森田童子について語りませんか(新装版)
過去スレ
☆☆ 森田童子について語りませんか ☆☆
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☆☆ 森田童子について語りませんか Part.2 ☆☆
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☆☆ 森田童子について語りませんか Part.3 ☆☆
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☆☆ 森田童子について語りませんか Part.6 ☆☆
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1532530974/
☆☆ 森田童子について語りませんか Part.7 ☆☆
実質 森田童子について語りませんかpart10です
森田の音楽について静かに語り真の森田童子ファンの交流の場です。
なかにし某だの、なんとか亜土だの森田の音楽に関係無い呼称をレスする者は出禁です
森田の正体を暴くことに執着する輩は森田ファンではありません 友人の自殺をきっかけに歌いはじめたという森田童子は、75年にこの衝撃的なアルバム「グットバイ』でデビユーする。透き通るように清い声、学生運動が敗北した後の時代を生きる「若者」の空漠感を象徴的に描いた歌詞、真っ黒のサングラスと中性的なルックスは、消えゆく70年代の重さと、80年代の空虚な明るさの裏に潜む暗い本質を凝縮したような、聞く者の心に突き刺さる歌と相まって、非常に鮮烈なシンガーとして歴史に名を刻むことになる。
このアルバムには、彼女が引退するまでライヴで長く歌われた「地平線」映画『オレンジロード急行』で劇中歌に便用された「さよならぽくのともだち」、故郷を旅立つ者にはあまりに衰しい「センチメンタル通り」等、彼女の歌に魅せられた者なら一生涯忘れ得ない曲が多く収録されている。ある意味で彼女の本質的な孤独、人間の存在自体の淋しさ、郷愁への冷徹な視線が凝縮された作品であると言えよう。早川義夫が日本人男性シンガーの最も重要なキーマンであるなら、女性シンガーの最も重要かつ神聖な位置に森田童子は存在し、このファースト・アルバムは、その基本となる聖書のような作品であっ こんばんは
パーマをかけた長い髪にサングラス。
その外見からは想像もつかない透明な声。
私が10代のころ「自発的にひとりで」 コンサートに行った、唯一のシンガーでもあります。
ちなみに、この時に一番印象的だった曲は、 『雨のクロール』
録音版とは全く違った迫力に、圧倒されたのを覚えています。 目にしみるぞ
青い空
淋しいぞ
白い雲
ぼくの鳩小屋に
伝書鳩が帰ってこない
ウウウウウー ウウウウウー
もうすぐ ぼくの背中に
羽根(はね)が はえるぞ
アアアアアー アアアアアー
朝の街に
ぼくの 白い カイキンシャツが飛(と)ぶ
母よぼくの 鳩を撃(う)て
母よぼくの 鳩を
森田さんの唄の中で一番好きな歌ですが 何故 母にぼくの鳩を撃てと呼びかけてるのでしょうか だれか意味わかる人います? わかりませんが まったりと色々森田童子さんの音楽を語りたいものですね >>6
偉い評論家の方がこんな一文寄せていました
視えない多くの仲間たちへ向かって飛ぴ立っていったはずの〈伝書鳩〉も、もはや帰ってくることはないだろう。ついに帰ってこないだろうという苦い認識とともに、自分自身が鳩へと変身していく幻想を歌った「伝書鳩」の後半は、『マザー・スカイ』のなかでももっともすぐれた部分だとおもうが、しかしその切ない幻想さえも母という現実によって撃たれることを前提とせざるをえない。いやむしろ、鳩が帰ってこないのは〈母〉によってすでに撃たれてしまっているからである。このとき〈鳩〉とは、未来へ向かう時間ともあるいは希望ともいっていい。青い空が目にしみ、白い雲が淋しいのは、なにかがとっくに終わってしまい、喪失感としてしか残っていないせいだ。 私が童子さんのの曲の中で最も強い衝撃を受けたのは「サナトリウム」です。
小学3年生でピアノの教室に通っていた私はこの曲の死のイメージは恐怖でした。「もうすぐぼくの左の肺に真っ赤な花が咲くはずです」という台詞は、
とても怖く、鮮烈でした。子供の時に歌を聞いてこれほど死に近づいたと感じたことはないです。今聞き直してみましたが、三拍子で、ピアノの上の
二本のバイオリンが時にポリフォニックにからむ編曲が、聞く者の日常感覚をさらに狂わせようで・・・ >>10
俺もそうだったがつげ義春の有名な片手を押さえて上半身裸で血がでてる絵を見て
おれは童子はあの絵からのインスピレーションだったのでは?と思った
つげ義春のマンガの中の登場人物の台詞と童子の歌詞の一部にどこか共通するものを感じるな 昔、日テレの歌番組(昔の歌と現在の歌をランキコーナーコーナー)で
童子の歌が紹介された時、ゲストの加山雄三が、首をかしげて苦笑しながら
「暗い歌だね、ボクは嫌いだな」と言ってた ニューライトミュージックの1976年5月号12-13ページで、
山崎ハコ、中島みゆきと一緒に森田童子は、注目のsinger-songwriterとして紹介された
取材記者のメモによるとサングラスを外すと「しなやかなお嬢さん」とか
「女らしい」とかいう印象を述べている。 森田童子さん、明日はお誕生日ですね おめでとうございます。
幸せにお暮らしのことを心から願っております。 「キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
・・・・・・」
って曲があるけど
この「金曜日」って、何かの事件があったの?
それと「グリーン大佐」「ミセス・カーマイケル」「チャーリー・パーカー」
とかどういう人? 森田童子の真実を伝える書籍4月に発売、JOJO広重と三上完太が監修 - 音楽ナタリー
https://natalie.mu/music/news/461743
2022年1月15日 15:00
https://ogre.natalie.mu/media/news/music/2022/0115/moritadouji.jpg
JOJO広重(非常階段)、三上完太監修による森田童子の書籍「夜想忌 森田童子大全」が4月1日に発売される。
本書は2018年4月に死去した森田の真実を伝える初の書籍。石川鷹彦や谷山浩子といった関係者へのインタビューをはじめ、大森靖子、しーなちゃん(東京初期衝動)、野島伸司らからの寄稿、本人自筆コラムやインタビュー記事の再録、直木賞作家・朱川湊人のオリジナルストーリーなどが、森田の遺族許諾のもと360ページにわたり掲載される。また1978年にFM東京(現:TOKYO FM)で放送されたスタジオライブを収録したCDも付属する。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。 >>76
ここは森田童子の音楽について静かに語り会う 真の森田童子ファンの交流の場です。
ふざけた投稿や宣伝はご遠慮ください その昔、森田童子のコンサートは2回いきました。
渋谷の屋根裏部屋と新宿のルイードです。
LPレコードはすべてもっています。
残念ながら私は、所属していませんでしたが、ファンクラブがあったようなので、所属していた人が見つかれば、情報がいろいろ手にはいるかも。 ニューサウンズスペシャルに出演したときのテープをまだ持ってる
受験のとき秋田明大が逮捕されたとか「よく暗いですねぇと言われるんですけど・・・」とか
レアモノかもしれない。 15万はするかも >>19
高橋基子の番組だね、よく覚えてる
喋り方は饒舌とは言えないが普通に明るかったな
俺もテープ録ってたと思うんだがもはや探す気にもなれん 吉祥寺のライブプハウスNで長い間歌い続けている佐久間順平さんというシンガー・ソングライターがいます。順平さんは大変な酒好きでライプ始まる前に、まず酒を飲み、ステージの上でも一曲終わると酒を飲み、ライブが終わったといっては、朝まで飲むといった調子でした。
ある時、ライブハウスのカウンターで知人と酒を飲んで出番を待っていた順平さんは、すっかり飲み過ぎてしまい、二、三曲進むにつれて、気持ちが悪くなり、吐き気を止められないところまできてしまっていたのです。ステージの上にはどうしても吐けないと思った順平さんは、とっさに、自分のギターのサウンドホールの中へ吐いてしまったといいます。
大酒飲みの順平さんのうわさ話には、どんどん尾ひれが付いて、演奏中にステージの上で順平は眠ってしまった」などと信じられないような話が出る始末でした。
5年近くもの長い間、私ののステージのバックを付き合ってくれた順平さんは、ギターにバイオリンにハーモニカと、マルチプレーヤーぷりを発輝して、私のステージをよく盛りたててくれました。
もしも、気が向いたら吉祥寺の裏通りにあるライプハウスNへ酒飲みの順平さんの歌を聴きに行ってみて下さい 上記は森田童子のエッセイです
ちなみにこの佐久間順平というのは高田渡の事だと最近の森田研究で判明しました。 NHKの「若いこだま」平田俊子とかいう詩人だったか所太郎だったかがDJ
やってた時の番組では ボソボソとしかしゃべらなかった 自分の事を「ぼく」と
言ってた。 この様にして 森田童子は明るかった 暗かった
饒舌だった ほとんどしゃべらなかった 背が高かった 小柄だった
相反する情報が錯綜するのも不思議といえば不思議 「高校教師」の主題歌で、脚光をあびたとき、決して彼女は出てこなかった。
それって、ある意味偉いなあって思いました。
声がとっても透明感があって、せつなくて・・当時はよく聞いてました。
この前久々にまた聞いてみたけど、やっぱりいいです。今の時代にも通用すると思います 新宿ロフトでの「松尾君救済ライブ」ってなんだったんですか
「松尾君救」済って? 春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね
君と話し疲れて いつか黙り込んだ ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた
地下のジャズ喫茶 変われない僕たちがいた 悪い夢のように時が撫ぜていく
僕が独りになった部屋に君の好きな チャーリーパーカー見つけたよ僕を忘れたのかな
ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう あの子はまだ元気かい昔の話だね
春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は弱虫だったんだよね ンデーンデーンデーンデーンデーwww
デンッデンッデンッ↓wwwデンッデンッデンッ↑www
デンッデンッデンッ↓wwwデンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww
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デンッデンッデンッ↓wwwテケテケテケテケ↑www
デンデデェェェェンwwwwギュオォォォォンwwwww わざとらしく一人何役もやってるからこうやって荒らされるんだね
ちなみに俺は>>30じゃないよ CDには収録されていない同時の語りを発掘しました
悲しい時はほほよせて
淋しい時は胸を合せて
ただふたりは息をこらえて
虫の音を聞いていました
そんな淋しい夏の終わりでした 40年程の年月がたって、昔を知らない若い人たちの共感も得られてるということは、
時代背景とは別に心に訴えるものがあるのでしょうね。 森田童子さんの声は可憐な音色で、折れそうに華奢に響く。歌詞はいつもとびきり悲しくて孤独、それでいて不思議な包容力を感じさせる。
どん底まで悲しみを経験した人が到達できる悟りを含んだ優しさというのか。
人が人であるがゆえの弱さと弱くて良いんだよと受け入れ、それを糾弾せずにそのまま抱きしめてくれるような母性。
清濁飲み込んで浄化するような光。
まるで聖母のごとく・・・
と、ここまで書いて思い出したが、そういえば童子さんの唯一のライブアルバムは「東京カテドラル大聖堂録音盤」だそうだ。
まるで聖母のような慈愛を感じさせる彼女の歌を聖マリア大聖堂で聴く体験はさぞや格別なものだったのではないだろうか。
恐らく修道女たちの何人かも涙したであろう やっぱり森田さんについて語る本スレのここに来るのが一服の清涼剤になりますね
ホッとして癒やされます
偽のスレの方は 偏執ともいえる異常な妄想が渦巻いていて、読んでるとこちらまで
頭がおかしくなります >>39
元々頭おかしいだろw
妄想が渦巻いてるのもお前じゃん 昭和56年4月20日岡山市の市民文化ホールでのコンサート後にサインしてもらったことがあります.童子は深いグリーンのGパン生地のジャケットに,白の綿パン,そして黒のサンダル.春爛漫のときには何色にも光る紙吹雪がきれいでした.アンコールで2曲歌ってくれた.コンサートが終わって,サイン会があった.,たどたどしい口調で「これからも頑張って下さい」と言うのが精一杯でした.
握手してもらった.あの温かいやさしい手は忘れられない.
でも,前日のサンデーベスト(前日,岡山の山陽放送ラジオの番組にゲストとして出演した童子をスタジオのガラス越しに見た)とは打って変わって怜悧な表情でした それがまた良かった
.コンサートの中で童子はときどき手話を使って話す.その話の中で心に残ったのは女性写真家の話であり,童子の「意志を持って,何でもやることは素晴らしい.でも,最近,意志を持って行う事の難しさがだんだんわかってきました」と言う言葉でした。 つくづく童子の歌詞はピュアだと思うな
しかもそれが一貫してブレない
こういう詩人はもう出ないよ 童子さんの高校生の頃から知っているという女性の手記
高校生だった彼女(童子)が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
童子のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。
「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。 実家がとても厳しかったので音楽活動がバレないように、
半ば変装みたいな事をして名前も本名と全く違う芸名にしたらしい。 >>47
その大切な人とは東京教育大の人だったらしいですね 童子の初恋の相手ともいえる東京教育大のA君(後に自死)
のアパートを(実際には間借り先)童子はなんどか訪ねていたのだろう
玉川上水沿いに歩くと
君の小さなアパートがあった
夏には窓に竹の葉がゆれて
太宰の好きな君は 睡眠薬飲んだ
暑い陽だまりの中 君はいつまでも
汗をかいて眠った 春一番コンサートの主催者のひとりだった阿部 登の話では 当時は裏方などを
手伝ってくれていて「君も唄っていいんだよ」と言ってもかたくなに拒んでいたという あじさいの花よりあざやかに
季節の終りの蝉が鳴いた
君から借りた太宰の本は
淋しいかたみになりました
ぼくは汗ばんだ なつかしいあの頃の
景色をよく覚えてる ちなみに某氏の話では亜土はこの唄が大嫌いで童子がこの唄をステージで
歌うと楽屋で不機嫌になったと言う。 淋しく二人眠った 始発の電車
ただ陽射しだけが まぶしく
話す言葉もなかった
これリアルだよなぁ 多分相手は東京教育大のA君だろう 森田童子は双子で本名は新垣で沖縄で生存してるんだっけ?
最近のキチガイ爺さんはここまで狂ったこと書かなくなったな
防衛ラインを大幅に後退させたんか
まあどうでもいいけど、もう本スレには来るなよ
かえって逆効果だよ 「森田童子について語りませんか」の趣旨を引き継ぐ
純粋なpart0の
本スレはここだよ >>61
なんでもいいからキチガイ爺さんは前田美乃生さんのスレには来るな 僕が愛した友達の 模型飛行機の工作用ナイフで切った指先の
小さな傷跡を僕はいつまでも愛した
朝焼けのアスファルトの上に死んだ小さな鳩の首筋の
柔らかな暖かさを
今ぼくは 遥か死の意味を問う
さよなら僕を愛せなかった友達よ 友達とは教育大のA君の事だね
「今ぼくは 遥か死の意味を問う」は自死したA君の自殺の誘引を森田なりに必死に考えたのだろう
「さよなら僕を愛せなかった友達よ」は革命に夢中だったA君は森田が想うほど
あちらは高校生の森田を恋人とはみていなかったのかも知れない事を窺わせる 淋しい雲だけ童子の曲の中でなんか異質だなあ。そして一番好きな曲だ。
挫折の影が覆う曲達の中で陽だまりのような明るさというか・・・
自分が個人的に好きなものが「僕もいいと思うよ」って言われるのがどんなにうれしいか。
ミセスカーマイケルってのはこのドラマ↓に出てくる人のことなのかね
http://www.superdramatv.com/line/lucyshow/ 私の友人で自称アナーキストだという土門という友達がいます。
土門は大学を中退してから一度も働いたことがありません。
そんな変わり者の土門と同棲していたモンちゃんという女性は絵描き志望で ,着物の柄を描いて生活していたわけです。
去年の夏,土門が一週間以上も部屋を空けて帰らないうちに ,モンちゃんは持病の腎臓病が悪化してしまい入院して2日で亡くなってしまったわけです。
土門は今もモンちゃんと暮らしていた阿佐ヶ谷のアパートに住んでいます。
土門のカストロ帽の下は髪の毛を全部剃ったつるつるの坊主頭です。
モンちゃんが保険をかけて残していったお金が400万近くあるそうです。
土門は毎晩、新宿のゴールデン街で安酒を飲んでいます。
モンちゃんが残していった400万を使い果たしたら ,土門は坊さんになると言っています。 いま、童子の歌を聴きながら書いている。
私たちが住む場所と時代に生誕した、この特別な日にー。
何と透明で美しい声だろう。
いつ聴いても、変わらずやさしく包み込んでくれる。
どんなに童子を穢そうとする者がいても、
それは叶うことのない謀に終わるだろう。
天に唾を吐く者は自分に返ってくるだけなのだから ライブハウスが好きでよく新宿ロフトに行ってたな
ARB、モッズ、暴威、スタークラブとか
ロフトの社長に勧められて森田童子さんのライブ観たのが出会い
危ない詩だよね
A Boyなんかアルバム毎放送禁止にするべきと思ったほど
亡くなったんだね・・・ YouTubeで唄聴くと 外国人からの投稿もあるね
「言葉はわからないが偉大な歌手だという事はわかる」という英語のコメントもあった。 森田童子のアルバムで1枚薦めるなら
a Boyだな このアルバムが完成度が一番高い気がする 森田童子が活動時期にはコアなファンはいたけど世間的にはあまり知られていない存在
ドラマに歌が使用されて声と歌詞が新鮮だったからかしらんが評判を呼んだけど
森田童子はどこまでもアンダーグランドの人だったと思う
だから売れたからって一切表に出てこなかったし
ここまでカリスマイメージを守りきった人はいないしもうありえない 編曲はさまざまな人が手掛けてるようだが、どれも素晴らしいよな。 高校生だった彼女が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
彼女のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。
「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。 私「グッドバイというタイトルは、太宰治から取ったんですよね」
童子「そう」
私「もしかして、このデビューアルバムで終わるつもりじゃなかったの?」
童子「(笑いながら)へえ、よくわかったわね。本当はこの1枚で終わるつもりでつけたんだけど」
過去の自己と決別するために作ったアルバムだったのかもしれない。
でも、ライブで歌ううちに、彼女はそこに来る“病んだ”若者たち、“今に失望している”若者たちを目の前にして、「変わっていった」ではないか―。
本質的なものはもちろん変わってはいなかっただろうが、一種の「使命」のようなものを感じたように思うのだ。
そして、その必要がなくなった、と感じだときに、消えていったのではないかと。
しかし、時代を超えて今なお、どこか自分と社会(あるいはもっと目に見えないもの)に折り合いをつけることのできない人たちの耳にとまり、心を動かす―。
そして、聴いた者は彼女の歌に癒され、救われていく。 名古屋駅前の中規模のホールだったと思いますがコンサートを聴きに行った事があります
。楽器編成は森田童子のギターに、その左右のヴァイオリンの女性とギターの男性がついて
たと思います。覚えているところでは「春爛漫」のときに舞台効果で天井から
花弁が降ってくる、というのがありました。あと、「さよなら僕のともだち」
を曲紹介するとき、曲名の合わせて手話なのか、両手を頭上で交差させるしぐ
さをしていました。
開場前に並んでいる列には意外にも普通のサラリーマンやOLの人が見えまし
たね。スーツ着ているような人が何人も来ていたので覚えています。込んでて
立ち見で見てたんですが、僕の斜め前に立っていたOL風の人は泣いてました
ました。ちなみに僕が当時持っていた森田童子の音源は懐かしのミュージック・テ
ープでpolidoreから出てた『森田童子全曲集』とかいうものです。 私は森田童子のライブは新宿のルイードで下田逸郎と二人出演したときに
見ました。最初に森田童子が歌い、その後下田逸郎が歌ったのですが、
下田逸郎が「彼女は僕より年下なんだろうけど青春が終わったって唄っ
てますが、僕は30でまだ青春してます。」と話していたのを妙にはっきり
憶えています。 そうですか ぼくはロフトで森田童子とまだ売れない前の浜田省吾のジョイント見ましたよ 俺はデビュー当初の荒井由実がなぎらけんいちの前座だったのを見た事がある。
その時のなぎらが荒井由実を揶揄するようなMCをはっきり覚えている
誰か知りたい奴がいるなら教えるけど 「高校教師」の主題歌で、一躍脚光をあびたときも、決して童子は出てこなかった。
あの時 表に出て色々上手くやれば数千万円稼げたはず。
それを選択しなかったのは、偉いなあって思いました。
声がとっても透明感があって、せつなくて・・当時はよく聞いてました。
この前久々にまた聞いてみたけど、やっぱりいいです。
だけど人生応援歌全盛の現代ではやはり一部のマニアにしか通用しないと思います。 古い雑誌に高校教師で童子の唄が話題を呼びヒットしたときの童子の反応が
掲載された事があります。
「なにをいまさら・・」って言ったそうです 真偽の程はわかりませんが雑誌に載っていました >>80
主題歌シングルCDだけで1億近い印税入ってきてるのに
今更人前なんか出るかよ 童子の原盤制作をしていた麻生静子氏とプロデューサーの市川義男氏の
話では童子のレコーディングは普通とは違っていたという。
当時のレコーディングではシンガーソングライターの場合、まずスタジオでミュージシャンたちと
一緒にセッションして、バックの音を録音してから、後で必要な楽器をダビングして
歌を仕上げていくのが一般的だったという。 しかし極端に人見知りする童子は、最初に童子だけで歌とギターを録音しておいた
テープに、ミュージシャンたちがいろいろな音をかぶせて仕上げていったという。
それでも歌詞が良く伝わらない箇所や聞き取りにくいところでは、ベースの音を
絞ったり、時にはミュートした。
シングルに続いて発売したアルバム「グッド・バイ」で、ドラムの音を全く
使用していないのは、そうした理由からだったという。 その代わりに楽器ではなく。効果音や擬音が随所に使われることになったのが、演劇的な
発想だった。
「早春にて」で、歌の終わりに耳を突くようなジェット機の激音
「地平線」では居売れるな雷が入っている。
「雨のクロール」ではレベルが最初から低く録音されていて、後半に普通のレベルになる。
その分だけ音像が近づいて、強いイメージを与えるようにしたのだという
これらのアイデアが希望はすべて森田童子の意向によるもので麻生氏らの
スタッフの助言は一切無かったと証言する。 そうですか どこかの性格異常者がどこかのスレで森田を企画歌手だと貶したのは
とんだ勘違いの的外れも良いとこだという事が証明されましたね♪♪ >>84
凄く納得できる話です。
「君は変わっちゃったネ」
「センチメンタル通り」
とか、後からオーバーダブしたギター意外に、はっきりとセンター定位でアコースティックギターの音が聴こえてくる。
きっと、ボーカルのガイドとして録ったギターが残っている?なんて思っていたが、そういう理由があったんだ。
センチメンタル通りなんか、モロにフォークロックアレンジなのに、なんでドラムを録れなかったのか?なんて長年思っていたのだが、成る程納得致しました。 (観客はなぎらを聞きに来ている)
荒井由実が最初に歌う(観客の反応はいまいち)
荒井が引っ込んだ後なぎらが登場(拍手)
なぎら=「今の方はホットパンツかなんか履いて、大変カッコ良かったです
でもただそれだけです」(観客のクスクス笑い声)
なぎら=「あっ 皮肉に聞こえましたか?・・・そうです」(観客の大爆笑) ところがその後の荒井由実はヒット曲を連発 ユーミン人気は凄まじく
1年後には荒井由実の月収はなぎらの年収を軽く超える程になったはず >>83〜85
麻生静子氏と市川義男氏の証言は
貴重ですね
この事実の前には亜土とか礼とかの
出る幕は無さそうですね。 孤高のフォーク歌手という形容がぴったりの人だったね 4月1日発売でご案内しておりました『夜想忌 森田童子大全』につきまして、
諸般の事情により発売を延期いたします。
また、書籍のタイトル、内容も変更の予定です。
お客様には、ご心配とご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。
変更後の発売時期につきましては、当ホームページ、SNS等で改めて案内させていただきます。
何卒よろしくお願い申し上げます。
2022年2月22日
株式会社Pヴァイン ele-king books 浅川マキがライブで『私の唄は労働意欲を無くすそうで(笑い)
観客の笑いを誘っていた 考えて見ると森田童子のMCでは 笑いは全く無かったね あんな歌うたっててMCで観客を笑わせてたら
逆に怖いわ