俺が家族と絶縁するまでの人生を書く
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
書き溜めてないので途切れ途切れ書いていきます
まずは自己紹介
俺は大学2年生、現在東京に住んでます
家族構成
父親 会社経営してる
母親 亡くなってる
兄 社会人、俺より3歳年上
妹 高校2年生 俺の家庭は結構複雑です
まずは、その説明もしながら俺の幼少期からゆっくり書いていきます 0歳 2000年に東京で生まれました。母親が俺の妊娠中に子宮筋腫になってたそうで苦労して生まれたらしい。俺自身、その影響からか低出生児だったらしく生後1ヶ月は保育器の中にいたらしい
その後は何の問題もなく保育器から出て無事退院
母親も俺が退院してから2ヶ月後にめでたく退院して母親、父親、兄、俺で普通に生活してたらしい
その頃の記憶は全くないんだけどね 4歳 この頃、我が家にビッグイベントがやってきた。母親が妹を妊娠したんだ。しかし、俺が幼稚園に入園して間もなかった時、母親の病気が再発した。
母親は入院することになったんだが父親はその当時から会社経営してて忙しかったらしくて俺の面倒を見れないと思って、大阪に住んでる弟夫妻(俺の叔父と叔母)に俺を預かっててくれないかとお願いして俺は叔父家族の家に行くことになった ここでまず俺の家の奇妙なところがある
叔父家族の家に預けられたのは俺だけで、兄貴は預けられずに東京に残った
何で兄貴だけ東京で残ったのか。理由は叔父家族の家の近くにインターナショナルスクールがなかったからだ。
実は俺が生まれる少し前まで、父親はシンガポールで働いていて、兄貴はシンガポールで生まれた。なので兄貴は一家の中で日本語と英語も喋ることが出来たので帰国してからも英語を忘れないためにインターナショナルスクールに通わせてた。そのおかげで英語の方が得意だったらしいから公立小学校に通わせるのは難しいと父親が判断して兄貴だけ東京に残ることになった 俺が大阪に行ってから少しして、妹が無事に生まれた。母親の病気の影響で帝王切開だったらしい(何でかよく分からん)。妹は元気ですぐに退院したんだけど母親の病気が治らずに出産後もずっと入院したままだった。代わりに父親が妹の世話をしてたらしいんだけど、母親がいないせいか妹はいつまで経っても父親に懐かなかったらしい。
女の子の世話をするのが初めてで苦労した父親は会社の経営と俺の兄と妹の子育てに疲れ切ってしまって弟夫妻に妹も預かってくれないかと頼んだ。男が育てるよりも女である叔母が育てた方が妹が懐くんじゃないかって考えもあったらしい。
生まれて半年も経ってない妹はそうして俺の住む叔父家族の家に預けられることになった。
もちろん、その時も兄貴はそのまま東京に残った。 ここまでで質問あったら遠慮なくどうぞ。見てる人がいたらの話ですが。 帝王切開の時に筋腫取れなかったの?
違う病気じゃ? >>11
レスありがとうございます
叔父叔母に聞いてみてもあまり覚えてないみたいでよく分からないんですよ
子宮を縫合したときの縫い目が腸に当たりやすいとかなんとかで。よく腸閉塞を起こしていたので子宮筋腫だったのは間違いなさそうなんですけど…
これぐらいしか分からなくてすみません >>12
訂正
子宮筋腫を発症したことがあるのは確かなんですけど、妹の出産時も子宮筋腫だったのかはちょっと分かんないです ご飯を食べるので少し抜けます
話を整理して書いていこうと思うので時間がかかるかもしれないです 1の父は1の兄を溺愛して死守してるようにしか見えない その後、俺と妹は叔父叔母の元で育てられた。妹は0歳の頃から育てられてるから叔父叔母の大阪の家が実家みたいなもん。従兄弟の兄ちゃんや姉ちゃんは俺たちを家族同然に接してくれていた。だけど俺は居心地がいいとは思えなくてどこか他所他所しくしてた。今振り返ってみると、俺が叔父叔母を「引き取ってくれた人」と認識してたからかもしれない。父親、母親と暮らしてた頃の記憶があるせいか、俺は叔父叔母を「代わりに育ててくれてる人」であってもしかしたら俺たちは迷惑なのかもしれないと心のどこかで思ってたんだと思う。
叔父叔母家族と信頼関係を築けなかった俺は幼稚園での出来事や友達にいじめられたたことなどを叔父叔母に話さなかった。クリスマスに何が欲しいか聞かれてもあんまり高いものを頼もうとせずに従兄弟が欲しいものを確認したりしてそれよりも豪華じゃないものを頼むようにしてた。 一方、妹は俺と違って他人行儀にならずに素直に懐いてたし、抱きつきに行ったり叔父叔母の布団で一緒に寝たりしてた。生まれてすぐに叔父叔母に預けられて育ってきたもんだから叔父叔母=両親みたいなもんだった。叔父叔母のことを叔父さん、叔母さんって呼ぶんだけど、妹にとっては普通の人にとってのお母さん、お父さん=叔父さん、叔母さんだった 俺は妹を唯一信頼してた。妹しか信用しようとしなかった。家の中で唯一本当にくつろげるのは妹の子供部屋の中だけだった。彼女も従兄弟たちよりも俺にすごい懐いてた。従兄弟の兄ちゃん姉ちゃんとは10歳以上年が離れてたので同世代が俺だけだったからかもしれない。そんなわけで俺たちはいつも家の中でいつも一緒にいた。というより家のどこにも居場所がなかったからいつも俺の方から妹にくっついてたんだと思う。 9歳 小学校3年生のころ、そんな俺たちに思いがけないビッグイベントが再び起きた。なんと小学6年生の兄貴が大阪の俺たちの家に預けられることになった。理由は父親が仕事が多忙すぎて家に帰れないことが増えてきたからだった。長期で家を離れるときには近くに住む母方の祖父母に面倒を見てもらっていたそうなんだけど、祖父母の子育てが下手らしく、高齢で体力もないみたいだったから叔父叔母の家に預けるしかなかったらしい。兄貴もその頃は日本語を普通に話せていたので公立に通っても問題なかったみたい 不謹慎だけど1父が仕事ばかりだから1母も病気になるんだよ どうせこのころには他で女作って仕事を言い訳にしょっちゅう会ってたんだろ 兄貴が家に預けられるまで俺の両親は一度も大阪の叔父叔母の家に来たことがない。祖父母は月一で遊びに来ていたのにね。向こうが来ない代わりに夏と冬と春の長期休みのときに叔父は俺と妹を連れて日帰りで東京に会いに行かせてくれてた。いつも東京駅で待ち合わせして、母親が入院してる時は病院に行ってその後ご飯行って好きなもの買ってくれて帰るだけ。父親には会わずに母親と兄貴だけに会うときもあった。そんなわけで兄貴と俺たちは年に3回しか会う関係でしかなかった。しかも兄は俺たちに会うといつも恥ずかしそうにして両親とほとんど英語で会話してて、叔父叔母が話しかけると日本語で返すのに俺と妹が話しかけても英語で返してた。あいつが何言ってるのか、どういう奴なのかも全く分からなかったけど、英語で会話してる兄貴を見て「カッケェ〜!」っていつも思ってた。
そんな兄貴が俺たちの家にやってきた。 兄貴は小学校6年生で思春期間近だったのもあって俺のいた部屋を丸ごと与えられた。俺は代わりに妹の部屋に引っ越しした。今思えばマジで良かった。 兄貴は俺と同じ学校に通うことになった。
兄貴が転校してきたことはすぐに学校中で話題になった。なぜなら兄貴が英語を喋れたから。同級生から「お前の兄ちゃん英語喋れるのすげえなぁ」って言われたりしてた。兄貴はたちまち学校で人気者になって友達とすぐに仲良くなった。 単スレ禁止されてるのに続けるメンタル強い
育ちが悪いだけのことはある そんで兄貴は転校してすぐに家に友達を連れてきた。兄貴はルームツアーみたいなことし始めて友達連れて俺たちの部屋に入ってきてこう言った
「こいつらは俺の弟と妹。こいつらお父さんとお母さんと暮らしたことないんだぜww」
突然そう言われてハッとしたのを覚えてる。実際、俺は両親と暮らしたことはある。だけど当時の俺は当時の記憶が記憶あんまなかったし、兄貴に不意に言われたことで何も考えることが出来なくて「暮らしたことあるよ」とは言い返せなかった。
そして、そのとき初めて「俺は自分の親と暮らしてないんだ」という事実を意識した。
兄貴の友達は「えーマジか」みたいな驚いたリアクションされて両親と暮らしてないのが普通じゃないことに初めて気がついた。
妹は大泣きしてしまって、すぐに叔母が駆けつけて兄貴はめちゃくちゃびっくりするくらい怒られた。 ここまで読んで分かる通り、俺の兄貴はクソ野郎だった。両親とまともに暮らしたことがない俺たちを見下してた。俺たちに英語で喋ってたのもおそらく英語が喋れることを自慢したかったからなんだと思う。とにかく兄貴はとてつもないクソ野郎だった。 俺たちが両親と一緒に暮らしたことがないという話はすぐに俺の同級生にも伝わってきて色々質問された。それが原因でいじめられるということにはならなかったけど、そんなことをいちいち聞かれてめちゃくちゃ心を傷つけられた。
それ以来、俺は両親と暮らしてないということがコンプレックスになってしまった。 兄にはその他にも色々嫌がらせされた。
叔父のパソコンでアダルトサイトのワンクリック詐欺に引っかかったのを小3の俺に濡れ衣着せてきたり(洋モノですぐに兄だとバレたんだけどね笑)、単純に一方的に殴ってきたり最悪な兄貴だった
兄は俺たちを完全に下に見ていて、何をしてもいいんだと思ってたんだと思う。なんで兄貴が平気で俺たちを見下すのかという理由は後に分かります。 12歳 そんなこんなで俺たちは兄貴に嫌がらせされるようになったんだけど、兄貴が引っ越してきてから3年経った12歳のとき、転機が訪れる。兄貴が高校受験で東京の高校を受けることになった。 都内の高校で帰国子女が多くいて海外交流が結構ある某学校が兄貴の第一志望だった
都内では結構倍率高くて難しかったらしい
その学校や他の東京の高校にもわざわざ新幹線使って見学しに行ったり、兄貴は都内の高校に入る気満々だった。そんで父親の方も「頭いい高校だったらいいよ」という条件で兄貴が東京の高校に進学するのに賛成した。
結果、兄貴は目標の第一志望に合格。東京に行くことになり、大阪の叔父叔母の家から離れることが決まった。 兄貴が出ていって、俺と妹は心の底から嬉しかった。これで平和に暮らせると思った。
だけど同時に俺にはある考えが浮かんだ
「東京の難関校に受かれば父母と一緒に暮らせる」
兄貴に馬鹿にされて以来、両親の家で暮らしてないのがずっとコンプレックスだった俺は両親と一緒に暮らすことにずっと憧れていた。
妹も同じだった。妹とたまに「いつになったら東京で暮らせるのかな」と話していた。妹にとっても東京で親と一緒に暮らすのは夢だった。俺が東京の難関校に受かれば妹も一緒に東京で暮らせる。兄貴の高校進学を機に「俺も東京に出てやる」と決意した。 14歳 中学2年のとき、両親に「東京の大学の附属校に進学したい」と言った。返事はもちろんOKだった。「受かったらウチから通え」と言ってくれた。俺はすごく嬉しかった。
15歳 中学3年。受験するために大阪から新幹線で東京に向かった。「このテストで俺の人生が変わる」と思うと新幹線の車内でも心臓がバクバクしっぱなしだった。
結果、第一志望ではなかったものの難関附属校になんとか合格することができた。両親の家からはそこそこ遠かったけど、そんなのどうでも良かった。 16歳 めでたく東京で暮らせるようになった。妹も東京についてきて、生まれて初めて兄、俺、妹、父、母の家族全員で暮らせらようになった。
本当に嬉しかった。両親が入学式に来てくれたり家族と買い物に出かけたりしたのがすごく嬉しかった。
一方、家の中での兄貴の立ち位置に変化が現れた。実は兄貴は高校進学以降、成績が良くなくて大学受験も失敗。世間からしたら優秀なんだろうけど、我が家にとってはあんまりパッとしない大学に通うことになった。シンガポール帰りの帰国子女として持て囃されてた頃期待されてた将来より随分と堕落した。英語もほとんど忘れていた。
インターナショナルスクールを離れて英語が全く話せない叔父叔母の家に来たことで全く英語を話す機会がなくなって英語を忘れてしまったらしい。ただ、プライドは一丁前に高く、あいかわらず俺たちには威張り散らしてた。あと、書き忘れたんだけど、兄貴は中学の最後の方は虐められるようになってた。俺と妹は一切同情しなかった。俺と妹にしたような嫌がらせを同級生にしてやり返されるようになっただけなんだろうからね。
俺の両親は徐々に落ちていった兄貴よりも俺と妹に期待して愛情を注ぐようになっていった。
当初は俺はそれが嬉しかったけど、徐々に兄貴が期待されなくなるのを見て「こいつら(両親)は子供全員に平等に愛情を注ぐことができないんだ」と悟るようになった。 そんなこんなで疑問に思うこともあったけどしばらくは幸せに暮らせた。
けど、その幸せな暮らしはあまりにも短すぎた。 17歳 忘れもしない7月18日、授業中にLINEで電話がかかってきた。先生に怒られて通話拒否しようとスマホを見たら父親からだった。おかしいとは思いつつもとりあえず通話キャンセルすると父親とのLINEのチャット画面になった。授業中なので急いでスマホの電源切ろうとすると、そのチャット画面にこう書かれてた
「お母さんが倒れた」「今すぐ早退しろ」
俺は急いで先生にそのチャットを見せて早退させてもらった。 病院に着いたとき、母親は既に心肺蘇生されてた。俺たち兄妹は泣きじゃくってた。
昨日から体調が悪いと言って寝込んでた母親を俺たち家族は特に気にせずに家を出て行ってしまった。仕事から物を取りに帰った父親が偶然死にかけてる母親を見つけて救急車を呼んだ。
父親は偶然家に忘れ物をして帰った先で母親を見つけたことを「神様が助けてくれたんだ」とかほざいたけど母親はそれから30分も経たずに死んだ。死因は癒着性イレウスだった。 思い出すのも辛いな
晩ごはん食べるんでしばらく抜けます >>47
一応、医者の書類に書かれてた病名は癒着性イレウスだったんですが、全く同じらしいですね 葬式が終わって家に帰ってからも何もする気力が起きなかった。立ち直れる気がしなかった。
俺と妹は何にも話すことなく部屋でボーッとしてた。
すると突然、兄貴が部屋の扉を開けて入ってきた。
俺たちが驚いてると兄貴はこう言った。
「お母さんはお前たちのせいで死んだ」 はあ?ってなって怒りが湧いて殴りそうになったよ
だけど兄貴が続け様にいった
「お母さんの腸が弱くなったのは〇〇を産んだ時の傷なんだよ。お母さんはお前らがウチに来て負担が増えたんだよ。お前らがお母さんを殺したんだ」 〇〇は妹の名前ね
妹は静かにボロボロ泣き始めた。俺はもう口答えする気力もなく「はいはいそうですかそっとしてください」みたいな感じで兄貴を部屋から出ていかせようとした。
すると兄貴はまたこう言った
「お母さんはお前らのことが嫌いだった。お前らを産んだせいで病気になったんだからな。お前らなんか生まれてこなければよかったんだよ」
そう言って兄貴は部屋を出ていった 「お母さんはお前らのことが嫌いだったんだ」
この言葉を聞いて、なんで兄だけ東京で一緒に暮らしてたのか、なんで両親が俺と妹に会いにいかなかったのか、なんで兄貴が俺たちをずっと見下してたのか分かった。
両親と兄貴は俺たちが嫌いだったんだ。おそらく母親か父親が俺たちを悪く言ってたから兄貴も俺を見下すようになったのかもしれないと合点がいった。
俺を憎んでた母親が死んで泣いてるなんて馬鹿だと思いながら母親に愛されてなかった悲しみでどんどん涙が溢れてきた。
妹も布団に突っ伏して泣き腫らしてた。
大阪にいた時にあれほど憧れてた東京の家にはこれ以上いたくないと思った。
あの夜より辛い日は今後の人生でもないと思う。 幸いなことに母親が亡くなってすぐに夏休みに入った。
俺と妹はすぐに大阪の叔父叔母の家に行った。
叔父叔母に兄貴の話を伝えた。
叔父は俺たちに今まで話してなかったことを教えてくれた。
叔父は何度も何度も俺と妹をいつ迎えに来るのか父親夫妻に訊ねてた。
・たまには大阪に来てやれと怒ったけど俺の父母は忙しいだななんだの言ってはぐらかしてたこと
・頭が良くなければ可愛いと思えないから勉強は頑張らせろと叔父に両親が平然と話してたこと
もう何もショックも受けなかった 俺と妹を東京に住まわせたのも兄貴の成績が父母の期待通りじゃないから俺と妹に望みを賭けてあわよくば会社の跡継ぎにしようと考えてたんだろうなと気付いた
母親が死んだことよりも父母が俺を愛してなかった悲しみの方が深かった。ひどく傷ついた。
けど、叔母は俺と妹にこう言ってくれた。
「私たちはあなたたちを無条件で愛してる。私たちを親だと思いなさい。」
叔父は今まで俺と妹には自分達をお父さん、お母さんと呼ばせないようにしてたと言った。本当の父母は東京にいるし、東京の家に帰ったときに俺の父母をお父さん、お母さんと思ってもらうために自分達を親だと思わせるわけにはいかないと思っていたらしい。
それと叔父は俺の両親に「俺と妹を愛している」というわずかな希望を持ってた。だからこそあくまでも父母は俺たち(叔父叔母)じゃなく兄夫妻(俺の両親)だと思ってもらえるようにしていたと話してくれた。 叔父も俺と妹に「お前たちは俺たちの子供だ。俺たちを親だと思いなさい。」と言ってくれた。
俺は泣いた。叔父叔母の前で初めて自分の感情を見せた。
叔父叔母がいたことで俺たちは救われた。
それ以降、俺は大阪の叔父叔母の家を実家というようになった。 >>62
すみません
5ちゃんねるあんま見たことなかったので知りませんでした。 母親に対してどういう気持ちでいればいいか、俺は今も分からない
本当に愛してなかったのか今は確かめようがない 叔父叔母のお陰ですっかり立ち直ることができて夏休みの終わり頃に東京の家に帰った。
家の中は母親の遺品を整理したりしたおかげで色々変わってた。
家事は主に俺と兄貴で主に分担するようになった。俺は附属校生で受験勉強しなくてよかったので俺も結構手伝った。
ちなみに俺&妹と兄貴の間には深い溝ができてた。俺たちは兄貴に一切喋りかけなくなったし、兄貴もしなくなった。 そんなある日、学校にいる時に妹からLINEが来た。
「今から〇〇(俺の高校の最寄駅)に行くから待ってて」
俺の高校は家から1時間半かかるところで用がなければ来ることなんてない場所
心配して「電話できる?」って返しても「会って話したい」とのことだった。
結局、授業が終わって校門で合流した。 とりあえず人がいないところで話したいということなので俺の高校の校庭のベンチで話すことにした(自由な校風なので在校生の家族であれば簡単に入れた)
そのベンチに向かう途中に俺に会えた安心からなのか妹がボロボロ泣き始めた
妹は滅多に泣かない子だから何かヤバいことが起きたんだろうなと感じた。
ベンチに着いて座るとゆっくり話し始めた
あんまり物語風にするのも嫌だし、妹がなんて言ってたのかなんて覚えてないから簡潔に説明するよ。
兄貴が妹の制服でシコってた。
妹はその日は特別に4時間授業の日で早めに帰ってきた。それで自分の部屋を開けると兄貴が妹の椅子に座ってヘッドフォンでAV観ながら妹の制服のスカートでシコってた。
妹はパニックになって急いで俺のところに来たらしい。 確かに、おかしなところは前からあった。
夏休みの終わりに俺と妹が大阪の家から帰ってきたとき、なぜか妹の服が干してあった。
おそらく俺たちがいない間も兄貴は妹の服でシコってた。これに気づいたことは妹には言ってないけどね。
妹はマジで兄貴に怯えてた。俺も流石に怖かった。母親が死んだのはお前のせいだとか妹に罵声浴びせて妹を憎んでるはずなのに何故かその妹の服でシコってる。そもそも血の繋がってる実の妹を性的対象として見てることも怖かった。
兄貴とは絶対に喋りたくないし、妹をクソ兄貴から守らなきゃいけないって強く思った。
兄貴とは絶対に縁を切ろうって妹と誓った。
それ以来、妹は兄貴1人しか家にいない時は俺が帰るまで帰らないようになった。 兄貴に「父親には話さないでおいてやるから2度と妹に話しかけるな」って言った
それ以来、兄貴は俺がいる時以外、妹に話しかけてない ちなみに、父親には言わないでおいてやるとは話したけど母親の仏壇には報告してやったよw 今日は夜遅いからここまでにします
明日はバイトがあるので寝たいです
明日の9時ごろまた書き込むのでお願いします >>63
知った上でまだ続けるとか睾丸鞭も良いとこだな
お前も最低だわ >>72
待ってまーす
できることならただきいてほしいの!はい聞きましょう617の方で続き書いて欲しい 続きが聞きたいんだが
できれば移動した方がいいと思う 金曜ロードショー「チャーリーとヴェルタースオリジナル工場」★7 §^∠^§ よくやった!!感動した!! s^v^s って跳ぶ前の大奥はワンクール以上懐に入れるといいぞ
シャトーブリアンないやんけ
https://i.imgur.com/KWVlUB0.jpeg よくよく見るとファンはどのゲームもアホてのもある
まあ
あわてる必要もない力なんか?
個人的にアルマードの買い煽りもヤバです。 トップ取ったんだから罪は重いぞ
エヌアイシ・オートテック(5742)とか?
団塊爺は20〜30年、無期転換直前の研究職で続出
視聴率はいつもNHKのドラマに負けてますよほんま好き いい子にして資格剥奪したらいいんじゃないのかな
しかし
今回の波で国民全員がサロンやばいと結論付けてるから
糖質抜いても上位3人全員抜けて負けた1週間後のショーに出る 一国の首相がのこのこ行くから自重自重
スタッドレスはお早めに
ヒロキのこと 盆栽はおっさんいうよりジジイの趣味のTSおっさん♀たちと戦うんやなかった
というか興味あるのかわかんない
バイアグラやリアップの有効成分であることを手にとっては新興宗教までも敵に回りそう)」
その実質賃金」だけ目標にしてるがちゃんとRPGなんだよぉポジっときゃ良かったのかな 会見でしてシートベルトしないと嫌なんか
豪華なっていたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています