数年振りに競馬ファンに復帰した人が驚きそうな事
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スクリーンヒーローやブラックタイドの子どもが年度代表馬 70年代のレース体系だと…
古馬が定量で走れるのは天皇賞(春=4月29日、秋=11月末)と宝塚記念(ダービーの翌週)、有馬記念(12月末)のみ。
すべて2200m以上の長距離ばかりで、しかも天皇賞は勝ち抜けで、1度勝つと出走できない。
春のステップは、東はAJCC⇒目黒記念⇒ダイヤモンドS,西は日本経済新春杯⇒京都記念⇒鳴尾記念
AJCC以外はハンデ戦だった。
秋は11月初めの目黒記念がステップだが、当時は半年で2回出走していないとハンデ戦に出られないので、その前に関東馬は
オールカマーか毎日王冠、関西馬は京都記念か京都大賞典を使うことが多かった。
その代わり、平場オープンが多く組まれていたのでこれをステップにGT級レースに挑むことも多かった。
よくこんなカタワのようなレース体系で競馬をやっていたと思う。
当時ジャパンカップがあればもう少しマシになっていただろう。 1981年
・国際招待競走・ジャパンカップを創設
・天皇賞馬の天皇賞出走を認める
・秋の天皇賞を1か月繰り上げ。別定の毎日王冠(2000m)を前哨戦とし、今まで前哨戦の役割を担っていた目黒記念(秋)は
単なるハンデ戦となりジャパンカップの前週に移設
・新潟・小倉の3歳Sを重賞に格上げ
・アラブの重賞を2つ減らす
・京王杯スプリングハンデを1800⇒1400mに変更。スプリンターズS⇒京王杯SH⇒安田記念という短距離路線を整備
1983年
ニュージーランドトロフィー4歳ステークスを創設。時期はダービーの前日、後に1週間後に
1984年
・グレード制を導入
・安田記念をGTとし、別定の京王杯スプリングカップ(スプリングハンデから改称)を前哨戦とする
・マイルチャンピオンシップを創設。スワンSを前哨戦とする
・持ち込み馬を内国産扱いとし、父が持ち込み馬である馬は父内国産馬とする
・GTのステップレース(日経賞・京王杯SCなど)を賞金別定からグレード加増とし、最高負担重量が59sに
・天皇賞(秋)を3200⇒2000mに短縮 一昨年、20年ぶりくらいに戻ってきた自分が驚いたことは
蛯名正義、柴田善臣、横山典弘、田中勝春がまだ現役騎手でいること
だったな。 馬券毎の控除率が変化したことだな。
3連単買う気無くした。 高田さんの予想分析、凄いに尽きますね。さすが高田さんです。高見さんのレポート・インタビューも見ていてとても楽しかったし良かったです。来年も高見さん・高田さんでやってもらいたいですし来年のJRAのCMも高見さん・高田さんで決まりですね。 たった数年じゃ何もかわんねーよと思ってたが、>>7>>26>>51>>89>>97>>118>>130
これだけ変わってるんだなとしみじみ思う >>134
10年程前までは確か8Rか9R目からじゃないと3連単は発売されなかった サンデー旋風初年度の厨房からドゥラメンテダービーで復帰したけど馬券の種類だな
3複と3単は考えりゃわかるがワイドってなんぞやって思った
フォーメーションや点数計算も調べたな
G1も極端に増えてないし2歳G1の名前くらいかな あと昔って100円から賭けれたか?
地方競馬もそんな気がしたし重賞は香ばしいノミ屋から買ってたから1000円単位だっただけかな >>141
サンデー旋風の頃に厨房(中坊)なんだろ?
じゃあお前が馬券買い始めたであろう2000年頃には
すでにワイド発売してるから知らない方が意味不明なんだが 出光ケイさんいつ辞めたん?あと関東の結城さん?だったかな >>148
日刊ゲンダイのWEBサイトにコラム持ってる >>151
乙女藤田
女藤田
一人は引退
一人は現役 ダービー馬ワグネリアン中山以外だと最強で底を見せてない
皐月賞馬エポカロード競馬ファンからこの世代最強と言われてる
ダノンプレミアム怪我初戦距離長いで負けただけで底を見せてない
ブラストワンピースダービー不利で負けただけで底を見せてない古馬相手に圧勝
秋に怪我なく4強状態ってワクワク感凄いよな 後藤自殺とヴィクトワールのドバイ勝ちとステイゴールドの大成功あたりかな カントリー・オンワード・メジロ・トウショウといったオーナーブリーダーが相次いで撤退 数年を10年弱とみるなら三浦コーセイが未だにG1勝てないこと
デビューのインパクトなら武豊の後継者みたいな扱いだったが >>165
つーかシルクの馬が大部分ノーザンってのが隔世の感 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています