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JoyDivision_03
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0002サム・ライリー
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2009/06/14(日) 23:40:47

「彼は素晴しい詩人で、謎めいたパフォーマーだった。
 いつでも、どこか居心地の悪さを感じていたんじゃないかと思う。

 ジム・モリソン、カート・コバーン、ジミ・ヘンドリックス。
 若くして死んだミュージシャンは、みんな偶像化されがちだ。

 そして、若い人々がそういうものに惹き付けられるのも仕方のないことだと思う。
 僕も10代の頃は、確かにそういう類のものに憧れたこともある。

 でも僕は、出来るだけ彼を普通の男として、素晴しい才能をもったひとりの若者として演じようと思ったんだ」
0003サム・ライリー
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2009/06/14(日) 23:42:57

「実在の人物を演じるわけだから、出来るだけ彼に近づくことが重要だと思った。
 だから、出来る限りの彼に関する映像を見たよ。

 当時はビデオカメラもあまり普及していなかったから、イアンのインタビュー映像はなかった。
 普段の声があまり知られていないことは、僕に有利に働いたかもしれないね。

 それでも、僕は出来る限り映像から研究して、彼の声を真似ようと飽きるほど練習したよ。
 実際にセットに行ってバンドと演奏したときは、彼の演技が自然に出来た。
 自分を忘れて、僕はイアン・カーティスなんだって言い聞かせていたんだ」
0004サム・ライリー
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2009/06/14(日) 23:45:28

「(撮影中に)実際の寝室で衣装替えをしたり、待ち時間に仮眠をとったりした。
 もちろん彼が亡くなったキッチンも見た。 変な気分だったよ」

「彼女(イアンの奥さんのデボラ・カーティス)は物静かで素敵な女性だった。

 実は『もう君を愛していない』とデボラに伝えるシーンを撮影しているときに、
 彼女が現場に来ているのが目に入ったんだ。僕は心の中で『まずい!』と思ったよ。
 でも彼女はクールで『サマンサとあなたが気の毒だわ』と言ってくれた。

 翌日も彼女は現場に来てくれたので、僕は『ハーイ、デビー!』って声を掛けたんだ。
 そしたら彼女は『ハロー、イアン』って返してくれた。そういうのって素敵だろう?」
0005サム・ライリー
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2009/06/14(日) 23:49:36

「最初は(ギグのシーンでは)ジョイ・ディヴィジョンのアルバムの音を使う予定だったんだ。
 でも観客がいるギグのシーンで丁寧に作りこまれた音楽が流れてくるのは変だろう?
 2週間のリハーサルの間、ずっと僕らは彼らの曲を練習してたんだ。

 すぐにうまくなって最終的にはアントンが、僕が歌い、メンバーが演奏した方がよりリアルで良いって
 言ってくれたんだ。

 ほかのメンバー? バカで嫌なやつらだよ(笑)、もう慣れたけどね。

 ハリー(・トレッダウェイ※スティーヴン役)は 『一度もドラムを叩いたことがない』 って言ってたけど
 あれは嘘だろうな。本当にうまいんだ。

 ジェームズ(・アンソニー・ピアソン※バーナード役)は、ほとんど弾いたことがないのにオーディションで
 『ギターが弾ける』 と言ってしまったので短期間でマスターしたらしいよ。

 ジョー(・アンダーソン※フッキー役)は本物のフッキー独特のベーススタイルをすぐに習得してたよ。

 僕自身はオーディションのときから、イアンらしい声で歌えると思っていたからね」
0006アントン・コービン
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2009/06/14(日) 23:51:29

「決断には時間をかけたよ。説得力のある演奏シーンにしたかったからね。
 でも、彼らは完璧さを求め、毎日練習してどんどん上達したんだ」

「リハーサルは他にもうれしい効果を生んだ。
 例えばメンバーが集まり、演奏するのでは無くただ座っているシーンがある。

 その時も、本物の雰囲気が出るようになったんだ。予想外だったけどうれしかったよ」
0007ジョー・アンダーソン
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2009/06/14(日) 23:57:00

「一番の方法だと思う、実際に弾いてみると動作の意味が理解できるんだよ。
 それは楽器を覚えて初めてわかることなんだ、物まねとは意味が違う。
 不思議なもので色んなことが分かりはじめるんだ」

「1週間もリハーサルして弾けるようになってくると、生演奏する話が出てきた」

「でも、予期しない状況に焦ったよ。それでさらに必死になって練習を重ねていったんだ」

「フッキーのことはよく知らなかった。

 コメディ番組で姿を見たけど、記事で見た程度の知識しかなかったんだ。
 現役の人ということもあって悩んだよ。

 役として演じるべきか、完全な物まねをするべきなのか、ってね。 よく知らない人だから難しかった」
0008ジェームズ・アンソニー・ピアソン
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2009/06/14(日) 23:59:32

「(実際に演奏することによって)彼らの音楽が独特だった理由も分かるようになったんだ。

 彼らは既存のやり方にとらわれずに意外な道具も使ってた、 だけどそれがカッコよくて
 独特だったんだ」
0009サム・ライリー
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2009/06/15(月) 01:08:32

「ライヴ・シーンは楽しかったよ。
 よく知っている世界だしステージにも慣れてるからね。

 メンバー間の仲間意識は穏当に存在していた。
 実際に演奏しているから一緒に快感を味わえたよ」
0010アントン・コービン
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2009/06/15(月) 01:13:38

「確かに音に関しては、生のライブパフォーマンスに聞こえるように何度もミキシングを行うなど、
 細心の注意を払った。

 でも、これは音楽映画ではないんだ。 僕はこの映画で純粋なアプローチを試みた。
 多くのシーンには全くと言っていい程、音が入ってないんだ。

 最近の映画は常に大きな音で音楽が流れているものが多いから、このような作品は珍しいん
 じゃないかな。

 個人的には、そんな部分がとても気に入っている。 音が静かな方がストーリーに集中して
 もらえるだろうし」
0011アントン・コービン
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2009/06/19(金) 01:43:41

「元々は、ジョイ・ディヴィジョンの生まれた場所に近づく為に英国に移住したぐらいだから、彼らは
 僕にとって非常に重要な存在だった。
 
 その後、二度、彼らの写真を撮る機会があったけど、イアンが亡くなった時に、彼らとの付き合いも
 これで終わりだと思っていたんだ。

 ところが、そこから再リリースされた「Atmosphere」のビデオ制作の話が来たり、「コントロール」と
 いう素晴らしい映画も作ることが出来た。
 今ではすっかりニュー・オーダーのメンバーとも仲良くなったよ。」

「彼ら(ニュー・オーダー)は『(映画を)観るまでは何とも言えない』と言ってた。
 だから、彼らにはかなり初期段階で観てもらうことにしたんだ。
 映画を観てからは曲を提供してくれたりして、すごく応援してくれてる。

 バンドが解散してるにもかかわらず、ロンドンでのプレミアには3人揃って来てくれたし、ピーター・
 フックが他の上映会でもDJをやってくれたり、すごく前向きにこの映画のことを観てくれたよ」
0012ピーター・フック
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2009/06/19(金) 01:44:58

「俺にとっては、ジョイ・ディヴィジョンの映画なんだから、その残党が音楽を作るというのは一番自然
 なことに思えたんだ。それでああなった。

 俺が監督に、『俺たちに音楽をやらせるべきだ』って言ったんだよ。
 残念ながら、当時のニュー・オーダーはうまくいっている時期ではなかった。
 だから、どう控え目に表現しても音楽を作るのは難しいことだったけど」

「バーナードは別に、俺とスティーヴンは一緒に作ったよ」

「アントンが(サントラの)責任者だよ。彼が俺たちそれぞれをスーパーバイズしていたんだ。
 俺たちがバラバラにやっていたからね」
0013ピーター・フック
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2009/06/19(金) 02:03:25

「(キャストが演奏した『トランスミッション』については…)よくやったと思う。俺はどれも楽しんだよ。
 それにしても、とても現実離れした経験だったな。

 カンヌのプレミアでは、映画の後、とても感動的だったし、実際、観客はスタンディング・オベーション
 をしてくれたほどだ。すごく妙な気分だったよ。

 その後、俺はトイレに立った。けっこう長い映画だからね。
 で、トイレで俺の隣で小用を足していたのは、映画の中のイアン・カーティスとバーナードだったんだ」

「完全に超現実的だね。

 俺の人生は、とても豊かで、アップダウンが激しく、クレイジーな瞬間がたくさんあった。
 これはそれをとてもよく取り込んでいるよ」

「『24アワー〜』も俺たちを扱っているし、友人のトム・アテンチオが作ったジョイ・ディヴィジョンの
 ドキュメンタリーっていうのもある。これもとてもいい作品だ。

 ただ俺はジョー・アンダーソン (『コントロール』のフッキー役) の中に、 『24アワー〜』 の役者よりも
 自分自身をたくさん見つけたよ。 でも、そうなるのはある意味で予想していたことだ。
 マイケル・ウィンターボトムよりもアントンの方が俺のことをずっとよく知っているからね」
0014ピーター・フック
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2009/06/19(金) 02:04:54

「アメリカの配給会社の誰かが電話してきて、9月25日にNYでやる(『Control』の)プレミアで
 ジョイ・ディヴィジョンがプレイできないかって訊いてきたんだ。

 俺はこう答えたよ。

 『そうだな、最後に聞いたところでは、リード・シンガーは死んだって話だった。
  でも、何か状況が変わったか訊いてみるよ』 」
0015バーナード・サムナー
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2009/06/22(月) 22:54:04

「実は俺だけ脚本家に会っていないんだよ。

 みんなが会ったとき、ちょうど俺は離れたところにいたから。
 だから彼は実際に俺がどんな人間なのかは良く知らないはずだけど、それでもこの映画はとても
 正確だと思う。きわめて的確だよ。

 イアンがまるで……サム・ライリーは彼を驚くほどうまく掴んでいる。
 この映画の素晴らしい点は、あの出来事に関わったいろいろな人のアングルから物事をフェアに
 描いていることだ。

 アントンはデビー(デボラ・カーティス)の原作(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)をだいたい
 基にしていると言っていたけど俺があの本を読んで思ったのは、デビーが気分を害さないことを
 願うけど、原作にはほんの少しビターなトーンが感じられるんだ。

 というのは、彼女は彼女のアングルからイアンを見ていて、俺たちは反対側からイアンを見ていた
 わけ。でも、もちろん俺達はデビーのことも、イアンを通してのみ見ていたわけだ。
 だからこの映画のおかげで俺は彼女の苦しみを、より良い観点から理解することができた。
 夫を失った彼女の苦しみがよくわかったんだよ。

 それまで俺が彼女に対して抱いていた印象は、愚痴っぽくていつもイアンにつきまとう奥さんという
 ものだったけどね。
 イアンはよく、『彼女はまた僕に腹を立てている』と言っていたし、そんなときあいつはとても不機嫌
 で不幸せに見えたから」
0016スティーヴン・モリス
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2009/06/22(月) 23:02:52

「2度ほど見たよ。 よかった、すごくよかった。

 ピーターや俺のように深く関与している人間には見るのがちょっと辛かったけどね、でも、アントン
 (・コービン)はよくやったよ」

「自分について、他人が映画を作りたがるというのは、奇妙なものだよ。
 それにけっこう違っている。
 『24アワー〜』はいい映画だけれど、本質的にはコメディだ。

 ただ基本的にはイアン・カーティスの物語である『コントロール』と比べると、ファクトリーの精神の
 ようなものをとらえている。
 ファクトリーの気風や精神は、ジョイ・ディヴィジョンではカヴァーしきれないものなんだ。

 とにかく『24アワー〜』はコメディで、『コントロール』はトラジディさ(笑)。
 でもああいう映画は見にくいものだよ。
 なにしろよく知っている人たちの話だし、実際、自分までそこに登場しているんだから。

 ただ映画というのは、現実をそのまま反映しているものではなく、単なるエンターテインメントなんだ。
 映画で真実を伝えたいなら、ドキュメンタリーでないとね。
 ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリーというのも公開されたけど、なかなかいい作品だよ」
0017バーナード・サムナー
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2009/06/23(火) 00:02:55

「完成版ができ上がる前、ラフ・カットを観せてもらって、その後カンヌで初めて作品を観たんだ。
 観る前にはものすごくナーヴァスになったよ」

「ほんとに! 例えば死ぬ時に自分の一生が頭に浮かんだり、神を見たりするような体験ときっと
 似ているんじゃないかな。

 でもそれを多くの観客と一緒に観るのは神経を切り裂かれるような気分だよ。
 まさに煉獄の試練だね。でも気持ちいい試練ではあった(笑)。
 だって映画が素晴らしかったからさ。

 もちろんラストはとてもエモーショナルになったよ。 おそらく他の人もそうだと思うけど。
 ただ正直言って当事者としては、落ち着いて観ていられない心境だったな」
0018ピーター・フック
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2009/06/23(火) 00:55:19

「すごく驚いたのは、映画全編を4分の3ほど見終えたところで、友人に『あっ、この映画はモノクロ
 だったんだね』って言われたことだな。

 実際、俺も映画がモノクロなのに全然気づいていなかったんだ。
 そのとき、1970年代のイギリスは、考えようによっては白黒の世界だったからじゃないかってピンと
 きたよ。

 でも、総じて、この映画を気に入っているよ。
 嫌いな箇所っていうのはなくて、映画そのものをすごく楽しめたんだ。これまですでに三、四回見て
 いるけれど、もう見てしまっているってことが気にならないぐらい楽しめるんだ。

 つまりすごくパワーのある映画だっていうことだよ。 今見ても、ドキドキしたりするんだから」
0019ピーター・フック
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2009/06/23(火) 01:00:27

「すごく楽しんだよ。

 でも、心が踏みにじられたようにも感じた。1番奇妙に感じたのがラストだ。
 本当に悲しいところなのに、みんな拍手をし始めた。

 重々しい沈黙があったほうがよかったな。『おい、俺はこれを経験したんだぜ!』って思ったよ。
 ズタズタにされたような気がした。

 で、トイレに行ったら、俺の横にイアン(・カーティス)とバーナード(・サムナー)がいた……。
 2人を演じた俳優だったんだけど、『おおおお!』ってなったよ。あれは、シュールだった」

「俺はいつも、こういう見方をするのが好きなんだけど、映画の上映中に何人がトイレにた立ったか
 で映画の良し悪しを判断できるんじゃないかな? 

 (『Control』がカンヌで上映されたときには)2人だった。バーナードと70歳のお婆ちゃんだ」
0020バーナード・サムナー
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2009/06/23(火) 01:06:18

「イアンが自殺した後、俺達はみんなあいつに腹を立てた。
 でもこの映画は、あいつがなぜそうした境地に追い込まれたのかを丁寧に描いている。

 カルトについては俺にはよくわからない。
 おそらく自殺が彼らを、より謎めいた存在にするんだろう。
 でも、それはすごく不健全なことだと思うよ。

 彼らをそうさせるすべてのことが不健全だ。
 でも俺達は彼らじゃない。彼らのようなプレッシャーも持っていない。
 俺はミュージシャンとして成功して、カンヌにも行って、燦々と輝く太陽のもと、素晴らしい何日聞
 かを送ることもできた。

 でも自殺した人について語るのはいつだって俺達の視点からしか語れないわけだから、公平に
 判断はできないものなんだ。俺達は彼らと同じフレームで物事を見ていない。
 同じ人間じゃないし、同じ人生を歩んでいるわけじゃない。

 彼らを批判することはフェアじゃないよ。ただ、それは悲しいことだけどね。
 でも俺が思うに、イアンは自殺したから興味深い存在になったわけじゃないよ。
 彼はとてもパワフルでとても美しい、時代を超えて残り続ける音楽を何曲も遺した。

 それは今も古さを感じさせない。ちょっとしたグッド・チューンを書いて自殺したわけじゃないんだ。
 それが、彼がカルトになった最大の理由だと思う」
0021アントン・コービン
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2009/07/01(水) 00:27:51

「彼は偉大な詩人だった。 だから、多くの人が今だにジョイ・ディヴィジョンを聴くのだろうね。

 妻のデビーに関しては、彼の事をどう思っているかは分からないけれど、彼は彼女の全てだった
 だろうし、 さよならを言うことすら出来なかったから、 今でも何か心にひっかかっているだろうな
 とは思う。

 ニュー・オーダーのメンバーは、功績を残した活動を若い頃に共にした仲間だから、きっと忘れる
 事はできないだろうね」
0022アントン・コービン
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2009/07/01(水) 00:34:54

「確かに僕は以前よりも、彼のことを多く知っている。

 英国に移り住んだ時、英語はあまり話せなかったから、実際にイアンに会った時も彼とはあまり会話
 することは出来なかった。
 その当時、彼はシャイではあったけど、良い人なんだろうなという印象を受けた。

 でも今回、彼の妻が書いた本を読み、関係者に会ううちに、彼に違う面があったことに気づいたんだ。
 彼は良い人でもありながら、何でも自分で決めたがるコントロール・フリークで、ちょっと嫌な面や、
 攻撃的な面もあり、用心深い人でもあったんだ。

 だから、後になってイアンともっと会話をしておけば良かったと後悔したよ。でも、人の記憶って本当に
 変わってしまうものなんだよ。
 フッキーがあるインタビューで『アントンは俺達の友達で、イアンの友達でもあるんだよ』と言っていたのを
 覚えているよ。

 たった2回会っただけで、私はろくに会話もできなかったのに、友達と言えるとはとても思えなかった。
 イアンが本当にそう思ってくれていたなら、光栄なんだけどね」
0023アントン・コービン
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2009/07/01(水) 00:42:14

「人生っていうのは、自分の思い通りにはいかないものだと思う。

 たしかにジョイ・ディヴィジョンの音楽やイアン・カーティスの声があったからこそ、その音のもとになっている
 イギリスに移り住もうって気持ちを持っていたわけなんだけど、イギリスに移って、実際にイアンやバンドの
 メンバーに会って、写真を撮ってそれが実際に世の中に広まっていった。

 それでビデオ・クリップも作った。
 誰も好きになってくれないだろうな、って思っていたんだけど、それもすごく広まっていった。

 イアン・カーティスが亡くなったことは、もちろん悲しいことなんだけど彼の死があったからこそ、自分を
 映画監督にしてくれたところもあるのかもしれないし、それをふまえて考えると、これからもイアン・カーティスと
 自分には切っても切れない、そういう繋がりみたいなものがあるのかもしれないって思う」
0024アントン・コービン
垢版 |
2009/07/01(水) 00:53:19

「ハハハ(笑)。
 もし(長年撮り続けてきたU2の映画を)作るとしたら、(中心になるのは)ラリー(ドラムス)だね。
 だって彼以外のボノ、エッジ、アダムは信用できないからね(笑)。
 でも、彼らの映画は作らないと思う。

 U2とはこの2月で26年の付き合いになるんだけど、お互いにちょっと親密過ぎる。
 僕としては、何か新しい経験をしたいし、自分自身に挑戦したい気持ちが大きい。
 自分がすでにやったことをやりたくないし、すでに通った道を再び歩きたいとは思わないんだ。

 だから、この『コントロール』という映画は、自分の新たな人生の始まりであり、今までの人生との決別
 でもあるんだ。だからといって、U2との関係を絶つわけではないよ。
 彼らのニューアルバムの写真を去年夏にモロッコで撮っているからね」

「フッキーが 『ニュー・オーダーの映画を作るときはタランティーノだな』 って言ってたよ(笑)。
 まあ、次は音楽に関した映画ではなく、フィクションのものを撮りたいと思っているよ」
0025『http://doops.jp/』
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2009/07/01(水) 01:01:40
(2008年2月26日のニュース)

『Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)のドキュメンタリー映画が公開

 来月に公開が迫ったアントン・コービン監督の『Control』で注目の高まるジョイ・ディヴィジョン。
 その『Control』とは別に、バンドのドキュメンタリー映画、その名も『JOY DIVISION』の公開が緊急
 決定。ジョイ・ディヴィジョンとは何だったのか?その手がかりになるであろう注目のもうひとつの
 映画の詳細をお伝えします。

 70年代後半から80年にかけて、その短い活動をボーカル、イアン・カーティスと共に閉じた伝説の
 バンド。アントン・コービン監督の『Control』は、そのイアンの生涯の伝記映画となっていますが、
 こちらの『JOY DIVISION』は、レディオヘッドのツアーを追ったドキュメンタリーで高い評価を集めた
 映像作家、グラント・ジー監督によるもので、バンドそのものに迫る内容となっています。

 映画では、これまでほとんど目にすることのできなかった、ジョイ・ディヴィジョンの貴重なライブ映像
 に加え、 バンドメンバーでありニュー・オーダーとして現在も活動を続けるバーナード・サムナー、
 ピーター・フック、スティーヴン・モリスのインタビュー。さらには彼等が所属したファクトリー・レコーズ
 のオーナー故トニー・ウィルソン、グラフィックデザイナーのピーター・サヴィル、そして『Control』の
 アントン・コービンらも証言を寄せています。

 活動中止から30年近く、これまで決して語られることのなかったジョイ・ディヴィジョンというバンドを
 解き明かしていくと共に、イギリスの社会的・政治的な変化の時代をとらえたドキュメンタリーとなった
 この作品。公開は5月17日(土)より、渋谷シネ・アミューズにて。『Control』と共に要チェックです』
0026グラント・ジー
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2009/07/07(火) 01:11:12

「1980年、15歳だった私は、ジョイ・ディヴィジョンのアルバム『アンノウン・プレジャーズ』を買った。

 それは、私がそれまで所有していたものの中で最も美しかった。
 ただ音を吐き出すだけではなく、全く新しい風景を創り出すようなレコードを聴いたのは、それが
 初めてのことだった。

 数ヶ月後、ベッドの中でジョン・ピールのラジオ番組を聴いていて、イアン・カーティスが自殺した
 ということを知った。
 私は、それまで感じたことのない不思議な、青年期の喪失といったようなものを感じた。

 撮影と映画制作以外で私の唯一の楽しみは、都市地理学における土地感覚を研究することだった。

 だから2006年にプロデューサーのトム・アテンシオとトム・アスター、それに作家ジョン・サヴェージ
 が、ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリーについてコンタクトを取ってきたとき、美や喪失、そして
 都市といった面から、そのプロジェクトに着想するのは自然な成り行きであった」
0027ジム・オルーク
垢版 |
2009/07/07(火) 01:17:19

「歴史がお手軽なコンビニのようになってしまった今日、 美術や映画、 音楽といった芸術の大きな
 転換点が、 突然歴史の中に飛び込んで生まれたのでなく、 その生誕地の土壌に根付いた場所
 から生じたものであるということは、 たやすく忘れられてしまう。

 ジョイ・ディヴィジョンとファクトリー・レコードの物語は、 グローバル化された世界で、ますます
 喪われている芸術のモチベーションを定義するパーフェクトな例だ。

 イアン・カーティスのような人々の物語というだけでなく、 どんどん抽象化される世界の中で自身
 の価値観をなんとか保持しようとする人々の苦闘の物語でもある。

 これは、私たちすべてにとって重要な物語であり、教訓である」
0028モモヨ (リザード)
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2009/07/07(火) 01:23:33

「この映画(『ジョイ・ディヴィジョン』)は、過去ではなく未来へとつなぐ何ものかを秘めている。

 1980年の夏、私もまた JOY DIVISION の音に埋もれて喪失に耐えたものだ。
 イアンの自死のみではなく、マンチェスター、東京といった世界中の都市で、私たちは大きな
 絶望の予感を前に立ちすくんだ季節だった。
 その冬には、ジョン・レノンすら失うことになる私たちだった。

 いずれにせよ私たちはそこから再び歩き始めたのだ。
 すべてのブランク・ジェネレーションにとって、この映画は歩み始めた、あの時の決意を、
 絶望を乗り越える意思を思い起こさせることだろう」
0029グラント・ジー
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2009/07/07(火) 01:28:04

「ドキュメンタリー制作のいいところは、自分が何を考えているのかがはっきりすることだ。

 はじめのうちは、思考や感じ方、主張がぼんやりとしているが、取材対象と向き合っていくうちに
 それらが徐々に明確になっていく。

 監督の仕事とは、作品のテーマについて自分が発見したことや考えたこと、そして知っていること
 の全てを、映画に反映させることだ。 言い残したことがあってはならないのだ。

 だから、なぜ私にとってジョイ・ディヴィジョンが特別なのかと聞かれれば、その答えは映画で
 語られた言葉の中にある、としか言いようがない」
0030モモヨ (リザード)
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2009/07/07(火) 01:37:17

「JOY DIVISION というのはマンチェスターのバンドで、私がデビューアルバムをレコーディングした
 ロンドンのエデンスタジオで、彼らはその前日までデモを録音していた。

 そんなこともあり、私とは、妙に縁があった。映像のあちこちに私と縁のある人物が顔を見せていた。
 もちろん、それだけではない。私はこのバンドの音楽性にぞっこんなのだ。

 バンドは、80年の5月にヴォーカリストの自殺で活動にピリオドを打ち、残されたメンバーは、
 ニュー・オーダーというバンド名で活動を再開した。一般には、この後の名前のほうが知られている。

 今回の作品は、そんな有名なバンド、ニュー・オーダーのものではなく、JOY DIVISIONという不幸な
 バンドの物語に焦点をしぼっている。

 有名になったバンドのメンバー全員が登場しているものの、映画はというと、70年代から80年に移行
 する時代と、当時のマンチェスターで何が起きていたか、そして、その最中で逝ってしまったイアンが
 何をしようとしていたか、何を考えていたか、そうした点を丁寧に掘り起こしていく。

 いわゆるパンクムービーではない」
0031モモヨ (リザード)
垢版 |
2009/07/07(火) 01:44:17

「パンクという文脈の中で幾度も語られた、70年代後半における大都市ロンドンのデッドエンド。
 何もかもが行き詰まり、覇権を米国にうばわれた英国が、大航海時代以降の拡大路線の放棄
 を迫られ、路線の転換をはかるあの時。

 サッチャーが登場して、弱者を切り捨てて無理やりのようにして新時代へと舳先を向けさせた
 あの時代、である。その余波は、地方都市であるマンチェスターに遅れて到達し、マンチェスター
 は八十年代を前にして疲弊の極致にあった。

 そんな時、パンクムーブメントが町を襲った。映画はここから始まる。そして、JOY DIVISIONが
 産声をあげるにいたる。そんな流れを私たちは俯瞰で眺めるように映像につきあう。
 当然、最後はイアンの自殺が待っている。
 当たり前のようにして、イアンの自殺で彼らの冒険物語は幕を閉じる。

 であれば見終わった後は、脱力感というか、絶望感が残るはずなのだが、私にとってこの映画は、
 むしろ希望を垣間見せてくれた。

 1980年、イアンが逝った夏、私もまた個人的な絶望を抱えて街を彷徨していた。
 その際の、寒々しい心象を思い出しもする。 が、それだけではない。
 この映画は、むしろ希望のようなものを、今の時代に生きる私たちに提示してくれている、
 そう強く感じたのだ。

 2008年の今、私たちが直面しているのは、まさに当時の英国に似た退廃と堕落だ。
 シャッターが下りた地方都市は現在日本の姿そのものだ。
 工場で働くしか他に生き方を見出せないマンチェスターの若者達は、まさに私達に他ならない。

 それでも彼らは脱出を試みた。それが大事なのだ。

 大切なのは諦めないことだ」
0032アントン・コービン
垢版 |
2009/07/07(火) 01:50:38

「イアン、君はバカなやつだ。

 でも、君がこの作品(『 Control 』)を気に入って誇りに思ってくれれば素晴らしいよ」
0033マット・グリーンハール
垢版 |
2009/07/21(火) 00:40:58

「(『 Control 』は) 三角関係の中でみんなの幸せを、実現しようとした男の物語だ。

 自分の幸せと、他人の幸せのはざまで苦しみながら言葉を愛した男の物語なんだ」
0034サム・ライリー
垢版 |
2009/07/21(火) 00:42:50

「物語はちょうど 『ワルシャワ』 結成の前くらいから始まる。

 ジョイ・ディヴィジョンとなり、成功していく様子が描かれるんだ」
0035ピーター・フック
垢版 |
2009/07/21(火) 00:44:55

「バーナードとは中学で出会った。 11歳の時だよ。 付き合いは殺人の刑期より長い」

「(バンドを)組むのは簡単、その後が難しいんだ」
0036バーナード・サムナー
垢版 |
2009/07/21(火) 00:49:55

「ドラムとヴォーカルを募集したら、男から電話があったんだ。
 まともそうな奴で、名前を聞くと『イアン』だと言う。

 『名字は?』、 『カーティス』

 俺は思い出した。『二人のイアン』の片方だってね。
 俺は『クラッシュのギグで会ったな』と言った。

 『ああ、それは僕だ』、
 『いいよ、ヴォーカルは君だ』と電話で即決した」
0037デボラ・カーティス 
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2009/07/21(火) 01:17:58
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「イアンが好きなのは何と言っても音楽で、昼休みには大体ヴィクトリア・パークのアパートで
 MC5やロキシー・ミュージック、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いて過ごした。
 デヴィッド・ボウイに対する熱狂ぶりは、特にジャック・プレルの曲『マイ・デス』のボウイ・
 ヴァージョンに顕著で、当時彼の中のマイ・ブームになっていた」

「イアンのヒーローのほとんどは、死んでいるか、死に近づいているか、死に取り憑かれている
 かのいずれかだったが、死に憧れることは特に珍しいことではなかったし、今でも共通する
 十代特有の現象だ。
 イアンは大人になることについて他の連中より真面目に考えていたふしがある。
 あたかも大人になることに抵抗すれば若さを長引かせられるとでも言うように。

 ジェームズ・ディーンが映画『理由なき反抗』で着ていた赤いジャンパーとそっくりなものを買い、
 映画と同じように反抗する者でいたかったが、彼のヒーロー同様に彼にも反抗する理由はなかった。
 反抗することの大半は、他人の生き方に言葉でケチをつけるやり方で、それが相応しいと思えば
 不機嫌な言い方にもなったし、素っ気のない言い方にもなった。

 彼はある種独特の雰囲気を持っていたので、人は彼の友人の輪の中に入りたいと願うのだ。
 人を引きつける彼の不思議なカリスマ性は、当時からオーラを出していた」

0038デボラ・カーティス 
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2009/07/21(火) 01:23:07
(『タッチング・フロム・ディスタンス』より)

「イアンの寝室は実家の正面にある客間だった。
 私たちはそこに座り、何時間もルー・リードやイギー・ポップを聴いていた。
 自分のお気に入りの曲がどんどん増えていくので同じ曲ばかり聴いても気にならなかったが、
 彼の持っているアルバムで唯一熱中できなかったのがルー・リードの『ベルリン』だった。

 ある午後、彼は私にオスカー・ワイルドの『幸福の王子』を読んで聞かせようとした。
 宝石で覆われた彫像とツバメとの友情の物語だ。
 ツバメはその可哀想な王子を助けようとして、越冬のために南下するのを延期する。
 ツバメは宝石をもぎ取り、苦しんでいる町の人々に与える。

 王子は『小さなツバメよ、お前は私に驚くべきことを話してくれた。
 しかし、苦しみを受けている人々の話ほど驚くべきことはない。
 度しがたい悲しみ以上に解きがたい謎はないのだ。
 小さなツバメよ、私の町を飛んで、そこで見たことを私に教えておくれ』と語る。

 物語の終わりにづくと、イアンの声は彫像の重苦しい心臓がひび割れるように上ずり始め、
 赤ん坊のように声をあげて泣くのだった」
0039『幸福の王子』
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2009/07/21(火) 01:30:11
(結城浩氏訳)

『…一日中ツバメは飛び、夜になって町に着きました。「どこに泊まったらいいかな」とツバメは
 言いました。
 「泊まれるような所があればいいんだけれど」 それからツバメは高い柱の上の像を見ました。
 「あそこに泊まることにしよう」と声をあげました。

 「あれはいい場所だ、新鮮な空気もたくさん吸えるし」そしてツバメは幸福の王子の両足の
 ちょうど間に止まりました。
 「黄金のベッドルームだ」ツバメはあたりを見まわしながらそっと一人で言い、眠ろうとしました。
 ところが、頭を翼の中に入れようとしたとたん、大きな水の粒がツバメの上に落ちてきました。

 「何て不思議なんだ!」とツバメは大きな声をあげました。
 「空には雲一つなく、星はとてもくっきりと輝いているというのに、雨が降っているなんて。
 北ヨーロッパの天候はまったくひどいもんだね。あの葦は雨が好きだったが、それは単なる
 自己中心だったし」 すると、もう一滴落ちてきました。

 「雨よけにならないんだったら、像なんて何の役にも立たないな」とツバメは言いました。
 「もっといい煙突を探さなくちゃ」ツバメは飛び立とうと決心しました。
 でも、翼を広げるよりも前に、三番目の水滴が落ちてきて、ツバメは上を見上げました。
 すると――何が見えたでしょうか。

 幸福の王子の両眼は涙でいっぱいになっていました。そしてその涙は王子の黄金の頬を
 流れていたのです。
 王子の顔は月光の中でとても美しく、小さなツバメはかわいそうな気持ちで一杯になりました。
 「あなたはどなたですか」ツバメは尋ねました。

 「私は幸福の王子だ」…』
0040イアン・グレイ
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2009/07/24(金) 02:53:40

「(友人のイアン・カーティスが)ヴォーカルに応募してパブで彼らと会った。

 イアン(・カーティス)は見るからにワルで革のパンツだった。
 背中に『HATE』と書いた上着を着て店で反感を買ってた。
 (あの恰好は)76年のマンチェスターでは危険だった。

 俺が『結婚なんて退屈でパンクじゃない』って言うと、
 『僕は結婚してるぜ』って彼は指輪を見せたんだ。『俺は案外いい奴かも』と思ったよ」
0041ピーター・フック
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2009/07/24(金) 02:56:06

「バーナードと俺は、何度かイアンをギグで見かけたことがあった。
 自然と話すようになって、一緒にバンドをやることになったんだ」

「彼はちょっと目立ってたね。

 絶縁テープで作った『HATE』って文字が、後ろに書いてあるジャケットを着ていたからね。
 彼はそのジャケットを仕事にも着ていく時は、その『HATE』のテープを剥がしてたんだ」
0042スティーヴン・モリス
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2009/07/24(金) 02:57:48

「『求む、ドラマー  パンク・バンド ワルシャワ』の貼り紙を見て俺は電話した。

 いかにもパンクって感じの荒っぽい奴が出るかと思ったら、温厚で話し好きなイアンだった。

 初めて彼らと出たギグはエレクトリック・サーカスの閉店の夜だ」
0043『ジョイ・ディヴィジョン』
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2009/07/24(金) 02:59:47
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのエレクトリック・サーカスの観客へのインタビュー)

インタビュアー:「なぜこのライブ・ハウスへ?」

女A:「最高のパンクをやるから。雰囲気いいし」

男:「何かしたいんだ。今の僕はゼロだから」

女B:「それがパンクよ」
0044『コントロール』
垢版 |
2009/07/24(金) 03:00:46
(映画『コントロール』でのエレクトリック・サーカスのMCのセリフ)

『次のバンドは、マックルズフィールド出身の4人組 ――― 』


『ワルシャワ!』
0045『コントロール』
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2009/07/24(金) 03:01:36
(映画『コントロール』でのバーナード・サムナーのセリフ)


『ルドルフ・ヘスを忘れたか?』
0046『リーダーズ・オブ・メン』
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2009/07/24(金) 03:06:36

『まるで他人の部屋のような 母親の子宮から生まれ 
 新しい人生を誓った
 君の人生を犠牲にして
 チャンスがそこまできている
 そこに触れられそうになった時
 騒音は殆ど耐え難いほどになる
 撒かれた種はもはや君のものではない

 ちょっとした作戦が行われ 最後通牒を突きつける
 無数の言葉が語られ 無言の群集をだます
 通りを歩いていくと不快な音が響く
 君は隠れることが出来たらと思う
 ドライブに行った方がいいかもしれない
 どこかのピープ・ショーにでも
 そこでは未来など作られていない

 悪夢のような状況が 想像力に浸透する
 破られた法律が生んだ壁際は 過去の聖戦の味がする
 人類の指導者たち─ 欲求不満から産み落とされた
 人類の指導者たち─ 奇妙な情熱に浮かれているだけ
 人類の指導者たち─ 新しい生活の約束をしながらも
 僕たちのための救済者ではなく
 憎しみに囚われた人たちを操るため
 自己暗示的なごまかしで
 あらゆる大衆救済の思想を打ち砕くために…』
0047バーナード・サムナー
垢版 |
2009/07/28(火) 01:34:33

「職場の奴が本を何冊かくれたんだ、1冊は『ダニエラの日記』。
 ナチの収容所の本だよ。

 読まずにページをめくると兵士の慰安施設の名が出てきた。
 俺は思った『ひどく悪趣味だけどパンクだ』。

 その名前を聞いた皆が『最高だ』と言ったよ」
0048バーナード・サムナー
垢版 |
2009/07/28(火) 01:36:21

「(練習用のリハーサル・ルームの)場所はだだっ広い工場の一室で、
 冬には部屋中のゴミを掃いて片隅に集めて火を焚いて暖をとった。

 俺たちは『俺たちの島』にいて俺たちの音楽だけを目指して練習してた。
 他人はどうでも良かった」
0049ピーター・フック
垢版 |
2009/07/28(火) 01:38:36

「(リハーサル・ルームでは)ベースは低音だと聴こえず、高音だと聴こえた。
 ギターの音がデカすぎたんだ。

 でもイアンは『それだ、高音でいこう』と言った。
 『ギターとのからみが独特で面白い』って」
0050バーナード・サムナー
垢版 |
2009/07/28(火) 01:39:56

「そんな幸運な偶然から独特の音が生まれたんだ。

 イアンはいつも歌詞を用意してて『歌詞の箱』から言葉を取り出しては歌った。
 毎晩、家で歌詞を書いていたんだ」
0051スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/07/28(火) 01:49:18

「(どこからもギグを断られ)それで練習に拍車がかかったんだ。

 曲も書きまくって腕を上げた。
 ギグで『ザマみろ』って言えるようにね」
0052『コントロール』
垢版 |
2009/07/28(火) 01:53:15
(映画『コントロール』でのロブ・グレットンのセリフ)

『最高だ!マジですごかったよ!客がこんなに興奮したのは久しぶりだ。
 もっとすごくなれる方法があるぜ』

『簡単さ、俺を雇え。
 君らは演奏、俺はマネージャー、大金持ちになろうぜ。任せな。』

『ロブだ。

 今までに俺が手掛けた、どのバンドよりズバ抜けてる。
 格が違う、完全に降参だ。

 ジョイ・ディヴィジョン万歳!ハレルヤ!』
0053ロブ・ディッキンソン(ライター)
垢版 |
2009/07/28(火) 01:54:53

「私は彼をラフターズのDJ時代から知ってた。

 今でも覚えてるよ。彼はよく熱っぽく語っていた。
 いかにジョイ・ディヴィジョンがすばらしいか。

 『今まで見たバンドの中で最高だ』
 『マネージャーをやっていろんな所へ連れていくつもりだ』って」
0054『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/07/28(火) 02:01:34
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのロブ・グレットンのメモ)

ICE AGE - Good fast one

      - memorable but lyric a bit simple

      - Don't like guitar bit at end
0055『アイス・エイジ』
垢版 |
2009/07/28(火) 02:02:59

『本物の残虐行為を目の当たりにした
 砂の中に埋められ
 安全な場所は ほんのひと握り人たちのもの
 僕たちは手を携えて佇む

 僕が生きるのは氷河期のような時代
 耐えられるものは何もなく
 順応できるものも何もない
 この冷たさの中では
 光が遮られているわけじゃない
 僕が生きるのは氷河期のような時代

 別の方法を探し求めながら
 ドアの陰に身を潜め
 僕らは穴ぐらや打ち捨てられた坑内で暮らす
 かすかな希望を胸に

 僕が生きているのは氷河期のような時代
 耐えられるものは何もなく
 順応できるものも何もない
 この冷たさの中では
 君の口元に浮かぶ微笑みは消え失せる
 僕が生きるのは氷河期のような時代
 氷河期のような時代
 氷河期のような時代…』
0056イアン・グレイ
垢版 |
2009/08/14(金) 10:56:02

「ステージのイアンは信じられないぐらいよかった。
 畏敬の念すら覚えたよ。

 俺が以前に原型を見ていた、あの踊り方も超俗的だった。
 『これが妻に花束を贈る、あの良き夫のイアンか?』

 ステージの彼は刺激的で人を陶酔させるんだ。
 『完全にやられたよ』そう思った」
0057『 Factory FAC 424 』
垢版 |
2009/08/14(金) 11:13:59

『…ウィルソンは似たような雰囲気のものを以前に見たことがあった。ヴァン・モリソンだ。
 70年代にヤワくなった、60年代の神様だ。
 息を吸って、息を吐く、息を吸って、息を吐く、息を吸って、息を吐く……。
 彼は霊感の奇跡にまた気づいた。 ディオニュソス的なバカ騒ぎ、自発的な声、口と魂
 から内容が溢れ出てくる。 自発的で、止めることができない。

 そして答えはそこにあった。 センター・ステージに。 唯我論の知性派、ウィルソンが
 わずかなエゴ・マッサージで分かったことは、テレビに出演させたバンドは正しい選択を
 しているということだった。 ピストルズ、クラッシュなどにデビューの場を与えたことを
 自慢には思っても、彼は個人的に、氷山の底辺に拘った。
 まだ出演させていない、200余りのバンドに。

 そして彼はその試験でも満点を取っていた。
 あの正解することへの愛。サルフォードの中流階級の下の、正当な安全毛布で育った
 若者は新しい酸素を見つけた。 A&Rだ。 バンドを選ぶこと。アートを選ぶこと。
 だが彼は、アート批評の正しい判断がどこから来ているのか分からなかった。
 今ようやく、彼は頭の中のまっすぐなフィルターを理解した。

 彼は「真実味」のあるアーティストを選んでいた。 真実味よりもっと深い。
 彼には選ぶことさえ出来なかった。 好むと好まざるとに拘わらず、頭から勝手に溢れ出て
 くるものだった。 99.99パーセントのバンドが、音楽業界に入りたかったからステージに立っ
 ていた。「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出たかったから。ロックンロール・スターになりたかった
 から。

 そして選択の余地などないからステージに立っているのはごく少数だった。
 それが何であれ、表現したいという衝動が、彼らを前へ押しやるのだ。 選択の余地はない。
 そしてその夜、ワルシャワはこのつんざくような音楽を演奏するためにステージに上るしか、
 選択の余地はなかった』
0058ピーター・フック
垢版 |
2009/08/14(金) 11:14:58

「彼は触覚と8つの目を持つエイリアン。それが第一印象だ、異星人さ。
 何しろテレビ界のスターだ」
0059ピーター・サヴィル
垢版 |
2009/08/14(金) 11:17:55

「彼の番組『ソー・イット・ゴーズ』はパンクを支持した唯一の場だ。 素晴らしかった。
 権力側というのが皮肉だよ。 若者には『テレビ』は最大の権力だ」
0060グラハム・マッセイ
垢版 |
2009/08/14(金) 11:19:43

「当時は彼をバッシングする声もあった。
 でも僕は理解できなかった。 

 なぜなら彼は保守的なグラナダTVで働きながら、別世界への扉を開いたんだから」
0061『コントロール』
垢版 |
2009/08/14(金) 11:24:31
(映画『コントロール』でのトニー・ウィルソンのセリフ)

『「ファクトリー」と契約しないとダメだ。 

 我々は新しいレーベル、君たちも新しいバンド。
 「マンチェスター共和国」を盛り上げよう』

 『利益はフィフティ・フィフティ、版権は君たちにあり、いつやめてもいい。

 ロブ、才能ある彼らを食い物にはしない。
 私の血でサインしてもいい』
0062ピーター・フック
垢版 |
2009/08/18(火) 22:17:18

「ジェネティックは我々に4万ないしは5万ポンドでオファーしてきたよ。
 十分過ぎる金額だったけど、俺たちの理解を遥かに超えたものだった。
 だから、その価値が分からなかったんだ。

 ロブ・グレットンは、トニー・ウィルソンのところであくせく働くことのほうが、
 a)より興味深い、そして、b)よりストレスも溜まる、しかしながら、
 c)最終的には報われる、と判断したんだ」
0063リンジー・リード
垢版 |
2009/08/18(火) 22:22:14

「(A Factory Sampleを出す)資金の5000ポンドはトニーが出した。
 お母さんの遺産から。

 A Factory Sampleを出した目的は、利益を得るためではなくて
 5000ポンドを溝に捨てる覚悟で出した。それでよかったのよ」
0064ピーター・フック
垢版 |
2009/08/19(水) 05:43:27

「ファクトリーの1枚目(A Factory Sample)に参加できて嬉しかったよ。
 マーティン・ハネットと仕事をするまではね」
0065リンジー・リード
垢版 |
2009/08/19(水) 05:47:55

「マーティン・ハネットは変人、完全な一匹狼ね。まあ、トニーもロブもそういうタイプだけど。

 面白くて頭がいい、マーティンを表す形容詞はこの2つ。
 いつもユーモアがあったけどスタジオでは真剣だった。やってることに集中していて。

 スタジオにいる時のマーティンは、いつも自分の作業に没頭しすぎて
 まわりにも気が回らないほどだったわ」
0066『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/08/19(水) 05:53:16
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』での生前のマーティン・ハネットへのインタビュー)

『彼らは「神からの贈り物」だった』

『無知だったから』

『私は細かい工夫をいろいろ施したが、彼らは議論も質問もしてこなかった。
 そう(最初に作ったのは)デジタルという曲だ。

 天国からの贈り物だ』
0067『24hour party people』ライナー・ノーツ
垢版 |
2009/08/19(水) 06:20:57
(『24hour party people』サウンドトラックのトニー・ウィルソンによるライナー・ノーツ)

『マンデーズはファクトリーの二番目に優れたバンドである。 一番目のバンドは色々な
 名前を持っていた。
 レッサー・フリー・トレイド・ホールで行なわれたセックス・ピストルズの公演に刺激を
 受けた少年たちがバンドを結成した。
 最初はスティッフ・リトル・キトゥンズというバンド名をつけたが、わずか1週間後には
 ワルシャワに。しかしその後またジョイ・ディヴィジョンに変えた。

 ライターのポール・モーリーは、そのバンドを最後のバンドあるいは最初のグループ
 あるいは似たような名前で呼んだ。それについては、彼の著書『ナッシング』を読んで
 ほしい。
 最初の7インチのシングルが「トランスミッション」だったグループについて書いた、
 すばらしい本である。

 いいロックバンドは常にすばらしいダンスバンドである。メロディックな激しいパンクを
 奏でるバーナード・サムナーのギター、やがてハイ・フレットがトレードマークとなる
 ピーター・フックのベース、 執拗にロックのリズムを打つスティーヴンのドラムが
 プロデューサーのマーティン・ハネットのデジタル・ディレイ・マシーンによって
 フィルタリングされ、それを支えて半躁病的なリード・シンガーがラジオを通して
 ダンスに参加するように訴える。

 ダンス、ダンス、ダンス!エネルギーと攻撃性。ロットンとの結びつきは明らかである…』
0068『コントロール』
垢版 |
2009/08/19(水) 06:23:37
(映画『コントロール』でのトニー・ウィルソンのセリフ)

『多くのバンドが、この番組でデビューしました。「ザ・ビートルズ」や「ザ・バズコックス」も。
 北西部で最も注目のバンドを紹介します。

 「ジョイ・ディヴィジョン」

 ギタリスト以外は、マンチェスター出身です。曲は「トランスミッション」』
0069『トランスミッション』
垢版 |
2009/08/19(水) 06:31:44
(映画『コントロール』本編字幕より)

『ラジオ 生放送
 ラジオ 生放送 

 沈黙に耳を傾け ひびかせよう
 見えない瞳が 太陽を恐れてる
 僕たちは 夜を楽しく生きる
 破滅に身を任せ 見えるのを待つ
 何も悪くないよう 振る舞い
 時代から隠れ 孤立したまま
 同じ場所で 時の流れを超え
 遠くから触れ合う より深く

 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて

 つらくなったら 叫べばいい
 学んだことなど 役に立たない
 言葉はいらない サウンドだけ
 愛とビートを シンクロさせよう
 そして踊ろう

 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 踊ろう 踊ろう ラジオに合わせて
 ラジオに合わせて…』
0070ピーター・フック
垢版 |
2009/08/26(水) 00:24:20

「ストロベリー・スタジオでマーティンと作業をするのはまだマシだった。
 なぜなら彼と距離を保つことができたからね。

 問題は、彼が人をどうしようもないバカだとしか思っていなかったことさ。
 彼のおかげでそこに居ることができるんだ、と。 それはドラッグのせいだと思う。

 デレク・ブランドウッドは常々言っていたよ。
 マーティン・ハネットと一週間を過ごせば、何年も続いたバンドでさえもすぐに崩壊
 してしまう、って。 彼は事を荒立てるのが好きだったんだ。
 とんでもない奴だったよ。

 だけど天才だった」
0071バーナード・サムナー
垢版 |
2009/08/26(水) 00:27:41

「彼のアイディアの多くが大量のドラック摂取から生まれたのは明らかだよ。

 でもそれだけじゃなくて、彼のフラットにはあのバカでかいスピーカーがあったんだ。
 とんでもないサウンドをしていたよ。
 5フィート×4フィートぐらいの穴開きのメタル・パネルが付いていて。

 そこには椅子もあって、彼はそれら2つのスピーカーの間に座っていたよ。
 彼の作るサウンドは、このスピーカーで聴くと素晴らしいんだ。
 だけど、あんなスピーカーを持っている奴は世界中どこにもいないからね。

 彼はこのスピーカでのみ素晴らしく響く音楽を作っていたんだ。
 低音がなくて、あんな風に高音ばかりのね」
0072ピーター・フック
垢版 |
2009/08/26(水) 00:30:29

「マーティンは常に何かを探していたよ」

「彼は言うんだ『この曲には何かが足りない。さあ、やるんだ』って。
 自分のやっていることが分からなくなったよ」

「マーティンは触媒だった。それ以上に振舞うこともなく、いい人ぶることもなかった。
 よく一切の説明もなしに同じ事を何度も繰り返させた。
 彼にとっての特別な瞬間が訪れるまで。

 『もっとキラキラ』とか『アーシーに』とか具体的な指示なくひたすら繰り返させたんだ」
0073スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/08/26(水) 00:32:04

「アルバム制作は、まるで不思議なSFの世界を旅するようだった。
 ハッパも大量に吸った。
 彼ははっきり『こうしろ』とは言わなかった。

 こんな感じだ。 『もう一度だ、今度はカクテル・パーティ的に』
 『もう少し黄色く』」
0074バーナード・サムナー
垢版 |
2009/08/26(水) 00:34:19

「あの当時は、曲を90%完成させ、そこにマーティンが自分の色を加えていったんだ。

 彼は触媒だった。ただ周りにいて、その人に素晴らしいキーボードやギター、ベース
 のパートを作らせるような人間だったよ」
0075ピーター・サヴィル
垢版 |
2009/08/26(水) 00:36:43

「これはたぶん異説だが、マーティンはジョイ・ディヴィジョンの理解法を示したんだ。

 彼らの中に何かを発見し何かを感じ取った。それが何なのかを頭の中に投影してたんだ」
0076ピーター・フック
垢版 |
2009/08/26(水) 00:41:07

「俺達はあのレコードを喜んで作っていたよ。

 それはあの大冒険の始まりだった。
 俺たちの機材は最悪なものだったから、俺はイアンの歌を聴いたことがなかったし、バーナードの
 ギターも聴いたことがなかった。だから、それを聴いた時には、まさに天の啓示だったよ。

 『アンノウン・プレジャーズ』は俺たちのスタートだった。
 あんなものをまた作ることはできないさ」
0077バーナード・サムナー
垢版 |
2009/08/26(水) 00:44:58

「『アンノウン・プレジャーズ』は俺たちの現実世界への第一歩だった。
 スタジオは俺たちにとって未知の新鮮な世界だった」
0078『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/08/26(水) 00:47:20
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのロブ・グレットンのメモ)

『トニーと約束、アルバムの権利は我々にある』

0080バーナード・サムナー
垢版 |
2009/09/03(木) 00:54:05

「フッキーと俺は最初それに嫌悪感を抱いていたよ」

「サウンドは固くて重苦しくて。 俺たちはマーティンが音を抑え――特にギターを―― 、
 そして、そのエッジを取り除いて、 より刺激の少ないものにしたんだと感じていたんだ。

 マーティンのサウンド・プロダクションはアルバムに陰鬱で不気味なムードをもたらして
 いた。俺たちが白黒で絵図面を描き、 彼がそこに色を施したんだ。

 だけど、ロブはそれを気に入り、 ウィルソンも気に入り、 メディアも気に入り、 大衆も
 気に入った。
 そして俺たちはそれを作った、ただの哀れな馬鹿ミュージシャンというわけさ!」
0081ピーター・フック
垢版 |
2009/09/03(木) 00:54:55

「世界中でバーナードと俺だけが気に入らなかった。 皮肉だよ。 たまには気が合う(笑)」

0082スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/09/03(木) 00:59:20

「俺は『アンノウン・プレジャーズ』に満足していたよ。

 当時の俺の持論では、2つのこと ―― レコードを聴くこととギグに行くこと ―― は別物だった
 からね。
 ギグを見に行く前にレコードは聴きたくないだろう。もう少しエネルギーを感じたいはずさ。

 ライヴでのジョイ・ディヴィジョンはとても生々しく、親密なものだった。
 マーティンはそれを別のところへと導いたんだ。

 それは俺たちが望んだものではなかったけれど、素晴らしいものだと思ったよ。
 サイケデリック――俺の得意とするところさ。けど、ペイズリー模様じゃないよ。もっと暗いやつさ」
0083ピーター・サヴィル
垢版 |
2009/09/03(木) 01:04:00

「もし僕がレコード屋で見たら欲しくなる、そんなデザインにしたんだ。
 誰も言わなかったよ『変えろ』なんて。

 (ジャケットのデザインをしたのは)曲を聴く前だった。
 資料はもらってたけど、波のパターンは最高だった。
 『アンノウン・プレジャーズ』ってタイトルにぴったりのイメージだろ。

 デザインを持ってロブの家に行った。
 『テスト盤、聴くか?』とロブ。

 僕は内心『40分も耐えられない』と思った。マネージャーの前だしね(笑)。
 でも断れなかった。

 ところが聴き始めてすぐに分かった。
 『これは人生が変わるほどの体験だ』って。
 どの瞬間も僕の予想を超えていた。まさに超越していた。驚異だよ」
0084デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/03(木) 01:23:00
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「『アンノウン・プレジャーズ』は1979年6月にリリースされた。
 黒いリンネル仕立てのジャケットの中央に白いフーリエ解析が施されたパッケージで、片面が
 “インサイド”でもう片面が“アウトサイド”。 “インサイド”には『シャドウプレイ』『ウィルダネス』
 『インターゾーン』『アイ・リメンバー・ナッシング』が収められ、“アウトサイド”には『ディスオーダー』
 『デイ・オブ・ザ・ローズ』『キャンディデイト』『インサイト』『ニュー・ドーン・フェイズ』が収録された。

 『オートサジェスチョン』と『フロム・セイフティ・トゥ・ホエア』は当初アルバム用にレコーディング
 されたが、収録は見送られ、後にファスト・レーベルの12インチEP『イヤーコム2』に収録される事
 になる。

 たいていの人々が想像するよりもずっと真実に近いことが、『サウンズ』誌に『死のディスコ』という
 見出しで掲載された『アンノウン・プレジャーズ』の記事に書かれた。
 そこにはアルバムを巡るショート・ストーリーが書かれて、「自殺を考えている人には、ジョイ・
 ディヴィジョンがその淵まで連れて行ってくれることを保証する」とあった。

 最初私は、『アンノウン・プレジャーズ』が好きではなかった。
 それはバンドの“堅固な輪”から徐々に閉め出されたことに嫉妬していたからかも知れない。
 あるいは病的な葬送歌とも言えるこのアルバムを心から心配していたからかも知れない。
 このアルバムの詩に馴染んでくると、イアンが憂鬱だった十代の頃に舞い戻ったのではないかと
 心配になった。

 彼は私が妊娠している間、過度に優しくしてくれたが、同時にこれらの詩を書いていたのだった。
 『だけど憶えているよ、僕らが若かった頃を』と、イアンはあたかも若い時を終えてしまったように
 年寄りじみて言った。
 私は『ニュー・ド−ン・フェイズ』の歌詞をあれこれ考えた末に、イアンの前でその意味するところ
 について切り出した。
 つまり、これは歌の歌詞に過ぎず彼の本当の気持ちではないことを確かめたかったのだ。
 しかし、この会話は一方通行に終わり、私が話題にしたことに肯定も否定もせず、彼は外へ
 出て行った」
0085『インサイト』
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2009/09/03(木) 01:27:07
『夢はいつだって終わるもの
 遠のいていくばかりで現実となることはない
 だけどもうどうだっていい

 これ以上望む気持ちも失せてしまった
 僕は怖れてはいない 少しも怖くない
 それが遠のいていくのを僕はじっと見つめてる
 だけど僕は憶えてる 僕らが若かった頃の事を…

 浪費癖のある者は
 自分のセンスや趣味の良さを挙げ
 自分が正しかったことを確かめる
 自分が正しかったってわからないのかい?
 僕はもう怖れてはいない
 ドアにしっかりと目を向けてる
 だけど僕は思い出す…

 君のために流した悲しみの涙
 君のための激しい変化
 あの時の一瞬を映し出す
 あの特別な一瞬を
 僕たちは時間を無駄にしてしまった
 僕たちには本当に時間がなかったのに
 だけど僕は憶えてる 僕らが若かった頃の事を…

 神の天使たちよ 気をつけろ
 判事たちよ 気をつけろ
 幸運な息子たちよ くれぐれも気をつけろ
 そこにいないすべての人たちのため
 僕はもう怖れてはいない
 もう怖れてはいない…』
0086コーダ・マーシャル(ワーナー・ブラザーズ・レコード社長)
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2009/09/08(火) 02:41:07

「18歳の時、彼らのデビュー盤が出たんだ。

 発売日が何度も延期になったので、毎週月曜日にレコード店に並んで待ったよ。
 4週目にやっと出たので、発売当日に買った。
 カンタベリーの学生の間で、ひそかに話題になってたんだ。『もう買ったか?』と。

 彼らの音楽との出会いは感動的な体験だった。
 当時はサッチャー政権下で、全体的に陰気で希望のない時代だった。
 そこに鳥肌が立つようなバンドが現れたんだ。 すごく意義深かった」
0087ボノ
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2009/09/08(火) 02:46:07

「俺が初めてジョイ・ディヴィジョンのレコードを聴いた時、俺にはまるでジム・モリソンが
 黄泉の国から蘇ってクラフトワークに参加したように思えたものだったよ。

 で、それが好きになったんだ」

0088アントン・コービン
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2009/09/08(火) 02:51:25

「ジョイ・ディヴィジョンは僕が79年にイギリスに移り住もうと決心した要因になった音楽
 でもあった。

 その当時はあまり英語ができなかったんだけど、それでも彼らが何を言おうとしているか
 感じ取れたし、大きな絶望感は伝わってきた。心を揺さぶられるような気がしたんだ。
 さらに、今から考えるとその中で70年代末期ならではのものがあったと思える。
 
 ファースト・アルバム『アンノウン・プレジャーズ』のジャケットにしても黒地に白い波形が
 あるだけなんだけど凄くインパクトがあったし、どこにも自分たちの写真を載せていない
 のも彼らの主張を感じた。

 70年代ってのは今と違って、音楽とか映画、写真ってものがものすごく重要だったんだ。
 今って娯楽がたくさんあるから一つのことに固執しないのかもしれないけど、当時って
 限られていたから。

 それだけに音楽も多くの人にとってもっと重要だったし、僕もとても大きな影響を受けた。
 そしてもちろん色々な音楽が好きだったんだけど、その中でもジョイ・ディヴィジョンは
 特別な存在だったんだ」
0090『 Factory FAC 424 』
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2009/09/08(火) 03:00:39

『…ジョイ・ディヴィジョンのファースト・アルバム『アンノウン・プレジャーズ』は、かなりの
 アルバム評が書かれるほどのカルト・ヒットとなった。

 ファクトリーは1万枚をプレスし、新しいインディペンデントな流通系統やお店に5000枚
 を送り込んだ。
 もう半分はアランのディズベリーのアパートに持ち帰られた。
 その暗い、1階の、張り出し窓のある居間が、会社の事実上の事務所になっていた。

 ウィルソンとエラスムスは、トラックがこの北部まで荷物を運んできた夜、都合よく出かけ
 ていて、ベースの神様、フッキーが一人で、2階分の階段を、その箱を担ぎ上げなければ
 ならなかった。 大した共同体だ。

 ファクトリーは注目を集め始めていた…』
0091『 Factory FAC 424 』
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2009/09/11(金) 01:50:03

『…ファクトリー・レコードはレコード会社になっていた。
 かなり大事になってきていた。
 それはジョイ・ディヴィジョンにとっても、少し大事になりすぎているようだった。

 真実味という意味では、まあまあ良かったのだが、たまに、少しばかり入れ込み
 すぎてるようにも思えた。
 だが一番入れ込みすぎていたのはイアンかもしれなかった。

 そんな印象は、イアンが何度かステージ上で癲癇の発作を起こしてからさらに
 強くなった。

 ステージに上がるバンド。
 我らがヒーローたちは、互いに向き合うことは、ほとんどなかった。

 彼らの態度、振る舞い、目線は、観客であるあなたに向けられていたのだから…』

0092『 Factory FAC 424 』
垢版 |
2009/09/11(金) 01:54:18

『…顔を見合わせてリズムを盛り上げていこうとするベース・プレイヤーとドラマーは、
 少しベタで恥ずかしく、見られたもんじゃない。
 でもジョイ・ディヴィジョンは、それが必要な夜は、特別な団結心を繰り出した。

 セットの終盤で『トランスミッション』に入り、イアンがセカンド・コーラスを抜けて3つ目
 のヴァースに最大パワーで突入した時、バーナードとピーターほ覗き込み、彼らの
 リード・シンガーをじっと観察した。

 イアンの狂ったように痙攣する腕の動きが少々ターボに入りすぎてるのを感じたら、
 彼が入り込みすぎていることが分かった。
 じゃ、どれだけ保ったのか?

 夜によっては、セットの終盤に差しかかってからで、ある夜は、その曲の最後に
 入ってからだった。
 そうなるとイアンはマイク・スタンドをぶっ倒して、急速に横へよろめきながら、
 フッキーとバーニーと、ロード・マネージャーのテリーの手で、大急ぎでステージから
 担ぎ出された。

 彼を押さえておくのは大変だった。テリーが一番うまかった…』
0093テリー・メイソン(初期のマネージャー、ローディ)
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2009/09/11(金) 01:58:10

「僕はバンドの結成時からメンバーを支えて尽力してきた。

 そこへロブが加わったことで、最も頭を悩ましていた(連絡手段の電話がないという)
 問題は解消された。でも、僕はクビになった。

 どうすべきなのかすごく悩んだよ。腹の立つ出来事だからね。
 あの時は本気でメンバーを訴えようと思った。手続きは知らないけど知識はあったんだ。
 でも、裏付けになる書類は何もなかった。

 僕らの歴史を紙切れで語れるわけもない。
 残された道は2つしかなかった。全てをあきらめて仲間と別れる…つまり、怒ってバンドを
 飛び出してお別れするか、ここに留まるべきか。

 僕にとって…バンドは最高の道楽さ。
 バンドをやる気のある人はがいればぜひやってみて欲しい。最高に楽しいんだ。
 人生を賭ける必要はないが試してほしいね」
0094テリー・メイソン(初期のマネージャー、ローディ)
垢版 |
2009/09/11(金) 02:02:04

「僕が世話役になるのはアメリカ・ツアーからだった。

 サウンドと無関係な完全な裏方に回る予定だったんだ。
 仕事の中身はイアンに薬を飲ませること、ホテルへ連れ帰ること、それから
 十分な睡眠と食事の管理をすることだった。

 アメリカ中でツアーをやるのは大仕事だからね。イギリスとは全くの別世界さ。
 メンバーが行く先々で男女を問わず熱狂的なファンが押し寄せてくるはずだった。
 『10分だけでもイアンと過ごしたい』と。
 彼はジム・モリソンのようにアメリカ中で敬愛されたことだろう。

 僕は期待で一杯で張り切っていたよ、いい仕事をしてイアンをしっかり支えようとね。
 確かにバンドの活動中対立したこともあったけど、イアンと一緒に過ごすのが楽しみ
 だった。

 僕たちは夢がかなうと思っていたが、イアンだけはつらい病気を抱えてた。
 苦しんでたんだ」
0095『コントロール』
垢版 |
2009/09/11(金) 02:04:48
(映画『コントロール』でのロブ・グレットンのセリフ)

『いよいよだぞ。荷物をまとめておけ。

 5月19日アメリカへ出発する。2週間のツアーだ。
 認められるぞ、大物になるんだ。

 成功を祈って乾杯だ!』

0097ピーター・フック
垢版 |
2009/09/15(火) 01:40:34

「笑いが絶えないなか、唯一の気がかりはイアンの病気だった。でも彼も頑張っていた」

「イアンの病気についてはみんな無視できるような気がしていたんだ。
 バンドがあまりにも調子が良かったので、勢いだけで乗り切れるような気持ちになっていた。
 そしてイアン自身も、そう思い込もうとしていた。

 そのストレスが今思えば病気を悪化させていた。
 睡眠不足のせいもあったし、食事も不規則ではしゃぎすぎていた。
 イアンは病気で極度のストレスにさらされ、単純に限界を超えていたんだ」
0098バーナード・サムナー
垢版 |
2009/09/15(火) 01:45:58

「彼の発作は突然起きたし、重症で強いものだった。
 放っといても治まるとかいう生易しいものじゃない。強くて激烈な大発作だ。
 自分の子供も抱けず、車の運転も禁止。駅ではホームの端に用心した」

「(癲癇治療の薬の副作用で)ある日は陽気に笑っていたかと思うと、次の日は暗く
 落ち込んでシクシク泣く。
 そんなこと薬を飲む前にはなかったよ。感情の起伏が激しい奴じゃなかったんだ。

 彼は他に女性関係でも問題を抱えてた。恋人のアニークと妻と。
 その間で、ひどく難しい決断を迫られていた。子供もいて」
0099アニーク・オノレ
垢版 |
2009/09/15(火) 01:51:41

「信じられなかったわ。4人とも冗談を言ったりする普通の若者よ。
 なのにあんな深く重い音を作り出すなんて…。

 特にイアンはステージに上がると自分から抜け出して別人になった。
 何か強力なパワーが乗り移って、別世界から来て、また別の世界へ入ってしまう。
 感情も高まって、とても強いけど繊細で傷つきやすい人に見えた。
 勇気があったと思うわ。あんな風に歌い、踊るのはね」

「彼の発作を何度か見たことあるけど心底恐ろしかったわ。
 悪魔が憑いたようで。
 信じてもらえないでしょうけど、本当に体が地面から浮きあがるの」
0100デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/15(火) 02:01:46
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「私たちの間が何かおかしいと気がついたのは、簡単なことからだった。
 英国てんかん協会から私宛てに送ってきた印刷物のどれを読んでも、イアンの行動に対して
 私が準備できるものはなかった。

 援助を受けるためにどこへ行ったらいいのか、あるいはたとえてんかんが本当に犯人である
 にしても、どうしたらいいのか私は分からなかった。

 イアンは常にエキセントリックで、精神分裂的な性格の持ち主になってしまった。
 私の十代の時には非常に魅力的だったのに、そこがまるで違うようになっていた。

 今では、彼の中の不快なところや嘘つきの面の方が強いように見える。
 バンドのメンバーとコミュニケーションをとるにはイアンを通してしかなく、彼はメンバーにも
 心配をかけていたけれども、イアンの問題の多くが私のせいだと彼らに非難されているように
 感じていた。

 みんな以前のようにはフレンドリーではなくなっていたけれど、それは理解できることだった。
 イアンは、私が彼の人生をいかに不幸にしているかを仲間に話すのがお決まりになっていた
 というし、ピーター・フックが私に語った事によると、礼儀知らずのイメージが伝わっていたらしい。

 私たちの結婚生活は破綻し、彼は私に話をしなくなった」
0101『コントロール』
垢版 |
2009/09/15(火) 02:04:59
(映画『コントロール』での デボラ・カーティスのセリフ)

『アニークって? いつからなの? 

 答えてよ!私を無視しないで!

 いつからなの? 愛してるの? 彼女を愛してるの?

 あなたを愛してる、心の底から愛してる。
 誰も私のようには愛せない…。

 返事して!何とか言って!

 こんなのあんまりよ、ひどい仕打ちだわ』
0102『 Factory FAC 424 』
垢版 |
2009/09/19(土) 00:22:54

『…イアンの旅立ちの何週間か前、ウィルソンは昼間の仕事のためにロンドン行きの早朝の
 電車に乗らなければならなかった。

 彼はイギリス一の時事番組「ワールド・イン・アクション」への暫定的な昇進を迎え、ロンドン
 でのミーティングに呼ばれた。 7時半の電車のために、ピカデリー駅へ車を運転していて、
 駅駐車場に入るためにドゥーシー街まで来た時、イアンとアニークの恋人たちが、陰鬱に
 歩いているのを見かけた。

 ふたりは、一晩中歩いていたかのように歩いていた。
 ふたりは、地獄にいるかのように歩いていた。
 ふたりは、天国にいるかのように歩いていた。
 ウィルソンは車を停めた。「やあ、おふたりさん。何してんだい?」

 「ただ散歩してるだけさ。アニークは、ロンドンに戻る電車に乗らなければならないんだ」
 答えはゆっくり、仕方なく、素っ気なく口から出た。
 ふたりは一晩中街を歩いていた。どこにも行く当てのない愛。

 「そ、そうか。じゃ、また電車の中で」
 夜に街を歩くことと、死は、最高のベッドを共にする相手だ。ディケンズの『ドンビー父子』に
 銘記されているキャストの半分が、本の半分くらいで死んでしまう。タイトルの息子、
 若いポールは、1ページ目から病気がちだ。
 健康のために海岸にいて、彼は、波が何を語っているのかずっと人々に聞いている。

 ポールが死ぬのは「波が何を話していたか」という章で、ディケンズが、夜明けまで、何晩かの
 暗く長い夜、パリの街を歩いた後に書いた章だ。街を歩く時は、どこにも行くところがない時だ。
 家もなく、ベッドもなく、どうしていいか分からない時。そんな時は死をより近く感じる。

 ロンドンのユーストンへ向けて、マンチェスターのピカデリーからプルマン車両が出発する時の、
 あの早朝の普通さの中に感じたのはそんな気分だった…』
0103『 Factory FAC 424 』
垢版 |
2009/09/19(土) 00:35:36

『…チェシアの証券ブローカーが占めるベルト地帯の端にあり、 イギリスのどの店よりも
 シャンパンの売り上げが多い酒屋の誇る村からたった4マイルしか離れていない工業の町
 であるこの狭い地区、 蚕がシルク生産を牽引してきただけの、 テキスタイル狂いの、 この
 イギリスの北西部の町、 奇妙さのハイブリッドのような町であるマクルスフィールドの、
 数ある妙なことは、どのロンドンの列車でもなぜか停車することだった。

 まるで誰かが、マクルスフィールドが世界の舞台に出ることを知っていたかのように。

 ウィルソンは、マクルスフィールドまでの15分間が、しばらくは、イアンとアニークの、最後の
 時間だと分かっていたから、ふたりにしておいてあげた。
 彼はマクルスフィールドのホームで、アニークに手を振っているイアンの姿を見かけた。
 グレーのレインコートで、徹夜の疲労がその顔に浮かんでいた。
 それとも、彼が襲われていた、彼がバンドの中で、言葉にできたものと、できなかった、感情
 による疲労なのか。

 気を使った10分間の空白の後、ウィルソンはアニークが座っていた2等へと戻っていった。
 悲しい目をした女性との他愛のない世間話。新しいアルバムに触れたことが始めてしまった。
 「で、アニーク、アルバムはどう思う?」  「ひどいと思うわ」
 「アルバムが?」  「ううん、違うの。 音楽じゃなくて、それが示唆するものよ。 分かるでしょ?
 彼はそれを本気で思ってるのよ。 ただの歌詞じゃないの。 ただの歌じゃないの。
 彼は本気なのよ」
 「というと?」 「彼が、僕が責任を取る≠ニいうことよ。分かるでしょ?彼はそのまんまなの。
 全部自分の責任だと思ってるの。すべてがリアルすぎるの」

 ウィルソンは頷いた。 そして何も考えなかった。 彼女は恋していた。
 彼女は音楽を真剣に受け止めすぎていた。彼女はベルギー人だった。
 彼女は何でも真剣に考えすぎた。
 ただのLPじゃないか。すごいLPだが、リアルではなかった。
 人生のように。
 彼は間違っていた。完全に、全く、間違っていた…』
0104スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/09/19(土) 00:40:58

「タイトルは、それらがラヴ・ソングでもなく、ありふれたロックでもないことを仄めかしていたけど、
 その一方で、こうも思うだろう。
 『アトロシティ・エクシビション』、いいタイトルだ、(J・G・)バラードか、イメージもいい。はい次。

 そこには確かに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしている、ってことに
 すぎなかった。彼は作詞家だった。
 歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ」
0105バーナード・サムナー
垢版 |
2009/09/19(土) 00:43:43

「今でも覚えてるよ。

 ある夜、イアンが俺に言ったんだ。『不思議だ。今回は歌詞が自然にすらすら書けた』
 『いつもは苦心して書きあげるんだ、出だしよりも終わりでもがく、でも今回は全曲楽にかけた』。
 でも 『閉所恐怖症の感覚にも陥った』 って。

 『まるで渦巻く波に呑み込まれて、溺れていく感じ』 だと…」
0106ピーター・フック
垢版 |
2009/09/19(土) 00:52:34

「イアンはアニークを連れてくるようになり、それが力関係をまるごと変えてしまったんだ。
 彼はアニークに、アーティストっぼい、苦悶に満ちた人間であることを印象付けようとしていた。
 詩を読み、それを深く掘り下げたりしながら…。

 バーナードと俺は、まさにありのままの姿で振る舞おうとした。
 若者らしく、バカなまねをして、ロックンロール・ドリームを地でいって、ふざけ合って、大声で
 笑って、Hな雑誌を読んで。俺たちと一緒にいる時は、イアンもそれに付き合ってくれたんだ。
 彼自身も少し少年に戻ってね ―― たぶん思いやりだったんだろう ―― 分からないけど。

 だけど、アニークの前ではそんな風にしたがらなかった。
 アニークの前では感受性の強いアーティストであり、俺たちは道化者だった。
 おそらく彼はデビーといた時の自分に戻ったんだろう。
 物静かで、面白味のない奴に…。俺たちの前だと彼はおふざけに加わった。

 分からないけど、たぶん、それが彼の本当の姿 ―― 彼はただ俺たちに対して、粗野な男の
 世界に入り込んだ男であるフリをしていたんだよ。
 いや、もしかしたら、アニークに、そしてデビーに対して装っていたのかもしれない。

 イアンはそんなヤツだったよ。彼はあらゆる人に対してあらゆるものになれたんだ。
 いつも無理をして、人に合わせてマスクを変える。
 彼はそれができたけど、それは彼にとって問題でもあった。プレッシャーになったんだ。

 やがてアニークはイアンに言い始めた。
 キーボードを入れるのは嫌、まるでジェネシスみたいだ、って。それが彼をパニックに陥れたんだ」
0107デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/19(土) 01:04:50
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「イアンは『クローサー』の詩を書いたりレコーディングしている時は大体恍惚状態に入っている
 ように見えた。緊張したり感情が高ぶっている時、彼は別世界にいた。
 歌詞を生み出すには、彼の人生で競争心や闘う情熱は必要だったのかしらと私は思う。

 その他の連中はごく普通にやっていた。
 彼らはお互いジョークを仕掛けるのに非常に慣れてきたので、メリルボーンのアパートに戻って
 くると毎回誰もが自分の持ち物や部屋、冷蔵庫の隅などをチェックするのだった。
 トニー・ウィルソンがマンチェスターまでヴァンで戻る準備をしている時、ジョークの洗礼を受けた。
 ドアの取手がジャムを塗りたくられて、彼は小麦粉と卵の混ぜたものを投げつけられた。
 そこで仕方なく彼はヴァンの中に入っていくしかなく、そして逃げていった。

 私はマクルスフィールドに戻って、歩道をゆっくりと歩いていた。
 再びイアンのいない淋しい身となった。
 私は乳母車を押したり、ドゥルッティ・コラムの『ザ・リターン・オブ・ザ・ドゥルッティ・コラム』を
 聴いたりしながら時間を過ごした。
 その音楽はとても悲しげで感情に訴えてくるのでレコードをかけるのに唯一相応しいように思われた」

 
0108デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/19(土) 01:08:24
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「するとある日、イアンが電話をかけてきて非常に静かな声で『もう大丈夫。彼女とは話をつけた』と
 言った。私は再び一緒になっている私たちを想像し、二人の未来を夢見た。
 ドゥルッティ・コラムの紙やすりで覆われたアルバムを再びかけた。
 そのメロディーのニュアンスは、 ちょっと変わったムードを持っており、 実際、 私は恍惚となり
 家の中で踊りまくった。不思議にもなんとか夫を取り戻したのだと強く思いながら。

 トニー・ウィルソンはアニークが気落ちしている間、列車の旅に同行させた。
 彼女はトニーに『クローサー』は嫌いと語ったが、その訳は、実はイアンは叙情詩を意図していて、
 罪悪感を感じながら歌っていると彼女が信じていたからという。

 私と違って彼女は、イアンが死ぬ前に『クローサー』の詩を知るという特典を持てた。
 彼女は、イアンの心の中に去来したことのヒントを掴むのに十分なほど敏感だったかも知れないが、
 彼女の忠告は無視された。
 
 イアンはレコーディングしたての『クローサー』のカセットテープを持って家に帰ってきた。
 それを聴いていればおそらく私も、彼の心の中に起こったことへのある種の洞察を得ただろうに
 と思う。だけど家にはカセット・デッキがなかった。

 アニークに『もう終わりだ』と伝えたとイアンが言っているにもかかわらず、彼女は男友達の名を
 かたって電話をかけてきた。
 イアンが彼女と話をするのを拒否したので、私が彼女と話すからと言うと、相手は電話を切った」
0109『アイソレーション』
垢版 |
2009/09/19(土) 01:10:59
(映画『コントロール』本編字幕より)

『母さん、僕は頑張った
 一生懸命やってるんだ
 今までのことを恥じている
 こんな自分が恥ずかしい

 良さに気付いてくれたら
 こんな言い方はしない
 ひとりよがりな快楽
 それが僕へのご褒美なのか

 孤立、孤立、孤立…』
0110『コントロール』
垢版 |
2009/09/19(土) 01:13:12
(映画『コントロール』での マーティン・ハネットのセリフ)


『イアン、いいよ……まさに天才的だ』



0111ジェネシス・P・オリッジ
垢版 |
2009/09/23(水) 00:39:43

「私たちはものの見方や作家の話もしたけど、彼が一番話したのは自分の気持の問題だった。

 『人の抱いているイメージと実際の自分は違う。それがどんどんイヤになってる』
 『イアンは2人いる。 1人はメディアの存在でバンドの歌手、もう一人は実際のイアン。
 傷だらけで怒れる……孤独な人間』

 『もし本当の自分を見せたら、人はそっぽを向くだろう』と…」
0112スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/09/23(水) 00:46:23

「『アンノウン・プレジャーズ』でイアンがやっていたことは、キャラクターを演じることだったと思うよ。
 そして彼は、他者の視点を通して詞を書いていたんだ。
 推測するに、彼はまた違った視野を基にものを書いていたんだと思う。

 当時は『クローサー』でも同じことをやっていると感じていた ―― 今になって分かったんだけど、
 必ずしもそうじゃない。彼はもうキャラクターを描き出してはいなかった。
 それは全て、彼自身とその人生についてだったんだ。

 おそらく彼は俺たちに何かを言おうとしていたんだろう。
 それに対して俺たちに何ができたのかは分からないけどね。彼は明らかに何かに悩んでいた。
 では、当時なぜ俺たちは彼に何も言ってあげなかったのか? って思うだろう。

 最後の数週間が訪れる前、これらの曲を完成させた後に、ああ、彼はトラブルを抱えてるんだ、と
 気付くチャンスがあったかもしれない。
 人生は彼を悩ませていた。だけど、これらの曲を歌っていた時はそうじゃなかったんだ。

 彼は抱えている問題について俺たちには一切何も言わなかったよ。
 ああ、無理だよね。 いや、無理だったよね。 俺たちには分からなかった。 当時はね」
0113ピーター・フック
垢版 |
2009/09/23(水) 00:52:23

「素晴らしい詞だと心から思うよ。

 それは、彼自身やその生き方について描かれたものだからというわけじゃなくてね。
 結局は、俺は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常生活では言わなかった何かを
 必死で俺たちに伝えようとしていたことに気付かなかったんだ。

 俺は、ただ思った。
 ああ、あれが彼の仕事で、彼は言葉を発しているんだ。素晴らしい言葉だ。
 そして、それは何かを言わんとしているけど、現実のことじゃないさ、って」


「『大丈夫か?』俺たちは言う。 『無理するなよ』。 『身体に気を付けろよ』。
 そんなまっただ中だったけど、俺たちはこの作品を作っていて、何も分からなかった。

 まさか。彼は俺たちの前では普通に見えたよ。
 その普通さは、酷い癲癇を患った人のそれであり、愛人と妻を持つ人のそれであり、
 ドラッグ過剰摂取によって自ら命を絶とうとする人のそれだった。

 ただ言えるのは、当時、彼が大丈夫だと言ったら、ああいったことが起こっていたにも拘らず、
 俺たちは安心したんだ。
 そして、もしも医者が『気持ちを落ち着けて、こんなことは全て止めるんだ』と言ったなら、彼は
 反対のことをやっただろう」
0114バーナード・サムナー
垢版 |
2009/09/23(水) 00:54:17

「俺たちは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだよ。
 聴いていなかったなんてね。

 彼はそれを書き、俺たちは『いいじゃないか』って思ったけど、自分たちの演奏に必死だったんだ。
 理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だったんだ。

 それらは彼の領域だった。そう思ったよ。
 つまりそれは彼の言いたいこと、彼が自分について大衆に知ってもらいたい事なんだ。
 それが全てさ」
0115スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/09/23(水) 00:58:02

「イアンが全て隠していたんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、実際彼はそうしていたんだ。
 彼は平静を装うのが、物事を偽るのが得意だった。

 彼はすぐに自分の殻に閉じこもった。
 だけど、見方によれは、それなら彼がただ物静かで、深く傷付くことはなかったのだろう、と
 思うかもしれない。

 彼はイタズラや悪ふざけを一緒になってやることも、子供じみたバカな行為に夢中になって
 いるふりもできたんだ。 だから極めて正常に見えるんだ。 そして突然発作を起こす。
 その後は正常に戻るのさ。

 イアンとはそういう奴だった ―― 彼は人が聞きたいだろうと思うことを言った。
 自分は大丈夫だといつも言っていた。
 すると、なんとなく彼の言葉を信じてしまい、そのままやり過ごしてしまうんだ。

 当時、俺たちもそれぞれに問題を抱えていた。 バンドのこと、そして人生のこと。
 彼が抱えていた問題ほどではなかったけど、当時はそれには気付かなかったんだ。
 彼はほとんどの場合、問題なさそうに見えた。 時にダメになった。 仕事で疲れ果てていた。
 俺たちみんながそうだった」
0116『 Factory FAC 424 』
垢版 |
2009/09/23(水) 01:09:24

『…新しいジョイ・ディヴィジョンのアルバムは、ロンドンのブリタニア・スタジオでレコーディング
 された。ハネットはピンク・フロイドのテクノ窟でかなり楽しんでいた。
 そしてその頃、彼らはベリーのダービー・ホールで演奏していた。

 ファクトリー・ナイトが、マンチェスターから北へ8キロほど行った、比較的居心地のいい、
 放射線状に広がる労働者階級の町の市民ホールで予定されていた。
 唯一の問題は、ヘッドラインがジョイ・ディヴィジョンで、イアンはまだ療養中だった。

 睡眠薬のオーバードーズから。 あれ、言ってなかったっけ?
 この本と同じように、睡眠薬のオーバードーズは、その当時、大きく見過ごされていた。

 そう、ロブとそのバンドと、彼の新しいビジネス・パートナー(そうそう、それも言い忘れていた。
 でもとにかくアランとトニーは、彼がファクトリーに残ることで、この冒険が確かなものになった
 ため、ロブを5人目の同等のパートナーとして迎えたが、誰も異を唱える者などいなかったため、
 ここでもあえて何もいうまい)は、病院に見舞いに行き、代わる代わるかわいそうな友人を気遣う
 仲間を演じた。

 ある人たちは、ジョイ・ディヴィジョンの歌詞を、ジョイ・ディヴィジョン的なことを説明するのに
 引用する人もいるが、嫌気が差す。だがノベライズというのは本質的に蔑むべきアート・フォーム
 だから、イアンの友達は、このネガティヴな薬品の服用を、つい最近『コロニー』で書いたように、
 助けを求める叫びとしか見ていなかった。

 歌詞だ! バンドとその相棒たちがイアンのオーバードーズをそう考えていた。
 そして彼らは手助けするつもりだった。そうでしょ。
 そしてとにかく、弾をこめた拳銃は答えにならないと歌った『ニュー・ドーン・フェイズ』があった。

 ありがとう、イアン、分かったろ? カートに教えてやってくれ。
 だが、その台詞の前向きな道徳が浸透していく間、カーティスは自分の物語に捻りを加え、短い
 邪悪な間の後に、この人生への肯定は、実際、自分の意見でしかないことを示していた。
 聴衆の意見として。 彼のではなく…』
0117リンジー・リード
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2009/09/23(水) 01:12:24

「(暴動の起こったダービー・ホールでのライブのあとで)
 イアンは『僕は舞台の袖で見てた。バンドが僕なしで演奏するのを…』
 『きっとこれからも僕なしでやっていく。きっとそうなんだ…』って。怖かったわ」

0118ピーター・フック
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2009/09/23(水) 01:14:05

「彼はナイフで自殺未遂を…『うんざりだ』と言って。

 だが、最初の過剰摂取の時も俺達は何もせず…。
 まったく信じられないよ、自殺を止める努力をしなかったんだ」
0119デボラ・カーティス 
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2009/09/23(水) 01:22:46
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「イアンの自殺未遂の結果として一つだけ良かったのは、パークサイド病院で一人の精神病医と
 彼が出会えたことだ。
 驚くべきことに、イアンがその精神病医を訪問するその日が来た時、私たちは一緒に行ったのだ。

 道すがら、彼は音楽ビジネスでどれだけ不幸せだったかを私に語った。 『トランスミッション』と
 『アンノウン・プレジャーズ』が発売された時に自分の野望は達成されてしまった、と彼は言うのだ。
 もう彼がやるべきことは何も残っていなかった。

 彼がやりたかったことは一枚のアルバムとシングルを作ることで達成されてしまい、『ラヴ・ウィル・
 テア・アス・アパート』や『クローサー』をレコーディングする野望に結びついていかなかった。
 私が運転している時、どんなにかジョイ・ディヴィジョンを辞めたいか、そしてサーカスに入りたい
 んだと語った。

 今は精神病院を訪ねる途中なんだと言い聞かせることで私は自分自身を慰めていた。 そして
 “逃避する”という陳腐な表現を演じようと思っている夫の一応妻なのだということを振り捨てた。
 彼は辞めたい希望をスティーヴン・モリスには漏らしていた。
 しかしスティーヴはイアンがオランダに住みたがっているとしか思っていなかった」
0120スティーヴン・モリス
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2009/09/23(水) 01:24:32

「あるとき、彼は電話で『バンドを辞める、オランダへ移り住んで本屋をやりたい』って。
 
 俺は『いいね』でもすぐにマネージャーのロブが『土曜日はライブだぞ!』。
 彼は辞めたいと言ってたけど仕方なかったんだ」
0121『幸福の王子』
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2009/09/23(水) 01:34:00
(オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳)

『…次の日、ツバメは波止場へ行きました。
 大きな船のマストの上にとまり、水夫たちが大きな箱を船倉からロープで引きずり出すのを
 見ました。箱が一つ出るたびに「よいこらせ!」と水夫たちは叫びました。
 「僕はエジプトに行くんだよ!」とツバメも大声を出しましたが、誰も気にしませんでした。

 月が出るとツバメは幸福の王子のところに戻りました。
 「お別れを言いにやってきました」ツバメは声をあげました。

 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」と王子は言いました。
 「もう一晩泊まってくれないか」

 「もう冬です」ツバメは答えました。「冷たい雪がまもなくここにも降るでしょう。
 エジプトでは太陽の光が緑のシュロの木に温かく注ぎ、ワニたちは泥の中に寝そべって
 のんびり過ごしています。
 友人たちは、バールベック寺院の中に巣を作っており、ピンクと白のハトがそれを見て、
 クークーと鳴き交わしています。

 王子様。 僕は行かなくてはなりません。 あなたのことは決して忘れません。
 来年の春、僕はあなたがあげてしまった宝石二つの代わりに、美しい宝石を二つ持って帰って
 きます。ルビーは赤いバラよりも赤く、サファイアは大海のように青いものになるでしょう」

 「下のほうに広場がある」と幸福の王子は言いました。
 「そこに小さなマッチ売りの少女がいる。マッチを溝に落としてしまい、全部駄目になってしまった。
 お金を持って帰れなかったら、お父さんが女の子をぶつだろう。だから女の子は泣いている。
 あの子は靴も靴下もはいていないし、何も頭にかぶっていない。
 私の残っている目を取り出して、あの子にやってほしい。そうすればお父さんからぶたれないだろう」

 「もう一晩、あなたのところに泊まりましょう…」ツバメは言いました…』
0123阿木 譲
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2009/09/24(木) 01:03:29
「先日春の陽気に誘われて堀江の小さなブティックの前を通り過ぎたときに店頭に飾られていた
"white radio waveform, pulsar CP 1919"がプリントされたTシャツ。記号化されたそれこそが
現在のジョイ・ディヴィジョンのリアルな姿なのだ。もはやこれもファッションだ。イアン・
カーティスの声と詩すらも時代とともに遠のき色褪せていく。それが正解だ。
いまだに感情移入している奴こそ可笑しいのだ。」
0125ピーター・サヴィル
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2009/09/27(日) 06:02:24

「彼らにベルナール・ピエールの写真を見せたんだ。 ネオ・クラシカルな写真だと思って。
 それを彼らも気に入り、いい作品になった。

 イアンも気に入った。 これは深い話に繋がる。

 今思えば、彼の曲、彼の考えていたこと、気持ち。
 その上で(『クローサー』のジャケットとして)選んだのが墓地の写真だったんだ」
0126スティーヴン・モリス
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2009/09/27(日) 06:04:27

「なんとも恐ろしい偶然の一致に思えるよ。カヴァーに使った写真さ。

 俺たちがサヴィルのところに行くと、イアンがやけにあの写真を気に入ったんだ。
 あれこそが彼の望んだものだった。

 彼の詞を見れば、それが彼にとって納得のいくものであったことは明らかだよ。
 あれは彼のアイデアさ ―― 俺たちのせいじゃない」
0127デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/27(日) 06:07:11
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「私がイアンを疑っていた頃、ジョイ・ディヴィジョンのギグをしばらくの間減らそうという提案が
 出てきたわけではなかった。
 1980年の4月と5月の彼らは、演奏したりリハーサルしたりするのに常に忙しくしているように
 見えた。私は特に来るアメリカ・ツアーに備えて休んだ方がいいと思っていたので、イアンが
 休息のために家を空けると言っても驚かなかった。

 ダービーにある小さなパブで過ごしたいと言ったので、『私も行けるの?』と聞いた。
 一人の時間が必要なんだと丁寧に説明するので私は了承した。
 彼はわずか二日間だけ留守にし、私は怪しいと思い始めた。
 またしても、どうやっても彼と連絡とれる方法がないことに気づき、ロブ・グレットンに電話して
 彼が電話番号を伝えていないかどうか確かめた。

 彼は私にいらだっているようで、「それは君たち二人の問題だろ?二人で話し合えないのか?」
 と言ってきたので、私は途方に暮れた。
 彼は明らかに怒っていたし、そのいらいらしている声の調子に私は心が痛んだ。

 何が起こっているのか本当のことを、誰か私に教えてほしいだけなのに。
 私は情緒不安定になった。私の知らないところで行われていることが、心にわだかまり、
 孤独に耐え切れず両親に電話した。

 ロブが電話をかけ直してきた時には、私は家を後にしていた。
 実際、ロブは気が短かった。
 私が電話した時、彼とリンジーのアパートにはイアンとアニークがじっとしていたのだから」
0128デボラ・カーティス 
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2009/09/27(日) 06:10:22
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「再び人生をやり直すためには、明らかに彼と別れる必要があった。
 そして、彼も内心は私と別れたいと思っているに違いなかった。

 突然、私はアニークに怒りを覚えた。彼女にはセクシーな訛りがあり、ベルギー大使館で仕事
 をしているので、見たところヨーロッパ中をジョイ・ディヴィジョンを追いかけていくだけの時間と
 お金もあるようだった。
 私はイアンの妻だし、彼の子供の母でもあるので、もっと自分の立場が認められてもいいはず
 だと思っていたが、結局そのようにはならなかった。徹底して奪われてしまった。

 本来の均衡を取り戻そうとして、大使館にいる彼女に電話した。
 そして、『私はイアンと離婚して、姦通相手としてあなたの名前を明かすつもりよ』と叫んだ。
 彼女は口ごもりながら『あなたのお望みの通りに従うわ』と答えた。
 マクルスフィールド州裁判所で働いていた経験で言うと、姦通相手として名を明かされることは
 実に恥ずべきことと私は思っていた。

 離婚するのは面倒なことだったが、一旦決めてしまえば素晴らしいことに思えた。
 双肩にのっかっていた巨大な重りがなくなったかのようだった。
 その瞬間、正直に言ってイアンともう関わらなくてもいいんだと本当に思った。
 これで、イアンの生活を落ち着かせようとしているロブ、トニー、そしてアニークのもとを離れる
 ことができた。
 
 彼の最大の悩みである私がいなくなることが、彼のために尽すことであると信じた。
 もしイアンが私たちの離婚を認める勇気を持たないのなら、私が持つだけだ。 
 私は人生を台無しにしてしまったことを認め、過去を水に流して再出発する計画を立て始めた」



0129ピーター・フック
垢版 |
2009/09/27(日) 06:15:38

「彼には相当なプレッシャーがあったよ。

 間近に迫ったアメリカ・ツアーはとてつもないプレッシャーとなり、片付けなければならないことも
 山ほどあった。ギグ、二重生活、作詞、レコーディング……彼が『やりたい』と言った時には、
 俺たちはその言葉を信じたんだ。

 だけど、彼がそう言ったのは、俺たちをガッカリさせたくなかったからさ。
 彼にはそんなことは無理だったんだ。

 俺たちにはバンドとしての力があったけど、個人としては、それ相応にストレスに屈していたんだ。
 あの出来事に対する俺の反応は、ある意味、無骨で粗野に振る舞うことだった。
 俺の中の凶暴さが誇張された、と言ってもいいかもしれない。

 ああいう状況に置かれることで、心の奥底にあるものが、ある意味誇張された。
 そして、俺は、粗暴に振る舞うという自分なりの方法で、混沌から抜け出そうとしたんだ」


「ショックだったのは、俺が金曜に彼を実家に送ったことだ。俺のオンボロ車で。
 KFR666F……ナンバーも覚えてる。
 それで、俺達は興奮して大はしゃぎだった。ツアーまで待ち切れなかったんだ。

 イアンはデビーと会う予定で、少し緊張していた。
 でも実際……会う前に奴は……だから、その時、死ぬつもりはなかったはずだよ。
 絶対にあり得ない、よほど演技がうまくない限りは。

 土曜の夜、彼はマクルスフィールドに行き……後はご存じの通りだ」
0130『コントロール』
垢版 |
2009/09/27(日) 06:18:56
(映画『コントロール』でのイアン・カーティスのセリフ)

『僕だよ。
 今夜は行けない。 デビーに話がある。
 
 ……どうかな、でも話す必要があるんだ。
 月曜日に空港で会おう…」


0131アニーク・オノレ
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2009/09/27(日) 06:49:03

「私はイギリスへ戻る前の5日間ベルギーにいた。

 彼と最後に話したのは土曜で、ほんの短い時間だった。 声も遠くて……。
 私は騒がしい楽屋にいたから。

 彼は言ったわ。
 『アメリカに旅発つ前に、絶対会いたい』って。 『でなきゃ7、8週間も会えなくなる』。

 翌日彼が私の家に電話してくることになった。
 彼は1人でレコードを聴いていて、そのあと映画を観ると言ったわ」
0132デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/27(日) 06:58:59
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「バートン・ストリートで朝にはまだ大分早い時間に、イアンはヴェルナー・ヘルツォークの映画
 を見ていた。
 私が帰って来た時、彼は大きなジャーに入ったコーヒーをほとんど飲み干していて、もう一つの
 マグカップに入ったどろっとした真っ黒な飲み物を勝手に飲んでいた。

 彼は離婚を取り消すように頼んできた。
 そう言ってても、朝には気が変わってしまうだろうからと私は主張した。
 その夜、愛しているかどうかについての話は出なかったが、最後になって、その名前があがって
 きたのは、私を愛していないと彼が言った時だった。

 彼は夕方、アニークと話してきたと言った。
 彼らの関係はまだとてもいきいきとしていた。

 私は一気に疲れてきた。 私たちの会話は堂々巡りしていた」
0133デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/09/27(日) 07:02:47
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「私が出て行った後も、イアンはまだコーヒーを作っていた。
 食料貯蔵室には彼が最後の一滴まで絞り取った空のウィスキーのボトルがあった。

 彼はイギー・ポップの『チャイナ・ガール』を聴いた。

 壁に貼ってあったナタリーの写真を剥がし、私たちの結婚の時の写真をタンスから取り出し、
 座って私に手紙を書き始めた。
 それは、彼が詩を書いていたのと同じ、のたくった大文字で綴られた、長く、とても親密な
 手紙だった。

 彼は死ぬことを望んでいるとよく言っていたが、自殺したいとは実際には言っていなかった。
 一緒に過ごした私達の生活や、ロマンスと情熱、私への愛、ナタリーへの愛、
 そしてアニークへの憎しみについて綴られていた。
 彼はアニークを憎むなんてできなかったはずなのに。

 私は彼が誰かを憎んでいると言うのを聞いたことがなかった。
 それは私を喜ばせようとして書いたのだと思う。
 たとえ家庭を取り戻すためであっても、アニークにもう会いたくないと言えるほど冷たい男に
 なれないと語っていたのに、手紙には反対のことが一杯綴られていた。
 彼は私と話すのがしんどいから、しばらくの聞連絡を取らないように頼んできたのだ。

 手紙を書き終えるころには、『 夜が明けてきた。 鳥のさえずりが聴こえる 』と綴られた」
0134『幸福の王子』
垢版 |
2009/09/27(日) 07:07:47
(オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳)

『…かわいそうな小さなツバメにはどんどん寒くなってきました。

 でも、ツバメは王子の元を離れようとはしませんでした。
 心から王子のことを愛していたからです。
 パン屋が見ていないとき、ツバメはパン屋のドアの外でパン屑を拾い集め、翼をぱたぱたさせて
 自分を暖めようとしました。

 でも、とうとう自分は死ぬのだとわかりました。
 ツバメには、王子の肩までもう一度飛びあがるだけの力しか残っていませんでした。
 
 「さようなら、愛する王子様」ツバメはささやくように言いました。
 「あなたの手にキスをしてもいいですか?」

 「君がとうとうエジプトに行くのは、私もうれしいよ、小さなツバメさん」と王子は言いました。
 「君はここに長居しすぎた。 でも、キスはくちびるにしておくれ。 私も君を愛しているんだ」

 「私はエジプトに行くのではありません」とツバメは言いました。
 「死の家に行くんです。 『死』というのは『眠り』の兄弟、ですよね」

 そしてツバメは幸福の王子のくちびるにキスをして、死んで彼の足元に落ちていきました。

 その瞬間、像の中で何かが砕けたような奇妙な音がしました。
 それは、鉛の心臓がちょうど二つに割れた音なのでした。 ひどく寒い日でしたから…』






0135デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/10/01(木) 06:43:02
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「イアンは1980年5月23日、茶毘に付された。私は、彼の母親のまだ耳に残る生々しい声と、
 バンドのメンバーの表情のない顔を思い出す。

 私は、うまく行くことのなかった私たちに対する恥ずかしい気持ちと、私の深い悲しみを
 分かちあうためにいるすべての人を見なければならないことの辛さを感じていた」

「振り返ってみると、私たちはイアンがいないところで一つのテーブルを囲んで座り、記録を
 比較すべきだった。
 そうすれば、どのくらい彼が助けを必要としていたのかが分かったのにと思う。

 アニークのしつこさは驚くほどだった。
 イアンの死後、長い間、彼女は私たちへ電話をし続けた。
 彼が認めているように、不貞を正当化させるだけではなく、やりやすくさせるような愛人と
 助言者という命取りになるような組み合わせは、イアンをさらに混乱させた。

 25歳以降の人生に対するイアンの若い時からの考えは、本当に変わらなかったようだ。
 彼が必要としたのは、自分のアイドルたちに倣って永遠性を得ることへの理由づけだけで
 あって、ジョイ・ディヴィジョンの一員だったことによって、彼はその胸の張り裂けるような
 理由を組み立てる道具を得たのだった。

 彼の淡い青緑の目は、娘の記憶からなかなか消え去らない。
 長い指を無意識のうちに絡ませる懐かしい癖が受け継がれているのを見ると、彼と私が
 16歳だった時を思い出す。 どんなにか温かく愛されていたことか」
0136デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/10/01(木) 06:46:26
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットンに伝えた時、彼は茫然と
 したが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを
 要約しているように思われた。

 『愛が私たちを引き裂いていく』

 という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表わしていた」

0137『ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート』
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2009/10/01(木) 06:51:11
(映画『コントロール』本編字幕より)

『日常がつらくなり 野心も消えうせて
 怒りが高まっても 感情がついてこない
 僕たちはやり方を変え
 別の道を歩み始める

 そんなとき、愛は ――
 愛は、またしても僕たちを引き裂く

 愛は ――
 愛は、またしても僕たちを引き裂く

 なぜ寝室は こんなに寒いのか
 君は背を向けて眠る
 僕のせいで ひびが入り
 尊敬しあう心も乾くけど
 まだ惹かれているから
 僕たちは共に暮らしている

 それなのに、愛は ――
 愛は、またしても僕たちを引き裂く

 愛は ――
 愛は、またしても僕たちを引き裂く…』
0138アニーク・オノレ
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2009/10/01(木) 06:52:28

「彼らはあの曲のパワーを知らずただのラブ・ソングだと思ってた。

 彼らのひとりひとりは普通だけど、バンドとして結びつくとある種の大きな力を発揮したの、
 まさにオーラを発してた。

 イアンは『オーラ』と言ってたけど、まさに何か……不思議な光が彼の中で燃えてた」

0139デボラ・カーティス 
垢版 |
2009/10/01(木) 06:56:23
(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より)

「『クローサー』が発売されたことによって、イアンに近しい人々は突然今まで疑問だったことに
 実感が持てるようになった。

 彼の意志と感情はすべて歌詞の中にあった。

 生きている間は彼の詩はどちらの意味にも取れるような表現だったが、亡くなったことによって
 はじめて、あと知恵ですべてが明らかになったのだ。
 そのような微妙な表現を伴う作品は偶然に生まれたわけではなかった。

 私にとって、『クローサー』はイアンの告別の辞であり、ジョイ・ディヴィジョンの最高の作品
 だった。

 彼は、成功という約束を果たすことによって、私たちを言いくるめ、私たちを教育したのだ。
 成功がどのようなものかを私たちに示した後、私たちにほんの一口甘い汁を与えてから、
 私たちを絶壁に置き去りにしたのだ」
0140スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/10/01(木) 06:59:55

「最後のアルバムになるなんて想像もしなかったよ。
 前作より出来が良かったんだ。曲も何もかも、本当に…」

「どう言えばいいか……悲しみと怒りが半々だ。本当に。
 彼には腹が立つ、自殺するなんて……バカだ。

 それから、自分に対しても腹が立つ。何もしなかったことに…」
0141ピーター・フック
垢版 |
2009/10/01(木) 07:02:19

「そのあとは、よく覚えてないんだ。ほとんどパブで過ごしたと思う。
 トゥイニーやテリーやバーナードとパブで過ごしたよ、事態が受け入れられず…」

「俺たちは通夜に行かなかった。

 今、人生最大の後悔は会いに行かなかったことだよ。命を絶った彼に…心底悔やんでる。

 俺たちは若くて何も分かってなかった。
 誰かに聞かれた時も『死体なんか見たくねぇ』、『22歳だ。パブに行く』。

 だが、今は別れを言っておきたかったと…。
 行かなかったのは俺とバーナードだけ、他の皆は行った」
0142バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/01(木) 07:07:20

「彼がいつそれを決意したのかは分からない。

 アルバムを作り終え、そしてシングルも、それらの仕事を片付けた時点だろうか。
 俺たちは彼の状態、そして行動にある意味慣れてしまっていた ―― 発作、緊張、不調、
 そして、それらが起こした劇的な状況。

 だから、大きなショックだったのは、俺たちがそれを予想もしていなかったことだ。
 それは本当に大きなショックだったよ。

 もしかしたら、俺たちはそれにもう少し冷静に対処すべきだったかもしれない。
 突っ走るのを止めるべきだったんだ。

 でも当時は、それが俺たちにとって当たり前であり、日常的な仕事だと思っていたんだ。
 それは限界にきていた。

 俺たちは言うべきだったんだ。『 さあ、止めてくれ、俺たちは降りるんだ 』 って。
 でも、誰が言うのかって?
 誰が言えるというのだろう。『 さあ、やめよう 』 なんて」
0143バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/01(木) 07:10:21

「彼は鬱病とドラッグのせいでに気分の変動が激しかったんだ。

 彼は、結婚生活の破綻とそれが彼の幼い娘に与える影響のことを考え、激しい自責の念に
 駆られていた。
 彼はアニークと一緒にいることを強く望んでいた。彼は酷い癲癇に苦しんでいた。
 彼は他のバンド・メンバーを失望させたくなかった。
 プレッシャーは計り知れず、解決策はそれほどなかった。

 彼が行なったことに対して怒りを感じるよ。

 彼は俺を失望させた。彼は自分の妻を失望させた。彼は娘を失望させた。
 彼はバンドを失望させた。
 
 でも、彼が経験してきたことを経験するなんて想像もできないさ。
 彼はそれほどの苦境に立たされていたんだ」
0144ピーター・フック
垢版 |
2009/10/01(木) 07:13:07

「バンドの足を引っ張ってる、という引け目が彼を駆り立てたんだと思う。

 彼には分かってたんだ。
 成功は皆の望みだったし、皆が楽しんでもいた。だからこそ期待に応えようとした」


0145『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/10/01(木) 07:20:49
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのナレーション』

『最後、ジョイ・ディヴィジョンは衝撃的に終わった。

 そういう場合、大抵、物語も終わってしまう。 だがそこで終わらせないことが重要なんだ』


0146スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/10/04(日) 08:01:00

「俺たちは、ただ続けたんだ。

 月曜日に仕事に現れた。 次は何をすればいい?って。 何があろうともね」
0147バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/04(日) 08:02:54

「俺たちは当時既に、ジョイ・ディヴィジョンとしてある程度の成功を収め、世間的にも認知
 され始めてたわけで、それが出し抜けに全部終わってしまったわけだろ。

 そこからもう一度やり直すっていうのは、ものすごく難しいことだったよ」

0149バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/04(日) 08:07:05

「ああ、何にせよ楽じゃなかったね。

 もう一度仕切り直して新しいスタートを切らなきゃならなかったわけだから……」
0150ピーター・フック
垢版 |
2009/10/04(日) 08:08:54

「そうだね。
 しかも、壊したのは俺たちじゃなかったから」

0151ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/04(日) 08:19:01
(1981年2月9日、ロンドン、チャリング・クロスのヘブンで行われたライヴ評)

『ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーヘと移行していった彼らだが、そのことについて
 ひとつ言えるとしたら、誰一人として、そのことについてきちんと考えていなさそうだった、
 ということだ。

 けれども、そこには不思議な必然性があった。
 そして、彼らが正式にニュー・オーダーとしてスタートを切ることになり、ヘヴンでライヴが
 行われることになったときには、大きな期待が寄せられた。

 バンドは早い時間にステージに現れ、僕はNME誌に載せるために約2時間で記事を書き
 上げなくてはいけなかったため、主に自分が最初に感じたことをもろもろ書くことになった。
 そこには、涙も含まれている。

 ライヴはすべてがとても感動的で、まるですべてが一気に流れ出したような雰囲気があった。
 確か、あの頃からフッキーは少しだけだが、歌っていたように思う。

 そして、ステージにはぽっかりと穴が開いたように、ある場所だけが空いていた…』

 
0152ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/04(日) 08:24:59
(1981年2月9日、ロンドン、チャリング・クロスのヘブンで行われたライヴ評)

『…ステージの真ん中、つまりイアン・カーティスが立っているべきその痛々しすぎる空間を誰も
 埋めようとはしなかった。

 加えて、3人はまだジョイ・ディヴィジョンのようなサウンドを鳴らしていた。
 エレクトロニックや抽象的なサウンドに進む前だったからだ。

 まだまだすべては流動的だったけれど、ニュー・オーダーがうまくいくであろう事は誰の目にも 
 明らかだった。

 それは、3人がイアン・カーティスを失くした後もバンドを続けていこうとする勇気を持ち合わせ、
 ジョイ・ディヴィジョン時代の曲は一切演奏せずとも、それでも何かが生まれつつあることが
 伝わってきたからだ。

 個人的に僕は、ぼろぼろに傷つき、もろく、文字通り、ショックから何とか立ち直ろうとしている
 サウンドを鳴らすニュー・オーダー、というイメージが気に入った。
 3人が極度に緊張している姿は、バンドの評判をさらに高めた。

 あの晩の3人は、イアンに起きたことをお互いにきちんと話し合ってきていないように見えたし、
 それこそ、まるでイアンが死んだことをまだ聞いていないかのようにも見えた』
0153ピーター・フック
垢版 |
2009/10/08(木) 01:02:05

「イアンは最初から音楽全般に耳を配っている人間だった。

 しっかり聴いて、『あ、今のはすごく良かった』とか、『そこはイマイチだったから、
 こんなふうにちょっと変えたらどうかな』とかいう指摘ができたのさ。

 ニュー・オーダーになってからの俺たちに欠けていたものは、音楽をしっかり聴いて
 くれているイアンのような存在だった。

 イアンを失ってから俺たちは、ようやく音楽を全体的に聴くということを自力で学ば
 なければならなかったんだ。

 それは、とてつもなく大変なことだったよ」
0154バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/08(木) 01:09:05

「当時の俺たちが置かれてた状況自体が、言わばイアンという舵取り人を失った難破船みたいな
 ものだったからね。

 誰よりも、この俺たち自身が『何か今後のきっかけになるもの』を求めてたんだ。
 で、それはイアンがジョイ・ディヴィジョンで音化しようとしてたものとは決定的に違う種類の
 何か、でなきゃならなかった。

 そういう暗中模索の時期に作られたのが『ムーヴメント』だったんだよな。
 だから俺個人としては、あの作品を今聴くと、まさに穴にでも入りたい気分になるっていうか……
 イアンっていう中心人物を失ったにも拘らず、必死でジョイ・ディヴィジョンの音世界を再現しよう
 としてる自分達の醜態があからさまに見え隠れして、とても平気な顔して聴いてられなくなるんだ。

 ……で、そういう時期にアメリカ・ツアーに出て、ニューヨークに滞在してた頃、
 ほとんど『予期せぬ事故』的な出会いをしたのがあの街のアンダーグラウンド・ダンス・シーン
 だったんだよね。

 そういう意味じゃ、あの頃の俺たちにとってのダンステリアってのは言わば、溺れ死のうとしてる
 人間が必死で掴もうとしてる口−プみたいなものだったわけだよ」

0155スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/10/08(木) 01:14:02

「でもさ、ニュー・オーダー初期の頃って、
 なかなかその辺のニュアンスを解ってもらえなくて、いわゆるシリアスなインディー・ファン
 達やジョイ・ディヴィジョン・ファン達に毛嫌いされたのを、俺は今でもまざまざと憶えてるよ」
0156ピーター・フック
垢版 |
2009/10/08(木) 01:19:05

「うん、うん、うん、ほとんどの、いわゆる音楽通から非難されたよなあ。

 『何だ? これ、ただのディスコ・ミュージックじゃん。 ジョイ・ディヴィジョンみたいな高尚な
 文学的表現をやってた人間達が、何の必要があってこんな下世話な音楽をやるのか?』
 って調子で、熱心なジョイ・ディヴィジョン・フォロワー達から完全にボイコットされちまった
 時期なんてのさえあったもんね。

 で、その後オリジナル・ジョイ・ディヴィジョン派から許してもらえるようになるまでには、
 気が遠くなるほど長い年月を要したんだよ、実は」
0157『幸福の王子』
垢版 |
2009/10/08(木) 01:41:46
(オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳)

『…「おやおや、この幸福の王子は何てみすぼらしいんだ」と市長は言いました。
 「何てみすぼらしいんだ」市会議員たちは叫びました。
 彼らはいつも市長に賛成するのです。皆は像を見ようと近寄っていきました。

 「ルビーは剣から抜け落ちてるし、目は無くなってるし、もう金の像じゃなくなっているし」
 と市長は言いました「これでは乞食とたいして変わらんじゃないか」。
 「乞食とたいして変わらんじゃないか」と市会議員たちが言いました。

 「それに、死んだ鳥なんかが足元にいる」市長は続けました。
 「われわれは実際、鳥類はここで死ぬことあたわずという布告を出さねばならんな」
 そこで書記がその提案を書きとめました。

 そこで彼らは幸福の王子の像を下ろしました。
 「もう美しくないから、役にも立たないわけだ」大学の芸術の教授が言いました。

 溶鉱炉で像を溶かすときに、その金属を使ってどうするかを決めるため、
 市長は市議会を開きました。「もちろん、他の像を立てなくてはならない」と市長は言いました。
 「そして、その像は私の像でなくてはなるまい」。

 「いや、私の像です」と市会議員たちがそれぞれ言い、口論になりました。
 私が彼らのうわさを最後に聞いたときも、まだ口論していました。…』
0158バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:32:33

「ニュー・オーダー/ジョイ・ディヴィジョンはジワジワと火が付くタイプだったよ」

「俺たちはすぐにパーッとはいかなかったと思う。

 世界規模の大成功、ワオ!俺たちはやったんだ、LAに家を、マリブにビ−チを買おう ――
 そんな風にして世界に出たわけじゃなかった。

 たぶん、人々は俺たちのことをクチコミで知ったんだと思う。

 そうさ、ニュー・オーダーの曲はどこででも聴くことができるんだ。
 おそらく、学生が友だちにそれを聴かせて、その人たちがまたその友だちに聴かせる。
 全てが組織的に広がっていったんだ。そして世界中に広まったのさ」
0159ピーター・フック
垢版 |
2009/10/13(火) 01:34:25

「俺が考えられる唯一の理由は、音楽が素晴らしいということだね。

 音楽がイアンの物語と結びつき、すべてをよりパワフルでメランコリックなものにしたんだ。
 俺たちにとって一番の証は、これらがすべて30年前に作られたということだよ。

 ジョイ・ディヴィジョンには素晴らしい化学反応があって、それが数枚のアルバムになり、
 音楽は世界中に広まった。

 俺はそれをとても誇りに思っている」
0160バーナード・サムナー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:36:25

「どうやってやったかって?
 ジョイ・ディヴィジョンがどのように生まれたかって? 

 まずはリハーサル場所を手配した。みんなが現れた。演奏を始めた。
 ちょっとしたことを思い付いた。
 さらに、ちょっとしたことを見付けた。

 2つのちょっとしたことを組み合わせ、さらにもう1つのちょっとしたことを加えた。
 イアンが詞を書いた。

 たったそれだけのことさ」
0161ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:42:02
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『 答え


 これらが問い対する答え。

 なぜなら、旅路が始まったのがフッキーのベース・ラインがあったから。

 なぜなら、フッキーが1000年も残るベース・ソロを弾き、それが断片に切り刻まれ、
 ジョイ・ディヴィジョンの楽曲の至る所に使用されたから。

 なぜなら、バーナードがさらに何百年もの間、素晴らしき緊迫感に充ちた輪の内側を、
 そして時に外側を回りながら、延々とギターをプレイしていたから。

 なぜなら、スティーヴンが自身の数百年を4分ちょうどで駆け抜けることができたから。

 なぜなら、マーティン・ハネットに、さらに数百年もの歳月を耐えながら、数百年も
 生き長らえることのない連中が納得するサウンドを作り出す方法論を得るのに十分な
 忍耐力があったから。

 なぜなら、マーティン・ハネットは、彼らが抽象的で未来的なサウンドのバンドと
 なるべきであり、また、ヘヴィでダークに、含意的な情感や認識や暗示、そしてムード
 を一変させるサウンド・エフェクトや、断続的な感情のほとばしり、といったものを
 内包しながら浸透していくべきだ、と判断したから…』
0162ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:46:40
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、イアンが、破滅する前に全てぶちまけることを切望しながら、書きやすい
 左寄せの余白がある安っぽい練習帳の罫線入りの紙にあらかじめ言葉を書き留めて
 おいたかのように、そして、何かが彼を怖気付かせているかのように、歌ったから。

 なぜなら、人が難問に勇ましくも対峙することで成功、もしくは失敗するからこそ
 我々が絶えず自らに投げ掛けなければならない「自分は一体誰なのか」、
 「何をしているのか」という問いに対して、イアンは常に答えを見出そうとしていたから。

 なぜなら、「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」があったから。
 それは、不気味な静けさに包まれた興奮。メロディの深い愛から濾過され、絞り出され、
 夢見られた愛の苦悩。救済とも言うべきポップ・ソング。
 そして、それは全て実際に起こったこと。実生活で、そしてレコーディング・スタジオで。

 なぜなら、パッケージ、動機づけ、プロデュース、計画、慰め、鼓舞、アレンジ、小言、
 解放、販売、統率、ミックス、喧伝、構想などにおいてバンドに手を貸した、
 トニー・ウィルソン、ロブ・グレットン、マーティン・ハネット、アラン・エラスムス、
 ピーター・サヴィルから成るファクトリー・チームのショーマンシップがあったから。

 なぜなら、彼らが利益など度外視し、ファクトリーの愉快な連中がバスタブで大海を渡り、
 人々を大砲で打ち上げて、世界をアッと言わせようとしたから。

 なぜなら、ファクトリー号の石炭が切れ、彼らが列車そのものを解体し、燃料として焼べる
 ことで、まさに火の車になるまでそれを走らせようとしたから…』
0163ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:49:25
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、とりたてて一貫性の必要のない場面にも一貫性を強いる必要があるから。

 なぜなら、そこには哲学的な核心がなかったから。

 なぜなら、それは決してバカな考えではなかったから。

 なぜなら、「シャドウプレイ」があったから。
 それは、認識していることの認識。恐怖にも似た感覚に襲われること。
 邪悪な街の中心部と片隅に窓のある寒々しい部屋との間で、物事の奥深くまで光を
 投じること。

 それは、自殺、混沌、内輪もめ、情事、一瞬の栄光、そして若者らしい衝動の浅ましい
 利用ゆえに。

 なぜなら、「アトモスフィア」があったから。
 それは、驚くべき耐久性。途方もない疲労を伴う孤独の感覚。
 目覚める時にオーラや雰囲気、音色や調性を残しながらいかに夢模様が消えるか。
 シンガーの神秘的な眼差しが、その声の恐るべき軌跡を追うこと。

 なぜなら、ファクトリー・クラブとハシエンダとの関係、セックス・ピストルズと
 ハッピー・マンデーズとの関係ゆえに…』
0164ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:53:35
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、「シーズ・ロスト・コントロール」があったから。それは、ベースによる幕開け。
 衝撃。優美。奇形。バックの喧噪。苛立つようなリフ。エアゾール・スプレー。
 人格危機。ちりばめられた歪んだピッチのパーカッション。
 身体は浮き上がり、心は沈み込む。本当の話、一時的なことだが。

 なぜなら、記憶と時を紐解くこととの関係ゆえに。

 なぜなら、世界における、物事の秩序と出来事の奇妙な交差との関わり合いゆえに。

 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンとしての最初のギグが1978年1月25日、ピップスで
 行なわれたから。

 なぜなら、マンチェスターがヨーロッパにあるから。

 なぜなら、文化的な前衛運動は、格式張った文化の放逐によって生じた空虚の中で
 育まれるから。

 なぜなら、最終的には様々な理由で、それ、バンドのそれが、サウンドとセンス、
 意義と哀愁、ドラムとドラマ、ベースと沈思、ギターとほろ酔いの顔、サイズとスケール、
 声と感受性、思い切った開放と種々様々な感性、喧伝された熱狂と激しい不平不満で
 知られる前向きなそれが、ザ・キュアー、デペッシュ・モード、エコー&ザ・バニーメン、そして
 ∪2、良かれ悪しかれ、ロウ、コールドプレイ、インターポール、フランツ・フェルディナンド、
 エディターズ、アーケイド・ファイアといったバンドの時代の先駆けとなり、トレンドを作り、
 その時代へと向っていったから…』
0165ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 01:57:37
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、ロック・ミュージックがあらゆる場所に存在するから。

 なぜなら、外見を変え、屋外で踊り、権力に刃向かい、赤の他人を抱擁したいという
 衝動は、簡単には抑圧できないから。

 なぜなら、その薬とアルコールの消費量ゆえに。

 なぜなら、毎日を存分に楽しもうとする時に起こる出来事ゆえに。

 なぜなら、鮮明に記憶している事もあれば、そうでない事もあるから。

 なぜなら、我々はみな感情による生命の支配を許す利己主義者であるから。

 なぜなら、我々は他の物以上にある物に関心を示すものだから。

 なぜなら、「ハート・アンド・ソウル」があったから。それは、うっとりさせるような悲しみ。
 決して止まらないかのように、それぞれがあちこち動き回る過去と現在と未来。
 そして、ポップ・ソングにはあまり見当たらない聖なる畏怖の示唆。

 なぜなら、記憶は当てにならないから。

 なぜなら、それが今日の事象によって色付けられているから…』
0166ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 02:00:34
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、暴力の脅威が我々のすぐそばにあるから。

 なぜなら、イアンがもう一つの世界を垣間見たことで怯えていたから。

 なぜなら、人生が虚構を導き出す手段であるから。

 なぜなら、ありふれた出来事がしばしば寓話へと持ち上げられるから。

 なぜなら、歴史は人の作ったものであるから。

 なぜなら、全ての人生に神話があるから。

 なぜなら、神話は皮肉な審美的静観には決して服従しない力を有しているから。

 なぜなら、彼らは独自の形式を見出し、本領を発揮したから。

 なぜなら、「トランスミッション」と、そして知識の発想と確信への緻密かつ騒々しい
 変換があったから。

 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンが一度もニューヨークには行かなかったから。
 彼らが別の形 ―― 実際のところ、ある意味ニューヨークのグループだが ――
 となるまでは…。おそらく彼らはニューヨークから「ニュー」をいただいて新たな
 グループの名前を付けたのだろう…』
0167ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 02:03:51
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、彼らの境遇における危険で閉所恐怖症を起こしそうな奇妙さの真ん中にある
 「24時間」ゆえに。

 なぜなら、想像の世界と現実の世界の関係ゆえに。

 なぜなら、カーティスはサヴィルやハネットと同じく、どうやって、また、なぜ幻影が
 朽ち果てるのかを知っていたから。

 なぜなら、バンドが、まるでそれが捕らえることのできないものを捕らえる唯一の方法
 であるかのように莫大な量のノイズを生み出したから。

 なぜなら、もし誰も物語を語らなければそこに物語は存在しないから。

 なぜなら、記憶は心の中の噂であるから。

 なぜなら、スティーヴン・モリスの偏屈で角ばったドラミングがあったから。

 なぜなら、フッキーがベースを弾くことで心情を語っていたから。

 なぜなら、バーナードが、まるで秘め事を抱き、そして他に選択の余地がないかのように
 ギターを弾いたから。

 なぜなら、イアンが、まるで発せられた言葉が永遠に続くかのように歌っていたから…』
0168ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/13(火) 02:06:44
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、ハネットが激しい内向性と官能的なデータの増殖を組み合わせたから。

 なぜなら、ハネットが、リスナーをそこに住まわせるために曲にスペースを空けたから。

 なぜなら、ハネットは、もしそこにあるならサウンドを見付け、ないのなら他のものを
 見付けたから。

 なぜなら、音楽とは、ただ耳にしたり耳を傾けたりするものではなく、そこで起こった
 全てのことだから。

 なぜなら、「デジタル」があったから。
 それは、狂乱と無益の衝突。波立つ沈滞の空気。恐ろしいまでの孤独。

 なぜなら、1980年5月2日バーミンガム大学ハイ・ホールで行なわれた最後のショウで
 彼らが演奏したラスト5曲が、「トランスミッション」「ディスオーダー」「アイソレーション」
 「ディケイズ」「デジタル」であったから。

 彼らはいつもどおりに、まるでこれが最後のショウになるかのように演奏していた。
 たとえ彼らが本当にそうなるとは思っていなかったにしても。
 実際にはそうなったが…』
0169ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 00:43:43
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、我々は生きている理由を決して知ることがないゆえに、我々は任意の目的を
 選択してそれに固執していかなければならない、とウィルソンが判断したから。

 なぜなら、物事が、退屈であれ刺激的であれ、最後の時まで一日ごとに前に進んで
 いたのだから。

 なぜなら、イアンは、我々が生の拠り所とする神を、不在もしくは負の存在と見なす
 実存主義の伝統と深い関係があったから。

 なぜなら、彼は、自分が閉じ込められながらも抗おうとしていた、概念を超越した次元の
 感覚を有していたから。

 なぜなら、我々は他人の思索を知ることができないから。

 なぜなら、彼は様々な妄想や錯乱に苛まれていたから。

 なぜなら、デヴィッド・ボウイのお陰で、イアンは日常の聴衆の事を決して忘れなかったから。

 なぜなら、我々は教わっていないことを沢山知りたいと思うから…』
0170ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 00:54:22
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、「ジーズ・デイズ」があったから。
 そして、物事を深刻に受け止める必要があったから。

 なぜなら、彼らは曲の中で一度も「ベイビー」という言葉を使わなかったから。

 なぜなら、イアンは恐ろしい気質をコントロールしようと必死だったから。

 なぜなら、この世では幾多の非情な犠牲を払わなければ得られない自由というもの
 は、それが続く間は、いかなるプログラム的計算などなくとも、制限なく存分に享受
 されなければならないから。

 なぜなら、繁栄する都会は荒れ果てた風景のほんの数マイル先にあるのだから。

 なぜなら、地元民のグループはみな互いに助け合い、互いに邪魔し合っていたから。

 なぜなら、時間は記憶を損ない、記憶は時間へと焼き付けられるから。

 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンの音楽は、万物のありのままの形状よりも来るべき
 形状を興味の対象としていたから…』
0171ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:08:39
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、ひとことで言えば「ノヴェルティ」があったから。
 いくぶん曖昧さという危険を伴うが…。

 なぜなら、ウィルソンが他の人々よりも少し年長であったから。

 なぜなら、ロックの歴史が、ロックの歴史を作ろうとするウィルソンの確固たる意志の
 回りで具現化したから。

 なぜなら、人々が物事の成り行きを、あたかも正確に記憶を辿るように振り返ったから。

 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンは、まるでそれが決して避けられないことのように、
 無知で納得していない人々に対して嘆き悲しむのを覚悟しているかのように、歌を
 歌ったから。 そして、彼らがいったい何を歌っていたのかはあまり鮮明ではなく、
 そのことがあの激しいテンションを必要としたのだが、それはおそらく、こんなようなこと
 だったのだろう。
 人生を素晴らしく!人生を素晴らしく!もしくは、そこをどきやがれ!

 なぜなら、束縛されることのないモダニストの衝動が、大衆的な思考やスタイルを支配
 していたから。

 なぜなら、イアンは常に彼自身とそれではない物との中間にいたから。

 なぜなら、全てがパンクとレイヴの過渡期のマンチェスターとその周辺で起こり、
 ナンセンスと愛と知覚によって、暗澹とした混迷のサッチャー時代を鮮明に浮き彫りに
 したのだから…』
0172ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:22:40
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンは、その2年半の活動期間の中で、あたかも自身の
 生存期間が、理由はどうあれ、短くて厄介で美しいことを知っていたかのように、
 あたかも80年代の幕開けに到達しても、遅かれ早かれ、やはり変化は訪れ、運命や
 宿命、そして他ならぬ未来に支配されることを悟っていたかのように、膨大な量の
 ギグを行なったから。

 なぜなら、事実は事実であるから。

 なぜなら、大胆さと無邪気さの不可思議なコンビネーションがあったから。

 なぜなら、まるごと、ドラマティックに、まさにそのままに、啓示の如く、どこからともなく、
 あるいは北部のアンダーグラウンドのようなところから、ふいに現われたがゆえに、
 ある意味歴史に残る最高のデビュー作ともいうべきテビュー・アルバム『アンノウン・
 プレジャーズ』があったから。

 そして、明快で、芝居がかっていなくて、極めて、そして執拗に内省的な、ある意味
 歴史に残る最高の2ndアルバムともいうべき、さらに広く知れ渡った、しかしながら
 極めて私的な次作『クローサー』があったから。

 これらのアルバムに収録されなかったシングルがあり、その中の一つ、さり気なくも
 トラウマを引き起こすような「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」は、ある意味史上最高
 のポップ・ソングとなった。その後、予期せぬ出来事が次々と起こった。

 あたかもこの冒険の全てが、不格好な誕生から悪魔のような結末に至るある種の
 避けられないカウントダウンであったかのように…』
0173ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:28:08
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、ウィルソンは全ての出来事が映画化されることになるのを常に意識して
 いたかのように振る舞ったから。
 あたかも彼が既に映画に撮られていて、それが彼を主役にしたものであったかの
 ように。

 なぜなら、グレットンは、泣けてくるような時さえも大いに楽しんでいたかのように
 振る舞っていたから。

 なぜなら、この一部は、消えゆく評価の遥かなる縁に永遠に留まらないように
 するため、何らかの形で暫定的にでも解明されるべきであるから。

 なぜなら、ステージに立ったイアンは、マンチェスターでは、さらに言えば、いかなる
 場所でさえも見られなかった動きで、回りの空気を張りつめたものにしたから。

 なぜなら、それは起こったのだから。

 なぜなら、関わりのあった誰もが名声や称賛に飢えていたから。

 なぜなら、サヴィルは異なる物の関係性を察知していたから。

 なぜなら、人生が生きる価値のない物であれば、歌は歌う価値のない物であるから。

 なぜなら、イアンは自らの欠点に苛まれていたから…』

0174ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:32:11
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、空虚とミニマリズムは、我々の酷使された視神経と密集した脳細胞へと
 注がれた慰めなのだから。

 なぜなら、誰かが死を悼む時、我々はみな同じ悲しみを抱くのだから。

 なぜなら、情報源はいつも不十分だったから。

 なぜなら、彼らの音楽は、忌々しいアメリカのロックを大っぴらに盗む一方で、
 北ヨーロッパのアヴァンギャルドの恩恵を受けていたから。

 なぜなら、バスに乗っていたある人がイアンの耳元で、世界など存在しないと囁き、
 彼はそれに同意せざるを得なかったから。

 なぜなら、世界には重みがあり、いつでも同じ重さであるから。

 なぜなら、何が起こったのか誰かに説明してもらう必要があるから。

 なぜなら、彼らは街の中心で出会い別れたから。

 なぜなら、マクルスフィールドからマンチェスターまで30分以内で行ける鉄道が
 あったから…』
0175ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:37:49
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、イアンは追い詰められていたから。

 なぜなら、暗雲が雷鳴を轟かせることなく去来したから。

 なぜなら、ステージ上で、曲の中で、イアンは孤軍奮闘しながら、死を拒み、亡霊を
 追い払い、空虚を弄び、自身の中に力を見出していたから。
 それは、必ずしも為になる力ではなかったが…。

 なぜなら、「ディスオーダー」があったから。それは、不安の高まり、心の誘惑、安息
 の場所の探求、そして、ロック・バンドにおけるシンガーの在り方。
 それは、必ずしもその他のものほどシリアスではないが、一方では、文字通り命を
 賭けて闘っているのだから。

 なぜなら、我々の人生は、その詰め物や無感覚や習性を取り除くと、たしかにゾッと
 するような、儚い、不条理なものに見えるから。

 なぜなら、生死の不安だけが彼を魅了し、僅かな意味を見付けさせる事ができたから。

 なぜなら、我々はみな夢の世界に生きているのだから。

 なぜなら、我々は青春の日々を覚えているのだから。

 なぜなら、無力な死は感傷に見舞われる傾向にあり、それは必ずしも無駄というわけ
 ではなく、生の権力の行使なのだから…』
0176ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:42:28
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、イアンの世界の2つの相容れない領域が衝突したから。

 なぜなら、彼のイマジネーションが常識では測れないものだったから。

 なぜなら、彼はイギーから度胸を、モリソンから心地良い錯乱を、そして終焉へと向う
 頃にはシナトラから閉じ込められた激情を取り入れていたから。

 なぜなら、彼はチェロのような深みのある声で歌い、その先に炎を付けたから。

 なぜなら、彼はパフォーマーとして、全てが落着きと共に冷静になされるべきだ、と
 学んだから。

 なぜなら、彼は自らの犠牲者であり、自らに対する執行者であったから。

 なぜなら、彼の死から27年を経ても、彼は未だにその偉大さを示す証拠と共に話題に
 なるのだから。

 なぜなら、彼の恥じ入るような絶え間ない悲しみは、
 フッキーの永遠に続く表情豊かなべース、バーナードの繊細で気紛れなギター、
 スティーヴンの頑強かつ詩的なドラミング、そしてマーティンの鋭敏で洞察性に優れた
 センスの助けを借り、そして煽られながら、常にリスナーの心に触れるべく、突破を
 試みているから…』
0177ポール・モーリー
垢版 |
2009/10/16(金) 01:45:26
(070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より)

『なぜなら、「ニュー・ドーン・フェイズ」があったから。
 それは、怠惰と憂鬱を進むこと。

 空気のように軽い雰囲気で。避けられないものを受け入れること。
 終篤と向き合うこと。それは時として、最も期待する時にやってくる。

 なぜなら、凍結した記憶は喪失という闇の中で輝くのだから。



 なぜなら、その音楽ゆえに 』





0178『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/10/16(金) 01:55:51
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのナレーション)

『彼らが図らずも世の中の流行の波の中でも失なわずにきたもの…それは信頼に足る
 誠実さだ。

 金や出世のためだけじゃないという反業界性。
 ポップ・カルチャーの維持に必要と思えたもの。「カッコよさ」の復活だ。

 金儲けをする側は彼らをうまく使ってほしい。「カッコよさの定義」がそこにあるからだ』


『アルバムは2枚「アンノウン・プレジャーズ」と「クローサー」。 それだけだ。
 あとは開発商品にすぎない。 記憶を商品化したものだ』


『今はブランドが全ての時代だが彼らは超越していた。実態としての彼らが信じられた』




『ファクトリーの中でも、イアンの物語はポップス最後の実話の一つだ。

 実話というのは稀だから……ビジネスが支配するポップ・カルチャーの世界ではね…』


0179『アトモスフィア』
垢版 |
2009/10/16(金) 02:01:04
(映画『コントロール』本編字幕より)

『歩いていく 静寂の中を
 行かないでくれ 沈黙したままで
 危険に目を向けろ 常に危険は存在する
 終わりのない会話 人生のやり直し 
 立ち去らないで

 歩いていく 静寂の中を
 背を向けないでくれ 沈黙したままで
 君の混乱 僕の錯覚
 自己嫌悪を身にまとい
 対立し、そして滅びる
 立ち去らないでくれ

 君たちにとっては簡単だろう
 無防備なまま浮かれている
 川や、通りの流れに 何かを求めても
 もはや意味がない

 これだけは 覚えていてくれ
 どうか行かないで

 沈黙したままで

 立ち去らないでくれ…』

0180http://ro69.jp/
垢版 |
2009/10/25(日) 09:57:58
(2009年6月16日のニュース)

『 ニュー・オーダーのメンバーがフッキー抜きで新バンドを結成、ベースはブラー


 ニュー・オーダーのバーナード・サムナー、スティーヴン・モリス、フィル・カニンガム
 が、ベーシストのピーター・フック抜きで新バンドを結成していたことが明らかになった。

 そのバンド、バッド・ルーテナントはベースにブラーのアレックス・ジェームスを従えており、
 バーナードがBBCニュースビートに語ったところによれば、彼らはすでにアルバムの
 レコーディングを終え、10月にリリースする予定だという。

 「満足できるものができたよ。とてもいいアルバムなんだ。ギターのサウンドが強くてね。
  何しろバンドに3人もギタリストがいるから」とバーナードは話している。

 ニュー・オーダーは昨年の夏に解散しており、ピーター・フックは他のメンバーと不和の
 状態にあった。

 「僕らは2つに分かれてしまったんだ。
 こっちに僕とスティーヴとフィルがいて、あっち側にピーター・フック。
 基本的には彼がバンドを離れたわけだけど、このことについて言えるのはそれくらいだな」
 とバーナード。

 2008年10月に、ピーター・フックは解散直前のニュー・オーダーについて語る中で、
 バンドは「抜け殻」だったと話していた』
0181ピーター・フック
垢版 |
2009/10/25(日) 10:02:22

「『 ニュー・オーダーは解散した 』、そういうことだよ。

 ニュー・オーダーの他のふたりのメンバーは、自分たちは解散していないって考えて
 いるみたいだけど。
 まあ、みんなそれぞれ自分の考えがあるものだからね。

 それでも、バーナードが新しいグループを結成したというのは、俺たちが解散したのを
 証明したようなものじゃないかな。

 だったら、どうして最初から認めないのかって笑ったよ」
0182スティーヴン・モリス
垢版 |
2009/10/25(日) 10:04:29

「現時点では、ニュー・オーダーの今後は、まるでわからないよ。

 何と言ったらいいのか、これもまた混乱状態でね」


0183http://www.barks.jp/
垢版 |
2009/10/25(日) 10:09:28
(2009年8月30日のニュース)

『 もう涙は流さない、ニュー・オーダーからバッド・ルーテナント誕生


 ニュー・オーダーの突然の活動休止から2年。
 バーナード・サムナーによる最新プロジェクト、バッド・ルーテナントのアルバムが遂に
 完成、10月7日にリリースとなる。
 タイトルは『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』……もう一粒たりと涙は流さないと
 いう決意みなぎる作品だ。

 ジョイ・ディヴィジョン時代のイアン・カーティスの死や、長年の盟友ピーター・フック
 との別れなど、数多くの悲しみを背負ってきたバーナード・サムナー、そこには筆舌に
 尽くしがたい決意と自信が込められているはずだ。

 「このアルバムは僕にとって特別なものだ。
 僕ら3人の努力の結晶だし、とても満足している。何より、2人の素晴らしい新人シンガー
 とギタリストをみんなに聞いて貰えるチャンスだからね。本当に特別なアルバムなんだ。
 これが今、自分が作りたい音楽、まさにこれ!って感じなんだ。このアルバムを聴いて
 くれる人にもそう思って貰えれば嬉しいね!」── バーナード・サムナー

 ギターとメイン・ヴォーカルを務めるのは、もちろんバーナード・サムナー。彼以外の
 正式メンバーは、後期ニュー・オーダーのメンバー、フィル・カニンガム(ギター)と、
 バーナード・サムナーと同郷でマンチェスター郊外のマクルスフィールド出身の新たなる
 才能、ジェイク・エヴァンス(ギター&ヴォーカル)。
 なんと全員がギタリストというユニークな編成だ。全員ギターといえば、ライヴとなると
 全員がギタリストとなってしまうブルー・オイスター・カルトを思い出すが、正式メンバー
 が全てギタリストという構成はかなり稀有だ。

 なお、『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』のレコーディングには、
 ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー時代からの盟友、スティーヴン・モリスが
 ドラマーとして参加。ベーシストは、ブラーのアレックス・ジェイムズが務めている』
0184ピーター・フック
垢版 |
2009/10/25(日) 10:13:45

「(ニュー・オーダーとしての今後の活動については…)わからないよ。正直、わからない。

 そもそも98年まで、俺たちがまた一緒に活動するなんて思ってなかったしね。
 その頃はそれにびっくりしたんだから、また今後びっくりすることがないとは言えない。

 でも現在の俺はとても忙しいし、自分のしている事に満足してるからね」


「ジョイ・ディヴィジョンの時は、無我夢中で何も考えてなかった。
 それでも、すごく上手くいってた。

 他のメンバーにも聞くといいよ。イアンなら理由を分かってたかも。永遠の謎さ。
 でも4人は純粋に相性が良かった、楽だったよ。

 曲を書くのも楽だったし、いい演奏をするのも楽だった。彼の死後、難しくなった」

0185『 CROSSBEAT JANUARY 1990 』
垢版 |
2009/10/25(日) 10:20:52
(ROCK IN 90'S  NEW ORDER  アマチュアリズムの彼岸 より)

『……「イアンが死んでから俺たちは曲のいじりかたがわからなくなったんだ。
 どこをどうやれば完成するのかっていうことがね」

 どの音が出されるべきなのか、どのテイク、どのヴァージョンが選ばれるべきなのか
 分からぬまま、常に音楽と向かいあう。
 何処に行っても自己確認できないような場所に居残り、もちこたえるということ。
 これがニュー・オーダーの音にいつ何時ともある緊張感を与え続けている源泉である。

 アマチュアがもてはやされるのは、別にその表現が稚拙で、親近感が湧くからという
 倒錯した指向からではない。
 彼らの中に抜きがたい欠落感、不安定感を読みとることができるからだ。
 我々はもうそうしたものがない限り信じようがないのだ。

 しかし、アマチュアもいつかプロになる。
 新人バンドもいつか中堅になる。移ろっていた言葉がいつか確信に変わる。

 そこなのだ、ニュー・オーダーと他のバンドを分かつ境界線は。
 「権力の美学」から「テクニーク」に至るまで、彼らには進歩もない、退歩もない。
 考えてみれば当然だろう。

 ニュー・オーダーは端から「終わって」いた。
 “ GAME OVER ”の表示が出てから、彼らは歩き出したのだから。

 「終わった所から始めた旅に、終わりはない」

 と書いた作家がいたが、ニュー・オーダーを見てると、それが私にはひどく信じられるのだ』 
0186『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/10/25(日) 10:23:44
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのトニー・ウィルソンによるナレーション)

『彼ら4人は革命を起こしその中心的存在を担った。
 彼らに刺激されて人々は参加し、ダンスとロックの区別はなくなった。

 それは、かつて近代都市だったマンチェスターを再び近代都市に蘇らせた。

 この街の振動や未来への期待感こそジョイ・ディヴィジョンの遺産だ』
0187『ジョイ・ディヴィジョン』
垢版 |
2009/10/25(日) 10:25:41
(映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのトニー・ウィルソンによるナレーション)

『彼らに始まる都市再建のすばらしい物語だ。
 
 悲惨な自死の物語。モラルの物語でもある。
 
 文化的で、アカデミックで、知的で、芸術に関する物語。



 舞台は、この街。

 彼らが永遠の名曲を生んだ街だ』
0188伝説の名無しさん
垢版 |
2009/10/25(日) 10:34:08


              JoyDivision (01)−03


 This story contains the hopes and dreams of many fine people.

 Keep it close to your heart and cherish it.


 Deepest Thanks to : Joy Division / New Order

               Factory Records

               Alan Erasmus
   
               Martin Hannett
  
               Peter Saville
 
               Rob Gretton

               Tony Wilson 


 Special Thanks to :  Ago_san

               …… and you



0189『幸福の王子』
垢版 |
2009/10/25(日) 10:37:29
(オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳)

『…「おかしいなあ」鋳造所の労働者の監督が言いました。

 「この壊れた鉛の心臓は溶鉱炉では溶けないぞ。捨てなくちゃならんな」。

 心臓は、ごみために捨てられました。そこには死んだツバメも横たわっていたのです。




 神さまが天使たちの一人に「この街の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。


 その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。

 神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。


 「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう」 』
0190伝説の名無しさん
垢版 |
2009/10/27(火) 07:02:20
いつもジョイディヴィジョンやニューオーダーを他人に言葉で説明しようとする時
決まって上手く言葉にできない
だから貴方がやったように
「彼ら自身」の言葉やそれにまつわる言葉たちを
組み合わせて表現したことは限りなく正しかったように思います
こちらこそ本当にありがとう。
0191伝説の名無しさん
垢版 |
2009/10/27(火) 22:11:29

長い間ありがとうございました。

いつか、この続きが読める日が来ることを願ってやみません。
0193伝説の名無しさん
垢版 |
2009/11/01(日) 01:37:27
リマスターとHeart and soulのどっちを
買うか悩んでいるんですが、
よかったらアドバイスください
0194伝説の名無しさん
垢版 |
2009/11/08(日) 07:10:09
日本語で読めるJD/NOオーラルヒストリーの金字塔
うp主の編集手腕と根気、情熱に只々敬服すると共に、これをいつまでも残しておきたいと思った次第
ありがとう
0196伝説の名無しさん
垢版 |
2010/02/14(日) 21:45:46
数え切れないくらいある、2ちゃんのスレの中で、一番好きなスレだよ。

消えていくのは惜しいので、ageときますね。
0197伝説の名無しさん
垢版 |
2010/03/22(月) 23:36:02
age
0198伝説の名無しさん
垢版 |
2010/04/12(月) 02:53:48
初期の2ちゃんを思い出した
0200伝説の名無しさん
垢版 |
2010/04/26(月) 13:23:21
この時代から曲はフッキーが書いてたの?
ドキュメント見てたらインタビューでラブウィル〜はってフッキーが言ってて驚いた。
0203伝説の名無しさん
垢版 |
2010/05/18(火) 23:50:40
どんどん新しいリスナーを増やして
30年経っても愛され続ける音楽って凄いよな。
0206伝説の名無しさん
垢版 |
2010/07/08(木) 23:11:51
ようつべでディスオーダー聴いてハマったからリマスター全部買った
めっちゃええわー
1stが一番好きかな
ジャケもカッコイイ

でも、一緒に買ったニューオーダーはあまり好きじゃないかも・・・
0207伝説の名無しさん
垢版 |
2010/08/04(水) 23:11:23
洋楽歴25年目にしてようやくこのバンドを好きになりたがっています。
まだ理解はできません。このまま無理の可能性の方が高いと思います。
0210伝説の名無しさん
垢版 |
2010/09/07(火) 03:49:15
好きになりたがるって変だな
音より世評に組みしたがってる感じ
0211伝説の名無しさん
垢版 |
2010/10/26(火) 18:52:51
74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 09:59:40
JKの下についたらそりゃ著作権はJKのもの嫌なら最初から一人でやれよ
下請が作ったら著作権は下請のものになるのかい?おかしいだろ
http://www.myspace.com/cmjkclockworkyellow


自称日本のトッププロデュ―サーの音源ここにあり。
これで日本のトップだってさw
上のような発言をする恥知らずここにあり(笑)

NEWORDERの大ファンらしいけど、こんな奴がファンを自称するのはバーナード・サムナーに
失礼。
0212伝説の名無しさん
垢版 |
2010/12/14(火) 18:59:29
0213伝説の名無しさん
垢版 |
2011/02/11(金) 11:47:11
0214伝説の名無しさん
垢版 |
2011/03/08(火) 06:02:44.07
お前ら今月のライブ行く?
0215伝説の名無しさん
垢版 |
2011/03/08(火) 23:08:59.83
今月のライブ、スッカスカなんだろうなww
0216伝説の名無しさん
垢版 |
2011/03/12(土) 01:59:29.95
ライブ行きたいけど、顔写真入りの証明書ないから諦めた
0220伝説の名無しさん
垢版 |
2011/04/24(日) 04:45:00.70
エロ同人のジョイディヴィジョンは死んでほしい
JDのアンチなのか?
普通、エロ同人なんて低俗なもんに
自分の好きなバンド名付けようと思わんだろ
0221伝説の名無しさん
垢版 |
2011/04/24(日) 21:03:42.31
そもそもjoy divisionはナチの将校用慰安施設の名称から取ったバンド名だから、
バンドじゃなく大元から直接って可能性もあるな
0222伝説の名無しさん
垢版 |
2011/04/24(日) 22:04:37.75
作品名がsubstanceやら何やらJDの曲名そのままつかってるから
間違いなくこのバンドから取ってるw
0225伝説の名無しさん
垢版 |
2011/05/19(木) 00:15:52.06
命日age

クローサー聴いてます
0226伝説の名無しさん
垢版 |
2011/08/19(金) 03:16:00.07
age
0227伝説の名無しさん
垢版 |
2011/10/02(日) 04:55:21.93
ageておこう
0228伝説の名無しさん
垢版 |
2012/01/15(日) 19:57:38.22
Ice Age
0229伝説の名無しさん
垢版 |
2012/03/06(火) 07:38:04.13
最近このスレとニコ動の動画を知ったので保守age
0230伝説の名無しさん
垢版 |
2012/03/28(水) 02:08:34.04
何の映画観に行った時だったか忘れたけど、24HOUR PARTY PEOPLEの予告やってて観たい!と思ったので観に行った。
JOY DIVISIONっていうバンドがあって、ボーカルの人が若くして自殺したっていうのは何かで読んで既に知ってた。
最近たまたま、ニコ動やらつべやらで映像を観たのでびっくりした。カルトなバンドかと思っていたので、そんなの残ってるんだ、って。
才能云々抜きにして、23歳の若者が自ら命を絶つのはホント勿体無い。いい声してるんだよな、このボーカルさんは…。
検索してみたら墓石が無いんだって?ほんまはかないでんなぁ
0231伝説の名無しさん
垢版 |
2012/04/19(木) 14:45:18.80
イアンの声質はすごいよね
0236伝説の名無しさん
垢版 |
2012/04/30(月) 01:36:48.74
4/28 OISO
No Love Lost
Leaders of men
Digital
Unknown Pleasures Set
(encore)
Transmission
LWTUA
Ceremony

4/29 OISO
Closer Set
Warsaw
Failures
Transmission
LWTUA
(encore)
Ceremony(feat.Tim Burgess)

訂正よろ。
0237伝説の名無しさん
垢版 |
2012/05/02(水) 00:47:12.41
失礼。Leaders of menはやってなかったかも。。。記憶がぶっ飛んでます。

0238伝説の名無しさん
垢版 |
2012/05/06(日) 22:38:11.14
フッキー大阪のライブはアンコールでVo.マイクの音量が小さくなったのが残念
0239伝説の名無しさん
垢版 |
2012/05/12(土) 15:20:26.19
もう一度来てくれ・・・客入り悪かったみたいだしもう無いだろうな
0245伝説の名無しさん
垢版 |
2012/05/13(日) 20:38:11.69
もうフロントマン死んでて再結成はありえないんだし、いまさらの話題しかないだろ
0247伝説の名無しさん
垢版 |
2012/06/06(水) 19:57:24.58
>>220
PILとかもあったな
ああいう絵のセンスのやつらはTMネットワークとかボウイとかビジュアル系とか世紀末がお似合いなのにな
後ろ髪伸ばしたバンド
0249伝説の名無しさん
垢版 |
2012/12/18(火) 10:05:50.07
保守
寒いんだけど日差しは暖かい
今日帰宅したらceremonyを聴く
0250伝説の名無しさん
垢版 |
2013/03/04(月) 13:15:05.79
保守
0253伝説の名無しさん
垢版 |
2013/04/24(水) 00:07:21.99
hacienda、はぴまんドタキャンでフキとrowettaとでしりふきする様なのだが
この組み合わせ=JDやるってことか?
0255伝説の名無しさん
垢版 |
2013/05/25(土) 09:34:38.93
届いた
ttp://hacienda.mamstore.co.uk/item/Music-and-Merchandise/Peter-Hook-and-The-Light-Live-At-The-Lowry-DVD/3RQX
0256伝説の名無しさん
垢版 |
2013/09/03(火) 22:48:40.11
この人らは
惨めったらしく過去の遺産で食いつなぐなんてことは
しないと思ってたのになぁ
0257伝説の名無しさん
垢版 |
2014/07/01(火) 22:06:49.30
ageとくか
0259伝説の名無しさん
垢版 |
2014/09/17(水) 21:52:46.89
age
0263伝説の名無しさん
垢版 |
2015/01/03(土) 22:56:38.53
「ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)のベスト・ソング TOP10」を米国の音楽サイトStereogumが発表

10. “Disorder” (from Unknown Pleasures, 1979)
9. “The Eternal” (from Closer, 1980)
8. “Atmosphere” (from Substance, 1988)
7. “Shadowplay” (from Unknown Pleasures, 1979)
6. “Twenty Four Hours” (from Closer, 1980)
5. “Love Will Tear Us Apart” (from Substance, 1988)
4. “New Dawn Fades” (from Unknown Pleasures, 1979)
3. “Passover” (from Closer, 1980)
2. “Transmission” (from Substance, 1988)
1. “Dead Souls” (from Substance, 1988)

http://amass.jp/37631/
0264伝説の名無しさん
垢版 |
2015/01/06(火) 20:13:36.16
ceremonyのライブ音源はバーミンガム大学でのものしか無いって事でOKですか?
0266264
垢版 |
2015/01/10(土) 07:02:52.72
自己解決しましt
0268伝説の名無しさん
垢版 |
2015/02/05(木) 17:40:14.50
Digitalっていいよね
0271伝説の名無しさん
垢版 |
2015/02/28(土) 11:22:03.16
ハネットがプロデュースしたceremonyが聴きたかったな
0272伝説の名無しさん
垢版 |
2015/03/24(火) 20:17:58.07
ピーター・フックがジョイ・ディヴィジョンの全楽曲を演奏する
チャリティ・コンサートをイアン・カーティスの命日に教会で開催
http://amass.jp/54016/
0274伝説の名無しさん
垢版 |
2015/05/29(金) 14:10:23.86
沈黙のうちに歩め
沈黙のうちに。俺を置いて行かないでくれ、
油断するな
危険はいつも待ち伏せして居る。
終わりのない話
命の洗濯、
沈黙の中に俺をおいて行かないでくれ。

沈黙のうちに歩め
沈黙のうちに。俺をおいて行かないでくれ
お前の困惑
俺の幻想;
自己嫌悪のマスクのように
反発しあい、やがて死んで行く
俺をおいて行かないでくれ。

お前たちにとっては、なんでもないこと。
ありのままの姿を見せ
気ままに振る舞う
川の流れに獲物を探し
街をさまよう
だがそれもすぐに飽きて
人並みに居を構える。
沈黙の中に俺をおいて行かないでくれ
行かないでくれ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167934351
0275伝説の名無しさん
垢版 |
2015/06/02(火) 10:39:20.84
 しかし、辺縁系の症状レベルがどの程度であれ、虫部の血流量はトラウマ経験のある人たちでは
極端に減少していた。小脳虫部の血流量が低いということは、ここが十分に機能していないことを示
している。一般に虐待を受けた人では側頭葉てんかんチェックリストのスコアは高くなる。おそらくこ
れは虫部が十分に機能していないので、辺縁系の電気的興奮を鎮められないためだろう。
 これらの発見から、境界性人格障害が出現するメカニズムに関して興味深いモデルを作ることが
できる。これらの患者では脳梁が小さく、左右の大脳半球の統合がうまくいかない。このため、左優
位から右優位の状態に突然に移りやすいに違いない。左右の優位性が変わると同時に、全く異なる
情動や記憶が生じる。友人や家族、仲間たちに非常に親しげに接したかと思えば、手のひらを返した
ように反抗的な態度をとることがある。優位半球の突然の入れ替わりが、この特徴を生み出すのだろ
う。その上、辺縁系の電気的興奮は攻撃や激怒、不安などをもたらしてしまう。側頭葉の脳電図異常
は、自殺行動や自傷行為を起こしがちな人によく見られる現象なのだ。
http://reonreon.com/data-2006-01.html
0277伝説の名無しさん
垢版 |
2015/07/22(水) 19:40:43.97
stii音質悪すぎる
0278伝説の名無しさん
垢版 |
2015/09/17(木) 15:02:30.55
先日ユニオンでStillのlp買ったのだけど、届いたのが一枚組のものだった。品番はfact40なんだけどこれって非正規品かな?
0279伝説の名無しさん
垢版 |
2015/09/27(日) 17:55:20.76
↑多分、バーミンガム大学で行われたライブ音源のDisc2を抜いた非正規品。

ところで、New Orderの新作は皆さんどうでした?
New Orderは好きじゃねえ、って人もいるかもしれないですが…。
0281伝説の名無しさん
垢版 |
2015/11/01(日) 07:46:06.57
stillのボーナストラックそんな良いの?
安いからないのにしちゃった
あとcloserもなんか白じゃなく黄色い
0282伝説の名無しさん
垢版 |
2015/11/06(金) 16:52:39.32
ねえ
0283伝説の名無しさん
垢版 |
2015/11/13(金) 00:40:58.88
 
0284伝説の名無しさん
垢版 |
2015/12/03(木) 15:54:38.47
愛は私達を引き裂く!
0286伝説の名無しさん
垢版 |
2016/01/02(土) 18:39:10.08
>>285

>ジョイ・ディヴィジョンとペル・ウヴを比較する人はあまりいないんですけど、この曲を聞くとジョイ・ディヴィジョンは
>ペル・ウブの「Final Solution」などの初期の作品に影響されていますよね。イアン・カーティスの恐怖のヴォーカル
>はペル・ウヴのデヴィッド・トーマスのヴォーカルにそっくりです。

ふむ。。
0287伝説の名無しさん
垢版 |
2016/02/25(木) 18:25:56.99
愛は私たちを引き裂く
0290伝説の名無しさん
垢版 |
2016/05/18(水) 22:19:25.94
気がつけばイアンの2倍も生きている自分がいる…。

R.I.P. Ian Curtis
0291伝説の名無しさん
垢版 |
2016/05/28(土) 13:44:51.14
暗くて下手くそでキモイし、音もペナペナで
昔は本当に受け付けない音だったんだけど
久々にyoutubeやgoogleplay musicで触れてたら
なんか沁みてきた
0294伝説の名無しさん
垢版 |
2016/06/22(水) 08:25:10.65
stillの音質…
0296伝説の名無しさん
垢版 |
2016/08/27(土) 06:43:13.74
Fractured BoxとRefractured Boxって同じ曲でも秒数と音質どうして違うんだろ
0297伝説の名無しさん
垢版 |
2016/10/06(木) 11:38:59.40
イギリスの子供向け番組「テレタビーズ」の映像をモノクロにしてバックに「Atmosphere」を流した結果
https://www.youtube.com/watch?v=98lOJGTe1M0
0298伝説の名無しさん
垢版 |
2016/10/06(木) 11:43:25.44
2012.11.30
ピーター・フック、ジョイ・ディヴィジョンの名曲について語る

元ジョイ・ディヴィジョンで元ニュー・オーダーのベースのピーター・フックは"ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート"の
歌詞について初めて真剣に考えてみた時にいかに驚いたかについて語っている。

『NME』との動画インタヴューに応えたピーターは歌詞が「あまりに刺々しくて悪意に満ちていることに衝撃を受けた」
と語っている。

「これは性急に書かれた曲だったんだよね」とピーターはさらに説明している。「正直言ってこの内容に踏み込んで分
析してみたのは、自分で歌うようになってからなんだけど」と説明し、「とりあえず、この曲が自分に向けて書かれたも
のだったら本当に嫌だなあと思うよ」と語っている。

今回のインタヴューは『NME』の『ソング・ストーリーズ』シリーズの一環としてのもので、ピーターは他の有名なジョイ・
ディヴィジョンの作品についても語っている。特にピーターが「ほとんど偏執的に歌われている」と説明する"トランスミ
ッション"について「今でも誇りに思っている」と語っている。

また、ピーターはある記事の指摘についても触れていて、それによればジョイ・ディヴィジョンの"アトモスフィア"は葬
式で最も頻繁に使われるロック・ナンバーのひとつだそうで、その一方でロビー・ウィリアムズの"エンジェルス"は最も
頻繁に結婚式で使われるトラックなのだとか。これに触れてピーターは「本当に俺たちの方で"エンジェルス"を書きた
かったなあって正直思ったりするよ」と語ってみせているが、それと同時にこの曲も誇りに思っていて自分の葬式でも
かけてもらうつもりだと打ち明けている。

ピーターの動画インタヴューはこちらから→
http://www.nme.com/nme-video/song-stories---peter-hook-on-joy-division/1990415188001

(c) NME.COM / IPC Media 2012

http://ro69.jp/news/detail/75590
0299伝説の名無しさん
垢版 |
2017/06/03(土) 19:09:58.35
この時期はディスオーダー聞きたくなる
0300伝説の名無しさん
垢版 |
2017/06/09(金) 01:21:12.63
つまんね

勝手に聴けやハゲ
0301伝説の名無しさん
垢版 |
2017/07/31(月) 17:17:31.91
SubstanceあったらWarsaw買わなくていいかな?
0302伝説の名無しさん
垢版 |
2017/08/02(水) 19:27:05.46
Noveltyかっこいい
New Orderでもやってほしい
0303伝説の名無しさん
垢版 |
2017/08/11(金) 14:41:14.92
0304伝説の名無しさん
垢版 |
2017/09/08(金) 19:51:53.49
0305伝説の名無しさん
垢版 |
2017/09/08(金) 19:53:01.95
0306伝説の名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 05:44:48.60
>>300
死ね中年
0307伝説の名無しさん
垢版 |
2017/11/11(土) 01:27:17.20
改めて聞くとすごくいいのある
アトモスフィアーとか
0308伝説の名無しさん
垢版 |
2017/11/24(金) 19:59:02.92
Love Will Tear us Apart (Martin Hanett version)はCD化されてない?
0309伝説の名無しさん
垢版 |
2017/11/24(金) 20:02:31.33
https://www.amazon.co.jp/TOTAL-JOY-DIVISION-NEW-ORDER/dp/B004Z1Z9GK
>今回Frank Arkwrightという人が全曲リマスターしてるのだが、これがすごい。一応既発のJDとNOの
>ベスト/企画盤関連はコンプリートしてるのだが、ここに収録の"Love Will Tear Us Apart"のイアン
>のボーカルの霊的な感じ、正にあの世から聴こえてくるような響きはこれまでのどの盤でも聴かれな
>かったものだと思う。

だそうだが…
0310伝説の名無しさん
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2018/01/22(月) 16:42:14.15
>>309
セレモニーも昔のやつか、良さそう
0311伝説の名無しさん
垢版 |
2018/02/15(木) 13:14:02.36
メタルギアソリッドファントムペインでLove Will Tear us Apart聴けてビビった
0312伝説の名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 21:28:53.73
最近NHK-FMで「Love will〜」のカヴァー曲を聴くことが多い気がする
0313伝説の名無しさん
垢版 |
2018/05/06(日) 00:12:58.29
映画「READY PLAYER ONE」でアンノウン・プレジャーズTシャツ出てきたね。
0314伝説の名無しさん
垢版 |
2018/05/21(月) 06:55:01.63
起きたら夜になっていた
だから僕はジョイ・デヴィビジョンのレコードを何枚も聞いてしまった


ジョイ・デヴィビジョンは夜の夜景にこそ似合うバンドだと思う


僕には真昼の太陽の輝きは眩し過ぎる
あっけらかんとした笑いも眩し過ぎる
だからといって、闇の中で肩を寄せあいながらのヒソヒソ話が好きなわけじゃない

僕は、ただ、雨の日が好きなだけなんだ

忙しい毎日の中で何か大事な事を忘れてしまってるんじゃないか?
ふとそう思う時がある
それは何か?
それについて考えみる事にする

ジョイ・デヴィビジョンのレコードを聞きながら
0316伝説の名無しさん
垢版 |
2018/06/28(木) 16:34:50.16
確実にどんな人でも可能な稼ぐことができるホームページ
関心がある人だけ見てください。
検索してみよう『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』

U3P
0318伝説の名無しさん
垢版 |
2018/09/08(土) 12:30:19.95
「Leaders of Men」ってツェッペリンの「Achilles Last Stand」とソックリじゃね?
0320伝説の名無しさん
垢版 |
2018/11/17(土) 01:37:59.32
ジョイディヴィジョンの映画アマプラに来ないかな
0322伝説の名無しさん
垢版 |
2019/02/01(金) 16:44:44.44
>>321
パクリじゃん…
0323伝説の名無しさん
垢版 |
2019/02/23(土) 17:52:49.61
新曲でないかな
0324■UKアルバムチャート TOP5(2019/6/23付)
垢版 |
2019/06/22(土) 22:33:01.84
【第1位】BRUCE SPRINGSTEEN/WESTERN STARS 
 先週:-位 登場週数:1週 最高位:1位 初登場!

【第2位】MADONNA/MADAME X 
 先週:-位 登場週数:1週 最高位:2位 初登場!

【第3位】LEWIS CAPALDI/DIVINELY UNINSPIRED TO A HELLISH EXTENT
 先週:1位 登場週数:5週 最高位:1位 ↓

【第4位】BASTILLE/DOOM DAYS
 先週:-位 登場週数:1週 最高位:4位 初登場!

【第5位】JOY DIVISION/UNKNOWN PLEASURES 
 先週:-位 登場週数:2週 最高位:5位 再登場!
0325伝説の名無しさん
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2019/06/25(火) 21:23:11.69
Noveltyってサブスタンスの他にないのかな?
他のも聞きたい
0326ジョイ・ディヴィジョン結成秘話
垢版 |
2019/06/25(火) 21:57:21.50
ジョイ・ディヴィジョンについての物語は幾度となく語られてきたが、
その内容はあまりに奇妙で信憑性に欠ける感さえある。

パンクの歴史本の決定版とされる『Englands Dreaming』で知られる
ジョン・サヴェージは、1970年代からバンドを追い続けた人物の1人だが、
彼が新たに発表する『This Searing Light, The Sun and Everything Else』
では、これまでとは異なる切り口でバンドの歴史を描いている。

バンドのメンバーのみならず、その仲間や敵、関係者たちの証言を収めた本書は、
ロック史上最も謎めいたバンドのひとつであるジョイ・ディヴィジョンの真実に
肉薄するオーラル・ヒストリー本だ。

同書でサヴェージは、ジョイ・ディヴィジョン結成直後の日々について
深く掘り下げている。

マンチェスターから世界に羽ばたこうとした悪ガキたちが、
ボウイに憧れるフロントマンのイアン・カーティスと共に描いたはずの夢は、
バンドにとって初のアメリカ公演前夜にもたらされたシンガーの死という
知らせと共に砕け散った。

同書からの抜粋となる本記事では、当時ワルシャワと名乗っていた
(ほどなくしてジョイ・ディヴィジョンに改名する)みすぼらしい4人組が
初ライブを行うまでの経緯を描いている。

セックス・ピストルズと名乗る若手バンドが彼らの街にやってきた時、
彼らだけでなく、マンチェスターに生きる全てのバンドマンの人生は一変した。

才能の有無にかかわらず、そのライブを目撃した人間はもれなくバンドを
結成することとなった。
0327ピーター・フック
垢版 |
2019/06/25(火) 21:59:11.39
当時俺は市役所に勤めてた。

その仕事が向いてないことは自覚してたから、勤務中に気を紛らわせるためのものを
たくさん持ち込んでた。
その大半は本だったんだけど、俺は音楽雑誌を隅々まで読んでたから、
新しいのが出る水曜の朝を毎週楽しみにしてた。

ヘヴィメタルのバンドばかり追っかけてた俺にとって、
セックス・ピストルズは突拍子もない存在としか言いようがなかった。
0328ピーター・フック
垢版 |
2019/06/25(火) 22:04:03.49
とにかく奇妙で、もはや異文化だった。
がさつなところにすごく共感を覚えて、俺は即ハマった。
昔ツレの2・3人と一緒に、俺のMark 10 Jag 420Gでデヴォンまで出かけて、
3週間くらい車中生活をしたことがあった。

朝になると車から這い出て、朝飯と体を洗えるところを求めて周囲を彷徨い歩いた。
その時、偶然目にとまったMelody Maker誌を退屈しのぎのつもりで買った。
表紙はセックス・ピストルズで、ジョニー・ロットンが客と喧嘩してる写真だった。
興味を持った俺は、それを他の奴らにも見せてやった。

仕事に戻ったある日、面白そうなイベントを探してEvening Newsの
クラシファイド欄に目を通してた俺は、
「セックス・ピストルズ Lesser Free Trade Hall チケット50ペンス」
っていう広告を見つけた。
0329ピーター・フック
垢版 |
2019/06/25(火) 22:07:15.92
俺はバーナード・サムナーとテリー・メイソンを誘って、3人でそのライブに
行くことになった。

50ペンスのチケットは今でも持ってるよ。
それはもうひどい内容で、まるで車の衝突事故を目撃したかのようだった。
あんなライブはそれまでに経験したことがなかった。

ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを含め、俺は無数のバンドのショーに
足を運んでたけど、あんなにもカオティックで刺激と怒りに満ちたライブは
初めてだった。

彼らを観てると、何もかもぶっ壊したくなる衝動が湧いてくるのを感じた。
ひどいライブだったけど、ばかげたことに俺はこう感じたんだ。

これなら俺にもできるかもしれない、ってね。
0330ピート・シェリー
垢版 |
2019/06/25(火) 22:11:42.73
そこにいたのは全部で42人か43人だったと思う。
その数字には俺とハワード、それにピストルズのメンバーも含まれてたかもしれない。
俺はキャッシャーをやってて、受付で客の相手をしてた。

俺もハワードも、マンチェスターには何のツテもなかった。
俺たちはシーンの一部でもなかったし、遊び仲間も数えるほどしかいなかった。
俺たちにとってあの街は、単なる大都市でしかなかったんだ。

会場にはいろんなやつらが来たけど、誰もがよその世界の住人みたいに見えたし、
それは向こうにしても同じだったと思う。
人が少なかった上に、イベント自体がなんとなくそういう雰囲気だったこともあって、
終演後には客同士の間で自然に会話が生まれてた。

「やぁ、君はあのイベントにも来てたよね」みたいな感じでさ。
ああいう形で交流が生まれるのは、当時じゃ極めて珍しいことだった。
イエスみたいなバンドやポップに興味がないやつらは、みんな肩身の狭い思いをしてたからな。
0331バーナード・サムナー
垢版 |
2019/06/25(火) 22:16:38.49
セックス・ピストルズの伝説めいたFree Trade Hallでのライブ、俺たちはあの場にいたんだ。
演奏自体は大したことなかったんだけど、「俺も彼らみたいになりたい」と思わせてくれるライブだった。
テクニックがなくてもバンドはやれる、そう気付いたんだ。

ミュージシャンは誰もが崇めるような存在でなくちゃいけないっていうポップスター神話を、
彼らは木っ端微塵に破壊した。
一緒に行った友達にはこう言われたよ。「何てこった、あの程度のギターならお前にだって弾けるぜ」

70年代の音楽はテクニックこそすべてって感じだった。
リック・ウェイクマンのソロなんて、1秒間のうちに1000音くらい出してた。
アメリカ西海岸のプログレバンドの大半は生ぬるくて女々しかったけど、
ミュージシャンは神様のように崇められる存在で、リスナーは彼らの前にひれ伏してた。
「なんてテクニックだ、すげぇ」みたいな、ジャズに似たメンタリティだったんだ。

でもセックス・ピストルズのライブが始まった瞬間、これはまったくの別物だって悟った。
「テクニックなんてくだらねぇ、3コードさえ知ってりゃバンドはできる」そう宣言してるみたいだった。
コードを3つ覚えて曲を書いたらバンドを始める、そういうことなんだよ。
0332バーナード・サムナー
垢版 |
2019/06/25(火) 22:19:26.20
その後、俺とフッキーはその通りにした。

俺はギターの教則本を、やつはベースの本を買った。
俺たちは楽器を持って、アーウェル川を渡ってすぐのところにあった祖母の家に行った。

アンプは持ってなかったから、祖母が持ってた40年代の蓄音機の針を外して、
そこにギターとベースのアウトプットを無理やり繋いだ。
古い蓄音機だったけど、いい音だったよ。

俺たちは文無しだったから、他に使えるものもなかったしな。
それから俺たちは、2人で曲を書き始めたんだ。
0333ピーター・フック
垢版 |
2019/06/25(火) 22:22:32.73
その夜のうちに、俺たちはバンドを組んだ。

「バンドやろうぜ」の一言で始まったけど、その後の道のりは楽じゃなかった。
バーナードは以前に母親からギターを買ってもらってたから、それを使うことにした。

ジョイ・ディヴィジョンにおけるテリーの役割は決まっていなくて、
ヴォーカルだったりギタリストだったりドラマーだったり、
かと思えばマネージャーや照明係、ローディーだったこともあった。

俺はピカデリーにあるMazelsに行って、こういう感じのベースが欲しいって伝えた。
俺の希望に見合うのはひとつしかなくて、35ポンドのSGのコピーだった。
母親から金を借りないといけなかったけど、後でちゃんと返したよ。

それが俺たちのバンドの始まりさ。
0334テリー・メイソン
垢版 |
2019/06/26(水) 22:18:29.25
俺がやつらを無理やり連れて行ったんだ。

当時はフッキーもバーニーも音楽雑誌を読んでなかったし、(ジョン・)ピールの番組も
聴いてなかった。2人とも彼女がいたし、日常に特に不満は持ってなかったはずさ。
そんな状況が突如一変したわけだ。

それまでバンドっていうのは敷居が高くて、人生の大部分を費やさないといけなかったのに対して、
パンクに必要だったのはアティテュードと、ほんの少しのコードだけだった。
ものすごいスピードと爆音で弾いてりゃ、ミスっても誰も気づかないからな。
0335バーナード・サムナー
垢版 |
2019/06/26(水) 22:20:47.64
テリーはギャングの一味みたいなもんだった。すごくエキセントリックなやつでね。

セックス・ピストルズのことを俺たちに教えてくれたのもあいつだった。
メンバーがステージ上で喧嘩するっていうのをNMEで読んで、俺たちに声をかけてきたんだ。

「このバンドを観に行こうぜ。ステージ上でメンバーたちが殴り合うらしいんだ、笑えるかもよ」
0336Iain Gray
垢版 |
2019/06/27(木) 21:58:47.57
俺はボウイとヴェルヴェッツ、それにイギー・ポップとも話したことがあったけど、
特に刺激を受けたりはしなかった。
でもセックス・ピストルズを見た時は、かつてないカタルシスを感じた。
「これなら俺にもできる」そう思ったんだよ。

イアンもそこにいたのを覚えてる。フッキーとバーニーもね。
やつらはミック・ハックネルもいたって言ってるけど、チャーリー・ドレイクそっくりのあの顔を
俺が見落とすはずがないんだ。

俺は当時、ウィゼンショウ出身のラムってバンドにいたんだ。
絶対成功できるって思ってたけど、現実はそう甘くなかった。
それで俺はバンドを抜けたんだ。
0337Alan Hempsall
垢版 |
2019/06/27(木) 22:07:20.81
当日のショーは早めで、7時30分開演ってことになってた。
会場はFree Trade Hallっていうコンサートホールだったから、普通のクラブみたいにはいかなかったんだ。

その日の昼にVirgin Recordsに行ったんだけど、店内には古いNMEのページをコピーしたやつが積んであった。
喧嘩騒ぎになったナッシュヴィルでのライブについての記事で、客にパンチを浴びせたジョニー・ロットンは
気狂いだって書かれてた。

チケットはたった50ペンスだったし、俺たちは興味津々で遊びに行った。
会場に着いてバンドの出演時間を知った時はびっくりしたけどね。
当時俺は15歳で、帰宅したのは22時半〜23時頃だった。
0338Alan Hempsall
垢版 |
2019/06/27(木) 22:11:02.38
前座はSolsticeっていうヒッピーのバンドだったんだけど、マウンテンのナンタケット・スレイライドの
カヴァーを演ってて、嫌な予感がし始めてた。でもセックス・ピストルズがステージに出てきた時、
その見た目だけで前座のやつらとは完全に別物だって悟った。

俺の隣には男友達が座ってて、そいつはあろうことかセックス・ピストルズって名乗ってたんだけど、
バンドが登場するやいなやステージにむかってこう言った。「あーあ、あんたあんまセクシーじゃないね」
ジョニー・ロットンはすぐさま反応して、そいつを睨みつけてこう言った。
「だから何だ?セックスしてぇのか?」
すると俺の友達はこう返した。「50ペンスでそこまでしてくれるとは思わなかったな」

演奏が始まると、やつらが腕利きのミュージシャンだってことがはっきりした。
噂を信じるもんじゃないぜ、セックス・ピストルズの連中は楽器が弾ける。かなりの腕前さ。

客は45人くらいで、50人以上ってことは絶対になかった。
ボウイのクローンみたいなやつらやヒッピーが多くて、すぐ仲間意識を覚えたよ。
アンコール前にバンドがチューニングやら何やらで準備してた数分間、最前列にいた俺たちは
ジョニー・ロットンと話すことができたんだ。
0339Paul Morley
垢版 |
2019/06/27(木) 22:18:23.21
ずっと閉じこもってたベッドルームから思い切って飛び出した音楽ジャンキーたち、
彼らのことを僕はそう認識してる。
ポップグループの一員になるっていうのは、社会不適合者の彼らが他人と接するための唯一の手段だったんだ。

マンチェスターの面白いところは、中心地っていうのが存在しないところだ。
そこにいる人々の大半は、ストックポートとかチョーリー、オールダム、マックルズフィールド、サルフォード、
そういう周辺の町から来ていた。そのせいか、街には小さな集落みたいな雰囲気があった。

初めてライブを観た時のことはよく覚えてるよ。客はあまりいなかったけど、本当に衝撃的だった。
未知の何かを突きつけられて困惑し、誰もが言葉を失っていた。もちろん、当時の映像を今観ても
そんな風には思えない。服装も地味だし、髪型も特に奇抜ってわけじゃない。
最初のライブの時はもう少し短かったけどね。
まだヒッピー予備軍だった僕らは、そのまったく新しい世界に足を踏み入れる準備ができてなかったんだ。
0340Paul Morley
垢版 |
2019/06/27(木) 22:34:31.86
メンバーがステージに現れた途端、会場に異様な空気が立ち込めた。
その4人は見るからに、何か不穏なものを感じさせた。
彼ら自身というよりも、30年代のカルトホラー映画『Freaks』に出てきたボンデージ姿の
小人たちを思わせる彼らの取り巻きが、ステージ脇でうろうろしてたことが原因かもしれない。
とにかくエキゾチックに思えた。

正直なところ、彼らの見た目はフェイセズと大差なかった。
しかし演奏はまったく別で、バンドの背景について知っていたことも関係しているかもしれないが、
彼らのショーはまるで舞台演劇であり、ロックとはかけ離れたものに感じられた。
従来の文脈では語れない、まったく別の何かだった。

弾いているパターンやコードは使い古されたものであるにもかかわらず、どこか非現実的で違和感に満ちていた。
古典的なのに、そのサウンドには奇妙なアヴァンギャルド感があった。
0341Paul Morley
垢版 |
2019/07/02(火) 01:19:26.31
弾いているパターンやコードは使い古されたものであるにもかかわらず、どこか非現実的で違和感に満ちていた。

僕はひとりで来ていた。
ファウストやビーフハートがそうだったように、噂は南部の方から流れてきていて、ストゥージズみたいな
予想不可能な何かを目撃できるんじゃないかという期待を抱かせた。
小さな劇場のステージに立った、奇妙であどけなさを残した若者たちから目を離せずにいた僕は、周囲の誰にも
話しかけようとしなかった。

その日の前座はボルトン出身のヒッピーバンドSolsticeで、彼らがマウンテンのカバーなんかをやってたせいで、
僕たちに革命を目の当たりにしているっていう感覚はなかったかもしれない。

それが起きたのは、それから6週間後のことだった。
0342Tony Wilson
垢版 |
2019/07/02(火) 01:23:00.52
彼らのライブを初めて観た夜、最初は戸惑ったけれど、「ステッピング・ストーン」が始まった瞬間に悟った。
こいつらは只者じゃない、とんでもない逸材だってね。

その後僕はGranadaでの番組に彼らを出演させようと提案し、リサーチャーのMalcolm Starkを連れて
Walthamstow Assembly Hallで行われたライブに足を運んだ。

この日もやっぱり客は少なくて、全部で80人程度だったと思うけど、
そのうちの半分くらいは飛んでくる唾がかからない程度にステージから離れて、半円型をなす形で集まってた。
0343ピーター・フック
垢版 |
2019/07/02(火) 01:25:24.70
セックス・ピストルズのショーの後、人があんまり入ってなかったこともあって、客同士の間で自然と会話が生まれてた。
何かひどいことが起きた時に、隣に立ってる赤の他人と言葉を交わすのと同じさ。
車の衝突事故を目の当たりにしたら、「まぁなんてこと、酷いわねぇ」なんて言うだろ? 

ライブ会場で他人に話しかけることなんて滅多にないけど、セックス・ピストルズのライブは文字通り「事故」だったから、
会話が自然と生まれたんだよ。

みんな興奮してたってことさ。
0344リチャード・ブーン
垢版 |
2019/07/02(火) 01:29:57.35
マンチェスターはまるで、空っぽの撮影スタジオのようだった。
中性子爆弾か何かが落とされて、廃墟と化した街みたいな雰囲気だった。
自然と人が集まってくる中心部ってものがなくて、芽生えた資本主義が急速に死に絶えつつある、そんな感じだった。
シーンがなかったから、バンドを組む人間もいなかった。

当時僕はNew Manchester Reviewっていう、ごく少数が隔週で発刊されてた雑誌の音楽イベント欄を担当してた。
枠を埋めるために、Stalybridgeみたいなロクでもないハコのイベントまで掲載しなくちゃいけなかった。
シーンと呼べるようなものは皆無だったんだ。
0345リチャード・ブーン
垢版 |
2019/07/02(火) 01:31:37.71
ビート・ジェネレーションの頃、マンチェスターとリヴァプールは優れたバンドを幾つも生んだけど、
その後状況は変わっていった。ビートルズがロンドンに移り、リヴァプールは事実上終わった。
マンチェスターのシーンは警察によって封鎖され、遊び場のほとんどが奪われてしまった。
大学や職業訓練校なんかはあったけど、当時そういう場所は学生以外には開かれていなかった。
他に思いつく場所といえば、プログレの残党の受け皿になってたFree Trade Hallくらいしかなかった。

どこもかしこも寂れていて、社交場と呼べるような場所はほとんどなく、観るべきバンドも皆無だった。
中規模のハコを満員にできるようなバンドがことごとく消滅し、誰でも見境なく出演させてたロクでもないパブでは、
目も当てられないような模倣バンドがライブをしてた。
マンチェスターという街とそこに生きる人々が宿したスピリットは、今や風前の灯火だった。
0346伝説の名無しさん
垢版 |
2019/07/06(土) 22:10:04.98
今月でイアン・カーティスの年を超えちゃうのか…
0347ピート・シェリー
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2019/07/07(日) 08:30:13.02
(ピストルズの)2度めのショーをやった7月20日の時点で、俺たちのバンドにはベーシストとドラマーが加わってた。
実を言うと、セックス・ピストルズの最初のライブの時に、マルコム・マクラーレンが手引きしてくれたんだ。
当日会場の外で誰かを待ってた無防備な様子の男に、マルコムが「お前がベーシストか?」って声をかけると、
そいつはイエスと答えた。
するとマルコムは「奴らは中にいるよ」と言って、俺がいたチケット受付のところまでそいつを連れてくると、
窓越しに「彼がお前のバンドのベーシストだ」って言うんだ。
それがスティーヴ・ディグルだったんだけど、やつは明らかに困惑してたよ。
「じゃあ、ハワードが上にいるから紹介するよ」そう言って俺がやつを連れてこうとすると、スティーヴは
会場でもうひとり別の人間と会うことになってたらしくて、「セックス・ピストルズのライブがもう始まるし、
とりあえず観ないか?」って言った。

俺たちはそんなやりとりを交わしつつ、翌日には一緒にリハーサルしてた。
その後、1ヶ月位前にドラムキットを買ったばかりだった16歳のJohn Maherがバンドに加入した。
俺とハワードは1975年末くらいから曲を書いてたから、ライブの準備はできてたんだ。

スローター・アンド・ザ・ドッグスのやつらは、自分たちがバズコックスよりも多くの客を連れてこれるってマルコムに訴えてた。
それは本当だったけど、やつらのいう客っていうのにはスローター・アンド・ザ・ドッグスのファンだけじゃなくて、
ピストルズの最初のライブに来てた客や、そいつらから噂を聞いて興味をもったやつらのことも含まれてた。
それにセックス・ピストルズ自体が話題になり始めてたから、次のライブにより多くの客が来たのは当然だった。
0348ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/07(日) 08:34:25.81
結局その公演で前座を務めた俺たちは、30分のセットの最後に客席に突っ込んだ。
大切なのはギグがどういうものかっていう既成概念をぶっ壊すことだったから、そういう無茶もアリだと思ったんだ。
リハーサルでは俺はハーフソーンのStarwayのギターを使ってたんだけど、ある日俺がかなり激しくそれを弾いてた時に、
勢い余って床に投げると真っ二つに割れちまった。
その時に、実はそのギターがハーフソーンじゃなかったってことが判明した。こんな安物ならまた買うかってことになって、
俺はAudition GuitarのやつをWoolworthsで20ポンドくらいで買った。
どうせ安物だから、俺とハワードはセットの最後にそのギターを思いっきりぶっ壊すことにした。
やつは弦を次々に引きちぎり、俺はギターを床に叩きつけた。まさにカオスそのもので、すごく気持ち良かったよ。

セックス・ピストルズは明らかにレベルアップしてた。
俺が「アナーキー・イン・ザ・UK」を生で聴いたのはあの日が初めてで、始まった瞬間にこれは時代を変えるって確信した。
まるで開け放った扉の向こう側から、巨大な像の群れが突進してくるかのようだった。
0349Paul Morley
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2019/07/07(日) 08:37:32.07
数週間後に再び彼らのライブに行った時、フーリガンと化していた僕はスローター・アンド・ザ・ドッグスの
ヴォーカルのウェイン・バレットにピーナッツを投げつけたことで、危うく会場から放り出されるところだった。
僕の目には、やつらはフェイクとして映った。

ピストルズを初めて観た日から6週間、誰が本物で誰がそうでないかを見極めようとしていた僕らには、
スローター・アンド・ザ・ドッグスはただブームに乗っかろうとしているだけのバンドに思えた。
その一方で、その日のトップバッターだったバズコックスは本物だと感じたし、地元のバンドだってことにも希望を持てた。
0350ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/07(日) 08:41:22.27
会場には最初のライブにも来てたやつらがちらほらいて、自然と会話が生まれた。
バンドを始めたい、あるいはファンジンを作りたいっていうやつらが大勢いたよ。パンクは来るものを拒まない。

「これは俺たちのもので、お前らはおよびじゃないし、それは今後も変わらない」みたいな、
それまでのアートフォームにありがちだった閉塞感がなかった。「お前にもできるさ、やってみろよ」、
それがパンクのアティテュードだった。

ユーモアたっぷりなところも魅力だった。
そのバンドがやらかすかもしれないことについて考えるだけで楽しかった、それがまずあり得ないとわかっていてもね。
あのバンドならこんな無茶をしでかすかもしれない、そんな風に想像を巡らすことがリスナーの楽しみでもあったんだ。
0351ピーター・フック
垢版 |
2019/07/07(日) 08:45:18.35
俺たちは2回目のセックス・ピストルズのライブにも行った。
バズコックスが前座をやってたけど、その頃には俺たち自身もシーンの一員だって感じてた。
ハワード・ディヴォートとかに比べて労働者階級臭さが強すぎるとか、そんな理由で隅っこの方に追いやられてはいたけどな。

俺たちは不良だとみなされてたし、実際その通りだった。
俺らがつるんでた連中や、俺らが生まれ育った地域には、そういうイメージが染み付いてた。
向こうはアートカレッジとかで自由を謳歌してたんだろうけど、俺たちはまだ自分たちの居場所を見つけられずにいた。

それでも素晴らしいシーンだった。

パンクスがまだマイノリティだった頃、The Ranchは聖地みたいなものだった。
コミュニティ的なムードの中で俺とバーニーは浮いてたけど、気にせず通ってたよ。
0352ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/07(日) 21:42:36.34
Dale StreetのFoo Foos Palaceの隣にあったビルの地下に、The Ranchっていう小さなバーがあったんだ。
Foo FooはLily Savegeみたいな、辛辣なウィットを持ったオネエだった。
そこは未成年でも酒が飲める場として知られていて、見るからに15歳以下のやつにも酒を出してた。
定番はカールスバーグのSpecial Brewで、ボトルにストローをさして飲むんだ。
そこで2、3本ボトルを開ければもうご機嫌さ。

1976年の8月、Lesser Free Trade Hallでセックス・ピストルズの前座を務めた後、
俺たちはFoo Fooがやってたマッサージパーラー兼サウナに行った。
肩からタオルを下げてた彼はいかにも70年代のギャングスターって感じで、『ロンドン特捜隊スウィーニー』
のワンシーンみたいだった。
「あんたのクラブでギグをさせて欲しいんだ」俺たちのその申し出を、彼は訝しみながらも承諾してくれた。
俺たちの考えは間違ってなかったってわけだ。
0353ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/07(日) 21:43:37.67
8月にそこで開催したライブには、The Ranchの常連客たちだけじゃなく、バズコックスの噂を耳にしてたやつら
もたくさんやってきた。俺たちが数曲やったところで、盛装したFoo Fooが割り込んできてこう言った。
「その忌々しい騒音を今すぐ止めてちょうだい」

当時のThe Ranchは、Pipsに立ち入れなそうなボウイやロキシー好きのキッズたちでいっぱいだった。
最初のうちは金曜と土曜だけだったけど、そのうち日曜日にも人が入るようになって、そこは俺たちの社交場になった。
後にザ・フォールを始めるやつらと初めて会ったのもそこで、やつらはカウンターのそばで飲んでた。
すごく小さなバーで、50人も入ればパンパンって感じだったから、まさにちょうどいいサイズだった。
どんな身なりをしていても誰も気に留めない、そういう場所だった。

当時ちょっとでも奇抜な格好をしたやつらは、ほとんどのバーで門前払いにされてた。
The Ranchはドラァグの聖地だったし、文字通り地下にあったこともあってか、ドアポリシーは無いも同然だった。
誰もが歓迎され、そこでしか聴けない音楽を楽しむことができる場所だったんだ。
0354Tony Wilson
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2019/07/07(日) 21:46:43.69
僕らは『So It Goes』にセックス・ピストルズを出演させた。
それがSeries 1の最終回で、僕らは半ば使命感から3組の未契約バンドを出演させた。
彼らの態度は横柄で、Clive Jamesに喧嘩を売ってたよ。かなり酔ってたからね。

彼らの出演は3分半の予定で、事前にリハーサルしてたにもかかわらず、
あと5分で撮影終了っていう状態から7分間演奏し続けた上に、スタジオの機材を蹴って破壊してしまった。
2日後、ディレクターは映像を3分半に編集した。その翌日、僕はGranadaの上司から大目玉を食らうことになった。
最初から嫌な予感はしてたがね。
0355ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/07(日) 21:50:03.98
シャツにジーンズ姿のTVプレゼンターが、まさかパンクに興味を示すとは思いもしなかった。

彼はGranadaで、地元のニュース番組の司会をやってた。
パンクのギグに彼みたいな人物がやってきたのは意外だったけど、テレビの世界と繋がりが持てるってことには
やっぱり興奮した。
彼は『So It Goes』っていう番組をスタートさせ、セックス・ピストルズを出演させた。
0356Paul Morley
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2019/07/07(日) 21:55:18.41
7月に行われたセックス・ピストルズのライブ以降、シーンはしばらくの間沈黙していた。
みんな態勢を整えようとしていたんだ。バズコックスはDeansgateで、チェルシーとの2マンライブをやった。

ビリー・アイドルとトニー・ジェイムス、それにスティーヴ・ディグルと一緒に酒を飲んだのを覚えてるよ。
変わり者の一匹狼だった自分が電話でハワード・ディヴォートと話してるっていう状況に、僕はすごく興奮していた。
好きな言葉を5つ挙げて欲しいと言うと、彼は「I like eating ice cream」と答えた。
その時彼はアイスクリームを食べてたんだ。

ライブ会場では誰もが同じような格好をしてた。僕自身髪を短く切っていたし、他に着るものがないと言わんばかりに、
祖父の衣装棚から引っ張り出してきたかのような服を着てるやつが多かった。

シーンが沈黙していたその間、ワルシャワやバズコックスみたいなバンドは自分なりの回答を示すべく水面下で格闘していた。
言うまでもなく、その引き金になったのはピストルズのライブだった。
彼らと同じように、奇妙な音楽に夢中になっていたマンチェスターの同世代の若者たちがバンドを組み、
優れた音楽を生み出していった。
0357Richard Boon
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2019/07/07(日) 21:59:22.58
1976年の11月10日、俺はElectric Circusで初めてイアン・カーティスと会った。

当時バズコックスは自分たちでイベントを企画していて、その日はロンドンからチェルシーを呼んでた。
俺はキャッシャーをやっていて、そこにイアン・カーティスが来たんだ。
その夏にすごく話題になってたフランスのMont-de-Marsan Festivalがいかに退屈だったかということを、
彼は延々とグチってた。

熱っぽく話す様子を見ながら、こいつも自分たちと同種の人間なんだって思った。
0358ピート・シェリー
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2019/07/11(木) 22:17:49.92
Electric Circusは元々ヘヴィメタ専門のハコだった。大きさも手頃で、端に作られたステージはかなり立派だった。
壁が一面真っ黒に塗られてたから中は暗くて、入り口のとことホールの脇と後方にバーがあった。

盛り上がりつつあったパンクのオーディエンスを積極的に取りこもうとしていたElectric Circusは、マンチェスターにおける
パンクとニュー・ウェーヴの中心地になっていった。

場所は寂れた市営住宅が立ち並ぶCollyhurstってとこで、中心部からは歩いて40分くらいかかった。
いつもその辺をうろうろしてたいかつい野良犬を追っ払えるよう、みんな何人かで一緒に来てた。
0359Richard Boon
垢版 |
2019/07/11(木) 22:20:05.54
ライブハウスは数えるほどしかなかった。

Electric Circusは空襲に遭ったかのようだったOldham Streetの端にあった。Pipsはディスコをはじめ、ボウイや
グラムロック以降のものはなんでもござれって感じだった。

Band on the Wallは伝統的なジャズが多かったけど、それ以外のイベントも時々やってて、交渉次第では月曜の夜なんかは
安く借りられた。
以前はクラシックのコンサートが開かれてたHoldsworth Hallとか、そういう借り手がなくなってるハコが狙い目だった。
0360ピーター・フック
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2019/07/11(木) 22:22:19.48
セックス・ピストルズがElectric Circusでやった最初のライブはすごく良かった。

Anarchy in The UKツアーの一環だったから、宣伝もしっかりしてた。その時のポスターはずっと持ってたよ、
母親が勝手に捨てちまうまではね。

例の『Bill Grundy Show』に出た後、他の公演が次々にキャンセルになってたこともあって、彼らはそこでもう1回ライブをやった。
会場の外にはフーリガンや変人が行列を作ってて、向かいの建物からはボトルが大量に飛んできた。
もはや暴動って感じで、悪夢のような夜だった。
0361Richard Boon
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2019/07/11(木) 22:24:58.94
自主企画してた一連のギグが『スパイラル・スクラッチ』を作るきっかけになったのは間違いないけど、Anarchy in The UKツアーの
あまりの成功ぶりに、パンクのピュアな部分が失われつつあるっていう危機感を抱いたことも関係していたと思う。
タブロイド紙にも取り上げられ、パンクはクリシェと化しつつあったけど、それは俺たちの感覚とはかけ離れていたから、俺たちは
自分たちのパンクを形にする必要があった。

一刻も早く実行に移すため、俺たちはちょっとしたリサーチをやって、仲間やピートの家族に資金集めを手伝ってもらった。
おかげで1000枚刷ることができたけど、それをどうするかはまるで考えてなかった。

9 Lever StreetにあったVirginのレコード店のマネージャーだったJohn Websterは、そのうちの何百枚かを買い取ってくれた上に、
近隣のストアマネージャーたちにも声をかけてくれた。

Virginは本部が仕入れを一括管理してたから、同僚たちを説得するのは容易じゃなかったはずだ。
その後ラフ・トレードのGeoff Travisが電話をかけてきて、気づけば俺たちは初期パンクムーヴメントの一端を担う存在として
見なされるようになってた。アルバムは再プレスを重ねて、約1万6000枚を売り上げた。
0362Martin Hannett
垢版 |
2019/07/11(木) 22:29:25.55
俺は7月にFree Trade Hallで行われた、ピストルズの2度目のライブに行った。
リズムセクションはタイトだったし、いいバンドだと思った。大いに楽しんだよ。バズコックスも良かった。
俺はスローター・アンド・ザ・ドッグスと仕事をしてたけど、場違いな感じは否めなかったね。

やつらがやってたのはグラムロックだったからさ。
ピストルズのファーストアルバムがますます楽しみになったけど、家に帰ってから俺はこんな風に考えてた。
「リズムギターは180本くらい重ねられるんだろうな。
クズってわけじゃないだろうけど、ありきたりなレコードになっちまうんだろうな」
0363Martin Hannett
垢版 |
2019/07/11(木) 22:31:11.17
俺が初めてプロデュースしたパンクのレコード、それがバズコックスの『スパイラル・スクラッチ』だった。
「俺たちはライブもやったし、雑誌にも取り上げられた。次にやるべきことは何だ?」そう話すリチャードに、俺はこう返した。
「レコードを出すのさ」

ピートの親父のMcNeish氏が金の目処をつけてくれて、俺たちは16トラックのマルチコレコーダーが置いてあったIndigoに入った。
その時も俺は色々試そうとしてたんだけど、スタジオのエンジニアはこんな風に怒鳴り散らしてた。
「だからスネアにそんなエコーかけちゃいけないんだよ!」
そんな感じだったから、結局4トラックレコーダーで録ったみたいな音になった。

あのレコードは未完成のままだ。
できることならマスターを奪ってミックスをやり直したかったけど、そのエンジニアがレコードをとにかく嫌ってて、
勝手に全部消しちまってたんだ。今聴くとモニターミックスかと思うだろうね。
極端に明るいギターの音なんか特にさ。コンプレッサーをかけた上に、俺が高音を足したんだ。
俺はあのギターが大好きだったからさ。それが彼らのサウンドだったし、あのレコードはその記録なんだよ。
0365Paul Morley
垢版 |
2019/07/11(木) 22:43:44.06
76年の末頃、ピストルズはElectric Circusで2回ライブをやったと思う。
ザ・クラッシュやバズコックスが前座を務め、ローカルのキッズで満員になった会場の光景には興奮したね。

僕がワルシャワのことを知ったのは、彼らが実際に活動を始めてからだったと思う。
その頃から風変わりなワインセラーやストリップクラブ、大学の隅っこのスペースなんかで色んなイベントが開催されるようになり、
僕が彼らと出会ったのもそういう場だった。
0366Iain Gray
垢版 |
2019/07/11(木) 22:49:07.69
新しいバンドを組もうとしていた俺は、Virgin Reocrdsの店内に「パワフルで情熱的なヴォーカリスト求む」っていう貼り紙を出してた。
誰かが「条件: 10000ボルトの電流に耐えられること」って落書きしてあったよ、マンチェスターならではのユーモアさ。

唯一連絡してきたのがイアン・カーティスで、俺たちはセールにあったVine Innていうパブで会うことにした。
イアンは背中に「hate」ってプリントされたジャケットを着てた。1976年当時のマンチェスターじゃ、それはかなり危険な行為だった。
ドンキージャケットを着たやつが店に入ってきた瞬間、周りにいた地元の奴らが「何だあいつ?どういうつもりだ?」って色めき立つのがわかった。

話してみると、イアンはすごくいいやつだった。
まともなやつなら、関わらない方が良さそうだって思っただろうけどね。
レザーパンツに「hate」プリントのコンバットジャケット、まるで『タクシードライバー』のデ・ニーロみたいだと思ったけど、
彼は実際あの映画が好きだったんだよ。彼はすごく落ち着いていて、実際の年齢よりも大人びてた。俺は当時18歳で、彼は20歳か21歳だったと思う。

「パンクこそが理想だ。結婚なんて退屈の極みさ」俺がそう言うと、彼は手にはめた指輪を見せてこう言った。

「俺は結婚してるけどね」
0367Iain Gray
垢版 |
2019/07/21(日) 13:50:25.33
イアンとデビーはヒュームのStamford Streetにあった彼の祖母の家に住んでいて、俺も何度か行ったよ。

クリスマスシーズンで部屋の中には風船が浮かんでたんだけど、棒状のやつが丸いの2つに挟まれててチンコの形になってた。
彼の祖母はまったく気づいてない様子だったけど、イアンは笑ってたよ。

彼は本当にいいやつで、デビーに花やチャコレートをプレゼントしてた。
あんな絵に描いたようなカップルには会ったことがなかったから、正直妬けたよ。

イアンは本当に幸せそうだった。

子供こそいなかったけど、まさにバラ色の人生って感じだった。
彼はよくタバコを吸ってて、マルボロがお気に入りだった。好きな酒はColt 45だったけど、彼はあまり飲む方じゃなかった。
デビーを膝の上に座らせて、2人はテレビを観ながら一緒に紅茶を飲んでた。

若くして公務員になってた彼は、上流階級の出身だった。当時はサッチャー政権が始まる前で、まだそういうのがあったんだ。
彼は保守党を支持していて、とにかく野心に満ちてた。何があっても成功してみせるっていう、ギラギラしたものを内に秘めてた。

デビーは家にいることが多かったけど、俺たちはElectric Circusや初期のバズコックスのライブによく遊びに行った。
1976年にElectric Circusでやったダムドのライブにも行ったし、Anarchy in the UKツアーの2公演も観た。
レコードもよく貸しあったよ。

彼も俺と同じくイギー・ポップが好きで、あとヘヴィーなダブやジャマイカのレゲエにも詳しかった。
リー・ペリーやU・ロイ、I・ロイとかね。
0368Iain Gray
垢版 |
2019/07/21(日) 13:53:39.64
俺がそうだったように、彼もセックス・ピストルズのライブを観て感化されてた。
彼はデビーと一緒にフランスのパンクのフェスに行ってたけど、俺は当時その存在さえ知らなかった。

出会ってから2週間後くらいに、俺たちは一緒にロンドンに行くことにした。シーンがどんな感じなのか知りたくてね。
Kings Roadにあったピストルズとマルコム・マクラーレンがやってたショップや、The Roebuckに行った。

どこかで遭遇するかもって期待してたピストルズのメンバーとは会えなかったけど、チェルシーのジーン・オクトーバーには会えたよ。
ロンドンのバンドをマンチェスターに呼んで俺たちが前座をやる、そういうプランだったんだ。

ドン・レッツと話した時のことはよく覚えてるよ。当時ドレッドロックは珍しくて、すごく目立ってた。
自分たちが前座をやる前提で、マンチェスターにロンドンのバンドを呼ぼうとしてるって伝えると、彼はこう言った。
「いいバンドがいるんだけど、まだ時期尚早だ」多分ザ・クラッシュのことを言ってたんだと思う。

イアンは彼にこう言った。「ロンドンのいいバンドを知らないかい?あんたってすごくクールだからさ」
シャイだった俺と違って、イアンは積極的に人に話しかけた。彼もシャイではあったけど、人と話すのは苦じゃないみたいだった。

その時点で、俺たちはまだ一度もリハーサルをしてなかったけど、やがて誰かの家の庭にあった物置やパブなんかでやるようになった。
俺がギターで彼がヴォーカルだったんだけど、彼が持ち歩いてたちいさなスーツケースにはリリックノートが大量に入ってた。
それから1ヶ月くらいして、俺はそれを読み始めたんだけど、そこには「デイ・オブ・ザ・ローズ」や「リーダーズ・オブ・メン」、
下書き段階だった「キャンディデイト」の歌詞が書いてあった。

1976年当時、彼はナチスの戦車隊の指揮官たちのことなんかをテーマにしたSven Hasselのフィクションをよく読んでて、
『Wheels of Terror』を特に気に入ってた。

「リーダーズ・オブ・メン」の歌詞を読んだ時は笑ったよ、Sven Hasselの本のまんまだったからさ。
79年か80年頃には2人ともすっかりリベラル派になってたから、そういう本を読んでたことは口にさえできなくなってたけどね。
0369Iain Gray
垢版 |
2019/07/21(日) 13:56:11.01
ある日のリハーサルで、彼は死んだ蝿のダンスを初めて披露した。

ロクでもない曲だったけど、俺は無我夢中でギターを弾き、彼はこんな風に白目をむいたまま大きく仰け反ってた。
俺が知る限り、彼はまだてんかんを患っていなかった。
もしなってたんだとしたら、かなり上手にそのことを隠してたってことになる。

俺はその兆候を目にしたことはなかったけど、時々心ここに在らずって感じになることがあって、
そういう時の彼は近づきがたかった。
普段は思いやりのある優しいやつだったからこそ、その落差は不気味だった。

その頃ベーシストが加わって、俺たちはモス・サイドにあったGreat Westernっていうパブでいつもジャムってた。
電話で「おたくでリハさせてくれないか?」って交渉してオーケーをもらったんだ。

そこはいかつい労働者階級のやつらのたまり場になってて、みんな俺たちのことをじろじろ見てた。
ジャケット姿のイアンがマイクに向かってシャウトし始めると、「うるせぇ!」って怒鳴られて放り出されたよ。
当時、イアンはまだ自分の歌声を確立できていなかった。
みんなが知る前の彼は、猫背でボソボソと歌詞を読み上げるっていうスタイルだった。

そうこうしてるうちにクリスマスが過ぎた。結局ドラマーは見つからなかった。

バンド名の候補は幾つかあったけど、ワルシャワっていう案を出したのはイアンだった。
彼は当時、ボウイの同名のアルバムにハマってたんだ。

俺たちは優れたアイディアをたくさん持ってたけど、結局芽が出ないまま翌年の2月頃に自然消滅した。
0370バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/21(日) 14:00:01.36
バンドを組んだ俺たちが次にすべきこと、それは言うまでもなくドラマーとシンガーを見つけることだった。

祖母の家はドラムを入れるには小さすぎたから、リハーサル場所も見つけないといけなかった。

俺たちは当時ピカデリーにあったVirgin Recordsに行って、ドラマーとヴォーカル募集の貼り紙をした。
いかにもパンクっぽいだろ。

実際俺たちは、当時毎晩のようにパンクのギグに行ってた。
The Ranchではちょっとしたシーンが出来上がりつつあって、そこに行けばいろんなやつと知り合うことができた。

電話を持ってたのは俺だけだったから、その貼り紙にはウチの番号を書かないといけなかった。
いたずら電話が山ほどかかってきたよ。

俺とテリーは彼が持ってたVauxhall Vivaでディズベリーまで行き、筋金入りのヒッピーの男と会った。
俺たちはパンクスだったから自然な流れだろ? 

その男とは前にも一緒に飲んでて、そいつの家に行ったこともあった。そいつん家には椅子がひとつもなくて、
彼がクッションを床に置いてあぐらを組んでたから、俺たちもその向かいにクッションを置いて座った。

俺とテリーはお互いをちらちら見ながら、「ここは一体何なんだ?」っていう無言のメッセージを発し続けてた。
0371テリー・メイソン
垢版 |
2019/07/21(日) 14:04:20.08
バーニーは既にギターとアンプを持ってたから、すぐにでもバンドを始められる状態だった。

ベーシストになるつもりだった俺は、フッキーがベースを買ったことに落胆した。
俺はやつよりも背が高かったし、ベーシストは長身って決まってるからな。
仕方なく俺はギターをやることにしたんだが、まずは金を貯めなくちゃいけなかった。
その後、俺たちはイアンと意気投合し、彼がバンドに入るとほぼ同時に、俺は自分のギターを買った。

シンガーを仲間内で見つけようとしていた俺たちは、まずフッキーの友達だったDanny Leeに声をかけた。
ビリー・アイドル顔負けの冷笑を浮かべた彼はすごくクールで、ヤル気もありそうだったのに、結局バンドには入らなかった。
仕方なく、俺たちは仲間内以外のところでヴォーカリストを探すことにした。

俺らはみんな無口でシャイだったから気が重かったけど、Virginのレコード店に貼り紙をしたところ、何人かが連絡してきたんだ。

そのうちの1人は文字通りの狂人で、見た目が今のミック・ハックネルそっくりだった。
赤毛の長髪をポニーテイルにしてて、Catweazleみたいなあごひげを蓄え、首と手を出すために穴を開けたクッションカバー
みたいなのをジャンパーがわりに着てた。
家を訪ねた俺たちを前に、そいつは3弦のバラライカを引っ張り出してきた。
そいつが歌い始めると、俺たちは逃げ出すようにそこを後にした。

先が思いやられるなって2人で話してた矢先に、イアンが連絡してきたんだ。
0372バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/23(火) 22:14:19.09
イアンとはElectric Circusで会った。Anarchy in the UKツアーか、ザ・クラッシュのギグのどっちかだったと思う。

彼はIainっていうやつと一緒に来てて、2人ともドンキージャケットを着てたけど、イアンのやつは背中に「hate」って書いてあった。
いいやつそうだったし、すごく好感を持ったよ。その日はあまり話せなかったけど、やたら印象に残った。

それから1ヶ月後くらいに、俺たちはVirgin Recordsの店内にヴォーカリスト募集の貼り紙をした。
パンクの時代はそれが一般的なやり方だったんだ。

募集をかけて以来、気違いじみたやつらが大勢電話してきた。
マジでロクでもないやつばかりだったけど、ある日イアンが連絡してきた。

「ザ・クラッシュのギグで会わなかったかい?Iainってやつと一緒に来てただろ?」って俺が言うと、彼はその通りだと答えた。

俺はその場でこう言ったよ、「じゃあヴォーカルはあんたで決まりだ」ってね。オーディションもやらなかった。

どういう音楽が好きかって聞くと、名前の挙がったのが俺たちの好きなバンドばっかだったから、彼でいこうってことになった。

当時イアンはデビーと一緒に、モス・サイドのAyres Roadにあった彼の祖母の家に住んでた。
俺とフッキーは2人でそこを訪れ、その場で彼を正式にメンバーとして迎えた。
0373ピーター・フック
垢版 |
2019/07/23(火) 22:20:30.32
イアンとはElectric Circusの階段のところで知り合った。

俺たちの前にいた、背中にマスキングテープで「hate」って書いた服を着た男、それがやつだった。
そのテープは毎朝仕事に向かう前に剥がしてたらしいけどね、あの世にいても覚えてるといいんだけどな。

やつが背を向けるのを見て、俺たちは「『hate』とはね、気合い入ってんな」なんて軽口を叩きながらも、
イカしてると思ってた。

やつのことはいろんなギグで見かけてて、ちょっとガキっぽい熱さがやけに気になってた。

やつは友達とバンドを組んでて、そいつはギターをやってた。
当時はパンクバンドにツインギターはご法度みたいな暗黙の了解があったから、やつがそいつと一緒に
俺たちのバンドに加わることはできなかった。

後に状況が変わるわけだけど、バーナードと俺はずっとヴォーカルを探してた。
その頃の俺たちがどれだけ本気だったかは覚えてないけど、イアンが加わってトリオになった時、
欠けてたパズルのピースが見つかったって感じた。

ある日どっかのギグでまた顔を合わせた時、相方だったギタリストはもういなくなってたから、
やつはヴォーカリストとして俺たちのバンドに入ることになった。
0374テリー・メイソン
垢版 |
2019/07/23(火) 22:25:32.14
やつがクッションカバーを着てないってだけで、俺たちは心底ホッとしてた。

イアンのことはそれとなく知ってたよ、同世代のネットワークってやつでね。
マンチェスターでパンクのライブに来るのはいつも同じやつらだったから、名前は知らなくても顔は覚えるんだ。
やつのことは印象に残ってたよ。

話しかけたこともあって、歌詞を書いたノートやアイディアを走り書きしたインデックスカードを見せてもらった。
やつがコラムスピーカー2本と小さなアンプを持ってるってことも知ってた。

やつは見るからに真剣だった。
使えると思ったし、俺たちがドン引きするようなところもなかったけど、人柄については知っておく必要があった。

ある日曜の午後、俺たちはロッチデールのアッシュワース・バレーで会うことにした。
一応オーディションってことになってたけど、実際には川に投げ込んだ木の枝を飛び越えたりしてして、
何時間か一緒に遊んだだけだった。

今思えば、オーディションとして悪くないやり方だったと思う。
イアンがいいやつだってわかったからね。家で待ってたデビーに、やつが何て話したかは知らないけどな。
0375テリー・メイソン
垢版 |
2019/07/23(火) 22:27:08.99
イアンはIain Grayと会って、バンドを抜ける意思を伝えた。

それだけじゃなく、彼が持ってたアンプとスピーカーを俺に売ってくれるよう頼んでくれた。
そういう経緯で俺は彼の持ってた機材を譲り受けたんだけど、俺はギターがまるで弾けなかった。
どれだけ練習しても上達しなかった。

俺がその時点で既に出遅れてたってことも大きかったと思う。
バーニーは何年も前にギターを買ってたし、コードもいくつか弾けた。
フッキーもベースを買って、徐々に腕を上げてた。
俺がフッキーから2ヶ月遅れでギターを手にした時、バーニーとは既に2年の差がついてたってことだ。

ドラマー探しにも苦労してた。いいドラマーはそう簡単には見つからないからな。

いろんなやつを片っ端からあたった。しばらくして、俺は持ってたギターとアンプをドラムキットと交換したんだけど、
他のメンバーとの差はさらに開いてたから、苦労することは目に見えてた。
0376ピーター・フック
垢版 |
2019/07/23(火) 22:29:59.65
イアンは俺たちよりもずっと詳しくて、カンやクラフトワーク、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなんかが好きだった。
俺はというと、当時はジョン・ケイルに夢中だった。

Manchester Ship Canal Companyの食堂で働いてた頃の同僚が彼の大ファンで、レコードを全部譲ってくれたんだ。

ポップやレゲエ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなんかを聞いてた俺とバーナードに、
イアンはイギー(・ポップ)とかのことを教えてくれた。

少しも押し付けがましくないのがやつのいいところだった。
ただ一緒にいて楽しかったから、俺たちは自然とやつから色々学んだんだ。
0377バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/23(火) 22:31:54.77
彼は俺たちのバンドにヴィジョンを持ち込んだ。

過激なものに惹かれてたイアンは過激な音楽を作ろうとしていたし、ステージでは完全に振り切れたパフォーマーであろうとした。

曲を作ってると、彼はいつもこんな風に言った。


「もっと冒険しようぜ。これじゃ普通すぎる、もっと狂ったやつがいい」
0378Tony Wilson
垢版 |
2019/07/30(火) 22:20:36.42
イアンにイギーのことを教えたのはデビーだった。見ず知らずのやつらがそう教えてくれたんだ。
彼女はイギー・ポップの大ファンだった。

イアンはデビーと恋に落ち、彼女は彼にイギーのアルバムを聴かせた。

バンドの音楽性にはメンバーそれぞれの趣味が反映されるわけだけど、そういう意味じゃその出会いはイビサと同じくらい
重要だったことになる。
イアンはバンドにイギーのスピリットを持ち込んだんだ。
0379Kevin Cummins
垢版 |
2019/07/30(火) 22:22:22.15
1977年3月にApolloで行われたイギーのライブ、ボウイがキーボードを弾いた時のやつだけど、あれはLesser Free Trade Hallでの
セックス・ピストルズのライブと同じくらい重要なイベントだったと思う。

数え切れないほどの人間があのライブに感化されたはずさ。
あのツアーの時のイギーは神がかってた。あんなライブは過去に見たことがなかった。
0380バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/30(火) 22:26:25.39
俺たちはウェイストにあったSwanってパブでリハーサルをしてた。
フリーメイソンだかバッファローだか知らないけど、あそこは何かしらの組織の一部だったと思う。
あそこの2階にあった会議室を使わせてもらってたんだけど、ソファの下に怪しげな引き出しがたくさんついてて、
中にはバッファローの皮なんかが入ってた。
あそこは秘密のミーティング場で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵のまんまだった。
バッファローのやつらのミーティングがない時に、俺たちはあそこでリハーサルしてたんだ。
なかなか気に入ってたよ、結局大家に追い出されたけどな。

当時の俺たちは初めてセックスする童貞みたいなもんだった。どうしていいかわからず何をやってもうまくいかない、まさにそういう感じさ。

音源として残されてる初期の曲よりも古いやつ、あれはマジで聴いてられないほど酷かった。
音楽も他と一緒で、上達したければ自分自身で学ぶか、あるいは誰かから教わらなくちゃいけないんだよ。当時は文字通り修行の日々だった。
0381バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/30(火) 22:28:05.42
最初期の俺たちのオリジナル曲は、完全にパンクの猿まねだった。
まるで真似しきれてなかったけどね。音楽的素養でいえば俺たちのレベルは9歳くらいだったけど、何とか7曲を書き上げた。

バズコックスと親しくなれたのは大きかったよ、彼らには色々と世話になった。ライブのブッキングも含めてね。
ピート・シェリーがRichard Boonをライブに連れて来てくれた時、俺たちは「イェーイェーイェーイェー、ファックオフファックオフ、
イェーイェーイェー、クソクソクソ」なんて感じの、マジでどうしようもない曲を演ってた。

彼にはこう言われた。「ライブは俺が探してやるから、お前らは曲を書け」。
曲がクソだってことは自覚してたから、そのライブに向けて俺たちは新曲をいくつか書いた。

あれはElectric Circusでバズコックスの前座をやった時だったと思う。用意した6つの新曲は随分マシだったけど、まだまだ未熟だった。
でも6週間かそこらで書いたにしては、飛躍的に成長してたはずさ。
そのうちの1曲か2曲は、『アンノウン・プレジャーズ』に収録されてると思う。
0382ピート・シェリー
垢版 |
2019/07/30(火) 22:30:17.74
バンドを始めたいからアドバイスが欲しいって言われて、ある金曜の夜にやつらと会うことになった。
来るものは拒まずっていうのがパンクのアティテュードだったし、俺たちとしても一緒にシーンを盛り上げていく仲間を必要としてた。
ミーティング場所はサルフォードのFrederick Roadにあったパブだ。
飲みながらやつらの話に耳を傾け、形にするにはどうすればいいかを一緒に考えた。

ある日バーナードの家に行ったんだけど、エフェクターが内蔵されたギターを使ってたのを覚えてるよ。
当時にしてもかなり変わったモデルだった。
学校でバンドを組むような子供たちが最初に買うような、初心者向けのギターさ。

アイディアを交換し合い、それをどう実現するかについてあれこれ議論する、やつらにもそういう高校生みたいな純粋さがあった。
0383Richard Boon
垢版 |
2019/07/30(火) 22:34:04.90
やつらのバンドはまだ模索段階にあった。俺たちはウェイストのバスステーションの近くにあったやつらのリハーサルスペースに顔を出し、
練習後はみんなで飲みながら今後の展望について話し合った。
やつらはただバンドがやりたいだけで、たちの悪い野心なんかは持ってなかった。

イアンは若さという情熱に取り憑かれているようだった。
アルチュール・ランボーのようとまでは言わないが、やつのストゥージズとヴェルヴェッツへの入れ込みようは半端じゃなかったし、
どこか近づきがたい何かを持ってた。

他のメンバーと同じように無邪気な一面を見せることもあったけど、やつはいつも生き急いでいるように見えた。
他のメンバーよりも内気で、その分思慮深いところがあった。
それがカリスマ性に繋がってたんだろうけど、やつだって聖人じゃなかったってことさ。
0384バーナード・サムナー
垢版 |
2019/07/30(火) 22:36:38.59
イアンはかなりボリューミーなヘアスタイルにしてた時期があって、ロクでもない床屋に行って「ローマ皇帝みたいな髪型にしてくれ」
なんて言ってた。俺たちみんな古代ローマにはまってたんだ。

彼はニーチェの作品もよく読んでた。
俺自身は読んだことないんだけど、制服や建造物がかっこよくて好きだった。
俺は昔から古典様式に惹かれてたけど、イアンはニーチェを通してそういうのに興味を持ってた。
0385ピーター・フック
垢版 |
2019/09/16(月) 22:36:37.14
Electric Circusでのバズコックスのライブに、俺たちは前座として出演した。それが俺たちの初ライブだった。
バンド名はまだ決まってなかったけど、Richard Boonは俺たちの名前をポスターに載せようとしてた。
俺らが決めかねてると、彼が「Stiff Kittens (怯えた子猫たち)ってのはどうだ?」って言った。
ピート・シェリーが思いついた名前らしかったけど、俺たちは断固反対した。彼はわかったって言ったくせに、
結局ポスターにその名前を載せちまったたんだ。

ライブ当日、俺たちはWarsawだってことにした。Stiff Kittensじゃなくてな。死ぬほど緊張したよ。

ステージに立った瞬間のことは覚えてるのに、それ以降のことは何ひとつ覚えてないんだ。
ライブ後に楽屋で「緊張でぶっ倒れちまうかと思った」なんて話したよ。その時の写真が残ってるんだ。
俺とテリーはドイツ戦車隊の指揮官の格好をすることに決めてて、そういう服をたくさん買っといた。変でもいいんだよ。
馬鹿げたステージ衣装、クソダサい髪型、唖然とするような発言、そういうのってバンドマンの特権だからな。
0386テリー・メイソン
垢版 |
2019/09/16(月) 22:40:32.41
マンチェスターのパンクシーンにおいて、俺たちは典型的なルートを辿ってるはずだった。

ザ・フォールやザ・ワーストはバズコックスの前座をやって、その後あちこちに出るようになってた。
でも俺たちは最初のライブの後、どこからも声がかからなかった。

しばらくして俺らのことを探してたらしいMusic Forceから連絡があって、Raftersで何度か前座として出演させてもらった。

Stiff Kittensっていう、ピート・シェリーが決めた仮のバンド名は却下された。俺自身はキュートでいいと思ってたんだけどな。
怯えた子猫たちって、パンクバンドの名前としてバッチリだろ? 
肉球を振りかざす段ボール箱いっぱいの子猫たち、これ以上にパンクなイメージはないと思ったね。

でも他のメンバーたちは気に入ってなかったから、結局ボウイの「ワルシャワ」って曲にちなんだWarsawで落ち着いた。
駆け出しの頃はその名前でギグをやってたしな。
0387Iain Gray
垢版 |
2019/09/16(月) 22:43:46.39
彼らがPenetrationの前座として出演した時、イアンは後に確立するスタイルの片鱗を見せてた。
バンドはまだ発展途上って感じで、ライブはまぁまぁだった。

イアンは昔からとにかく服のセンスが良くて、すごくスマートなTonikのパンツと空軍のオーバーコートをよく着てた。
1935年頃にベルリンで実際に使われてたような実用的なやつさ。

バーニーは口ひげを生やしてた。フッキーはゲイのダンサーみたいな格好をしてて、ヴィレッジ・ピープルのメンバーかと思った。
つばの長いキャップは当時じゃ珍しくて、Pipsで見かけた時も同じやつを被ってた。
鋲を打ったレザーの首輪なんかもしてて、とにかくごちゃまぜだった。
0388Kevin Cummins
垢版 |
2019/09/16(月) 22:47:27.89
演奏は決して上手くなかったけど、サウンドは当時のど真ん中だった。あの頃出てきたバンドの大半に言えたことかもしれないけどね。
僕らリスナーは批評家ぶったりせず、次々に新しいバンドが生まれる状況を歓迎してた。
写真も6〜7枚撮ったはずなんだけど、ネガはとっくの昔に失くした。

すごくエネルギッシュなライブだったけど、当時はどのバンドもエネルギーが有り余ってるって感じだったからね。
チェルシーやCortinas、Eaterなんかもそうだった。でもWarsawの曲はありきたりだったな。
彼らは最初から特別な存在だったわけじゃないと思う。

僕は前座のバンドも撮影するようにしていて、いつも3〜4枚は撮ってた。
何かが起きようとしていて、その過程を記録しているっていう実感はあったね。彼らに限らず、あらゆるバンドを撮影した。
自分が何かしらの形でそれに関わるかもしれないと感じてたから、できる限りのことをしようと思った。

ボウイやロキシー・ミュージックなんかのグラムが好きだった僕は、パンクスファッションには手を出さなかった。
あくまで傍観者のつもりだったけど、自分がシーンの一部だっていう実感はあった。
来るものを拒まず、当時のシーンにはそういう寛容なムードがあった。
ロンドンは派閥争いがすごかったけど、マンチェスターはそういうのと無縁だったんだ。
0390伝説の名無しさん
垢版 |
2020/10/29(木) 04:59:47.47
Noveltyはどのアルバムに入ってたんだろ
0391伝説の名無しさん
垢版 |
2021/06/16(水) 18:24:27.99
Joy Division: Juvenes
英語版 | Kevin Cummins 、 Ian Rankin | 2021/10/19
ハードカバー
¥4,825
0392伝説の名無しさん
垢版 |
2022/03/03(木) 23:32:24.13
https://reminder.top/437953211/
>この本を読んでとくに意外だったのは、ヴォーカルのイアン・カーティスがダブや
>レゲエ好きだったということ。
0395伝説の名無しさん
垢版 |
2023/09/07(木) 21:00:35.43
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