朝鮮の歴史を語るスレ
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'当初は38度線の間は問題なく往来可能であったが、冷戦下、南北ともそれぞれアメリカ、ソ連の強い影響下で新しい国作りが始まり、南北は歩み寄るどころか対立を深めていった。 そのような中、1946年5月23日、38度線を越えて朝鮮人が往来することが禁止された。これが離散家族問題の発端である。' とあるな >>253 もともとの識字率が数パーセントというのは史料が存在しませんし、 国民投票を識字率理由に実施しなかったというのも存在しません どこでそのような知識を得たのかに興味がありますが、 チャンネル桜とか好きですか? http://www.wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.html @ 学校を潰して義務教育を施行せず、20年かけて就学率1割台、識字率は2割強。日本帝国は近代教育を妨げた可能性も A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による識字運動があった。朝鮮総督府の付加価値が見えない B 韓国の識字率が劇的に上がったのは独立回復の後。 C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。日本帝国の恩恵ではない >>251 インドの土着の言語じゃないじゃんww 日本みたいに、連中の言語をちゃんと定着してやろうというアイデンティティ−維持に貢献するような 慈悲深い教育では無かったということだな >>263 フランス領インドシナ(仏印)っては現在のベトナム・カンボジア・ラオスのことで クォックグーってのはベトナム語をアルファベットで表記するやり方や 土着の言葉やで 仏印知らないとか義務教育受けてたんですかね・・・ >>264 外人宣教師が作ったって言ってるから、土着の言語じゃあないな >>264 ベトナムはハングルみたいな独自の文字作ってなかったんじゃないの そしてアイデンティティの確立という面でいうなら、漢字の廃止は中国の強い影響下にあったベトナム人の意識を少なからず変えたんじゃないかな >>268 しかも二重エラー訂正でインドとフランスだとしたら宗主国関係で間違いに気づくと思うんだけど なんだか頭がクラクラしてきた >>266 ベトナムにはチュノムっていう独自の漢字があったことは有名やな ただそれは阮朝の士大夫層みたいな極一部の淫定理しか使えなかったやね 指摘の通り漢字の廃止は初等教育の充実だけじゃなくって民族意識の高揚に繋がったとは思うわ あと、言語と文字についてはわけて考えるのが普通なんだけど、 たまーに漢字使ってるから日本語は中華言語とかって人も嫌儲とかで見るしなぁ そういう人ってヨーロッパ言語圏がフェニキアに支配されてると思ってるのかなぁ >>263 【悲報】原住民、インドシナとインドを間違えていた >>254 学術書ではないが、白善Y将軍の著書「若き将軍の朝鮮戦争」では 1945年の12月27日に本人が平壌から南下して汽車でソウル入りしたとの記述がある。 同日よりソ連当局の締め付けが厳しくなったとの事。 またこれは個人的な推測で「戦争中も含めて自由を求めて越南した人々は数百万人に達するだろう」と述べている。 簡単ではなかったろうが南北の行き来はあったと思われる。 明治になってからの日本でも前島密の漢字廃止論とかローマ字運動とかカナモジカイとか廃止論の流れがあったし 漢字の難解さは初等教育上厄介な代物ってのは日本でもずっと思われてたんやね 上田万年や保科孝一みたいな戦前の国語学(博言学)者も初等教育や植民地統治のために国語改革を訴えてた 現代でも田中克彦みたいに漢字はリテラシーの差別に繋がるって廃止を主張する社会言語学者はいるやね >>277 そうそう まとめてインド諸国連邦でも作ればえぇがな >>276 どっちにしろバカやんけ その略しかたではインドと区別つかなくなるって思わなかったのなら >>281 両方に使える便利な言葉やん 後は、後ろで判断せえや 日本語は最後まで意味が確定せんことが多いのだから、 それも有りだわなw >>281 >>284 お前がガイジなのは勝手やけどガイジのお前基準に世の中を変えることはでけへんで >>276 インドとシナに挟まれてるからインドシナ 国立のことを国見と立川に挟まれてるから国立という なら、国立を国見と略したらそりゃ国見ですがな 日本統治以前に朝鮮に近代教育がほとんどなかったとする根拠は以下の本らしい マイケル.J.セス Michael J. Seth https://www.amazon.co.jp/Education-Fever-Society-Politics-Schooling/dp/0824825349/ 1904年当時、朝鮮全体で近代的な公立学校に通っている人数は500人程度だった。私立学校が数百あったが大半はミッションスクールだった。(引用『「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945』) むしろインドネシアがIndoという名称を使ってたはず インド産かと思って買ったインスタントコーヒーがインドネシア産だったw >>282 それはどうかな? >>287 それは『国』と略さないと、同一部分を囲ったこの場合と合致しないな ヘーゲルの歴史哲学の言う「東洋的専制」やマルクスの言う「アジア的生産様式」あたりの「アジア」は オリエントも含んだアジアやな サイードが「ただのヨーロッパ人の傲慢だろ」って怒ってたが >>289 「それはどうかな?」ってなんだす? > Asia: c.1300, from Latin Asia, from Greek Asia, speculated to be from Akkadian asu "to go out, to rise," in reference to the sun, thus "the land of the sunrise." 【出典: The Online Etymology Dictionary】 まあ、AFCアジアカップも地中海東岸からこっちみんなだし >>256 併合まで複雑な背景や併合後も武断政治から文治政治へのシフト、国内・世界情勢の変化などなど この辺のプロセスが簡略化されて東北より優先的に資本投下したし将官もいたいい統治だったという 『結果』だけが独り歩きしてるよなあ >>293 過程が完全に切り離されてますよねぇ 朝鮮が「植民地」であるかどうかについてもグチャグチャです 西洋史はパンキョーの講義しか受けたことがないから深入りはできんけど もともとアッシリア碑文で「アジア」って言葉が生まれてヘロドトスが今の「オリエント」みたいな使い方をし出したんやろ それなら>>282 と>>291 の「アジア」定義が原義と考えて適当やろ まあインドシナとインドを勘違いしちゃうようなアホには言うだけ無駄やろうけど 話を戻しますと、朝鮮が「植民地」であったかどうかについて、言葉の概念として 植民地=領土に対して一段劣る直轄地 という意思が込められていることを念頭に置かなきゃなりません 従って>>163-164 において、台湾を植民地というにあたり、大日本帝国議会が紛糾したわけです 日本としては「大日本帝国『領土』」なわけで。 実態としては学術上「植民地」というのが海外の例と比較しても通説でしょう ただ、行政上の「植民地」は>>164 のとおり「開拓地」と同じ使用されていたと言えます https://i.imgur.com/IAR1wcY.jpg https://i.imgur.com/JKBQj23.jpg https://i.imgur.com/JiykCuN.jpg https://i.imgur.com/X8tVG7o.jpg フランス領インドシナと英領インド帝国を勘違いする逸材はなっかなかいないと思うよ >>262 >@ 学校を潰して義務教育を施行せず、20年かけて 総督府の義務教育制度強化は1918年ですね。 いつの時点から「20年」かはわかりませんが 義務教育強化までは、日本の初等教育と並立していたのでは? >A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による ソダン(書堂)=貴族の書斎の意。 まぁ、寺子屋のようなモノだったそうですが 族子弟のためのところが多かったとか…で、素読とか朱子学を中心に教えていた模様。 (まぁ、識字に特化した寺子屋といえますが) >B (コメントできませんw) >C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。 医学に関しては「恵民署」とか「内医院」とかいう役所付きのお役人としての役目があった それが「学校」っていうくくりがどうかはちょっとモニョるところがありますね。 あと、「専門学校」っぽいのって…教坊? >>299 ログ読み返しても笑えると思うの(´・ω・`) >>297 韓流ブームスレでも真面目に的外れな独自論語ってたから天然モノやで レギュラー入りまったなしや >>300 まぁ、当人さんは これをきっかけに覚えたらよいと思いますよ。 (間違えて覚えていたとしたならば) で、蘭印の立場は? >>298 >総督府の義務教育制度強化は1918年ですね。 いつの時点から「20年」かはわかりませんが 1930年の識字率調査なので併合時1910年からの20年です >義務教育強化までは、日本の初等教育と並立していたのでは? 朝鮮半島では「義務教育」はありません 終ぞ、実施されませんでした > 話は併合前の1906年、日本帝国が韓国を保護国化した翌年までさかのぼります。 朝鮮総督府学務局が1921年に作った「朝鮮教育ノ沿革」はこう言います(P6-7)。 『先ず教育制度を整備せむことを期し、日本人参画の下に教育に関する諸法令 (普通学校令、高等学校令、師範学校令、外国語学校令等を制定し同年(引用者註:1906年)之を発布するに至れり』 『(1) 普通学校 従来の小学校を改めて普通学校と称し、尋常高等の区別を置かず成るべく朝鮮の事情に適応せしむが為 その組織を単一にし修業年限4年とし…旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり』(下線は引用者) 下線の部分、韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 これが義務教育サボタージュの起点です。 しかもこの時、5〜6年だった小学校の修業年限を4年に縮め、更に旧制高校など上級学校との学歴連絡も意図的に絶ち進学不能にしてしまっています。 この時の学制変更は、後に韓国で愚民化政策とすら評されています (長沢雅春『韓国学部の普通学校制度と「義務教育精神の廃止」について』参照)。 上級学校との連絡は1922年の第二次朝鮮教育令で復活しますが、義務教育放棄はその後も続き、 民族による学制区分をなくした1938年の第三次教育令施行にあたってもなお、 「小学校の設置、…授業料、…児童の就学に関しては小学校令を適用せず」(1938年3月小学校規程第5条)として、 「初等学校を義務教育となさざるが如きもまた従前と同様なりとす」(朝鮮総督府施政年報1937年版、P178)のまま終戦、解放を迎えることになります >>298 >>A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による >ソダン(書堂)=貴族の書斎の意。 まぁ、寺子屋のようなモノだったそうですが >族子弟のためのところが多かったとか…で、素読とか朱子学を中心に教えていた模様。 >(まぁ、識字に特化した寺子屋といえますが) 語学専門学校と言えばよいのかと。 慶應義塾、東京専門学校(後の早稲田)に繋がる、 適塾と似たようなものです ECCとかジオスでもいいけど。 >>298 >>C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。 >医学に関しては「恵民署」とか「内医院」とかいう役所付きのお役人としての役目があった >それが「学校」っていうくくりがどうかはちょっとモニョるところがありますね。 >あと、「専門学校」っぽいのって…教坊? いかによります 引用元はすべて http://www.wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.html >まずは、朝鮮総督府施政年報1939年版から、官立専門学校紹介を見てみましょう。 京城法学専門学校 は初め旧韓国政府法部に属し、司法官養成の目的をもって設置したるを、後、学部所管の法学校に改め、併合後明治44年11月京城専修学校と改称し… 京城医学専門学校 はもと京城医学校と称し、旧韓国政府時代に創立せられしを、併合の後総督府の所管に属し… 京城高等工業学校 新令実施前においては京城工業専門学校と称し、明治39年、旧韓国政府の創設に係る工業伝習所の規模を拡張し… 水原高等農林学校 …本校の前身は勧業模範場付設農林学校にして明治39年9月授業を開始し、併合後は特に農林を主として… 京城高等商業学校 本校は明治40年10月、東洋協会専門学校京城分校の設置を創始とし、…東京本校より分離して… 京城鉱山専門学校 …昭和14年度において京城に鉱山専門学校を設置し… >>303 ありがとう。 さっと読みですが 参考資料 朝鮮教育の沿革 一冊 https://www.digital.archi ves.go.jp/das/image/M0000000000000799179 >「朝鮮教育ノ沿革」はこう言います(P6-7)。 >…旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり (http://wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.htmlによる、「下線部分」) って下りがP6〜9の「第3期 保護時代教育」にはみえないのです。 後段ないし朝鮮総督府施政年報にはかかれているのかな?と推測はできますが… >>304 ,305 わかった! 「併合前」という言葉を 生粋どのないし引用元さんは主に「大韓帝国時代」と アタシは「朝鮮王朝時代」ってとらえているから感覚の齟齬を感じているんだ。 義務教育については、アタシが もう少し読みこんでみないとダメみたいです。 >>306 該当ページのスクショ貼ってくれんか? スマホ古いせいかPDF見れない ああ自分も雑に混じってた でも、そうすると日本の影響でできた学校を、併合後に再編しただけじゃね? 京城医学専門学校だって併合前にはすでに日本の陸軍医が責任者になってるし、 東洋協会もそもそも日本人の団体だし あと、日本は教育を行き渡らせる方を優先したため、中学高校より小学校を増やすほうを優先したとのこと たしかこの過程で下層民に教育を受けさせたくない両班と対立した 植民地とは何かを巡る情報としては、これが面白かった 新渡戸稲造の朝鮮(韓国)観 http://hdl.handle.net/2115/6030 >>310 端的に言えば、「光武改革ってなんやねん」ということになります http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2008/06/0806j0208-00002.htm > 1897年から1904年初めにかけて実施された韓国政府の諸政策には、1960年代 末以来、朝鮮半島の南の歴史学者により「光武改革」という名称が与えられている。 「光武改革」は皇帝権を強化して富国強兵を自主的に行おうとしたと評価されており、現在、学界からはこれといった異論がない。 北でも、最近、この時期の諸政策について、その自主的・近代的な側面を高く評価するようになった。 ただ立憲君主制をめざした甲午改革よりも王権が強化された点、 日本の帝国憲法にある三権分立や国民の権利規定が大韓国国制(1899年制定の憲法)にない点など、 王権の性格をめぐり立憲君主制構想であるのか専制君主制構想なのかをめぐっては、かなりの異論が残っている。 しかし、ここで考慮すべきは、朝鮮における近代国民国家形成過程に外勢が介入し、一部官僚と結託し王権に対する威嚇と制約を加えたために、 開化派官僚によって行われた立憲君主制国家をめざした甲申政変、甲午改革が広範な民衆の支持を得ることができなかったということである。 また、王権集中をめぐって政府内で衝突が繰り返され、国家機構が弱体化するなかで、高宗は李容翊を中心とする皇帝側近の勤皇勢力に依拠し宮内府が主導する改革を進めていったということである。 このような特殊な事情を考慮した場合、大韓帝国はその性格上、皇帝権を中心に近代国民国家を構想したという点で、専制君主制が近代的に変容した政権だったということができよう。 >>308 ありました。 ありがとう。 後に見返すための宜上 コテ出しますw >(1) 普通学校 従来の小学校を改めて普通学校と称し、尋常高等の区別を置かず成るべく朝鮮の事情に適応せしむが為 >その組織を単一にし修業年限4年とし 地方の状況に依り三年以内の補習科を置くことを得しむ。初年級に収容する児童の年齢は満八歳以上十二歳以下とし 当分のうち十四歳まで入学を許せしも >旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり 又其の教科課程は大体内地における尋常小学校と高等小学校との中間とせり (>以下が引用部分、ナシが略されている部分) > 韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 むしろ、保護時代(下関条約後、1897年から1910年の大韓帝国時代)に日本が日本式の教育法規を その法の持つ年齢に関する「精神」を廃棄し現地に合わせた運用をするって言っていませんか? > 「朝鮮教育ノ沿革」 >>309 ごめんなさい。 変に掘られちゃっていろいろやられちゃっているので勘弁してください。 PerfectViewer経由なら、別途プラグインが必要かと FileCommanderとかならそのままだった気がします。 >>312 >> 韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 >むしろ、保護時代(下関条約後、1897年から1910年の大韓帝国時代)に日本が日本式の教育法規を >その法の持つ年齢に関する「精神」を廃棄し現地に合わせた運用をするって言っていませんか? > 「朝鮮教育ノ沿革」 それと「義務教育を大日本帝国政府が廃止した」との差異がわかりません 外側的な補足史料を提示します https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29085/1/22_P19-92.pdf ここにも書かれているとおり、「書堂」への進学は減少すれども根強かったのでやはり義務教育はなかったものと言えると思います 同補足史料です http://web.flet.keio.ac.jp/ ~syosin/2008collabo.pdf >>314 >「義務教育を大日本帝国政府が廃止した」 そもそも論になっちゃいますが、王朝時代にないし大韓帝国時代に「義務教育制度」があったのか?という疑問。 なかったものは廃止できませんから… ソダン(読み書き朱子学の私塾)とか、私立学校はあったと思います。それが義務教育だったかは疑問です。 本土においても1921年の満州事変から1941年に国民学校令が発布とか 教育以上に大ごとが流れていった時代ですからねぇ… 義務教育はなかったというより、準備はしたけどやれなかったっていうほうが近いと考えます。 >>315 ありがとうです。 論文中(台湾の下りですが)P.6 >書房義塾での教育は、漢民 >族の精神を教化するものであったと言える。実際には、台湾人は台湾が日本の植民地にな >ったために、立身出世の夢もなくなったが、漢民族の血が流れているため、二千余年も続 >いてきた科挙への夢が四書五経の中国古典教養を身につける気持ちを強くさせたともとら >えられると鐘清漢(2)は述べている。それゆえに、後述する公学校が成立しても、台湾人 >の書房義塾への愛着心は揺らがず、公学校の入学率は低かったと考えられる。 っていう感覚がソダンにもあったのではないかなぁ…と夢想します。 >>297 あのクラスの間違いでも開き直れるのもすごい つか、大日本帝国の公文書に「台湾、朝鮮などの植民地」って表記は死ぬほどたくさんあるのになんで「朝鮮半島は植民地じゃない」説が今更生まれたのだろうか >>320 そこは>>166 ・行政内部文書における「植民地」使用をもって、大日本帝国政府が「朝鮮半島を植民地として認めていた」とするとちょっと異なる ・「併合」したのは植民地としてじゃないけど、実態は(学術的には)海外の植民地と同じ段階にあった が中立的な意見かと どこぞのまとめブログ等から入った層は「植民地ではなく併合」と唱えるけど何故そうなのかは説明できないと 科挙といえば、清朝末期をえがいた浅田次郎の『蒼穹の昴』で、 梁文秀が科挙に一位で合格した時に漢詩を吟じるのを許されるシーンが美しかったわ モデルの梁啓超はまさにここで扱ってる朝鮮の併合前夜の時期には亡命して横浜中華街にいたんだね そんなに搾取していない、かなり優先的に金をかけた、同じ国民として扱おうとした、という側面推しだと思う 「世界一残虐な植民地支配」という言葉に対するカウンター この言葉はベルギーにこそ貼り付けてやりたいが、あれは国王の私物だったし、 これまた普通の植民地政策とは違うと思う まあ、支配された方は自国の体験しか見聞きできずほかの植民地支配を受けた地域と 比べるのは困難だからそう言いたくなるのはわかる 一方で「大日本帝国は植民地のインフラ整備をした」 と胸を張って威張る連中も「宗主国ならどこでもしとることやんけ」と突っ込まざるを得ない まあ、イギリスのインドへの投資額と比べたら 日本は貧乏なのでいかにもショボい投資しかできなかったという面はあるけどさ >>320 >>296 のとおり、大日本帝国当時の「植民地ではない併合だ」という見解には以下の意味が含まれます ・日韓は対等合併であり、朝鮮半島は大日本帝国「本土」であった ・日本国朝鮮地域の住民は同じ大日本帝国臣民扱いを望んでいた という「内鮮一体」「対等合邦」という立場から出たもので、いわば「朝鮮人を平等に扱う」という五族協和の精神の顕れであったわけです そのことを生半可に歴史囓って「日本は植民地支配などしていない!」という文脈、 尚更、「朝鮮人(及び反日左翼)は歴史を知らない」という文脈で今を主張するアホがいるってことですかね このアホが戦前とか併合を「肯定」するならきちんとその精神も肯定しろよ、と。 ちなみに国会議員で「日本は朝鮮半島を植民地にしてない」と述べればかつてはクビが飛びました いま話題になってるのは、Twitterでこの辺をネトウヨ言論本とか、ネトウヨ史観をつまみ食いした単なるアホだと思ってます 朝鮮半島関係は「知られていない」ことから発生し、 「ちょっと知ったつもりのアホ」が啓蒙し、 「かなり知ることによって」解決します >>317 おおよそ肯定します 先のソース元も「義務教育を実施できず、実態として近代化してやったとは言えない」ことの主張ですし、 私は日本は近代化しようとしたことは否定できないと思ってます 単に「朝鮮にはハングルがなかったので日本が初めて文明を授けた」とするには義務教育の実態が浅いって話じゃないですか? コレマタこの発言への反論として「そもそも義務教育って概念自体なかったじゃねえか」って話になるとして、 日本が義務教育導入をできなかった事実は変わりません ソダンについてはそうでしょうね もともと朝鮮半島については言語教育熱心なんですよ そうそう忘れてた >>180 について、「何一つ残してない」には違和感があります 何より併合前に限定しても漢文学については多数ありますから。 > 『三国史記』『三国遺事』は歴史書として読まれているが、文学としても読むことが可能である。 『三国史記』では、「花郎」に関する記述が物語性を帯びたものと見ることができ、また「都弥伝」「温達伝」などの烈女・孝女伝も史実に物語性を含んでいる。 『三国遺事』では「春秋公」「百済の武王」の逸話が有名である。 高麗時代の書籍としては、『白雲小説』(李奎報)、『破閑集』(李仁老)、『補閑集』(崔滋)、『櫟翁稗説』(李斎賢)などの稗官文学や 『浮雲居士伝』『朋学同知伝』『普徳閣氏伝』『王郎返魂伝』などの僧伝が書かれた。 漢文での文学活動は依然として稗官文学が盛んであり、 『於于野譚』『東野彙輯』『青邱野談』『青邱笑叢』『渓西野談』『鵝洲雑録』『芝峰類説』などが書かれる。 『古今笑叢』は朝鮮最古の猥談集として知られている。 なかでも金時習の『金鰲新話』(1494年)は中国の『剪灯新話』の影響を受けた翻案小説として文学的価値が高い。 『金鰲新話』は朝鮮では散逸してしまったが、日本で訓点を入れられて読まれていた。 日本の『伽婢子』は『金鰲新話』の翻案とみられている。 文禄・慶長の役(1592年、1597年)を経ると、軍記がさかんに書かれる。 即ち、『懲録』(柳成龍)、『奮忠紆難録』(釈南鵬)、『日本往還録』(黄慎)、『少為浦倡義録』(金良器)、『唐山義烈録』(李萬秋)、『龍湾聞見録』(鄭琢)がそれである。 その傾向は丙子の乱を受けて更に続き、『丙子湖南倡義録』『丁卯両湖拳義録』『西征録』『江都日記』『南征日記』『戊申倡義事実』『三学士伝』『永陽四難倡義録』『林慶業伝』などが書かれた。 >>324 貧乏土人国家で、植民地と言えるような恩恵を日本は受けられなかったせいじゃね? >>321 一つの論として 韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号) 前文:(前略)韓国を日本帝国に【併合する】に如かざることを確信し茲に両国間に【併合】条約を締結することを(後略) http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/jm43-4.htm っていう文言により【併合】っていうことはできますね。 また、この条約及び 条約公布に際し大韓帝国皇帝が公布した勅諭(純宗実録三年八月二十九日)により 主権が大韓帝国から大日本帝国(当時)に完全に移行している点からも【併合】された土地である ということもできます。(ハワイ王国のアメリカ併合に同じ)(主権移行がない場合は保護国) で、併合された土地と植民地が背反関係にあるというわけではないので 「併合して植民地化した」という論も成立すると思います。 蛇足ですが、「一九一一年版ブリタニカが語った日本外交史(去年の本だったような…)」の流し読みで 昭和元年ぐらい発行のブリタニカ国際大百科事典には「アネクゼイション・オブ・コリア」って記述があった って書いてあったように思います(ウロですw どうでもいいことをここに書く 長文コピペ対策として500文字以上NGという拡張あぼーんを専ブラに入れていたのだが それではここの議論の大半があぼーんになることに気が付いた この拡張あぼーんの一時凍結を宣言する 本当にどうでもいいことだが つかここ良スレだな スレ立てたものやけどここまで伸びるとは思わなかったわ >>326 三国遺事の延烏郎細烏女の説話いいぞ〜これ 迎日湾なんて地名付けるなんてやっぱり朝鮮人も日本の事が好きなんですねえ >>330 良いスレになりましたね なにせ当時、歴史を語るスレがなかったもので。 久しぶりに楽しんでおります >>331 三国遺事の説話なんかは日本神話と類似性があるようでないようなところがよいです 真面目に頓挫してた朝鮮説話漁ろうかと思い始めてきましたよ 義務教育じゃなかったから退学者もいて1942年の卒業者は1936年に入学させるはずだった学齢児童数101万人の19%程度だったといわれる >>336 失礼、一応断りは入れたつもりだが 少し前に出たのと安易に捏造された歴史の一例として… いまだにその朝鮮進駐軍デマに騙されてるヤツいるもんな。 宇宙戦艦ヤマトの副監督とかさ >>336 >>334-335 この写真自体は1949年9月、つまり在日本朝鮮人連盟、朝連解散のときの写真ですね よくこんなんで騙せるもんだ 居並ぶ人間は警察予備隊(のちの自衛隊)ではなく、警視庁予備隊(のちの機動隊) ウイキペディアの警視庁予備隊と朝鮮人連盟のページにも警視庁予備隊としてコメントつきで掲載されてます まあ、日本の歴史といえば日本の歴史だけどハングル板は在日も対象とするから一応歴史になるのかと。 https://i.imgur.com/0u8GC6V.png https://i.imgur.com/tQOGhJG.png つか、別のカメラから撮ったもの見ると談笑してるとおり、朝鮮人連盟は抵抗を禁じたので平和裏に終わってるのですよね https://i.imgur.com/dsknglC.jpg 「いわゆる」朝鮮進駐軍について 個人的には 「いわゆる」朝鮮進駐軍なる言葉は存在していた(近年のネットミーム()ではないの意) →子供のころ、実祖母を含む複数の故人から聞いていたのでネットができる前から知っていた。 「いわゆる」朝鮮進駐軍っていうのが、自称か他称かは不明だが存在していた。 →「いわゆる」朝鮮進駐軍っていうのは、自らを「戦勝国民」って言って暴れていた輩のことだろう >>335 の写真はキャプションの通り(警視庁予備隊(夏服)?) >>339 さんの「警察署襲って」っていうのが具体的にどの事件を指すのかわかりませんが 1948年4月26日、GHQ特別発表 アイケルバーガー中将 神戸市に初の非常事態宣言を発令 だそうで… で何があってGHQが「非常事態宣言」を発令したのか・・・ 阪神教育闘争 (参考 ウィキソース:ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ざっくりまとめると、 1947年:GHQマ総司令 日本政府に対して、「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令 1948年1月:文部省 朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示(朝鮮学校閉鎖令) 1948年4月:大阪・神戸で「朝鮮人釈放」「釈放した容疑者の不告訴」「朝鮮人学校閉鎖の裁判所命令撤回」などを要求 大混乱だったようです。 全国でそういう暴動めいたことが起こっていたと推測されます。 ハン板では、結構何度も検証されていますので、ログ掘れば当時のコテさんたちのいろんな考察が出てくると思いますよ。 「朝鮮進駐軍」を掘り下げるのならば… 東声会とか、歌舞伎町安藤組とのこととか 渋谷、新橋の闇市のコト(これは台湾系)とか 川崎南税務署内「殉職官吏故端山豊蔵之碑」の顛末とか 「第三國人の暴行 北斗星 さんの投稿から」っていう手記(日本会議系)とか 「鳩山回顧録(「コリアン世界の旅」 野村進の記述の元?)」(当方未読)とか っていう感じの言葉をググっていくとよいかもしれません。 その先で、もしも「朝鮮進駐軍について報道していた新聞記事」がありましたら教えてください。 中央公論6月号 鄭大均 「在日2008年4月現在42万人。帰化者累計30万人。 Q.在日朝鮮人1世の出身地を教えて下さい。 A.99.4%が南部(現在の韓国)出身です。更に17%が済州島出身です。 Q.どうして99.4%が南部(韓国)出身なの? A.日本に近い南部の人が日本へ稼ぎに来ました。 Q.どうして17%が済州島出身なの? A.戦後、李承晩大統領による済州島民の虐殺から逃げて、日本へ密入国したからです。 Q.在日は強制連行されたの? A.いいえ、徴用者(もちろん強制ではない)=たった245人です。(朝日新聞 1959年7月13日) Q.在日は帰りたくても帰れなかったの? A.戦前の在日人口200万人のうち140万人が終戦直後に帰国しました。つまり帰れたのです。 Q.在日はなぜ被害者面しているの? A. 日本人に罪悪感を抱かせる事で、自身の密入国を正当化しているのです。 また古いコピペを… 手持ちのLOGだと2008/05/20が初出ですね。 コピペではなく、自分の言葉で語ったほうがよいですよ。 鄭大均氏は本人は問題ないけど妹が辛淑玉とかの仲間系なんだよな 公務員で上まで出世できないのは差別だとか騒いで訴訟起こしてた 人権差別撤廃条約で、国が決めたことは差別に当たらないって条項があったはず http://www.myj7000.jp-biz.net このサイトは各氏族の系図が掲載されているんだけどその中に朝鮮半島の王族(新羅、百済、高句麗、任那)の系図もあって面白い 全部日本に帰化してるんだな >>343 特にコメントがついてないので、叩いてほしいということだと判断しますと、 ハングル板住人には既知の知識をまとめてるだけで、住人に知らしめる価値はないと思います また、在日あるいは在日朝鮮人を擁護する側の人たちにもなんにも響かないのでコピペの価値としてはゴミ以下です 特に南部99.4パーセントの根拠がぢぢ様で98パーセント、統計収集の時期の違いがあるとはいえ、ウイキペディアが元ソースなあたり、出展が明らかではないのでクソの役にも立ちません 次に「密航」という言葉が使われていますが、外務省入国管理部で取締りを警察に頼ってた時期に限定された場合、 密航あるいは不法移民かどうかに精査が必要です 鄭氏の文そのまま転載あるいは画像で提示するならまだしも要約しちゃってるから文脈も追えない。 以上のことから、コピペ作った奴はバカなんでしょ? ご希望に沿えましたでしょうか? >>347 すごいな うちの一族もちゃんと載ってる >>349 俺の家は清和源氏なんだけど載ってないわ 百済王さんは有名だわな 今も現実に存在する姓なんだろうかねこれ >>350 きちんと先祖のうちで、江戸時代にやらかしたバカも政府系図込みで載ってますね 余計なことしかしてないんだけど。 >>351 百済王の有名な子孫は戦国大名の大内氏がいるね 朝鮮半島では文字が書かれた木簡や竹簡って出土しているの? 6世紀後半の新羅の咸安城山山城出土木簡なんかも 地名、人名、官等名が残されとって重要な資料やな あそこは目盛りのついた木尺なんかも出とる 李氏朝鮮時代は日本の大和朝廷時代が存続してたようなもんだし平和だったんだろうな まあそこそこ政争による反乱や処刑や大量虐殺があったけどね 李氏朝鮮は平安時代が一番近いと思いますが、 異なる点では非常に長すぎたことで階層固定による腐敗が進んだこと。 建国時、宋のシステムを導入したために尊文卑武傾向が強くて武班が低く見られていたこと、 日本の武士のように武班の大規模な反乱はなかったこと 郷挙里選によらず、科挙士を導入したために平安貴族よりも文書方面に傾き、遊興文化が少ないこと、 また、世宗大王以外が無能なので腐敗した王権に対し両班専横がはびこったこと、ですかね 暗黒平安時代ってイメージです 李氏朝鮮で古代のままだなあーと思ったのはごちそうの盛り方かな 日本では月見団子とか神饌とかにしか残ってないようなピラミッド型に山盛りっていうやり方のが、 明治の視察団の饗応に出て来てたもんね 金属食器は、日本でも遣唐使なんかが持ち帰ってるんだけど使われなかったね あれは佐波理という名前から中東起源っぽいけど 李氏朝鮮って水車も作れなかったバカ揃いって聞いてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる