史跡赤木名城跡の発掘調査から確認されている
@11世紀後半〜12世紀前半頃,
A14世紀後半〜15世紀代頃,
B17世紀後半〜18世紀前半頃
の3時期について,城郭遺構の構造的変遷と関係が明らかにされているわけではない。
大筋としては,@の時期は中世城郭の形態を整える以前と考えられるの段階であり,
中世城郭として構造化するのがAの時期,
さらに現在地表観察できる城郭の最終形態が構造化されたのがBの時期と考えられている。
https://www.city.amami.lg.jp/bunka/kyoiku/bunka/bunkazai/documents/akakinajoatohozonkanrikeikusyo.pdf

しつこく赤木名城なんだが、2015年の報告書はこう書いていて
中世城郭の形態が現れるのは14世紀後半以降と推定している。

ところが1980年代には別の説が唱えられていた。沖縄県から名嘉正八郎と知念勇がやってきて、
「十二世紀後期から十三世紀初期頃に主として防御を目的に創造」と主張していた。
ちょっと年代がずれるが、2015年の報告書のいう@の時期に既に中世城郭の形態があったという主張だ。