3大競馬における変革 サンデーサイレンス導入、武豊デビューあと一つは?
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オグリキャップ前とオグリキャップ後 でだいたい説明できるやろ ハイセイコーとオグリキャップ
それとサンデーサイレンス
これで終わる話題 業界そのものを変えたもの:
ハイセイコー、オグリキャップ
業界のレベルを引き上げたもの:
テスコボーイ、ノーザンテースト、サンデーサイレンス
これ以外は語る意味もない 人気面でオグリキャップ
対外メディア面で武豊
馬の質面でサンデーサイレンス導入
で良いと思うわ、なんだかんだ武がいなかったら競馬の世界に入らなかったという人間は多いわ確実に
ハイセイコーやノーザンテーストはオグリとサンデーの次点って感じじゃね 銭ゲバキムチ金子の家畜ビジネス(ドーピングサプリ含む) >>40
ハイセイコーはリアタイ知らんけど、オグリと両方をリアタイで見た競馬好きの俺の親父はハイセイコーの方が社会現象として上と言ってたけどな 武豊はJRAがブームを作り出すために総力を挙げてコネで祭り上げたからな
こいつと福永、横山武史は三大コネの馬質王 オグリキャップだろ
こいつがいなきゃ武豊も有名になってないし
サンデー導入もなかったかもしれん オグリキャップ以前の武豊は悪役だった
ラストランにオグリキャップに乗ったことで主役になった 清原が善玉で桑田が悪玉だったのにどうなるか解らんもんやで ブームの評価は当時生きてないと本当に分かんねえんだよな
オグリは流石に知ってるけど
ハイセイコーが実際にどの程度のものだったのかが全く分からない 単純にクラシック追加登録制度や有馬記念電話投票制度を作る契機になったオグリは三大といわず日本競馬最大の転換点 もちろんオグリの成功にはハイセイコーブーム(遡ればトキノミノル)の下地が不可欠だし
サンデーの成功にはノーザンテーストほか日本に導入された種牡馬の豊かな血統を持つ母系あってこそというのは理解してるが
「競馬が今の形になった」って点の決定的なきっかけはやっぱオグリとサンデーじゃねえかなと
ハイセイコーの人気はオグリよりあったのかもしれないが馬券に馬の名前を刻むほどではなかったでしょ >>48
テレビの視聴率とか見てても
ハイセイコーの頃の方が上と言われても
マジでおかしくないからな ただハイセイコーのぬいぐるみは当時普通に作られてそうで怖いな
あった? >>54
ぬいぐるみはオグリのオーナーの会社が作ったのが始まりらしい 武豊がいなかったら横山典が勝利数トップジョッキーになってたぞ多分
そんな競馬界耐えられるか? オグリキャップ前後で世間の競馬のイメージも競馬場の客層も全く違うな ハイセイコーの登場だろ
オグリキャップは所謂ハイセイコーの焼き直し オグリは、現表記3歳秋からのタマモクロスどの闘いからブームが盛り上がった印象。そのオグリを見た馬券オヤジたちが「まだハイセイコーの方が凄かった」と言ってた。
ただ「ハイセイコー時代にヌイグルミは無かったなぁ。女の子がヌイグルミ持って競馬場で その馬を応援するなんてなぁ」と語っていたのも印象に残っている。
やっぱり『競馬史』ならばハイセイコーブームは外せないんじゃないかな。 まずオグリキャップがいなければ
ダビスタもマキバオーもなかったはずで
そしたら競馬なんてマイナー競技でしかなかったよ
武豊だって知名度なかっただろうし >>64
アスペかよ
オグリブームがなきゃ作られてねーって話だ 世の中への影響力は ハイセイコー
現場ならば 東西トレセンの完成
生産者目線なら SS導入
この3つじゃないか? 人気の大小なんて主観で変わるしどうにでも言える
まず客観的な事実としてオグリキャップの功績
・馬券に馬の名前が表示されるようになった
・ぬいぐるみなどの商品化でグッズの拡充
・地方と中央の交流の活発化、地方騎手の中央移籍など
・クラシックレースの追加登録など出走規制の緩和
百歩譲ってハイセイコーの方が人気が上だったとして、ハイセイコーはこれらを超える変化を競馬界にもたらしたか?って言ったらノーだろ その人気を糧に何を成せたかって点でオグリブームがトップだろうな オグリで競馬そのものの存在とか立ち位置を変えなかったら他国みたいな衰退を待つだけの業界になってたかもしれない オグリ前にハイセイコーが地ならししてないと
オグリブームもなかったと思うぞ
オグリブームの特徴は女が流入してきたことだろ
だからぬいぐるみとか馬券に名前とか女性的な視点が入ってきたわけで
ハイセイコーの前は競馬なんかアングラだったけど、普通の男が競馬をするようになったわけで、
アングラのままだったら女も怖くて入ってきてないよ >>73
ハイセイコー前の競馬がどうだったか知ってるとかめちゃくちゃ爺さんじゃん テレビの視聴率でハイセイコーが上って言われてもピンと来ないよな
おしんが歴代最高視聴率だからってドラマの歴史を変えたと思わないし
おしんの監督やらキャストがその後ドラマ界を席巻したわけでもないし なんだかんだいってJC創設かな
今は見るも無惨だけど国際化はあそこから始まったわけだし >>64
モデルの話なら作者が否定してんだけどね
ヒノデの父がタマブクロスだし ノーザンテーストは過大評価やろ
そこまででもないわ >>78
マキバオーのモデルはウイニングチケット説が有力だな
タマーキン(トニービン)だし シーキングザパール、タイキシャトル、エルコンドルパサー
これだろ >>73
ハイセイコー前は アングラどころじゃ無かったらしいっすね。馬・舟なんかでギャンブルやっていた連中なんて、金持ち(成金)か 底辺の奴らって感覚だったらしいし。底辺って今で例えるなら、生ポのパチンカスと同等になるのかな。
そんな扱いだった公営ギャンブルに、引退までの数年とはいえ、小中高校生や社会人まで名前が知れ渡っていたハイセイコーってのは、一般的人に競馬の興味を持たすという伝道師の第一号だと思う。
ちなみに、ハイセイコーの後ぐらい?から、日本船舶振興会が夕方の子ども向け番組のスポンサーになりCMを流し始めていたと記憶している。 >>77
まあ、JC当初の「世界に通用する馬作り」の目的は達成したわな。
日本馬が強くなりすぎて外国馬が来なくなったけど ウイポ「オルフェとカナロアの種牡馬入りは日本競馬の歴史の分岐点」 馬券に関してはなんと言ってもネット投票だろ
ネット投票が無ければ地方競馬は死んでた ハイセイコーが居てオグリがいなかった世界線だと >>71みたいな結末になっただろうし
やっぱりオグリキャップ有りきだよ現代競馬は ハイセイコーやオグリはメディアのおかげ
地方から上京してきた団塊の世代が自分を重ねて
応援したんだよ ケイリン ウィチケット
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53QNM25I 競馬の立ち位置を劇的に変えたのはネット投票だよ
競馬はネットと相性良かった
情報が少ない時代なんて関東と関西でそれぞれの
競馬しか観れなかったりしたしな
全国各地リアルタイムであらゆる馬券を買えて
レース観戦できるそれが大きい >>4
ハイセイコーの方がレコード出たりすごかったやろ、知らんけど >>89
ネット投票だけなら競輪オート競艇も同じこと言えるけど競馬ほど人気じゃないじゃん
それはなぜかと考えるのがこのスレなんじゃね 今は当たり前のように関東にいて関西のレースの
馬券を全レース買えたりするけど昔は違うからな
情報の経路が全線違う ハイセイコーとオグリとサンデーサイレンス
武豊
携帯で勝馬投票券が買える
これかな >>91
それは競馬の方がマキバオーブームあたりから
先行してメディアミックスしてたからな
ダビスタも大きかったと思うエルグラスペと
重なってるしな >>80
1話で「産駒にゃウイニングチケットみたいな強い馬がゴロゴロいるんだよ」とか言ってるからその線も薄くね たしかにオグリは競馬ブームの要素としてはデカいんだけど、一方でオグリ出現以前から競馬ブームの流れがジワジワ来ていたのは確か >>94
その競馬ブームはオグリキャップの影響が強いんじゃないかな
オグリキャップいなかったら競輪オート競艇と同じ程度のギャンブルにしかなってないと思う じゃじゃグルで高校生が競馬ブックを買ってるような
描写があったがあれはダビスタとかマキバオーから
入った世代によくあることだっだな >>80
血統はウイニングチケットで牧場が潰れるとか
毛色とかはタマモクロスだな ハイセイコーってハイセイコー以外の人気にあんま発展しなかったな
ハイセイコー直後に競馬版・巨人の星みたいな人気競馬マンガとか出てりゃ
全体への影響力すごいと思えるんだけどそうじゃないし オグリキャップと武豊で女が増えた
そして今はウマ娘 >>87
当時から「ハイセイコーみたいな良血馬が なんで大井デビューなんだ」とは言われていたらしい。
おかげで 90年代まで(今でも?)の雑誌には日本中央競馬会の陰謀論の記事をよく見かけた。 あと競輪競艇あたりになかったのは
大川慶次郎とか井崎脩五郎みたいな存在かな
柏木集保とかアベコーとかも大いに貢献したな 馬券の種類と売り上げはあんまり関係ないと思う
JRAなんて長らく単複と枠連しか発売しなかったし
ワイドですら地方競馬の方がずっと先でしょ ネット投票以前にも関わらず今でも96有馬の売上を超えられないのすごいよな
当時より物価がインフレ気味なのにも関わらず オートには当時のスーパーアイドルSMAP森君が行ったのに
競馬ほどの人気にならんかったと思うと
オグリキャップのアイドルっぷりが異次元だと思うわ >>110 年がバレるぞ、誰もナナコの師匠が乗っていたなんて知らんし。 競馬というかファン層の変革はウマ娘
競馬とか絶対やらんわとか言ってた友人が今はウマ娘よりどっぷりはまって馬券買ってる 馬連の登場は革命的だったと思うぞ
まもなくして始まったマークシートや自動発券機も馬券人気に拍車をかけたな
>>107
ワイドはJRAが最初に導入ではなかったかな >>113
ウマ娘ってそれこそオグリ→テイオー→スペみたいな
90年代競馬ブームありきのコンテンツじゃね?
オグリやテイオーなくして生まれることは絶対になかったレベル 変革というのは意識をもって何かを変えることだから、武豊デビューは違うだろ
それとも競馬を変えるために誰かが武豊という人造人間を作り上げたのか
結果的にエポックメイキングなことだったけど「変革」ではないよ ウマ娘2期が盛り上がって3期が全然盛り上がらなかったのを見ると
90年代の競馬ブームが現代に及ぼしてる影響度わかる >>116
武豊がデビューした1987年て実は競馬会かJRAに、場外馬券場がWINSになった年なんだよな
当時はそれだけですぐに大きな話題にはならなかったけど、
武豊が話題となり柔道日本代表の連中がJRAのロゴを纏ってたりCMもガンガン流したりして、
お茶の間にJRAの存在が段々と浸透し始めていったんだよ
そんなイメージアップ戦略の流れの中で88年にオグリが登場したわけだ
結構奇跡的な相乗効果の連鎖があったと思うがね >>121
当初の武豊はスーパークリークにのってオグリキャップを邪魔する適役だったよ
ラストランでオグリキャップに乗って一気に主役になった 「武豊という人造人間」は言い得て妙だな
タケクニがそもそも人気騎手で、その子としてデビューから注目されて(実力はあったにせよ)ものすごい馬質でガンガン勝ちまくらせる大スターを作り上げたわけだから
半分くらいは競馬界を盛り上げる人造人間として作られた側面はあるよな >>124
武豊にラストランのオグリキャップを載せたのも父だったな
本当ならオサイチジョージに乗る予定だった 種牡馬:サンデーサイレンス
競走馬:オグリキャップ
騎手:武豊 武豊はエアロの勝負服を導入したりペリエを短期免許で連れてきたりして人気だけでなく日本競馬の発展にも貢献してるから凄い >>120
オグリのリアタイを見てたらとるに足りない程度だけど、
ハルウララなら社会現象にカウントして上げても良いレベル。
ディープとかは競馬村の身内で盛り上がってた程度。 >>116
JRAは武豊を使って大々的にイメージアップを図ってたよ
広告宣伝効果は半端ない
週刊ギャロップ臨時増刊「平成競馬全史」(2019年11月1日号)
私が選ぶ平成の名勝負(岡部幸雄・柴田政人・井崎脩五郎・鈴木淑子)
井崎 平成の初めの頃、武豊さんのメディアの露出について、もしJRAがコマーシャルとして彼を出したらいくら払う勘定になるのかを、電通の友人に計算してもらったら、年間720億円だったの。
一同 すごい! >>121
まさに天の配剤と言わんばかりの組み合わせよな武豊とオグリキャップは
有馬記念で伝説になった 武邦彦「息子をオグリキャップに乗せたいから急だけどオサイチジョージへの騎乗はキャンセルでいいですか?」
オサ馬主「ええよ」
この馬主がNoと言ったら競馬人気今より無かった可能性 >>90
売上の伸びとか社会への影響考えるとオグリキャップ >>34
ハルウララは入らないの?
当時は凄まじかったと聞くけれど ハルウララいなかったら高知競馬は消えてただろう間違いなく
中央競馬への影響はわからん >>132
それオサイチジョージじゃなくてオースミシャダイだよ オグリキャップは40歳のオッサンの俺ですら記憶が残ってないぐらい昔の話
競馬を知らない人へとなると騎手は武豊
馬はハルウララとかディープインパクトになるぞ >>61
ルドルフの時代には「シンザンの方が凄かった」というオッサンは大勢いたらしい
オッサンの昔話は真に受けちゃいかンよ でもまあオグリキャップは引退時に歌とか作られてそれがまた大ヒットしたとかそういうことはなかったわけだから
ハイセイコーの方が人気だったって話はそこまで躍起になって否定はせんよ >>141
ハイセイコー、ハルウララは単体での人気でオグリは競馬を人気ジャンルにした感じ >>134
オグリキャップを震度7としたらハルウララは震度4ぐらい。
ディープで2か3。 >>134
ハルウララはほんとに一過性かつ局地的なブームだし競馬自体の盛り上がりにはほぼ繋がってはいなかった
ハルウララが安西美穂子に捕まって雲隠れしてたときなんてもはや一般人は気にも止めてなかったしな
高知競馬が救われたのは間違いないけど ダビスタかな
小学生が「ナスルーラのクロスは気性難がネックなんだよなぁ」とか普通に曰ってたから 俺の生涯収支が2023有馬記念でついにプラスに転じる 結局、競馬を小汚ない親父のギャンブルからスポーツ、エンターテイメントに変えたのは武かオグリかどっちなんだよ >>138
パーフェクト連対なんだから、いえる証拠はあるでしょ。で、ルドルフが引退する頃にはシンザン世代の関西在住の競馬オヤジからもルドルフ凄ぇの声はあがっていた。 ハイセイコーは間違いなく競馬の歴史を変えた
でもオグリ→ダビスタラインが強すぎる >>151
認めてたオッサンもいたんか
生まれる前だから聞いただけだし
そう言うならそうだったんだな まあ日本の競馬における象徴としての王様はオグリキャップでこれに異論を唱えるのはほぼ居ないだろう >>153 開発者の薗部がサッカーボーイの単勝にぶっ込んだ有馬記念で勝ったのがオグリ。その時に薗部は周囲の友人から有馬記念のサッカーボーイは距離が長いと言われたが受け入れずに撃沈。その時の「くやしさ」が「応援する馬が負けて悲しい」ということに気付いて、周囲から言われた(サッカーボーイの)距離適性などの要素を加えて 音楽以外の全てを独りで作ったのがダビスタ。
あながち関わってないとはいえない。 >>155
知名度ならオグリかディープだろうな
ただディープはアンチが多いから
総合的にはオグリかも
オグリは競馬界の千代の富士 ペリエ、アンカツ、サンデー産駒
95年って競馬界でも時代の流れが変わるきっかけの年だったな ダビスタだろ。
これで競馬なんて無縁だった若い世代を大幅に獲得出来た。
JRAは園田に感謝しないとな。 >>156
その有馬の前からダビスタの制作は始まっていたみたいだけどね
そのオグリの有馬あったからダビスタの完成度が段違いに良くなったと言うなら話は変わるが >>158
あと地方交流元年ってやつね
これも結構流れを変えたと思うよ >>159
薗部な
ダビスタから競馬始めた人は多いだろうな
俺もそうだけど
ナリブ、ローレルの最強世代
パール、シャトルの海外G1制覇
一番盛り上がった98世代
これを楽しめたのはダビスタのお陰 どうでもいいけどサンデーサイレンスの歌っていうのもあるよね
サンデーの生産者馬主本人が作詞作曲して歌ってる歌
アップルミュージックにも登録されてて笑ったわ >>160 >その有馬の前からダビスタの制作は始まっていたみたいだけどね
それは知らんかった。ベストプレイプロ野球の初代が88年の夏に出てたから、当時はベストプレイプロ野球2を作っていると思っていた。 >>164
ソースはウィキだけどねw
違ってたらごめん >>164
ごめん
開発に3年だからちょうどその有馬ぽいわ >>165 俺のソースは週刊少年マガジン「ゲームクリエイター列伝」の1巻ですわ(笑) 有馬記念を創設した人の苗字が'’有馬'’だったこと >>110
映画「優駿」は忘れてはならんな。
この映画上映の頃に現実世界の競馬を見た時、そこにはオグリが居た… シーキング、シャトル、エルコン、アグネス
こいつらの功績はでかすぎる
われもわれもと後に続いたからな ハイセイコーの時代は国営より南関のが人気あったくらいだしな。この時代の賭場はガチでいろいろと酷いもんだぞ。 >>115
それ言ったら競馬ゲームは全てそうだろww グレード制導入
馬番連勝複式の導入
アラブ系競走の廃止 >>154
名前未定の頃のテイオーが栗東にきたとき、「松元センセのとこのルドルフの仔、あれは別格。やっぱりルドルフは凄い」と どっかの厩務員が言ってた‥‥‥というトウカイテイオーを扱った記事を90年代の雑誌で読んだこともある。 昭和63年がターニングポイントだね
オグリがJRAに移籍、武豊G1初制覇、映画の優駿、そしてフジテレビ
笑っていいともに井崎さんが出演して競馬を盛り上げる 変革はレベルを下げたって意味か?
それなら納得
後一つはディープのドーピングだなwww ダビスタの作者はオグリの活躍からの競馬ブームで友達に競馬場に連れて行ってもらい競馬を好きになってダビスタを作った
自分はオグリ現役時代に子供だったけど全てのテレビのワイドショー番組でオグリの話題でてたから凄かったわ >>187
結局競馬はオグリキャップありきよな
オグリキャップが居なければ競艇・オート・競輪と同レベルなままだった ちなみに武豊の関東馬でのG1勝ちはダンムーの1勝のみ。この30年あまり、いかに栗東の天下だったかが わかる。 1987 CIでNCK→JRAへ、武豊デビュー
1988 オグリキャップ中央移籍、キャンペーンCM開始
世はまさにバブルで見事なタイミングだった >>116
その意味では競馬学校だな
競馬学校以後の若手の台頭はそれまでの若手の活躍とはレベルが違う >>141
オグリキャップの歌というCDがあってだな… サンデー導入はテーストなしじゃ無かったな
テーストで社台が変わった オグリの再来狙って作られたのがディープってどこかで見たけど失敗に終わった感じかな?
それ以降アイドルホース出てないよね その後で一番人気があったのはゴルシだろうな
引退して半年くらい経った頃に競馬板で「ゴルシが居なくなって寂しい」というスレが立っててレスもけっこう伸びてたからね
そこまで惜しまれた馬はゴルシくらいやね イクイノックスの世界レーティング1位は?
今後の評価対象扱いなのか? ノーザンテーストが無ければオルフェもバクシンオーも存在していない
サンデーはその後の副産物だよ。イクイノックスだって存在していない >>204
レーティングじゃ弱いよ
凱旋門制覇くらいだろ マル父レースを競馬界から失くした父父サンデーサイレンスに一票 >>206
当初は栗東にしかなくて、東西格差が生まれて大きな変化だったな そらオグリキャップやろ
女子供が普通に競馬の話しだしたり
競馬のイメージ改善と一般への浸透の影響力が異常 >>208
オグリがなければダビスタもなかったと同じ考え方か
テーストがいなければサンデー輸入もなかったしね
影響力はサンデーの方が上だと思うがテーストの功績も素晴らしいしね >>205
なんでもダービーも そうだが、「とんねるずのハンマープライス」も 同じ頃だよね
杉本清がオークショニアやってたし、競馬絡みの出品にナリブの たてがみがあったし、売り上げが全て阪神淡路大震災の復興に寄付されていた。 吉田善哉 とその一族関連
育成・外厩ファームシステム が日本競馬に与えた影響が一番大きいのは事実 として
外人・地方ジョッキー 通年制度導入 ホープフル最後のGI化
競馬はダービーからダービーへが本道だと知らしめる
象徴的な出来事だった こち亀読めば大体競馬がどう変化していったのかわかるよ
90年代から競馬がスポーツとして認知され始めた 騎手なら菜七子も入ってるだろ
菜七子から女性騎手が毎年入るようになったし オグリより前にテンポイントの容態とか
毎日メディアで報道されてるし 馬券の売上高は2010年を境に反転してV字回復してるんだけど、なんかあったっけ? 日本レース・クラブの創設
日本の競馬において最大の変革はこれ
日本人による近代競馬の開催も馬券の販売も全てこれによるからな
これに比べたらサンデーだの武豊だのオグリだのなんて瑣末な話でしかない >>229
そんなん言い出したらすべての事業が該当するじゃん 女性ファンは必要だけど
女性騎手は別に必要じゃないだろ
特に異形を成し遂げた女性騎手もいないし オグリは中央競馬デビューから引退まででJRAの売り上げを1兆円増やした
ネット投票がない時代にたった3年間で ネット発売って既に電話投票あったから時代的に自然な流れで別に >>232
いい加減時代の流れを受け入れろよ
今成し遂げられなくても
競艇みたいに成し遂げられる可能性あるだろ >>236
時代の流れとか言っちゃってるあたりキモい
女性騎手の登場で何がどう明確に変わったか説明できてねーじゃん
そもそもナナコ以前から女性騎手いたし 武もサンデーももちろん偉大だけど、競馬を質的に変化はさせた訳ではない
良いかどうかは別としてこれまでの競馬の仕組み自体を大きく変えたのは外厩だろう
70年代のトレセン開業以来50年ぶりの変革点だと思う 新馬戦をメイクデビューに改名
ダサイレース名になっても誰も怒らなくなった >>224
何巻の何て話か書けよ。
コミックス、200巻あるんだからw >>242
メイクデビューって名前が絶望的にダサいから書いたので。
○勝クラスってのは、そこまでダサくない エージェント制度
吉田家の独領
外人特別待遇
2世特別待遇 >>231
ほう、ではどの事業が日本の競馬の始まりに該当しどの事業が日本の馬券の始まりに該当したのか言ってみ?
少なくともこの2点は日本の競馬の歴史上重大な出来事であって重要度においてこれに匹敵する事象は殆ど無いぞ? >>109
森くんがいた頃のSMAPはそこまで人気なかったが 変革とは変化することで始まることは変革とは言わない 日本競馬の大きな変化を答えよの問に、競馬創設と答えるのはアホやろ >>248
スマスマがゴールデンでバリバリやってたぞ >>247
創立であってどのへんが日本競馬を改変したんだ? >>246
馬連導入でフルゲート数も変わって競馬そのものが変わったからね >>253
森くんが抜けたあと大ブレイクしたイメージなんだが… >>256
リアタイ世代だけど森君の離脱はショッキングなニュースとしてファンに悲鳴を上げられるほど大騒ぎされてたぞ ハイセイコーで市民権を得て、オグリで女性を競馬場に引き込み、ダビスタで子どもを虜にした
3つ挙げるとしたらコレかな 地味に東京の大型改修。そこで馬場傾向が大分変わったイメージあるわ 種牡馬としての成績はサンデー>ノーザンテーストだが
革命的であったのはノーザンテーストの方やぞ
サンデーは流れに止めを差した感じ >>70
ノーザンテーストが成功してなきゃ社台自体が倒産してた可能性もあるし
そうなるとサンデーは日本に来て無かった >>254
それまで居留地外国人限定の娯楽だった競馬が日本人の娯楽になった
それまで見るだけだった観客が馬券で参加できるようになった
お前が挙げたオグリやテーストにこれ以上の変革要素ある? >>265
日本語の意味が分かってない残念な子なんだね 競馬における変革
この日本語の意味を分かってないから>>254や>>266みたいなアホなことを言っちゃうんだろうな オンライン投票かな
ファミコンで馬券が買えるようになった1991年か、
ファミコンよりキャプテンシステムの方が前のような気もする。
キャプテンシステムのデフォルト画面にJRAが有った >>262
これはマジだな
ノーザンファームって名前が全てを物語ってるし 小説の「優駿」はホントに良く書けてたな
アレは凄いわ 血の影響という意味ではトニービンもようやっとる
これで父系が繋がってればな 武豊
サンデーサイレンス
オグリキャップ・ハイセイコー
ダービースタリオン >>40
社会現象で言えばハイセイコーの方がという話は聞くな、まあ娯楽の少ない時代だから一概には言えんけど。 >>278
それもこれも全てサンデーサイレンス→ノーザンテーストに遡るんだよな
種牡馬で転けまくってて軽種馬協会の種牡馬や日高にやられてたところ
ノーザンテーストで当てて社台Gを建て直したことから始まり
サンデーサイレンスで大当たりして設備やノウハウや繁殖牝馬の強化を行いもうどこも勝てなくなり
社台Gの中での争いからNF一強になりNF内の育成厩舎の中の争いになった ずっとヒートレースやってたらどうなってただろ
まあ駄目な形式だから廃止したんだろうけど 外厩とか、牝馬の異様な強さとか、大レースに直行とか。 ノーザンテーストが居たから今の社台があるしサンデーサイレンスなんか比じゃないの スレの流れでは
オグリキャップ
ノーザンテースト
この二つは確定だな 競馬の売り上げだけで考えるなら
ハイセイコー
オグリキャップ
ウマ娘かもな >>290
サクラバクシンオーのご先祖様で
ノーザンテーストの前に4回リーディングサイアーに輝いてる
種付け料の安さからお助けボーイとも言われて
日高の零細牧場の馬質を引き上げた >>285
売上の落ち込み散々言われてたオペのせいじゃ無いじゃん
再興のきっかけはオルフェゴルシ辺りか >>290
この馬を良く知る方は競馬歴40年超の大御所でありますな >>291
お助けボーイと言えば息子のトウショウボーイの方が通りがいいと思う
ノーザンテーストは確かに日本馬産の底上げはしたがレースでは旋風と言えるほど大きいレースを勝ってない
やはりトニービン、ブライアンズタイムときてのサンデーサイレンスは凄まじかった
TB、BTという強力ライバルがいての結果であり結局のところライバルはいなかった
NTは繁殖の底上げをしたが競馬のステージを変えたのはSS 変革という点では外厩制度も大きい
これによって一流馬はステップレースでステップする必要がなくなった
弥生賞や毎日王冠、京都大賞典が普通のG2になって久しい ウマ娘から入った奴らが大好きそうな
ナリタトップロードは ノーザンテースト居ないと
生まれていない訳だが NCKをJRAに変えない?
ってどういう流れでなったのかは気になる >>285
競馬ブームはナリタブライアンの故障で終わった感じだったから売上とは連動してた感じがない >>292
いや売り上げ増はスマホの普及でしょ
2011年のiPhone4S発売あたりから一気にスマホが普及して
馬券購入から情報入手まで全てスマホでできるようになったからね 80年代後期から90年代中期までの競馬ブームは単純にJRAブームだったという気もする
JRAの売上増とは反比例に地方競馬やその他の公営ギャンブルの売上は激減してったからさ
WINSの発展が大きかったんじゃないか クラブ馬主だろ、日本がガラパゴス競馬化した最大要因 まるで言及されてないけど
◯外の出走制限撤廃は相当デカいと思う オグリの出現から電話投票制度が作られ、今のネット投票に繋がる
オグリの出現からからダビスタの生みの親の園部が友達に誘われ競馬場へ行き競馬にハマる
オグリのオーナーの会社が馬のぬいぐるみを作り、クレーンゲームが全国に広がるタイミングと重なり1100万個を売り上げる >>310
武豊の後を任せられる日本人がいなかった ハイセイコーは社会現象だったようだしハイセイコー入れておきたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています