古文書を楽しむスレ [無断転載禁止]©2ch.net
面白い古文書、真面目な古文書等を貼って楽しむスレです
番付漢籍浮世絵なんでもありです >>191
このえは何の場面でしょうか? 天目山?、武田勝頼と
武将は、今なにを思っているのでしょうか?
諸外国でも、武将は人気あるときく 日本人も武士や戦国武将が好きです
町民や農民、あきんどは、現代人の憧れの対象にならず、ひとを殺す武士に
日本精神を映し出す
書くのは もちろん 考えることも いまできないが 庶民や商工人にも偉人は恐ろしいほどいる、後世の「お偉い様」が見てみぬふりをしてきただけ
僕は郷土史を蔑ろにしてきたお偉いさんを否定してるし、郷土史や国学漢学がアマチュア主導にならざるを得ない現状が悲しいね
ヒストリカル・インフォマティクスのような新しい学科等が必要と思ってる
庶民や商人の偉人には面白い人が多い、案外身の回りに偉人がいたりするよ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/126yashirou.html
この人なんか糞貧乏だけどとても優しい「よか男」
良き為政者は庶民であろうがきちんと称える
夜須の朝日の弥四郎は 親に孝行尽くしつつ 牛馬に鞭をあてざれば 寿持の田は作りどり(黒田斉清作) 人ヲ殺スハ國家ノ大禁ニシテ人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ政府ノ公權ニ候處古來ヨリ父兄ノ爲ニ讐ヲ復スルヲ以テ子弟ノ義務トナスノ風習アリ
右ハ至情不得止ニ出ルト雖トモ畢竟私憤ヲ以テ大禁ヲ破リ私義ヲ以テ公權ヲ犯ス者ニシテ固擅殺ノ罪ヲ免レス加之甚シキニ至リテハ、
其事ノ故誤ヲ問ハス其理ノ當否ヲ顧ミス復讐ノ名義ヲ挾ミ濫リニ相搆害スルノ弊往々有之甚以相濟事ニ候依之復讐嚴禁被
仰出候條今後不幸至親ヲ害セラルヽ者於有之ハ事實ヲ詳ニシ速ニ其筋ヘ可訴出候若無其儀舊習ニ泥ミ擅殺スルニ於テハ相當ノ罪料ニ可處候條心得違無之樣可致事 人を殺すは国家の大禁にして、人を殺す者を罰するは政府の公権に
候ふところ、古来より、父兄の為に讐(あだ)を復するを以て子弟の
義務となすの風習あり。
右は至情止むを得ざるに出づると雖も、畢竟私憤を以て大禁を破り、私義を以て公権を犯す者にして、固(もと)より擅殺(せんさつ)の罪を免れず。
加之(しかのみならず)、甚しきに至りては、其の事の故誤を問はず、其の理の当否
を顧みず、復讐の名義を挾(さしはさ)み、濫(みだ)りに相(あひ)搆
害(こうがい)するの弊 往々之れ有り。甚だ以て相 済まざる事に候。之に依りて、復讐厳禁仰せ出だされ候ふ条、今後不幸至親を害せらるる者之れ有るに於ては、事実を詳(つまびら)かにし、速やかに其の筋へ訴へ出づべく候。
若し其の儀無く旧習に泥(なづ)み擅殺するに於ては、相当の罪料に
処すべく候ふ条、心得違ひ之れ無きやう致すべき事。 語注
-------------------
擅殺(せんさつ)=ほしいままに殺す。勝手気儘に殺す。
搆害=こうがい。いいがかりを作って害する。
至親(ししん)=親・兄弟など、いちばん自分に近い親族。肉親。
泥ミ=なずみ。「なずむ」は、こだわる意。
---------
明治になると司法卿の江藤新平らによる司法制度の整備が行われ、1873年(明治6年)2月7日、明治政府は第37号布告で「復讐ヲ嚴禁ス(敵討禁止令)」を発布 ダメだとても面倒
宗教熱心な人は聖書の文体の変遷や古い宗教書を見れば面白いかなと思う
キリスト関連の宗教家が文体や日本語に及ぼした影響はかなり大きい
ほとんど読んだことないし推測だらけだけど ちく
たくさんの懐かしくも美しい画像と文を ありがとう
それらから豊饒なイメージを得て 自分で満足のいく詩をかけたさ
基督の信仰をしてるわけでないが 子供時代の温かみを懐かしく思い出した 「脱亜入欧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
丸山眞男の調査によれば、脱亜入欧という成句が使用された最も古い史料は1887年(明治20年)4月14日に『山陽新報』に掲載された社説「欧化主義ヲ貫カサル可ラス」である
執筆したのは山陽新報の主筆であった鈴木券太郎である。この社説の中で「脱亜入欧」という成句が4回使用されている 劈頭からして
「脱亜入欧ハ我国開国以来ノ大主義ニシテ、今後益々此主義ヲ拡充セザルベカラズ。偶々腐儒アリテ亜細亜連衡ノ利ヲ説キ、又興亜ノ要領ヲ主張スト雖モ、斯ノ如キハ即チ固ヨリ取ルニ足ラザルノ迂論ニシテ……云々」
とある。
「脱亜」というのは、髪を切ったり、洋服を着たり、文を横に書いたり、肉食をしたりという、そんなことではないんだ。
「苟モ文明ノ器文明ノ道トアレバ、政経文物、之ヲ容赦ナク中ニ入レ、文明ノ風潮ニ従ヒ、文明ノ浮沈ヲ購ヒ得ル丈ノ入欧策ニ汲々タル事、是レ正ニ物ノ順序ニテ」という。 そうじゃないと日本の独立が「文明東漸ノ勢」に面して危険である。「脱亜入欧ノ鋭意ヲ鈍ラスコソ」非常に危ないと。学問芸術から軍備にわたり、みんなヨーロッパ式にしなけりゃいけない。
そして文章の末尾にも、
「夫ノ興亜策ナドト称シテ隣国ノ開明ヲ俟ツガ如キハ、不利此レヨリ大ナルナシ。我ハ只自カラ進ミテ西洋文明ト伍ヲ為シ、従来ノ輿地図〔世界地図〕中ヨリ亜細亜ノ彩色ヲ塗抹セシムベキノミ。此以上日本ノ志願アルベカラズ」。
― 丸山眞男、『山陽新報』社説の「脱亜入欧」論[1] ジョン・インヨル「脱亜と興亜〜福澤諭吉の残した「脱亜入欧」の亡霊がまだ日本を覆っている」 半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする
https://www.youtube.com/watch?v=PzY_vMTnFLY&app=desktop
権利幸福嫌いな人に 自由湯をば飲ましたい
オツペケペ オツペケペツポー ペツポーポー
堅い上下角とれて「マンテル」「ヅボン」に人力車
意気な束髪ポン子ツト
貴女に伸士のいでたちで 外部の飾りはよいけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が解らない。心に自由の種を撒け オツペケペオツペケペツポペッポーポー
米價騰貴の今日に 細民困窮省らす目深に被ふた高帽子
金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲け、藝者たいこに金を蒔き、内には米を倉に積み、同胞兄弟見殺し
幾等慈悲なき慾心も、餘り非道な薄情(はくじやう)な但し冥土の御土産か
地獄でゑんまに面會し、かわいろ遣ふて極楽へ
行けるかへゆけないよ
オツペケペ オツペケペツポーペツポーポー
亭主の職業は知らないが おつむは当世のそくはつで ことばは開化のかんごにて みそかのことわりカメだいて 不似合だ。およしなさい。なんにも知らずに知た顔。むやみに西洋を鼻にかけ、日本酒なんぞはのまれない
ビールにブランデーベルモツト、腹にもなれない洋食を、やたらに喰ふのもまけおしみ
ないしよでこうかでへどついて、ましめな顔してコーヒ飲む。おかしいね
ヱラペケペツポ ペツポーポー 散切り頭や廃刀令や地租と同じかそれ以上に強烈に「開化の漢語」に戸惑ってる人が多い
むしろ戸惑ってないのは公家と武家なんだよね
福澤は漢、国語どころか蘭仏英語で外人と意思疎通できる会話してるのがヤバイ 開化に反応して熱くなった
川上や添田唖蝉坊もキャッチーさとアイロニーと韻が一体化してて…オリコンチャートなんかは戦後の馬鹿の産物と改めて思い知らされる
余談だが世界のEDMアーティストの歌詞にはとても良いものがある
世界を席巻して当然、日本が取り残されて当然とも思ってる >>213
ま、まじか...... すげぇ
諭吉なんか 何もしらんから ニュー速で否定して否定しまくった
朝鮮中国を軽侮する、ちっぽけな境涯が大嫌いだからだ >>217
ウの濁音、ヴを作ったことだけでも偉大だ
きちんと当時の人々を認識すればそれが安易な軽侮では決してないと気付くと思うよ 大名行列や行幸の特殊な歩き方は禹歩あたりが由来なんだろうけど誰か研究してる人いねえのかなぁ 研究いっても
絵しか情報がないからどうしようもないのだと思う
身体とか音楽とかみんなそうで
結局全然わからない 無形文化財まとめるだけでかなりのものになるとおもうけど
みんな知らないだけで各都道府県無名含めてかなり残ってる
学者が軽視、見逃してる致命的なとことも思ってる >>179
ちくの未読の部分を拝読
やっこ とは、こう言うものを さすのか
トルストイもドストも 民衆こそロシアだと 述べた
歴史そして国語 いろいろの切り口で 日本について記述してくれ
シェークスピアは王侯の精神を書く
もっとも卑しきものから王までの すべての日本人の精神の
片鱗を見て取れる 古文書の断片を出してくれ 教師で言文一致を正しく理解できてる人いるのだろうか >>226
まず最初の画像は、読み取れなかった
「祝賀 コングラチュレーション」の賀状だが
すごい上流階級のひとの賀状なんだろうなぁ、とおもった
これの文を真似して書きたい所だが、さすがに気が引ける
さて、最後の「ひと文字だけ草」の賀状であるが、
バカみたいな感想だが あまりにも達筆で
あああ、こんな字が書けたらなぁ!のひとこと しかない
シンプルで美しい >新年(しんねん)之(の)御慶(ぎよけい)目出度(めでたく)申納候
の画像は大変視認しやすかった
>私事も無事馬齡を加へ候 御安心下され度
この表現に強い印象を受けた
末尾において
>いずれ 永日(以下については)
鎌倉時代の消息と、何ら変化無く、日本語表現の強い連続性を感じた >ただし、話した通りそのままに文章として書くという意味ではない。
??どういう意味か わからん。引き続き理解せんと努める >若松賤子が「小公子」の翻訳で試みた「ありませんかった」
はぁ??「ありませんかった」気になる 非常に気になる いったんスレから離れる いつもありがとうございます 言文の文は「候文」の文じゃん
>>202なんて吾輩は猫より前の本
wiki見てもいいけど戦後の本をソースにしてたら話半分で真偽を確かめるべき
敗戦で学術学芸にも多分にイデオロギーが入ってくる
そして戦後の本は大体明治期に出版した本をソースにしめる
偉そうにしてる戦後生まれの学者が古文書読めないとかザラ
僕以下、江戸時代の最下層民以下の言語能力で語られてもねと もっと端的に
言(開化漢語)と文の一致をはかろうとしてただけ
例に挙げられる画像見つからなくて参考にならんが、昔から普通に「」をつけて会話してるしね
http://i.imgur.com/3mK9yGv.jpg
関係ないけど江戸の力持ち
一俵=60キロ
http://i.imgur.com/nIoL8Am.jpg おまんま、おしめ、おじゃる
「お」がつく言葉は公家言葉
スマップ中居の〜べは奴衆が使ってた六方詞「べい」の方言化したもの
右手は馬手メテ、左手は弓手ユンデ、特殊なのが候文、武家言葉
何と何、誰が使ってる言葉と文章を一致させようとしてたのかを教えないから全く中身のない形骸化した教育に成り下がる http://i.imgur.com/85I9SaD.jpg
養蚕のwikipeチラッと見てたけど江戸の幕府が出島で阿蘭陀と貿易したのは生糸の為なんだよね
当時生糸の輸入額トップ、wikiはとても便利だけど鵜呑みにしすぎてもいけない
最初の頃よりはだいぶ充実したし重宝してるけど気をつけて >>221
> ウの濁音、ヴを作ったことだけでも偉大だ
ウ゛は、どういう場合に使うものなのか?ふと、疑問 ヴは大したことないように思えるけど微妙な発音差を表現しようとしたくらい発音を大事にしてるのが凄いと思う
そもそも平仄を意識したり昔の人の発音に対する意識は高い気がする
幕末に英語の発音に戸惑ってるけど彼らはオランダ語訛りが消えなかった
そこもなかなか意識の高さを感じる
発音軽視して所謂陳腐なカタカナ英語になっていくのも情けない話 >>244
> ヴは大したことないように思えるけど微妙な発音差を表現しようとしたくらい発音を大事にしてるのが凄いと思う
なるほど
> そもそも平仄を意識したり昔の人の発音に対する意識は高い気がする
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%84
>漢詩で重視される発音上のルール。
>7世紀までの梵字と漢字の対音資料をもとに平声は音節の長さが比較的長く、仄声は比較的短かったためと結論づけている。漢詩においては平声字と仄声字を交互に置くことによってリズムや音の調和を作り出した。
>日本では一般に「平仄を整える」と言う使われ方をし、この場合はほぼ「てにをはを整える」の意味である。
ちくの書くことは、知らないことが多すぎ、逐一 検索しないといけない
この場合の「平仄を意識したり」とは、「てにをはを整える」の意味なのか? >>246
西郷隆盛や木戸孝允やらが少なからず中国の漢詩家から覚えられるのは発音が問題ないからだね
中国語の四声は日本語で発音しないから当然わからないけど昔の人の人は辞典引きながら平仄整えてた つまり平仄が完璧なら向こうの人も当然意味が伝わるし発音上も問題ないってことだね 平仄を意識しないものや軽視したものは必然的に和臭まみれのものになるね
内容的に和臭がするレベルなら漢詩として問題ないと個人的には思ってる
日本の漢詩協会の爺さん達ははそういう幕末の和臭をほぼ完全に否定してるけども 武者かがみもかなり女の人出てくるけど男女「差別」なんてものもここ140年でそう定義されただけでとてもくだらないもんだなと改めて思う >>247
> 西郷隆盛や木戸孝允やらが少なからず中国の漢詩家から覚えられるのは発音が問題ないからだね
ちくの文しか見てないから(勉強してないから)ちょっとわからかったが
西郷隆盛や木戸孝允は、「発音が問題ない」とは、彼らは
中国語で発音してたのかい?
> 辞典引きながら平仄整えてた
こういうことを まさに 我もすればよいのだが、その緻密さの情熱が薄らいだ、または 失せてしまった
もちろん
必ず復活させようと思っている!
環境に負けてはいけない 老いにも 貧しさにも 非常に美しい絵だね
こういうのを 何て言うのかね? 錦絵?(すごい無知であきれるだろう?)
尊い景行天皇第二の王子(文)以下 なんとか読み取れないかなと
−−−−−−−−−−
天皇とはなにか?子どものころ、家庭がではなく、自分個人として
左翼的な気分だったし、いまも変化ない
−−−−−−−−−−−
尊い景行天皇第二の王子(なり、か?)
初め 小(次の漢字、読みがわからず)の尊と申奉る
−−−−−
集中力が失せたのと、用があるから、いったん離れる
ちく、まだ早いが 新年明けましておめでとうございます!! 万一のために もう書いておく このスレは
素晴らしい!のだから
もっとたくさんのメンバーを糾合したいものだね!
いでよ 若人、俺たちに挑戦しにこい!!
壮年のクソ力を思い知れ! >>254
彼らは辞典で平仄きっちり調べたり生半可な知識じゃないってだけ
>>255
みことはけいこうてんのうだいにのおうじにしてはじめをうす(おうす)のみことともうしたてまつる
>>256
僕は壮年ではないなぁ
soko(使えないけど)でいい、特に広めたいとかもないけど >>260
> 神仏習合極まれりだな
今年もあと1時間ですね
画像拝見。文字が読めないのだが、何とも言えない雰囲気の絵だね
パンチパーマのひとは、仏か。右は観音か。
ロンゲのメンバーは神であろうか。
神仏習合の由縁?は なんなのか?
日本人の精神世界において なぜそうなったのか? ちく、来年もよろしくおねがいします。
お元気で(さよならって意味じゃないよ、たくさん世話になるからな、あんたの教養は凄いからな) あけまして
「日本で最初の英語教師」ラナルド・マクドナルド
読んだ
---------------
>英語のレッスンは、マクドナルドが強制送還されるまでの7ヶ月間続けられ、その14人の通詞たちのリーダーであり、最も優れた生徒が森山栄之助であった。
>マクドナルドが去った数年後に、ペリー提督率いる米国東インド艦隊との交渉の際、幕府側の主席通訳として森山は大活躍した。その後、次々にやってきた英国、フランスやロシアとの通商条約締結の交渉に森山は徳川幕府にとり不可欠な存在となり、
歴史の裏側に、マクドナルドと森山の師弟関係が、あったんだな
そしてそれは、たったの7ヶ月間だったのか。7ヶ月で一切を吸収したんだな 神仏習合の画像の草書?を読みたい
グーグル画像検索でもかけて、この画像のソースのページへ飛べば、
見れるのかな? >>12
> 草書=筆記体、現代人は本国人が使わなくなった英語を筆記体で書き、母語の筆記体である草書を忘れた模様
めが さめる してき ですね
そういえば中一の時、this is a pen しか知らないのに
筆記体の練習させられましたね
転じて国語のことを考えるに、小学校入学以来、草書を習った記憶がない
行草書というものは 何か非常に高みにある教養のごとく思っていましたし、今もそうです >>19
> http://i.imgur.com/E3hxWpI.jpg
> 英詩の方が意味わかるとか多そうで辛いな
さすがに それはないです
たとえ なんかい だとしても、やはり日本語
訓練の量に比例するのでしょう >>20
太宰の落書き、初めて見ました
芥川に憧れていたんですねぇ
美術的センスも高かったんですね
ふたりとも少年時代よく読みましたが どちらも懐かしく
のめり込んで読書しました
年をとってから いっさい 読まなくなったが、
心底もう一度芥川太宰を読みたいと思う。紙の書籍で。できれば 太宰の落書き、中身が、どういう思索、何を感じていたか、悩んでいたか、その内容を知りたい
読み取りが困難 http://i.imgur.com/ASnRFYm.jpg
うなされる子供が何の夢見てるかなんて考えてる人は少ない気がする
それを描いて商売が成り立ってた諸々の純粋さに美しさを感じてしまった
本の続き貼ろうかと思ったが一休みで 戦前の日本の空気感 あまりに日本的な画像
日本とはローカルそのものなのだが、それを追究していくと、原初の人類
そのものに到達するのか
印象に過ぎないのだが、これらの画像を見ていると、現代日本との連続性より、むしろ違いの方を 強く感じる 南都奉行とそのお膝元で共通の振りが残ってたら面白いね 献も、獻じゃなく常用漢字と同じ略字使ってんだね
あんなん手書きで書くのめんどくさいもんな
案外明治以降に正字体にこだわりだしてるね
塩も明治以前はこっちの方が遥かに多いし