支那兵がやった事を日本兵がやった事にすり替えるのは肯定派の常套手段w


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南京戦前後を語るスレ【4戦目】

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 14:29:53 ID:x3kL2Z/+0
3月なので南京事件とは関係ないが参考までにw

第四六三件 
 三月一〇日午後八時ころ、【青色と黄色の制服を着た日本兵五名】が門西の蔡の家にやってきた。
兵士二名が外で見張っている間に、他の三名は家に入り、金を要求した。家族全員がひざまずいて、
慈悲を請うた。三人の兵士は、部屋の戸口に木製のはしごを据えつけた。かれらは、縄で夫の両手を
はしごに縛りつけ、そこにぶらさげた。兵士は家中を物色し、五ドル紙幣一枚、日本の十銭硬貨一枚、
中国の二〇銀貨十三枚、紙幣一枚と銅貨を奪った。箪笥と物入れをひっくり返して調べた後、
毛皮の衣服一着、女物の冬服一着、それに蓄音機一台を奪った。かれらは立ち去りぎわに、
蔡の腿を六回、両肩を二回刺し、最後に頭を撃って殺した。さらに、ひざまずいていた蔡立森にも
頭に数回銃剣を見舞い、王の腿を二回突き刺した。こうして、かれらは立ち去った。(ミルズ)
(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P234)

日本軍は青色と黄色という、チンドン屋のような目立つ軍装をしていたようです(藁
日本陸軍の支給品は、カーキ色、海軍なら青(紺)の軍服はあるが、黄色はあり得ない。

ttp://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%97%8D%E8%A1%A3%E7%A4%BE/
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藍衣社(らんいしゃ)
中国、中華民国時代の特務的性格をもった政治結社。正式名称は中華民族復興社、略して復興社ともいう。
【藍(あい)色の上着と黄色のズボンを制服とした】ので藍衣社と称された。満州事変後の1932年、反蒋介石
(しょうかいせき)民主運動を弾圧するため、民族復興を掲げて国民党内に結成された国家主義的結社で、
中核組織を力行社といい、その下に戴笠(たいりゅう)が主宰した特務処を置いて、中国共産党員や民主派、
反蒋派に白色テロを行って恐れられた。蒋介石の独裁の一つの支柱であった。38年1月に解散し、社員の
多くは三民主義青年団に加入、特務組織は軍統局に改編された。日本軍占領地、とくに大都市での抗日テ
ロにも従事した。