*続々・田中一郎ラーメン*
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>>14 下の映像は何故か一郎がセンター? このテレビを見ていた人は3人組のグループかと勘違いしていただろう >>15 ばんばひろふみさんが椅子の高さを調整している 時、手の上に椅子がズバっと落ちてきて、指を ケガしてしまってギターを弾けなくなって しまったの。 それで急遽、一郎がギターだけ弾くことになったの。 この説明したのライブの時だけだったかな? TVでは説明してなかったかな? >>17 現場にいた訳じゃなくて、ライブのMCでそう 話してた。 このTVはバンバンの2人でやる予定だったのに ばんばさんがギター弾けないから、急遽、一郎 が呼ばれたと言ってた。 田中一郎はサウンドコンポーザーとしても優秀 作曲能力も卓越してた ジェシー ありか 雨をみたかいは名曲 >>18 ライブのMCで話してたのは、ばんばひろふみさん 本人。 だから「椅子の高さ調整をしていて…」とか、 詳しい内容だったの。 陽気な雨でデビューした博多生まれのグループ リンドン メンバーは田中一郎(リードギター)、田中信昭(ベース)、伊藤薫(ドラムス) 3人とも背が高くてスラっとしたまことにカッコいいグループ 若さと楽しさが持ち味 どうぞよろしく! >>19 雨を見たかいはCCRのカバー 余談だがこの雨とはベトナム戦争でのナパーム弾と言う話が広まったが 作者は否定しているので後付けの作り話 G. 田中一郎【ARB】 G. 土屋公平【THE STREET SLIDERS】 B. TOKIE【RIZE】 Dr.川西幸一【UNICORN】 暁の終列車 https://www.youtube.com/watch?v=YPjFZCDjtJQ&t=382s >>24 ARBとTHE STREET SLIDERS、対バンでよく一緒に なってて、打ち上げの時、田中一郎と土屋公平は 隣の席に座って、誰も入っていかれない2人だけの 世界というかんじで2人っきりで話し込んでた。 何の話してたんだろう? あの頃は蘭丸くんだった。 14歳の時にキャロルのコンサートに行った土屋公平 18歳の時にロックフェスでキャロルやサンハウスと共演した田中一郎 >>22 凄い聞きたい、YouTubeに有るかな? 一郎やARBスレが急激に伸びてきたね。 一郎スレなんて、2016年に出来て長らく停滞してたけど、この1か月で次スレまで出来る始末。 一体何があった? 甲斐バンドの当時の機関誌 ビートニックの中の記事でちょいちょい甲斐よしひろのインタビューが乗ってたけど ラブマイナスゼロの完全後インタビューで 当時のミキサーのボブクリアマウンテンが甲斐よしひろに ギタリストが変わったね(一郎加入)ギターのアンサンブルが良くなってるって言われたのが凄く驚いたって語ってた 一郎はそれ位凄いギタリスト 当時ニュー・ヨーク パワーステーションスタジオで超売れっ子のボブクリアマウンテンにそう言わしめた 田中一郎凄いよ 当時ボブクリアマウンテンは ホール&オーツ アウトオブタッチやブルーススプリングスティーンのボンインザUSA ブライアンアダムスのレックレスなど 当時爆売れしたアルバムシングルになんらかで絡んでいたからねリミックスやサウンドコンポーザーとして 当時一番売れてたミキサーエンジニア そのボブにアンサンブルが凄いと言わさせた 一郎はやっぱ凄いんだわ >>30 ラブマイナスゼロの完全後☓ 完成後に訂正します >>30 その話聞いたことあるけど、一郎ってボブ3部作全部に参加してるし、2作目のGOLDに至っては アルバム曲の約7割弾いてる。特に一曲目と二曲目はギターソロは一郎。ボブの発言もあてにならん。 YouTubeで甲斐バンドの初期のライブ音源を聴くと演奏はかなり下手くそ 甲斐の歌とサポートメンバーのキーボードでなんとか形になっている ARBの初期のライブ音源はそれなりに聴ける 甲斐バンドはほんと下手だったな。 ライブだけじゃなくスタジオ音源も「誘惑」まで は酷いもんだよ。ストリングスやシンセがかぶさってるからライブよりはマシには聴こえるけどね。ファーストからサードくらいまではほんと聴けたもんじゃない。ただ、奇跡的に定番のポップコーンと氷のくちびるだけは上手いし、今でも全然色褪せないクオリティで録音されてる。 あれは一体なんなんだろう。 トータルでは、HEROが大ヒットしてから東芝も金かけるようになり、一流スタジオミュージシャン入れたりして劇的に良くなった。 Tレックスのライブ行った近田春夫は恐ろしく下手くそで何の曲やってるか わからなかったらしいね。 甲斐バンド 12月24日 東京グランドプリンスホテル新高輪 12月28日 ホテルニューオータニ大阪 >>40 さっき甲斐よしひろソロの記事読んだら、 甲斐バンドとしてディナーショーやると 書いてあった。 リンドン 陽気な雨 1974年5月5日発売 甲斐バンド バス通り 1974年11月4日発売 実は田中一郎の方が芸歴長い。 1973年10月に上京してきて、3人で一緒に住んで いた。 甲斐よしひろが、デビューするために東京に デモテープを持って来た時、3人が住んでいる 部屋に泊めてもらった。 狭い部屋だから、一郎の布団で一緒に寝たという 話は、リンドンファンにとっては有名な話です。 ディナーショー高額トップ3 1位 X JAPANの「YOSHIKI」・・86,000円 2位 矢沢永吉・松任谷由実・・60,000円 3位 松田聖子・五木ひろし・・51,000円 >>45 ファンがみんな年取って、お金持ちになっている んだね 今年のYOSHIKIのディナーショーのチケットは10万円 11日間20公演分のチケットがすべて即ソールドアウト 一般的なコンサートのチケットの10倍近い価格設定だが 来場したファンからは「内容を考えれば安すぎる」という意見も上がっている 今回のチケットの売り上げは、東京ドーム2Days公演分にもあたる驚異的な金額 https://enoshimalife.com/yoshiki-dinnershow-2022-final-report/ >>49 黒澤スタジオのチケットは、往復はがきでの 応募で抽選という形でした。 1人1枚しか出してはいけない、同じ人が2枚 以上出したら失格という厳しいものでした。 それで私はARBファン友達10人ぐらいに名前を 借りて10通ぐらい応募しました。 そしたら名前を借りたARBファン友達が 「私が一郎に会わせてあげる」 と言って、自分の友達の名前を借りてそれぞれ 10通づつぐらい往復はがきを出してくれました。 それで私は、凄い数の応募ができて、 黒澤スタジオに行くことができました。 だから甲斐バンドとARBの話がかみ合うように なって欲しい。 >>50 甲斐バンドの最後の武道館の帰りにダフ屋がパーティー券(黒澤スタジオ)あるよと売っていた 値段は覚えていないがその時に買えなかったので結構な金額だったと思う >>52 黒澤スタジオは、メンバー本人たちもチケット 手に入れられなかったみたいです。 後に映像で見たけど、黒澤でのパフォーマンスは素晴らしかったよね。みんなリラックスして、曲順も決めず、都度即興みたいに好きなことやってる感じが伝わってくる。 大森さんも、これが最後のパフォーマンスであることを噛み締めながらプレイしてたよね、きっと。 >>54 あの時点では、大森さんが現役ミュージシャン としてステージに立つのが最後ということだった ので、甲斐バンドのステージが最後という以上に、 もう大森さんのギターを生で聴けるのは最後 なんだと思うと涙が止まらなくなってしまった。 でも楽しいライブだったので、会場は楽しい 雰囲気になっていて、最後という雰囲気が全然 なかった。 それぐらい楽しいライブだった。 キャロルの大ファンだった田中一郎 田中一郎「キャロルは日本で初めて日本語のロックンロールを定着させたバンドなのです」 「キャロル以前にも日本語のロックンロールバンドはあったとは思いますがハッキリと使われだしたのはこの頃」 「ぜひとも聴いてほしい曲をいくつか書くことにしましょう」 「憎いあの娘 間奏のメロディとサビのリズミックなオブリが最高」 「最後の恋人」 「彼女は彼のもの ちょっとビートルズっぽい センスいい」 「涙のテディボーイ 僕こういう間奏大好き」 「変わり得ぬ愛 本当に最高だと思う」 「キャロルといえば革ジャンとリーゼント位のイメージしか無かった人、是非音楽として聴きなおしてください。絶対得るものがあるから」 「この前ストリートスライダーズの蘭丸と飲んでてミックテイラーの話からキャロルのギタリストのウッちゃん(内海利勝)の話で盛り上がってたんだよね」 アッパーカット2皆さん観ましたか?一郎先生のギター蘊蓄が聞けますよ! 早速、YouTubeで見ました! ほんの少しだけ痩せたかな? 相変わらず西城秀樹みたいな声だな。 リアルタイムで知らないせいか、キャロルの良さがまったくわからない。キャロルも横浜銀蝿もダウンタウンブギウギバンドも全部同じに見えちゃう。矢沢永吉も苦手。でも、ほぼ同時期に活躍したチューリップはかっこよく感じる。 リンドン後期に田中一郎が革ジャンとリーゼントにしたのは1975年4月13日に日比谷野音で解散したキャロルのロックンロールを受け継ぐ意識もあったのかな キャロル RCサクセション BOOWY ブルーハーツ XJAPAN これだけで十分、残りはゴミカス。 今、田中一郎ブログ読んだら、思い出して しまった。 1983年 「俺がレスポールに惚れているんじゃなくて レスポールのほうが俺に惚れているんだ」 と言ってた。 北海道で観覧車に取り残されたニュース 観覧車82の実写版か? 一郎は又素敵なギターソロ弾くんか? 知り合いの熟練スタジオミュージシャン曰く、田中一郎はギター博士とのこと。 歴史、仕様、メカニック、クラフトの工程の細かいところまで全部知ってるらしい。ミュージシャン目線というより、職人目線で語る人らしいね。確かに、アッパーカット見る限りオタク度はメチャクチャ高そう。 >>69 見た人は、田中一郎ブログに感想書くと思う。 直接、本人に伝わるから。 株式会社アトス・インターナショナルの動画は田中一郎のギター・アッパーカット2とザ50回転ズのロックンロール予備校2が面白い atossinternational https://www.youtube.com/c/atossinternational/videos パブロック仲間の田中一郎とザ50回転ズでコラボやってくれないかな 希少なパブロック好き同士だから気が合うと思う ザ50回転ズのロックンロール予備校2で田中一郎がいた時期のARBや大江慎也がいた時期のTHE ROOSTERSを取り上げていたけど THE ROOSTERSのほうが話が盛り上がっていた。 ARBのアルバム、シングル盤は今では廃盤なのに THE ROOSTERSのアルバム、シングル盤は今でも店で買える。 THE ROOSTERSのフォロワーにはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTという圧倒的な存在感や影響力をもつバンドがいることも大きい。 当時ミッシェルファンの女子高生がルースターズを買い集めたから店頭から消えてしまったほど。 今現在CD買う人っているの?スマホ弱者の60代以上くらいだろな、 50代ならサブスクくらい使えるだろうから、 サブスクにないからわざわざCD買うのって数少ないマニアだよ。 あさってリンドンの名曲「ふたりのフォトグラフ」がアナログレコードで発売される THE BADGE NIGHT Vol.2会場で THE BADGE 2022とFIRESTARTERの最新7インチ発売決定!! THE BADGE 2022は新録の「STARTING OVER c/w NO NO BOY」 FIRESTARTERはDEMOLITION TAPES収録「HEADACHE」と SHOJI//the badge.との「ふたりのフォトグラフ」FIFIヴォーカルバージョン!(共に後日店舗発売予定あり) リンドン「ふたりのフォトグラフ」 田中一郎(G)、田中信昭(B)、伊藤薫(Dr) https://www.youtube.com/watch?v=cUtoBaJeRso&t=132s 1983年1月29日 ARB 渋谷公会堂 田中信昭は観に来ていた。 イカ天のライブ(TV放送された)も 田中信昭は観に来ていた。 ARB 渋谷公会堂は、松藤英男も 観に来ていた。 >>80 の訂正 イカ天のライブではなく、田中一郎のライブを イカ天の中で放送したんだった。 失礼。 >>82 間奏のギターは、私はやっぱり田中一郎のが 一番好きです。 (中村昭二さん…ごめんなさい(_ _;)) 一郎のライブ、イカ天で放送したの? 全く記憶にないなぁ。 >>84 放送したよ。 三宅裕司がツッコミ入れてた。 >>85 アルフィーの下に載っている四季というバンドが ヤングジャパン所属のロックバンドでした。 >>89 チューリップ 海援隊 リンドン 甲斐バンド のメンバーは、全員こんなふうに彼女と 遠距離恋愛状態になって上京して来たんだよね。 陽気な3人組、皆んなかわいく写ってるね! 一郎なんて女の子みたい。 アルフィーはこの時代テレビで観た記憶ある。 子供ながらに歌謡曲っぽいグループだなと感じた。でも、今改めてデビュー曲の夏しぐれをYouTubeで聴くと、めちゃくちゃいいわ。松本隆の作家デビュー曲だよね、これ。 桜井って12弦ギターだったのか? 坂崎や脱退した三宅がベースって書いてあるけど、誤植だよね?これ。 この同期3グループを見ると、デビュー時の扱いに差があるよなぁ。甲斐バンドはさすが九州最後のスーパースターという触れ込みと、ハッピーフォーク優勝を引っ提げてデビューしているだけあって、記事の大きさがまるで違う。アルフィーやリンドンは1/6ページ程度?ちょっとかわいそうだね。 あと、ふきのとうやジャネットとかとも同期だよね。ちょっとしたバンドブームだったのかな? 坂崎さんと桜井さんは、コンフィデンスという バンドで、1972年にデビューしてるんだよ。 You Tubeのオススメに 「NEVER END」Kai Band Live at BUDOKAN 2009/2/7 というのが入って来た。 大森さん… >>92 研ナオコの窓ガラスという曲でアルフィーがバックを務めた時桜井が12弦ギター弾いてた コンフィデンス「昼下がりの夢」1972年12月 コンフィデンスの坂崎幸二さんのファンで、 それからずっと坂崎さんのファンなんだけど… アルフィーの曲は、全然知らない。 アルフィーとリンドンが同期ってピンと こないんだ。 >>91 1973年10/5 チューリップ 夏色のおもいで 1974年8/25 アルフィー 夏しぐれ >>91 松本隆の最初の作詞提供曲はチューリップの「夏色のおもいで」とされているが その前に1972年に五つの赤い風船に「えんだん」と言う曲で作詞をしている URC繋がりかな アルフィーはメリーアン前、メリーアン後でファンの層が別れるみたいね。 甲斐バンドでいう、HERO前、HERO後みたいな感じ。 メリーアンでブレイクする前からのフォーク時代、坂崎がリーダーだったころのアルフィーは名曲多いよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる