☆的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 24☆
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『的を得るとか役不足を誤用する馬鹿は、IP抜いて素性暴いて晒し者にしてもいいと思う。
それと、「食指」じゃなくて「触手」が伸びるとか言ってる奴は、
人間じゃなくて火星人か何かだろうから、地球防衛のために捕まえて
処刑してもいいと思う。』
って、↓のスレで土曜の深夜から日曜の夕方にかけて284連投したキ〇ガイが言ってました
前スレ
★的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 23★ [無断転載禁止](c)2ch.net
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1530392412/ 「当を得る」と「的を得る」は言葉としてのニュアンスが違う
「当を得る」は「正しいこと」に主眼があるけど
「的を得る」は「上手い」「凄い」のような間投詞的な含みが多分にある
英語に例えるなら「当を得る」は"correct"で「的を得る」は"marvelous"
「当を得る」の用例として「彼の当を得た発言には感心した」というのがあったけど
「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
いちいち文言をくどくする必要がなくなる
こういった違いは辞書を捲ってるだけでは分かり難い >>125
> 「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
其だつたら其を「得る」と表現するのはをかしい。
「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
對者の發言を評するに「得る」と云ふのは固より適切では無い。 あのね、お前の感性に従って言葉があるわけでなく、長い間の人間の生活や共有の意識・感性の中で今の日本語がある。
いちいちお前がどう思うかはどうでもいい。 >「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
え?
「的(物事の核心、要点)を得る(自分のものにする)」だから
つまり「完全に把握してる」って意味で合ってるじゃん
むしろ何が違うんだ? まと というのは、適宜 のような意味で、える というと、
につかわしい みたいな意味かな。 >>132
> まと というのは、適宜 のような意味で、
的とは核心、要點と云ふ意味。
適宜とは合つてゐる縡。適してゐると云ふ意味。
雙方共に意味は違ふ。 >>131
其では詞の使ひ方としてをかしいだらう。
「當を得る」の「得る」とは自分自身の縡なの歟(嗤)。 そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
明治期に外国かぶれの若者たちの間で流行した英・漢文直訳型の「洒落た言い回し」であって、昭和に入ってから定着したものの、明治末期にはまだ「新しい洒落た言い回し」でしかなく、「最近の若者は言葉を勝手にもてあそぶ」と眉をひそめられるようなものだった。 ちなみにハイレベルな外国語翻訳では、この手の「翻訳調」は控えるのが原則。
「実に当(要)を得ている」は「実に核心をついたものである」「的確そのものだ」などとするのが正解。 >>135
> そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
>
あのね
じゃおたくは元々日本語にあった言葉だけで書き込みしなさいよ
まず漢字ひらがなカタカナは使えないよ
中国から来たものだからね
やまと言葉だけでは書き込みもできない
百歩譲って文字は使うとしても、元々日本語にあるという観点から言えば、殆どの熟語も無理
清少納言みたいな文章書いてりゃいいよ
それか万葉仮名とかさ 訂正
○まず漢字は使えないよ。そして漢字をもとにした平仮名カタカナだってアウトだろ、おたく的には。 日本においては、漢字やカタカナ、ひらがなが、
もともと日本語で使われてきた「和語」を表記するために利用されてきたものなのでは? 「的」は、「(弓矢、銃の)標的」と言う意味のほかに、「物事の核心、要点、要」「明確である様子、正しい様子」という意味があります。
少なくとも「標的」も「核心、要点、要」も、「目指すべき(守るべき)もの」というところからきているのでしょう。
「得(う)」は「手に入れる」のほかに、「把握する(理解する)」「〜することができる(成功する)」と言う意味もある。
「掌握するを得たり」というと、「掌握することに成功した(掌握することができた)」
「已むを得ず」というのは「抑える(止める)ことができず」
など。
<的を得る>は「要点(要)」を「把握する」と受け止めるのが自然でしょうね。
ということで「当を得る」「核心を突く」「当を得る」これらには>>125さんの言うようなニュアンスの違いは全くありません。
「当を得た表現」「的を得た表現」の場合は、どちらも「見事な(上手な)表現」と言う意味になり、
「その回答は実に当を得たものだった」「その回答は実に的を得たものだった」
の場合はどちらも、「その回答は実に的確な(正しい)ものだった」 的確、という言葉がすでに、的を確かに(捉える)という意味だしなあ >的とは核心、要點と云ふ意味。
そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
何故このように↓言い張るのですか?
>「的を得る」は成句としても他動の意味としても文章として端から成立してゐないのである。
>「的」と「得る」との閧ノ語彙としての關聯性は何一存在しない。
>ID:SzcDThu2の莫迦は此の基本的の縡が何一判つてゐない(嗤) >>141
それは違います。的確の「的」は名詞の「要点・要」ではなく形容詞で、日本語では形容動詞「的ラカ(あきらか)」
的確の「確」は他動詞ではなく形容詞。日本語の形容動詞「確カ(たしか)」 それは中国語の熟語としての話?
そんな熟語をいちいち中国語の本来の意味や品詞に立ち戻って解釈とか、今、関係ないだろ
皆自分の知識をここで披露したいんだろうけど、言葉はコミュニケーションの道具であるということを忘れるな
本来の意味とかいって、遡るのもいいけど、いったいどこまで遡ったら真実がわかるんだ?
そのうち、漢字の成り立ちにまで溯って蘊蓄を垂れそうな勢い。 >>144
中国語じゃなく、日本語の二字熟語としての意味ですよ。
日本語の「あきらかなり(的らかなり)」と、日本語の「たしかなり(確かなり)」を組み合わせた、日本語の二字熟語です。 役不足とはG1レヴェルのオシャレにないとか、ファッションしていて色気はダメ
というころじゃないの? >>142
> そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
「得る」のは「要點」では無く「要領」である。 要領=要点
要領を得る=要点を得る
さすがに情けない >>134
「得る」には「把握する」の意味もあるじゃないか 「要領」に「得る」が適用されて
「要点」に「得る」が適用されてはいけない理由が全く思い当たらない
というか「要領」の意味が「物事の主要な部分。要点。」となっているんだけど >>151
「的を射る」(要點を捉へる)と云ふ辭は一體誰が誰に對して用ゐる辭なんだい(嗤)。 「的」に「物事の要点、核心」の意味があることは知ってるよね?
「物事の要点、核心を把握する」
どこにどう問題があるのか説明よろしく >>153
的を把握するとは何う云ふ意味なんだい。
固より文章になつてゐないだらうに(嗤)。 >>157
では「的を得る」とは自分が自分に對して用ゐる辭なのかい(嗤)。 >>158
誰が誰に用いるかということで「的を得る」という言葉に何の影響があるんだい? >>161
おい/\「得る」とは何う云ふ意味なんだい(嗤)。 >>164
「得る」は手に入る。自分の者にすの意。 >>165
「把握する」の意味もある
というか質問に対して質問で返すということは会話の手順を理解していないね君 >>167
三省堂国語辞典はさう云ふ見解を述べてはゐないが(嗤)。 >>168
別に三省堂が全て正しいとは言わないし(現に「的を得る」を語訳として記載していた)
どのような理論展開でそうなったのか、編纂者の意見を引用して説明よろしくね >>167
飯間浩明
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。
「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。
「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。
詳細は「得る」の項を。 把握する でも うまく捉える でも正しく解釈出来るんだからより正用としての信憑性が高まる訳だが しかもこいつ「説明」という言葉の意味を理解してないな
さすがはフンドシ >>172
「把握する」と「捉へる」とは意味が違ふ。 うん知ってる
こういう輩のせいで、文系人間は中学生レベルの数学も出来ないなんてバカにされるんだろうな 言葉の知識もなく、文法的理解もなく、ただひたすら無意味に旧漢字を使うのは
おそらく底辺の理系(技術職)だからでしょう。
実は理系(技術職)のほうが数学ができない人間が多い。
数学は文系と同じく論理力が必要だからね。 >>175
固より雙方共に向けられる射程が違つてゐるのだから、「正しく解釈出来るんだからより正用としての信憑性が高まる」と云ふ縡は無い。
>>176
「無意味に旧漢字を使う」等と云ふ無理解の連中は其こそ何故か文系に多い。
理系からはさう云ふ文句は殆ど言はれない(嗤)。 それはおまえが理系と会話出来る能力がないから
射程とか頭逝ってるな >>176
全く無意味だよな
相手に意思を伝えるのが目的であれば、より相手が理解しやすい文言を使うのが当然の措置だ
過去の書物から引用したり、歴史小説等で演出のために旧仮名や旧漢字を使うのは(好き嫌いはともかく)意味があるが
web掲示板の会話で使われても寒いだけ
後半は意味不明
論理力は数学でもある
まあフンドシは文系理系以前に国語も数学も義務教育の範疇の知力がないから論外だけどな
例えば
1.「双方共に向けられる射程」とは何を表すのか(今までに無い文言で突然反論?をしてそのくせ全く説明なし)
2.「射程」が、何故、どのように「違っている」のか
3.「射程が違う」と何故「信憑性が高まると言えない」のか
ここらへんがごっそり抜けてるからチンプンカンプンな怪文書のような代物になる
相手に理解させるための最低限のことすら説明出来ないのがフンドシ 褌大人気!w
ここを改めて見てみれば 『褌と戯れるスレ』になってるな そういや最近たまに「体たらく」を単体で使う奴を見る
「酷い体たらくだ」とか「あの体たらくで〜」とかじゃなく「体たらくな誰それが〜」のように使う
まあ「体たらく」は一般的にネガティブな状態を表すのに使われるから何が言いたいかは理解出来るんだけど >「体たらくな誰それが〜」
さすがにそれはないでしょ、と思ったけど…
可能性としては、コピー位置の問題かも。
たとえば「ああいう体たらくをさらした誰それが〜」と言う意味で「ああいう体たらくな(の)誰それが〜」
と言ったんじゃないでしょうか。
日本語では連体修飾節を軽く「の」で終わらせることがよくある。
そして「の」を形容動詞みたいに「な」という人も少なくない。響きはよくないですけどね。
そういうことじゃないでしょうか。 >>182
いやそこじゃなくて、その例文だと
「ああいう体たらくな(の)誰それが〜」ではなく「体たらくの(な)誰それが〜」となってしまっている
「体たらく」は単体だと「様子」や「有様」を意味する言葉であり
「[どのような]体たらく」かを示す形容詞が必要になるんだけど
「体たらく」だけで使っている人が居るということ
現代は一般的に「〇〇の(な)体たらく」は好ましくない様子を表現するために使われるので
(「あの体たらく」と言って良い意味で受け取る人はまず居ない)
「体たらく」自体に「好ましくない様子」という意味があるのだと思い込んでるんじゃないかという推定は出来る
と思ってちょっと調べたら単体で誤用してる例も↓の下の方に載ってるな
p://xn--n8j320ixuiolgtssen2b.com/%E8%A8%80%E8%91%89/teitaraku-imi.html そうなんですね。世の中ほんとにいろんな風に言葉が変わります。
おもしろいのが「けし(怪し)…怪しい、異常だ」。
この意味をあらわすのに未然形に「ず」を付けた「けしからず(怪しからず)」もよく使われるようになってあまりに定着してしまったから、
打消しの意味を言うために、わざわざ「けしくはあらず(怪しくはあらず)」と言うようになった。
200年もたてば、「やむをえず」が「やむをおえず」でもよくなり、辞書に漢字表記で「止むを得ず・止むを負えず」とか併記されるようになったり、
「体たらく」の語義に、別の意味が追加されるようになるのかもしれないね。 >>176
> ただひたすら無意味に旧漢字を使うのは
×新日鉄住金
◎新日鐵住金 近世に作られた和製漢語「為体」の元は「体たらく」
<体(様子)+「たり」の未然形+「く」>
「〜のような体(様子)であること」「〜の姿」と言う意味。
それが近世に入って「無様な様子」を示すようになり、「為体」という和製漢語も作られた。
漢文では「為…之体」「…の体たり(…の姿である、…な様子である)」。
本来の和語であった「体たらく」を「無様な姿(為体)」とする用法は近世に始まる。 固有名詞と、文章の中の一般名詞・動詞の漢字や助詞・副詞の仮名を混同するとか
頭おかしいにも程があるな >>184
あなたは>>143ですよね
あなたはかなり高齢な女性ですか?
何か書いてることが、現代日本語とはいつも若干ズレてるように思いますが >>184
けしくはあらず、なんて現代日本語では使われないでしょう
けしからぬ(けしからん、けしからず)は使うけど
終止形のけしからず、は事実上使われてない。
ましてや「けしくはあらず」は古語の範疇でしょ。
そんな言葉を例に出されてもピンときませんけどね
書いてることの方向性は理解できますが
何かズレてる >>191
ここは古文・漢文の掲示板。
さらにいうとけしからずもけしくはあらずも、女性語というわけではない。
ちなみにたとえ100歳女性でも「現代女性」であることに変わりはない。 現在100歳でご存命の女性を「現代女性」に含めるかどうかは文脈やニュアンスによると思う
意識して使ったことはないけど、俺が使うとすれば基本的には含めないつもりで言うだろうな 100歳であれば、古語ではなく、現代日本語を使うという点では同じでしょうね。 馬鹿AKIババアとはID:gLMjVT28のこと。
平日の深夜に書き込むのが認知症老人である証拠。
痴呆が進んで時間の区別もつかなくなっているらしい。 現代日本語を使う=現代女性 なんて解釈初めて見たわ 100歳は現代女性ではないという話もなかなか聞きません。
現代女性…現代の女性、現代に生きる女性 いや「現代女性」なんて元々意味が曖昧なんだから
読み手が書き手の意図を無視して解釈してはいけない類の言葉だし
調べてみても「現代女性」はほぼ就活、婚活、子育ての世代を対象として使われてるぞ 現代人…現代に生きる人
と同じ用法でいいでしょうね >>202
関係のない話をしないでください。まるで自分が言われているようで不愉快です。
私は30代予備校講師です。 >>203
なんでおまえが勝手に定義して周りが間違ってるとか言い出してるわけ?
そういう明確な定義がどこかにあるのか? >>204
へー、なんていう予備校ですか?僕も教わりたいなー >>207
「古文が根本的に解らない奴の為の参考書」
っていうスレでなんでも質問してください。
私も余裕があれば教えてあげますし、
私以外にもいろんな人が教えてくれると思います。 「古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net」
っていうスレでもいいですよ。 そんなネット上のスレッドでなく、先生とじかに触れ合える予備校で教わりたいです。
先生のちょっとズレたレクチャーが好きなんです。 5ちゃんねるにそこまで夢が見れるなんてロマンチストですね。 予備校の三十路講師も認めてる
的を得てるは誤用ではない >褌とは、現代では常用する人間が少ない、一般的には常用が受け入れられないものの象徴。
↑
結局これは日本語不自由なバカAKIの珍説といふことでいいのか? >褌とは、現代では常用する人間が少ない、一般的には常用が受け入れられないものの象徴。
なるほど言いえて妙ですね。
たしかに、「現代では常用する人間が少ないもの」はたくさんあるけど、
なおかつ「一般的には常用が<受け入れられない>もの」となると、なかなかそれを象徴してくれそうなものは、そうそう思いつかない。
AKIさん(?)と言う方は、よく褌を思いつきましたね。脱帽です。 そいつをイメージする単語をそのまんまあだ名にしましたってだけの話だろ
アホくさ >>214
「象徴」と「代名詞」との遣方すら辨へてゐない唯の莫迦だが(嗤)。 >>214-215
アホか。
正字正假名を褌に言い換へる必然性は全くないし、
無知な一般人が常用するのが難しからうが關係ない。
正字はあくまで正字であり、新字はあくまで俗字。
字源的に正しいことと一般的に常用されることとは次元が異なる話であり、新字を信奉する輩はそこを履き違へてをるから話が通じなくなる。
【正字正假名遣で話すスレ】において新字を遣ひ且つ正字を否定する輩は根本的に的を外してをり、マヌケと言はざるを得まい。
無意味なのは寧ろネクタイ。
褌(パンツ)は下著として必須の物であるが、首飾りであるネクタイを常用する必然性は全くない。 >>218
正字正仮名の言い換え?
あだ名?
でも、あだ名にしても、正字正仮名の言い換えにしてもあまり説得力がないですね。
現代では常用する人間が少なく、なおかつ、一般的には常用が受け入れられないものを象徴している、という説明は納得できますが。 >>222
象徴とは神聖の概念であり、異質性を前提とし、象徴する側とされる側が異質である事。
象徴する側がされる側を超越したある種神聖な存在である事。
即ち『日本国民統合の象徴』とする場合、日本国民を超越していなければならず、
国民を超えていなければ成らない。
又、超越しているだけでは象徴足り得ない。
その象徴する物の本質を体現していると万人が納得出来る存在で無ければならない。
つまりその本質には歴史と記憶があり、思い出が詰まっている。
それらを内在し、体現し、背負っている存在こそが象徴たるの存在となる。
『日本国の象徴』とは、日本国の伝統、文化、歴史、その他諸々の日本の記憶を内在しつつ体現し、背負っている存在こそが当て嵌まる。
だから現代の都合や便宜だけで替える事は不可能。
第一条の『日本国の象徴』とは、日本国の存在概念の象徴を表し、『日本国民統合の象徴』とは、国民が一つの調和を持ってまとまっている状態概念の象徴と云う意味。 犬(世の中でさげすまれるものを象徴することが多い)
豚(無知なものを象徴することが多い)
ハト(平和を象徴することがある。人にこびへつらう者を象徴することもある) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています