少名彦という謎の神について
古代出雲王国時代(今(令和元年)から2679年前〜約700弱の間)、
王国は主王/オオナモチと副王/スクナヒコの二人の王により共同統治されていました。
東出雲(松江/大庭)を本拠とする富(トビ)王家(向王家とも、また、神魂家、出雲臣家等とも)
と、
西出雲の神門郡/出雲市周辺を本拠とした神門臣王家が並立して、
二王家の歴代当主がオオナモチとスクナヒコを持ち回りで就任していました。
、、、先代のオオナモチが崩御した後、両王家の次の当主の年長者がオオナモチに年少の当主がスクナヒコに就任する習わし(「出雲八重書き」=法律、しきたり、命令)
スクナヒコは若様、若殿様。位のニュアンスです。
職掌は多岐に渡り、軍事、警察、外交(言向け)、交易、等、統治の実務全般と言って差し支え内容だったようです。 >>4
いわゆる、大国主は歴代出雲王(オオナモチ)の事で、
とりわけ第8代オオナモチ で西出雲の神門臣王家当主の八千戈さまを指す事が多く、
事代主神やスクナヒコナ神、大物主神は同じく第8代スクナヒコで東出雲の富王家当主の八重波津身さまを指します。
お二方共に渡来人(秦国人)のテロにより拉致誘拐〜幽閉殺害(餓死)させられました。
(首魁は徐福。実行主犯は徐福の忠実な配下のホヒと子のヒナドリ=現出雲国造(元出雲王家が建てた出雲大社を横領した輩)の始祖)
八重波津身さまが幽閉殺害された現場が粟島の志都の洞窟。
スクナヒコナを粟島神と言う謂われがスクナヒコ(副王)の八重波津身さまが粟島で亡くなったことにあります。 >>8
>>8
出雲王国のスクナヒコ(副王)の職掌は多岐に渡り、
軍事警察権を総覧なさり、外交、渉外、交易を管掌なさる。
実質的な王国の統治権を管掌なさっていたようです?
殊に、豪族との外交で威圧、威力に頼まず、
話し合いにより言向けなさった事から言代主(ことしろぬし)等とも。 別天津神は別の宇宙にいる神、別の宇宙の宇宙人
スクナヒコナは別天津神の子
小人の宇宙人だよ >>12
宿祢/スクネ。
は、徐福(ホアカリを自称)が出雲王国でヤラカシタ?クーデターが失敗して母国(秦)ににげかえり、
秦の始皇帝を舌先三寸で再度、詐欺して三千人の童男童女やあらゆる職工技能者、家族一族らと共に二度目の渡来を果たし、
徐福はニギハヤヒを自称し、
佐賀の吉野ヶ里に定住化して勢力を拡大して
やがて国を建てて、秦国人が築いた国。との自負から「築秦国」と号しました。
これが後に筑紫国に変化。
彼らがいわゆる物部氏/族。
で、宿祢/スクネは物部王家の重臣の称号。 >>6
ほほー、随分と詳しいね。
それらの記事は、何という文書に記録されているの?
出雲の神門臣王家・富王家の子孫が所蔵する文書に記載なの?
そうなら『東日流外三郡誌』を公表された和田喜八郎氏に倣い
是非公表をお願いしたいね。
まさか>>6氏の脳内保管とかじゃないよね? >>1
少名彦?浅学粗忽クンなのか?
この民俗・神話学板は、学問板なんだから
スレタイ表記ぐらいは正しく書いてもらいたい。
代表的古典での表記は、以下だよ。
『古事記』−−−−ーー少名毘古那
『日本書紀』−−−−ー少彦名命
『出雲国風土記』ーーー須久奈比古命 >>11
>別天津神は別の宇宙にいる神、別の宇宙の宇宙人
>スクナヒコナは別天津神の子・・・・・・・・・・・・・・・
ほほう、スクナヒコナは別天津神(ことあまつかみ)の子?
別天津神は5柱の神々の総称なんだが、5柱のどの神の子だと
おっしゃるのか?
因みに『記』では神産巣日の子、『紀』では高皇産霊の子と
されているんだがねえ。貴方の説の出典は、何なの?
ところで別天津神は、「神」なの?宇宙「人」なの? >>1
スクナヒコナとオオナムチの関係推論が以下に有
「知ってびっくり!古代日本史と縄文語の謎に迫る」大山元 きこ書房 2001.7
「古代史料に見る縄文伝承 縄文とアイヌの関係を学際的見地から分析」大山元 きこ書房 2002.6 「たなまたからくきいでる」
は、「指の間から出るようなクソガキ」と言う表現らしいのだが、
北欧神話のアウルゲルミルは脇と足指の間から巨人をひりだしてるんだよな。 >>20
『記』で神産巣日の子とされる少彦名は朝鮮半島から
出雲稲佐浜に漂着した渡来神?
少彦名命登場
ttp://mb1527.thick.jp/sukunahikona.html >>27
大国主に少彦名が神産巣日の子と教えた久延毘古を祀る
久延彦神社が出雲でなく大和国桜井市に坐すのは何故? >>27
大国主・少彦名の協力国土開発伝承のある西日本の神社一覧?
大国主命の国土開拓
ttp://mb1527.thick.jp/N3-06-3ookuninusi.html >>27
『記』ではスクナビコナは海の彼方の「常世」から来たとされる。
常春や常夏は字義通りで理解できるが「常世」とはどんな処なのか?
『記』『紀』だと神々の住まうのは天上の「高天原」ではないのか? >>20
少彦名命は恵比寿さま説発見
10 :2:04/05/13 18:03
・・・・・ちなみに私の中では
大黒さま=大己貴命
恵比寿さま=少彦名命・・・・・・・・・・
【大物主命】 八百万の神々の首領 【大国主命?】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1084294954/10- >>25
ご祭神の少彦名の名を冠した神社も長岡市神田町にあります。
少彦名神社(新潟県長岡市) 2021-09-08
ttps://ameblo.jp/royalbarleytea/entry-12691272658.html >>32
同じ長岡市の気比宮の気比神社にも祀られています。
気比神社 御祭神:足仲彦尊,猿田彦命,少彦名命 他 三島郡旧氣比宮(きいのみや)村字長村 2009.11.28
http://www.niigata-u.com/files/ngt2004/040322e1.html >>30
能登半島の突端海べり珠洲市若山町経念に坐す明治以前は気多大明神と
呼ばれていた古麻志比古神社にも境内社少名彦社がざします。
すげ替えられた祭神「日子坐主命」と「古麻志比古神社」 2021/05/01
ttps://jp248.exblog.jp/28572782/ >>20
少彦名言及文献が先々月発刊されました
『古代氏族の研究18 鴨氏・服部氏 少彦名神の後裔諸族』 宝賀寿男 青垣出版 2021.11.26刊 >>18
『記』孝元天皇段に息男として大毘古命や少名日子建猪心の名があるが
この少名日子は何者なのだろう? >>29
「大国主神は、または大物主神、または国作大己貴命(くにづくりのおおなむちのみこと)、
または蘆原醜男(あしはらのしこお)、または八千戈神(やちほこのかみ)・・・・・・」
−−− 『日本書紀』神代「第六の一書」 少彦名命と神農を同一視して祭る神社も多いからね
出雲市っとの関連とかを見ても興味深いかもね? >>29
少彦名命伝承は山陰、四国、北陸地方に偏在なのか?
W少彦名命の名前が登場するのは記紀以外には主に山陰、四国、北陸の地方伝承である・・・W
「石の宝殿」のレイライン「益田岩船」とのつながりから垣間見る海洋豪族の不思議 2019/06/28
ttps://www.historyjp.com/article/287/ >>40
医療と農耕の術を司るとされる中国神話の神農と
同一視して祭る神社と言われるのは出雲市の
何という神社のことですか? >>29
大国主・少彦名協力による国土開発伝承は
西日本だけでなく越地方にもあります
大国主命の越八口平定伝承
ttp://mb1527.thick.jp/N3-06-1kositouitu.html 桜井市忍阪に坐す大和國城上郡式内社の忍坂坐生根神社の
御祭神は少彦名とされ本殿はなく磐座をご神体として祀る
なお社名は「おしさか」で地名は「おっさか」 >>12
大伴宿禰古麻呂などの天武朝で制定された八色の姓の一つ「宿禰(すくね)」とは
元来はどういう意味の大和語なの? >>37
少彦名命は奈良市漢国町の式内社漢國神社でも大物主命・大己貴命と
ともに祀られています >>34
少彦名命は能登羽咋郡旧稗造村字阿川の村社三像神社では
武甕槌命とともに祀られています
8石川県の鹿島神社 >>34
少彦名命は能登羽咋郡旧稗造村字阿川の村社三像神社では
武甕槌命とともに祀られています
8石川県の鹿島神社 >>41
西日本以外の常陸国那賀郡の式内社酒列磯前(さかつらいそさき)神社が
少彦名命を主祭神としております。
なお那珂川対岸の式内社大洗磯前(おおあらいいそさき)神社が大己貴命を
主祭神としております。 >>40
『大倭神社註進状』に拠れば少彦名は別名韓神とも >>29
近江国坂田郡式内社日撫(ひなで)神社の御祭神は
少彦名命・応神天皇・息長宿禰命。
息長宿禰命は神功皇后の父で息長宿禰王とも >>40
出雲市の隣り斐川町の東端大黒山の山頂には巨岩があり
岩上から眼下の出雲平野をオオクニヌシとスクナビコナが
眺めたという伝承があり近くには祀る兵主社も坐します >>54
この大黒山山頂の兵主神社のことか?
近畿地方の兵主神社と違いヒョウヅと濁るんだね
兵主(ヒョウヅ)神社 御祭神:大国主神・少彦名命・大山祇命・事代主命 島根県出雲市斐川町学頭
http://kunitama.jp/kameisya/s719_hyozu