森田童子について語りませんかpart10
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奥さんを育てたのでは無く 奥さんに食わせてもらって マネージャーとしての体裁を
辛うじて保っていたのだろう 森田に対してのコンプレックスは大変なものだっったであろうと
同情するよ 俺は それから風吹をスカウトしたのも亜土では無い 育てたわけでもない
イラストレーター上がりの亜土が、芸能事務所を始めてたまたま風吹を抱えることになっただけ
寧ろ 有馬美枝子 平尾まさあきのコンビが育てたと言って言い
しかし その後の活女優としての活躍は事務所の売り出しとかなんとかでは無く風吹の実力である >>100
40代の自分は風吹ジュンと小林薫のコキーユという映画みて泣けた
いい映画でいい役者さんだと思った >>100
40代の自分は風吹ジュンと小林薫のコキーユという映画みて泣けた
いい映画でいい役者さんだと思った >>93
著作権も原盤権も個人で持つことは可能だよ
森田童子の場合、著作権はJASRACに信託しているね
継承者はたぶん弟さんだろう
原盤権はワーナーのものを海底劇場音楽出版が所有していた
会社が閉鎖になってからは誰が権利を持っているのだろう >>106
そりゃそうだよ
原盤権も著作隣接権なので法人じゃないと持てない
例えば背後霊は法人になりえないから著作権扱えない >>106
寝ても覚めても 他人の原盤権とか権利とか信託とかに凄く興味があるの? >>107>>106
やれ やれ 誰からも興味を持たれず
相手にされないもんだから
自問自答を始めたかw >>104
風吹ジュンは長らくタレントさんだったけど
役者として大成したよ
その映画でも報知の主演女優賞
他にも無能の人でブルーリボン、毎日映画コンクールで助演女優賞、田中絹代賞
全部日本アカデミー賞と違ってすごく権威のある賞
ドラマで腕磨いたんだと思うがTVドラマは見ないんでよく知らない
パパはニュースキャスターに出た頃はもう上手くなってた
松田優作版蘇える金狼の頃は全然役作り出来てなかった >>91
同じ住所(マンションの一室)だから新装開店しただけだもんなw 結局、血の歌読んだけど、童子の歌は父親の事を歌ってるで言い訳だな ちがうだろ 全共闘世代の落ちこぼれに対するマリアのような眼差しだよ >>24
結局この妄想スレも森田派に完膚無きまで論
破去され格納庫入りしたよね んでここまでで解った事は @森田童子の評価は益々あがり A礼の評価が親子ともども落ちた
ということBなにやら存在感が無きにしもあらずだった亜土が森田の単なるヒモみたいな存在でしかなかった
事。 C礼も亜土も芸能事務所ひらく程のノウハウはなく風吹ジュンという金の玉がころがりこんできただけで
他にタレントは誰も育成できなかったこと
礼は本業の作詞家に転身できたが亜土はその後に立てた海底劇場でもただ一人のタレント
さえ育てきれなかったこと。
D森田の夫と噂されていたが存在感は薄かった事 ○6 なかにし礼となかにし兄は実の兄弟では無い可能性があること
なかにし兄は森田童子の実の父親である証拠は無い事
森田の母は森田を生んで森田の実父と離婚してなかにし兄と結婚した可能性があること
要するに森田童子は礼とも礼の兄とも何ら血の繋がりは無い可能性が出てきた事 >>114
歌ってる相手が恋人だとしたら
一緒に暮らして楽しい時期もあったはずなのに
愛を愛でる歌詞は皆無に等しいからな 自主制作盤を作ってる人は個人で原盤権を持ってるけど 兄の子供たちは、智子が十七歳、美以子が十二歳、末っ子の長男哲雄は九歳になっていたが(兄弟文庫版305ページ)
美以子が森田童子だね >>115
全然、違うんだなそれが
父親の事を歌ってるとしか言いようがないんだよ
チャーリーパーカー
メキシコの話
それって童子はどこで見てたのかが理解出来ると
ポン中の父親の事としか見てとれないんだよ >>120
海底劇場が何なのかという流れの話ですよ
レス追ってみて >>122
父親の事を歌にするんだったら テキ屋かたこ焼き屋を歌うだろうよ 重要事実は、
1.森田の父親はなかにし礼の”あの”兄貴であること、
2.森田はデビュー前から前田と結婚していたこと。
3.前田は森田を売り出す前からタレントを売り出した経験がある芸能事務所経営者であり、
中西兄と共同経営の関係にあったこと(おそらくなかにし礼も役員だった)
4.つまり前田は自分の奥さんを「森田童子」として売り出した。
この辺から見えてくる事実が非常に興味深い。 たいしたことの無い事実はだが
1.森田の父親はなかにし礼の”あの”兄貴であること、(しかし実の父では無い事)
2.森田はデビュー前には前田とは面識が無かったこと。
3.前田は森田を売り出す能力も無くからタレントを売り出した経験も無い弱小芸能事務所の表向きの経営者であり、
中西兄と共同経営の関係にあったこと(おそらくなかにし礼は表向きの役員だった)
4.つまり前田は金ツルの森田をメジャーとして売り出したかったがそんな力は無く
森田の考え通りにマネージャーとして従うしか脳が無かった。
この辺から見えてくる力関係は森田ファンにはどうでも良い事ではある ダメになった僕をみて(ダメになったなかにし兄を見て)
君もびっくりしただろう(森田の実の父もびっくりしただろ)
あの子はまだ元気かい(あの森田童子こと新垣道子は元気かい)
昔の話だね (離婚前の話だね)
これで唄に隠された謎が解けた 全共闘世代の支持を集めていたという事が改めて理解できた 1971年 風吹ジュンスカウト
1972年 青山自宅&ビル売却も借金3億円
1973年 風吹ジュン写真集出版
1973年 森田童子ライブデビュー
1974年 風吹ジュン歌手デビュー
1974年 風吹ジュン誘拐事件
1974年 前田亜土の妻はなかにし礼の姪と報道
1975年 森田童子メジャーデビュー
1983年 森田童子ラストアルバム
1984年 森田童子ラストライブ
1993年 「高校教師」で森田童子再注目
1994年 借金精算
1996年 中西正一死去
1998年 「兄弟」出版
2003年 新「高校教師」放送
2003年 ベストアルバムに新録「ひとり遊び」
2010年 前田亜土死去
2015年 有限会社海底劇場音楽出版新規登録
2016年 「夜の歌」出版
2018年 森田童子/前田美乃生死去
2019年 有限会社海底劇場音楽出版精算
2020年 なかにし礼死去
2020年 風吹ジュン誘拐事件再報道
2021年 「血の歌」出版
なかにし礼は風吹ジュンの曲の作詞はしてない 現役時代のファンは1955年から1960年ころの生まれだったのではないかね。
1975年〜1980年に二十歳前後だったとすれば。
本人も含め全共闘世代じゃないよな。
森田の歌は憧れを表現したんだろうな。 >>128
風吹ジュン誘拐事件の時の報道で
それ以前から前田亜土と結婚してることが確定してる
>アドプロ社長の前田亜土の妻はなかにし礼の実兄の中西正一の次女。 >>132
https://www.rokusaisha.com/wp/?p=5062
2014年には
>>134
で風吹ジュンの事件が再報道されてる
だから森田童子もなかにし礼もこの記事を読んだはずだ 叔父さんが有名作詞家だったし芸能界に伝手があったから自分の作品を持ち込んだら
松村慶子さんから勧められて歌うようになったんだろう。
そこまでは証言出てる。
自分の好きな世界観でやらせてもらったんだろうね。 だから、その世界観は特攻帰りのポン中の親父のことだろ >>132
編年体にするとわかりやすいですね
ありがとうございます
それで1973年のライブデビューですが、三上さんは間違いだと主張してますね。
平野さんの証言だけなので証拠がないと。
キチガイじーさんみたいですが、たしかにちょっと疑問です。
あと、1994年有限会社海底劇場音楽出版の設立も入れた方がいいですね これも入れよう
1982年 前田夫妻が国分寺市に自宅を新築 >>138
うん
平野が出した本では、1975年にライブハウスで
初めて演ったと書いてある
経緯も書いてある
それがインタビューの度に遡ってる
73年は嘘でしょう >>128
キチガイかこいつ?
森田童子は顔が中西正一そっくりなんだぞ 自宅を新築した以上、売れない事業(森田童子プロジェクト)は精算して売れる事業に集中したいという意図は前田夫妻にあったかも。
と、下衆な想像とは思いつつも時系列から推測してしまう。
事実と時系列から明らかになったことは大きい。 >>139
これも入れて
↓
1999年 「兄弟」テレビ朝日でテレビドラマ化(12/29)
「兄さん、頼むから死んでくれ」
この予告映像もヘビロテで流されてたから森田童子が見た可能性高いな。
「原作・なかにし礼」のテロップも必ずついてたし。 ドラマ「兄弟」で黒いタートルネックを着たトヨエツが印象的だった
早春にての歌詞にも黒いトックリのセーターが出てくるけど当時の流行だったのかな >>144
70年代のファッションだね
村野武範や森田健作も着てた あまり知られてないけど風吹ジュンの父親は京大教授だった >>142
そもそも(森田童子プロジェクト)なるものは
存在しなかった。
売れる事業に集中するもなにも在籍タレントは
ひとりもいない体たらくだった。 家建てたんだから稼がないといけない。
結局当たらなかったし30歳も過ぎたしアングラ歌手のツアーはもうこの辺りでやめておこうと前田夫妻が考えたとしてもおかしくない。 そうだ そうだ お茶汲みのオネェちゃんもいたぞ!
だれも居ない事務所とは失礼な! >>132
1994年 中西正一死去
の間違いでしたので訂正します
1994年 有限会社海底劇場音楽出版設立
だとすると死去、借金精算に連動した動きでしょうけど
ソースはありますか?
ワーナーに移籍した1981年じゃないのは
1981年から1994年までは父親か誰かに管理されていたのでしょうかね
それ以前のポリドール時代は音楽出版ジュンアンドケイです
ケイは松村慶子です >>132
2009年 前田亜土死去
これも訂正です 売り出しにはなかにし礼も兄の了解得てると
血の歌で書かれてるんだが 妄想派(別名・森田を貶める事に全力を注入している偏執狂)森田童子は なかにし礼と松村慶子と前田亜土によって企画されて出て
きた歌手だと思いこむ(根拠ははなかにし礼の小説からの憶測のみ)
まとも派(別名・森田童子の音楽を愛するファン)森田童子は全共闘崩れの世代の支持をうけた
(しかし森田本人が学生運動に共感した言葉は残していない)、常に弱者に寄り添う
詩を書き続けた希有な詩人であり歌い手だった(高取英の証言) >>157
これまでの謎がパズルのピースをつなげるように符号するよな
森田童子は青森生まれとラジオで発言してたらしいが出生地が青森と判明
中西正一は出産見届けると愛人宅に直行
森田童子デビューの報告を中西正一にしたのは飯倉のイタリア料理店
なかにし礼と松村慶子(文中では仮名)が同席 >>157
了承だけさせられて蚊帳の外
関わるなって事でしたよね
ただその小説の冒頭に高校教師でリバイバルの頃
金を無心された話が書いてありどの程度金銭的なつながりがあったかは不明 >>152
有限会社海底劇場音楽出版の履歴事項全部証明書に設立年月日が書いてあります。
平成6年4月13日ですね。
前スレの>>296にも書きました。
あらてめて海底劇場音楽出版の履歴事項を見てたら、会社の成立年月日が平成6年4月13日だ
中西正一さんが死亡する2年前で、なかにし礼によると「兄の借金を返済し終わった年」
もしかしたら森田童子の版権はそれまで担保に取られていたのかもしれない
自分のところに帰ってきたから管理会社として海底劇場音楽出版を作ったんじゃないの?
中西正一さんが死んだのは本当はいつだったんでしょうね? >>152
海底劇場は森田童子と森大河が所属していた芸能事務所の名前でもある
渋谷区桜丘のマンションの一室に風吹ジュンがいたアドプロモーションもあった
森田童子の美学IIより >>163
そこの部分はキャプチャーしてアップロードしてないわけですね
了解しました
次に書き込みます
死亡年は同年の1994年が正しいようです
この世界の借金だとヤクザの取り立てが来るということでもあるので
かなりややこしい権利関係になっている可能性があると思います
以前の関係者という書き込みもこの辺を危惧していたのではないでしょうか
だから再アップロードは希望しません >>162
冒頭のやりとりは創作のような気もするけどね
あの兄だから無心の電話ぐらいするだろう、みたいな
なぜそう思うかと言えばもう絶縁してたからそんなやりとり知るわけないわけで
でもデビュー前後のエピソードは事実だろうね
で、イタリアンレストランは仮名にしてるけどキャンティだろうな
創業者は風吹ジュンの旦那だった川添の親父
この当時はまだ付き合う前だけど、
いろんな因縁が交差していて興味深い 別れた親父やら赤の他人の風吹やその旦那などそりゃ色んな人生があるだろ
童子とはなんら関係無い話にすぎないけどな
ちなみにイタリアンレストランでは無く 中華飯店が松村は好きだったらしい >>169
キリストは宇宙人だと思い込んでる人ですか? >>165
ぜひ登記情報提供サービスで謄本をご確認ください
設立年月日の他にも多くのことがわかります
森田童子の本当の死亡日が4月16日だったとか
住宅ローンをいくら借りていつ返済し終わったかなど >>169
兄貴のことや森田童子のことは言わなそうだな
当たり前か アドプロのアドって、アドバタイズとかのアドじゃなくて亜土という名前からつけたんだな。
やる気満々じゃんw まさか森田童子のプライベートがここまで暴露されるとは本人も前田亜土も思わなかっただろうな
本人が明かさなかった秘密を赤の他人が勝手に暴露してかわいそうな気もする
ここまで暴露されたなら書くけど、前田亜土さんは元々芸能界と縁の深い人
ちなみに前田敦子は亜土さんの一番下の弟のお孫さんだよ >>172
見てきたけどふろふき大根しか印象に残らなかったw ここに書き込んでるのが自分だとバレるのって恥ずかし過ぎだろ 元旦から愛人だか、妾だか知らないけど雑煮食ってる最中に女の家に行くような父親に育てられると、ああいう歌を歌ってしまうんだな >>179
見てきたけどこいつ完全なツイ廃だな
ツイ廃でねらーって最低じゃねえかw その愛人の家に姉妹で父親を迎えに行ってたなんてエピソードが無きゃあの歌は歌えない ヲチ板じゃないんだからやすなおなんてやつはどうでもいいよ
面白くも何ともない >>176
森田童子のプライベートは依然として
ベールに包まれているな
小説という創作に自分の事が脚色されて書かれて
いるのを沖縄の離島かどこかで苦笑しながら
見ている事だろうな
ちなみに亜土のペンネームは小林亜星と師匠の
水森亜土のパクリだよ >>184
正月に一人で可哀想だと泣かれてもなあ
どういう神経をしてるんだか >>188
またおまえか
自分の巣に帰れ
シッ!シッ! ここからしばらく沖縄キチガイ爺いの自演が続くのか
うんざりだな >>191
うるさい、バーカ
森田童子は沖縄の離島で双子の妹と暮らしてるよ
それが事実 >>163
前に「翔べ!我が思いよ」からなかにし礼商会の事抜粋してたよね
北青山のビルには″なかにし礼商会″という名の会社をつくり、私が社長になって、社の真似事をやつた。ワイワイただ騒いでいるだけのもので、会社らしい目的も実行力も持ち合わせていなかった。と言ったら、その時の仲間の、杜洋之輔、前田亜土、
沢井貞夫などにすまない気もするが、社長の私が言うのだから間違いなかろう。だけど、ワイワイ騒ぐというのは楽しいものだ。お祭り騒ぎ……有頂天……。
ここ。
杜洋之輔というのは風吹ジュンの事件で
ガル企画側のマネージャーとしてアドプロ関係者を訴えた一人です
このマネージャーのアドプロ時代の借金の話をしに
ガル企画の石丸社長が赴いたら暴行軟禁された
その場にはアドプロ側の住吉連合大日本興行のヤクザがいた
一方なかにし礼も石丸社長が九州のヤクザの名前を出したと言ってる
杜洋之輔は引退後は福岡で死んでる
2004年 杜洋之輔死去
この人はサンミュージック独立した松田聖子の個人事務所に行って
この事件の前は石原プロ等の映画製作にも名前を連ねてる
上の引用文を読むと訴訟になっても確執はない感じだね >>135の記事ではマネージャの名前はイニシャルになってるけど
当時の週刊平凡の記事は書いてあるらしい
驚いた事に当初風吹ジュンのガル企画への引き抜きには
なかにし礼も一枚噛んでいたことになっている
あわれというより不可解だ
https://itest.5ch.net/test/read.cgi/legend/1539527568/488
告訴人は風吹ジュン、『ガル企画』の石丸末昭社長、同・杠洋之輔マネジャーの3名。
被告訴人はなかにし礼氏(本名・中西礼三)、実兄の中西正一氏、『アドプロ』の前田亜土社長、同プロの宇野マネジャー、それに住吉連合の幹部・岩井政道氏、その配下・小川利行氏の6人。
『ガル企画』が発足したのは9月9日だが、発足以前にはなかにし礼氏自身も経営者のひとりとして参加予定だったという。それを石丸社長があえて外したのはなかにし氏の評判がかんばしくなかったためといわれる。なかにし氏が、これをおもしろく思うわけがない。
さらに『アドプロ』の前田亜土社長の夫人・美乃生さんは中西正一氏の娘さんである。彼にとっては姪に当たるわけだ。金の卵に逃げられた親類のため、芸能界に顔をきくなかにし礼氏がひと役買って出た気持ちを思えば、あわれである。 まかみし
もうその辺にしとけマジで
おまえがヤバくなるぞ >>188
ここまで来ると妄想じいさんがおもろくなってきたわw
「亜土」は「亜細亜の土になる」と言う意味で、
戦前の日本で流行った名前らしいね。
水森亜土も70年代はテレビに出まくってたが、お元気なんだろうか。 >>196
自作自演はもう飽きた
巣に帰れ
シッシッ! >>198
エイプリルフールだな
そのニュースの芸スポスレにアドプロに関して
赤塚不二夫も芸能プロ持ってたくらいだからな
梶原一騎もか
ハードルが低いというか話し持ちかけてくるの大勢いたんだろう
どんな人種かはお察しだ
と書いてる人がいた
杠洋之輔の事調べると上の芸能プロ関連の映画とは結構関係が深そうな感じがする
詳しい人が書き込んだのかも 童子さんのコメント。
「私の歌は、未来への予感を含んだもの。それでいて、
私の歌は生活の実感から出てきたものなんです。
…(原ママ)レコードだって私は出したくって出したん
じゃない。私はいま歌えるだけでいいんです」
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