シンザン 19戦15勝2着4回(15-4-0-0)G1級レース6戦6勝
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当時一頭の牡馬が出走できる大レース
皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念・天皇賞(当時は勝ち抜け制だったので春秋連覇は不可能)・宝塚記念
の6つを全て勝利
歴史的な意味でも、勝率や連対率が求められる現代的な評価の視点で見ても超名馬 宝塚記念 関東で馬券売り出したの1970年代半ばだぜ
それまでは全国発売でなかった
それにシンザンのころは別定で60s以上背負った馬もいた
どう見ても2流レース >>88
見ればわかるけど全馬真ん中よりはるかに外回ってるんだよ
その上でシンザンはさらに外回らされたからラチまで行ってしまった
内通れる馬場だったらあんな競馬になってない >>92
まあ、JRAが顕彰馬の紹介でシンザンの主な勝ち鞍に五冠と合わせて宝塚も載せているから準G1的な扱いじゃないかな? 現代的な評価の視点で見ても
と言っても未だに連帯記録って引き合いに出されるだろ
惜しかったのはロードカナロアかな >>91
60年代にダイワテキサスいたら無敗で無双してる 宝塚記念が現在の王道路線的な価値を得たのってめちゃくちゃ最近だぞ 平場オープンを公開調教替わりにしてたからな
今の調教環境なら全勝もあった >>15
とは言え菊直前の古呼馬以外は別にトップハンデという訳じゃないでしょ
古呼馬特ハンは不明だけど66kgだと多分トップハンデじゃないだろうし
10/5の古呼馬はエステイツ67kgに対してセントライト66kg、
10/12の横浜農林省賞典はエステイツ62kgに対してセントライト56kgだからな
セントライトのダービーに出てた桜花賞馬ブランドソールとか翌年牝馬でも68kgとか背負わされてたのを
見ても分かる通り当時66kgとか68kgとか背負うのは普通で今の58kgとかと感覚は変わらなかったんじゃないかな
1ヶ月4戦とかも普通だったしな、ミナミモアなんてセントライト同様1ヶ月で4戦した後11月に更に4戦してるし
と言うかあの当時の競馬は春季秋季制で年間通しての開催じゃなかったから集中して走らせてたよな >>71
>>83
逃げたミハルカスの加賀はなんとしてもシンザンのナタの切れ味を封じて倒そうと
番手と共に大外を占めてシンザン以下には荒れた内側しかコースがない状況を作ろうとしたんだ
しかし代打ちの名手松本善登は迷わずシンザンを外ラチ沿いまで突っ込ませて差した シンザンが3冠取ったのは1964年。ナリタブライアンが1994年
ちょうど30年前。
コントレイルの30年前は1990年のクラシック世代はメジロマックイーンの世代。
シンザンなんて「いにしえの時代」の馬くらいに思ってたけど、こう見るとそこまで離れてないように感じる。 シンザンは京都杯で負けているが、このレースを勝った二冠馬は本番全敗
ミスターシービー、ナリタブライアン
も京都(新聞)杯で負けていたりする
ネオユニヴァースが神戸新聞杯で負けた時に少し話題になった記憶 >>68
「あの年」で1965年と分かる奴なら同レベル扱いは当然しない前提のネタレスだったつもりだが
今見返すと分かりにくい書き方しててすまんな >>17 ディープを超えろなんて言われたことないだろw ブライアンの出現でシンザンやルドルフは無価値化されたんだよ。 成績表の綺麗さなんて強さの指標じゃないし、なくなったんだよ >>98
オープン競走は見習い騎手の減量も反映される
だからシンザンも古馬になってからのオープン競走には
3kg減の武田博が乗っていた
もしこれが現代だった
コントレイルのオープン競走に
4kg減の古川奈穂ちゃんが乗るなんてこともありえるわけだ 知ってるつもり!?って偉人紹介する番組で昔取り上げられてた
あれ見てシンザンすげーって友達と盛り上がってたな シンザンのレース動画見るとスタート凄く良いよな
それで先行して末脚が切れるんだから
何しても勝てないわ >>46
ミホシンザンは3つだけど風前の灯
今日も走った2歳のペガサスハーツが繁殖入りしないと多分ここで終る >>102
逆だ
ブライアンとかマックイーンとか
今の若いファンからしたら
いにしえの馬だよ既に >>113
マリンフェスタが牡馬ばかり出したのが痛かったな
2020年の種付けはモーリスらしいがさて >>71
松本善登が後日語っていたな
関東の連中が
なんか企んでるから
とにかく他馬の外々を走らせろ
シンザンを思いっきり走らせればそれでいい
仮にそれで負けてもお前の責任じゃない
先生にそう言われてたから・・・
そしたら加賀の馬が4コーナーで思いっきり外に行ったんで・・・
それでも先生の指示通りに迷わず外に行きましたよ
そしたらもう外ラチすれすれでね (笑)
俺それまで中山であんま乗った事がなかったんで
もし俺が中山での騎乗経験が豊富な騎手だったらあそこで迷っていたでしょうね >>49
そこまで出すならセントライトは中島治康だろ 1965年1着賞金(付加賞込)
東京優駿 1189.7万円
皐月賞 824.5万円
菊花賞 990.4万円
桜花賞 674.8万円
優駿牝馬 775.2万円
天皇賞春 808.2万円
天皇賞秋 819.6万円
有馬記念 815.8万円
中山大障害春 462.8万円
中山大障害秋 563.7万円
宝塚記念 508.1万円
安田記念 211.7万円
朝日杯3歳S 379.8万円
阪神3歳S 371.9万円
賞金的には準八大とまでは言えないけど八大以外の中ではトップクラスだったのは事実 >>118
トップクラスというよりトップだろ(八大競走以外平地で) >>120
平地に限定すればトップだけど別に平地に限定してないよ?わざわざ中山大障害も書いたし >>119
クラシックは付加賞が大きいんじゃない?
今年の菊花賞見ると、賞金は1億2000万円だけど、クラシック賞金とかが2,700万円程入ってる >>4
地味に勝ってる=強いんだよ 派手に勝つ馬は惨敗も多い >>120
だから平地で八大競走以外て平地トップって書けば良かったんだよね? >>125
いや、そもそも>>120のツッコミ必要? >>118
2000m時代の高松宮杯みたいな位置付けだったのだろう
だからシンザンのタイトルには加わっていない >>69
お爺ちゃん。
ご飯はさっき食べたでしょ。 今みたいにプログラムが確立されて無いから抜けて強い馬はオープンで60kg以上のレースを使わざるをえなかったからな。
63kg背負って勝った目黒記念は現代競馬には無い価値がある。 >>130
昔の目黒記念で63kgってむしろ軽い方だろ
少し前にはシーザー63.5kgタカマガハラ64kgホマレボシ63.5kgとか居たし
10年ちょっと前だと勝ち馬でもハタカゼ75kgミツハタ73kgとかだからな
63kg程度でイキがる意味が分からん 軽い方だろ(キリッ
シンザン以降で63キロより重い負担重量背負ってる馬が1頭もいないのに軽い方とは >>132
シンザン以前に山程居るのにシンザン以降だけ見てどうすんのw >>132
ヒシマサヒデ63kg
オンワードヒル63kg
取り敢えずこの辺と同レベルの馬ですというアピールで良いのかな?w
確かに以降でより重いのは居ないな、同斤は居るけどww そもそも勝ち馬に限定しても63kgは歴代負担重量トップ10にすら入ってない
しかもそのシンザン63kgの目黒記念は八大競走未出走だったミハルカスですら61kgを背負ってるからな
八大競走未出走馬ですら2kg差61kgの時点で60kg超なんて当時は日常茶飯事なんだと普通は思うよな
何故かそれを特別だと思ってる奴が居るみたいだけど 65年だと宝塚記念と阪神大賞典が1着賞金500万で同じみたいだな。 >>134
ヒシマサヒデとか10着惨敗なのに比較対照にもならんだろ >>138
何kg背負ったかの話に着順とか出す意味あるのか? >>139
俺は130じゃねえけど、話の発端の130は背負って勝ったって言ってるから、勝ったの前提じゃねーの? >>140
勝った馬なら負担重量ベスト10にも入ってない、で終了じゃね?
ヒシマサヒデは>>132に対するレスであってそれは負担重量だけの話だぞ? >>142
132ならそれこそ軽い方じゃないで終了の話だわ >>137
グレード制導入以前は
後発の高松宮杯も含めて同格だと思われる
だからシンザンを宝塚記念含めてGT6勝級は
ハイセイコーを皐月賞、宝塚記念、高松宮杯でGT3勝級と言うのと同じくらい違和感がある >>143
>シンザン以降で63キロより重い負担重量背負ってる馬が1頭もいないのに軽い方とは
これに対するレスで「軽い方じゃない」じゃ通じないぞ?
1頭も居ないという主張に対して同斤なら居るけどなという内容で名前を挙げたのだからな
口を挟むならせめて話の流れを理解してからにしてくれ >>145
よりなら同斤は入らないんじゃねーの?
以上なら入るが >>146
?
だから>>134でより重いのは居ないな、同斤なら居るけどと言ってるんだが?
お前いい加減にしろよ、さっきから難癖つけてるだけじゃねぇか >>144
流石にトウショウボーイ辺りになるとちょっと違う気もする ジャパンカップ創設あたりで十一大競走って言っていたからそれまではタイトル扱いしていなかったと思う
まだ「西のグランプリ」と呼んで盛り上げようとしていた時期。 >>116
関東って昔から意地汚いな。
自分らが負けてる時だけ施設が施設が煩いし。 シンザン鉄が重くて調教で走らないから
いっそ調教代わりに走らせるという武田文吾の方針 格の高い重賞(それこそ高松宮杯も)でもほとんどが強豪馬が60キロ以上背負わされる中、
宝塚記念は定量戦で異質だし位置づけとしてはやはり八大競争でなくとも格は高かったんじゃないのかね シンザンの時は定量じゃないか
シンザンの3年後からっぽいな
ハイセイコーの時もまだちょっと格が足りなかったようだけど
トウショウボーイの辺りから風向き変わってそう 一流馬でも半年休養明けのオープン戦とかだと容赦なく2番人気やらになるのって今の感覚だと理解不能よな
当時はそれだけ休み明けの叩きレースは走らなかったということ 宝塚はフランケルが走ってレートが跳ねた英チャンみたいなもん
シンザンが走ったことで格が跳ねた >>131
時代的には10年以上後ろのテンポイントでさえ63,5背負って勝ってる >>161
それも8馬身差
他にもエリモジョージやタニノチカラ辺りは結構背負ってた印象 >>157
最初、馬齢で1963〜1967年が別定、1968年に馬齢に戻ったみたい。 >>7
その映像見たことあるが本当に消えてアナウンサーの実況だけ響くシュールな映像w >>11
当時の宝塚は今のG1レースの扱いはされていなかった。あとの5レースは旧8大レース >>154
オープンの平場というのが80年代前半ぐらいまであった記憶 夏負けして菊花賞の出走も怪しかったくらいだから仕方ない 負けるか故障するまで体調悪くても出し続けるぞなんて脳筋陣営には
大レース全勝なんて無理だから
あと高度経済成長と活馬の自由化で輸入が加速した内国産種牡馬冬の時代に
種牡馬リーディングTOP10に何度も割り込んで活路を開いた点でも偉大な馬やね >>166
そもそもG1って概念がなかったから、海外にもなかったし… >>169
夏負けと言いつつ菊花賞の前に秋2走(二着二回)してる
夏負けは二敗の言い分けと本番負けたときの言い分けな >>172
いい歳こいてこういう事を今言うやつ
根性がひん曲がったまま、老人になったんだろうな >>173
今の競馬しか知らん若僧に決まってるだろ
少なくとも昔のクラシックを戦い抜く難しさを知ってたら言い訳の為なんて言葉が出るわけ無い シンザンのスレでこれだけレスが伸びるって競馬板の年齢層どんだけ高いんだよ?草
さすがのこの(´・ω・`")もシンザンともなればリアルで見てないしこれだけ熱く語れん罠
(´・ω・`") おまえはリアルでみてないシンザンよりずっと過去の馬で熱くなってるじゃん いつも >>177
リアルタイムで見た訳じゃない
ルドルフ以前を知る者の責任だな
シンザンをリスペクトし語り継ぐ事は
旧い競馬をひたすら卑下する者が多い昨今せめて俺達の世代は過去の名馬たちをリスペクトし語り継いで行きたいじゃないか シンザンと言えば大外の更に回して見えなくなって勝った有馬記念か
図抜けて強い馬だったんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています