李氏朝鮮VS琉球王国
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wikipedia(wikimedia)にいつのまにかこんなんがあったんですが、このスレの人かな?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fa/Mitsudomoe_banner_white.svg
A Japanese-style banner seen on Ryukyuan ships. 戦えるわけないやん
どっちも1000kmも渡洋して戦う能力なんかないわ 前スレに、朝鮮半島には人が住んでいなかったという人がいて
1万年前という手がかりからすると、櫛文文化以前のことを言ってたんだと思うけど
そんなに昔のことなんてすぐに解明できるとは思えないし
まずはもっと近い昔のことが知りたいんだよ 最近考古学と言語学の統合をやってる人は
後李文化のような山東半島の文化をオーストロネシア語族と結びつけようとしているみたい
そうすると日本語話者の行き場がなくなっちゃうんだよなあ。
マルチン・ロッベーツは遼河周辺の興隆窪文化が、
チュルク・モンゴル・ツングース・朝鮮・日本共通の故地だと主張しているらしいが
彼女の議論はなかなか強引だ
https://sci-hub.tw/10.1163/22105832-00702004 田園洞人ゲノムの論文でコレスポになってるQiaomei Fuは
今は中国に戻っているけど
古代DNA研究の最先端、ペーボ/ライクのラボの出身なんだよなあ。
中国はこんなスター研究者も抱えていて、日本じゃとても太刀打ちできない
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(17)31195-8 よく言われる、失われた20年で金がないのが悪いのか
やり方や組織として悪いのか アメリカでは理工系の博士号取得者の三分の一が中国人らしいから
その一部が中国に戻るだけで日本は遥か彼方まで引き離されてしまうよ
つーか、既にそうなってる分野も多いんじゃない? 留学そのものの問題は別として、国内の学者先生は反国家主義か反政府を標榜してる能天気な人たちが多い割には
国からの資金を当てにして要求してるのはどうにもネトウヨとして解せぬ 反国家主義か反政府を標榜してる能天気な人と
国からの資金を当てにして要求してる人は
同一人物なんですかね?違うんじゃない? 小田静夫 2010 「ピンザアブ洞穴と南琉球の旧石器文化」南島考古29
http://ac.jpn.org/kuroshio/pinzaabu.htm
宮古のピンザアブ洞人(約2万年前)と台湾の旧石器時代人(約1万5,000〜5,000年前)は関係があるかもしれない。
台湾の新石器時代(約5,000〜1,500年前)というのは
オーストロネシア語族話者が大陸からやってきて始めたのだろう。
そのときまで先住民が残っていたとしたら、置き換えられたのかもしれないし、吸収されたのかもしれない。 オーストロネシア語族話者は、ずっと後になって海南島に来た集団を除けば、シナ大陸にはいない。
現在残っている話者の出発地点は台湾で、
フィリピンに進出した集団はその後、西はマダガスカル、東はハワイまで広がっている。
先島なんて台湾のすぐ東隣なわけで、進出していてもおかしくないのだが
どうしてその確証が得られないのか不思議だ。 ロバート・D・エルドリッヂ:それでも本当の「世代交代」にはつながらなかった沖縄県知事選の意味
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57799
翁長は法政出身だったんかい。道理で・・・ 日本人は、何も取り憑いていない、呪われてもいない健全な体と魂です。
朝鮮人は、死霊に取り憑かれていて、呪力(呪いの力)を持ち、同時に呪われていて、呪力(命と魂を真似て創り出された存在であると同時に力)が無ければ、生きていくことは出来ない不健康な体です。 >>13
台湾本土で話されるオーストロネシア語族の言語の中にマレー・ポリネシア系の言語を話す原住民はいない(唯一蘭嶼にはフィリピンと同系のヤミ族がいる)
台湾を起点に進出したならマレー・ポリネシア語派にとりわけ近い系統のが残っていなければ不自然だが、実際のところ数多くある台湾原住民の言語でフィリピン系であるヤミ語を除いてどの原住民語がマレー・ポリネシアに近いということもできない オーストロネシア語族の上位の分類がよくわからないことはわかっているし
蘭嶼はフィリピンより台湾の方がずっと近いのに住民がマレー・ポリネシア系なのも知ってる。
ただその北の緑島には台湾原住民が普通に行き来していたっぽいから
航海ができないってわけでもなさそうなんだよな >>17
台湾から緑島は普通に目視できそうな距離やん 先島諸島で台湾系遺物を遺したひとたちは遺伝子のかけらもなく消滅したのかな? 是非とも、朝鮮呪術による術式バトルを、漫画にして下さい。
出来れば、テコンダー朴のネタに使ってあげて下さいね。 The Ryukyu Islands and the Northern Frontier of Prehistoric Austronesian Settlement
http://press-files.anu.edu.au/downloads/press/n2320/pdf/ch10.pdf
タイトルとアブストラクトだけ見ると、先島にオーストロネシア語話者が進出していたと
マーク・ハドソンが主張しているように読めるけど、本文は煮え切らない。
先島の物質文化は台湾ともフィリピンともかなり違っていて、説明に困ってる。
ピーター・ベルウッドといって、オーストロネシア関係の考古学と農耕の伝播の専門家がいるんだけど、
そのベルウッドが「南琉球に来たのはオーストロネシア以前の先住民で、
オーストロネシア語族が台湾に進出したときに押し出されたのかも」と言っているのを好意的に紹介したりしてる。
ハドソンが調査した宮古の長墓遺跡は、名前の通り歴史時代に長年墓場として使われてきたらしいんだけど、
先史時代の貝だけじゃなくて、先史時代の人骨も出てきてないのかな。
もし骨があるならDNAを調べたらいいのに。 いやこれはブログ主が普段散々バカにしている大先生の足元にも及ばないよ
大先生は嘘でも史学雑誌に通してるんだし
https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000003709886 足元にも及ばないは言い過ぎだったけど、大先生以下なのは確か。
すごいな社会学 朝鮮関係と琉球関係のおおよそ「研究」と称するものは政治まみれでまず信用しない方がいいね
背景がありすぎる とはいえ本土の人間が琉球史ネタ問い合わせるのは上里先生って今はなってるんでしょ? >>26の続き。マーク・ハドソンは、オーストロネシア語族話者が一時進出して放棄した地域として
1)北西ハワイ諸島
2)マリアナ諸島から小笠原諸島にかけて
を挙げて、先島を比較している。
まあ何かスケールのでかいことを言いたかったんだろけどスベってる。
別に環境条件が似ているわけでもないし、だいたい先島なんて台湾のすぐ東隣だし。
奄美が沖縄県なんて書くくらい不勉強なら、出直したほうが良い。 「中世島津氏研究の最前線」がネット上で少しばかり話題らしいですが
対琉球関係の章を担当してる屋良健一郎って人は評価どんなもんなんでしょうか? その新書は読んでないけど、他の論考を見た範囲では
・琉球と本土、特に南九州との関係を扱っている
・大先生みたいに琉球マンセーしていない
・大先生みたいなガバガバな論理展開ではない
・史料の読みまでは俺がちゃんと追っていないので評価できない 次は東アジアの農耕の起源についてのレビュー。シナ大陸がメインの。
英語だとアワ、キビをまとめてmilletというけど、対応する日本語ないよね?
Chris J. Stevens and Dorian Q Fuller. The spread of agriculture in eastern Asia
https://www.researchgate.net/profile/Dorian_Fuller/publication/320917812_The_spread_of_agriculture_in_eastern_Asia_Archaeological_bases_for_hypothetical_farmerlanguage_dispersals
/links/5a3e30bdaca272d294446db0/The-spread-of-agriculture-in-eastern-Asia-Archaeological-bases-for-hypothetical-farmer-language-dispersals.pdf
この人たちはロッベーツの意見を容れて、Japano-Koreanicなどと称して
両者が遼東半島から来たと推測しているけど
日本語と朝鮮語は共通祖先が高々5,000年前だとするには
直感的には違いが大きすぎると思う >>36
ああもう滅茶苦茶だよ〜
こいつら沖縄の縄文文化の存在すら知らなそうやな >>36の続き。
野生品種を栽培品種に仕立て上げるのに、約3,000年という膨大な時間がかかったというのは一つのポイントで
山東の後李文化や遼河流域の興隆窪文化(>>6)で作物化が完了していたかを疑ってる。
北支那でmillet、南支那で米の作物化したあと、北側が米を取り込んで複合化したというのもポイントらしい。
台湾に来た農耕民は米とmilletの複合だったことが一つの根拠となって、
その出処が山東周辺であって長江下流でないと判断している。
朝鮮半島の放射性炭素年代測定が信頼できない(特に北朝鮮)というのはわかるけど、
日本列島の報告はもっと信頼できないと言われているのはどういうこと?
milletと米は朝鮮半島には別々に入ってきたけど、日本列島に来た時期は重なっているとも。 同じ特集のローラン・サガールの論文によると、台湾の場合は粟と黍が同時に入ったという。
https://sci-hub.tw/10.1163/22105832-00702002
怪しい推論を重ねているので話半分に聞いておくくらいだが、
粟と黍にあたる語がオーストロネシア祖語と上古漢語で規則的に対応すると主張している
粟:オーストロネシア祖語 *beCeŋ、上古漢語 稷 *[ts]ək
黍:オーストロネシア祖語 *baCaR、上古漢語 穄 *[ts][a][t]-s(*[ts]arʔ-s あるいは *[ts]erʔ-s か)
これを見ても対応しているとは普通思わないだろうけど
オーストロネシア祖語の第2音節が上古漢語に対応する。
漢語やベトナム語やタイ語にも古くは2音節語があったけど
第1音節がどんどん弱化していって、最終的に消えたと考えられている。
クメール語などは弱い第1音節をまだ残している。 日本語のアワとヒエは漢語にもオーストロネシア語にも朝鮮語にも似ていない
ではどっから来た? 農耕関係語彙を調べている人は他にもいて全体像がまだわからない
いま見ている特集はmillet推しが強すぎて稲作の扱いが雑だ
台湾の伝統的な稲作は氾濫原を使うか焼き畑するかのどちらかで、
灌漑を始めたのは漢人が入ってきてからとサガールは言っている。
ロッベーツは、日本語話者はもともとmillet生産者であり、
遼東にいたとき(3000-1300BC)に山東のオーストロネシア語話者との接触を通じて
水稲技術を手に入れたと主張している。
この2つの説に整合性はあるの? もう滅茶苦茶だな
山東なんてそんなところにオーストロネシア語話者なんていねーし、遼東に日本語話者がいたとかトンデモすぎて草も生えんわ ・いわゆる高句麗地名の存在
・日本語の均質性からみて、何千年も前に日本列島に広がったとは考えられないこと
・土器の形態からみた南満州→朝鮮半島→九州という流れ
このあたりを総合すれば、かつて遼東に日本語話者がいたとしても不思議はない 高句麗語といわれている日本語類似地名は稲作遺跡が朝鮮半島にあったとされる忠清道やそれ以南ではなく
京畿道や黄海道の沿岸部に集中している
楽浪郡まで航海して通商した倭人の付けた高句麗語とは無関係の日本語地名だろう
日本語の均質性というが、それを言い出したらギリシャ語やヘブライ語にしても紀元前からあるにも関わらず非常に均質である
並行変化によって何千年も同じ言語が小さな方言差を保ち続けることは珍しくはない
弥生土器は大陸の土器とは異質であり間違いなく西日本が発祥
それどころか朝鮮半島南部に「上陸」してすらいる
そもそももし日本人が日本列島の外部から移動してきたエベンキマン系民族だとしたら
その文化・言語・家屋の形式・葬制・什器などがまるごと移入されてこなければおかしいが
実際には弥生文化は大陸の各地の文化を取捨選択して採り入れている
これは縄文人が大陸に航海して優れたヒト・カネ・モノを選んで持ち帰って使用したり自分たちの集団に加えていったからだ だいたいだな
琉球諸島には8世紀だか9世紀だかに至るまで稲作、すなわち弥生文化の影響は齎されずに縄文文化とその末裔が栄えたにも関わらず
日本語と琉球語の分岐年代が2000〜1500年前というそれ以前の時代(大和朝廷の勢力伸長の時期と一致)であることを考えれば日本語・弥生文化外来説など一考の価値もないトンデモだろう 前スレのマダガスカル黒人奴隷の人だよね?
何か新しいことを言うときにはソースつけてよと何度もお願いしているところなんだけど
それよりもまずは貴方の仮説のスケッチを示してくれれば、話を進めやすいんじゃないかと思う。
・日本語話者はここ1万年くらいどこにいたか
・縄文・弥生の二重構造仮説をどう見るか
・周縁地域、特に琉球列島へ日本語話者はどのように進出したか
あたりが焦点かな 縄文文化は縄文時代の前期には9つの小文化圏に分かれていた
それが末期には4つに収束
日本語やアイヌ語の祖先はその小文化圏の言語だろう
Y遺伝子ハプログループで見ても現在の日本人の過半数は(容姿は圧倒的に新モンゴロイドの形質の方が強いにも関わらず)弥生時代が始まる3000年前より以前からあるタイプを保持している
これは倭人(日本人)が弥生文化として突如日本列島外部からやってきたのではないことの証左だ
(倭人が朝鮮半島から慰安婦を連れてきて妻にしただろうことは日本書紀にある「韓腹」という倭韓混血児や新羅から遣わされた采女、三国史記にある倭人が新羅王の娘を要求したという記事からもわかる)
大陸から日本列島への人間の移動は長大な縄文時代の間もあって、その後百済高句麗滅亡後の新羅からの亡命者に至るまで続いた
それを一緒くたにして「二重構造」などと称するのは前世紀の化石でしかない 「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945
ジョージ アキタ (著), ブランドン パーマー (著)
欧米の植民地統治との比較もおこなっている。一部渡航制限などはあったが
その統治は九割方穏健で公平であった。欧米は植民地に初等教育など行なっていない。
欧米は軍において現地人を士官学校にも入れなかった。日本軍には朝鮮人中将まで存在していた。
初期には朝鮮財政の75%を負担し終戦時でも25%を負担していた。
日本は搾取などしていない。朝鮮半島の近代化は日本が行なったのだ。 >>54
まあ、それは事実だよ
ただ事実がイデオロギーで歪められるのは朝鮮と沖縄ではデフォ >>55
アイルランドもイギリスに対して日本に対する韓国と同じ様に思ってるぜ じゃ一個ずついきましょう
>>52
縄文の小文化圏が複数あったとして、それぞれどういう分布?
例えば、愛知県の伊川津貝塚と福島県の三貫地貝塚の縄文人については
全ゲノム解析の報告がでている(後者は一部だけ)けど、これらは別の小文化圏?
小文化圏が複数あったとして、現存するのは日本語とアイヌ語だけ。
となると、問題は日本語がいつどのように日本列島全体に広がったかなんだけど
そこのところはどう考えているの? >>49
ギリシャ語やヘブライ語も分布域がごく限られてるじゃん。
なんだかんだ言って日本列島は広くて、分化が進むには十分だよ。
そんで分化が進むと別の言語扱いされる。ヘブライ語に対するアラビア語のように。
現代の言葉からさかのぼったところで一番最近起きた言語の置き換えまでしかわからないんだけど
琉球やら八丈島やら津軽やらをひっくるめても、
現存する言語の共通祖先の年代は2千年前くらいであって、決して5千年前や8千年前ではない。
こういう年代の推定についてはLee and Hasegawa (2011)がよく引用される。
http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/early/2011/05/04/rspb.2011.0518.full?quot;>
この研究は正直駄目だと思うんだけど、それはともかく、別に統計に頼らなくたって
千年単位の大雑把な年代は他の語族の分化の具合と比較すれば明らかだ。
共通祖先の年代は分岐の開始であり、すなわち大きな人間の動きと対応している。
仮に縄文文化が急激な変化なしに継続していたとすると、
この年代をどう説明するかが問題になる >>57
「縄文時代 文化圏」でググったら出てくるだろ
http://kodaisi.gozaru.jp/sisouAAA/sisouA/sisouA-html.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3#縄文時代の文化圏
http://hirahaku.jp/tenjishitsu/p38-39.html
研究者によって(もしくは時代によって)差があるが
縄文文化は均一な一つの文化ではなく、地域性の大きな似通ってはいるが異なる部分もある複数の文化圏の複合したものだ
一般的に縄文土器ときいて思い浮かべる複雑な装飾の施された土器が発展するのは主に東日本であり、西日本では簡素な形式のものが使われた
各文化圏の言語がそれぞれ同一の語族か異なる語族かまでは不明であり、現存する日本語族乃至アイヌ語に近縁な言語を話す文化が複数あった可能性も否定できない
わかることは縄文時代から日本列島内外の海路による交易は盛んであり、次第に文化圏は統一の方向へ向かって行ったということだ
末期には北海道東部、東日本、西日本、琉球諸島でまとまった
少なくとも西日本が日本語族だろうと考えても、アイヌは東日本と北海道東部のどちらなのか、琉球がその頃から日本語族だったのかは不明
ただし琉球語派と東国方言の存在から最低でも紀元前1世紀までに琉球諸島と東北地方南部までに日本祖語が存在していたことは間違いない
特に北琉球に関しては確実に縄文文化の後裔だろうと思われる
その時代に本土から人口が移動してきて民族を置き換えた考古学的痕跡はないからな
だが南琉球は縄文文化がなかったことから日本語圏ではなかった可能性が高い
南琉球にはオーストロネシア人の進出らしき痕跡が残されているが、オーストロネシア人がそれ以上北上できなかったのは倭人(日本語族話者)という同等以上の文化を持った原住民の存在のせいだろう
オーストロネシア人がオーストラリアに進出できず、ニューギニアでも沿岸にとどまっているのも、
それらの土地の環境では原住民の文化様式が最も適しており、仮に定住するにしても向こう言語や文化に合わせる必要があるからだ >>58
ギリシャ語の歴史的使用領域の広さ位勉強しておくがいい
ギリシャ語圏は現在のギリシャ共和国領内のみならず、古代からかなり最近まで西方のイタリア半島南部のマグナ・グラエキアや黒海岸現在のトルコ領トラブゾンにあたるポントス、クリミア半島のケルソネソスに及んだ
全く狭くなどない
ユダヤ人に関しては、もっと極端な例を挙げよう
アルメニア人は本国があるにも関わらず古代から世界のいたるところに住み着いて交易ネットワークを有していた
同一のアルメニア語を使用する人々がユーラシアの各地に、きくところによればチベットにさえいた記録があるという
各地に拡散して暮らしていても通商で言語を統一する必要があるのならば、方言はばらけずに並行して変化を起こす
先史時代から遠方と交易していた日本人の祖先とて同じだ
歴史時代でも同一の政体のもとにないにも関わらず本土と琉球とで並行して上代特殊仮名遣い(二重母音)の消失やハ行点呼音が起きた
なお、言語の分岐の開始年代の新しさはその地域にある分岐時点以前に使用されていた言語が当該の言語と異なる祖語を有することを意味しない
むしろラテン語に塗りつぶされたケルトやアラビア語に塗りつぶされたシリアやエジプトやベルベルの様に元々近しい言語を話していたがために習得が容易で支配者の言語に合わせたケースの方が一般的だ
朝鮮語にしても済州語との分岐年代が1200年前でそれ以上古くに分岐した言語を辿れないが、それによって朝鮮語の直接の祖先である新羅語が百済語と異なる語族だとする根拠にはなるまい
考えても見ろ
今日本人は(影響をわずかに残した方言は八丈島と秋山郷にあるものの)誰も上代東国方言を使用していない
しかしそれでも上代東国方言は紛れもなく日本語の一種だ
もし万葉集がなかったら奈良時代にすら東日本で日本語が使われていたことを立証できなかったことだろう
方言の分岐年代とそれ以前の言語の系統の同一性とは分けて考えろ
もし基層言語があったら印欧語族の各言語中の非印欧語族由来語彙の様に祖語に遡れない語彙群が大量に地理的偏りを以て生じる筈だ 鳥取市にある青谷上寺地遺跡で出土した大量の人骨は、1世紀から2世紀の弥生時代後期になって新たに大陸から渡来した人々だった可能性のあることが、
国立科学博物館などのDNA分析でわかりました。まとまった数の弥生人のDNA分析から渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてです。
青谷上寺地遺跡は鳥取市にある弥生時代の集落跡で、平成12年に国内で初めて当時の人の脳が出土したほか、大量の人骨も見つかり、全国的に注目されました。
国立科学博物館や山梨大学などの研究グループがおよそ40点の人骨の「ミトコンドリアDNA」を分析したところ、ほとんどの人骨のDNAの特徴が
中国や朝鮮半島の人のものと共通していることがわかりました。
人骨は1世紀から2世紀の弥生時代後期のものとされ、それより前から日本列島で暮らしてきた縄文系の人々との交わりもある程度、進んでいたと
考えられる時期ですが、DNAにそうした特徴は見られず、研究グループは、新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています。
まとまった数の弥生人のDNAから渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてで、国立科学博物館の篠田謙一副館長は「さらに詳細な分析が可能な
核DNAの調査などを通して当時の状況を明らかにしたい」と話しています。
この調査については、19日から開かれる日本人類学会で報告されます。
NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181019/k10011677081000.html https://www.asahi.com/articles/ASLBJ46N4LBJUCVL011.html
沖縄の建造物、初の国宝指定へ 琉球王家の陵墓「玉陵」
上田真由美2018年10月19日17時36分
文化審議会は19日、琉球王家の陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(那覇市)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
沖縄県では首里城正殿などが国宝だったが太平洋戦争で焼失し、戦後できた文化財保護法のもとでは県内の
建造物として初めての国宝指定となる。「大前(おおさき)神社」(栃木県真岡市)や「武知家住宅」(徳島県石井町)など
9件の重要文化財指定も答申した。
玉陵は首里城を居城とした琉球第二尚(しょう)王統の歴代の陵墓で、1501年に築造された。首里城跡などとともに
世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する。石垣で囲まれた敷地の奥に3棟の墓室が並び、
遺体を安置して白骨になった後に洗ってから納骨する琉球の葬送慣習を伝える。東アジアで独自の発展をした
琉球の建築や葬墓制を象徴し、深い文化史的意義があると評価された。 >>60
> 朝鮮語にしても済州語との分岐年代が1200年前で
おっ、いいところに着目したね。これ誰が言っているの?ソースある?
中期朝鮮語から現代ソウル方言までの間にいろんな特徴が失われたけどその一部を済州方言が残している。
これだけならよく言われていることだけど、済州方言とその他の方言との関係を分岐学的に捉えたり、
ましてや祖語の年代と結びつけた議論をしているのを見たことがない。
前から探してるんだけどね。もし見つかったら俺としては大収穫だよ。 >>59
貴方の立場、何について一般的な見解を支持していて、何について独自意見を持っているのかは
説明してもらわないとわかんないからね。
何か主張するときはそんな感じでソースつけて。
ちょっと脱線なんだけど、オーストロネシアついでで一つ。
この2016年の報告についてどう思う?
https://europepmc.org/articles/pmc5515717
最初にポリネシアの入り口までやってきたラピタ人からは
まったくパプア系の要素が検出されなかったという話。
現代人は身体的特徴から見ても明らかにパプア系の血が入っているし
DNAからもそれは確認できる。
なぜ初期のラピタ人が成功せず、パプア系と混血した後発の集団が広がったんだと思う?
マダガスカルのマラリアみたいな要因がオセアニアにもある? >>59
系統樹を内心嫌っている言語学者は多そうだし、いろんな問題が指摘されるけど
それでも使われ続けているのは、言語の歴史の一番の特性が分化(そうでなければ置き換え)だからと思う。
貴方は、新石器時代やそれ以前の段階で、同じ語族の諸言語がかなりの広範囲に展開しつつ、
しかし数千年の長きに渡って収斂進化を続けたと主張している。この理解であってる?
もし本当にそうだとすると大発見じゃない?世界を見渡して、他にそういう事例がある?
琉球語派と上代東国方言からわかるのは、
・より新しい時代だと、日本語は普通に分化していっていたことと
・畿内の上代語の子孫でないけど、共通祖語の年代はそこから大してさかのぼらないこと
普通に考えれば、ほぼ同時期に、言語の置き換えが起きたと見るべきだろう。
もちろん置き換えられた側の基層言語が同系であった可能性は残るけど、
まずは置き換えイベント自体は認めないことにははじまらない。 言語には語彙・音韻・文法の諸要素があり
近しい言語の間だと部分的に融合したり置き換わったりはしばしばあることであるため
根本的に置き換わるという考え自体がまず前提として成り立たないのではないか?
中間形態の方言たるヤマトゥウチナーグチもまた日本語族を基層とした日本語族の言語だ まだかなり積み残しがあるな。
どれくらいの強度の接触でどれくらいの分岐あるいは収斂が起きるか知りたいけど
接触の強度を定量化するところからして難しいよね。
ともかく狩猟採集民(といっても縄文人は定住傾向があるようだけど)、初期農耕民、都が強い威信を持つ統一国家では
接触の様態も違う可能性を念頭に置くべきだろう。
初期農耕民と統一国家期については、このスレでもちょくちょく話題になってる五十嵐氏の最近の発表が参考になる。
共通の改新に基づく分岐学的手法を用いた日本語諸方言の系統分類: 南日本語派(琉球を含む)と東日本語派(八丈を含む)の提唱
https://researchmap.jp/mubvvfsxm-1856949/#_1856949
「肩・種・汗・雨」と「息・舟・桶・鍋」がアクセント型で区別される日本語本土方言 ―佐賀県杵島方言と琉球語の比較―
の資料は残念ながら消えてしまってる。
系統分類をする際には、九州(の一部)・琉球限定の共有改新だけをストイックに取り上げているけど、
アクセントを調べると、shared retentionも確認できる。
日本祖語にあったあるアクセントの区別は、本土からは失われて琉球だけに残ってると思われていたけど、
九州の一部でもその残滓が確認できるという驚きの報告。 五十嵐説を参考にすると九州方言は以下のように成立したのだろう
・畿内で上代語が成立した時期に、琉球祖語にある程度近い言語が話されていた
・その後千年くらい中央から継続的に影響を受け続けて、古い特徴はほとんど失われた
・とはいえ丁寧に調べれば古い特徴が見つかる
・その間に九州(の一部)だけの改新も起きた
基層言語の痕跡を探すのは一般に難しいし、特に方言となると資料に残らないことが多い。
そういうことも含めて、現代の言葉(=調査すればデータが得られる)からさかのぼるという
アプローチが前提なんだけど、>>60を見ると、そこが共有できてなかったみたい。
ギリシャでもアルメニアでもいいけど、もし検証に使えそうな資料が残っているなら教えて。 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~fkr/OguraProject.html
朝鮮語の方言の面白い資料見つけたからやるわ
これ見てると一部の語形にハングル創成以前にまで祖型を遡りうるものが含まれてんのだわ
分布のパターンも南北対立型・東西対立型・周圏論型・逆L字型とあって、単純に新羅語が全く違う言葉を話していた他の二国を塗り替えたと考えるのは無理な感じがする これいいな。
半島全体をカバーしようと思ったらやっぱり小倉進平しかないか。
せっかく電子化するなら、独自ソフトを使うんじゃなくて
標準的なフォーマットでデータも公開したらいいのに。 次はこれを読む。探せば日本語で同じことを書いてるかも。
宮本一夫(九大・考古学)
Archaeological Explanation for the Diffusion Theory of the Japonic and Koreanic Languages
http://www.jjarchaeology.jp/contents/pdf/vol004/4-1_053.pdf >>71
すげーなwwww
タイトルで言語がどーのこーの言ってるのに一言も言語のこと書かないで論文になるとかどんだけボロい仕事なんだ 専門が考古学なんだから、言語そのものじゃなくて話者集団について議論するのは当然じゃん
日本の考古学って物質文化以外に手を出さないみたいな変にストイックな雰囲気があるけど
ついに時代が変わったのかなあと思った。
同じ九大系でも『列島初期稲作の担い手は誰か』の対談なんかはひどいよ。
2014年の出版なのに、やり玉に挙げている人類学の研究が鈴木尚や埴原和郎あたりで、
いったいいつから時計の針が止まっているのかわかんない 文系学会が絡んでるものは半分も信用できないと思ってた方がいい ナマハゲなど「来訪神」、ユネスコ無形文化遺産登録へ
https://www.asahi.com/articles/ASLBC56R1LBCUCVL01D.html
文化庁は24日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に推薦している「男鹿のナマハゲ」(秋田県)など
「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」について、事前審査をしていた評価機関が「登録」を勧告したと発表した。
評価機関の登録勧告が覆った例はないといい、11月末からモーリシャスである政府間委員会で正式に決まる見通し。
@男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)
A吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
B米川の水かぶり(宮城県登米市)
C遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)
D能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)
E見島のカセドリ(佐賀市)
F甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)※
G薩摩硫黄島のメンドン(同県三島村)
H悪石島のボゼ(同県十島村)
I宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)
※は2009年に登録済み 認定記念イベントでそれぞれが一堂に会する機会もありそうなんだが、パーントゥはちょっと無理っぽいよね? スレッドが下がるのが最近随分遅くなった
もとから少人数で回してたんだろうけど なんJとかいう連中も飽きたのか数が減ったんでしょ? ハングル板の名の通り朝鮮語に興味のある奴だけで集まるのが自然な姿よ それを言ったら琉球はどうなんだって話だがwww
ただマジな話、ショウハシ王統に関しては
朝鮮王朝実録こそが最も良質な史料ではある。
一番注目すべきは琉球の火器について。
これまでは国内の学者が妄想を膨らませて
三眼銃がどうのと言ってたが
そもそも当時朝鮮には
棒火矢=火筒と碗口銃しかなかった。
個人携行火器は棒火矢だけで
弾丸を発射できるものは無かった。
それが沖縄もウチと同じと言ってるんだから
そのように推定するのが当然
なおかつ火薬はほとんど入手できなかったと
強く推定される。
実用例が一切ない事実とも合致する。
中国は琉球にとっての打ち出の小槌みたいなのは
ただの妄想。
朝鮮にすら火器はほとんど供与せず
朝鮮は苦労して自力生産してるのに
琉球ごときに供与するわけがない。 朝鮮のものに関しては不明瞭だが
日本の棒火矢は矢に火薬や油を用いた
延焼機能が仕込まれていたようだから
オリジナルも同様の機能があったと思われる。
年代はかなり違うが
続雑兵物語に棒火矢の使用法が
書かれている。
直接照準はできず、
迫撃砲みたいに
放物弾道で投射するもので
命中率は低かったようだ。
初期から存在するのに
数百年間生き残ったのは焼夷効果があるからだろう
逆に弾丸に主役を奪われたのは
破壊力の低さ、命中率の低さによるのだろう
朝鮮は朝鮮征伐の少し前に
中国の弾丸式の銃と
自国の火筒を比較して
後者は子供のおもちゃだと述べている なおかつショウエン王統では
これらの火器は失われたと強く推定される
単純に一切記録がないから
傍証としては
地方兵柄が解散されたり
尚寧冊封時代の使琉球録に
刀などもほとんどないと記載されているなど
軍縮が行われている様子があるから。
実際問題として北進も停止している。
結局はショウトク時代が
琉球の軍拡路線の頂点だった。 取りこぼしていた>>49のいわゆる高句麗地名だけど
ボビンの怪しい論考(大昔にこのスレで取り上げた)は
日本語で解釈できる地名の分布域は漢江流域、辰韓=新羅と済州島
(といっても「耽羅」が日本語っぽいといっているだけ)と主張している。
https://www.academia.edu/6360018/From_Koguryo_to_Tamna
沿岸部かどうかは知らない。>>49はそのあたり真面目に検証したの?
水稲稲作地域とうまく対応しないのはその通り。
地名に残っているということは一般に古い層であることが推測される。
具体的にどこの誰がつけたかわからないのが地名のつらいところだが、
少なくとも「楽浪郡まで航海して通商した倭人」よりも
古くて土着している集団の方が蓋然性があるだろう。 娜々志娑无のまとめページは参考にはなるが
朝鮮語に知識がグダグダで不足していてそのままでは信用できないな
高句麗百済地名の中には明らかに朝鮮語で説明が付けられるのが多いで >なにぶん朝鮮語も漢語も専門外ゆえ、至らない点が多々あろうかと存じますが、その辺はご容赦下さいませ
まあ本人もこう言ってるからね
本人確認できないからあくまでも自称ではあるが、国語学者さんだったし http://www.himalayanlanguages.org/files/driem/pdfs/2018e.pdf
前スレ、前々スレの話題をしつこく取り上げるけど
現代日本人は
1)アミ族と共通する大陸集団 79%
2)伊川津縄文人と共通する集団 21%
の混合と推定されている。
さらに伊川津縄文人自体が
1)アミ族と共通する大陸集団 62%
3)ホアビン文化人と共通する集団 38%
の混合と推定されている。
1と3があまりにも昔の集団すぎて解像度が低いから
間をつなぐような集団のサンプルがほしい。
韓国はあまり期待できないし、中国からの報告を待つしかないか。 カラー写真で蘇る戦前・戦中・戦後の沖縄
京大学教授、首都大学東京客員教授の渡邉英徳教授のツイートまとめです。
可能な限り時系列で並べました。明記されていないものは地名や機体名、
作戦名が近い写真を時系列のわかるものの隣に配置しました。
https://togetter.com/li/1282337 五十嵐陽介(2018)「九州語と琉球語からなる「南日本語派」は成立するか?:共通改新としての九州・琉球同源語に焦点を置いた系統樹構築」
https://researchmap.jp/mum78mtck-1856949/#_1856949
シンポジウムにあわせてアップデートされてる。 この調子で朝鮮語の各方言も実は別々の言語だったとか三国時代の高句麗語の残存であるなどいう説を出してこないものだろうか
古事記では朝鮮語で山のことをムレやモロというが初期のハングル資料からはmojhもしくは複合語の一部としてmoroという形がでており、方言形の中には末子音-sを有するものがみとめられる
となればこれらの共通の祖先は確実に原三国時代以前になる筈なのだ >中央語を含む本土日本語では PJ *o, *e が(非語末で)それぞれ u, i に変化し,PJ *u, *o と
合流(Frellesvig and Whitman 2004, 2008; Pellard 2008, 2013, 2015, forthcoming; Frellesvig
2010)。
ところでこの特徴
卑彌呼の「卑彌」がなぜ「媛(ヒメ)」に対応するのかを説明する素晴らしい理論ではないか
全国の邪馬台国研究家のお歴々は是非ともこの論文を読んで賛同するべきだ 冷笑系とかいう珍妙なカテゴリが出来上がってるようですが、その定義を見る分では
本来のハン板住人のスタンスっぽいよね? http://www.tokugawa.ne.jp/encourage_2018.htm
第16回「徳川賞」
第16回の「コ川賞」は下記の著作を受賞作とすることに決定し、平成30年11月3日(祝)東海大学校友会館にて授与式を行います。
『近世日本政治史と朝廷』 著者: 山口 和夫
発行: 吉川弘文館
なお、本年度は「コ川賞」に加えて「コ川賞 特別賞」として次の著作が選定されました。
『世界史からみた「琉球処分」』 著者: ティネッロ・マルコ
発行: 榕樹書林
ティネッロ・マルコ(法政大学 沖縄文化研究所) ちなみに昨年の徳川賞は、上原兼善 『近世琉球貿易史の研究』 日本の遺伝学者がちんたらしている間に、今度はモンゴルの遺跡のデータが出てきた。
http://www.pnas.org/content/early/2018/10/31/1813608115
北部フブスグル県の紀元前1380–975年頃の複数個体の古代DNAと歯石を分析している。
考古学的に東部ステップにおける初期の遊牧民ではないかと思われていたところ
実際に反芻動物由来の乳製品を食べていたことが歯石から確認できた。
遊牧文化は年代的に先行する西部ステップから入ってきたと考えられるが
DNAを見ると西部からの移入は7%程度にすぎないことから
大規模な人口置換なしに、土着の狩猟採集民が文化的に適応したらしい。
西部ステップの文化はすぐ西隣のアルタイ・サヤン地域まで広がっていたにも関わらず
青銅器時代初期には没交渉だったことになる。
歴史の要約としてqpGraphを載せてくれたら分かりやすいんだけど載ってない。
全体として遺跡の民はチュルク系のトゥバ人に近く、モンゴル人にはそれほど近くない。
ただし、ツングース系っぽい女性とシンタシュタ文化人っぽい男性の2個体が外れ値になっている。
後者はYDNAハプログループもR1a1a1b2a2a。
残りは1個体がN1c1aである以外はすべてQ1aやその下位区分。
最近の報告はだいたいこんな感じで、狩猟採集民が遺伝的継続性が認められている。
逆に新勢力に簡単に置き換えられてしまったのはヨーロッパとユーラシア極北ぐらいじゃないか。 図書館に行ったら「日本祖語の再建」という服部四郎の新しい本が置いてたので借りてきた
思うに魏志倭人伝の国名人名を読み解くには紀元前後頃にあったとされる日本祖語を用いなければならない筈だ
同時に朝鮮語の中古音との対応関係が不規則な漢字音に残っている上古音の要素も解読の手助けになるだろう ヴィレラ神父は日本滞在十数年でゴアと日本を往復してるってことで、航路途中であっても
あやふやな伝聞になっちゃうほどの存在感だったわけだ琉球は ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています