坂本龍馬のクズエピソード教えてください
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>>184
龍馬には実子はおらんよ。
養子なら居るだけ。
その人らは北海道に居るはずやで) >>187
竜馬は司馬遼太郎以前から人気あった有名人よ
司馬遼太郎が作り上げたヒーローは土方歳三のほう
こっちは司馬遼太郎以前は不人気どころか悪役だった >>191
「竜馬」って変換しちゃう時点で司馬バイアスがひどいw >>151
軍隊揃える、時間稼ぎ
王政復興決行は、龍馬は知らない。
土佐藩が信用できないから、伝えていない。 最近の研究では、薩長盟約を仲介したのは坂本よりも中岡、田中光顕らで、薩摩藩側の代表者は西郷ではなく小松清廉(帯刀)、というのが定説
船中八策にしても、現物が存在しないから、歴史学的に事実か証明できない
剣豪説にしたって、ちゃんと記録がある木戸と違って、なんの証左も残ってない(女子供の手習いの薙刀の免状は残ってる)
つまり、坂本英雄説って、全部司馬遼太郎の妄想/でっち上げなんだよね 民間御用達歴史学者w の本郷和人w は「司馬遼太郎に発見された坂本龍馬」ってハッキリ書いてるしなあ
つまり司馬が妄想炸裂させてあーだこーだ言い出さなけりゃ、完全に埋もれた存在であり、忘れられた、誰も知らない存在だった そもそも(薩長同盟の)仲介をしたのがそんなに偉いか、ってのがある
同盟の主体者、薩長それぞれの代表者、リーダーたち(薩摩ならば小松、西郷、大久保ら、長州ならば木戸、広沢、高杉ら)のほうが数十倍偉くない?
実際に兵を動員、指揮できたのは彼らなんだから
中岡、田中光顕、坂本ら以外にも、間を繋ぐ小物はたくさんいただろうし、保険を打って、さまざまなルートからの、(今は忘れ去られた)無数の連絡役がいただろうことは想像に難くない
誰か1人に全面的に委ねるなんて、そんな危険を冒すわけがない 「決断」を任されることのない社員がコミュ力だけでデカいネゴ役果たしたっていうサラリーマン夢物語としてキャッチーだったんだろう
本来歴史に名を残すことはなかった感じもキャッチーw >>194
>>196
超亀訂正
中岡、田中光顕と土方久元ね
最近の研究では土方がメイン? 見廻組の公務執行なら殺害後に逃げる必要無いと思うんだけど、なんで見廻組は逃げたの? 坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実は
高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれない――。昨年11月に歴史教育の専門家らが示した用語の精選案について、「声」欄に賛否の意見が多数寄せられました。
史料を基に龍馬や吉田松陰らの実像に迫った「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の著者、一坂太郎・萩博物館特別学芸員はこれをどう見るか、話を伺いました。
――龍馬は教科書に必要だ、という意見が多かったです。
今の教科書で龍馬がどう書かれているかというと、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する「大政奉還」のところで出てきます。龍馬と土佐藩重役の後藤象二郎が、藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。しかし、ここに龍馬を入れるのは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた文書「船中八策」は、後世に創作されたとの説が有力です。龍馬が提唱したことを示す証拠は出ていません。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いていますが、当時の知識人たちが他に何人も言っている内容で、これも新政府に影響を及ぼしたという証言が見つかっていません。
――薩長同盟はどうですか。薩摩藩と長州藩が軍事同盟を結ぶ際に「龍馬らが仲介した」と教科書に出てきます。
薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。例えば、薩摩藩から頼まれて「幕府が2回目の長州征伐の命令を出しても薩摩は動かない」という文書を長州藩に届けている。しかし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではありません。
――長州が薩摩名義で武器を購入した史実は? 「竜馬がゆく」では龍馬が発案、仲介して両者の軍事同盟のきっかけをつくったと。
発案は違います。長州の木戸孝允の回想録に「薩摩の名義で武器を買わせてくれと龍馬に言った」とある。木戸がお願いしますねと言ったと。龍馬はわかったと引き受けたが、何の返事もないので木戸がいらいらして、見切り発車みたいな形で伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を長崎に送り込む。ここは史料で確認できる。伊藤、井上の木戸への報告の中にも、薩摩が合意したとはあるが、龍馬は出てきません。
――龍馬が仲介しているなら、名前が出てきてもよさそうですね。
そうです。薩摩の要人が「ああ龍馬から聞いている」というような話にならないとおかしいのに、初めて聞くような言いぶりなのです。龍馬が仲介していたという史料は出てこない。
先ほどの、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸がそっぽを向いていたのを龍馬が飛び込んできて手を結ばせたという話は、「維新土佐勤王史」という大正元年に出た本に出てきます。物語半分、史料半分みたいな本ですが、明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺たちはこんなに頑張ったのに、ないがしろにするのは何事かとアピールするために書いた側面が強い。その意味でこのエピソードは都合がいいのですが、史料を読む限り、物語のような展開で歴史が動いたとは考えがたい。維新直後に出版された志士100人列伝のような本に、龍馬は出てこない。当時は幕末の志士として誰も龍馬を思い出さなかったのです。
――龍馬の功績は、判然としていないと。
https://www.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html
【悲報】坂本龍馬さん、教科書から削除される 学者「偉業の95割は司馬遼太郎の創作、西郷隆盛の”パシリ”でしかない」 [517459952]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622636631/ >>201
おお! 自分の知識不足で知らなかったんだけど、そういうところにきてるんだ
元々武田鉄矢みたいな司馬遼太郎フォロワーの龍馬ファンがなんかいけすかなくて、
いつかけちをつけてやろうと思ってたんだけど、司馬史観から外れた龍馬を自分で書いてみたくなったところだった
ありがたい情報 201さんが引用している新聞記事は、一坂太郎がインタビューで語ったものです。しかし、この人は高杉晋作や久坂玄瑞の研究者である一方、龍馬を恣意的に批判することの多い人で要注意です。維新史の第一人者の松浦玲氏も著作「検証・龍馬伝説」で一坂を批判的に取り上げてます。
龍馬の活躍は司馬さんの「竜馬がゆく」で創作されたものとして語られることが多いけど、今「竜馬がゆく」を読み返すと、薩長同盟に向けた慶應元年後半の龍馬の地道な努力がすっかり飛ばされていることに気づきます。つまり、エンターテインメントとして龍馬をスーパーヒーロー
として面白く描く反面、もっと語られなくてはいけない地味ではあるけど重要な功績は描かれていない訳です。勿論、史書ではなく娯楽小説なのですから批判の対象にはなりませんが。
ただ、「竜馬がゆく」の反動として龍馬を薩長間で使われた工作員の一人だと決めつけることも歴史の真相を見誤ることになると思います。そもそも本当にパシリだったら、なぜ薩長間での密約協議が行き詰まったのに、龍馬が遅れて参加したことで急転まとまったのか(松浦玲「坂本龍馬」99頁)説明がつきません。 204の補充
最近、薩長同盟のことを薩長和解と呼ぶ動きがあるが、薩長はすでに慶應元年時点(近藤長次郎が毛利敬親に拝謁して島津久光宛ての親書を受け取り、島津久光に拝謁して同親書を手渡した時点)で和解しており、慶応2年正月22日にまとまった方針を重ねて和解と呼ぶのは理屈に合わない。
では、薩長同盟とは何かというと、前年に和解した薩長が今後の方針を取り決めたということである。その交渉をするため木戸が京へ上り、小松、西郷ら薩摩の首脳と話し合った。
しかし、その際、小松、西郷らの「長州は、幕府の重ねての処分を受け入れて戦争(第2次長州征伐)を回避して欲しい。」とする主張と、木戸の「すでに長州への処分は済んでおり、幕府が重ねて処分を行うなら幕府との戦争を辞さない。その時は、薩摩は後方支援して欲しい。」とする主張が対立して交渉は行き詰まった。このため、木戸は京を去ることにし、薩摩側も送別会を行った。
そして21日、木戸が京を立って伏見まで来たところで遅れて上京してきた龍馬と会った(正確には、龍馬はいったん京に入り、すでに木戸が去ったと知って木戸を追いかけ、伏見で追いついた(この伏見の件は、山本栄一郎氏の綿密な考証による)。)。そして、龍馬は木戸から前記事情を聴いた上で(木戸覚書)、木戸に今一度京に戻るように説得し、さらに同日夜、小松、西郷に会って木戸の主張を受け入れるように説得し(ここは史料はないけど、これら前後の事実から明白)、翌22日、薩摩側も木戸の主張を受け入れることに方針を決定し、現在伝わる内容の薩長同盟が成立した訳である。
この取り決めがあったからこそ、長州は四境戦争に踏み切れたし、薩摩も公武合体から倒幕への路線変更に踏み切れた訳である。
そうしてみると、龍馬が薩長同盟(薩摩は飽くまで長州を後方から支援することまでを約束し、一緒に戦う約束をした訳ではないので、連合とは言えない。日英同盟を日英連合と言わないように。)に果たした功績は、やはり大きいと言わざるを得ない。
龍馬がいなくても、いずれはこういう形で薩長同盟は成立したという意見もあるだろうが、成立の遅れは政治の世界では致命傷になりかねず、龍馬があの時、あの場所にいたからこその薩長同盟と言えるのではないか。 坂本は長崎で白い袴を着て暴れていたチンピラであって
政治的な理念などカケラも持ってないし
武器商人ですらなかった
単に、英国が日本のマイノリティーに無料配布する銃器の仲介をさせられただけだ
坂本に銃器を配布させた後に坂本を殺せば、英国と日本の接点を消せる
英国は世界中に宣教師を派遣して、政府を倒すためのマイノリティーを探して
武器を与えて政府を倒している
その中の一つに過ぎないんだ英国が起こした明治維新は
英国は、というかロスチャやロックだが、世界中の政府を倒して
通貨発行権を握る、これが近代の新しい植民地支配の形だ
では、宣教師が探し出した山口県の朝鮮人の正体とは?
明治政府、日本軍を作った朝鮮人の正体とは?
北朝でも南朝でも無かった
新しく来た李氏朝鮮の連中だよ海援隊の武田鉄矢とかさ
英国にもらった機関銃を乱射しながら
日本人を強姦しながら、機関銃で日本人を滅多撃ちしながら、日本縦断って
そんなこと日本人はやらないよ
今の日本の李朝政府は大国の圧力もあって倒されるようだ
そしたらNHKの明治維新ドラマは戊辰戦争もきっちり描写されるだろう >>203
少しちゃうな、見廻組が幕府側だからこそ正当な理由での処断であっても
当時どっちつかずな土佐藩を刺激する事は避けた可能性 見廻組は、治安維持を本務とする新選組に対して今の警察でいうところの警備が本務であり、強固な組織である新選組と違って佐々木惟(只)三郎の個人商店のようなものだった。任務を与えられると、その都度周囲の腕利きに声を掛けて集まってもらい、仕事を行う仕組みだった。
龍馬暗殺に関しては、会津藩から実兄を通じて過激派の不逞活動家であり、伏見奉行の同心を殺害した凶状持ちである龍馬を捕縛する任務を与えられ、今井信郎らに声を掛けて任務を遂行した訳だ。
ただ、そうなると任務は捕縛であって暗殺ではない。しかし、近江屋から中岡が退去しないことから、寺田屋事件で捕縛に失敗した経緯も鑑み、佐々木の判断で暗殺に方針を変えたものと推認する。
しかし、それでは公務執行の適法性に疑義が生じることになり、しかも関係のない中岡まで殺害したことは完全な違法行為であるため、実行後ただちに逃走し、実行者としての名乗りもあげなかったのだと思う。 龍馬のクズエピソード 「亀山社中」の呼称について
亀山社中とは、西郷隆盛が勝海舟から預かった神戸勝塾の元塾生たちを薩摩藩家老小松帯刀が長崎に連れて行き、同藩のための武器や軍艦等を購入させたり運用させた団体のことである。今日の商社と船会社に似た団体ではあるが、きちんと組織化したものではなく、当事者たちは単に「社中」と呼んでいた。長崎の亀山に事務所を置いたので、後世「亀山社中」と呼ぶようになった。
ただ、だから亀山社中という名称は間違いだというのは的を得たものではないだろう。後世の呼び名というなら、江戸幕府だって後世の呼び名であり、江戸時代の人たちは単に公儀とか幕府と呼んでいた。だから、後世の私たちが他の社中と区別するため亀山社中と呼ぶことは問題ないだろう。
むしろ、問題は、亀山社中を作ったのは坂本龍馬だと考えることである。前記のとおり、亀山社中は小松が作った彼の個人的な団体であり、取引先や幕府との関係で何か問題が生じれば、「薩摩藩とは関係ない。」として切り捨て、最悪でも小松が引責すれば済むようにしていたと思われる。そもそも、亀山社中が作られた慶応元年に龍馬は一度も長崎に行っていない。そのことだけを取ってもの、彼が亀山社中設立には無関係だったと分かる。小松から「塾生たちの身が立つようにこういう仕事をさせる。」とは聞かされたではあろうが。龍馬は、薩長同盟仲介の仕事をし、鹿児島でおりょうと新婚旅行を楽しんだ後で社中の面々と合流したのであり、それ以前の亀山社中の業務にはほぼ無関係だった。ただ、購入したユニオン号の運用を巡って薩摩と長州が対立した際、その調整に龍馬が出て行かざるを得なかったのは塾生たちの統率者という龍馬の立場に拠るものだろう。それだけに、龍馬としては、「薩長の仲介に忙しいのに、こんなことで俺に迷惑をかけるな。」という気持ちはあったろう。だから、近藤がユニオン号の件で引責して切腹した時、彼のことを「術数余り有って至誠不足。上杉氏(近藤)
の身を亡ぼす所以なり。」と突き放した表現をしたものと思う。 脱藩って、違法じゃ無かったんですか?
龍馬が行った当時は 717 本当にあった怖い名無し (ワッチョイ d192-FUlb [106.73.34.192]) sage 2022/12/13(火) 23:27:00.30 ID:3NuiWMfk0
GOEM歴史部7
そこで後に、幕府と戦うJダヤの手先の武器商人・S本R馬に操船技術を仕込んで、幕府と戦争させています。
この結果、K海Sは追い詰められて、軍艦奉行を罷免され、神戸海軍操練所も閉鎖となりました。
KK舟が幕府側にいながら、Jダヤ金融悪魔の為に働いていた事がわかります。 931 名無しさん@そうだドライブへ行こう 2023/02/24(金) 00:27:16.69 ID:dULVN/YZ
>>914
薩長側には、最新鋭の軍艦に新型大砲もあったからな。
武器商人トーマスグラバーの手先が土佐藩の田舎侍の坂本龍馬 当たり屋
重婚
役人2人射殺(人殺し)
脱藩
テロリストに武器を斡旋して内戦勃発の幇助
嫁は皆から悪女と言われる女
海援隊はチンピラ集団で長崎では忌嫌われる
時計泥棒の逃亡幇助
土佐勤王党から自分だけ逃亡
武市や以蔵の仇後藤と勝手に和解
海兵隊の水夫惨殺
近藤長次郎を切腹させる
善悪の区別がつかないアスペルガー症候群 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています