【江藤新平と金玉均の凌遅刑】

ついでに、諭吉と関連する雑談。
国家反逆罪の日本の江藤新平と、朝鮮の金玉均は、ともに
「さらし首」となった。それは刑が「凌遅刑」だったことに
由来するらしい。

大江や江藤新平が裁かれた当時の刑法にさらし首はない。
士族への極刑は斬首≠ゥ絞首≠ワで。さらし首は、
庶民が「親や主を謀殺した」場合の例外しかなかった。
(儒教社会において親や主に逆らうのは大罪)
しかしテロの標的とされた大久保利通はさらし首をのぞんだ。
そこで子飼いの役人が大久保を忖度し、彼にあえて自国の
刑法を用いず《……清律(清国の法律の意)を参考……》に
「凌遅刑」を持ち出し、その凌遅刑の日本版として
「さらし首」にしたらどうかと提案させ、これを大久保が
了承する形で江藤新平のさらし首を実現させたようだ。
(*頁206-208)