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【偉人】福沢諭吉について【悪人】(其の13) [無断転載禁止]©2ch.net
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/26(水) 22:01:11.16ID:RiYRiGHC0
前スレは1000到達前に制限いっぱいになりました

過去スレ
【偉人】福沢諭吉について【悪人】(其の12)
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history2/1435105647/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の11)
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1380950643/
【三十一谷人】福沢諭吉について(その9)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1345889094/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1323680099/
【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1301829575/
【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284343842/
【偉人】福沢諭吉について(その5)【悪人】
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1272338953/
【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1253956268/
【偉人】福沢諭吉について(その3)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1243898641/
【偉人】福沢諭吉について(その2)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1226896359/
【偉人】福沢諭吉について語るスレ【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1147733623/
0207名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/19(火) 07:43:12.31ID:I8HTXLK/0
>>204
功績その1:翻訳者として洋書の翻訳にあたった

福沢諭吉は翻訳者としての功績が知られている人物です。
適塾の塾生時代には、その翻訳のスキルを買われて洋書の翻訳を行う事を条件に塾への住み込みが認められている程でした。
その後も江戸時代末期の錯綜する国際情勢の中、外国から届く外交文書の翻訳にあたり、旗本として江戸幕府の外交を支えました。


功績その2:言論人として様々な提言を行った

明治時代になると、諭吉は言論人として政府とは異なる立場で様々な主張を行っています。
不平士族問題解決のために地方分権を推奨し、木戸孝允と学制を制定したほか、新聞に「国会論」を掲載するなど国会開設や憲法制定にも尽力しました。


功績その3:作家として様々な書物を記した

福沢諭吉の功績の中で1,2を争うものと言えば、当時の大ベストセラー『学問のすすめ』を記し、その中で実学を推奨した事ではないでしょうか。
これ以外にも諭吉は『西洋事情』や『福翁自伝』、『文明論之概略』など多くの著作を記し、それらの中には今なお多くの人に読まれているものも少なくありません。


功績その4:多くの学校の設立に関わった

福沢諭吉の功績として一般的に有名なのは、慶應義塾を創立した事だと考える方もいるかもしれません。
実は諭吉は慶應義塾以外にも、東京専門学校(早稲田大学)や専修学校(専修大学)、商法講習所(一橋大学)など、
当時設立された多くの学校の設立に関わっているのです。


功績その5:近代日本の商業の発展に尽力した

中央銀行の概念や複式簿記、保険制度などを日本に導入し、近代日本の商業の発展に尽力したのも諭吉の功績と言えます。
前述した商法講習所や神戸商業講習所(神戸商業大学)などの商科大学の設立に尽力した事も、
諭吉が日本の商業の発展に尽くした功績と言ってもいいかもしれません。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/23(土) 16:25:09.67ID:vsVzLpUiO
安川派はこのまま黙っているつもりかな
0209名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/27(水) 03:30:51.21ID:2ra+tEPB0
>>205>>206
ずいぶん丁寧な書評だな
0210名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/30(土) 19:24:02.08ID:NyfOa7X60
79文責・名無しさん2017/05/05(金) 13:53:52.69ID:yIPyO2n90
4/30の熊本日日新聞の読書欄の精神医の野田正彰による「誤読された思想と実像を暴く」を読む
と、安川寿之輔氏の『福沢諭吉と丸山真男』を肯定的に紹介し、福沢さんを「この程度の人」とくさし
ています。

しかし、安川氏と平山洋氏との、亡くなってから出た福沢全集中の無署名の論説文が果たして福沢
本人の真筆かどうかをめぐっての論争は果たして決着をみているのでしょうか。

少なくとも、そうした論争の事実のあることくらいは触れておかなければ、こうした一般購読者向けの
新聞書評では、かなり偏った一方的な主張とみなさざるをえませんし、隣の県の福沢諭吉さんに対
しても失礼な話でしょう。

なお、野田正彰は安川氏と共闘している雁屋哲氏のことをマンガ家と誤解しているが、正しくは、漫画
原作者にして、ヘイトスピーチとレイシズム反対運動活動家と、これはウィキペディアに、きちんと書
かれておりますよ。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/07(日) 16:06:19.81ID:NuPqNTP30
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、
すなわち行動によって反応することが禁じられているので、
単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
ルサンチマンを持つ人は社会的弱者であり、自身では社会的格差を解消できず、
一般的な価値観を否定したり、逆転した価値判断を行っている。
如何ともしがたい社会的格差を前にして、価値判断を転倒させ、自分の無力を正当化
し、社会的強者を攻撃してしまう精神性は、反社会的行動にも繋がって行く。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/11(木) 15:47:00.98ID:xZ9hZDLW0
http://www.sankei.com/images/news/180111/plt1801110004-p1.jpg
▲10日、ソウルの韓国大統領府で行った記者会見で、質問に答える文在寅大統領(聯合=共同)

 「福沢諭吉が現代に蘇(よみがえ)ったら、何と言うだろうか?」。帯紙の惹句(じゃっく)にひかれて読み始めた。
拓殖大学学事顧問、渡辺利夫さんの新刊『決定版 脱亜論』(育鵬社)である。
「我(わ)れは心に於(おい)て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」。

 ▼福沢は明治18(1885)年に発表した「脱亜論」をこう結んだ。
福沢は、朝鮮の近代化をめざす開化派のクーデターを支援していた。しかし、清の介入によって失敗に終わる。
悪友とは、清と朝鮮を指す。

 ▼一部の福沢研究者は、「脱亜論」をアジアへの侵略主義の表れと批判する。渡辺さんの見方は違う。
開化派への心情的な思い入れを改め、朝鮮半島の問題に現実的に対処しよう。これが福沢の真意だという。
実際、福沢は「謝絶」することなく、朝鮮論を書き続けている。

 ▼韓国と北朝鮮による南北対話が始まった。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、
記者会見で首脳会談の可能性にまで言及した。平昌五輪への参加を表明した北朝鮮の術策に、
まんまとはまったようにも見える。対話は、核・ミサイル開発を進める時間稼ぎに使われるのではないか。

 ▼慰安婦合意をめぐる日韓合意に対する、韓国政府の新方針については、あきれるしかない。
日本政府が拠出した10億円を凍結して、同額を韓国政府が負担するというのだ。
合意の骨抜きが狙いだろう。日本大使館前の慰安婦像については、解決するよう努力する。
そんな約束を守るつもりは最初からなかった。

 ▼福沢は「脱亜論」から10年余で、ついに朝鮮を突き放す。
「左(さ)れば斯(かか)る国人に対して如何(いか)なる約束を結ぶも、
背信違約は彼等の持前(もちまえ)にして毫(ごう)も意に介(かい)することなし」(「事実を見る可(べ)し」)。
その覚悟で韓国との付き合いに臨め、と福沢は言うだろう。

ソース:産経ニュース【産経抄】背信違約は彼等の持前にし
http://www.sankei.com/politics/news/180111/plt1801110004-n1.html
0213名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/11(木) 19:10:42.39ID:xZ9hZDLW0
>>166>>195>>196>>205>>206
5つ星のうち1.0
不毛な「社説真偽判定」までして福沢諭吉を美化するのは、いい加減に止めてはどうか2018年1月11日
形式: 単行本

著者は1961年生まれの福沢諭吉研究家であり、自著の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004年刊)に見られるように、
近年は「諭吉美化」にひたすら励んできた。その手法は「井田メソッド」なる非科学的な著者判定法で諭吉を擁護するもので、
いまだにその手法にしがみ付いて本書を刊行した、という訳である。痛々しい限りだ。
不毛な「社説真偽判定」までして福沢諭吉を美化するのは、いい加減に止めてはどうか。以下、詳しく説明しよう。

「安川・平山論争」なるものがあり、「福澤諭吉がアジア諸国を蔑視していたかどうか」が議論された(Wikipedia)。
平山氏が諭吉を「アジア侵略主義者」(安川寿之輔説)ではなく、丸山真男が唱えた「市民的自由主義者」であると擁護する際の最大の根拠が、
諭吉が創刊した『時事新報』の無署名社説で侵略主義的言説を振り撒いているものは、
実は諭吉ではなく別の社員が執筆した、というものである。本書でもこの「社説真偽判定」が用いられている。

(1)「諭吉とは誰か」を知るには、生涯に渡る著作全体を分析する必要があること
福沢諭吉(1835−1901年)はその生涯で初期の啓蒙思想家から、その後の「明治政府のお師匠様」としての政府寄り言論活動まで、
膨大な著作がある。生涯を通じれば互いに矛盾する言説も珍しくない。「諭吉とは誰か」を知るには、
生涯に渡る著作全体を分析する必要があることは言うまでもない。本書のように、一部社説やその中の片言隻句を取り上げればいかような説でも仕立て上げられる。
このような「恣意的摘み食い」手法の創始者が丸山真男であり、諭吉を「市民的自由主義者」として美化したのだった。
このような「恣意的摘み食い」手法による諭吉美化を徹底批判したのが、安川寿之輔氏の一連の著作である。
特に『福沢諭吉のアジア認識』(高文研、2000年刊)では、諭吉の全著作から419件の言説を抽出して、その内容を徹底分析した。
それによれば、アジア蔑視、好戦的、対外侵攻、強権的植民地支配など、侵略主義的言説が圧倒的に多い。

(2)「井田メソッド」は、テキストの著者判定法として恣意性が高く非科学的であること
本書の著者が頼りにした、論説の真贋を判別する手法である「井田メソッド」とは、井田 進也氏が『歴史とテクスト』(光芒社、2001年刊)で説明しているように、
中江兆民のテキスト分析用に1980年代に開発された。手法の詳細は不明だが、真贋判定のキーとなる単語を抽出し、
その頻度の多寡でテキストの真贋を判定しているようである。30年前にはこのような手法でも通用したのかもしれないが、
客観的にテキストを比較分析可能な、最新のテキストマイニングの観点からこの手法を見ると疑問だらけである。
手作業では恣意性が高く、第三者による再現が不可能であり、とうてい科学的とは言えない。現在は無償で入手可能なテキストマイニングツールがあるのに、
なぜこのような古色蒼然たる手法に拘るのか、不思議である。
0214名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/11(木) 19:10:55.90ID:xZ9hZDLW0
(3) 社説は無署名であっても諭吉が丹念に添削しているので、実質的に諭吉作であること
上述のように本書の著者は、『時事新報』の無署名社説で侵略主義的言説を振りまいているものは、実は諭吉ではなく別の社員が執筆した、
という自らが作り上げた「神話」に拘り続けている。いまだにこの「神話」を信じている人が少なくないので、実に始末が悪い。常識で考えても、
諭吉がオーナーである『時事新報』の社説は、たとえ無署名であっても、諭吉の考え方を反映していると見做すのが当然である。
慶應義塾大学で諭吉を専門に研究している都倉武之氏は次のように述べている(同大学出版会HP、時事新報史 第9回:『時事新報』論説をめぐって(1) 論説執筆者認定論争、
2006年10月31日掲載)。「『時事新報』の社説は一切無署名で、他の社説記者の起草に係るものでもすべて福沢の加筆修正を経て発表されたもので、
漫言や社説以外の論説もほとんど無署名または変名であるから、新聞の紙面からその執筆者を推定判別することは、今日の我々ではよくなし得ない」。
つまり『時事新報』の社説は実質的にすべて諭吉の考え方を表わしており、たとえ「井田メソッド」が正しいとしても、社説の片言隻句から執筆者が諭吉かどうかを判定するのは、
全くの徒労なのだ。この都倉氏の10年以上前の発言は、本書の手法を完全否定していることがお分かりだろうか。本書の「おわりに」で、
著者は安川氏から正式な再反論がないから自分が正しい、と主張しているが、とんでもない! 諭吉研究家でも何でもない評者が少し調べただけで、
平山説が謬説であることが分かるのだ。まともな研究者であれば、平山説を相手にしないだけのことである。

さて、「福沢諭吉とは誰か」。安川氏の一連の著作が実証したように、啓蒙思想家としてのごく初期を除けば、諭吉の著作には、アジア蔑視、好戦的、対外侵攻、
強権的植民地支配などに加えて、女性蔑視、弱者(低学歴者など)蔑視、貧乏人蔑視、などの言説が溢れている。その内容は、昨今の極右派の評論家・政治家・雑誌・
新聞やネトウヨおよびヘイトスピーチ団体による発言と酷似している。「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」(ヘーゲル)。
評者は諭吉に「元祖ネトウヨ」のタイトルを進呈したい。このような人物を、無自覚にも日本が最高金額の紙幣に飾り立てている限り、アジア諸国との真の友好関係を築くことは無理だろう。
0215代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/11(木) 19:42:45.31ID:3wIRu9OL0
【諭吉殿が草葉の陰で】の1

>>212
理屈で考えると真逆に思えるのですが。

慰安婦が人身売買だったと認め、不可逆的合意に達したときは
安堵したです。
が、その直後、政府は「人身売買だが奴隷ではない」と、ふたたび
公言しはじめた。これには呆れ果てた。

「人身売買された遊女が牛馬」であるのに、ではなぜ、
「人身売買された慰安婦は奴隷ではない」のか?

このヘンテコな結論を筋道たてて説明できないかぎり、あるいは
「奴隷条約違反でした」と認めないかぎり、韓国は日本の拠出した
10億に手をつけるべきではないでしょう。
韓国の文大統領の今回の決定を支持します。

じっさい安倍政権の奴隷否定は、諭吉殿の名誉にも関わるかも。
             ↓
0216代理屋
垢版 |
2018/01/11(木) 19:45:16.99ID:3wIRu9OL0
【諭吉殿が草葉の陰で】の2

1898年、諭吉氏は娼婦の「外出・出稼ぎ」を奨励した。
フェミニストでない当方は、これを支持します。
一身独立≠オた娼婦が、人権にもとづき自らの肉体を本人の意志で
売って外貨を稼ぐかぎり、非難される筋合いのものではない。

が、明治のカラユキさんでは本人の意志によらない人身売買が頻発。
内外から非難をあびて日本の体面を傷つけた。
(※要は日本軍慰安婦と一緒)
奴隷の輸出など文明国として論外だから当然です。
諭吉殿がその子息を守った、1872年奴隷裁判の大江卓裁判長の成果を
踏みにじる行為といえます。
(※1900年、司法が娼婦の場合は契約内容に関わらず、廃業の自由が
最優先されると裁定したのは、カラユキさん抑制の事情もあったろう)

すでに21世紀。河野談話から25年もたって、いまだ奴隷か否かの分水嶺で
ある「本人の意思」の意味を国民に説明しようとしない日本とあっては、
諭吉氏が外貨欲しさに人身売買された娼婦の輸出を奨励していたと
受取られかねないのではないでしょうか。
0217名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/13(土) 09:33:52.02ID:Iyy8zgtC0
>>216
安川寿之輔先生は性の解放論者ですが、いっぽうで慰安婦問題で福沢を激しく批判していますね。
これはなぜなのですか?
0218代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/13(土) 18:51:09.79ID:V5cPJa/e0
>>217
? 意味が?

当方、安川さんの主張に矛盾は感じてません。
当方の視点は以下です。

諭吉殿の1898年の論説は言葉足らずだったといえます。
誤解をまねく論文で、そこに安川さんの「仮説」が生まれる
余地があると考えてます。
諭吉殿は娼婦の「外出・出稼ぎ」を戦略的に推進するなら、
まず送り出す娼婦は、大江卓裁判長らが1872年奴隷裁判
で示した、文明国の「人権」をふまえた「一身独立」した
ものに限ると釘をさすべきだったでしょう。
その大前提に言及がない点が惜しまれる。

それがないと、伝統的な「親による身売り」という
「人身売買」や、それにともなう甘言誘拐による
「奴隷輸出」(※要は慰安婦制度とまったく同じ)を
多発しかねなった。じっさい、それは多発した。
ゆえに内外から批判されたのが歴史でした。↓
0219代理屋
垢版 |
2018/01/13(土) 18:53:29.69ID:V5cPJa/e0
>>217の2
当方の解釈では、安川氏は諭吉氏のキャラからすると、
直近の国益を得るためなら、慰安婦のケースのように
人身売買してでも娘を集めて送り出してかまわなと
する「大胆な仮説」で問題提起したのだと読解しました。

当方は、娘を喰いモノにする(※魯迅らが食人に重ねた)
儒教的家族制度を……親による「身売り」を合法とする
制度を諭吉氏が承認していたとは思いませんが、戦争と
いう緊急事態のなかで一時、人権から眼をそらしても
仕方ないと思わなかった、とまでは断定できんでおります。
0220代理屋
垢版 |
2018/01/13(土) 18:58:44.19ID:V5cPJa/e0
>>217の3

で、一番の当方の疑問は、貴兄の「性の解放論者」の定義が理解できないこと。
そのへんを詳しく説明願いしたいです。

「性の解放論」というと、むかしは「自由恋愛容認」から、それこそ
ウィルヘルム・ライヒのように一夫一婦制の否定まで多々あったかと?

安川さんはなんと?
0221代理屋
垢版 |
2018/01/13(土) 19:22:03.48ID:V5cPJa/e0
>>217の4
一応、思いつくまま「性の解放」に関連するあれこれ。

○フェミニズム的な「性解釈」は一般的に、
1)「性」の商品化である「売春」そのものに異を唱える。
(※身体の物象化に異を唱える)
2)まして「本人の意志」を無視した売春なぞ論外。
3)日本軍慰安婦など「奴隷」そのものとみなす。

○宗教者は上記と結論的に共通点はあるかも。
1)生命と身体の所有権は神にある。(人は使用権のみ)
(※人権思想に異を唱える)
2)「本人の意志」でも売春は認めず、神の所有物を
汚す行為として禁ずる。
3)よって「本人の意思」の慰安所でも反対し、
4)ましてや日本軍慰安婦制度など論外。

○一方、新自由主義的「性の解放論」はあるようで。

1)需要あるものはなんでも商品化ok。

○リバタリアンまでいくと、

2)「制限・規制」そのものに反対??
(※この辺は浅学非才な当方には断定できませんが)↓
0222代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/13(土) 19:29:13.81ID:V5cPJa/e0
捕捉で【性の解放と儒教】

○儒教の忠孝の家族制度のもとでは「自由恋愛」はNG。
江戸期は公式には御法度。
1723年、親の反対を押し切り恋人のもとに走った娘を
親がお上に訴えた。結果、男は島送り。娘は人別帳から
外され、無期年季の奉公人として遊廓に送られ、死ぬまで
遊女にされました。「奴(やっこ)」の刑です。
    (*森永種生『犯科帳』岩波新書 100-101)
この刑は近松門左衛門『曽根崎心中』が著された時代に
処されたものがおおかったとか。
それも女性自身が罪を犯したのではなく、「縁座・連座」に
よって……。で、こうした文化を魯迅は……(略)

長文失礼しました。
0223名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/14(日) 11:21:43.64ID:1ZFsox750
>>220
ここの過去スレに、こんなのがあったんですよ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/28(火) 21:37:28.65 ID:yE0HeQZm0ところでなんですか? これ
      ↓

標題「埼大 コーマン・エリア」

安川寿之助※におどらされ
女のケツを追っかける

女性解放の名の下に
合宿ゼミでやりまくる

理論も 実践も コーマンの口実

埼大 コーマン・エリア
埼大 コーマン・エリア

※安川寿之助
当時埼玉大学にいた共産党シンパ
(党員だったかは不明)の教授。
フェミニズムのゼミを開き、
真の女性解放とは性からの解放だと唱え、
ゼミの学生に複数の男女関係を強いたり、
合宿ゼミで乱交させたりしていた模様。
勉強ばかりの軟弱左翼学生が、コーマン
したさに入信していた。

瀬戸口 2009-03-12 14:51:34 >>このコメントに返信

■訂正

すみません、「安川 寿之輔」が正しいみたいです。
どうでもいいけど。

瀬戸口 2009-03-12 14:56:15 >>このコメントに返信

http://ameblo.jp/bankrobber-hr/entry-10222487107.html
0224代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/14(日) 17:55:38.75ID:/W8ShSf30
>>223

出展が低俗な便所のラクガキにしか見えないのですが??


「複数の男女関係を強いたり」したのが事実ならただのレイプでは?

犯罪ですので、慰安婦の方々のように勇気をもって告発されるのが
理想でしょうね。

なおレイブは性の自由ではなく性の「抑圧」の象徴です。

そのトイレのラクガキが真実なら、氏は「性の解放論者」ではなく
「性の抑圧論者」となるかと。以上です。

……当方、誤字脱字はご勘弁いただくとして、これでも
まじめに書いてます。諭吉氏の件の社説に関する当方の
認識に異論などおありならお聞かせください。では。
0225名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/14(日) 18:49:58.98ID:1ZFsox750
>>224
ああ、これはこれは。まじめな話だったのですね。
ただ、>>223は便所のラクガキではなく、安川さんの本性を明らかにしたザレ歌ですよ。
0226代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/14(日) 22:53:55.74ID:/W8ShSf30
>>225
>安川さんの本性を明らかにした

下品な妄想で本性を見失ったトンチンカンなザレ歌かと。

「共産党シンパ (党員だったかは不明)の教授」>>223との
ことですが、当スレで以前指摘したとおり、安川さんは党員どころか
シンパでもないでしょ。
「性の解放」など論じておられたとしたら、フロイト左派系の影響を
うけた方でしょうか。
共産党さんはお固いので、その手の主張をする方は別系譜。

ま、それはともかく、

p.s.
よろしければ再度のお願い。
諭吉氏の件の社説に関する当方の認識に(拙>>218-219
異論あらば聞かせください。では、おやすみなさい。
0227名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/15(月) 20:57:42.89ID:pnYzpc4r0
>>226
>>219の書き込みを見ると、あなたは慰安婦を人身売買と捉えているんですね。
でも、現実にはそうではなかったのでは?

それに福沢は、自由意志での娼婦の渡航を是認しているのであって、
そこに軍の介入を想定はしていないんじゃ?
0228代理屋
垢版 |
2018/01/16(火) 17:53:32.79ID:UjjhkhHc0
>>227
>あなたは慰安婦を人身売買と捉えているんですね。

? いまさらそこからですか? 政府も認めてますよ?
>>72以降、当方の視点は詳しく開示済みです。

「人身売買」でないとおっしゃるなら今度はあなたが
論理的にご説明ください。

諭吉殿の視点にたって、もし氏が日本軍慰安婦制度を
みたらどう結論するかぜひお考えをお聞かせくだされ。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/16(火) 19:15:58.80ID:CLZqWotL0
>>228
売買だとすると、その女性は売られたことによってどこかに所有者をもつことになりますね。
慰安婦の場合、だれが所有者になるのですか?
0230代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/16(火) 20:13:18.25ID:UjjhkhHc0
>>229
? それが問題に関係しますか?
 
江戸時代も戦争中も、身売りしたのは親。買ったのは民間の
遊廓であり慰安所です。よってどちらも所有権は民間業者が
もったといえるのではないでしょうか。

問われているのは制度です。個人の所有権を売買(人身売買)
する権限・権能をどこが与えたかが問われてます。
与えたのは、江戸時代は幕府で、戦争中は日本国と日本軍でした。

1872年、その種の権限・権能を与えた幕政時代の儒教的家族制度に
もとづく公娼制度は奴隷制度であることを明治日本は自覚し「文明国」
をめざして法改正し、制度改正しました。

ところが日中戦争がはじまると、日本はその権限・権能を軍の
指定業者にかぎってふたたび与えました。
その国家責任を問われているのが、20世紀最大の人身売買事件とされる
日本軍慰安婦問題です。以上です。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/17(水) 10:51:47.23ID:TvQogHmL0
>>230
>ところが日中戦争がはじまると、日本はその権限・権能を軍の
>指定業者にかぎってふたたび与えました。

その根拠法令をぜひ教えてください。
0232代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/17(水) 17:05:04.93ID:5iIiMEye0
>>231
? 法令? 法改正はしとらんかと?

現人神を盾に統帥権もつ軍の要請に従い、外務省は省で旅券を発行せず
(条約違反ですから)、たとえば台湾では、《此の種渡航者に対しては軍の
証明書に依り渡航せしめられ度し》と、軍の証明書で渡航できるようにしました。

上は「南方方面占領地に対し慰安婦渡航の件」として、昭和17年1月に
外務大臣が台湾総督府に発した通達です。
アジア女性基金サイトの文書庫で確認できたかと。

それらを総称して「通行証」と表現しました。
(※憲兵隊が大陸の麻薬密売人に必須の「安導券」を「通行証」などと
表する感覚で)  
0235代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/18(木) 09:23:05.78ID:IlVOXscr0
>>234
>そうではなくて、奴隷扱いを可、とするための法令です

ちがいます!

a)親による身売り=人身売買=(性)奴隷

b)親による身売り+警察の「本人の意思」の可視化=
非人身売買=非奴隷(※1872年法令+1900年裁定)

b)から警察を抜けばなにが残るか問うてるんです。



親(戸主)に対し、娼館への身売りすら合法とした戦前法は、
ちょっとタガを外せば性奴隷を生み出す法令だったんです。
日本軍慰安婦制度は、そうした制度だったんです。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/18(木) 18:26:53.63ID:bxmvMTY40
>>235
奴隷というのは物品扱いだから所有者がいる、と考えるのです。
自由を束縛している、だけでは奴隷とはいえない。
0238代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/19(金) 13:02:26.33ID:GxhezPDs0
>>236
ごめんなさい……読解できず。
奴隷といえない、と言われても……。

こちらは明治の法令や20世紀の各条約から判断して奴隷と
認識してます。その認識は世界共通で、かつ「河野談話」
時点まで、日本も共通しておったと考えます。

では、少し具体的にお聞きします。

諭吉氏は後に国際法で禁じられことになる(公娼の定義を示した)人身売買禁止に関する国際条約に反したような娼婦の輸出に賛成したか否か。(慰安婦は違反)

これは安川氏のifに沿った質問ですが……。
彼女らが牛馬/奴隷でないとしたら輸出もokということ? お考えをお聞かせくだされ。では。
0239代理屋
垢版 |
2018/01/19(金) 18:59:03.92ID:GxhezPDs0

>>236  拙>>238の捕捉

意味が分からないのは慰安所は「自由を束縛している」だけ
ではないため。
慰安婦制度において慰安婦は、居住・移動の自由を制限され、
人の所有権(オーナーシップ)≠ニ不可分の性≠売ら
される存在です。廃業届けの受付先すらない環境で。

これで奴隷でないとする論理がまったく理解できず。

諭吉殿が、この環境を承認するとしたら、どんな主張をするか
思考実験されてみては?
0240名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/20(土) 08:11:30.52ID:+bPQzCdB0
>>239
私は奴隷を所有の観点から理解しています。
奴隷とは人間であるが、家畜と同等の存在を意味しています。

慰安婦はそうじゃないでしょ、ということ。
0241代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/20(土) 14:35:46.38ID:OPrmzsZV0
>>240
やはりあなたの視点がみえない。
「慰安婦はそうじゃないでしょ」といわれても……。

慰安婦のおかれた環境はじつに千差万別。

確かなのは「親による身売り」という典型的な人身売買すら
是認する「奴隷制」の下に拘束され働かされた現実です。

それは16世紀の戦国時代の昔から、日本の奴隷を生む風習
のひとつ≠ニ西欧が認定していた人倫を喰らう文化でした。
(*岡本良知 『十六世紀日欧交通史の研究』原書房 1974頁758)

その「風習」に対し日本は、1872年、就・廃業の権利を娘に
与えることで、辛うじて「文明国」の体裁を取りつくろいました。
(拙>>235参照)
その体裁すら破壊した制度を、平山さんの福沢諭吉像の視座で、
眺めたとき、どのように映るものなのか是非シミュレートしてみて
いただきたい次第です。
できれば平山流石河像と比較し、お考えいただければと思います。
0242名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/20(土) 16:40:45.78ID:+bPQzCdB0
>>241
なんで平山さんがでてくるのかと思ったら、新しい本に慰安婦についての章があったのか。
まったく無関係なこととして慰安婦は奴隷といえるのかどうかについて考察してました。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/22(月) 18:17:47.96ID:FDvjN/9V0
朝鮮で近代的司法制度を整えたのは日本である。
高等法院(京城=現・韓国ソウル)−覆審法院(京城・平壌・大邱)−地方法院の三審制、それぞれに対応する検事局が設けられた。

起訴や捜査、法務行政を握る検事が強大な権力を持っていたのは日本統治下の朝鮮でも変わりはない。
検事の中で朝鮮人として出世頭のポジションにあったのが、大和田元一(げんいち)(朝鮮名・李炳●=1905〜92年)である。

九州帝国大学を出て昭和9年の高等試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格。
30代で朝鮮人としては異例の平壌覆審法院検事局検事(現在の高検検事に相当、ランクは高等官四等)に出世した。

19年1月の司法部職員録を見れば、京城覆審法院検事局の朝鮮人検事として大和田より上位(高等官三等)に閔丙晟の名前がある。
ただ、明治23年生まれの閔はこのとき50代。
京城専修学校出身の“たたき上げ”であり、「キャリア組」の大和田が朝鮮人検事のリーダー格だったと言って差し支えないだろう。

大和田の前半生は日本の朝鮮統治と重なっている。
出身は、朝鮮半島南東部の慶尚北道・金泉の名家(両班(ヤンバン))、父親は日韓併合前の大韓帝国時代、郡守(首長)を務めていた。

生後5年で日韓併合(明治43年)となり、朝鮮の教育環境は日本によって急ピッチで整備が進む。
具体的なデータを挙げてみたい。

■開かれた高等教育

当時、朝鮮人の初等教育は、寺子屋にたとえられる書堂(ソダン)が主だった。
日韓併合直後の明治44年の統計によれば、朝鮮人が通う普通学校(小学校)が173校(児童数2万121人)に対し書堂は1万6540校(同14万1604人)。
それが昭和8年には普通学校2100校(同56万1920人)▽書堂8630校(同14万2668人)と児童数で逆転している。

法律や医学の高等教育機関である専門学校は明治44年に5校(学生数409人)だったが、昭和8年には15校(同3785人)へと急増。
1校もなかった大学は京城帝大が創設(大正13年予科)された。

大和田は、地元の普通学校→京城の高等普通学校(中学)→官立の京城法学専門学校と進み、京城帝大はまだ開設されていなかったため(学部は大正15年設置)、朝鮮から最も近い帝国大学である九州帝大法文学部法律学科へ進学した。
高等試験司法科に合格した大和田は、検事の道を選び、光州地方法院検事局・長興支部検事(昭和14年)→新義州地方法院同(15年)→平壌覆審法院同(18年)と検事として順調に出世の階段を上る。

朝鮮人の司法職員数も、明治44年・364人→昭和8年・1232人へと増加した。
朝鮮人に高等教育の機会が開かれ、法を司(つかさど)る検事や判事(裁判官)のポストに就くことができたことは注目すべきであろう。

■親日派として指弾

だが、大和田の輝かしい経歴も戦後の韓国ではマイナスとなった。
日本統治時代の“協力者”をリストアップし、韓国で2009年に出版された『親日人名辞典』の大和田の項では、「創氏改名」(昭和15年実施)の記述に大きなスペースを割き、大和田が当時の新聞や雑誌に発表した見解を紹介した上で、同制度を積極的に支持したと書いている。

確かに《栄光的な大日本帝国の兵站(へいたん)基地としての2300万の(朝鮮)半島民衆》などと刺激的な記述はあるものの、《古代的氏族の代名詞である「姓」を止揚(※古い物は保存し、より高い段階で生かすという意味)させ、それに代わって創氏制度が新たに制定される》と法律家らしく明快に説明しており、どこが問題なのか分からない。
創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう。

大和田の言う通り、これは朝鮮伝統の金、朴、李などの「姓」(儒教文化的男系一族の象徴)は戸籍に残したまま、日本風の山田、田中といった家族的な「氏」を新たに創設する制度だ。朝鮮人の「姓」は数が少なく混乱の原因になる上、女性は結婚後もその姓には加われない。
古代→近代、一族→家族化を図り「内鮮一体」の同化も進めましょう…というのが目的だった。

本貫と呼ばれる出身地と併せて「姓」を一族の誇りにしてきた名家には、いらぬ“おせっかい”だったかもしれないが、日本人と同等になれる、差別がなくなる…と歓迎した朝鮮人も多い。
一方、日本には朝鮮人の犯罪抑止を理由に反対する意見もあったのである。

重要なのは強制でなかったことであろう。
日本風の氏を創設したのは約8割。期間中に届け出なければ、金や朴など従来の「姓」をそのまま「氏」として使うことができた。

http://www.sankei.com/column/news/180121/clm1801210008-n1.html
0244名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/22(月) 18:18:34.67ID:FDvjN/9V0
陸軍中将になった洪思翊や世界的なダンサー崔承喜も、前述の検事、閔も日本風創氏をしていない。
もとより「改名」は任意(申請制)である。

■日本に阿ることなく

大和田の家族は「(大和田は)日本の統治に対して『良い物は良い、悪い物は悪い』という是々非々の態度を毅然(きぜん)と貫いた。
そもそも『創氏改名』は強制ではなかったし、同姓同名による混乱を避けるために考慮すべきだという意見だった」と話す。

大和田は、保身のために日本に阿(おもね)るような朝鮮人ではなかった。
家族の記憶には、民族衣装を着た母親を日本の官憲に侮辱され、敢然と怒鳴り返した姿が鮮明に残っている。

大和田は、韓国誕生後の1948年11月、大田地方検察庁検事正に就任するも翌年には退職を余儀なくされてしまう。
まだ44歳。
大和田のような優秀な法律家こそ、戦後の新国家建設に生かすべきでなかったか。

●=王へんに穴かんむりに合の一を取る
0245名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/22(月) 23:38:58.17ID:eNnc4RM40
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0246代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/01/23(火) 23:08:28.15ID:xN3PlrNi0
【慰安婦関連カキコのもくじ】
えっと、こっちが荒れるとなんなんで、慰安婦関係のハナシは
主にこっちに書いてます。興味ある方はご笑覧を。
           ↓
■■日本人の犯罪、性奴隷=従軍慰安婦問題26■■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1495943012/
           の【もくじ】
174【人権からみた退位と廃業】
175-176【身売りした親に告げる言葉】1〜2
241【問題は出身民族?】
276-277【歴史改竄に手を染める者】1〜2
286-288【歴史改竄に手を染める者】3〜5
300-301【19世紀人身売買と奴隷禁止の流れ(簡略版)】
302【国連による世界の公娼の実態調査】
412-413【宋神道さん】1〜2
417【親分がシロといえば】
423-424【不可逆は不可避的に】
435.438【フェミニズム??】
461.463【沈黙せぬ者のシンボル】
468(諸レス)
488-489.494【食堂と慰安所レス】
495【秦氏の暴論】補遺編
574【日本兵証言と韓国3DCG】
575(諸レス)
579(おまけレス)
0247名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/24(水) 12:32:43.32ID:5MPBKg9B0
こちらは福沢諭吉中心でないとね
0248名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/24(水) 22:15:22.36ID:KaDcjN3A0
>>213>>214
まあ、安川たちはあれだからね
糾弾のための材料をむざむざ手放すはずはないさ
0249代理屋
垢版 |
2018/01/24(水) 22:38:28.17ID:GxU1tX000
>>242
まとまったら開陳よろしくです。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 12:20:30.35ID:I/Y5AjPQ0
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0251名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 19:43:01.75ID:ZyNEtwcl0
都倉武之さんの福沢「執筆名義」考・序論 ― 2018/01/20 07:25

 毎年、クリスマスの頃に届くのが『福澤諭吉年鑑』(福澤諭吉協会)である。  最新『福澤諭吉年鑑44』2017の、山田博雄さんの「研究文献案内」で都倉武 之さんの「福沢諭吉にお

ける執筆名義の一考察―時事新報論説執筆者認定論へ の批判」という論文を知った。 山田博雄さんの「研究文献案内」だが、その 年の福沢研究を目配りよく渉猟し、深く読み込んで

、案内してくれていて、ま ことに有難い。 都倉さんの論文は、2016年12月『武蔵野法学』第5・6号 371〜409頁所収、山田さんが親切にも大学紀要論文等がインターネットで閲 読可能

であることを紹介し、URLまで書いてくれていたので、さっそく読むこ とにした。 http://id.nii.ac.jp/1419/00000438/

 「はじめに」に、以下のようにある。 福沢諭吉の著作を特定するというこ とは、福沢研究の当然の前提である。 しかしいわゆる「時事新報執筆者認定 論」が提起され、福沢が創

刊した『時事新報』の無署名社説のどれを福沢の全 集に収録するかという判断の基準がかならずしも明確でない事実が共有された ことにより、この当然の前提が揺らいでいることは、

周知の通りである。 都 倉武之さんは、大正14〜15年刊行の『福沢全集』全10巻と昭和8〜9年刊行 の『続福沢全集』全7巻(併せて『旧全集』と呼ぶ)の編纂者である石河幹明 の恣意

性をことさら強調し、現在の議論の混迷の原因を石河の人格に帰する如 き議論には一切与しない。 しかし所与の前提と考えられていた全集の存在が、 今日の研究水準に合致しないこ

とが明らかになっていることはきわめて重要な 問題である、とする。

 都倉さんは、『時事新報』が一般に福沢の新聞として知られていた事実も重視 すべきであると言う。 福沢は『時事新報』の経営や執筆と無関係であるとい う建前を整えていたが、

これは当時の言論取り締まりを回避するための方便で あり、実際は福沢の新聞であり、彼が筆を執っていることは公然の秘密であっ た。 伊藤正雄編『明治人の観た福沢諭吉』をみれ

ば、同時代人が『時事新報』 と福沢を一体のものと認識していたことは明らかである。

 福沢は晩年の明治31年、全5巻で自ら全集を編纂した(この稿で『自選全 集』と呼ぶ)際、基本的に単行著作のみを収録し、日々の『時事新報』社説は 収録しなかった。 『福沢全集

緒言』で、自らの著作を「寄集めて之を後世に 保存」することは「近世文明の淵源を知るに於て自ら利益なきに非ず、歴史上 の必要と言ふも過言に非ざる可し」とまで自負している。

 素直に読めば福沢 が収録しなかったものは「後世に保存」する「利益」がないと言っていること になる。

 福沢はどの文章を誰がいつ書いたと世に示すか、といういわば執筆者の名義 に極めて強い自意識を持っていたと考えられる。 福沢は自分の書いた文章を 自分の書いたものとして世

に問うだけでは飽き足らず、時に他者の名を騙り、 あるいは無署名とし、それがどのような媒体で世に出るかにも固執した。 そ れは自分の情報発信が何らかの結果をもたらすことに

激しく貪欲な功利的姿勢 から出た自意識といえよう。 言説に対する尋常ならざる鋭敏な感性を持ち、 それを駆使していた人が福沢なのであり、それが福沢という人物のその人物た る

所以の一角をなしているのである。 これについて、鎌田栄吉(慶應義塾長、 文相)は、思想は常に一貫していながら、表面的言説が自在に変化するコンパ スに例え、丸山真男は「状

況的思考(situational thinking)」、土橋俊一は「複 眼思考」と形容した。

 しかしながら、近年は個別の言説(特に『時事新報』社説)を同時代性から は分離し、それぞれを一個独立の著作のように解釈し批評する研究が多くみら れる。 そこには福沢とい

う民間の一個人によるトータルな社会活動や国家構 想との関連でどのような意味を持っているかという同時代的視点からの整理が 欠如している。 福沢の言説は後日並べて比較すれば

「自家撞着」(同じ人の言 行が前と後とくいちがって、つじつまのあわないこと)に満ちているのである から、侵略的な言説のすぐ近くには、リベラルな言説が同居したりしている。

  重要なのは、福沢がその言説をそのタイミングで、そのような表現で発信しよ うとした意図を検討して位置づけることであり、そうすることで福沢の言説は その時点の読者との関係

性において「自家撞着」ではなくなるはずなのである。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 19:43:16.08ID:ZyNEtwcl0
 都倉武之さんの、この論文の目的は、福沢の言説が表面的に「自家撞着」に 満ちているだけでなく、体裁を自在に変え、時に他者の名前さえ騙ることなど を明らかにすることを通じ

て、実に多様な側面を有することを再確認し、福沢 の言説の再構築を図ろうとするものである。 このことを、端的に福沢の「執 筆名義」(authorship)の問題と呼ぶことにする。

 以上、都倉武之さんの論文の「はじめに」を概観した。


http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/20/8773054
0253名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 19:44:02.69ID:ZyNEtwcl0
伝えたいことが伝わり、人を動かす文章 ― 2018/01/21 07:19

 そこで都倉武之さんの論文「福沢諭吉における執筆名義の一考察―時事新報 論説執筆者認定論への批判」の構成だが、「はじめに」の後、 一 福沢による文書の代作 1 『福翁自伝』における回想
 2 福沢による文 書代作の例 二 福沢著作の執筆名義 三 『時事新報』社説に関する自意識 「おわりに」 となっている。

 今日は「一 福沢による文書の代作 1 『福翁自伝』における回想」をみ てみたい。 それぞれに引用されている福沢の文章が面白いのだけれど、それ は論文で読んでもらうことに

する。

 『福翁自伝』に出てくる文書の代作の逸話は、適塾時代の「遊女の贋手紙」、 長崎から大坂への転学の途中、無銭宿泊のために中津の商人鉄屋惣兵衛の名を 騙った船宿への贋手紙、

戊辰戦争で捕えられた榎本釜次郎(武揚)の老母の代 りに書いた助命嘆願書である。 これらの逸話は、福沢が贋手紙の内容のみな らず、その内容を記す文体、表記、書体、そして届

け方などを総合的に偽ると いう多面的な考慮のもとに実行されたことを語っているのだ。 求める結果を 導き出す文章を作り上げるために、文章の書き手と読み手を意識し、その文章

がいかに読まれるかということに配慮を巡らせ、種々の工夫をし、実際に求め る結果を導いている。

 福沢の文章表現の柔軟性について、適塾時代に赤穂義士は義士か不義士か議 論した一節が引用されている。 そこからは、物事を両面から相対的に見据え た福沢の視座に加え、自分

の説とは別次元の問題として、議論の技術が必要で あることを認識し、それを適塾時代に磨いたことが語られている。 明治5年 に東海道を歩いて、行き違う人々に様々な言葉遣いや態

度で話しかけ、相手の 反応が変わる様子を観察する逸話がある。 福沢は『旧藩情』(明治10年)で 身分間の言葉の差異を詳細に考察しているように、語彙や語感の違いへの高い 関心

を持ち、それを巧妙に使い分ける素地を持っていたといえよう。 年少者 向けの作文教科書『文字之教』(明治6年)の末尾には、文章の表現技術を磨 く必要を説く興味深い下りがある



 福沢は議論の中身と外形は一体ではなく、難解なことも平易に、無意味なこ ともさも重要なこととして表現しうるといい、文章の技術(art)の重要性を自 覚していた。 中身を読者

に伝えることに傾注し、「伝える」という実用の目的 に徹して、その目的を達成しうるならば外形の見栄えには拘泥しない姿勢を鮮 明にし、後進に推奨している。 さらにいえば、彼

の書く文章は現在(書かれ た時点)の実用一辺倒であり、後世に向かって書かれたものではなかった。

 伝えたいことが伝わり、動かしたい人々が動けば、その文章は成功している と割り切れる人が福沢であり、福沢の文章は実際そのような意図に満ちている のである。 換言すれば、

福沢の文章には必ず何らかの意図があり、意図と離 れて存在し得ないのである。 そうであるから、全ての言説を対等な存在とし て平等に並べて批評することは、福沢の思想を検討す

る場合不適切なアプロー チとなる。

 これまでの例は私文書に類する例だったが、福沢は公文書でもこれに類する 話を残している。 適塾への留学を中津藩に届ける際、「蘭学修業」と書くと前 例がないので藩庁が認め

てくれないと知ると、白々しくも医者である緒方洪庵 のところへ「砲術修業」に出かけるという、前例に則した願書を出すことに、 何の拘泥もしないのである。 名分でなく、実が取

れればそれでよいというこ とだ。 福沢はこの逸話で、名分ばかりを重んじ実益を軽んじる日本人の倫理 観を暗に批判しているともいえるだろう

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773556
0254名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 19:44:36.16ID:ZyNEtwcl0
最も効果的な執筆者の名義を使う ― 2018/01/22 07:19

 つづいて、一の「2 福沢による文書代作の例」である。 福沢には他者の 依頼に応じた代作、あるいは自らの意思で他名を借りて作成した文書がいくつ もある。 [長沼事件に関す

る願書案文](明治7年〜20年頃)、[西郷隆盛の 処分に関する建白書](明治10年7月24日)、[横浜瓦斯局事件関係文書](明 治11年〜12年)、[春日井事件に関する願書案文](

明治11年末頃)、[国会開 設の儀に付建言](明治13年6月7日)、[埋葬引払控訴補遺](明治14年)。

 これらは政治的な事件や裁判等に、福沢が名前を伏せて関与した事例である。  それは福沢自身に政治色がつくことを忌避しているともいえるが、国会開設な どは、福沢が書き手と

して名前を出さないことに積極的な意味があると考えた 可能性がある。 つまり、福沢個人が主張するのではなく、同時多発的に国内 から政府への穏健な手段による異論がわき起こる

ことこそ、『文明論之概略』に 福沢がいう多事争論、ないしは異説争論の状況であり、新しい政治体制を許容 する「時勢」を伴う民情なのであり、国会開設を実現してよい国民になり

得る ことを意味したからである。

 学校や結社関係の趣意書もあげる。 [慶應義塾之記](慶應4年4月)名 義はない、主語は「吾党」「吾曹」、[中津市学校之記](明治4年11月)旧中 津藩主奥平昌邁の名義、[旧

紀州藩士の為の義田結社の趣旨](明治10年)旧 和歌山藩主徳川茂承名義、[慶應義塾維持法案](明治13年11月23日)福沢 の高弟たちの連名。 結局福沢は、文書の名義が誰と表示

されるか、というこ とが文書のもたらすその後の効果との関係で重要であることへの自覚を有して おり、ある時には他者の名前にし、ある時には無記名にすることによって、そ の文書

がより効果的に読まれることを意図していると考えられよう。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774328
0255名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 19:45:32.71ID:ZyNEtwcl0
多様な著者名を揃え「時勢」を動かす福沢の演出 ― 2018/01/23 07:03

 次に都倉武之さんは「二 福沢著作の執筆名義」で、単行本を検討する。 福 沢関連の著作中には、福沢による純然たる著作とはいえなくとも他の著名人の 全集であれば収録されて

いても不自然では無い程度に福沢が関与しているのや、 逆に全く福沢とは無関係の体裁でありながら、福沢の証言に基づき全集に収録 されているものなど、微妙な位置づけのものがい

くつか存在している。

 『万国政表』(万延元年)福沢範子囲閲 岡本約博卿(岡本節蔵(古川正雄)) 訳、『西洋衣食住』(慶應3年)片山淳之助名義、『洋兵明鑑』(明治2年)福沢 諭吉・小幡篤次郎・小

幡仁三郎合訳、『清英交際始末』(明治2年)福沢諭吉閲 松田晋斎訳、『学問のすゝめ』初編(明治5年)福沢諭吉 小幡篤次郎同著、『国 会論』(明治12年)藤田茂吉・箕浦勝人名義で

『郵便報知新聞』に連載。

 『万国政表』、『洋兵明鑑』、『学問のすゝめ』初編、『国会論』は、いずれも福 沢の筆が入っていると考えることに無理がなく、このうち『学問のすゝめ』初 編は100パーセント福

沢執筆の可能性が高い。 『万国政表』、『洋兵明鑑』、『国 会論』の三点は、100パーセントの福沢著作ではないことが明らかなものとい えよう。

 福沢自身による全集収録状況は、『洋兵明鑑』、『学問のすゝめ』初編の二点は 採録、『万国政表』、『国会論』は不採録となっている。 『万国政表』、『国会論』 は、出版前に

福沢が閲する機会があったとしても、実質は他者の手によって最 終的に仕上げがなされているものである。 任せた時点で、その後最終的に完 成したものを福沢は自分の著作とする気

がなかったと考えられる。

 『西洋衣食住』、『清英交際始末』の二点は、名義を完全に福沢のものと改め て全集に採録している。 100パーセントの純然たる福沢著作で、ただ名義だ け片山、松田にしていたと

考えるのが自然だろう。 このようなことをした理 由は何だろうか。 福沢の著作活動が門下生や教員と一体をなし、単に福沢一 人が突出して活動するのではなく、慶應義塾の人々が

足並みをそろえて幅広く 発信していくことが心がけられ、そのように福沢が演出していたと見ることが できないだろうか。 『国会論』は、福沢がイギリス型の議院内閣制導入をし た

ことで知られる『民情一新』(明治12年)を引用しながら、その主張を支持 し、特に官界に向けて福沢の説く議院内閣制の長所を補強している。 つまり 福沢が一人で主張しているわ

けではなく、それを支持する声が福沢以外から挙 がっているという世間向けのアピールとなっているのである。 そのアピール は成功し、福沢が「図らずも天下の大騒ぎになって、サ

ア留めどころがない、 恰も秋の枯野に自分が火を付けて自分で当惑するやうなものだと、少し怖くな りました」というほど、国会開設論を刺激することになった。 『文明論之概 略』

の「時勢」論を想起すれば、やはり自らが突出するのを嫌い、「時勢」を動 かすことによって文明が進歩すると説いたことと連動しているといえよう。

 そして維新前後に西洋の文物への関心を喚起し、あるいは世界情勢に目を開 かせ、新しい学問へと人々を誘う仕掛けとして用意されたのが、『西洋衣食住』、 『清英交際始末』の二

冊の本だったのではないか。 福沢だけでなくその周囲 も含めて多様な発信を行っていることを演出するために福沢は出来るだけ多様 な著者名がそろうことが得策と考え、これら二書

は、全文自分で執筆しておき ながら、名義だけ関係者の中から割り当てたのではないだろうか。

 福沢は『自選全集』編纂の過程で、出版当時の事情から自由になったことで、 執筆の実態と当時の形式的名義の峻別を行なったということであろう。 『万 国政表』『国会論』とも

に福沢の筆が基本になっているとはいえ、「これで完成」 という判断を自ら下しているか否か、という点が、自らの著作か否かの判断基 準といえるのではないか。

 そのように、都倉武之さんは推論するのだ。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/23/8775007
0256名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/31(水) 19:46:25.18ID:ZyNEtwcl0
福沢と『時事新報』の関係、著書と新聞の効果 ― 2018/01/24 06:41

そして、「三 『時事新報』社説に関する自意識」である。 ここでは具体的 に事例を検討することは困難なので、『時事新報』での執筆に当たっての福沢の 基本姿勢についてのみ検

討する。 福沢は創刊直前に荘田平五郎に送った書簡 (明治15年1月24日)で、慶應義塾で幾多の卒業生を輩出し、それぞれが様々 な主張を展開することを放任してきた福沢であったが

、そういった卒業生の中 の政治活動の動きを契機にして明治14年の政変が起こったことが推定される 状況下で、慶應義塾が「何か今之社会に対して求る所ある者之如くに思はるゝ は、

俗に所謂割に合はぬ始末」と考え、そうであれば、慶應義塾の態度を時事 に照らしてその都度表明していくことが必要であるとし、その場として『時事 新報』を位置づけている。 福

沢には新聞発行の前例があった。 明治7年2 月から翌年6月まで12回、様々な論説を掲載した『民間雑誌』を発行、明治9 年9月から『家庭叢談』という雑誌を刊行、明治10年4月になる

とその体裁 を新聞に改め再び表題を『民間雑誌』とし、発行頻度を徐々に増やして、最後 は明治11年3月から日刊新聞となった(編輯兼印刷人 箕浦勝人、後に加藤政 之助)。 内容は

新聞らしく官報欄や雑報欄、広告もあり、論説や社説には記名 があったり筆名があったり無記名であったり一定せず、福沢の記名は時々見ら れる程度である。 日刊になる際の『民間

雑誌』の広告によれば、地方の購読 者を多く求めたようで、日本中への知識の普及、議論の活発化を狙ったものと いえ、そこにはやはり「時勢」論を念頭に置く必要があろう。

『民間雑誌』では、その後の『時事新報』ほどの福沢の関与の形跡は見られ ず、最初の日刊新聞の試みは、わずか2ヶ月余りで廃絶を迎える。 「壮年輩 に打任せて顧みさればこそ、彼

の不始末を来たし候」(荘田平五郎宛書簡)。 明 治11年5月14日、大久保利通暗殺を受けて掲載した社説に「大久保氏に限り 特別に気の毒と云ふ訳もなきことなるが」云々と記したこ

とを当局に咎められ、 以後このような不穏な記事は書かないという「請書」を出すように求められ、 福沢は加藤政之助に「そんな請書を出すものがあるか、かゝる無茶無法な政府 の下

では新聞紙などは書けないから、いっそ思い切ってやめてしまはう。請書 の代りに廃刊届けを出して来い」といって、廃刊してしまったとされている。

しかし、『福沢諭吉伝』の永井好信による回想では、福沢は進歩的な大久保が 暗殺されたのは実に惜しむべきことだとし、暗殺のような野蛮な陋習に同情を 寄せるが如きは怪しからぬ

と、何故か喜ぶ塾生らを誡める演説をしたという。  「彼の不始末」とは、大久保暗殺に対する政府との無用な摩擦を生んだような 自分の失態、という意味ではないか、と都倉さんは

指摘している。 その原因 は「壮年輩に打任せて顧み」なかったことなのである。

唯一の関連書簡、大久保一翁宛(明治11年6月1日付)にも「既往の失策 は幾重にも御海容奉願上候」とある。 その後の福沢の『時事新報』との関係 は自ずと示唆される。 つまり、

紙上の発言は、福沢の、あるいは慶應義塾の 主張と見られることを前提として、これからは監督していく、ということを述 べているわけである。

福沢が新聞という媒体をどのように意識していたか、「著書、新聞紙及ビ政府 ノ効力」(明治17年5月31日付)という興味深い社説がある。 言葉を使い 分けて、主体的に「輿論」を作

り出すという視点を有する福沢にとって、著書 と新聞は、効果的に使い分けるべきものと認識されている。 新聞は即効性が あり、瞬時に輿論を大きく動かすが、翌日にはすぐに忘れ

去られてしまう。 ま さに「時事に切」であり、その時の情勢の中で、すぐに求める効果を導く道具 でしかないのである。 対する著書は、即効性はない代わりに、長い年月をか けて
0257名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/31(水) 19:46:36.94ID:ZyNEtwcl0
徐々に人々に浸透していくものである。 従って将来にわたって読まれる 価値のあるものを著書として世に問うべきである、ということである。

『自選全集』では、『時事大勢論』(明治15年)から『実業論』(明治26年) に至る、『時事新報』創刊後の15冊の著作は全ていったん『時事新報』に掲載 後、単行本となった。 こ

のようにいわば「著書」の役割を持つ論説は、社説 としていったん家庭に届けた上で、改めてじっくりと読み続けられる本の体裁 にして歴史に残し、それ以外の社説は「近世文明の淵

源を知るに於て」は「利 益」がなく、「歴史上の必要」がない(『福沢全集緒言』)、すなわち福沢にとっ ては、その時限りで役割を終えた使い捨ての言説であり、極言すれば後世に

読 まれる必要がない無価値な社説ということなのである。 従って、そのような 意図の元で福沢が記したものとして読み解く必要がある。 上記15冊の著作 は、いずれも「福沢諭吉立

案」として他者が「筆記」をした形式になっており、 これは前にみた通り法律上の責任が福沢に及ばぬにしただけのことである。  そしてその名義は、『自選全集』ではすべて「福沢

諭吉著」と変更されている。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/24/8775572
0258名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/31(水) 19:47:14.69ID:ZyNEtwcl0
独立維持と日本における文明の模索 ― 2018/01/25 07:08

 都倉武之さんの論文「福沢諭吉における執筆名義の一考察」の「おわりに」 も読んでおく。  福沢は、著作や『時事新報』を通じて、戦略的な情報発信、情報戦を展開し 続けていた

と見ることができよう。 自分が発した情報が、どのように社会に 受容されるか、あるいは世界に伝播するか、どのようにすればより効果的であ るか、そのような関心を生涯持続して

いたのが、福沢という人物であった。 効 果を期待する相手は、時に身の回りの人であり、慶應義塾の人々であり、政府 の高官であり、実業家たちであり、日本国民であった。 時に

その範疇は朝鮮 へ、そして欧米諸国の国際世論にまで広がった。 それを支えていたのは日本 各地のみならず、世界各地に輩出した門下生たちの存在であり、彼らと頻繁に 文通や往来

を維持することで情報を収集し、それを『時事新報』等にける戦略 的な情報発信に活かしていた。

 別の言い方をすれば、福沢は民間独立の情報機関の主宰者とでもいうべき役 割を自負していた。 それは第一に西洋列強に対して日本の地位を維持してい くために民情を先導してい

くための自主的な輿論工作であり、政府と直接利害 を持たず、あくまで福沢に主体性のある活動であった。 のみならず、実は福 沢には日本政府を換骨奪胎して、より「文明」的に持

続する日本の国家体制へ と徐々に作り替えようという、より上位の工作が企図されていた。 福沢の後 半生は、この両者――すなわち独立維持という卑近な課題と、日本における文 明

の模索という高遠な課題の二つ――を同時に見据えた、たゆまない政治工作 の日常だったといえるのではなかろうか。

 正月早々、よい論文をじっくり読むことが出来て、教えられることが多く、 勉強になったのだった。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/25/8775995
0259名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/03(土) 06:40:58.93ID:CXSQKSnKO
よく分からんのだが、福沢が他人名義で書いた論説が全集に入っているのだから、
他人が書いた論説を全集に入れてもかまわない、
ということ?
0260代理屋
垢版 |
2018/02/03(土) 23:05:37.11ID:MKuTMYsj0
>>251-258
情報さんくすです。都倉武之さんは未読ですが、そのサイトの方の
とおりだとすると、平山さんや安川さんに比べ遥かに当方のプラグマ
ティスト諭吉像に近いです。

ただ晩年は金甌無欠だけでなく、より「文明的」に持続する体制を
めざした……か。

としたら個人的には1896年「娼婦出稼ぎ論」に「一身独立した
娘が自ら」の警句ぐらいは入れておいてほしかった、と、つい
思ってしまう。所詮は後世のアホの寝言でしかないのだけれど。
0261名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/04(日) 17:44:13.34ID:Znixtcjz0
>>260
 http://id.nii.ac.jp/1419/00000438/

で都倉論文を読んでみたのだが、ようするに社説全部を福沢と見なすってことだね。
そんなに範囲を広げて、個人の思想なんていえるんだろうか?

福沢本人は生前に自分の全集を編んだ気でいたわけだから、
そんなに広がってしまっては、かえって迷惑なんじゃなかろうか。

安川さんなんかが批判する社説も含まれるわけでね。
0262代理屋
垢版 |
2018/02/04(日) 22:59:58.26ID:l/oM1iYB0
>>261
>かえって迷惑なんじゃなかろうか。

それは仰る通りでしょうね……。

ただ、自選ものは諭吉のホンネという表現も可能な反面、
諭吉氏が後世、自分をこうみて欲しいという希望で「偏向?」
しているともいえそう。

現実との妥協、判断への迷い、躊躇、著名をためらう心理、
一時の激情までふくめトータルに諭吉氏の「思考過程」を
トレースするには、彼を頂点とする『時事新報』という形で
社会的に発信された言説も、やはり無視してはならないと
思っています。

p.s.
報告しませんでしたが、坂野潤治さんの『帝国と立憲』を
読みました。そこで平山説に触れられており、坂野氏も
筆が石河氏のものだとしても諭吉殿の思想と乖離している
とは考えない立場でした。
(上は意訳です。すみません、どっかに埋もれてしまった)

p.s.2
坂野さんの同書にからめ、慰安婦と諭吉について次回、
少し書いてみます。
0263名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/05(月) 11:55:03.07ID:+gtlr3mt0
>>262
へえ、坂野さん、そんなことをおっしゃっているの?
ますます安川さんに有利な状況になってきていますね!
0264名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/06(火) 06:42:03.96ID:ie2mVyy5O
とうとう孤立無援か、平山先生
0265名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/06(火) 10:32:51.63ID:OoPPNSD00
>>213>>214という評価もあるしな
0268代理屋
垢版 |
2018/02/06(火) 21:47:58.64ID:NvqwACW00
>>諸氏
自分は平山さんのアプローチは一石を投じたと思うです。
が、結論の石河陰謀説?にはついていけません。
逆にいえば、「文責をもちたくないから、この件は
お前がこんな調子で」とした可能性もなくはない。

諸般の事情で当時そう主張せざるを得ないと判断したが、
自分で手を汚す気にもなれなかった、とか。
慰安婦問題への戦前の外務官僚の態度にはそれを感じます。

坂野潤治氏は戦前日本が帝国と立憲の間を揺らいだように書いて
いましたが、立憲の外務官僚的には人身売買条約違反の業者に
「旅券」発給は認めがたかった。ゆえに天皇大権もつ軍の権限で
やってくれ、と責任を回避した。拙>>232
結果、軍の身分証を旅券がわりに指定業者は人身取引罪の
適用をまぬがれ女性を出国できたわけで……。
わしゃ知らんということ。

これは奴隷否定の外務省サイトの見解にも似た臭いがします。
外務省サイトでは「なぜ奴隷条約に抵触しないか」の論理展開
一切なし。「トップの者がこういってます」と書くだけ。
……内容説明など命じられても官僚としては明文化できないから
ああした記述で責任を回避した。
(政府見解を盾にした2000年高裁判決もその類)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1495943012/412-413

p.s.(失礼しました)
>>216&218訂正
× 1898年
○ 1896年
0269名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/06(火) 23:48:01.27ID:ie2mVyy5O
孤立無援ながら

慰安婦問題については平山新本四章に単行本と整合とある

あと、石河が福沢真作と知りながら全集に入れなかった証拠が出てきた
六章
0270名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/07(水) 12:58:55.06ID:tvL+khaK0
>>267
それはどの程度新聞に関与していたかによるな

毎日の社説を事前にチェックすることなど、不可能だろ
とくに年をとってから
0271名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/07(水) 13:01:16.33ID:tvL+khaK0
>>268
無知なんで教えてもらいたいのだが

慰安婦の女性は、内地人でも朝鮮人でも、旅券を所持していなかったの?
0272代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/02/07(水) 18:30:10.39ID:LNF0H0uH0
>>271
>内地人でも朝鮮人でも、旅券を所持していなかったの

十把一絡げの誤解まねく表現を謝罪します。<(_ _)>
>>232の外務省記録は、書いた通り1942年の文書。
詳細は吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書の65−67頁にありますが、
軍発行の身分証で渡航者を管理しようとしはじめたのは'42年から。
'38年の麻生軍医が診察した未成年朝鮮人慰安婦は条約違反でも、
れっきとした外務省発行の旅券を手にしていました。

>>269
平山さんの未読の新刊の慰安婦の章は、少し前までwebで
開陳されていた内容とほぼ同じと勝手に推測しとりました。
安川さんifをスルーしただけ。違っていたらご指摘くだされ。

ただ仮に内容に差があってたとしても、平山さんが「諭吉なら
慰安婦を奴隷とみなかった」と論ずることはあり得ないと
確信してます。なぜなら……
 ↓つづく
0273代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/02/07(水) 18:34:34.22ID:LNF0H0uH0
【諭吉と慰安婦と狂人日記】

福沢諭吉ともあろう人が、
○「子供の手術のために身体を売る」ことと、
○「子供の手術のために娘を売る」ことの違いを
理解できていなかったとは到底思えません。

後者の本質は人身売買です。
「忠孝」の儒教的家族制度の信奉者の眼には、それは
「孝行娘の美談」と映るかもしれませんが、たとえば
16世紀ポルトガル宣教師からみれば日本の奴隷を生む
「風習」にしかみえませんでしたし、拙>>241
精神を患った『狂人日記』のトリックスターの眼には
「食人行為」にすらみえたかもしれません。

いまから100年前、《中国の古い社会制度、とくに家族
制度と、その精神的支えである儒教倫理の虚偽……》を
食人イメージに重ねて告発した小説が魯迅『狂人日記』と
されるのですから。 (*竹内好の岩波文庫版の解説)

家長に娘を娼婦にする権限を認めた古の儒教的家族制度を
諭吉氏が是認していたと平山洋さんが判断されたとしたら、
その根拠を是非教えてほしいと思うだけです。
0274名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/07(水) 19:28:33.18ID:tvL+khaK0
>>272
1942年以降は軍属としての身分を認めた、ってことじゃないかな

だとすると慰安婦の地位は向上したことになるんでは?
0276名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/07(水) 19:47:00.18ID:tvL+khaK0
連投スマソ 今外務省のHPで調べて分かったんだが、中国渡航についてはパスポートは不必要だったそうだ
                ↓
 戦前、日本人が中国へ渡航する際に旅券は必要でしたか。

Answer

 1878年(明治11年)に定められた「海外旅券規則」には、旅券携帯免除の正式な決まりはありませんでした。
しかし、明治時代後期になると、日本から中国へ渡航する者が非常に増加し、旅券発給事務が追いつかなかったことから、
中国渡航に際しては旅券を携帯しない例が多くみられました。
 その後、1917年(大正6年)に中国政府が中国への渡航者に対して旅券の携帯を義務づける旨の通牒を発したことにより、
この問題について日中間で交渉が行われました。
その結果、日本人は中国への渡航に際して旅券を携帯しなくてよいことが正式に認められました。
さらに、1918年(大正7年)1月15日付で駐中国芳沢謙吉臨時代理公使より陸徴祥外交総長に宛てて
「外国人本邦入国規則ノ除外ニ関スル交換公文」が発せられたことにより、日中相互に旅券を免除することが確認されました。
 外務省記録「旅券査証出入国ニ関スル諸外国ノ法規並取扱関係雑件」にはこの間の経緯に関する記録が含まれています。
0277代理屋
垢版 |
2018/02/07(水) 21:54:13.07ID:LNF0H0uH0
>>274-276
レスさんくすです。

>だとすると慰安婦の地位は向上したことになるんでは?

ん? 軍属はその通りですが、親に売られて娼婦にされた
女性の地位は人身売買された牛馬であり、その奴隷が軍の
一員(軍属)だったことを批判されとるわけですが?

>中国渡航についてはパスポートは不必要だったそうだ

情報さんくすでした。ただ自由往来できたのは1937年日中戦争
開戦前の話で、いずれにせよ売春目的で女性を国外に連れ出す
こと自体、'20年代には条約違反の人身売買で取り締まり対象
だった事情は変化ないです。
 
最後に「人民の移住と娼婦の出稼ぎ」は全集で読んでましたが、
ttp://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2014/07/post-29b3.html?optimized=0
これも情報さんくすでした。

ただ、以下は「逆」です。
>子供を売る、みたいなことは書いていないね

書いてない(警告ない)ことを問題視してます。拙>>260など

諭吉はたしかに「婦人」と書きました。おそらく「一身独立した
婦人の自由意志による出稼ぎ」を前提としていたのでしょう。
が、明治日本も儒教的家族制度を継承し、「親が子を娼館に売る」
権限を与えていました。その環境で警告を発しなければ(半島慰
安婦で多発したように)人身売買が多発するのは目に見えて
いました。
実際にからゆきさんでは、上記サイトの方が憤るように、
《借金の形、良い働き口があるとの詐欺まがいの誘い、拐かし》
という自由意志でない人身売買事件が多発して内外から批判を
あびた次第でした。(※この件は「娼婦の出稼ぎ」論と条約/
法令とのからみで次回書きます)では。
0278名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/07(水) 22:50:29.83ID:tvL+khaK0
>>277
んー

でも、この社説では、自由意志によらない状況を想定していないよね
繰り返しになるが

福沢かどうかはともかく、なぜこの社説が批判されるのかわからん
0279名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/08(木) 07:02:49.27ID:CXlXBtSSO
出稼ぎ社説は書いたのは石河だが福翁百話に同じ中身の話があるんだよ
0283代理屋
垢版 |
2018/02/08(木) 12:29:32.22ID:qsZLnXcD0
>>272の間違いにつき謝罪と訂正と補遺
拙272にて「外務省発行の旅券を手にしていました」としましたが、
これは当方の思い込みでした。間違いに気づかせていただき感謝です。
以下、お詫びとともにご報告します。
    ↓
1938/2/23付内務省の通牒「支邦渡航婦女の取扱いに関する件」
によると《醜業を目的とする婦女の渡航は……事実上醜業を営み、
満二十一歳以上……》で病気のない者が北支、中支に渡る場合にかぎり、
《当分の間、これを黙認することとし……外務次官通牒による身分
証明書を発給すること》としたそうです。要は国発行の身分証ですね。
          (*吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書 頁88)
また当時は人身売買禁止条約を遵守した者にだけ身分証を与えろと
してましたが、実情は同年5月12日に中国山海関副領事が外務省に
《……何れも醜業を目的として渡来せるは極めて明白……》な複数の
未成年の日本人芸妓が警察署発給の身分証を持参していたため入国
させざるを得なかった。他にも同様のケースがあり、どう対処すべきか
問い合わた記録が発見されています。     (*同上/吉見/頁90)

未成年は「我が身を売る権限」をもたず条約違反となるため、外交を
になう副領事が困惑したのは当然でした。
坂野さんの史観によれば日中戦争は「立憲なき帝国の暴走」の時代
(*坂野潤治『帝国と立憲』筑摩書房 2017 頁239-)
とのことですが、開戦から一年せずに条約違反を疑われる未成年に
身分証(通行証)を与えていたことも、その証明のひとつに思えます。
とまれ、拙>>272の「旅券」を「通行証」に訂正のうえ、内容自体は
そのままとさせていただきます。
0284代理屋 ◆XFizselqIb3B
垢版 |
2018/02/08(木) 13:00:20.02ID:qsZLnXcD0
>>278

こちらも、う〜ん。拙>>277では伝わらないかぁ。残念。
>>273はどうかな?
ま、再度別角度?から書いてたいと思います。

>>262
「(上は意訳です。すみません、どっかに埋もれてしまった) 」
の補遺です。
坂野氏は言論界も戦争が近付くとあっという間に冷静さを失ない
好戦的になる例として1884年「戦争となれば必勝の算あり」をとりあげ、
まず平山氏の功績を既成事実と認めたうえで……(↓)

《もちろん、『福沢諭吉全集』に収録されているからといって、
『時事新報』の社説のすべてを、福沢自身が書いたわけでは
ありません。しかし、この社説の掲載を福沢が同意したことは
確かでしょう》としてました。
ま、坂野氏は「この社説」と限定してるので、後期の倒れた頃の
ものまで同意があったと認定しとるわけではないですが……。
(*坂野潤治『帝国と立憲』筑摩書房 2017 頁59-60)

>>280-282
情報さんくすです<(_ _)>
儒教的家族制度を批判する、魯迅らに影響を与えたろう
諭吉氏の姿ですね。それを踏まえて、また書いてみます。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/10(土) 09:40:11.61ID:wnCyyF+s0
(1)福沢諭吉

 福沢諭吉は、日本では最高額紙幣の顔となるほどの著名人である。慶應義塾大学の創始者であり、幕末・明治初頭に三度洋行して、『西洋事情』『学問のすすめ』等のベストセラーを書き、
また「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という、『すすめ』冒頭言葉で知られている。

 けれども、『すすめ』冒頭には確かに「天は人の上に造らず…」と書いてある、だが福澤はこれを、「・・・と云えり」と単なる伝聞として記し、後に続く文に先立つ譲歩節として置いただけである。

 天皇制についても、福沢諭吉は、明治8年(875年)の『文明論乃概略』までは、「我が国の人民は数百年の間天子の存在を知らず、ただ、伝説のように言い伝えてきただけである」
「鎌倉時代に入り人民が皇室を知らなかったことは七百年に近い」

「国君といっても同じ人類である。偶然の生まれで君主の位にいる者か、または、一時の戦争に勝って政府の上にいる者にほかならない。どうしてこのような輩の命令にしたがって
、我が一身の徳義品行を改めるものがあるだろうか」

「政治と天皇を尊び祭り上げることを、一つのものとする考えで世間を支配することとなったら、日本の未来はない」などと言っている。

 ところが、福沢諭吉は明治15年(1882年)の『帝室論』、明治21年(1888年)の『尊王論』では、突然、「我が帝室は日本人民の精神を収攬する(集める)中心である」
「我が大日本国の帝室の尊厳神聖の得は高い。我々臣民としては帝室を尊ばなければならないことは万民の知るところである」などと、それまでとは正反対に、天皇を祭り上げることを言い始める。

 どうして、突然それまでとは違うことを言いだすのでしょうか。福沢諭吉は、実利を重んじる人間であって、実利を得るためには言うことを平気で変えてしまう。福沢諭吉は、
日本を欧米諸国と同じ国民国家としての形を作るためには、天皇を中心に据えることが役に立つと考えて、天皇崇拝を推し進めたのである。

『帝室論』には、

@ 我が国の皇統は外国に比べるものがないほど長い。これを活用すれば場合によっては大きな効能があるだろう。

 A 国體論は行政の順序を維持するためには大いに便利である。

 B 君臣の儀、上下の名分、は文明の方便である。

と書かれている。

 天皇を利用したのは明治維新を成し遂げた薩長土肥と公家たちも同じで、15歳の少年である天皇を「玉(ぎょく)」として担ぎ上げ、天皇の権威を利用した。
その天皇にそれまでの代々の天皇がもっていたものとは全く別の権威を与え、自分たちはその権威を利用することにした。我々が天皇を崇めるのだから、
人民も天皇を崇めろ。そして、そこでひっくり返して、その天皇に地位を与えられた我々は偉いのだ。として自分たちに権威を与えるのである。

 彼らは、1889年に明治憲法(大日本帝国憲法)を発布し、天皇に国の主権を与えた。

 天皇に形の上で主権を与えておいてその天皇を操って自分たちが実質的な権力を行使するという彼らにとっては大変便利な憲法である。

 明治政府はそれだけでは足りず、翌1890年に「教育勅語」(「教育に関する勅語」)を発布した。

「明治憲法」は政治的に日本人を縛るものであった。しかし、「教育勅語」は日本人の心まで縛るものとなった。

「教育勅語」の肝は

 @ 天皇には忠義、父母には孝行を尽くせ。「忠」「孝」は日本の国体(天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方)の精髄である。

 A いったん戦争となったら国に身を捧げ、天地と共に永遠に続く皇室を助けるべし。の二つである。

 明治憲法にも、第3条に、「天皇は神聖にして侵すべからず」と書かれているので、それだけでも日本人の心を束縛するものであるが、この「教育勅語」こそ、
「国家神道」と相まって日本人を天皇に心の底まで縛り付けるものとなった。

 明治政府は新政府樹立後すぐに「国家神道」の政策に取り掛かる。明治4年に「神社が国家の宗祀(祖先を尊び祀ること)である」と宣言し、官幣社などの神社制度,
神官職などの神官制度を定めて、日本中の神社を政府の統率のもとに置く。

http://rara840.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-5b0a.html

 明治政府が成立する以前の本当の神道とは、「祭天の古俗」であった。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/10(土) 16:48:25.81ID:rBfQvzUxO
学問のすすめの冒頭がアメリカ独立宣言というのは、常識だろうに
0287名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/11(日) 11:07:06.25ID:KD16XO0p0
180名無しさん@お腹いっぱい。2017/11/22(水) 09:03:10.03ID:1cnoSv9W0

>>179
と、云へり

だね。これは当時主流だった天賦人権説。今のサヨクの思想。
それに対して福沢は実力主義を唱えている。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/11(日) 11:36:12.10ID:KD16XO0p0
天賦人権説 Wikipedia

天賦人権説(てんぷじんけんせつ)とは、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想。

ジャン=ジャック・ルソーなどの18世紀の啓蒙思想家により主張され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に具体化された。


天賦人権説は、日本では明治初期に福澤諭吉・植木枝盛・加藤弘之らの民権論者によって広く主張された。
0289名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/11(日) 15:08:13.81ID:oe0B8mr10
>>287
>>285の主張は、その左翼思想の焼き直し

そんな福沢批判が今でも通じると信じているところがお笑い
0290代理屋 ◆XFizselqIb3B
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2018/02/11(日) 16:07:07.48ID:BcNjlRkE0
>>285
>明治政府が成立する以前の本当の神道とは、「祭天の古俗」であった

この点、原則同意。

>>286-289にからめて亀レス。

>>179
>これは当時主流だった天賦人権説。今のサヨクの思想。

というか国際法の基礎であって、現実には西欧はみなこれ。
サヨクとはかぎらないのでは?

【儒教も人喰いの面を外せば】

「天賦」の根拠がキリスト教発だからと自民党さんなんかは
反発するけれど、「四海同胞」を唱え、人間を万物の霊長と
説く儒教の「天」でもいっこうに構わないと思う次第。
儒教は「忠孝」の「人喰いの礼教」(by周作人)の面を削げば、
偉大な思想であり宗教と思うです。

個人的に「人権」は「類的」に獲得された世界のスタンダードな
概念と思っておるです。


……というより、戦前は国民の所有権をもつ現人神/国が、その
権限で人権を与えてやってると発想した。ゆえに必要とあらば
何時でも国に回収できるとしたことが、今日の慰安婦問題の根。

現人神だろうが親だろうが債権者だろうが、女性の意に反して
売春を強制する権限は断じてない、という類的に導き出された
教訓をどぶに棄てるような、勝算なき「歴史戦」に日本人を
まきこまないでほしい。切に願う次第。
0291代理屋
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2018/02/11(日) 18:39:40.68ID:BcNjlRkE0
>>拙290捕捉

【人権解釈/ownとowe】

自分も別に「人権」の無制限拡張派ではない。
(リバタリアン諸氏とは異なる)

「人権」は「社会的概念」であると考える。語源的にも、
           ↓
《……オウナーシップ(ownership)という言葉……》の
《……オウン(own)は、オウ(owe)と同じ語源的意味を持ち、
オウは、他人に「負う」、他人の「おかげで」を意味する……》
(*竹内章郎『哲学塾−新自由主義の嘘』岩波書店 2007 頁118-119)

他者との相互承認の上に保証されるべき権利と考えてる。

そこにおいて、「親や家のため娼婦となれ」とか「現人神や
国や軍のために慰安婦になれ」という認識は、自分はとうてい
承認できないし、国際社会ふくめ多くの人が認めないと考える。

p.s.
連投お許しあれ。「娼婦出稼ぎ」社説への疑問点は明日にでも。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/12(月) 17:18:26.52ID:bJbvQC9E0
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0293代理屋
垢版 |
2018/02/12(月) 21:30:30.31ID:+Nvna4ag0
>>291にて「娼婦出稼ぎ社説への疑問点は明日にでも」と
予告してけれど、これまでのマトメをふまえ書いてみたら、やたら長い。orz

申し訳ないんで専用スレにまとめ部分をup後、そのURLをこちらにリンクし、
それを踏まえて出稼ぎ論文の気になる点を説明することにします。
0295名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/12(月) 23:41:26.07ID:F85e/b310
ほお
0296名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/13(火) 18:16:38.76ID:bXNyE9Ho0
岩上安身?認証済みアカウント @iwakamiyasumi

岩上安身さんが日本犬保存会東京支部をリツイートしました

福沢諭吉には、アジア人を見下す元祖レイシストという側面をお忘れなく。
西郷隆盛は無差別テロの指導者でもあり、
伊藤博文に至っては次から次へと人を殺めたテロリストそのものでした。
2018年、IWJは政府が宣伝する明治維新150年に対抗して幕末維新の正体を暴き続けます。
0297名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/14(水) 06:48:57.67ID:+p1KCECVO
スリーパーセル安川ジュノン
0298名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/15(木) 21:45:33.28ID:COUUQE9m0
    S価校卒  ヽ、←元法華講&S価刺青    ヽ     ヽ 、   ヽ
   )ヽ、_,,,..._    ヽ、_,   アイゴォォ──────!!!
   iー-、::_: `、ゝ_,,-  ノ  (    ) 、     )
   ノ::`ー_-_ノ ノ ノ_,-"イ /    ` 、ノ  `i  (   l
,-、 |::::.ヽ _。ヽ:: /_。フ' |ノ   ヽ、      i、   ノ
|6`i/:::. ,,-.―'' /i|.ー-、. |
ヽ ::: i ::    ⌒  : |  <履歴書に「S価校卒」って書く羽目になった・・・アイゴォォォ・・・
ヽ`l | ::    /ニ`i   /   <キンマンコにもさとみにも会えなかったし、ピロマサは諭吉校卒・・・詰んだ・・・
 `|:. ヽ、   i_,,,、/  /     ,へ___
  ,|:::._ヽ___/   _//`ー--、ニ=--―,   ああ・・憚りながら、戒名貰って密葬したい・・・
  | ̄ ̄ ̄ ̄||| ̄|    / / / __履歴書  ̄ ̄`¬
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ヽ | // /   / S価校卒 /  @ ←真心の「1円財務」


  +         ____   +
          _-=≡:: ;;   ヾ\←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
        /          ヾ:::\ +
        |  法華講破門   |::::::|
 キタ━━━ミ|-=≡、 ミ≡==- 、 |;;;;;/ ━━!!!!  引っかかったニダァ〜!!
  +     ||/・\| ̄|/・\ |──/\
        |ヽ⌒ /  \_⌒    > /   履歴書に「S価」って書かすことで、S価刺青を押すニダァ〜!!
       / /(    )\      |_/ +
    +  | |  ` ´        ) |      傍からのS価員のイメージが取れず、性狂、財務を断りにくくするニダァ〜!!
       | \/_ヽ/_\_/  /  |
       \ \トェェェイ /ヽ  /  /     +
  +       \  ̄ ̄   /  /         
    _|\∧∧∧MMMM∧∧∧/|_
    >                  <
  /  /   |工工| ヽ|  |ヽ  ム ヒ | |
/|  / ヽ   三| |   | ̄| ̄ 月 ヒ | |   両眼滝のその日までぇぇぇっ!!
  | /_ノ \ 口  」  /| ノ \ ノ L_い o o


  ̄ヽ、   _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     `'ー '´
      ○             
       O                                          

       ,,r'"´ ̄ ̄`""´´~`'‐、
      / ,. -‐'´  ̄ ̄ ̄`゙ヽ ゙、
.     / /::: 適塾日吉 ::: .i   i.
     {. i::          :. {   i  何故キンマンコの愚息は、「S価校」に進学せずにKO卒なんだ???
.     ! .f,.-‐-、 。   =─‐-  ! ヾ,'
     ヽ.!::;r‐-、:;ー=:::; ‐-   ゝ、r 、  
.     {l ニiエゝ! ヾィ'エミゝ  :lヾ/ト.}  KO卒で「3田会」のコネで総体革命を狙ったか・・・・???
     f{:: `ー-' |  。`‐-    :"?J.l   
.     {!     ,{_  ,、      :iー'
        !::.. ...:::~:ハ^ ヽ      :i
.       !:::::::::k===‐-     :,!
.      ヽ:::::::... ̄....     /:ト、
        ヽ::::::::::::::...... ,‐'´ ,イ ヽ、
.        _/fl:`' ‐--‐ '::::.. //   } `‐、
    _// |ト、:::::::::::::::::  //   l   l''‐-
    / イ   !!.ヽ::::   :::::://     .!  │
0299名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/16(金) 01:24:40.51ID:PzuDxPiPO
岩上安身破産
0300名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/17(土) 16:01:39.60ID:7kJaSafb0
>>296
http://www.buzznews.jp/?p=2114407

「橋下徹氏がたったワンリツイートをめぐり、100万円を要求して岩上安身を提訴!」
とネットメディアのIWJが告知したことについて、橋下徹紙がTwitter上で見解を表明しています。

これは1月20日にネットメディアのIWJがWebサイト上で橋下徹氏からの提訴を告知し、
「提訴時点ではリツイートは取り消されているというのに、その一度のリツイート行為に対し100万円の損害賠償を求め」
「誰の身にも今後、これは起こり得ることであり、我が身ひとつの問題ではなく、言論の公共性に関わる重大な問題」
などと橋下氏側の対応を批判していたことに対し橋下氏が考えを明らかにしたというもの。

橋下氏は「一個人が自由に発信できることは大変良いことだ」としながらも「一市民だからといって責任が軽減されるわけではない」
「権力を有する者、ジャーナリストと称する者はむしろ責任を有する」「虚偽事実を公にすれば、
たった一回のリツイートでも名誉棄損に該当する」と一般論として説明した後にこう語っています。

橋下「D2(中略)3、知事である僕のせいで府の職員が死んだという虚偽ツイートを軽率にリツイートした岩上というジャーナリストを名乗る者に対して。」

橋下「E岩上氏はたった1回のリツイートで何で名誉棄損になるんだ!と主張しているようだが、回数は関係ない。
自身の表現行為にどれだけ責任を持つかだ。いわんやまがりなりにもジャーナリストを名乗り、
僕も知事のときにぶら下がりで質問を受けた。府庁に一本電話確認すれば虚偽であることが分かる事柄。」

橋下「G岩上氏は僕の訴訟を言論弾圧のスラップ訴訟だと批判する。それなら光市母子殺害事件弁護団に関する僕のテレビ発言について
僕を訴えてきた弁護団や(最高裁は僕の表現に違法性なしと判断)、その発言をもって僕を業務停止2か月に処した
弁護士会を批判したのか。自分がやられたら喚き散らす。」

岩上氏側では「私の言論活動を萎縮させることを狙ったスラップ訴訟に他なりません」
「インターネット空間における言論活動全般に対する萎縮効果を、もたらしうるもの」などと反発しており、
「応訴して闘い抜くことを決意いたしました」と綴っています。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/19(月) 22:03:10.08ID:BP1xJQwf0
>>294
卑劣な嘘吐き【代理屋】が自爆したから曝しておくわ。

このキチガイフェミは、日本は「就・廃業の自由を撤廃したニダ!」と言い張ってた。

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/196
 196 名前:代理屋 ◆XFizselqIb3B [『狂人日記』から100年たつのに] 投稿日:2018/02/15(木) 17:38:37.22 ID:H6EoFZrz0
 だ、か、ら、日本軍慰安婦制度はそれをぶち壊した制度なんだよ。
 「就・廃業の自由」を撤廃し、軍・警察の発行した「身分証=通行証/旅券」を手にした人身売買犯人を取り締まらず、
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

コイツが撤廃したと言い張った以上、【証拠】の提示を要求されるのは当然。
コイツが嘘吐きではないなら、その【証拠】はすぐに出てくるはず。公文書等を示せばいいだけだから簡単だ。

だが、コイツはその【証拠】を提示せずに、質問返しで逃げ切りを図りやがったw

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/249
 249 名前:代理屋[ったく] 投稿日:2018/02/18(日) 20:54:16.64 ID:TQElOuoz0
 いつか「就・廃業の自由」が担保されていたと国際社会に「見える」カタチで証明できたらご一報くだされ。


卑怯者フェミナチ【代理屋】が書いてることは何もかもがデタラメ・でっち上げ。

でも、これがフェミナチのやり方。コイツらは半島遺伝子の卑怯者集団だから、自分が書いたレスにすら責任を持とうとしない。
0302名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/02/19(月) 22:03:41.34ID:BP1xJQwf0
>>294
まずは共産党が手本を示して誠意ある謝罪を示すべきだな。
いまだに共産党が謝罪してない理由がわからんわ。

-----------------
共産党は、政府与党に対しては「誠意ある謝罪をしろ!」としつこく要求してるくせに

共産党自身は、これまでにただの一度も慰安婦に対して謝罪をしていない不思議。

http://news.livedoor.com/article/detail/12532377/


政府与党に対して誠意ある謝罪を要求する前に、

共産党自身が誠意ある謝罪の【お手本】を示してみれば?


共産党は野党とはいえ日本国民を代表する政党の一つなのだから、

まず共産党自身が率先して誠意ある謝罪を示して悪い理由はないはず。


なのに、なんで志位も小池も慰安婦に謝罪してないの?

小池は民団の新年会にまで顔を出してるんだろ?

その場で一言「日本の政治家の一人として慰安婦に謝罪します」と言えばいいのに。


共産党こそ、これまでに慰安婦に対して全く謝罪していない。これが現実。

共産党が謝罪しないなら政府与党もこれ以上謝罪する必要ない。


「共産党こそこれまでにただの一度も慰安婦に対して謝罪してませんよね?なぜですか?」
0303名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/19(月) 22:16:43.19ID:BP1xJQwf0
>>294
大嘘吐きねつ造済州島出身フェミナチ代理屋の「ぼくがかんがえたせいどれい」w
こんなでっち上げ知るかボケw

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/155
 155 名前:代理屋[sage] 投稿日:2018/02/12(月) 22:03:37.07 ID:+Nvna4ag0
 【親による身売りとは】2
 ア)親による身売り=非セル・ワンセルフ=人身売買=(性)奴隷
 イ)親による身売り + 警察が「本人の意思」を可視化=非人身売買=非奴隷(※1872年法令+1900年裁定)


当時は「身売り」も「前借金」も【【【合法】】】だった。

 大内は茨城県出身であり、1938年1月4日頃遠縁にあたる茨城県在住の人物に上海派遣軍酌婦募集のことを話して協力を求め、
 その人物を通じて県下の周旋業者に斡旋を依頼した。
 その業者の仲介で、大内は水戸市の料理店で稼業中の酌婦2名(24才と25才)とそれぞれ【【【前借金642円、691円】】】にて契約
 を結び、上海に送るため1月19日神戸に向けて出発した。
 ・・・・
 このような条件でなされる娼妓稼業契約は【【【「身売り」】】】とよばれ、これが人身売買として認定されておれば、大内の行為は
 「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」するものにほかならず、刑法第226条の人身売買罪に該当する。
 しかし、当時の法解釈では、このような条件での娼妓契約は「公序良俗」に違反する民法上無効な契約とはされても、少なくとも
 日本帝国内にとどまるかぎりは、【【【刑法上の犯罪を構成する「人身売買」とはみなされなかった。】】】
 http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html


「支度金名目の借入金=前借金」を受け取れば「売春業者との雇用関係下における売春行為」と見なす、これが最高裁判断。

 https://www.gwu.edu/~memory/data/judicial/comfortwomen_japan/SongShindo%20-%2011.30.00.pdf
 支度金名目の借入金などで事実上自由を拘束されて、その意思に反して慰安所を経営する業者によって従軍
 慰安婦となることを強要されて、結局その労働に就くこととなった・・・・控訴人は、基本的には売春業者との雇用
 関係下における売春行為であったと認めざるを得ない。


裁判で大敗した屁理屈にまだしがみついてるフェミナチ代理屋w
欧米各国で、日本軍の慰安婦を【性奴隷だった!】と認定してる国は皆無なのにw
0304代理屋
垢版 |
2018/02/19(月) 22:18:11.85ID:g6FV8prI0
以前、拙>>232で231さんにお答えしたことに
関連しそうなレスを慰安婦関連スレで受けました。

この件は歴史修正主義という「擬似学問」の問題や、
坂野氏の「帝国と立憲」にも関わる問題があったので
ここに一応ご報告しときます。
 ↓(よろしければ一読を)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/255-256

p.s.
諭吉氏とカラユキさん問題は、当時はまだ人身売買に関する
法整備が各国とも遅れていたことを上記専用スレで年表?up
したのちに、こちらで駄文させてください。では。
0305名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/19(月) 22:20:15.45ID:BP1xJQwf0
>>304
コイツ、実はすげー小心者w

すでに二回さよなら宣言出してたくせに、やっぱり気になって必死に抗弁してきたwww

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/237
 237 名前:代理屋 ◆XFizselqIb3B [ほんとの最後] 投稿日:2018/02/17(土) 21:41:20.36 ID:BtHi8xxH0
 【倫理的にも法的にも軍の責任】(ほんとのラスト)

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/249
 249 名前:代理屋[ったく] 投稿日:2018/02/18(日) 20:54:16.64 ID:TQElOuoz0
 ではさようなら。
0306名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/19(月) 22:24:01.94ID:BP1xJQwf0
>>304
コイツはドヤ顔で、「日本は就・廃業の自由を撤廃したニダ!」と言い張ってたが、その【証拠】の提示を要求されて
逃げ回ってるwwww

 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/196
 196 名前:代理屋 ◆XFizselqIb3B [『狂人日記』から100年たつのに] 投稿日:2018/02/15(木) 17:38:37.22 ID:H6EoFZrz0
 だ、か、ら、日本軍慰安婦制度はそれをぶち壊した制度なんだよ。
 「就・廃業の自由」を撤廃し、軍・警察の発行した「身分証=通行証/旅券」を手にした人身売買犯人を取り締まらず、
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 ↓
 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/205
 205 名前:代理屋[う〜ん、ついレスしてしまう^^] 投稿日:2018/02/15(木) 22:32:50.98 ID:H6EoFZrz0
 >「就・廃業の自由」を いつ 撤廃したんでしょうかね?
 廃業届の受理先がみあたらなくなったときからだと思いますよ?

 ↓
 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/237
 237 名前:代理屋 ◆XFizselqIb3B [ほんとの最後] 投稿日:2018/02/17(土) 21:41:20.36 ID:BtHi8xxH0
 【倫理的にも法的にも軍の責任】(ほんとのラスト)
 >質問してるのはこちらです
 質問の前提が間違ってます。質問になってない。

 ↓
 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1517562419/249
 249 名前:代理屋[ったく] 投稿日:2018/02/18(日) 20:54:16.64 ID:TQElOuoz0
 いつか「就・廃業の自由」が担保されていたと国際社会に「見える」カタチで証明できたらご一報くだされ。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/20(火) 06:33:32.23ID:d0ctqDPZO
代理屋は在日なの?
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