじゃないかな。 失策をやらかして政権を投げ出した政党が政権を持ったままだと、その失策をやらかした
政党党首より、さらに党内序列で格下の政治家が政権を持つことになり、またそいつが失策をやらかすと
さらにその下の政治家が政権に、ってことになるんで、それは筋が違うでしょってことなんじゃない?
こないだの民主党みたいに鳩山がやらかして辞任して、そのあとに菅が出てきてまた辞めて、
さらにそのあとに野田が、みたいなことになるのはちょっとねぇ、ってこともあるし。
そもそも、「第一党以外には首相になる権限が無い」という原則を厳密に運用しようとすると、
山本権兵衛や加藤友三郎のような軍出身の有力政治家を首相に選ぶことが出来なくなって、
政変が起こった時の選択肢が少なくなる。
あくまで政権っていうのは「天皇が任命する政府(官僚組織)のトップ」という位置づけあって、
議会とは別のものというのが明治憲法体制の建前だから。 本来は第二党による解散→総選挙だろうね
この前の民主党の場合は、単にトップを変えただけだから
国民側からすると厭きられて、しかも消費税みたいな選挙公約破りをやらかして
しばらくはもう立ち直りはできないんじゃないかな
第一党での首班交代の成功例は
池田→佐藤→田中→三木と、見事だけど
かつての自民党は中選挙区下の
党内での疑似連合政権と思われてたからね
あんなのは小選挙区制ではできないでしょう 政権担当に議会の信任を要しなかったのは戦前政党内閣の弱点だった。 >>333
逆に、議会の信任さえあれば政権を担当出来るという制度にすることの危険性もある。
民意のみで選ばれた政権が、必ずしも最適解となる政策を選ぶかどうかは分からないわけで。
とりわけ他国との関係を取り結ぶ際に国内世論にのみ目を向けて政策の策定をしまい、
相手国との関係を損なってしまう危険性を考えれば、そう簡単に政権を政党内閣に渡すのは
如何なものかという判断が出てきてしまう。
実際、議会で多数を取った護憲三派内閣のスタート時、加藤高明を首相に任命するかどうかを
西園寺が迷った時に一番ネックとなったのが、第二次大隈内閣時に加藤が外相として行った
対華21か条要求という政策で、「ああいう対外的強硬施策を取る人間に任せて大丈夫か?」って
心配がなされたことだったし。 小林道彦「政党内閣の崩壊と満州事変」ミネルヴァ書房
これいいね。 坂野潤治もいいけど一時期、二大政党交代論から民主党に肩入れしすぎたのはお愛嬌かなw 晩年の西園寺は加藤高明を大久保や伊藤と並ぶ逸材と評価を逆転させている
可哀相なのが大久保伊藤加藤、一段劣るが原と評された原敬 >>336
大正期の政党政治の伸長と、陸軍との相克に関して調べたい人にとっては基礎文献となると思う。
陸軍について研究した人や、政党政治について研究した人はそれぞれの分野でいるだろうけど、
この両者が相互にどのような位置関係を取っていたのかを調べた人はあまりいないから。
坂野潤治がこの辺に興味を持って調べてみてくれると、また新しい知見が出てくるんじゃないかな。
もっとも、著書を読んでいると、軍に対するアレルギーが強すぎてこの分野自体を敬遠していそうだけど。 >>339
えー?筒井の方が政軍関係の真ん中にたった論文が多くね? >>340
筒井の著作は昭和の時代に入ってからの軍内部の動向と政党政治の流れに関しては極めて詳細だけど、
大正期の政党政治に関しては特定のキーマンのみを掘り下げていくのに留めていて、
この時期の政党内部の角逐とかにはあまり興味がなさそうな印象。
むしろ筒井の興味の対象は近衛文麿や木戸幸一、それに西園寺-原田を加えた「宮中グループ」の
動向の方にあるんじゃないかって気がする。 西園寺の原嫌いは角栄の竹下嫌いに通じるものがある
要するに自分の身辺地盤を脅かしかねない人物として見ていた 今の自民と民主の国会での政局に
国民はうんざりしているけど当時
の民政党と政友会の争いも似た様
な物だったのかな? 当時は貴族院や軍や枢密院が独自の動きをしたので今よりずっとも政局が複雑。天皇も
権力はなかったものの自立的なプレーヤーだった、 戦前や民主党を見てると日本には二大政党制は合ってないな。 >>343
このころの政党政治の争いは、今の自民と民主の争いどころじゃないよ。
もっと豪快にぶっ飛んでる話がゴロゴロしてる。
筒井清忠の著作の中で中に面白い話が引用されてたんで、ちょっと長くなるけども貼り付けておく。
―――――――――――――――――――――――――――
B地域の政党化•分栴化と中立化•統合化欲求の昂進
次に、「党弊」と言われた政党による官僚支配の問題がある。加藤高明護憲三派内閣では、
朝鮮総督府政務監、鉄道次官、内閣拓殖局長などのポストに政党員が就く「政党員の就官」
が行われ、湯浅倉平内務次官、太田政弘警視総監、川崎卓吉内務省警保局長等、憲政会官僚
の積極登用も実施されている。
さらに加藤高明憲政会単独内閣になると、若槻内相を座長にして設置された行政調査会の報
告として、各省局長半数を詮衡任用にするという形で「政党員の就官」が大幅に加速化するこ
とが決められている。これは、加藤首相が病気で亡くなり結局頓挫するが、実現一歩手前だっ
たのである。
また、中でもこの問題との関わりで重要であったのは、内務省と選挙の関係の問題であった。
1928年1月の議会冒頭解散の10日ほど前に田中内閣の鈴木内相が知事•警察署長等地
方官の大更迭を実施し、これが第一回普選における政府の選挙干渉を激化させたと見られ、1
930年の第二回普通選挙の際は、解散前に今度は浜ロ民政党内閣の安達内相により二県以外
のすベての警察トップを更迭し、全国警察署長一ニ〇〇名の中約半数を異動させたと見られて
いる(水谷三公氏は、政党の内務官僚への介入の画期を田中内閣の鈴密三郎内相就任としている。
『日本の近代13 官僚の風貌』205—20頁)。
内務省を掌握すると選挙に勝つことができるということで、内務官僚の政党による掌握とい
うのが極端に進んでいったのである。この反省から、政党内閣が倒れた後の斎藤実挙国一致内
閣では、警視総監•内務省警保局長・衆参両院書記官長などは試験任用にするという文官任用
令の改定が行われ、官吏の身分保障が強化されることになったのであった。
しかし、事態はもっと深刻であり、この程度のことで収まるようなものではなかったようだ。
この点あまり知られていないようなので、村田五郎という内務官僚が1935年に大分県の警
察部長になって体験したすさまじい実態を紹介しておこう。
(1)村田が警察部長として赴任すると、部下から「村の駐在所のどちらを使うか」という質問が
あり驚いて質してみると、大分県には村ごとに駐在所が政友会系・民政党系と二つあることが
わかった。政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するというのである。
(2)結婚、医者、旅館、料亭等も政友会系・民政党系と二つに分かれていた。例えば、政友会の
者は政友会の者同士で結婚し、「反対党の医者にかかれば一服盛られる恐れがある」ので「反
対党系の医者には絶対にかかろうとはしない」「家人は同じ政党系の医者に診てもらうために
八キロであれ十キロであれ、病人を戸板に乗せて運ぶ」のである。
(3)結婚等は私行上のことなのでともかくとしても、道路•土木工事のような公共事業も知事が
政友会系・民政党系と変わるたびにそれぞれに前のものを打ち切って新たに行うので、二つ行
われていた。「したがって大分県では常に同じ方向に向かって延びる、同じ幅員の道路がニ本
並行して作られることになるのであった。それが内閣が代わるごとに操り返されるのであるか
ら、いつまで経つても工事は完了しない」。
(4)消防も系列化されていた。部下が起草した出初め式の訓示に(当時、消防は警察管下)「水は
公平にかけろ」とあつたので「こんな馬鹿な文句は削れ」と言ったところ「本県の消防組員に
はこの点が特に大事で、強く注意しておく必要があるのです」とのこと。聞くと火事の時「焼
けている家が政友会の党員の家であれば、民政党の消防員は水をかけずにただ焼けるのを傍観
しているだけで」その逆も然り。「だから『水は公平にかけろ』という文句が訓示のなかでも
一番大事なところで、これを抜いたら肝心な訓示が訓示にならなくなってしまうというのであ
った」。 (5)それぞれの党の県本部の下に各市町村ごとに下部組織が整然と出来上がっていて、常に党員
の獲得と離党阻止に異常な努力が払われていた。しかも各支部の幹部は、日頃から各党員の私
生活にまで立ち入って何くれとなく世話を焼いていたので、党員の団結は頗る強固で、隅々ま
で連絡網が張りめぐらされていた。
(6)このような強力な組織をもって、双方の政党は、野党時代には政権党の内閣の知事の下での
県職員の行動を厳重に監視し、一度政変により政権党になると、その度ごとに反対党の知事は
じめ職貝を一斉に退職させた。とくに警察官には徹底していたので、警察官は反対党内閣に馘
首されると自党政権ができるまで自党有カ者に生活を支えてもらっていた。
(7)斎藤内閣後は、政友会・民政党系署長をほぼ半分ずつ混ぜて配置し、署長の下には反対党の
署僚警官を配置していたが署長と署僚警官が牽制し合うことが危惧された。
そして、当時県の警察には、実際の県警察部長の村田以外に(職務上は別府警察署長等になっ
ている)政友会系・民政党系それぞれの「警察部長」がおり、「警察部長」が三人いると言わ
れていることがわかった。各警察官は自派の「警察部長」の意向を確かめてから動くのである。
(8)札付きの政党系列の署長などをやめさせることにしたが、自派政党幹部を頼りにしてなかな
か辞表を出さず、一旦了解した知事も両党幹事長に「今度の県会はただではすまないぞ」とす
ごまれて中止を言い出した。辞職をタテに説得して了解を得、上京する知事に関係者宛ての人
事書類を託したが返事がなかつた。上京して質してみると、内務省に各政党の手が回っていて
実現できないということなので、書類を自ら内務大臣に持っていき、ようやくそれを実現した。
(9)白昼、別府市の繁華街でやくざの組員が対立する組員に襲われて死亡する事件が発生。殺さ
れたのは民政党系、襲ったのは政友会系と判明。犬養内閣期に政友会系警察に無理やり捕まっ
ている間に民政党系に縄張りを奪われたので出所後報復した仕返しであつた。しかも縄張りの
取り返しのことで民政党系の別府警察署長に会いに行く途中であった。この件から、やくざも
政友会系・民政觉系に分かれており、政党を守る第一の城壁が警察、第二の城壁がやくざであ
ったことがわかった。警察は自党のやくざの犯罪は見逃し、反対派のやくざの犯罪の摘発には
力を入れていた。野党側は対抗上、与党側の犯罪を調べて隠しておき、警察が一件摘発すると
与党側の犯罪を一件持ち出すので、警察は両方を「チヤラにして見逃し」ていた。自宅前の県
道で通過料一〇銭を徴収しているやくざもいた。
(略)
(10)折から開かれた全国警察部長会議で、警保局長は「天皇陛下の警察官」という言葉を使って、
「日本の警察は政党に従属する警官ではなく、天皇陛下の政府に仕える警察官であるから、今
後警察官は真に政府の警察という本来の姿に立ち戻って出直すべきだということを強調した」。
「過去十四年間警察が政党に顎で使われ嫌な思いをしてきただけに、この言葉に全国の警察官
の士気は大いに上が」った。「警察官の稍神に大きな影響を与えた点において、この昭和十年
春の警察部長会議は、戦前の警察の歴史において非常に重要な意味を持つものであった」(以
上、『海鳴り――内務官僚村田五郎と昭和の群像』上165—91頁。なお、やくざの抗争に関しては
一部記憶違いの所もあるようだ。『大分県警察史』⑴755頁参照)。
―――――――――――――――――――――――――――
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』 ちくま新書(p272-279) 「火事だ!」ってんで出動した消防隊員が、「あ、ここんちは政友会の家だから、このまま燃やしちまおう」とか、
「病人です!」ってんで往診した医者が、「ここの家は民政党か。んじゃ治療はテキトーにしてにしてやれ。
死んでくれたら民政党の票が減って儲けもんだ」みたいなことをやってたってんだから、いったいどこの未開の
国の話なんだかって思うくらいだ。
「こうした視点から見ると、「党利党略」に憂き身をやつす(と見られた)政党政治への「嫌悪
感」が「中立的」と考えられたもの(天皇・官僚・警察・軍部等)の台頭を必然化したのだと
も結論づけることが出来よう。」(p281)という筒井の発言も大いに頷けるものがあると感じる。 同型の二大政党制だからダメダメなんだ。
しかし日本で政権取ろうとするとああなっちゃう。 名言だが迷言扱いされがち>話せば分かる
御膝元の岡山県警が交通安全の標語に使ったりズレた事やってるけどw 西にレーニン東に原敬って言ったら懲罰処分を食らったでござる アメリカってバカだから、平和好きの女が参政権を得れば日本は戦争をしないと考えてたらしいな
じゃあドイツはどうなんだというわけで 18歳以上に投票権が引き下げられるけど
戦前の様に段階的に男性だけにしとけよ。 院外団(政友・民政両方とも)かな。ヤクザみたいなもんだったと聞くが 在郷の色んな団体はほぼ暴力団だったのが高度成長期までの日本…
業界利益、企業利益、地元利益誘導のためご都合主義の正義と権利と倫理を題目にw 国民は財閥と癒着した政党に失望し
軍部に期待したが皮肉にも軍部自体
が政党以上に財閥と癒着していたのだ 昔の政党政治なんてどこも私兵をもってたでしょ
ナチスしかり 人民解放軍は中国共産党の私兵だが、政党政治の私兵を日本板で呟く意図がわからない 院外団の実態についての本とかないのかな?
支持基盤だった地域ボスもヤクザみたいなもんだろうし
暴力と政治は今よりずっと身近な関係だったのだろうね >>366
自由民権運動絡みの本だと選挙の時に対立する候補者の支持者が火縄銃で銃撃戦した話とか、投票権を持った元庄屋の家に投票権を持たない自作農の人が鍬持って談判に行った話は出てたりする。
院外団というテーマでそういうのをまとめた本は知らんなぁ。 政党の院外団や地方組織、地域での活動実態なんかは
よくわからないことが多い。>>346-348にある筒井本くらいかな。 治安維持法は普選と引き換えに必要だったしな。
アラブの春と一緒で、早すぎる民主化は害悪。 >368-369
院外団といった存在のみにテーマを絞ったものではないけど、
戦前の選挙の実相や選挙活動に関するあれこれを記述したものの一冊に、
こういう本がある。
季武嘉也『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年』 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)
明治期の自由民権運動の流れを引いた第一回総選挙から、
明治中期の対外戦争を経て国民国家という仕組みが強固になっていく時期、
政党が力を持って政治を動かす主体的な力となっていく時期や、
その反動で政党が没落して官僚機構が前面に出てくる挙国一致内閣期など、
多様な背景や社会の変化がどのように選挙に影響していったのかを、
選挙違反の数や実態から読み解いて行こうとする内容のもの。
暴力的な政治団体の活動実態や、選挙戦を争う中での不祥事などについては、
あまりメインで取り上げられていないけど、選挙というシステムがどのように
日本人に受容されていったのか、候補者と有権者と非有権者のそれぞれの実像が
どのようなものだったのか、といった事柄を中心に取り扱っているので、
戦後憲法下での55年体制以降の選挙というものに対してしか実感を持っていない
者にとっては、なかなかに新鮮な知覚を与えてくれると思う。 面白そうだな。
候補者同士の凌ぎ合いに世相や社会のあり方が反映されそうだし。 ネパール地震『311』に発生・・・人工地震か!?
日本時間3時11分に発生した。地震波形が爆発型である。スパイクが2連発。
http://richardko shimizu.at.webry.info/201504/article_162.html
2015年5月11日に第2の『3・11人工地震』が計画されているという予測
世界のエリートと直接繋がりのある週刊エコノミストの表紙が気になります。
右下に11.3(3月11日)とその左横に11.5(5月11日)と書かれています。
左下の地球儀の中の日本地図が変だそうです。ふむ。近畿地方がない。
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-457.html 最近イギリスの二大政党制がご臨終か、とテレビが騒いでいたな
結局たいした動きにはならなかったみたいだが
二大政党制にしてみたところで、べつに良いことばかりじゃないよな?
戦前日本の二大政党だってロクなことはなかったし
手本とされるイギリスでも国民がだいぶ飽き飽きしてることは良くわかった つーか労働党の敗因を地上波で
きちんと説明した局ってあったか? 敗因ってスコットランドで独立党に地盤奪われたから? この時代は首相が在任中に急に亡くなるというようなことが珍しくなかったが、
加藤高明も生きてれば(憲政会内閣での選挙なら)普選第一回はまた違う結果
だったんだろうなと思う >>378
そうかな?少数与党だったし。
多数を取ったのは政友会の不人気反動を利用した浜口まで待たなければならなかったし、 総理として推奏を受けるだけの人材が育てられない。
派閥争いには勝たなければならないが、、、 >>188
>188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 09:57:45.73 ID:07nRc52/0
>なってなくて総裁になる可能性があったのは、これぐらい?
>政友系:星享、横田千之助、床次竹二郎、森恪、鳩山一郎。
>民政系:桂太郎、宇垣一成、安達謙蔵、中野正剛。
昔あった書き込みをひっぱり出してしまったが
とくに満州事変の後には、政党の人材不足がひどいな。
1930年代に、軍にも政党にも受けの良い政治家は近衛くらい。
鈴木喜三郎や町田忠治では、詰みだわな。
かといって久原房之助や永井柳太郎でも、むつかしかろう。
軍から政党に入るケースが、もう少しあれば違ったのかもしれないが。 宇垣はたしかに惜しい。ただ宇垣本人は民政党党首の話には気乗り薄で、
政民両党の支持をうけた挙国一致内閣をやりたい希望があった。
だから昭和12年の大命降下は好機会だったが、拝辞に追い込まれたのは無念だったろう。
陸軍がノーと言えば政権もできないという前例を作った意味でも、宇垣内閣流産は一大痛恨事。 今更ながら小泉博が今年亡くなった事を知った
中高年世代にはクイズグランプリの人なのかも知れんが
このスレ的には小泉策太郎の息子 確か山宣の息子がまだ存命だった筈
養子に出して姓は変わっているが 政友会や民政党のような戦前の政党って党章やロゴのようなシンボルマーク的な物はあったんだろうか
ナチのハーケンクロイツ始め同時代の海外の政党にはあったワケだが
日本でも、政党とはちょっと違うが後の大政翼賛会や満州国協和会(厳密には日本じゃ無いけど)にはロゴや会章があったようだし >>384
宇垣は軍縮で軍内で嫌われてたんだっけ? >>389
そういう部分もあったろうけど、排斥された一番の原因は3月事件での去就だったみたいだよ。
部下の企てたクーデター計画を耳にしても、あいまいな態度ながらも焚き付けるような姿勢を見せているのに、
風向きが悪いと見るやそいつらを二階に上げてから梯子を外すような真似をしたってのが反感を買った理由っぽい。
2・26事件が収まったばかりのところだったし、派閥対立を利用しながらクーデター計画に色目を使うような
人間が出戻ってきたら纏まるものも纏まらなくなるってのが宇垣排斥に動いた連中の本音だったんじゃないかね。 安達謙蔵→中野正剛、永井柳太郎
加藤高明→三木武吉
町田忠治→松村謙三、大麻唯男、野田武夫
井上準之助→一万田尚登 維新の党臨時党大会で執行部が選出されたことで、残留組と大阪系で二人の代表、二つの執行部が存在することに
久原派と中島派に分裂した政友会みたいだ。まあ左右に分裂した社会党に例えることも出来るけど 維新ごとき雑魚政党は社会大衆党に例えるのすら憚られるわ >>346-348
それが本当なら実に愚かだ!ああ、なんたる間抜けな有権者達よ!
肝心の政治家自身は結構両方の系統を行き来してんだぜ!完全に与野党で分かれてる訳じゃない
おバカな庶民は国会プロレスをマジに受け取ってんじゃねえよ >>360
YES
そもそも政友会が党と名乗らなかったのは党という言葉の私的で悪いイメージを避けるためだからね。 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 戦前の政党政治が
話題にならないのは
GHQ史観に汚染された連中が主力だからだろう。
戦前の日本は天皇と
軍部による独裁国家で
民主主義的政治である
政党政治なぞ存在しなかった
ことにしたいのだと思う。 >>393
でもさ社会大衆党って敗戦革命狙ってたんでしょ?
それってクズじゃないのかな。
維新でもおおさかの場合は社会大衆党よりは
マシだと思うけどね。 >>399
社会大衆党は財閥を敵視するだけで天皇大権は容認している。
軍部に融和的なのは敵の敵は味方の論法でしかない。全体主義を共産主義
の擬制だと思ったから進んで翼賛体制に協力した。
社会党はここの残党が多く、冷戦後その体質がモロに出て自爆した。まさに歴史は繰り返すだ。 >>400
そういえば浅沼稲次郎は天皇崇拝者で、本来なら右翼に殺されるようなタイプではなかったというね。 三木武吉やる夫スレを読んでいても、三木武吉が進歩党に入党しなかった理由がよくわからん
斎藤隆夫は入党したのに >>403
鳩山との関係があったし後進歩党は松村や大麻と町田派が指揮をとってて加藤浜口派の武吉に居場所がなかったんだろう。 戦前の政党政治について、私のような初学者が読むべき本ってありますか? @『昭和戦前期の政党政治』 筒井清忠著 ちくま新書
A『政友会と民政党』 井上寿一著 中公新書
@が第一次加藤高明内閣から犬養毅内閣までを個別に解説してるのに対して
Aは政友会と民政党の特色を党派別に解説している本だったと記憶している >>406
ありがとうございます!どちらも図書館で探して見ます! 【バカウヨの政策】 竹槍訓練 神風テロ 九条破棄 【センソー儲かる】
【日本の金正恩】 安倍寛信 【安倍晋三の兄】
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
どうも日本人のレベルの低さというのは、第2次大戦において、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、
日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。核兵器自体が今の世界では使いものにならないのです。
宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ、宇宙人の存在を公表しなさい、60年の猶予を与えましよう。
ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8
火星の人々は地球人よりも小さく、火星には実際、私たちの惑星よりも多くの人々がいます(90億人)。
NASAは、無用な組織とされることを恐れています。マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。
【天才!志村どうぶつ園】 なぜハイジは動物と話せるのか? 【マイトレーヤの世界演説】
テレパシーによる世界演説は英国BBCが放送
https://www.youtube.com/watch?v=6cOvo6n7NOk
マイトレーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行している。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。 >>407
『昭和の政党』 粟屋憲太郎著 岩波現代文庫
これもいいよ 憲政の常道と呼ばれる時代の首班指名は全て元老西園寺公望の意思によって行われていたんですよね?
選挙による政権交代は一度もなかったわけですし。
議会制民主主義が漸く育ち始めた時期ではあるけど、
元老主権という体質は変わらなかった。
議会の弱さが軍部や官僚といった勢力の台頭を許した。 大正15年の選挙で誕生した加藤高明護憲三派内閣は選挙による政権交代だったな
次の若槻礼次郎憲政会内閣の時に若槻首相は解散総選挙に打って出ようとしたけど
例の3党妥協でやめてしまった。あの時に総選挙で政権選択していたら選挙による
政権交代がある程度定着したかもしれない 本当はそんときに議会政治を強化するように憲法を改正するべきだったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています