森田童子について語りませんか(新装版)
過去スレ
☆☆ 森田童子について語りませんか ☆☆
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/legend/1041553283/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.2 ☆☆
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/legend/1132826757/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.3 ☆☆
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/legend/1221585808/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.4 ☆☆c2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1486286494/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.5 ☆☆
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1530267127/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.6 ☆☆
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1532530974/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.7 ☆☆
実質 森田童子について語りませんかpart10です
森田の音楽について静かに語り真の森田童子ファンの交流の場です。
なかにし某だの、なんとか亜土だの森田の音楽に関係無い呼称をレスする者は出禁です
森田の正体を暴くことに執着する輩は森田ファンではありません 友人の自殺をきっかけに歌いはじめたという森田童子は、75年にこの衝撃的なアルバム「グットバイ』でデビユーする。透き通るように清い声、学生運動が敗北した後の時代を生きる「若者」の空漠感を象徴的に描いた歌詞、真っ黒のサングラスと中性的なルックスは、消えゆく70年代の重さと、80年代の空虚な明るさの裏に潜む暗い本質を凝縮したような、聞く者の心に突き刺さる歌と相まって、非常に鮮烈なシンガーとして歴史に名を刻むことになる。
このアルバムには、彼女が引退するまでライヴで長く歌われた「地平線」映画『オレンジロード急行』で劇中歌に便用された「さよならぽくのともだち」、故郷を旅立つ者にはあまりに衰しい「センチメンタル通り」等、彼女の歌に魅せられた者なら一生涯忘れ得ない曲が多く収録されている。ある意味で彼女の本質的な孤独、人間の存在自体の淋しさ、郷愁への冷徹な視線が凝縮された作品であると言えよう。早川義夫が日本人男性シンガーの最も重要なキーマンであるなら、女性シンガーの最も重要かつ神聖な位置に森田童子は存在し、このファースト・アルバムは、その基本となる聖書のような作品であっ こんばんは
パーマをかけた長い髪にサングラス。
その外見からは想像もつかない透明な声。
私が10代のころ「自発的にひとりで」 コンサートに行った、唯一のシンガーでもあります。
ちなみに、この時に一番印象的だった曲は、 『雨のクロール』
録音版とは全く違った迫力に、圧倒されたのを覚えています。 目にしみるぞ
青い空
淋しいぞ
白い雲
ぼくの鳩小屋に
伝書鳩が帰ってこない
ウウウウウー ウウウウウー
もうすぐ ぼくの背中に
羽根(はね)が はえるぞ
アアアアアー アアアアアー
朝の街に
ぼくの 白い カイキンシャツが飛(と)ぶ
母よぼくの 鳩を撃(う)て
母よぼくの 鳩を
森田さんの唄の中で一番好きな歌ですが 何故 母にぼくの鳩を撃てと呼びかけてるのでしょうか だれか意味わかる人います? わかりませんが まったりと色々森田童子さんの音楽を語りたいものですね >>6
偉い評論家の方がこんな一文寄せていました
視えない多くの仲間たちへ向かって飛ぴ立っていったはずの〈伝書鳩〉も、もはや帰ってくることはないだろう。ついに帰ってこないだろうという苦い認識とともに、自分自身が鳩へと変身していく幻想を歌った「伝書鳩」の後半は、『マザー・スカイ』のなかでももっともすぐれた部分だとおもうが、しかしその切ない幻想さえも母という現実によって撃たれることを前提とせざるをえない。いやむしろ、鳩が帰ってこないのは〈母〉によってすでに撃たれてしまっているからである。このとき〈鳩〉とは、未来へ向かう時間ともあるいは希望ともいっていい。青い空が目にしみ、白い雲が淋しいのは、なにかがとっくに終わってしまい、喪失感としてしか残っていないせいだ。 私が童子さんのの曲の中で最も強い衝撃を受けたのは「サナトリウム」です。
小学3年生でピアノの教室に通っていた私はこの曲の死のイメージは恐怖でした。「もうすぐぼくの左の肺に真っ赤な花が咲くはずです」という台詞は、
とても怖く、鮮烈でした。子供の時に歌を聞いてこれほど死に近づいたと感じたことはないです。今聞き直してみましたが、三拍子で、ピアノの上の
二本のバイオリンが時にポリフォニックにからむ編曲が、聞く者の日常感覚をさらに狂わせようで・・・ >>10
俺もそうだったがつげ義春の有名な片手を押さえて上半身裸で血がでてる絵を見て
おれは童子はあの絵からのインスピレーションだったのでは?と思った
つげ義春のマンガの中の登場人物の台詞と童子の歌詞の一部にどこか共通するものを感じるな 昔、日テレの歌番組(昔の歌と現在の歌をランキコーナーコーナー)で
童子の歌が紹介された時、ゲストの加山雄三が、首をかしげて苦笑しながら
「暗い歌だね、ボクは嫌いだな」と言ってた ニューライトミュージックの1976年5月号12-13ページで、
山崎ハコ、中島みゆきと一緒に森田童子は、注目のsinger-songwriterとして紹介された
取材記者のメモによるとサングラスを外すと「しなやかなお嬢さん」とか
「女らしい」とかいう印象を述べている。 森田童子さん、明日はお誕生日ですね おめでとうございます。
幸せにお暮らしのことを心から願っております。 「キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
・・・・・・」
って曲があるけど
この「金曜日」って、何かの事件があったの?
それと「グリーン大佐」「ミセス・カーマイケル」「チャーリー・パーカー」
とかどういう人? 森田童子の真実を伝える書籍4月に発売、JOJO広重と三上完太が監修 - 音楽ナタリー
https://natalie.mu/music/news/461743
2022年1月15日 15:00
https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2022/0115/moritadouji.jpg
JOJO広重(非常階段)、三上完太監修による森田童子の書籍「夜想忌 森田童子大全」が4月1日に発売される。
本書は2018年4月に死去した森田の真実を伝える初の書籍。石川鷹彦や谷山浩子といった関係者へのインタビューをはじめ、大森靖子、しーなちゃん(東京初期衝動)、野島伸司らからの寄稿、本人自筆コラムやインタビュー記事の再録、直木賞作家・朱川湊人のオリジナルストーリーなどが、森田の遺族許諾のもと360ページにわたり掲載される。また1978年にFM東京(現:TOKYO FM)で放送されたスタジオライブを収録したCDも付属する。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。 >>76
ここは森田童子の音楽について静かに語り会う 真の森田童子ファンの交流の場です。
ふざけた投稿や宣伝はご遠慮ください その昔、森田童子のコンサートは2回いきました。
渋谷の屋根裏部屋と新宿のルイードです。
LPレコードはすべてもっています。
残念ながら私は、所属していませんでしたが、ファンクラブがあったようなので、所属していた人が見つかれば、情報がいろいろ手にはいるかも。 ニューサウンズスペシャルに出演したときのテープをまだ持ってる
受験のとき秋田明大が逮捕されたとか「よく暗いですねぇと言われるんですけど・・・」とか
レアモノかもしれない。 15万はするかも >>19
高橋基子の番組だね、よく覚えてる
喋り方は饒舌とは言えないが普通に明るかったな
俺もテープ録ってたと思うんだがもはや探す気にもなれん 吉祥寺のライブプハウスNで長い間歌い続けている佐久間順平さんというシンガー・ソングライターがいます。順平さんは大変な酒好きでライプ始まる前に、まず酒を飲み、ステージの上でも一曲終わると酒を飲み、ライブが終わったといっては、朝まで飲むといった調子でした。
ある時、ライブハウスのカウンターで知人と酒を飲んで出番を待っていた順平さんは、すっかり飲み過ぎてしまい、二、三曲進むにつれて、気持ちが悪くなり、吐き気を止められないところまできてしまっていたのです。ステージの上にはどうしても吐けないと思った順平さんは、とっさに、自分のギターのサウンドホールの中へ吐いてしまったといいます。
大酒飲みの順平さんのうわさ話には、どんどん尾ひれが付いて、演奏中にステージの上で順平は眠ってしまった」などと信じられないような話が出る始末でした。
5年近くもの長い間、私ののステージのバックを付き合ってくれた順平さんは、ギターにバイオリンにハーモニカと、マルチプレーヤーぷりを発輝して、私のステージをよく盛りたててくれました。
もしも、気が向いたら吉祥寺の裏通りにあるライプハウスNへ酒飲みの順平さんの歌を聴きに行ってみて下さい 上記は森田童子のエッセイです
ちなみにこの佐久間順平というのは高田渡の事だと最近の森田研究で判明しました。 NHKの「若いこだま」平田俊子とかいう詩人だったか所太郎だったかがDJ
やってた時の番組では ボソボソとしかしゃべらなかった 自分の事を「ぼく」と
言ってた。 この様にして 森田童子は明るかった 暗かった
饒舌だった ほとんどしゃべらなかった 背が高かった 小柄だった
相反する情報が錯綜するのも不思議といえば不思議 「高校教師」の主題歌で、脚光をあびたとき、決して彼女は出てこなかった。
それって、ある意味偉いなあって思いました。
声がとっても透明感があって、せつなくて・・当時はよく聞いてました。
この前久々にまた聞いてみたけど、やっぱりいいです。今の時代にも通用すると思います 新宿ロフトでの「松尾君救済ライブ」ってなんだったんですか
「松尾君救」済って? 春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね
君と話し疲れて いつか黙り込んだ ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた
地下のジャズ喫茶 変われない僕たちがいた 悪い夢のように時が撫ぜていく
僕が独りになった部屋に君の好きな チャーリーパーカー見つけたよ僕を忘れたのかな
ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう あの子はまだ元気かい昔の話だね
春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は弱虫だったんだよね ンデーンデーンデーンデーンデーwww
デンッデンッデンッ↓wwwデンッデンッデンッ↑www
デンッデンッデンッ↓wwwデンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww
デンッデンッデンッ↓wwwデンッデンッデンッ↑www
デンッデンッデンッ↓wwwデンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww
デンッデンッデンッ↓wwwテケテケテケテケ↑www
デンッデンッデンッ↑wwwテケテケテケテケ↑www
デンッデンッデンッ↓wwwテケテケテケテケ↑www
デンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww
デンッデンッデンッ↓wwwテケテケテケテケ↑www
デンッデンッデンッ↑wwwテケテケテケテケ↑www
デンッデンッデンッ↓wwwテケテケテケテケ↑www
デンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww わざとらしく一人何役もやってるからこうやって荒らされるんだね
ちなみに俺は>>30じゃないよ CDには収録されていない同時の語りを発掘しました
悲しい時はほほよせて
淋しい時は胸を合せて
ただふたりは息をこらえて
虫の音を聞いていました
そんな淋しい夏の終わりでした 40年程の年月がたって、昔を知らない若い人たちの共感も得られてるということは、
時代背景とは別に心に訴えるものがあるのでしょうね。 森田童子さんの声は可憐な音色で、折れそうに華奢に響く。歌詞はいつもとびきり悲しくて孤独、それでいて不思議な包容力を感じさせる。
どん底まで悲しみを経験した人が到達できる悟りを含んだ優しさというのか。
人が人であるがゆえの弱さと弱くて良いんだよと受け入れ、それを糾弾せずにそのまま抱きしめてくれるような母性。
清濁飲み込んで浄化するような光。
まるで聖母のごとく・・・
と、ここまで書いて思い出したが、そういえば童子さんの唯一のライブアルバムは「東京カテドラル大聖堂録音盤」だそうだ。
まるで聖母のような慈愛を感じさせる彼女の歌を聖マリア大聖堂で聴く体験はさぞや格別なものだったのではないだろうか。
恐らく修道女たちの何人かも涙したであろう やっぱり森田さんについて語る本スレのここに来るのが一服の清涼剤になりますね
ホッとして癒やされます
偽のスレの方は 偏執ともいえる異常な妄想が渦巻いていて、読んでるとこちらまで
頭がおかしくなります >>39
元々頭おかしいだろw
妄想が渦巻いてるのもお前じゃん 昭和56年4月20日岡山市の市民文化ホールでのコンサート後にサインしてもらったことがあります.童子は深いグリーンのGパン生地のジャケットに,白の綿パン,そして黒のサンダル.春爛漫のときには何色にも光る紙吹雪がきれいでした.アンコールで2曲歌ってくれた.コンサートが終わって,サイン会があった.,たどたどしい口調で「これからも頑張って下さい」と言うのが精一杯でした.
握手してもらった.あの温かいやさしい手は忘れられない.
でも,前日のサンデーベスト(前日,岡山の山陽放送ラジオの番組にゲストとして出演した童子をスタジオのガラス越しに見た)とは打って変わって怜悧な表情でした それがまた良かった
.コンサートの中で童子はときどき手話を使って話す.その話の中で心に残ったのは女性写真家の話であり,童子の「意志を持って,何でもやることは素晴らしい.でも,最近,意志を持って行う事の難しさがだんだんわかってきました」と言う言葉でした。 つくづく童子の歌詞はピュアだと思うな
しかもそれが一貫してブレない
こういう詩人はもう出ないよ 童子さんの高校生の頃から知っているという女性の手記
高校生だった彼女(童子)が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
童子のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。
「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。 実家がとても厳しかったので音楽活動がバレないように、
半ば変装みたいな事をして名前も本名と全く違う芸名にしたらしい。 >>47
その大切な人とは東京教育大の人だったらしいですね 童子の初恋の相手ともいえる東京教育大のA君(後に自死)
のアパートを(実際には間借り先)童子はなんどか訪ねていたのだろう
玉川上水沿いに歩くと
君の小さなアパートがあった
夏には窓に竹の葉がゆれて
太宰の好きな君は 睡眠薬飲んだ
暑い陽だまりの中 君はいつまでも
汗をかいて眠った 春一番コンサートの主催者のひとりだった阿部 登の話では 当時は裏方などを
手伝ってくれていて「君も唄っていいんだよ」と言ってもかたくなに拒んでいたという あじさいの花よりあざやかに
季節の終りの蝉が鳴いた
君から借りた太宰の本は
淋しいかたみになりました
ぼくは汗ばんだ なつかしいあの頃の
景色をよく覚えてる ちなみに某氏の話では亜土はこの唄が大嫌いで童子がこの唄をステージで
歌うと楽屋で不機嫌になったと言う。 淋しく二人眠った 始発の電車
ただ陽射しだけが まぶしく
話す言葉もなかった
これリアルだよなぁ 多分相手は東京教育大のA君だろう 森田童子は双子で本名は新垣で沖縄で生存してるんだっけ?
最近のキチガイ爺さんはここまで狂ったこと書かなくなったな
防衛ラインを大幅に後退させたんか
まあどうでもいいけど、もう本スレには来るなよ
かえって逆効果だよ 「森田童子について語りませんか」の趣旨を引き継ぐ
純粋なpart0の
本スレはここだよ >>61
なんでもいいからキチガイ爺さんは前田美乃生さんのスレには来るな 僕が愛した友達の 模型飛行機の工作用ナイフで切った指先の
小さな傷跡を僕はいつまでも愛した
朝焼けのアスファルトの上に死んだ小さな鳩の首筋の
柔らかな暖かさを
今ぼくは 遥か死の意味を問う
さよなら僕を愛せなかった友達よ 友達とは教育大のA君の事だね
「今ぼくは 遥か死の意味を問う」は自死したA君の自殺の誘引を森田なりに必死に考えたのだろう
「さよなら僕を愛せなかった友達よ」は革命に夢中だったA君は森田が想うほど
あちらは高校生の森田を恋人とはみていなかったのかも知れない事を窺わせる 淋しい雲だけ童子の曲の中でなんか異質だなあ。そして一番好きな曲だ。
挫折の影が覆う曲達の中で陽だまりのような明るさというか・・・
自分が個人的に好きなものが「僕もいいと思うよ」って言われるのがどんなにうれしいか。
ミセスカーマイケルってのはこのドラマ↓に出てくる人のことなのかね
http://www.superdramatv.com/line/lucyshow/ 私の友人で自称アナーキストだという土門という友達がいます。
土門は大学を中退してから一度も働いたことがありません。
そんな変わり者の土門と同棲していたモンちゃんという女性は絵描き志望で ,着物の柄を描いて生活していたわけです。
去年の夏,土門が一週間以上も部屋を空けて帰らないうちに ,モンちゃんは持病の腎臓病が悪化してしまい入院して2日で亡くなってしまったわけです。
土門は今もモンちゃんと暮らしていた阿佐ヶ谷のアパートに住んでいます。
土門のカストロ帽の下は髪の毛を全部剃ったつるつるの坊主頭です。
モンちゃんが保険をかけて残していったお金が400万近くあるそうです。
土門は毎晩、新宿のゴールデン街で安酒を飲んでいます。
モンちゃんが残していった400万を使い果たしたら ,土門は坊さんになると言っています。 いま、童子の歌を聴きながら書いている。
私たちが住む場所と時代に生誕した、この特別な日にー。
何と透明で美しい声だろう。
いつ聴いても、変わらずやさしく包み込んでくれる。
どんなに童子を穢そうとする者がいても、
それは叶うことのない謀に終わるだろう。
天に唾を吐く者は自分に返ってくるだけなのだから ライブハウスが好きでよく新宿ロフトに行ってたな
ARB、モッズ、暴威、スタークラブとか
ロフトの社長に勧められて森田童子さんのライブ観たのが出会い
危ない詩だよね
A Boyなんかアルバム毎放送禁止にするべきと思ったほど
亡くなったんだね・・・ YouTubeで唄聴くと 外国人からの投稿もあるね
「言葉はわからないが偉大な歌手だという事はわかる」という英語のコメントもあった。 森田童子のアルバムで1枚薦めるなら
a Boyだな このアルバムが完成度が一番高い気がする 森田童子が活動時期にはコアなファンはいたけど世間的にはあまり知られていない存在
ドラマに歌が使用されて声と歌詞が新鮮だったからかしらんが評判を呼んだけど
森田童子はどこまでもアンダーグランドの人だったと思う
だから売れたからって一切表に出てこなかったし
ここまでカリスマイメージを守りきった人はいないしもうありえない 編曲はさまざまな人が手掛けてるようだが、どれも素晴らしいよな。 高校生だった彼女が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
彼女のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。
「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。 私「グッドバイというタイトルは、太宰治から取ったんですよね」
童子「そう」
私「もしかして、このデビューアルバムで終わるつもりじゃなかったの?」
童子「(笑いながら)へえ、よくわかったわね。本当はこの1枚で終わるつもりでつけたんだけど」
過去の自己と決別するために作ったアルバムだったのかもしれない。
でも、ライブで歌ううちに、彼女はそこに来る“病んだ”若者たち、“今に失望している”若者たちを目の前にして、「変わっていった」ではないか―。
本質的なものはもちろん変わってはいなかっただろうが、一種の「使命」のようなものを感じたように思うのだ。
そして、その必要がなくなった、と感じだときに、消えていったのではないかと。
しかし、時代を超えて今なお、どこか自分と社会(あるいはもっと目に見えないもの)に折り合いをつけることのできない人たちの耳にとまり、心を動かす―。
そして、聴いた者は彼女の歌に癒され、救われていく。 名古屋駅前の中規模のホールだったと思いますがコンサートを聴きに行った事があります
。楽器編成は森田童子のギターに、その左右のヴァイオリンの女性とギターの男性がついて
たと思います。覚えているところでは「春爛漫」のときに舞台効果で天井から
花弁が降ってくる、というのがありました。あと、「さよなら僕のともだち」
を曲紹介するとき、曲名の合わせて手話なのか、両手を頭上で交差させるしぐ
さをしていました。
開場前に並んでいる列には意外にも普通のサラリーマンやOLの人が見えまし
たね。スーツ着ているような人が何人も来ていたので覚えています。込んでて
立ち見で見てたんですが、僕の斜め前に立っていたOL風の人は泣いてました
ました。ちなみに僕が当時持っていた森田童子の音源は懐かしのミュージック・テ
ープでpolidoreから出てた『森田童子全曲集』とかいうものです。 私は森田童子のライブは新宿のルイードで下田逸郎と二人出演したときに
見ました。最初に森田童子が歌い、その後下田逸郎が歌ったのですが、
下田逸郎が「彼女は僕より年下なんだろうけど青春が終わったって唄っ
てますが、僕は30でまだ青春してます。」と話していたのを妙にはっきり
憶えています。 そうですか ぼくはロフトで森田童子とまだ売れない前の浜田省吾のジョイント見ましたよ 俺はデビュー当初の荒井由実がなぎらけんいちの前座だったのを見た事がある。
その時のなぎらが荒井由実を揶揄するようなMCをはっきり覚えている
誰か知りたい奴がいるなら教えるけど 「高校教師」の主題歌で、一躍脚光をあびたときも、決して童子は出てこなかった。
あの時 表に出て色々上手くやれば数千万円稼げたはず。
それを選択しなかったのは、偉いなあって思いました。
声がとっても透明感があって、せつなくて・・当時はよく聞いてました。
この前久々にまた聞いてみたけど、やっぱりいいです。
だけど人生応援歌全盛の現代ではやはり一部のマニアにしか通用しないと思います。 古い雑誌に高校教師で童子の唄が話題を呼びヒットしたときの童子の反応が
掲載された事があります。
「なにをいまさら・・」って言ったそうです 真偽の程はわかりませんが雑誌に載っていました >>80
主題歌シングルCDだけで1億近い印税入ってきてるのに
今更人前なんか出るかよ 童子の原盤制作をしていた麻生静子氏とプロデューサーの市川義男氏の
話では童子のレコーディングは普通とは違っていたという。
当時のレコーディングではシンガーソングライターの場合、まずスタジオでミュージシャンたちと
一緒にセッションして、バックの音を録音してから、後で必要な楽器をダビングして
歌を仕上げていくのが一般的だったという。 しかし極端に人見知りする童子は、最初に童子だけで歌とギターを録音しておいた
テープに、ミュージシャンたちがいろいろな音をかぶせて仕上げていったという。
それでも歌詞が良く伝わらない箇所や聞き取りにくいところでは、ベースの音を
絞ったり、時にはミュートした。
シングルに続いて発売したアルバム「グッド・バイ」で、ドラムの音を全く
使用していないのは、そうした理由からだったという。 その代わりに楽器ではなく。効果音や擬音が随所に使われることになったのが、演劇的な
発想だった。
「早春にて」で、歌の終わりに耳を突くようなジェット機の激音
「地平線」では居売れるな雷が入っている。
「雨のクロール」ではレベルが最初から低く録音されていて、後半に普通のレベルになる。
その分だけ音像が近づいて、強いイメージを与えるようにしたのだという
これらのアイデアが希望はすべて森田童子の意向によるもので麻生氏らの
スタッフの助言は一切無かったと証言する。 そうですか どこかの性格異常者がどこかのスレで森田を企画歌手だと貶したのは
とんだ勘違いの的外れも良いとこだという事が証明されましたね♪♪ >>84
凄く納得できる話です。
「君は変わっちゃったネ」
「センチメンタル通り」
とか、後からオーバーダブしたギター意外に、はっきりとセンター定位でアコースティックギターの音が聴こえてくる。
きっと、ボーカルのガイドとして録ったギターが残っている?なんて思っていたが、そういう理由があったんだ。
センチメンタル通りなんか、モロにフォークロックアレンジなのに、なんでドラムを録れなかったのか?なんて長年思っていたのだが、成る程納得致しました。 (観客はなぎらを聞きに来ている)
荒井由実が最初に歌う(観客の反応はいまいち)
荒井が引っ込んだ後なぎらが登場(拍手)
なぎら=「今の方はホットパンツかなんか履いて、大変カッコ良かったです
でもただそれだけです」(観客のクスクス笑い声)
なぎら=「あっ 皮肉に聞こえましたか?・・・そうです」(観客の大爆笑) ところがその後の荒井由実はヒット曲を連発 ユーミン人気は凄まじく
1年後には荒井由実の月収はなぎらの年収を軽く超える程になったはず >>83〜85
麻生静子氏と市川義男氏の証言は
貴重ですね
この事実の前には亜土とか礼とかの
出る幕は無さそうですね。 孤高のフォーク歌手という形容がぴったりの人だったね 4月1日発売でご案内しておりました『夜想忌 森田童子大全』につきまして、
諸般の事情により発売を延期いたします。
また、書籍のタイトル、内容も変更の予定です。
お客様には、ご心配とご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。
変更後の発売時期につきましては、当ホームページ、SNS等で改めて案内させていただきます。
何卒よろしくお願い申し上げます。
2022年2月22日
株式会社Pヴァイン ele-king books 浅川マキがライブで『私の唄は労働意欲を無くすそうで(笑い)
観客の笑いを誘っていた 考えて見ると森田童子のMCでは 笑いは全く無かったね あんな歌うたっててMCで観客を笑わせてたら
逆に怖いわ コンサートの終わり 電車に乗っていると、女子高生のグループが楽しそうにおしゃべりしてる
自分は重いギターケース抱え誰もいないアパートの部屋に
灯りを点けて重たい身体をソファーに横たえる
森田のそんなエッセイを読んだ気がするが全文が思い出せない 森田童子の音楽、エッセイ、しゃべりすべてを含めた表現活動と、彼女の私生活との間にはとてつもない乖離がありそう
ある意味で多重人格者? いなかった 森田は部屋にステレオも無いと言ってたくらいだからパートナーがいれば
あり得ない話だ。 「森田童子」という設定を完璧に演じていたのかもしれないよ しかし なんだな 森田童子スレ、2003年からだぞ
19年も続いてるのは凄いよなぁ >>108
ジャズ版に俺が立てたスレ、今年で20年目。まだ1000レスにたどり着いてないw 良い唄だが「友よ」と言う歌詞で損してるようにおもう
当時、「友よ」は岡林の専売特許みたいだったからな
「君よ」にしたほうが童子らしかった >>98
女性セブン 4月7・14日合併号
⇒衝撃スクープワイド
B「ぼくたちの失敗」故・森田童子さんの評伝本が遺族激怒でお蔵入りトラブル 童子のプライバシーを妄想を交えて暴く事に執心しているこのスレの
誰かを告訴して欲しい 今年の3月22日に、女性セブンの記者が、なかにし礼の息子さんのつぶやきに次のようなコメントをつけている
夜分に突然申し訳ございません。小学館「女性セブン」記者の宇都宮と申します。『血と歌』を拝読し、現在、なかにし礼様と森田童子様についての取材をしております。不躾なお願いではございますが中西様にお話をお伺いいたしたく宜しければ相互フォローの上DMで詳細お伝えさせていただければと存じます >>113
情報ありがとう。
記事読んでみたけど、「遺族に了承のもと発行される」はずだった本が、遺族は何もきいていないと激怒、
この遺族って誰だろう、週刊誌には何も詳しいことは書かれていない。
「血の歌」を出した、なかにし礼の息子さんだろうか?
どうも、22日にインタビューの申込みをしているところをみるとそうではない気がする。
著作権を誰が持っているのか。
著作権をもっていると、カラオケで一回、歌われるだけでも、100円かそこか、収入があるからなあ
あと、付録としてつくはずだったFM東京のライブ(7曲)って、ユーチューブにないんだろうか?
遺族は、現在、ホームページを作って、そこで、著作権など管理する方向って書いてるけど、ユーチューブから
今後、全部、森田童子の歌がなくなったりして >>116
なかにし礼の息子の康夫さんは森田童子の従兄弟です
遺族じゃありません
著作権を相続したのは弟の中西哲也さんです
三上はこの人の了解を得ずに出版しようとしたんですね
詳しくは本スレをお読みください
森田童子について語りませんかpart11
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1643864824/ この問題には妄想蛇男が絡んでいるに違いない
訴えられるのは時間の問題だとはわかっていた。 >>117
ああ、そうだったのですか、情報ありがとうございます(^_^)
本はもう出そうにないですね。 >>117
>三上はこの人の了解を得ずに出版しようとしたんですね
大全の監修の三上って方は
森田童子の映画も作ってるみたいだけど
それは遺族の了承を得てるのかな? ラリーズスレより
343 名前:伝説の名無しさん [sage] :2022/03/25(金) 00:43:30.56
>>332
JOJO広重と三上完太監修で、4月1日に発売される予定だった「夜想忌 森田童子大全」という書籍
HMVやタワーレコード等でも予約を受け付けていたのだが、現在どこでも注文できなくなっている
「本書は森田童子さんのご遺族から許諾を得て制作した“決定版”である」とのことだったが、実際は違うらしい
女性週刊誌情報だと(立ち読みなので不正確な記述になるが)、昨年11月に遺族に対し「企画書」と称したメモが
送り付けてこられたのだが、具体的なことが何も書かれておらず、「監修者」に問い合わせても全く返事が無い
その後、発売の告知をネットで知った遺族は仰天
版元は「諸般の事情により発売を延期いたします」「また、書籍のタイトル、内容も変更の予定です」
と案内しているが、遺族は出版自体を許さない方向のようだ
また、遺族は著作権管理のため森田童子の公式サイトを準備中だという
それから、同書には1978年にFM東京で放送されたスタジオライブ収録のCDが付録として付属するはずだったのだが、
それに関しても、遺族は勿論 TOKYO FM の許諾も得ていない可能性が高いという 妄想蛇男が承諾も得ないであれこれデマを飛ばしてるからな
公式サイトが出来たら 是非告訴してもらいた 古い掲示板読み返すと 童子の唄を聞いてうつ病が回復したとかあったな 森田童子の唄は歌詞も曲も素晴らしいが
編曲も一流どころが手掛けてるようだが、どれも素晴らしい。 ◎森田童子 最新リマスタリング
2016/07/20 RELEASE
[SHM-CD]各2,300円+税
(1)『GOOD BYEグッド・バイ』UPCY-7154
(オリジナル発売日:1975年10月21日)全10曲
(2)『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』UPCY-7155
(オリジナル発売日:1976年11月21日)全10曲
(3)『 A BOYボーイ』UPCY-7156
(オリジナル発売日:1977年12月10日)全9曲
(4)『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』UPCY-7157
(オリジナル発売日:1978年11月01日)全10曲
※オリジナル・アルバム未収録曲2曲含む
(5)『ラスト・ワルツ』UPCY-7158
(オリジナル発売日:1980年11月20日)全8曲
(6)『友への手紙 森田童子自選集』UPCY-7159
(オリジナル発売年:1981年)全16曲
(7)『夜想曲』UPCY-7160
(オリジナル発売日:1982年11月20日)全9曲
(8)『狼少年 wolf boy』UPCY-7161
(オリジナル発売日:1983年11月30日)全8曲
(9)『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』UPCY-7162
(オリジナル発売日:2003年3月5日)全16曲 >>128
その後に紙ジャケが出てます。
無能は死ね。 1)『GOOD BYEグッド・バイ』UPCY-7154
(オリジナル発売日:1975年10月21日)全10曲
01. 早春にて
02. 君は変わっちゃったネ
03. まぶしい夏
04. 雨のクロール
05. 地平線
06. センチメンタル通り
07. 淋しい雲
08. たんごの節句
09. 驟雨(にわかあめ)
10. さよなら ぼくの ともだち https://www.youtube.com/watch?v=fZcNWWN8Ymw
そこら辺のケチな歌手だと凍結させてるぞ 森田がいかにファンを大事に想っていたかの証拠だ
ただで拝聴させてもらえるだけ
有り難く思え >>81
↑ちょっと前の書き込みだけど、それ『噂の眞相』じゃなかったかな?
私の記憶だと、「『なにをいまさら』と本人が言ったとか言わなかったとか」というもので、
「現役時代はあんなに冷たかった世間が今さら騒いでる」的な記者による皮肉だったような印象だけど。
別に森田童子の実際の発言じゃないと思うよ。 >>132
そうそう、これが削除されないのが不思議なんだよな
つーことはやっぱ関係者も森田童子は金の成る樹を認識してて
プロモーションの一環で残しているとしか思えないんだよ
だって無料で観賞できるんだぜ、それも貴重なライブ映像が! 当時はラジカセになんでもかんでも録音する時代
かなり多くのフォークファンが森田に限らず色んな歌手のラジオ出演の模様を
録音して持っているよ。
俺はアマ時代のNST(後のNSP)のラジオライブを持っている。 >>137
おれは四人囃子のNHK FM のスタジオライヴの録音持ってるぞ 俺なんか村八分と都落ちの野外ライブを8ミリで撮ったのを持っている 森田童子は、誰よりも「孤独」に目を向けたアーティストだと思っています
彼女は全共闘などの学生運動に巻き込まれ、友人の逮捕をきっかけに学校を中退し、その後、友人を一人亡くしたことをきっかけに音楽活動を始めた。
生涯孤独の彼女にとっての「失敗」とはなんだったのでしょう?
なぜ「ぼく」ではなく「ぼくたち」だったのだろうか? 「伝説のまま逝った森田童子は全共闘世代の挫折感を癒やす存在だった
、、、親交のあった劇作家が素顔と音楽を語る」
高取は当時、自分たちが森田童子に強く惹かれた理由について、こう分析する。
「森田童子さんが登場したのは全共闘運動が挫折して、少し経った頃。彼女の歌はその全共闘世代の心情、挫折感に寄り添うものでした。たとえば、仲間がパクられた日曜の朝、といったことを歌ったり、高橋和巳の『孤立無援の思想』から来ている『孤立無援の唄』、爆弾教本の『球根栽培法』から来る『球根栽培の唄』といった歌があったり。
彼女自身は全共闘世代より少し若くて、運動のピークの頃はまだ高校1〜2年でしたが、東京教育大(現筑波大学の前身)の紛争に関わっていたという話もあった。どこかのセクトに入ってるとか、高校全共闘みたいなかたちでやっていたというのはないとは思うけれど、その文化や気分はすごく色濃く共有しているアーティストでしたね」 全共闘世代の心情を代弁し、支持を集めているミュージシャンはたくさんもいたが、森田がほかの誰とも違っていたのは、彼女の歌が"弱さ"に光をあてていたことだった。
「森田さんのライブって客が泣くんですよ。死んでいってしまった友人を歌にした『さよなら ぼくのともだち』って歌で、泣き出す人も出てくる。歌っている森田さんも歌いながら涙をぬぐう。
全共闘世代って、強がったり過激ぶったりするのが習性で、自分の弱さをさらけだせない人が多かったんですが、森田童子の歌を聴いていると、その弱さを隠さなくてもいい気がしてくる。たとえば(映画監督の
)高橋伴明さんは早稲田大学の学生運動出身で、すごい武闘派だったんですが、森田童子が好きだと言っていました。そういう人でも森田さんの歌に感動するんです」 また、森田はさんは、当時、まだ根強く残っていた「男は強くたくましく」「女はおしとやかに」という性の固定観念からも解放してくれる存在でもありました。
「当時はさまざまな価値観が大きく転換し始めた時期ではありますが、まだ、男らしさ、女らしさという意識は残っていました。そんななかで、森田童子さんの歌の内容は、センチメンタルというか、ある種"女々しさ"と呼ばれるようなものだったかもしれない
。でも、その女々しさを堂々と歌い上げたことで、男女の性差を超えて、孤独感のある人、友人をな無くした人、運動に挫折した人、そういう、やさしくて弱虫かもしれないという人たちに響いた。『さよなら ぼくの ともだち』という歌の中にも
『弱虫でやさしい静かな君を僕はとっても好きだった』という一説があるんですが、そんなことを歌う人はこれまでいなかったんですよ。強がっている人はたくさんいるけど、強い人なんて実はいない、弱虫であること、それが好きだったといってくれた」 森田童子が学生運動をしていた事実はありません
いつまでも全共闘だセクトだ、もう勘弁して下さい
ドラマで童子を知った若い人たちはそんなことは知りません 伝説のまま逝った孤高のフォーク歌手、森田童子は全共闘世代の挫折感を癒やす存在だった 君の好きな強い酒 浴びるほどに飲み明かした 長い夜があった
淋しく二人眠る 始発の電車 ただ陽だまりだけが眩しく 話す言葉も無かった
悲しく色あせる青春たち
君の好きな黒いセ−タ− 故郷へ帰る後ろ姿 いつまでも見ていた
肩を叩いて ただ友情だけは信じると淋しく笑った 君の顔覚えてる
2行目の歌詞 凄いリアリティがあって好きだなぁ あの当時のフォ−クって、斜に構えたり、物事をシニカルに捉えたりっていう傾向
があったな。
。たとえば山崎ハコ「優しい言葉が欲しい訳じゃない・・どうせ
言葉だけに決まってるもの--」
↑俺はこういうシニカルな視点も好きだけど、、童子を、ある意味素晴らしいと、
思うのは童子はそういう表現は一切しなかった事だ。
一貫して、童子の唄にあるのは、弱い君、孤独な君、への優しい眼差しだけだ。
そしてそれが8年間一切ブレなかった事だ。 眠れない夜
童子の唄で心が落ち着き
やがて眠りに落ちる。
自律神経失調症で苦しんだ時期、彼女の唄で随分助けられました。
まさに聴くクスリでした ぼくが君の思い出になってあげよう』が凄く心にしみます。
彼女はきっと優しい人だったんだね。
彼女の優しい歌は、時々 私の心を淋しい気持ちにさせるけど、でもそれだけじゃないんだよなぁ。
森田童子さんが歌っている姿はもう観れないけど、一度観たかった。 男は強くあれという当時の風潮の中で「弱虫で優しい静かな君がぼくは
とっても好きだった・」というフレーズにには感動したね
淋しい雲は童子の曲の中でどこか異質だなあ。
挫折の影が覆う曲達の中で陽だまりのような明るさというか・・・
僕は女性だろ?彼女に「僕も(私も)いいと思うよ」って言われるのがどんなにうれしいか 貴重な新宿ロフトライブ映像、ひとりで週1の割合で楽しんでる。 暑い陽だまりの中
君はいつまでも
汗をかいて眠った
あじさいの花より鮮やかに
季節終わりの
セミが泣いた
君から借りた太宰の本は
寂しい形見に
なりました
ぼくは汗ばんだ
懐かしいあの頃の
景色をよく覚えてる 童子の会は連休が明けてしばらくしてから削除してしまうらしいので
youtubeもtwitterも見ておいた方がいいよ 君の好きな黒いセーター
故郷へ帰る後姿
いつまでも見ていた
肩をたたいてただ友情だけは
信じると 淋しく笑った
君の顔 おぼえてる
悲しく 色あせてゆく 青春たち 童子の会は最後の投稿を終えたみたいだからいつ消えてもおかしくないよ > そもそも、「球根栽培法」や「栄養分析法」に掲載されている武器で実用になるのは火炎瓶ぐらいで、他のものは実用にならないオモチャ程度のもの。中には不安定で使用者を殺傷してしまう危険なものもあった。パンク棒はジープやトラックには通用しない。カーバイトを使ったラムネ弾は使用量、温度などで何時爆発するかわからない不安定な代物。単発改造拳銃は自分の指を吹き飛ばす危険性があった。
> 「球根栽培法」「栄養分析法」は、武器製造技術としてはグレイドの低い幼稚なもので、火炎瓶製造以外は実用にならず、このテキストが武器製造に役立ったとは思えない。
tp://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/sannsonn-gokai.html(リンク切れ) 森田の唄は編曲の良さも大いにプラスしてるような気がするな。
俺は石川鷹彦のアレンジが好きだな。
バイオリンの音を多用したアレンジがなんとも狂おしくジ−ンとくる。
木田のアレンジは少し過剰でくどい気がする・・ 新宿ロフトのライブを最後に童子は活動を停止していましたが、1993年突然その歌声がテレビから流れてきました。
その時の驚きは言葉で表せないほどで、それからというもの連日童子の話題がマスコミを賑わせていました。
次のアルバム制作に取り掛かっている、コンサートの準備をしている。多くの情報が流れましたが、私は童子が絶対に表に出てこないだろうと確信をしていました。
その理由は、慌ただしくマスコミに対応する前田さんと、まるで他人事のようにしている童子の姿が想像出来たからです 坂井泉水の生前の動画がテレビに出ると何故か森田童子を想い出すなぁ
二人に接点はあっただろか 森田のコンサートを坂井が見に行ったとか・・
ファンだったとか・・・ >>163
真逆のタイプでどこにも共通点のかけらもないじゃんw
例の平野氏によれば、森田の旦那の方はああいうさわやかな売れ線の曲を出して、
メジャーにさせたかったらしい。
森田はそれを頑なに拒んだとさ。 >>165
「さわやかじゃない」と通ぶってもキモオタ以外誰も賛同しねえよw
素朴なビジュアルから「さわやかな」歌詞、歌いかたまで計算し尽くされて売り出された商品 聴き手に寄り添ってくれるような坂井の歌詞は森田童子と共通する
トーシロにはわからんだろな >>167
ここは森田童子のスレだから坂井の話をしたいのなら坂井のスレでお願いします。 >>169
それは個人の要望です
何を書いてもいいだろ >>167
キモッ
お前は何のプロなんだよ?
あ、キモオタのプロかw 「プロデューサーとして坂井さんに求めたのは“平成に生きる昭和の女”です。昭和の中盤から後半にかけて、歌謡曲やJポップで歌われ続けた、愛する男性の夢のためには身を引く女性です。それを前提に、髪型やファッションを考えました。流行は追わず、基本ノーメイクで、イヤリングもめったにせず、眉も整えませんでした。髪型も変えず、そのコンセプトを最後まで変えなかったことが、数多くの大ヒットを生み続けたと感じています」 www.youtube.com/watch?v=vXW0v4sXuVI
www.youtube.com/watch?v=Ia_j2WvdQF8
www.youtube.com/watch?v=8fYymjoxLF4
www.youtube.com/watch?v=And8JMmPqvY 童子の会の人は、童子がサングラスを外してる写真を持っている気がするが、
Mとは違うから童子の気持ちを尊重して絶対公開はしないだろうね。 童子の会は素顔写真持ってないよ
前田美乃生さんは色白だったけどポリネシア系の顔だった
たぶんお母さん似だね ラストワルツが発表された頃だから1980年だったかな
名古屋駅前の中規模のホールでのライブ聴きに行った事がある
楽器編成は森田童子のギターに、その左右のヴァイオリンの女性とギターの男性がついて
たと思います。覚えているところでは「春爛漫」のときに舞台効果で天井から
花弁が降ってくる、というのがありました。あと、「さよなら僕のともだち」
を曲紹介するとき、曲名の合わせて手話なのか、両手を頭上で交差させるしぐ
さをしていました。
開場前に並んでいる列には意外にも普通のサラリーマンやOLの人が見えまし
たね。スーツ着ているような人が何人も来ていたので覚えています。込んでて
立ち見で見てたんですが、僕の斜め前に立っていたOL風の人は泣いてました >>185
でも三上完太が調子に乗って本まで出そうとしたから
権利者に無断でやってたってことがわかったんよね
ツイッターでよその人を権利がどーのこーのと批判してから
三上完太はきっちりやってるんだろうと思いこんじゃってたからね 中央線の阿佐ヶ谷駅を降りて、小さな店が並ぶアーケードをくぐり抜ける
左りに曲がって少し歩くと二階建ての古い私設郵便局があります
ぼくの住むときわ荘は、その裏手にありました
ぼくは今でも、曲がりくねった細い露地に立つと、
君が向こうから歩いて来るような気がします >>185
ラジオで放送したスタジオライブを付録に付けるとか
頭イカれた奴らの出鱈目な企画だったな >>163
もし行ってたとしたらビーイングの長戸だろ 伝説のシンガー・ソングライター森田童子の秘蔵ライヴ音源がCD、LPでリリース!
本作は短くも濃密な森田童子のキャリアでも、充実期にあった1978年春、
FM東京(現TOKYO FM)の人気番組「パイオニア・サウンドアプローチ」に
出演した際の実況録音盤。ベスト的な選曲と繊細な歌唱と演奏、
貴重なMCもそのままに、ファンならずとも必携のライヴ・アルバムです。
「FM東京 パイオニア・サウンドアプローチ実況録音盤」
Pヴァイン 2023年06月21日(CD)/10月18日(LP) >>194
これって親族に許可を得てない森田本(発売中止)に付く予定だった付録CDを単独で売るって事?
今度は流石に親族&TokyoFMの許可取ってるよね?
てか局の方にアーカイブ残ってたの?まさか一般リスナーのカセットテープからの起こし?
P-Vineから出る森田ものって時点で、実際に発売されるまで様子見かなぁ 弱虫でやさしい静かな君が ぼくはとっても好きだった 仲間パクられた日曜の朝 雨の中を歪んで走る 優しい君は
あれから変わったね ポリドール・レコードより発売されたシングル3枚のアナログ初復刻!11月30日(木)発売決定!
森田童子のラストアルバム(6th AL「狼少年 wolf boy」1983/11/30発売)から40周年を迎える2023/11/30に、
ポリドールより発売されたEP 3タイトル(「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」「セルロイドの少女」)が、
遂にアナログ盤で初復刻!!
https://store.universal-music.co.jp/artist/morita-doji/?s13=20231130&stock=0#itemTitle 君の好きな強い酒 あびるほどに 飲み明かした 長い夜があった
淋しく二人眠った 始発の電車 ただ陽射しだけが まぶしく 話す言葉もなかった
悲しく 色あせてゆく 青春たち ぼくが君の思い出になってあげよう』が凄く心にしみます。
彼女はきっと優しい人だったんだね。
彼女の優しい歌は、時々 私の心を淋しい気持ちにさせるけど、でもそれだけじゃないんだよなぁ。
森田童子さんが歌っている姿はもう観れないけど、一度観たかった。ホントに観たかったなぁ。 動画で見られるから 弟さんも太っ腹だよな
削除要求とかみみっちいことしないから 歌詞から学生運動かその時代のことを歌ってるってわかってるのに
癖のないアレンジと澄んだ歌声で来るから凄い妙な気分になるんだよね
時間感覚が失われるっていうか、童子自身が神話の中の人で存在さえ疑う一方で今も
変わらない姿でどこかで歌っているような気もする まあ、サングラスシンガーってのは大抵は目の小さいブスと相場が決まってるからねえ 刊行中止になった森田童子本の原稿、流出しないかな
もういい加減、すべてを公表してほしい 新装版が残って 偏執狂の作成したスレは消えたのか? もう半世紀も前か 凄いね 半世紀も語り継がれるミュージシャンって
森田童子ぐらいだろう >>218
なかにし礼の本に美乃生の「み」は巳年の「巳」が由来とあるので1953年生まれでしょう 前田亜土って1938年生まれで、なかにし礼と同い年なんだな >>223
若い頃の前田亜土の写真見ると、なんか昭和30年代の青春アイドルみたいな顔してる
森田童子、イケメン好きだったのか 阿久悠の自伝に森田の本名の恵子の恵は万人を恵みをあたえるようにとの意味だったらしい 前田、って森田にとっては重荷だったんじゃないだろか
収入も無いわけだしな 朝の街に
ぼくの 白い カイキンシャツが飛(と)ぶ
母よぼくの 鳩を撃(う)て
母よぼくの 鳩を
この歌詞の解釈は? 森田童子ファンのみなさん
明けましておめでとうございます。 森田童子ファンのみなさん
明けましておめでとうございます。 森田童子は 井上陽水の影響を多少受けているような気もする 高校教師なかったらこの人の存在は
知らなかった。
高校教師は全然面白くなかったけど。 昨日捕まった桐島聡、森田童子がデビューした年から逃亡生活続けてたんだな 桐島はサンタナやジェームズ・ブラウン好きな陽キャだったらしいけど 前田美乃生さんの生年月日は1963年1月15日で間違いない
死亡日はちょっと違う 本名は隠して生年月日は公表するってのは 変
デビュー当時は20代半ばだったと推察する。 普通にOLしてたんだろな 同僚に知られるのが嫌で サングラスにカーリーヘアーにしてたんだろう、と思う 仲間が パクられた日曜の朝 雨の中を歪んで奔る 君はあれから 変わってしまったね 森田童子の唄聞いてると 最近の人生応援歌がバカに見えてくる 声変わりもしてないようなガキっぽい声で
がなり立ててるだけのロックシンガ〜とか聞いててこっちが恥ずかしくなってくるよ。 誰か、なかにし礼夫人の石田ゆりさんに
森田童子についてインタビューしてくれないかな 今30半ばだけど森田童子10代から好きですが・・・ >>251 もう現存するのとこれから出てくる音楽自体を歌詞聴かずに演奏だけ聴いてたら良いんでは?
70の親に歌なんてどうでもいい、演奏だけ聞くと言われて本気で殴り殺そうかと思ったけど 歌詞を大事に思う人が
「本気で殴り殺そうかと思った」なんて言葉使うんだw 昨日のクイズ脳ベルショ=で森田童子の唄が流れていた。 森田童子 「ぼくたちの失敗」のライヴ音源を初収録した未発表作品『1980年11月28日札幌教育文化会館実況録音盤』発売
https://amass.jp/173839/ YouTubeにアルバムあったから聞いた
これはすごいね
70年代とは思えないわ
今でも十分すぎるほど通用するよ
ネット時代の曲じゃないかと思うほど
ドラマ分からないし見たことないけど関係ないよ たぶんオリジナルアルバムの話では?
ドラマは数年前に地上波で再放送やってたけど、観ても特に何も思わなかった・・・曲とは全く関係ないし 来月ニューアルバムが出るな ラジオ出演時のライブだけど
ジャケットが見た事ない写真なんでちょっと新鮮だけど
あれが決定てわけじゃないんだろーな >>262
ラジオ出演のライブは去年出てるよ。いまいちだけど。
今月出るのは、258の札幌教育文化会館実況録音盤