JoyDivision_03
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(映画『コントロール』での デボラ・カーティスのセリフ) 『アニークって? いつからなの? 答えてよ!私を無視しないで! いつからなの? 愛してるの? 彼女を愛してるの? あなたを愛してる、心の底から愛してる。 誰も私のようには愛せない…。 返事して!何とか言って! こんなのあんまりよ、ひどい仕打ちだわ』 『…イアンの旅立ちの何週間か前、ウィルソンは昼間の仕事のためにロンドン行きの早朝の 電車に乗らなければならなかった。 彼はイギリス一の時事番組「ワールド・イン・アクション」への暫定的な昇進を迎え、ロンドン でのミーティングに呼ばれた。 7時半の電車のために、ピカデリー駅へ車を運転していて、 駅駐車場に入るためにドゥーシー街まで来た時、イアンとアニークの恋人たちが、陰鬱に 歩いているのを見かけた。 ふたりは、一晩中歩いていたかのように歩いていた。 ふたりは、地獄にいるかのように歩いていた。 ふたりは、天国にいるかのように歩いていた。 ウィルソンは車を停めた。「やあ、おふたりさん。何してんだい?」 「ただ散歩してるだけさ。アニークは、ロンドンに戻る電車に乗らなければならないんだ」 答えはゆっくり、仕方なく、素っ気なく口から出た。 ふたりは一晩中街を歩いていた。どこにも行く当てのない愛。 「そ、そうか。じゃ、また電車の中で」 夜に街を歩くことと、死は、最高のベッドを共にする相手だ。ディケンズの『ドンビー父子』に 銘記されているキャストの半分が、本の半分くらいで死んでしまう。タイトルの息子、 若いポールは、1ページ目から病気がちだ。 健康のために海岸にいて、彼は、波が何を語っているのかずっと人々に聞いている。 ポールが死ぬのは「波が何を話していたか」という章で、ディケンズが、夜明けまで、何晩かの 暗く長い夜、パリの街を歩いた後に書いた章だ。街を歩く時は、どこにも行くところがない時だ。 家もなく、ベッドもなく、どうしていいか分からない時。そんな時は死をより近く感じる。 ロンドンのユーストンへ向けて、マンチェスターのピカデリーからプルマン車両が出発する時の、 あの早朝の普通さの中に感じたのはそんな気分だった…』 『…チェシアの証券ブローカーが占めるベルト地帯の端にあり、 イギリスのどの店よりも シャンパンの売り上げが多い酒屋の誇る村からたった4マイルしか離れていない工業の町 であるこの狭い地区、 蚕がシルク生産を牽引してきただけの、 テキスタイル狂いの、 この イギリスの北西部の町、 奇妙さのハイブリッドのような町であるマクルスフィールドの、 数ある妙なことは、どのロンドンの列車でもなぜか停車することだった。 まるで誰かが、マクルスフィールドが世界の舞台に出ることを知っていたかのように。 ウィルソンは、マクルスフィールドまでの15分間が、しばらくは、イアンとアニークの、最後の 時間だと分かっていたから、ふたりにしておいてあげた。 彼はマクルスフィールドのホームで、アニークに手を振っているイアンの姿を見かけた。 グレーのレインコートで、徹夜の疲労がその顔に浮かんでいた。 それとも、彼が襲われていた、彼がバンドの中で、言葉にできたものと、できなかった、感情 による疲労なのか。 気を使った10分間の空白の後、ウィルソンはアニークが座っていた2等へと戻っていった。 悲しい目をした女性との他愛のない世間話。新しいアルバムに触れたことが始めてしまった。 「で、アニーク、アルバムはどう思う?」 「ひどいと思うわ」 「アルバムが?」 「ううん、違うの。 音楽じゃなくて、それが示唆するものよ。 分かるでしょ? 彼はそれを本気で思ってるのよ。 ただの歌詞じゃないの。 ただの歌じゃないの。 彼は本気なのよ」 「というと?」 「彼が、僕が責任を取る≠ニいうことよ。分かるでしょ?彼はそのまんまなの。 全部自分の責任だと思ってるの。すべてがリアルすぎるの」 ウィルソンは頷いた。 そして何も考えなかった。 彼女は恋していた。 彼女は音楽を真剣に受け止めすぎていた。彼女はベルギー人だった。 彼女は何でも真剣に考えすぎた。 ただのLPじゃないか。すごいLPだが、リアルではなかった。 人生のように。 彼は間違っていた。完全に、全く、間違っていた…』 「タイトルは、それらがラヴ・ソングでもなく、ありふれたロックでもないことを仄めかしていたけど、 その一方で、こうも思うだろう。 『アトロシティ・エクシビション』、いいタイトルだ、(J・G・)バラードか、イメージもいい。はい次。 そこには確かに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしている、ってことに すぎなかった。彼は作詞家だった。 歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ」 「今でも覚えてるよ。 ある夜、イアンが俺に言ったんだ。『不思議だ。今回は歌詞が自然にすらすら書けた』 『いつもは苦心して書きあげるんだ、出だしよりも終わりでもがく、でも今回は全曲楽にかけた』。 でも 『閉所恐怖症の感覚にも陥った』 って。 『まるで渦巻く波に呑み込まれて、溺れていく感じ』 だと…」 「イアンはアニークを連れてくるようになり、それが力関係をまるごと変えてしまったんだ。 彼はアニークに、アーティストっぼい、苦悶に満ちた人間であることを印象付けようとしていた。 詩を読み、それを深く掘り下げたりしながら…。 バーナードと俺は、まさにありのままの姿で振る舞おうとした。 若者らしく、バカなまねをして、ロックンロール・ドリームを地でいって、ふざけ合って、大声で 笑って、Hな雑誌を読んで。俺たちと一緒にいる時は、イアンもそれに付き合ってくれたんだ。 彼自身も少し少年に戻ってね ―― たぶん思いやりだったんだろう ―― 分からないけど。 だけど、アニークの前ではそんな風にしたがらなかった。 アニークの前では感受性の強いアーティストであり、俺たちは道化者だった。 おそらく彼はデビーといた時の自分に戻ったんだろう。 物静かで、面白味のない奴に…。俺たちの前だと彼はおふざけに加わった。 分からないけど、たぶん、それが彼の本当の姿 ―― 彼はただ俺たちに対して、粗野な男の 世界に入り込んだ男であるフリをしていたんだよ。 いや、もしかしたら、アニークに、そしてデビーに対して装っていたのかもしれない。 イアンはそんなヤツだったよ。彼はあらゆる人に対してあらゆるものになれたんだ。 いつも無理をして、人に合わせてマスクを変える。 彼はそれができたけど、それは彼にとって問題でもあった。プレッシャーになったんだ。 やがてアニークはイアンに言い始めた。 キーボードを入れるのは嫌、まるでジェネシスみたいだ、って。それが彼をパニックに陥れたんだ」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「イアンは『クローサー』の詩を書いたりレコーディングしている時は大体恍惚状態に入っている ように見えた。緊張したり感情が高ぶっている時、彼は別世界にいた。 歌詞を生み出すには、彼の人生で競争心や闘う情熱は必要だったのかしらと私は思う。 その他の連中はごく普通にやっていた。 彼らはお互いジョークを仕掛けるのに非常に慣れてきたので、メリルボーンのアパートに戻って くると毎回誰もが自分の持ち物や部屋、冷蔵庫の隅などをチェックするのだった。 トニー・ウィルソンがマンチェスターまでヴァンで戻る準備をしている時、ジョークの洗礼を受けた。 ドアの取手がジャムを塗りたくられて、彼は小麦粉と卵の混ぜたものを投げつけられた。 そこで仕方なく彼はヴァンの中に入っていくしかなく、そして逃げていった。 私はマクルスフィールドに戻って、歩道をゆっくりと歩いていた。 再びイアンのいない淋しい身となった。 私は乳母車を押したり、ドゥルッティ・コラムの『ザ・リターン・オブ・ザ・ドゥルッティ・コラム』を 聴いたりしながら時間を過ごした。 その音楽はとても悲しげで感情に訴えてくるのでレコードをかけるのに唯一相応しいように思われた」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「するとある日、イアンが電話をかけてきて非常に静かな声で『もう大丈夫。彼女とは話をつけた』と 言った。私は再び一緒になっている私たちを想像し、二人の未来を夢見た。 ドゥルッティ・コラムの紙やすりで覆われたアルバムを再びかけた。 そのメロディーのニュアンスは、 ちょっと変わったムードを持っており、 実際、 私は恍惚となり 家の中で踊りまくった。不思議にもなんとか夫を取り戻したのだと強く思いながら。 トニー・ウィルソンはアニークが気落ちしている間、列車の旅に同行させた。 彼女はトニーに『クローサー』は嫌いと語ったが、その訳は、実はイアンは叙情詩を意図していて、 罪悪感を感じながら歌っていると彼女が信じていたからという。 私と違って彼女は、イアンが死ぬ前に『クローサー』の詩を知るという特典を持てた。 彼女は、イアンの心の中に去来したことのヒントを掴むのに十分なほど敏感だったかも知れないが、 彼女の忠告は無視された。 イアンはレコーディングしたての『クローサー』のカセットテープを持って家に帰ってきた。 それを聴いていればおそらく私も、彼の心の中に起こったことへのある種の洞察を得ただろうに と思う。だけど家にはカセット・デッキがなかった。 アニークに『もう終わりだ』と伝えたとイアンが言っているにもかかわらず、彼女は男友達の名を かたって電話をかけてきた。 イアンが彼女と話をするのを拒否したので、私が彼女と話すからと言うと、相手は電話を切った」 (映画『コントロール』本編字幕より) 『母さん、僕は頑張った 一生懸命やってるんだ 今までのことを恥じている こんな自分が恥ずかしい 良さに気付いてくれたら こんな言い方はしない ひとりよがりな快楽 それが僕へのご褒美なのか 孤立、孤立、孤立…』 (映画『コントロール』での マーティン・ハネットのセリフ) 『イアン、いいよ……まさに天才的だ』 「私たちはものの見方や作家の話もしたけど、彼が一番話したのは自分の気持の問題だった。 『人の抱いているイメージと実際の自分は違う。それがどんどんイヤになってる』 『イアンは2人いる。 1人はメディアの存在でバンドの歌手、もう一人は実際のイアン。 傷だらけで怒れる……孤独な人間』 『もし本当の自分を見せたら、人はそっぽを向くだろう』と…」 「『アンノウン・プレジャーズ』でイアンがやっていたことは、キャラクターを演じることだったと思うよ。 そして彼は、他者の視点を通して詞を書いていたんだ。 推測するに、彼はまた違った視野を基にものを書いていたんだと思う。 当時は『クローサー』でも同じことをやっていると感じていた ―― 今になって分かったんだけど、 必ずしもそうじゃない。彼はもうキャラクターを描き出してはいなかった。 それは全て、彼自身とその人生についてだったんだ。 おそらく彼は俺たちに何かを言おうとしていたんだろう。 それに対して俺たちに何ができたのかは分からないけどね。彼は明らかに何かに悩んでいた。 では、当時なぜ俺たちは彼に何も言ってあげなかったのか? って思うだろう。 最後の数週間が訪れる前、これらの曲を完成させた後に、ああ、彼はトラブルを抱えてるんだ、と 気付くチャンスがあったかもしれない。 人生は彼を悩ませていた。だけど、これらの曲を歌っていた時はそうじゃなかったんだ。 彼は抱えている問題について俺たちには一切何も言わなかったよ。 ああ、無理だよね。 いや、無理だったよね。 俺たちには分からなかった。 当時はね」 「素晴らしい詞だと心から思うよ。 それは、彼自身やその生き方について描かれたものだからというわけじゃなくてね。 結局は、俺は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常生活では言わなかった何かを 必死で俺たちに伝えようとしていたことに気付かなかったんだ。 俺は、ただ思った。 ああ、あれが彼の仕事で、彼は言葉を発しているんだ。素晴らしい言葉だ。 そして、それは何かを言わんとしているけど、現実のことじゃないさ、って」 「『大丈夫か?』俺たちは言う。 『無理するなよ』。 『身体に気を付けろよ』。 そんなまっただ中だったけど、俺たちはこの作品を作っていて、何も分からなかった。 まさか。彼は俺たちの前では普通に見えたよ。 その普通さは、酷い癲癇を患った人のそれであり、愛人と妻を持つ人のそれであり、 ドラッグ過剰摂取によって自ら命を絶とうとする人のそれだった。 ただ言えるのは、当時、彼が大丈夫だと言ったら、ああいったことが起こっていたにも拘らず、 俺たちは安心したんだ。 そして、もしも医者が『気持ちを落ち着けて、こんなことは全て止めるんだ』と言ったなら、彼は 反対のことをやっただろう」 「俺たちは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだよ。 聴いていなかったなんてね。 彼はそれを書き、俺たちは『いいじゃないか』って思ったけど、自分たちの演奏に必死だったんだ。 理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だったんだ。 それらは彼の領域だった。そう思ったよ。 つまりそれは彼の言いたいこと、彼が自分について大衆に知ってもらいたい事なんだ。 それが全てさ」 「イアンが全て隠していたんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、実際彼はそうしていたんだ。 彼は平静を装うのが、物事を偽るのが得意だった。 彼はすぐに自分の殻に閉じこもった。 だけど、見方によれは、それなら彼がただ物静かで、深く傷付くことはなかったのだろう、と 思うかもしれない。 彼はイタズラや悪ふざけを一緒になってやることも、子供じみたバカな行為に夢中になって いるふりもできたんだ。 だから極めて正常に見えるんだ。 そして突然発作を起こす。 その後は正常に戻るのさ。 イアンとはそういう奴だった ―― 彼は人が聞きたいだろうと思うことを言った。 自分は大丈夫だといつも言っていた。 すると、なんとなく彼の言葉を信じてしまい、そのままやり過ごしてしまうんだ。 当時、俺たちもそれぞれに問題を抱えていた。 バンドのこと、そして人生のこと。 彼が抱えていた問題ほどではなかったけど、当時はそれには気付かなかったんだ。 彼はほとんどの場合、問題なさそうに見えた。 時にダメになった。 仕事で疲れ果てていた。 俺たちみんながそうだった」 『…新しいジョイ・ディヴィジョンのアルバムは、ロンドンのブリタニア・スタジオでレコーディング された。ハネットはピンク・フロイドのテクノ窟でかなり楽しんでいた。 そしてその頃、彼らはベリーのダービー・ホールで演奏していた。 ファクトリー・ナイトが、マンチェスターから北へ8キロほど行った、比較的居心地のいい、 放射線状に広がる労働者階級の町の市民ホールで予定されていた。 唯一の問題は、ヘッドラインがジョイ・ディヴィジョンで、イアンはまだ療養中だった。 睡眠薬のオーバードーズから。 あれ、言ってなかったっけ? この本と同じように、睡眠薬のオーバードーズは、その当時、大きく見過ごされていた。 そう、ロブとそのバンドと、彼の新しいビジネス・パートナー(そうそう、それも言い忘れていた。 でもとにかくアランとトニーは、彼がファクトリーに残ることで、この冒険が確かなものになった ため、ロブを5人目の同等のパートナーとして迎えたが、誰も異を唱える者などいなかったため、 ここでもあえて何もいうまい)は、病院に見舞いに行き、代わる代わるかわいそうな友人を気遣う 仲間を演じた。 ある人たちは、ジョイ・ディヴィジョンの歌詞を、ジョイ・ディヴィジョン的なことを説明するのに 引用する人もいるが、嫌気が差す。だがノベライズというのは本質的に蔑むべきアート・フォーム だから、イアンの友達は、このネガティヴな薬品の服用を、つい最近『コロニー』で書いたように、 助けを求める叫びとしか見ていなかった。 歌詞だ! バンドとその相棒たちがイアンのオーバードーズをそう考えていた。 そして彼らは手助けするつもりだった。そうでしょ。 そしてとにかく、弾をこめた拳銃は答えにならないと歌った『ニュー・ドーン・フェイズ』があった。 ありがとう、イアン、分かったろ? カートに教えてやってくれ。 だが、その台詞の前向きな道徳が浸透していく間、カーティスは自分の物語に捻りを加え、短い 邪悪な間の後に、この人生への肯定は、実際、自分の意見でしかないことを示していた。 聴衆の意見として。 彼のではなく…』 「(暴動の起こったダービー・ホールでのライブのあとで) イアンは『僕は舞台の袖で見てた。バンドが僕なしで演奏するのを…』 『きっとこれからも僕なしでやっていく。きっとそうなんだ…』って。怖かったわ」 「彼はナイフで自殺未遂を…『うんざりだ』と言って。 だが、最初の過剰摂取の時も俺達は何もせず…。 まったく信じられないよ、自殺を止める努力をしなかったんだ」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「イアンの自殺未遂の結果として一つだけ良かったのは、パークサイド病院で一人の精神病医と 彼が出会えたことだ。 驚くべきことに、イアンがその精神病医を訪問するその日が来た時、私たちは一緒に行ったのだ。 道すがら、彼は音楽ビジネスでどれだけ不幸せだったかを私に語った。 『トランスミッション』と 『アンノウン・プレジャーズ』が発売された時に自分の野望は達成されてしまった、と彼は言うのだ。 もう彼がやるべきことは何も残っていなかった。 彼がやりたかったことは一枚のアルバムとシングルを作ることで達成されてしまい、『ラヴ・ウィル・ テア・アス・アパート』や『クローサー』をレコーディングする野望に結びついていかなかった。 私が運転している時、どんなにかジョイ・ディヴィジョンを辞めたいか、そしてサーカスに入りたい んだと語った。 今は精神病院を訪ねる途中なんだと言い聞かせることで私は自分自身を慰めていた。 そして “逃避する”という陳腐な表現を演じようと思っている夫の一応妻なのだということを振り捨てた。 彼は辞めたい希望をスティーヴン・モリスには漏らしていた。 しかしスティーヴはイアンがオランダに住みたがっているとしか思っていなかった」 「あるとき、彼は電話で『バンドを辞める、オランダへ移り住んで本屋をやりたい』って。 俺は『いいね』でもすぐにマネージャーのロブが『土曜日はライブだぞ!』。 彼は辞めたいと言ってたけど仕方なかったんだ」 (オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳) 『…次の日、ツバメは波止場へ行きました。 大きな船のマストの上にとまり、水夫たちが大きな箱を船倉からロープで引きずり出すのを 見ました。箱が一つ出るたびに「よいこらせ!」と水夫たちは叫びました。 「僕はエジプトに行くんだよ!」とツバメも大声を出しましたが、誰も気にしませんでした。 月が出るとツバメは幸福の王子のところに戻りました。 「お別れを言いにやってきました」ツバメは声をあげました。 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」と王子は言いました。 「もう一晩泊まってくれないか」 「もう冬です」ツバメは答えました。「冷たい雪がまもなくここにも降るでしょう。 エジプトでは太陽の光が緑のシュロの木に温かく注ぎ、ワニたちは泥の中に寝そべって のんびり過ごしています。 友人たちは、バールベック寺院の中に巣を作っており、ピンクと白のハトがそれを見て、 クークーと鳴き交わしています。 王子様。 僕は行かなくてはなりません。 あなたのことは決して忘れません。 来年の春、僕はあなたがあげてしまった宝石二つの代わりに、美しい宝石を二つ持って帰って きます。ルビーは赤いバラよりも赤く、サファイアは大海のように青いものになるでしょう」 「下のほうに広場がある」と幸福の王子は言いました。 「そこに小さなマッチ売りの少女がいる。マッチを溝に落としてしまい、全部駄目になってしまった。 お金を持って帰れなかったら、お父さんが女の子をぶつだろう。だから女の子は泣いている。 あの子は靴も靴下もはいていないし、何も頭にかぶっていない。 私の残っている目を取り出して、あの子にやってほしい。そうすればお父さんからぶたれないだろう」 「もう一晩、あなたのところに泊まりましょう…」ツバメは言いました…』 「先日春の陽気に誘われて堀江の小さなブティックの前を通り過ぎたときに店頭に飾られていた "white radio waveform, pulsar CP 1919"がプリントされたTシャツ。記号化されたそれこそが 現在のジョイ・ディヴィジョンのリアルな姿なのだ。もはやこれもファッションだ。イアン・ カーティスの声と詩すらも時代とともに遠のき色褪せていく。それが正解だ。 いまだに感情移入している奴こそ可笑しいのだ。」 「結末は知ってのとおり悲劇的だ。 だから切実なんだよ」 「彼らにベルナール・ピエールの写真を見せたんだ。 ネオ・クラシカルな写真だと思って。 それを彼らも気に入り、いい作品になった。 イアンも気に入った。 これは深い話に繋がる。 今思えば、彼の曲、彼の考えていたこと、気持ち。 その上で(『クローサー』のジャケットとして)選んだのが墓地の写真だったんだ」 「なんとも恐ろしい偶然の一致に思えるよ。カヴァーに使った写真さ。 俺たちがサヴィルのところに行くと、イアンがやけにあの写真を気に入ったんだ。 あれこそが彼の望んだものだった。 彼の詞を見れば、それが彼にとって納得のいくものであったことは明らかだよ。 あれは彼のアイデアさ ―― 俺たちのせいじゃない」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「私がイアンを疑っていた頃、ジョイ・ディヴィジョンのギグをしばらくの間減らそうという提案が 出てきたわけではなかった。 1980年の4月と5月の彼らは、演奏したりリハーサルしたりするのに常に忙しくしているように 見えた。私は特に来るアメリカ・ツアーに備えて休んだ方がいいと思っていたので、イアンが 休息のために家を空けると言っても驚かなかった。 ダービーにある小さなパブで過ごしたいと言ったので、『私も行けるの?』と聞いた。 一人の時間が必要なんだと丁寧に説明するので私は了承した。 彼はわずか二日間だけ留守にし、私は怪しいと思い始めた。 またしても、どうやっても彼と連絡とれる方法がないことに気づき、ロブ・グレットンに電話して 彼が電話番号を伝えていないかどうか確かめた。 彼は私にいらだっているようで、「それは君たち二人の問題だろ?二人で話し合えないのか?」 と言ってきたので、私は途方に暮れた。 彼は明らかに怒っていたし、そのいらいらしている声の調子に私は心が痛んだ。 何が起こっているのか本当のことを、誰か私に教えてほしいだけなのに。 私は情緒不安定になった。私の知らないところで行われていることが、心にわだかまり、 孤独に耐え切れず両親に電話した。 ロブが電話をかけ直してきた時には、私は家を後にしていた。 実際、ロブは気が短かった。 私が電話した時、彼とリンジーのアパートにはイアンとアニークがじっとしていたのだから」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「再び人生をやり直すためには、明らかに彼と別れる必要があった。 そして、彼も内心は私と別れたいと思っているに違いなかった。 突然、私はアニークに怒りを覚えた。彼女にはセクシーな訛りがあり、ベルギー大使館で仕事 をしているので、見たところヨーロッパ中をジョイ・ディヴィジョンを追いかけていくだけの時間と お金もあるようだった。 私はイアンの妻だし、彼の子供の母でもあるので、もっと自分の立場が認められてもいいはず だと思っていたが、結局そのようにはならなかった。徹底して奪われてしまった。 本来の均衡を取り戻そうとして、大使館にいる彼女に電話した。 そして、『私はイアンと離婚して、姦通相手としてあなたの名前を明かすつもりよ』と叫んだ。 彼女は口ごもりながら『あなたのお望みの通りに従うわ』と答えた。 マクルスフィールド州裁判所で働いていた経験で言うと、姦通相手として名を明かされることは 実に恥ずべきことと私は思っていた。 離婚するのは面倒なことだったが、一旦決めてしまえば素晴らしいことに思えた。 双肩にのっかっていた巨大な重りがなくなったかのようだった。 その瞬間、正直に言ってイアンともう関わらなくてもいいんだと本当に思った。 これで、イアンの生活を落ち着かせようとしているロブ、トニー、そしてアニークのもとを離れる ことができた。 彼の最大の悩みである私がいなくなることが、彼のために尽すことであると信じた。 もしイアンが私たちの離婚を認める勇気を持たないのなら、私が持つだけだ。 私は人生を台無しにしてしまったことを認め、過去を水に流して再出発する計画を立て始めた」 「彼には相当なプレッシャーがあったよ。 間近に迫ったアメリカ・ツアーはとてつもないプレッシャーとなり、片付けなければならないことも 山ほどあった。ギグ、二重生活、作詞、レコーディング……彼が『やりたい』と言った時には、 俺たちはその言葉を信じたんだ。 だけど、彼がそう言ったのは、俺たちをガッカリさせたくなかったからさ。 彼にはそんなことは無理だったんだ。 俺たちにはバンドとしての力があったけど、個人としては、それ相応にストレスに屈していたんだ。 あの出来事に対する俺の反応は、ある意味、無骨で粗野に振る舞うことだった。 俺の中の凶暴さが誇張された、と言ってもいいかもしれない。 ああいう状況に置かれることで、心の奥底にあるものが、ある意味誇張された。 そして、俺は、粗暴に振る舞うという自分なりの方法で、混沌から抜け出そうとしたんだ」 「ショックだったのは、俺が金曜に彼を実家に送ったことだ。俺のオンボロ車で。 KFR666F……ナンバーも覚えてる。 それで、俺達は興奮して大はしゃぎだった。ツアーまで待ち切れなかったんだ。 イアンはデビーと会う予定で、少し緊張していた。 でも実際……会う前に奴は……だから、その時、死ぬつもりはなかったはずだよ。 絶対にあり得ない、よほど演技がうまくない限りは。 土曜の夜、彼はマクルスフィールドに行き……後はご存じの通りだ」 (映画『コントロール』でのイアン・カーティスのセリフ) 『僕だよ。 今夜は行けない。 デビーに話がある。 ……どうかな、でも話す必要があるんだ。 月曜日に空港で会おう…」 「私はイギリスへ戻る前の5日間ベルギーにいた。 彼と最後に話したのは土曜で、ほんの短い時間だった。 声も遠くて……。 私は騒がしい楽屋にいたから。 彼は言ったわ。 『アメリカに旅発つ前に、絶対会いたい』って。 『でなきゃ7、8週間も会えなくなる』。 翌日彼が私の家に電話してくることになった。 彼は1人でレコードを聴いていて、そのあと映画を観ると言ったわ」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「バートン・ストリートで朝にはまだ大分早い時間に、イアンはヴェルナー・ヘルツォークの映画 を見ていた。 私が帰って来た時、彼は大きなジャーに入ったコーヒーをほとんど飲み干していて、もう一つの マグカップに入ったどろっとした真っ黒な飲み物を勝手に飲んでいた。 彼は離婚を取り消すように頼んできた。 そう言ってても、朝には気が変わってしまうだろうからと私は主張した。 その夜、愛しているかどうかについての話は出なかったが、最後になって、その名前があがって きたのは、私を愛していないと彼が言った時だった。 彼は夕方、アニークと話してきたと言った。 彼らの関係はまだとてもいきいきとしていた。 私は一気に疲れてきた。 私たちの会話は堂々巡りしていた」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「私が出て行った後も、イアンはまだコーヒーを作っていた。 食料貯蔵室には彼が最後の一滴まで絞り取った空のウィスキーのボトルがあった。 彼はイギー・ポップの『チャイナ・ガール』を聴いた。 壁に貼ってあったナタリーの写真を剥がし、私たちの結婚の時の写真をタンスから取り出し、 座って私に手紙を書き始めた。 それは、彼が詩を書いていたのと同じ、のたくった大文字で綴られた、長く、とても親密な 手紙だった。 彼は死ぬことを望んでいるとよく言っていたが、自殺したいとは実際には言っていなかった。 一緒に過ごした私達の生活や、ロマンスと情熱、私への愛、ナタリーへの愛、 そしてアニークへの憎しみについて綴られていた。 彼はアニークを憎むなんてできなかったはずなのに。 私は彼が誰かを憎んでいると言うのを聞いたことがなかった。 それは私を喜ばせようとして書いたのだと思う。 たとえ家庭を取り戻すためであっても、アニークにもう会いたくないと言えるほど冷たい男に なれないと語っていたのに、手紙には反対のことが一杯綴られていた。 彼は私と話すのがしんどいから、しばらくの聞連絡を取らないように頼んできたのだ。 手紙を書き終えるころには、『 夜が明けてきた。 鳥のさえずりが聴こえる 』と綴られた」 (オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳) 『…かわいそうな小さなツバメにはどんどん寒くなってきました。 でも、ツバメは王子の元を離れようとはしませんでした。 心から王子のことを愛していたからです。 パン屋が見ていないとき、ツバメはパン屋のドアの外でパン屑を拾い集め、翼をぱたぱたさせて 自分を暖めようとしました。 でも、とうとう自分は死ぬのだとわかりました。 ツバメには、王子の肩までもう一度飛びあがるだけの力しか残っていませんでした。 「さようなら、愛する王子様」ツバメはささやくように言いました。 「あなたの手にキスをしてもいいですか?」 「君がとうとうエジプトに行くのは、私もうれしいよ、小さなツバメさん」と王子は言いました。 「君はここに長居しすぎた。 でも、キスはくちびるにしておくれ。 私も君を愛しているんだ」 「私はエジプトに行くのではありません」とツバメは言いました。 「死の家に行くんです。 『死』というのは『眠り』の兄弟、ですよね」 そしてツバメは幸福の王子のくちびるにキスをして、死んで彼の足元に落ちていきました。 その瞬間、像の中で何かが砕けたような奇妙な音がしました。 それは、鉛の心臓がちょうど二つに割れた音なのでした。 ひどく寒い日でしたから…』 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「イアンは1980年5月23日、茶毘に付された。私は、彼の母親のまだ耳に残る生々しい声と、 バンドのメンバーの表情のない顔を思い出す。 私は、うまく行くことのなかった私たちに対する恥ずかしい気持ちと、私の深い悲しみを 分かちあうためにいるすべての人を見なければならないことの辛さを感じていた」 「振り返ってみると、私たちはイアンがいないところで一つのテーブルを囲んで座り、記録を 比較すべきだった。 そうすれば、どのくらい彼が助けを必要としていたのかが分かったのにと思う。 アニークのしつこさは驚くほどだった。 イアンの死後、長い間、彼女は私たちへ電話をし続けた。 彼が認めているように、不貞を正当化させるだけではなく、やりやすくさせるような愛人と 助言者という命取りになるような組み合わせは、イアンをさらに混乱させた。 25歳以降の人生に対するイアンの若い時からの考えは、本当に変わらなかったようだ。 彼が必要としたのは、自分のアイドルたちに倣って永遠性を得ることへの理由づけだけで あって、ジョイ・ディヴィジョンの一員だったことによって、彼はその胸の張り裂けるような 理由を組み立てる道具を得たのだった。 彼の淡い青緑の目は、娘の記憶からなかなか消え去らない。 長い指を無意識のうちに絡ませる懐かしい癖が受け継がれているのを見ると、彼と私が 16歳だった時を思い出す。 どんなにか温かく愛されていたことか」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットンに伝えた時、彼は茫然と したが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを 要約しているように思われた。 『愛が私たちを引き裂いていく』 という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表わしていた」 (映画『コントロール』本編字幕より) 『日常がつらくなり 野心も消えうせて 怒りが高まっても 感情がついてこない 僕たちはやり方を変え 別の道を歩み始める そんなとき、愛は ―― 愛は、またしても僕たちを引き裂く 愛は ―― 愛は、またしても僕たちを引き裂く なぜ寝室は こんなに寒いのか 君は背を向けて眠る 僕のせいで ひびが入り 尊敬しあう心も乾くけど まだ惹かれているから 僕たちは共に暮らしている それなのに、愛は ―― 愛は、またしても僕たちを引き裂く 愛は ―― 愛は、またしても僕たちを引き裂く…』 「彼らはあの曲のパワーを知らずただのラブ・ソングだと思ってた。 彼らのひとりひとりは普通だけど、バンドとして結びつくとある種の大きな力を発揮したの、 まさにオーラを発してた。 イアンは『オーラ』と言ってたけど、まさに何か……不思議な光が彼の中で燃えてた」 (『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』より) 「『クローサー』が発売されたことによって、イアンに近しい人々は突然今まで疑問だったことに 実感が持てるようになった。 彼の意志と感情はすべて歌詞の中にあった。 生きている間は彼の詩はどちらの意味にも取れるような表現だったが、亡くなったことによって はじめて、あと知恵ですべてが明らかになったのだ。 そのような微妙な表現を伴う作品は偶然に生まれたわけではなかった。 私にとって、『クローサー』はイアンの告別の辞であり、ジョイ・ディヴィジョンの最高の作品 だった。 彼は、成功という約束を果たすことによって、私たちを言いくるめ、私たちを教育したのだ。 成功がどのようなものかを私たちに示した後、私たちにほんの一口甘い汁を与えてから、 私たちを絶壁に置き去りにしたのだ」 「最後のアルバムになるなんて想像もしなかったよ。 前作より出来が良かったんだ。曲も何もかも、本当に…」 「どう言えばいいか……悲しみと怒りが半々だ。本当に。 彼には腹が立つ、自殺するなんて……バカだ。 それから、自分に対しても腹が立つ。何もしなかったことに…」 「そのあとは、よく覚えてないんだ。ほとんどパブで過ごしたと思う。 トゥイニーやテリーやバーナードとパブで過ごしたよ、事態が受け入れられず…」 「俺たちは通夜に行かなかった。 今、人生最大の後悔は会いに行かなかったことだよ。命を絶った彼に…心底悔やんでる。 俺たちは若くて何も分かってなかった。 誰かに聞かれた時も『死体なんか見たくねぇ』、『22歳だ。パブに行く』。 だが、今は別れを言っておきたかったと…。 行かなかったのは俺とバーナードだけ、他の皆は行った」 「彼がいつそれを決意したのかは分からない。 アルバムを作り終え、そしてシングルも、それらの仕事を片付けた時点だろうか。 俺たちは彼の状態、そして行動にある意味慣れてしまっていた ―― 発作、緊張、不調、 そして、それらが起こした劇的な状況。 だから、大きなショックだったのは、俺たちがそれを予想もしていなかったことだ。 それは本当に大きなショックだったよ。 もしかしたら、俺たちはそれにもう少し冷静に対処すべきだったかもしれない。 突っ走るのを止めるべきだったんだ。 でも当時は、それが俺たちにとって当たり前であり、日常的な仕事だと思っていたんだ。 それは限界にきていた。 俺たちは言うべきだったんだ。『 さあ、止めてくれ、俺たちは降りるんだ 』 って。 でも、誰が言うのかって? 誰が言えるというのだろう。『 さあ、やめよう 』 なんて」 「彼は鬱病とドラッグのせいでに気分の変動が激しかったんだ。 彼は、結婚生活の破綻とそれが彼の幼い娘に与える影響のことを考え、激しい自責の念に 駆られていた。 彼はアニークと一緒にいることを強く望んでいた。彼は酷い癲癇に苦しんでいた。 彼は他のバンド・メンバーを失望させたくなかった。 プレッシャーは計り知れず、解決策はそれほどなかった。 彼が行なったことに対して怒りを感じるよ。 彼は俺を失望させた。彼は自分の妻を失望させた。彼は娘を失望させた。 彼はバンドを失望させた。 でも、彼が経験してきたことを経験するなんて想像もできないさ。 彼はそれほどの苦境に立たされていたんだ」 「バンドの足を引っ張ってる、という引け目が彼を駆り立てたんだと思う。 彼には分かってたんだ。 成功は皆の望みだったし、皆が楽しんでもいた。だからこそ期待に応えようとした」 (映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのナレーション』 『最後、ジョイ・ディヴィジョンは衝撃的に終わった。 そういう場合、大抵、物語も終わってしまう。 だがそこで終わらせないことが重要なんだ』 「俺たちは、ただ続けたんだ。 月曜日に仕事に現れた。 次は何をすればいい?って。 何があろうともね」 「俺たちは当時既に、ジョイ・ディヴィジョンとしてある程度の成功を収め、世間的にも認知 され始めてたわけで、それが出し抜けに全部終わってしまったわけだろ。 そこからもう一度やり直すっていうのは、ものすごく難しいことだったよ」 「ああ、何にせよ楽じゃなかったね。 もう一度仕切り直して新しいスタートを切らなきゃならなかったわけだから……」 「そうだね。 しかも、壊したのは俺たちじゃなかったから」 (1981年2月9日、ロンドン、チャリング・クロスのヘブンで行われたライヴ評) 『ジョイ・ディヴィジョンからニュー・オーダーヘと移行していった彼らだが、そのことについて ひとつ言えるとしたら、誰一人として、そのことについてきちんと考えていなさそうだった、 ということだ。 けれども、そこには不思議な必然性があった。 そして、彼らが正式にニュー・オーダーとしてスタートを切ることになり、ヘヴンでライヴが 行われることになったときには、大きな期待が寄せられた。 バンドは早い時間にステージに現れ、僕はNME誌に載せるために約2時間で記事を書き 上げなくてはいけなかったため、主に自分が最初に感じたことをもろもろ書くことになった。 そこには、涙も含まれている。 ライヴはすべてがとても感動的で、まるですべてが一気に流れ出したような雰囲気があった。 確か、あの頃からフッキーは少しだけだが、歌っていたように思う。 そして、ステージにはぽっかりと穴が開いたように、ある場所だけが空いていた…』 (1981年2月9日、ロンドン、チャリング・クロスのヘブンで行われたライヴ評) 『…ステージの真ん中、つまりイアン・カーティスが立っているべきその痛々しすぎる空間を誰も 埋めようとはしなかった。 加えて、3人はまだジョイ・ディヴィジョンのようなサウンドを鳴らしていた。 エレクトロニックや抽象的なサウンドに進む前だったからだ。 まだまだすべては流動的だったけれど、ニュー・オーダーがうまくいくであろう事は誰の目にも 明らかだった。 それは、3人がイアン・カーティスを失くした後もバンドを続けていこうとする勇気を持ち合わせ、 ジョイ・ディヴィジョン時代の曲は一切演奏せずとも、それでも何かが生まれつつあることが 伝わってきたからだ。 個人的に僕は、ぼろぼろに傷つき、もろく、文字通り、ショックから何とか立ち直ろうとしている サウンドを鳴らすニュー・オーダー、というイメージが気に入った。 3人が極度に緊張している姿は、バンドの評判をさらに高めた。 あの晩の3人は、イアンに起きたことをお互いにきちんと話し合ってきていないように見えたし、 それこそ、まるでイアンが死んだことをまだ聞いていないかのようにも見えた』 「イアンは最初から音楽全般に耳を配っている人間だった。 しっかり聴いて、『あ、今のはすごく良かった』とか、『そこはイマイチだったから、 こんなふうにちょっと変えたらどうかな』とかいう指摘ができたのさ。 ニュー・オーダーになってからの俺たちに欠けていたものは、音楽をしっかり聴いて くれているイアンのような存在だった。 イアンを失ってから俺たちは、ようやく音楽を全体的に聴くということを自力で学ば なければならなかったんだ。 それは、とてつもなく大変なことだったよ」 「当時の俺たちが置かれてた状況自体が、言わばイアンという舵取り人を失った難破船みたいな ものだったからね。 誰よりも、この俺たち自身が『何か今後のきっかけになるもの』を求めてたんだ。 で、それはイアンがジョイ・ディヴィジョンで音化しようとしてたものとは決定的に違う種類の 何か、でなきゃならなかった。 そういう暗中模索の時期に作られたのが『ムーヴメント』だったんだよな。 だから俺個人としては、あの作品を今聴くと、まさに穴にでも入りたい気分になるっていうか…… イアンっていう中心人物を失ったにも拘らず、必死でジョイ・ディヴィジョンの音世界を再現しよう としてる自分達の醜態があからさまに見え隠れして、とても平気な顔して聴いてられなくなるんだ。 ……で、そういう時期にアメリカ・ツアーに出て、ニューヨークに滞在してた頃、 ほとんど『予期せぬ事故』的な出会いをしたのがあの街のアンダーグラウンド・ダンス・シーン だったんだよね。 そういう意味じゃ、あの頃の俺たちにとってのダンステリアってのは言わば、溺れ死のうとしてる 人間が必死で掴もうとしてる口−プみたいなものだったわけだよ」 「でもさ、ニュー・オーダー初期の頃って、 なかなかその辺のニュアンスを解ってもらえなくて、いわゆるシリアスなインディー・ファン 達やジョイ・ディヴィジョン・ファン達に毛嫌いされたのを、俺は今でもまざまざと憶えてるよ」 「うん、うん、うん、ほとんどの、いわゆる音楽通から非難されたよなあ。 『何だ? これ、ただのディスコ・ミュージックじゃん。 ジョイ・ディヴィジョンみたいな高尚な 文学的表現をやってた人間達が、何の必要があってこんな下世話な音楽をやるのか?』 って調子で、熱心なジョイ・ディヴィジョン・フォロワー達から完全にボイコットされちまった 時期なんてのさえあったもんね。 で、その後オリジナル・ジョイ・ディヴィジョン派から許してもらえるようになるまでには、 気が遠くなるほど長い年月を要したんだよ、実は」 (オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳) 『…「おやおや、この幸福の王子は何てみすぼらしいんだ」と市長は言いました。 「何てみすぼらしいんだ」市会議員たちは叫びました。 彼らはいつも市長に賛成するのです。皆は像を見ようと近寄っていきました。 「ルビーは剣から抜け落ちてるし、目は無くなってるし、もう金の像じゃなくなっているし」 と市長は言いました「これでは乞食とたいして変わらんじゃないか」。 「乞食とたいして変わらんじゃないか」と市会議員たちが言いました。 「それに、死んだ鳥なんかが足元にいる」市長は続けました。 「われわれは実際、鳥類はここで死ぬことあたわずという布告を出さねばならんな」 そこで書記がその提案を書きとめました。 そこで彼らは幸福の王子の像を下ろしました。 「もう美しくないから、役にも立たないわけだ」大学の芸術の教授が言いました。 溶鉱炉で像を溶かすときに、その金属を使ってどうするかを決めるため、 市長は市議会を開きました。「もちろん、他の像を立てなくてはならない」と市長は言いました。 「そして、その像は私の像でなくてはなるまい」。 「いや、私の像です」と市会議員たちがそれぞれ言い、口論になりました。 私が彼らのうわさを最後に聞いたときも、まだ口論していました。…』 「ニュー・オーダー/ジョイ・ディヴィジョンはジワジワと火が付くタイプだったよ」 「俺たちはすぐにパーッとはいかなかったと思う。 世界規模の大成功、ワオ!俺たちはやったんだ、LAに家を、マリブにビ−チを買おう ―― そんな風にして世界に出たわけじゃなかった。 たぶん、人々は俺たちのことをクチコミで知ったんだと思う。 そうさ、ニュー・オーダーの曲はどこででも聴くことができるんだ。 おそらく、学生が友だちにそれを聴かせて、その人たちがまたその友だちに聴かせる。 全てが組織的に広がっていったんだ。そして世界中に広まったのさ」 「俺が考えられる唯一の理由は、音楽が素晴らしいということだね。 音楽がイアンの物語と結びつき、すべてをよりパワフルでメランコリックなものにしたんだ。 俺たちにとって一番の証は、これらがすべて30年前に作られたということだよ。 ジョイ・ディヴィジョンには素晴らしい化学反応があって、それが数枚のアルバムになり、 音楽は世界中に広まった。 俺はそれをとても誇りに思っている」 「どうやってやったかって? ジョイ・ディヴィジョンがどのように生まれたかって? まずはリハーサル場所を手配した。みんなが現れた。演奏を始めた。 ちょっとしたことを思い付いた。 さらに、ちょっとしたことを見付けた。 2つのちょっとしたことを組み合わせ、さらにもう1つのちょっとしたことを加えた。 イアンが詞を書いた。 たったそれだけのことさ」 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『 答え これらが問い対する答え。 なぜなら、旅路が始まったのがフッキーのベース・ラインがあったから。 なぜなら、フッキーが1000年も残るベース・ソロを弾き、それが断片に切り刻まれ、 ジョイ・ディヴィジョンの楽曲の至る所に使用されたから。 なぜなら、バーナードがさらに何百年もの間、素晴らしき緊迫感に充ちた輪の内側を、 そして時に外側を回りながら、延々とギターをプレイしていたから。 なぜなら、スティーヴンが自身の数百年を4分ちょうどで駆け抜けることができたから。 なぜなら、マーティン・ハネットに、さらに数百年もの歳月を耐えながら、数百年も 生き長らえることのない連中が納得するサウンドを作り出す方法論を得るのに十分な 忍耐力があったから。 なぜなら、マーティン・ハネットは、彼らが抽象的で未来的なサウンドのバンドと なるべきであり、また、ヘヴィでダークに、含意的な情感や認識や暗示、そしてムード を一変させるサウンド・エフェクトや、断続的な感情のほとばしり、といったものを 内包しながら浸透していくべきだ、と判断したから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、イアンが、破滅する前に全てぶちまけることを切望しながら、書きやすい 左寄せの余白がある安っぽい練習帳の罫線入りの紙にあらかじめ言葉を書き留めて おいたかのように、そして、何かが彼を怖気付かせているかのように、歌ったから。 なぜなら、人が難問に勇ましくも対峙することで成功、もしくは失敗するからこそ 我々が絶えず自らに投げ掛けなければならない「自分は一体誰なのか」、 「何をしているのか」という問いに対して、イアンは常に答えを見出そうとしていたから。 なぜなら、「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」があったから。 それは、不気味な静けさに包まれた興奮。メロディの深い愛から濾過され、絞り出され、 夢見られた愛の苦悩。救済とも言うべきポップ・ソング。 そして、それは全て実際に起こったこと。実生活で、そしてレコーディング・スタジオで。 なぜなら、パッケージ、動機づけ、プロデュース、計画、慰め、鼓舞、アレンジ、小言、 解放、販売、統率、ミックス、喧伝、構想などにおいてバンドに手を貸した、 トニー・ウィルソン、ロブ・グレットン、マーティン・ハネット、アラン・エラスムス、 ピーター・サヴィルから成るファクトリー・チームのショーマンシップがあったから。 なぜなら、彼らが利益など度外視し、ファクトリーの愉快な連中がバスタブで大海を渡り、 人々を大砲で打ち上げて、世界をアッと言わせようとしたから。 なぜなら、ファクトリー号の石炭が切れ、彼らが列車そのものを解体し、燃料として焼べる ことで、まさに火の車になるまでそれを走らせようとしたから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、とりたてて一貫性の必要のない場面にも一貫性を強いる必要があるから。 なぜなら、そこには哲学的な核心がなかったから。 なぜなら、それは決してバカな考えではなかったから。 なぜなら、「シャドウプレイ」があったから。 それは、認識していることの認識。恐怖にも似た感覚に襲われること。 邪悪な街の中心部と片隅に窓のある寒々しい部屋との間で、物事の奥深くまで光を 投じること。 それは、自殺、混沌、内輪もめ、情事、一瞬の栄光、そして若者らしい衝動の浅ましい 利用ゆえに。 なぜなら、「アトモスフィア」があったから。 それは、驚くべき耐久性。途方もない疲労を伴う孤独の感覚。 目覚める時にオーラや雰囲気、音色や調性を残しながらいかに夢模様が消えるか。 シンガーの神秘的な眼差しが、その声の恐るべき軌跡を追うこと。 なぜなら、ファクトリー・クラブとハシエンダとの関係、セックス・ピストルズと ハッピー・マンデーズとの関係ゆえに…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、「シーズ・ロスト・コントロール」があったから。それは、ベースによる幕開け。 衝撃。優美。奇形。バックの喧噪。苛立つようなリフ。エアゾール・スプレー。 人格危機。ちりばめられた歪んだピッチのパーカッション。 身体は浮き上がり、心は沈み込む。本当の話、一時的なことだが。 なぜなら、記憶と時を紐解くこととの関係ゆえに。 なぜなら、世界における、物事の秩序と出来事の奇妙な交差との関わり合いゆえに。 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンとしての最初のギグが1978年1月25日、ピップスで 行なわれたから。 なぜなら、マンチェスターがヨーロッパにあるから。 なぜなら、文化的な前衛運動は、格式張った文化の放逐によって生じた空虚の中で 育まれるから。 なぜなら、最終的には様々な理由で、それ、バンドのそれが、サウンドとセンス、 意義と哀愁、ドラムとドラマ、ベースと沈思、ギターとほろ酔いの顔、サイズとスケール、 声と感受性、思い切った開放と種々様々な感性、喧伝された熱狂と激しい不平不満で 知られる前向きなそれが、ザ・キュアー、デペッシュ・モード、エコー&ザ・バニーメン、そして ∪2、良かれ悪しかれ、ロウ、コールドプレイ、インターポール、フランツ・フェルディナンド、 エディターズ、アーケイド・ファイアといったバンドの時代の先駆けとなり、トレンドを作り、 その時代へと向っていったから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、ロック・ミュージックがあらゆる場所に存在するから。 なぜなら、外見を変え、屋外で踊り、権力に刃向かい、赤の他人を抱擁したいという 衝動は、簡単には抑圧できないから。 なぜなら、その薬とアルコールの消費量ゆえに。 なぜなら、毎日を存分に楽しもうとする時に起こる出来事ゆえに。 なぜなら、鮮明に記憶している事もあれば、そうでない事もあるから。 なぜなら、我々はみな感情による生命の支配を許す利己主義者であるから。 なぜなら、我々は他の物以上にある物に関心を示すものだから。 なぜなら、「ハート・アンド・ソウル」があったから。それは、うっとりさせるような悲しみ。 決して止まらないかのように、それぞれがあちこち動き回る過去と現在と未来。 そして、ポップ・ソングにはあまり見当たらない聖なる畏怖の示唆。 なぜなら、記憶は当てにならないから。 なぜなら、それが今日の事象によって色付けられているから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、暴力の脅威が我々のすぐそばにあるから。 なぜなら、イアンがもう一つの世界を垣間見たことで怯えていたから。 なぜなら、人生が虚構を導き出す手段であるから。 なぜなら、ありふれた出来事がしばしば寓話へと持ち上げられるから。 なぜなら、歴史は人の作ったものであるから。 なぜなら、全ての人生に神話があるから。 なぜなら、神話は皮肉な審美的静観には決して服従しない力を有しているから。 なぜなら、彼らは独自の形式を見出し、本領を発揮したから。 なぜなら、「トランスミッション」と、そして知識の発想と確信への緻密かつ騒々しい 変換があったから。 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンが一度もニューヨークには行かなかったから。 彼らが別の形 ―― 実際のところ、ある意味ニューヨークのグループだが ―― となるまでは…。おそらく彼らはニューヨークから「ニュー」をいただいて新たな グループの名前を付けたのだろう…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、彼らの境遇における危険で閉所恐怖症を起こしそうな奇妙さの真ん中にある 「24時間」ゆえに。 なぜなら、想像の世界と現実の世界の関係ゆえに。 なぜなら、カーティスはサヴィルやハネットと同じく、どうやって、また、なぜ幻影が 朽ち果てるのかを知っていたから。 なぜなら、バンドが、まるでそれが捕らえることのできないものを捕らえる唯一の方法 であるかのように莫大な量のノイズを生み出したから。 なぜなら、もし誰も物語を語らなければそこに物語は存在しないから。 なぜなら、記憶は心の中の噂であるから。 なぜなら、スティーヴン・モリスの偏屈で角ばったドラミングがあったから。 なぜなら、フッキーがベースを弾くことで心情を語っていたから。 なぜなら、バーナードが、まるで秘め事を抱き、そして他に選択の余地がないかのように ギターを弾いたから。 なぜなら、イアンが、まるで発せられた言葉が永遠に続くかのように歌っていたから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、ハネットが激しい内向性と官能的なデータの増殖を組み合わせたから。 なぜなら、ハネットが、リスナーをそこに住まわせるために曲にスペースを空けたから。 なぜなら、ハネットは、もしそこにあるならサウンドを見付け、ないのなら他のものを 見付けたから。 なぜなら、音楽とは、ただ耳にしたり耳を傾けたりするものではなく、そこで起こった 全てのことだから。 なぜなら、「デジタル」があったから。 それは、狂乱と無益の衝突。波立つ沈滞の空気。恐ろしいまでの孤独。 なぜなら、1980年5月2日バーミンガム大学ハイ・ホールで行なわれた最後のショウで 彼らが演奏したラスト5曲が、「トランスミッション」「ディスオーダー」「アイソレーション」 「ディケイズ」「デジタル」であったから。 彼らはいつもどおりに、まるでこれが最後のショウになるかのように演奏していた。 たとえ彼らが本当にそうなるとは思っていなかったにしても。 実際にはそうなったが…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、我々は生きている理由を決して知ることがないゆえに、我々は任意の目的を 選択してそれに固執していかなければならない、とウィルソンが判断したから。 なぜなら、物事が、退屈であれ刺激的であれ、最後の時まで一日ごとに前に進んで いたのだから。 なぜなら、イアンは、我々が生の拠り所とする神を、不在もしくは負の存在と見なす 実存主義の伝統と深い関係があったから。 なぜなら、彼は、自分が閉じ込められながらも抗おうとしていた、概念を超越した次元の 感覚を有していたから。 なぜなら、我々は他人の思索を知ることができないから。 なぜなら、彼は様々な妄想や錯乱に苛まれていたから。 なぜなら、デヴィッド・ボウイのお陰で、イアンは日常の聴衆の事を決して忘れなかったから。 なぜなら、我々は教わっていないことを沢山知りたいと思うから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、「ジーズ・デイズ」があったから。 そして、物事を深刻に受け止める必要があったから。 なぜなら、彼らは曲の中で一度も「ベイビー」という言葉を使わなかったから。 なぜなら、イアンは恐ろしい気質をコントロールしようと必死だったから。 なぜなら、この世では幾多の非情な犠牲を払わなければ得られない自由というもの は、それが続く間は、いかなるプログラム的計算などなくとも、制限なく存分に享受 されなければならないから。 なぜなら、繁栄する都会は荒れ果てた風景のほんの数マイル先にあるのだから。 なぜなら、地元民のグループはみな互いに助け合い、互いに邪魔し合っていたから。 なぜなら、時間は記憶を損ない、記憶は時間へと焼き付けられるから。 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンの音楽は、万物のありのままの形状よりも来るべき 形状を興味の対象としていたから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、ひとことで言えば「ノヴェルティ」があったから。 いくぶん曖昧さという危険を伴うが…。 なぜなら、ウィルソンが他の人々よりも少し年長であったから。 なぜなら、ロックの歴史が、ロックの歴史を作ろうとするウィルソンの確固たる意志の 回りで具現化したから。 なぜなら、人々が物事の成り行きを、あたかも正確に記憶を辿るように振り返ったから。 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンは、まるでそれが決して避けられないことのように、 無知で納得していない人々に対して嘆き悲しむのを覚悟しているかのように、歌を 歌ったから。 そして、彼らがいったい何を歌っていたのかはあまり鮮明ではなく、 そのことがあの激しいテンションを必要としたのだが、それはおそらく、こんなようなこと だったのだろう。 人生を素晴らしく!人生を素晴らしく!もしくは、そこをどきやがれ! なぜなら、束縛されることのないモダニストの衝動が、大衆的な思考やスタイルを支配 していたから。 なぜなら、イアンは常に彼自身とそれではない物との中間にいたから。 なぜなら、全てがパンクとレイヴの過渡期のマンチェスターとその周辺で起こり、 ナンセンスと愛と知覚によって、暗澹とした混迷のサッチャー時代を鮮明に浮き彫りに したのだから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンは、その2年半の活動期間の中で、あたかも自身の 生存期間が、理由はどうあれ、短くて厄介で美しいことを知っていたかのように、 あたかも80年代の幕開けに到達しても、遅かれ早かれ、やはり変化は訪れ、運命や 宿命、そして他ならぬ未来に支配されることを悟っていたかのように、膨大な量の ギグを行なったから。 なぜなら、事実は事実であるから。 なぜなら、大胆さと無邪気さの不可思議なコンビネーションがあったから。 なぜなら、まるごと、ドラマティックに、まさにそのままに、啓示の如く、どこからともなく、 あるいは北部のアンダーグラウンドのようなところから、ふいに現われたがゆえに、 ある意味歴史に残る最高のデビュー作ともいうべきテビュー・アルバム『アンノウン・ プレジャーズ』があったから。 そして、明快で、芝居がかっていなくて、極めて、そして執拗に内省的な、ある意味 歴史に残る最高の2ndアルバムともいうべき、さらに広く知れ渡った、しかしながら 極めて私的な次作『クローサー』があったから。 これらのアルバムに収録されなかったシングルがあり、その中の一つ、さり気なくも トラウマを引き起こすような「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」は、ある意味史上最高 のポップ・ソングとなった。その後、予期せぬ出来事が次々と起こった。 あたかもこの冒険の全てが、不格好な誕生から悪魔のような結末に至るある種の 避けられないカウントダウンであったかのように…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、ウィルソンは全ての出来事が映画化されることになるのを常に意識して いたかのように振る舞ったから。 あたかも彼が既に映画に撮られていて、それが彼を主役にしたものであったかの ように。 なぜなら、グレットンは、泣けてくるような時さえも大いに楽しんでいたかのように 振る舞っていたから。 なぜなら、この一部は、消えゆく評価の遥かなる縁に永遠に留まらないように するため、何らかの形で暫定的にでも解明されるべきであるから。 なぜなら、ステージに立ったイアンは、マンチェスターでは、さらに言えば、いかなる 場所でさえも見られなかった動きで、回りの空気を張りつめたものにしたから。 なぜなら、それは起こったのだから。 なぜなら、関わりのあった誰もが名声や称賛に飢えていたから。 なぜなら、サヴィルは異なる物の関係性を察知していたから。 なぜなら、人生が生きる価値のない物であれば、歌は歌う価値のない物であるから。 なぜなら、イアンは自らの欠点に苛まれていたから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、空虚とミニマリズムは、我々の酷使された視神経と密集した脳細胞へと 注がれた慰めなのだから。 なぜなら、誰かが死を悼む時、我々はみな同じ悲しみを抱くのだから。 なぜなら、情報源はいつも不十分だったから。 なぜなら、彼らの音楽は、忌々しいアメリカのロックを大っぴらに盗む一方で、 北ヨーロッパのアヴァンギャルドの恩恵を受けていたから。 なぜなら、バスに乗っていたある人がイアンの耳元で、世界など存在しないと囁き、 彼はそれに同意せざるを得なかったから。 なぜなら、世界には重みがあり、いつでも同じ重さであるから。 なぜなら、何が起こったのか誰かに説明してもらう必要があるから。 なぜなら、彼らは街の中心で出会い別れたから。 なぜなら、マクルスフィールドからマンチェスターまで30分以内で行ける鉄道が あったから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、イアンは追い詰められていたから。 なぜなら、暗雲が雷鳴を轟かせることなく去来したから。 なぜなら、ステージ上で、曲の中で、イアンは孤軍奮闘しながら、死を拒み、亡霊を 追い払い、空虚を弄び、自身の中に力を見出していたから。 それは、必ずしも為になる力ではなかったが…。 なぜなら、「ディスオーダー」があったから。それは、不安の高まり、心の誘惑、安息 の場所の探求、そして、ロック・バンドにおけるシンガーの在り方。 それは、必ずしもその他のものほどシリアスではないが、一方では、文字通り命を 賭けて闘っているのだから。 なぜなら、我々の人生は、その詰め物や無感覚や習性を取り除くと、たしかにゾッと するような、儚い、不条理なものに見えるから。 なぜなら、生死の不安だけが彼を魅了し、僅かな意味を見付けさせる事ができたから。 なぜなら、我々はみな夢の世界に生きているのだから。 なぜなら、我々は青春の日々を覚えているのだから。 なぜなら、無力な死は感傷に見舞われる傾向にあり、それは必ずしも無駄というわけ ではなく、生の権力の行使なのだから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、イアンの世界の2つの相容れない領域が衝突したから。 なぜなら、彼のイマジネーションが常識では測れないものだったから。 なぜなら、彼はイギーから度胸を、モリソンから心地良い錯乱を、そして終焉へと向う 頃にはシナトラから閉じ込められた激情を取り入れていたから。 なぜなら、彼はチェロのような深みのある声で歌い、その先に炎を付けたから。 なぜなら、彼はパフォーマーとして、全てが落着きと共に冷静になされるべきだ、と 学んだから。 なぜなら、彼は自らの犠牲者であり、自らに対する執行者であったから。 なぜなら、彼の死から27年を経ても、彼は未だにその偉大さを示す証拠と共に話題に なるのだから。 なぜなら、彼の恥じ入るような絶え間ない悲しみは、 フッキーの永遠に続く表情豊かなべース、バーナードの繊細で気紛れなギター、 スティーヴンの頑強かつ詩的なドラミング、そしてマーティンの鋭敏で洞察性に優れた センスの助けを借り、そして煽られながら、常にリスナーの心に触れるべく、突破を 試みているから…』 (070208:『 Piece By Piece : Writings About Joy Division 1977-2007 』より) 『なぜなら、「ニュー・ドーン・フェイズ」があったから。 それは、怠惰と憂鬱を進むこと。 空気のように軽い雰囲気で。避けられないものを受け入れること。 終篤と向き合うこと。それは時として、最も期待する時にやってくる。 なぜなら、凍結した記憶は喪失という闇の中で輝くのだから。 なぜなら、その音楽ゆえに 』 (映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのナレーション) 『彼らが図らずも世の中の流行の波の中でも失なわずにきたもの…それは信頼に足る 誠実さだ。 金や出世のためだけじゃないという反業界性。 ポップ・カルチャーの維持に必要と思えたもの。「カッコよさ」の復活だ。 金儲けをする側は彼らをうまく使ってほしい。「カッコよさの定義」がそこにあるからだ』 『アルバムは2枚「アンノウン・プレジャーズ」と「クローサー」。 それだけだ。 あとは開発商品にすぎない。 記憶を商品化したものだ』 『今はブランドが全ての時代だが彼らは超越していた。実態としての彼らが信じられた』 『ファクトリーの中でも、イアンの物語はポップス最後の実話の一つだ。 実話というのは稀だから……ビジネスが支配するポップ・カルチャーの世界ではね…』 (映画『コントロール』本編字幕より) 『歩いていく 静寂の中を 行かないでくれ 沈黙したままで 危険に目を向けろ 常に危険は存在する 終わりのない会話 人生のやり直し 立ち去らないで 歩いていく 静寂の中を 背を向けないでくれ 沈黙したままで 君の混乱 僕の錯覚 自己嫌悪を身にまとい 対立し、そして滅びる 立ち去らないでくれ 君たちにとっては簡単だろう 無防備なまま浮かれている 川や、通りの流れに 何かを求めても もはや意味がない これだけは 覚えていてくれ どうか行かないで 沈黙したままで 立ち去らないでくれ…』 (2009年6月16日のニュース) 『 ニュー・オーダーのメンバーがフッキー抜きで新バンドを結成、ベースはブラー ニュー・オーダーのバーナード・サムナー、スティーヴン・モリス、フィル・カニンガム が、ベーシストのピーター・フック抜きで新バンドを結成していたことが明らかになった。 そのバンド、バッド・ルーテナントはベースにブラーのアレックス・ジェームスを従えており、 バーナードがBBCニュースビートに語ったところによれば、彼らはすでにアルバムの レコーディングを終え、10月にリリースする予定だという。 「満足できるものができたよ。とてもいいアルバムなんだ。ギターのサウンドが強くてね。 何しろバンドに3人もギタリストがいるから」とバーナードは話している。 ニュー・オーダーは昨年の夏に解散しており、ピーター・フックは他のメンバーと不和の 状態にあった。 「僕らは2つに分かれてしまったんだ。 こっちに僕とスティーヴとフィルがいて、あっち側にピーター・フック。 基本的には彼がバンドを離れたわけだけど、このことについて言えるのはそれくらいだな」 とバーナード。 2008年10月に、ピーター・フックは解散直前のニュー・オーダーについて語る中で、 バンドは「抜け殻」だったと話していた』 「『 ニュー・オーダーは解散した 』、そういうことだよ。 ニュー・オーダーの他のふたりのメンバーは、自分たちは解散していないって考えて いるみたいだけど。 まあ、みんなそれぞれ自分の考えがあるものだからね。 それでも、バーナードが新しいグループを結成したというのは、俺たちが解散したのを 証明したようなものじゃないかな。 だったら、どうして最初から認めないのかって笑ったよ」 「現時点では、ニュー・オーダーの今後は、まるでわからないよ。 何と言ったらいいのか、これもまた混乱状態でね」 (2009年8月30日のニュース) 『 もう涙は流さない、ニュー・オーダーからバッド・ルーテナント誕生 ニュー・オーダーの突然の活動休止から2年。 バーナード・サムナーによる最新プロジェクト、バッド・ルーテナントのアルバムが遂に 完成、10月7日にリリースとなる。 タイトルは『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』……もう一粒たりと涙は流さないと いう決意みなぎる作品だ。 ジョイ・ディヴィジョン時代のイアン・カーティスの死や、長年の盟友ピーター・フック との別れなど、数多くの悲しみを背負ってきたバーナード・サムナー、そこには筆舌に 尽くしがたい決意と自信が込められているはずだ。 「このアルバムは僕にとって特別なものだ。 僕ら3人の努力の結晶だし、とても満足している。何より、2人の素晴らしい新人シンガー とギタリストをみんなに聞いて貰えるチャンスだからね。本当に特別なアルバムなんだ。 これが今、自分が作りたい音楽、まさにこれ!って感じなんだ。このアルバムを聴いて くれる人にもそう思って貰えれば嬉しいね!」── バーナード・サムナー ギターとメイン・ヴォーカルを務めるのは、もちろんバーナード・サムナー。彼以外の 正式メンバーは、後期ニュー・オーダーのメンバー、フィル・カニンガム(ギター)と、 バーナード・サムナーと同郷でマンチェスター郊外のマクルスフィールド出身の新たなる 才能、ジェイク・エヴァンス(ギター&ヴォーカル)。 なんと全員がギタリストというユニークな編成だ。全員ギターといえば、ライヴとなると 全員がギタリストとなってしまうブルー・オイスター・カルトを思い出すが、正式メンバー が全てギタリストという構成はかなり稀有だ。 なお、『ネヴァー・クライ・アナザー・ティアー』のレコーディングには、 ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー時代からの盟友、スティーヴン・モリスが ドラマーとして参加。ベーシストは、ブラーのアレックス・ジェイムズが務めている』 「(ニュー・オーダーとしての今後の活動については…)わからないよ。正直、わからない。 そもそも98年まで、俺たちがまた一緒に活動するなんて思ってなかったしね。 その頃はそれにびっくりしたんだから、また今後びっくりすることがないとは言えない。 でも現在の俺はとても忙しいし、自分のしている事に満足してるからね」 「ジョイ・ディヴィジョンの時は、無我夢中で何も考えてなかった。 それでも、すごく上手くいってた。 他のメンバーにも聞くといいよ。イアンなら理由を分かってたかも。永遠の謎さ。 でも4人は純粋に相性が良かった、楽だったよ。 曲を書くのも楽だったし、いい演奏をするのも楽だった。彼の死後、難しくなった」 (ROCK IN 90'S NEW ORDER アマチュアリズムの彼岸 より) 『……「イアンが死んでから俺たちは曲のいじりかたがわからなくなったんだ。 どこをどうやれば完成するのかっていうことがね」 どの音が出されるべきなのか、どのテイク、どのヴァージョンが選ばれるべきなのか 分からぬまま、常に音楽と向かいあう。 何処に行っても自己確認できないような場所に居残り、もちこたえるということ。 これがニュー・オーダーの音にいつ何時ともある緊張感を与え続けている源泉である。 アマチュアがもてはやされるのは、別にその表現が稚拙で、親近感が湧くからという 倒錯した指向からではない。 彼らの中に抜きがたい欠落感、不安定感を読みとることができるからだ。 我々はもうそうしたものがない限り信じようがないのだ。 しかし、アマチュアもいつかプロになる。 新人バンドもいつか中堅になる。移ろっていた言葉がいつか確信に変わる。 そこなのだ、ニュー・オーダーと他のバンドを分かつ境界線は。 「権力の美学」から「テクニーク」に至るまで、彼らには進歩もない、退歩もない。 考えてみれば当然だろう。 ニュー・オーダーは端から「終わって」いた。 “ GAME OVER ”の表示が出てから、彼らは歩き出したのだから。 「終わった所から始めた旅に、終わりはない」 と書いた作家がいたが、ニュー・オーダーを見てると、それが私にはひどく信じられるのだ』 (映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのトニー・ウィルソンによるナレーション) 『彼ら4人は革命を起こしその中心的存在を担った。 彼らに刺激されて人々は参加し、ダンスとロックの区別はなくなった。 それは、かつて近代都市だったマンチェスターを再び近代都市に蘇らせた。 この街の振動や未来への期待感こそジョイ・ディヴィジョンの遺産だ』 (映画『ジョイ・ディヴィジョン』でのトニー・ウィルソンによるナレーション) 『彼らに始まる都市再建のすばらしい物語だ。 悲惨な自死の物語。モラルの物語でもある。 文化的で、アカデミックで、知的で、芸術に関する物語。 舞台は、この街。 彼らが永遠の名曲を生んだ街だ』 JoyDivision (01)−03 This story contains the hopes and dreams of many fine people. Keep it close to your heart and cherish it. Deepest Thanks to : Joy Division / New Order Factory Records Alan Erasmus Martin Hannett Peter Saville Rob Gretton Tony Wilson Special Thanks to : Ago_san …… and you (オスカー・ワイルド著、結城浩氏訳) 『…「おかしいなあ」鋳造所の労働者の監督が言いました。 「この壊れた鉛の心臓は溶鉱炉では溶けないぞ。捨てなくちゃならんな」。 心臓は、ごみために捨てられました。そこには死んだツバメも横たわっていたのです。 神さまが天使たちの一人に「この街の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。 その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。 神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。 「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう」 』 いつもジョイディヴィジョンやニューオーダーを他人に言葉で説明しようとする時 決まって上手く言葉にできない だから貴方がやったように 「彼ら自身」の言葉やそれにまつわる言葉たちを 組み合わせて表現したことは限りなく正しかったように思います こちらこそ本当にありがとう。 長い間ありがとうございました。 いつか、この続きが読める日が来ることを願ってやみません。 リマスターとHeart and soulのどっちを 買うか悩んでいるんですが、 よかったらアドバイスください 日本語で読めるJD/NOオーラルヒストリーの金字塔 うp主の編集手腕と根気、情熱に只々敬服すると共に、これをいつまでも残しておきたいと思った次第 ありがとう 数え切れないくらいある、2ちゃんのスレの中で、一番好きなスレだよ。 消えていくのは惜しいので、ageときますね。 この時代から曲はフッキーが書いてたの? ドキュメント見てたらインタビューでラブウィル〜はってフッキーが言ってて驚いた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる