>>551
南京戦時には、軍事裁判所で処罰する方式が認められていたし、事実、南京戦と同じ時期に
北支那方面軍参謀長は「一切現地に於て処断することなく軍律会議に送付し該会議に於て審判
処理せしむる事とす」という通達を出している。

第1次世界大戦後、ベルサイユ条約(1919年)により戦争犯罪人を戦勝国に引き渡し軍事裁判所
で処罰する方式が初めて国際的に認められた。
ヴェルサイユ条約(1919年)の時点で、条約違反は訴追対象であり刑罰の対象であるという
国際合意が成立していた、国際法(慣習法)として成立していたと考えられる。
そして日本はこの条約に署名し、かつ裁判官を構成する5国の一つであり、つまり日本自身が
その国際法を積極的に行使しようとしていた。

(証拠)
戦時国際法論 立作太郎著 日本評論社 1931年
p49
「凡そ戰時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戰國の任意に定むる裁判所に於て審問すべき
ものである。然れども全然審問を行はずして處罰を爲すことは、現時の國際慣習法規上禁ぜ
らるる所と認めねばならぬ。
(中略)
ヴェルサイユ條約は後説に依つたものと認め得べきである(同上條約第二百十九條参照)。」

※ 【審問】
渡部萬蔵著『コンサイス法律辞典』(1930年)P246
狭義に於ては裁判中に在て当事者、証人、鑑定人の如き訴訟関係にあるものに対して裁判所
又は裁判官が問いを発すること。

※ ヴェルサイユ條約
第219条
紀律違反以外の犯行に付取調中又は處罰中の俘虜及び抑留人民は尚之を抑留することを得