坂本龍馬のクズエピソード教えてください
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X88 大政奉還を坂本龍馬がした。とドヤ顔で言ってのける奴は教養が足りない。自分でテレビ情報を鵜呑みにする馬鹿だと主張しているだけだな。
あいつは何もしていない。 >>80
> 薩長は京都御所に大砲を打ち込んでいたキチガイテロリストなのに、
「薩摩が京都御所に大砲を打ち込んだ」
この件に関する証拠はありますか? >>87
福沢諭吉だけ某所で聞いたが、凄いよ、まんがの悪役みたいだ
そこでは元祖ヘイトスピーカーと言われてたんだが
完全にサイコパス朝鮮人だよ
とにかく弱者をこれでもかと罵る
身体障碍者、労働者、農民、老人、娼婦・・・
あらゆる汚い言葉を駆使して罵倒しまくる
で、日本の女子のを海外の売春宿に売って金儲けしましょうと天皇に進言
それが海外で好評で、船で運んだ三井・三菱が財閥になるほど売りまくった なにもしてない人間がこうまで史に残るわけないだろ
最近の司馬の小説によってとか言い出してるような浅い奴か? >>95
ケツ拭いた人が代わりに謝罪の手紙送ってるんだよね
それ以降坂本と勝の間で一切交流は途絶えてる 氷川清話でも勝海舟って西郷は激しく褒めてるけど
龍馬にはそれほど触れてないね >>93
過去の偉人のしたことを今の常識で非難していては、
ほぼ9割の人間が極悪非道の悪人だろう?
キリストだって、今なら器物破損で逮捕されるようなことをしでかしているのだし、
ガンジーだって、差別主義者認定されてアフリカでは銅像を撤去されているでは
ないか? 公武合体とかしたいのか、尊王の方なのか
あっちこっちいった人 正確にはそうでもないかも いや、尊王では一貫してるか ただ薩長同盟を仲介しておいて
自分は戦わず死なずに、弱体化してたのか慶喜を納得させている
体を張らなかったという点が男に不満を言われるところだな
頭が冴えてたとか、口がうまかったのか今風に戦わずに争いを終わらせてる点で
今の人に支持される第一人者なんだろうが、
まあ俺が嫌なのは教師がこの人間に似ているとちやほやされていたからだろうな 坂本竜馬事態は偉人と言う感じしか受けていなかった
>>99 >>94
司馬が書いた頃の龍馬はまだいいんだけど、
その後に人気出てから、「武力討幕を避けようと舌戦争嫌いの平和主義者」
みたいな味付けされてから変な事になっているんだよな
史実の龍馬って普通に武力討幕派だし、そっちの方が功績大きいのにね
新撰組や見廻組に「あいつ殺さないとヤバイ」って思われるの当然くらいに 坂本は一貫して長州贔屓だからね
長州の攘夷を皆で応援するんぜよ!って越前で激論してるし
勝とも金盗んで疎遠になったが横井小楠とも長州処分を巡り口論になり二度と会ってない 勝の日記に「◯月◯日、坂本達が来た。門人の岡田星之介に悪意ありて天誅を加えるよー!と言ってきた」とあり、当日その岡田が謎の死を遂げているのを龍馬信者はどう解釈するんだろう
当時の人間が日記に書いた第1級資料なのに何故かドラマでも小説でも一切触れられない案件 本居宣長とかの思想で動かされただけ・・・ まあ詐欺で動かされたわけじゃないから、
陰の操り人形の悪の笑みを感じることもないけど
平田篤胤 あっ!種(行動の元となる 種のような要素)に動かされただけのカス とか・・
地方の詐欺師の勝ったような顔に毒されてたんだろうな 悪いのは振り払わないと・・・ >>101
脱藩理由も昔は伏見での武装蜂起に参加するためとストレートに表現してたのが
平和主義者にされてからは脱藩しないとできないことがあるとか
フワフワした抽象論でごまかすようになってるしな 実際どこまで考えてたのかね
土佐に鉄砲送ってるし確実に武力討幕狙ってるけど、慶喜をトップに据えようとしてたのも事実っぽいし
なるべく戦火を少なくしようとしてたのかね もうそろそろコンビニ500円本で、本当はお痛だった坂本龍馬との本が出ても
よさそうだなww >>107
>慶喜をトップに据えようとしてたのも事実っぽい
って何か新証拠でも出たの? 龍馬の誤ったイメージ形成には、竜馬がゆくより
おーい竜馬の方が罪深いと思う 松浦玲の「坂本龍馬」案外面白かった。
漫画やドラマの龍馬より、史実の龍馬の方がよっぽど魅力的じゃん。 >>101
佐幕厨がミーハー龍馬人気をストレートに敵に回したくないからミスリードしてるんじゃねーの 死に方見る限りどう見ても剣の達人じゃないよね
襲われた状況を比較しても同様に暗殺された芹沢鴨や伊藤甲子太郎なんかだったら近江屋で襲われたとしても逃返り討ちに出来なくとも逃げられそう 現実と時代劇のチャンバラをごっちゃにして剣の達人がどうこう言う風潮も何とかならんかね
かといって龍馬が銃に詳しかったことにしたがる創作にも困るが >>101
慶応3年10月に企画されていた政変は将軍職を廃止するための政変なので、
「武力討幕派」などと言うものはない。
そして大政奉還後は坂本は土佐藩論に従った行動をとってるので
「武力討幕派」ではない。
坂本の行動を土佐藩以外のどこかのグループにひきつけて考えること自体誤り。 >>107
どこまで、というか土佐藩の藩論である公議方式での政体改革論に沿って動いてただけでしょ。
それが薩長両藩兵の上京を控えて慶喜に「自ら盟主とな」ることを認めたのが新政府綱領八策で、
公議の契機が衰退しているというのが松浦玲が改説した理由。 >>102
文久3年の長州藩の攘夷については有志諸藩の間で援兵が論じられていたし、
慶応2年の長州再征では肥後藩は推進ブロックに属しており幕閣や西国諸藩にも忌避論が強かったから、
その時その時で流行してる主張に乗ってる感じ
村田巳三郎との議論を見る限り理屈では村田のほうが圧倒的に分があり、
坂本に卓見があったようには見えない 松浦の文章って「けれども」の使い方が気持ち悪い
ネットで受け売りしてる奴を見分けやすくて重宝するが 慶喜は政権に参加させるけど、徳川は解体する気マンマンだぞ
徳川さんサイドからしてみれば無条件降伏も同然だから飲むわけが無い もともと武力討幕派というものは慶応3年10月時点で存在しないし、
大政奉還後の徳川家処分についても特段強硬だったわけでもない。
12月の長州藩の国元ですら「無条件降伏」的な辞官納地問題は否定的なのだから、
それを支持してるやつが10月から11月時点でそうそういるわけもない。
10月に財源問題や江戸の銀座の掌握を検討してはいるが、
12月の政変のような懲罰的な徴収を考えていたわけでもない。
丁卯日記を見ても、(朝廷改革に対して)「兵威」を否定してる点で、
後藤の立場、さらに言えば永井らの立場とさほど隔たるわけでもない。
その後の幕薩の深刻な対立については甘く見ていたというべきか。 坂本龍馬が武力討幕主義者だった論って、
要するに慶応3年秋に薩長芸が進めてた出兵協定を「武力討幕」とみなし、
それに加担してたんだから彼らと同一歩調だと強弁するんだけど、
こういう単純な論法だと、土佐藩や後藤象二郎も政変じたいは支持してたのだし、
尾張・越前両藩も反対はしてないので、これらのグループもすべて「武力倒幕」
を共謀してたと言えるのか?という大きな矛盾が生じる。
さらに大政奉還後も辞官納地問題では長州藩の国元は慎重姿勢を取っていることから、
長州藩が倒幕論から離脱したというとんでもない結論まで導かれかねない。 尾崎三良自叙略伝でも官制に「内大臣」があり、龍馬はこれに賛成してるのだし
新政府綱領八策でも「自ら」とある以上、公議でも推戴されるべき人が想定されてるのは間違いない
慶喜を重職から排除しようとしてる薩藩指導者のほうが少数派なんで、
別にナニナニ派でもなく、端的に土佐藩論建白に奔走した人とみればよい もし薩摩藩が大政奉還進めていいよ路線だったつんなら
何で土佐藩の建白を土壇場になって止めようとしたのか意味不明だしな。
両藩の立場は完全に分かれてる。 龍馬=討幕論者説って40年以上前からあるよね。
史料の引用が恣意的とか言われて少数説のままだけど。 >>129
当時の武士に平和主義者なんていないだろ。
慶喜ですら勅許が下りなければ切腹するが、配下が黙ってないとか言って
朝廷を脅してるんだから。
平和主義者ではない=討幕派 という論理は完全に飛躍してる。
そんな理屈を立ててるから40年たっても支持者が少数の説なんじゃね。 龍馬がいては武力倒幕ができないから暗殺された
だから龍馬は大物だってこじつけはさすがにウザイよな >>127
9月23日に福岡孝弟に対して西郷が建白をやめろと脅してるものね。
土佐藩は20日に永井尚志から建白を早く提出してくれと言われて、
22日には藩の会議で建白提出を決め、寺村左膳と後藤が板倉勝静に拝謁を願い出ている。
ところがその後に辻将曹や国元、京の薩摩藩邸内でも反対論が噴出して政変計画が崩壊したので、
仕方なく10月2日になって提出を認めた(「寺村左膳手記」)
後藤象二郎もそれをとっくに予期してたのか、土佐に帰郷する7月3日に永井尚志に会って
「討幕の動きがある」と事実上政変計画を教えてる(「伊達宗城在京日記」)。
後藤は武力行使を止めるため、西郷は武力行使に使うために土佐藩の建白を見てたのは明らか。
なお、薩摩藩内で後藤の提案に熱心だったのは調整感覚に富んだ小松帯刀だったようで、
西郷は「周旋には労れはてた」と嫌味を言ってたらしいから、人によって受け止めが異なる
(「故伯爵後藤象二郎君談話」)
西郷と土佐藩が同一路線だなんて曲解もはなはだしい。 >>131
龍馬が殺された理由は極めて明白。
最大の理由は、「慶応2年1月に同心を銃撃して逸走したる問罪のため」。
11月上旬に龍馬の所在が判明して捕り物となった。
龍馬自身も自虐してるが、もともと前科で追われてただけ。
なお、維新後に土佐藩の佐々木高行率いる刑部省もこの主張を認めた。 >>133
でも近江屋では坂本龍馬を捕縛せず斬りつけてるよな 寺田屋で短銃を持ってることが明らかなので討ち捨て許可が出ていたから。 というか10月13日に後藤象二郎宛てに書いた手紙の内容が
見廻組に漏れてる時点で、黒幕とは言わずとも
「坂本ってやつがいましてね…」などと喋った人物がいるかもしれない 「龍馬の遺言」とかいう妄想ドラマを信じてる奴がまたいた >>137
見廻組には坂本龍馬が将軍を襲撃する計画があったという情報も入っていたようなんだが。
お前さんの言ってる「龍馬の遺言」ってのが何だか知らないけど。 >>133
それだと中岡慎太郎が暗殺された理由にはなりえない >>139
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いただけの話。
質問ばっかりしてないで少しは事件のこと調べたら? >>133
坂本は幕府の重役だった永井尚志と会ってるんだから、その場で取り押さえたほうが適切だろ
捕り物をするならな >>141
坂本龍馬が永井尚志を訪ねたのは襲撃の直前で、
見廻組が坂本龍馬の所在に関する情報を得て、
「幕吏」と協議したのは11月上旬。
つまり討伐計画はこの段階から動き出している。
密偵は坂本の潜伏先を見てるので、
永井邸を訪問するなんてのは知る由もない。
いずれにせよ政治的暗殺ではなく、見廻組の職務執行なのは間違いない。
刑部省の判決でも「捕縛に罷り越し討ちはたし」と認定されている。 あと「捕縛」と言っても相手が抵抗するのが分かってる場合、
「討ち捨てても苦しからず」という布達が出るのが一般的だからな。
背後関係を探る場合は生け捕りにして吐かせる必要があるが、
坂本の場合は殺人事件で追われてるんだから自供を取る必要はない
短銃持ってるのが分かってたら当然撃殺になる。 >>140
もう1人いただけ、
じゃなくて坂本龍馬の他に2人も殺されてるぞ
お前こそ事件のことちゃんと調べたら? 武力討幕やむなしだけど、なるべく戦争は起こしたくなかったというのが本音かな
まぁ有名な「日本を今一度洗濯いたし申し候」だって、その前文が「幕府の糞役人どもをぶっ殺し」ってのがくるからね
少なくとも文久の年の時点では平和主義者なわけがない 坂本龍馬=武力討幕論者という理解もあるにはあるけど一般的ではない。
坂本は後藤の周旋に期待してる面で、建白自体を妨害しようとした西郷や、
建白を茶番劇とみなしていた木戸とはやはり立ち位置が違う。
それに最近は「武力討幕派」というカテゴリ自体を使わなくなったので、
龍馬の立場を薩摩藩強硬派に引き付けて考える見解でも、武力討幕派とは言わない。 >>145
文久3年6月29日の手紙でいう「姦吏」は「右申すところの姦吏」つまり
「夷人と内通」する者に向けられたものだから、一般的な討幕論と読み替えるのは無理がありすぎる。
この当時の龍馬は越前藩邸でも攘夷論を吹っかけて歩くような人間だったが、
条約に勅許がおりて争点ではなくなった慶応3年になっても同じ意見を維持していたかは疑問。 >>144
中岡慎太郎も殺されてる。だから中岡も狙われたに違いない
↓
見廻組は坂本1人になったと信じていた。中岡の存在は想定外。
↓
藤吉もいたよ
争点は「中岡の存在を見廻組が認識していたかどうか」なのに、
藤吉の存在を持ち出しても反論になってねえだろ馬鹿。 >>148
だから見廻組が藤吉のことを知ってたんなら、もう1人いただけってことにならないだろ
論破されて悔しいからってしょうもない言い訳すんなよ
>>140のクソ馬鹿も、
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いた、
って1人だけを馬鹿みたいに強調してるし 藤吉も二人が斬られているところに無我夢中でとびついて妨害したけど結局は無刀だからなますにされたとどこかで見た記憶がある
狙われてる主人に不審人物を先に案内しようとして斬られた間抜けではなかったかも
坂本も大刀が使えないとみるや中岡同様に小刀に切り替えてしばらく闘った説もあるんだよね
通説みたいにたった三撃でやられて去られた訳じゃなく、実際は30箇所以上傷があって、そのうち致命傷が頭部2箇所の傷だったのが正しいとか >>146
薩長も当初はガチで戦争したら幕府に負けるから
なるべく政治的に追いつめて徳川に譲歩させるのが基本路線だから
こいつらも武力討幕派というのは疑わしいんだよな
長州なんか最近の資料で大政奉還を一貫して支持していたの解っているし >>149
見廻組の討手は、当日近江屋を訪れた岡本健三郎と峯吉が
連れ立って出ていくのを確認して斬りこんだと思われる。
つまり坂本以外に余計な人物はいないと判断したところ、
二階に上がってみたら2人の人物がおり、どちらが坂本か判断しかねた。
藤吉の存在は最初から捨象されている。
お前は「中岡の存在を知っていたはずだ」と言っているが、
見廻組の討手にとっては中岡は「坂本ほか1名」つまり巻き添えに過ぎない。
判決文でもそういう認定。 >>150
藤吉は背中に大きな傷を負って苦しんでいた(林謙三談)
討手は藤吉を先に立てて二階にのぼらせ、抜き打ちに斬ったんだろう。
坂本、中岡の殺害もほんの一瞬の出来事だから、
乱闘に加わってる暇なんてなかったはず。 「渡辺家履歴書」によれば「従僕も相たおし即死す」とあるが、
6か所刀傷があるから、抜き打ちで大傷を負いながら逃げる藤吉を追ってさらに斬った。
格闘中に明かりが消えたようだから、暗闇の戦いになったのかもしれない。
「坂本がしばらく戦った」説ってどこの異説だろうね
土佐藩の人間が後日考え出した説かな?
一の太刀が致命傷になり、三の太刀を食らって悶絶
挨拶を受けた相手からの抜き打ちだから、三の太刀まで抵抗しただけでも精一杯
中岡も、おそらく渡辺吉太郎になますにされて、抵抗してる暇なんてない
中岡の証言を見ても、負傷して倒れながら刺客の様子をうかがってたのが分かる。
まあ正確な所は分からないけどね。 >>151
西郷が計画してた蜂起もよく目的が分からないからね。
8月14日に柏村数馬に西郷が告げた挙兵計画も、無謀・空論という評価をされたり、
越前や宇和島を同志に入れたり「討幕は仕らず」と言ってるから第一には政変が目的だとか、
当日朝の原市之進暗殺で気分が高揚してたので言っただけとか、
人によって解釈は色々ある。
薩摩藩が挙兵するという噂は5月下旬から広まり、要人に護衛が付けられてるから、
面目を失した薩摩藩強硬派は、目的がどうあれリアクションせざるを得ない状況だったのかもしれない。 >>152
まだごまかしてんのか
>>140のクソ馬鹿は、
坂本が1人になったと思って斬りこんだらもう1人いた、
って1人だけを馬鹿みたいに強調してたけど実際は2人もいただろうが
144に言われるまで気づかなかったんだろ 二人部屋に入ったら部屋に二人いたから両方に切りつける→ほぼ致命傷を負ったところに後から数人が参加してなますに→止めに入った藤吉もなます→歌歌いながら退散
言っちゃ悪いが二階の一番奥の間にいたくせに簡単にやられすぎなところを考えると、泥酔してたのかもね >>157
見廻組は訪問客を装って十津川郷士(または松代藩士)を名乗って名札を渡してるし、
「坂本先生しばらく」と言ってるので、坂本は抜き打ちにあうまで
訪問客だと信じてたのだろう。 >>158
中岡は「2人突然飛び込んできて先に自分に斬りつけてきた」って言ってるし、十津川云々は後から出てきた話じゃね? >>159
二人は名札を見ながら誰だろうと考えてるんだよ。
坂本先生しばらくと言ったので、床の間側に座ってた龍馬が顔を上げ、
その反応で今井が抜き打ちにする。
ところが、名札を持ってた中岡はそっちに気を取られて今井の動きが見えなかった。
そして続いて切り込んできたもう1人(渡辺吉太郎?)の斬撃を見て「いきなり賊が飛び込んで…」
と勘違いしてるの。今井は一応普通に入って挨拶してるので「いきなり飛び込んで」はいないから。
谷干城が中岡から聞いた話では
「その名刺はただ紙片に文字とも何とも読めぬことを記しありければ、
訝しきことなりとて二人とも行燈に差し向かい照らし見入る中…」とあって、
要するに名札には奇怪な記号みたいなのしか書いてなかった。
「これは何だいったい…」と坂本・中岡が額を寄せて行燈の火で考えてる所に、
今井が静かに入ってきてあいさつした。中岡が名札に気を取られてたのはそういう理由。 結城記者の記事だけなら、名札や「坂本先生しばらく」も創作の可能性があるが、
明治25年6月〜7月に、東京横浜毎日新聞「叢談」に「只三郎君小伝」を今井がペンネームで執筆した時も、
「即ち刺を通じ案内を乞う」「一番…二階に上り坂本先生久闊と呼ぶ。二番、抜刀にて進み忽ち叫号」とあり、
名札を先に渡して、一番太刀の人が坂本に挨拶し、二番太刀の人は刀を抜いて飛び込んだのが分かる。 >>161
25年も経ってから突然自分の手柄を吹聴し始めたDQNジジイの言説を鵜呑みにしてもねえ >>163
無知もいい所
幕臣仲間は今井がやったことを知っている
今井も特に隠していない
30何年もたってから騒ぎになったのは、
単に土佐派の人間が知らなかったから >>166
今井がやったのは幕府側も知ってたけど、肝心の役割がコロコロ変わってるじゃん
当初は見張りだったのが後から直接斬ったとか言ってるし >>167
今井は物堅い所があって、刑部省の取調で偽証した所は切り込みの実行くらいだよ。
その時は今井以外にも生きてる人間がいたから(渡辺篤か?)、切った人間は既に戦死した人間だとして、
生きてる人間には累が及ばないようにした。
これは当時、尊攘派の浪士でも捕まったらやることだからおかしなことではない。
しかし、それ以外の回想は明治40年代に至るまで変えてない。
近江屋の間取りの再現に至るまで正確。 >>163
>25年も経ってから突然自分の手柄を吹聴し始めた
本当に何も知らないんだな。今井は自分が近江屋討伐の実行者だということを隠してない。
函館幹部で降伏後、同じ部屋に閉じ込められた大鳥圭介も知っているし、
勝海舟も明治3年の段階で日記に書いてるから、旧知の幕臣はほぼ知ってると思って間違いない。
「明治25年になって初めて明かした」のではなく、普通にその手の話をしてて、
なおかつ、幕臣列伝の回想を書いてと旧幕臣の丸毛利恒が始めた毎日新聞に頼まれて、
上司の佐々木只三郎について3回連載の回想録を書いたというだけの話。
結城無二三の息子にもしゃべってるし、聞かれると普通に話してた。
谷干城が取り上げてからみんなにわかに今井のことを調べ始めたので、
その時期以降の証言しか注目されてないという極めて愚かな話。 今井は文筆家で、日記も残してるし、函館戦争を回想した「蝦夷之夢」や
衝蜂隊に関する著述もある。新聞も読んでるし自分でも記事書いてるし、
今井が村長やってた旧初倉村=島田市でも展示会みたいなのをやってた。
だから関心がある人は知ってる。
一切スルーして龍馬暗殺本書いちゃう人もいるけど 竜馬暗殺関連って、だいたいみんな結論ありきで研究するから
信じたくない資料を見つけるとほぼ確実にスルーされるのが特徴 桐野本なんて事件の解明より薩摩藩黒幕の攻撃ばっかりだもんな
おかげで重要史料ボロボロ落としてるし何のための龍馬本だか
あんな本に影響されて語ってる人がいて痛々しい限り かもしれないかもしれないと妄想を連発して
薩摩藩黒幕だと主張したい人が何か申しております >>173
は?誰が薩摩藩黒幕だと言った?
見廻組の公務執行に間違いない以上、黒幕論じたいが意味ないんだよ
お前みたいな陰謀脳がいるから桐野みたいな商売が成り立つのさ 桐野は本能寺の変でも朝廷黒幕説に乗っかって騒ぎ、
朝廷との関係悪くねえだろと言われたら四国説に走るという札付きの陰謀論者
本を売るにはヲタが喜びそうな謎解きをしないといけないのかな? >>174
言ってることのつじつまが合ってない
マウント取りたい一心で相手を勝手に陰謀脳に設定する思い込みの強い妄想癖のお方w >>176
龍馬殺害について
・職務執行説 → 見廻組の公務として行われたという説(=政治的暗殺ではない)
ほぼ通説 だからまともな学者はここで切り上げて黒幕論争に立ち入らない
・政治的暗殺説 → 公務ではなく政治的暗殺とする立場
見廻組単独犯行説、○○黒幕説など
ある黒幕説を叩くのはほかの黒幕説の支持なんだろうと思い込むのは
ろくに学説状況も知らない低学歴のすること 日本語読めない人が妄想で補完して何か申しておりますw 坂本龍馬の子孫が、子供放置して不貞行為した事知ってる? >>177
論文として黒幕の正体とか突っ返されるだけの話だよw 坂本龍馬についてのどうでもいいエピソードの探求
龍馬に限った話ではないが、幕末に黒船で移動した人たちは、その間は洋式トイレで用を足したのかな。
それとも、日本で使う黒船は和式に改装したのかな・・・などと思ってしまった。
ちなみに、小学生の時に観たNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」では、船室に畳を敷いてある場面や龍馬がベッドで寝る場面もあったが、トイレは出てこなかった。 司馬遼太郎の妄想でヒーローに祭り上げられたクソ雑魚のスレはここですか? >>187
元は坂崎紫蘭って人が新聞に載せた原稿が始まりやが?
それに、幕末時代に活躍した人が評価しとるのは何かね?
松平春嶽公や井上馨とかね >>185
まあ、金を得る方法はいっばいあったみたいやね。
返してない借金もあったみたいやし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています