発狂輪廻ゲロ非アートマン
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
艦隊緊急行ったがまた早押し厨と一緒になってグダグダだった
三人くらい即座に破棄して人数ばらける 最後のステージ、近接職の人がやりにくそうだった
俺は安定のファントムロッド ダメージの数字見ていたが俺以外の人あまり火力出てなかった
UHではもう少し盛ってくれ! 相手ほとんど閃機種だからギメギドで安定して高火力出せるのがロッドの強み 以前の俺は他人の火力が低くてもあまり不満なかったが最近人が減ってるからな UH帯でもユニットにほとんど火力盛らない人をよく見かける 俺は必死にゆりかご回って金をつぎこみまくりもうすぐ一部位400に届く 三部位で1000越えていれば合格ライン
三部位で200以下というのはちょっとな 2人とか3人でUH回ることが増えた
ほんまに過疎過疎 pso2でストレスをためて仏教書を読んで瞑想、というのをしばらく続けるか
煩悩まみれで笑う気も起きない 艦隊緊急で早押し厨が珍しく床ペロしまくっていた
8人向けのクエなのに3人で行ったからな 3人、4人、3人、か
ステージによってメンツが変わった >>24
いいね!のパターン
・nice
.・awesome
・cool
・sounds good
・why not
・great ファントムのステルステックでソダムの白いゲロ回避可能だった
試した甲斐がある トランスパーソナル心理学の本を昔よく読んでいた
あれってアメリカのLSDブームを引き金にしたものだよな 麻薬で覚醒体験をして、なんだ、人間って個人の意識を超えることができるじゃないかと
考えた若者が多くいたということ ニューエイジ思想はおおむね俺の中では「癒し系」で片付く 癒し系は別に否定しない
それ自体に痛みを和らげるだけだが良い効能はある 激震また上位入った
ソロだとだるいが攻略法は身に付いた >>43
連投規制に引っ掛かり続けて20年以上になる俺にそれを言いますか ゆりかごトリガーに参加しようと思ったらすでに少人数で始めていた チャレンジクエスト決断のせいでストレスがひどくて胃の神経に来ている 一番最初の武器が出る前のエリア
あそこが鬼門
何度もやらされるからストレスが尋常ではない 狼と猿をひたすら素手で殴り殺すだけの作業を続ける
別にそれだけならいいんだけども 普段ならボタン適当に押すだけで消えてくれる雑魚にここまで苦戦するというのがな なぜソロのときは難度を下げてくれない?
ここの運営はほんまにあほやで ネトゲーだからみんなで遊ぶのが当たり前?
人いないときでもか 人がいない状態というのを想定できないんだよなセガの運営は 常設のメインコンテンツであるはずのバスタークエストも今やだれもやっていない
理由はだるいからだ ともかく決断のストレスで胃に来ている
神経が悲鳴をあげている 狼と猿を延々と素手で殴り殺し続ける
狼は動きが気持ち悪く攻撃をよけにくい 刀とテッセンが揃うまで延々と続けて、そろってもクソ猿の雪玉に当たるとブチ切れて即リセット ストレスの要因は狼と猿だけではない
VRエネルギーの減りが速すぎる
速攻で敵を片づけないと先に進めない
そこへ猿の雪玉が飛んでくる 一度床ペロすると最初からやりなおし
移動手段もないからのろのろ徒歩で戻る ある意味、ツクールのクソゲー、虚無ゲーよりもストレスがたまる ツクールの虚無ゲーは強烈でもうやりたいと思わないがな 決断やっていると愚痴以外何もうかばねえ
愚痴だけに集中できる ちなみに愚痴も仏教用語ですねえ
浅はかで道理に暗いという意味 悟りを開いた状態でゲームをやると、このような愚痴も一切湧いてこないのか イライラをどうにかしたくて仏教書を読むというのは浅薄の極致だろうが 激震・・・かなりだるいが安定してクリア可能
決断・・・だるい、面白くない、やりたくない、クリア不能
始動・・・クリアできないがまあまあ遊べる こんな糞クエでも毎週数十人は報酬のためにやっている 参加するだけで最低でも50位には入るから報酬はもらえる 惑星はそれ自体が巨大なエネルギー体でもあるから
共鳴はしているだろう 細菌それ自体は個々に不規則に動くが集団としてみると振動が同期されているという
現象が観測されている 振動の同期というのはおそらくパースのいう数字の自己訂正能力に関係している 様々なものは同期のズレを解消すべく動いているという説もある >固有振動の具体例は?
机や楽器を指で叩くと誰でも同じ音が出せるはずです。
物体は誰がどんな風に叩いても同じ高さの音が出ますが、
それは物体がそれぞれ決まった周波数で振動しているからです。
このような物体ごとの決まった振動を「固有振動」、
その周波数(1秒間の振動回数)を「固有振動数」と言います 本来、暗黙で数を合わせるのは好ましくないのだが
このランキングだけは他プレイヤーのやり方に従う その代わり空気読まずにだんとつ一位稼ぐ奴が出てきても文句は言わない 問題は運ではなく稼ぐ気があれば稼げるからランキングとして不適切なのである 日本版では露骨に談合していて空気読まないやつに文句付けるらしいからな
この辺はいやらしい 実力と運で競うならありだと思うけど確定で稼ぐ方法があるからなあ
これは運営のミス まっとうに実力で競い合えるのはタイムアタックのみ
マイルーム訪問数とレアコンテナは不正ではないにせよ変な稼ぎ方ができてしまう 無くせといいたいけど移植パスもらえるからいい辛い
浅薄! 大乗仏教から入ると混乱するから俺はバラモン教から入る 日本の仏教にも荒行をやるところもあるが基本的に穏やかなイメージがある 日本の仏教は儒教の和と結びついており輪廻の解脱を目的としない
やわらかい利他行が基本となる もともと儒教と仏教の融合を考えた聖徳太子の精神として知られている ヒンドゥー教というのはバラモン教と土着の民間信仰が結びついたもので
地域によって形態がまったく違う カーストに忠実で輪廻を信じている人もいればそんなもん無関係の人もいる 多神教だからどの神様を信仰しているかによって考え方もまちまちである 密教や神智学に出てくるコーザル体について調べていた より高度な抽象領域における振動数を決定付けているのか コーザルの次元では人と惑星はおそらく密接に共鳴しているな 道教には丹田というのがあるが、清代以降これにもヨガのチャクラ概念が取り入れられている 道教もまたタオとの同一を目指して体内で気を練るという方法
わりとヨガに近しい部分がある >内丹術は、行気・導引・存思・胎息などの伝統的な道教の身体技法に着想を得て、
人体に内在する根源的生命力である「気」を凝集・活性化し、
身心をあるべき様態に戻そうとする修行体系である。
人間は「道」の一部を内包しており、道は日常的身体において気として
損なわれる途上にあってその本来性は失われていないとして、
修煉を積むことで回復を目指す オウム真理教の母体はオウム神仙の会という名称だった
古代中国の仙人思想も取り入れていた 麻原はチベットで最終解脱を果たしたといわれている
実際にインドやチベットで修行を繰り返していたのは事実である
超越的な体験も何度もしていたようだ オウムは仏教、バラモン教、ヒンドゥー、キリスト教、仙人思想、日本のアニメ、オカルト
いろんなものが混じっている 雑多でどこか珍妙な感じがあって当時はギャグにしか思えなかった それが国家転覆を狙ったテロ行為に至るというのだからビビる 新興宗教が絶対主義化して国家にたてつくようになるというのは当時意味が分からなかった 国家の庇護下で自由に宗教できるのだからたてつく意味が分からない つまり日本の自由主義はあらゆる政治的権力からの自由も意味していたということ シュレーディンガーの量子力学とヴェーダは関係が深いことで有名 ミクロとマクロが連動しているという発想はヴェーダから学んだだろう シャンカラは新しい思想を確立したわけではなくウパニシャッドの精髄を抽出した ウパニシャッドは哲学の寄せ集めだから終始一貫した主張をもっているわけでもない レアコンテナランキングの調整をしている
かなり胃が痛い 一つでも超過したら「空気読めないやつ」になる
これが嫌すぎる 今何個かわからねえ
集計のタイミングがTAより遅い 複数並んだ一位の個数が暗に主張している
「これ超えたらあかんで?」と 移植パスがもらえる代償として毎週この苦しみを受けることになった 空気など知るかボケ、と断トツで一位かっさらうことも簡単に出来るが しかしランキングに興味のない人が知らず知らずに赤コンテナ空けまくって
一位を「取ってしまう」こともあるのかもしれない 欲を出さずにほどほどであきらめればこのストレスから解放されるのに 移植パスがかかっているともうだめだな
移植パスにこれまでずっと飢えていた 走破演習東京、ずっと10位圏内にいたが締め切り間際に落とされた 移植パス週に250枚というのは今までありえなかったな
月に50枚くらいがデフォ 今まで参加していなかった初心者層があらたに加わって若干競争が激しくなってきている
さすがに報酬が移植パスではな 俺は5000時間超えてもまだ初心者気分が残っている 廃人の領域に入るには20000時間クラスでないとあかん 新たに加わった初心者層はさすがにタイムが遅い
まだ追い抜かれる心配ないが急に上手くなる人おるからな 一日20時間とか繰り返して、ストレスと疲労で意識混濁してやばいときもあった アクションゲームの上手い人なら俺の数十倍の速さで上達するだろう シャンカラのブラフマスートラ注解を買おうと思ったが上下巻で4万円こえてら
さすがに手が出ない https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B9_(%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6)
>基本的にマナスは、メンタル体とコーザル体に大別される。
メンタル体は、肉体(およびエーテル体)やアストラル体と一体であり、
パーソナリティー(低位我、人格)を構成する。このように、
メンタル体と様々な身体が一体だからこそ、
人間は意識的活動が出来るのである。しかし、一般的な人々の意識は
アストラル体が優勢であるという。
コーザル体は、霊的魂であるブッディと結合しており、ブッディの
代役しているため、魂体と呼ばれる事がある。
また、最終的にコーザル体は、理性(ブッディ)と知性(メンタル体)の
架け橋となるものである。
しかし、マナスの性質には3つの様相がある。
低位マインド。具体マインドとも呼ばれており、合理的思考の原理である。
自我(英: ego)。これは魂であり、知性の原理である。
高位マインド。抽象マインドとも呼ばれる。先述したとおり、
理性と知性の架け橋がこれである。
これら3つの様相には断絶があり、教育や瞑想はこの断絶に橋を架ける事であるという ニューエイジブームのころの神智学は興味あったが、元ネタをたどると
興ざめした 科学の台頭により追いやられてたオカルト要素を申し訳程度に組み込むのはどうもな 日本のオカルトVS科学という対立構図はくだらないブームだった
アメリカのニューサイエンス運動から来たもの 80年代以降のブームの中で俺の感性は培われている
くだらないと思いつつ、そこから抜け出せなかった くだらなさの真っただ中、1984年にオウム真理教の母体であるオウム神仙の会は結成された 自分がヒッピーブームのころのアメリカで仮に生まれていたらたぶん麻薬にやられて
逝ってしまっただろう 依存物を好きなように扱えることを自由だとアメリカに思い込まされてきた 運営よ、今からでもいい
旧のミッションバッジを手にれる方法を追加しろ 能力追加用のマナレヴリーをてに入れる方法がない
ミッションバッジの入手経路を絶たれているからだ
それなのにリサイクルショップにはマナレヴリーがいつまでも置いてある ただでさえティアが削除されてイラついてるのに追い打ちをかけやがって 移植パスを使うときにマナレヴリーがあると火力を底上げできる 素材買うときにマナレヴリーついているやつを選ぶとメセタが数億単位で跳ね上がる ただでさえ良質の素材を売っている人が減っているのにどうやって揃えろと? 日本版だったら今頃全キャラ楽々最強構成になっている このゲームは自称健常者なら速攻で逃げ出すだろうが俺のようなキチガイは一生遊んでいられる よくもまあ世界に向けてこんなキチガイゲームを配信したものだよ ダクソシリーズにも嵌ったがあれは完成度が高いがゆえに一定の満足に達したら
やめてしまう pso2は永久に満足することがない
あまりにも変な要素が多くて イライラに耐えながらわずかばかりの火力アップを夢見て
同じことを繰り返し続ける クリッカー系の数字が増え続けるタイプのもたくさんやったがもうやらん クリッカーヒーローズは一万時間以上やっていた
放置ゲーだからほとんど触ってねえけど まともなゲームやインフレ系の手抜きゲーはもうやらん エントロピーの見地からみると生命は宇宙の熱死に抗っているだけの存在といえるらしい 自然から抵抗するための秩序を取り出し自分のものにする
それを「奪う」と考えることもできるが 人間の考えるような秩序や無秩序というのは自然には存在しないのかもしれない 誤解を恐れず適当にいうと、秩序から無秩序へ向かうことをエントロピーが増大するという 人間の脳もこのエントロピー増大状態を解消するために睡眠が必要だとされる 悟りを開いた釈迦が睡眠を必要としなくなった(といわれている)のは
釈迦の脳が何か秩序や無秩序を越えた状態に達したからなのか 人間は集中して秩序立った思考を続けようとしても数分しか続けることができない おそらくなにか間違ったエネルギーで集中しているに違いない それは感情に用いるべきエネルギーを抽象領域に回すことから起こるのか 絶対主義やカルト性の強い宗教は俺は危険だとかまったく思わない 俺がその手のものに親和性の高い蠍座人間だからである 文化相対主義者のいうことを聞いているともっともだな、とはよく思った >文化相対主義(Cultural Relativism)は、すべての文化は対等であり、
外から見た価値観によって優劣をつけられるもののではないという思想である。
ある文化で正しいとされることが、別の文化では間違っているとされることがある これは実際にその通りだが、こういった理屈を俺の感情は受け入れない 文化それぞれに歴史があって先人の苦労があるという意味では対等である 真理から遠ざかってるな、と思うものは劣っていると判断する 人間の根本性質である愛憎を越えられる可能性があるもの 最近ゴキブリを殺していない
よく出てくるが完全に無視している
別にしつこいとは思わない コバエも蟻も殺さなくなった
蚊も殺していない
ただムカデは殺してしまう
ムカデの不快感にはどうしても勝てない 無意識に小さな虫をつぶしたり踏んでしまったりはしているかもしれない 意識的に「不快なだけ」で殺すのはなるべく控えるようにしている
これはすべて自分のために はっきりいうと不快というのは自分からしか芽生えない 自分がいなければムカデが出ようがゴキブリが出ようがなんとも思わないだろう 7月は非アートマンの区別がつかなくなる理由を考察しようと思う ホッブズさん、デカルト先生、本を放置したままですみません グルジェフの思想を見ているとここにも振動が出てくる グルジェフは世界を絶対から絶対へ向かう創造の運動として表現したらしいが 絶対の1を3で分割すると0.333333333333333...........というふうに
永久に答えにたどり着くことができない
これは被造物の宿命といえるもので創造者には到達できない グルジェフの水素論では分割が進むほど振動の密度が下がり物質の密度が高くなる エニアグラムでいうと3、6、9をむすぶ三角形が3の法則の部分にあたる あらゆる物事には進展の法則があるように見えるが必ず不連続を含む
このことをあらわしたのが7の法則である 分割の数というのは法則の数である
地球は48の法則に分割されている グルジェフの思想に興味があって調べていた時期もあるが
さっぱり分からんのであきらめていた 地球の意識は48に支配されており
全惑星を意味する24の法則へ上昇するには
精神を進化させないといけないらしい 絶対から始まる下降オクターブの法則に支配されていると
必ず意思は停滞するようになっている 宇宙の熱死にあらがうのが生命の宿命だが粗雑な元素である肉体は
抗いきれない グルジェフは各地を遍歴しながら宗教や秘術を調べて回ったらしい
チベットにももちろん赴いている グルジェフはあらゆる宗教を必要としなくても下降オクターブの支配から
脱する方法を知っていたらしいが1人では不可能だともいっている 地球の日常は太陽への依存が非常に強い
ほとんどこれに頼り切っている フレンドがたまにNGSに俺を誘導しようと声かけてくる
俺は自分がNGS嫌いであることは一言もフレンドに言わない NGSもいちおうレベルカンストしてあるが装備は意図的に悲惨なものをつけている
これを見ると上級者はドン引きするだろう 武器につける特殊能力も悲惨である
以前、期間限定で配布されていた「期間限定エネミーだけに有効な」能力
をつけている ネトゲーはそんなものだ
期間限定でも効率がよくなるならみんな飛びつく NGSでは戦闘エリアに入っている人数の分だけ敵のHPが増えるという仕様があり
このことから基準に達していないプレイヤーに文句を言うやつもいる 俺はNGSが嫌いだが楽しんでいるプレイヤーに迷惑はかけたくないので
マルチには行かないようにしている 何もかもがくだらなくて苦痛なんだがNGSもやらないといけない 昔のポータブル時代の曲なのか
pso2では初音ミク版のコンサートがよくあった 歌詞はよくわからんがたぶん宇宙が何度輪廻しても私を見つけ出して、みたいな歌 アークスが宇宙をまもるために何度も身をささげてきたことはアカシックレコードに記述されているぞ アークスはたまに船ごと誘拐されて100万人単位でダーカーに大虐殺されている そして虐殺のあとの粉砕された船の残骸が闇のゆりかごの舞台となっている
俺は虐殺の跡をずっと回っているわけだ 何度も宇宙を救っているのになんでまた虐殺されるんや! 愛を求める限り憎もついてまわり苦しむぞ
輪廻してもそれは変わらない イエスはぶどうの木でそれを信じるものは良いぶどうの果実を実らせる
つまり木とつながっていなければ実はならない 愛欲に苦しむ人はより大きなつながりを欲して教会へ祈りにいった 小さな願いが集まると大きな祈りの力になるか?
いいえ、争いが起こるだけです 冥王星のカルマ、火星の闘争心が土星によって現実化です 習慣によって偏りのある個我が形成されるように仕組まれたのだ 魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ アニメを見ていてトランス状態になったことが過去に何度かある 意識の覚醒状態ではなく意識のリズムがアニメと同期したことによる イメージの対象を無数に動かすアニメでは覚醒に至らない そもそもアニメで覚醒という発想は天界から認められていない アニメを見ているときには確かに精神的支柱といえる存在はあった しかしそれは時代に左右される脆いものであると知った 魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ カトリックにとって教会はぶどうの木だった
しかしプロテスタントはそう思っていない 魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ 習慣によって偏りのある個我が形成されるように仕組まれたのだ
これが48の法則の一つ・・・ AISだからたぶん配信されても一回しかやらんだろうが 仏教が難しいのは発想の根幹がヴェーダから来ているからだ 古代インドの哲学はおおむねヴェーダ聖典を絶対的なものとして構築されてきた
しかし当のヴェーダには矛盾した記述が多かったという 一元論から二元が生じるのはまず矛盾だが
これはグルジェフの世界観にも見られる
そもそも人間が考える矛盾とは程度が知れている 絶対に分割可能なはずのものから分割されたかのようなものが生まれる
これは神話にもよく見られる 自己矛盾の解消の仕方をよく人間は屁理屈によって考える 創造の運動は絶対から絶対への移動でありそこへ屁理屈の入り込む余地など無いのかもしれない 脆い支柱はぶどうの木か?
良い実がならないぞ、気を付けろサマナー諸君
ぶどうの木を探せよサマナー諸君 人が集まると必ず利権がからんで屁理屈で自己正当化をやらかすんだ 人間は屁理屈で自己正当化を繰り返す不浄な肉の塊だぞ
ぶどうの木を探せよ 魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ ウパニシャッドにみられる一元論の矛盾を克服するような二元論の哲学が
サーンキヤ学派の特徴らしい
まずこっちの本を読んでからアドヴァイタを学ぶか 矛盾があろうがなかろうが一元論は絶対だと決まっている 絶対の前に矛盾は存在しない
これ、完全にご都合主義に思うこともあるけど だって考えてみなさいよ絶対でありあらゆるものをその内に含むならば
ありとあらゆる矛盾も内包できることになる
その上で絶対なのである 魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ
魂は上昇しないぞ ありとあらゆる観念的解釈をゆるした戦後日本の自由主義のならわしにのっとり
この俺もまた屁理屈による自己正当化のための解釈を繰り返すしょぞんでありますアーメン このことはまた2chのしきたりでもありますがゆえ皆様におかれましても
じゅうじゅうご承知いただくよう心より願いもうしあげます 仏教の禁欲の厳しさを鑑みて性欲処理はどうするのだろうと思いながら
アニメの絵を見てオナニーをしている俺のような人間はまことにひどいありさまですねザーメン なんかすげえ失礼なプレイヤーがいたから無視してやった 英語がよく読めなかったがおそらく「パーティから出て行ってくれない?」みたいなこと言われた パーティメーカー設置してあったから入ったんだが先約がいたらしい
だったら先に言えや 誰でも入れる状況を作っておいて出て行けというのはかなり失礼な行為にあたる 失礼なやつはたくさんいるからいちいち悪意を向けているときりがない 俺も大概むちゃくちゃな性格だがそういう根本的なところは守る しまった、今日メンテの日か・・・
やり残しが消化できてないな ナベリウス上級と初級のTA、なかなかタイムが縮まらない そもそも読書して瞑想した程度で悟りを開くことができないということはアホの俺でも分かる 気に入った文章を5千万回繰り返し読めばトランス状態には入れるかもしれない 釈迦はバラモン教を全面的に批判したわけではなく伝統は引き継いでいる もともとのバラモン教は文字として残すことは許されずすべて発音の暗記で伝承されていた
これはブラフマンが音の言葉そのものであるという思想から来ている ヴェーダ語そのものに神聖さが付与されていたということ
釈迦もまた書き記して残すこと認めなかった
しかしヴェーダ語だけではなく学ぶ者の母国語を使うことは許していた バラモンの固定した考え方に疑念を持つ自由思想家たちが登場するのだが
この人たちのことをシュラマナと呼ぶ インドでは最後の母音の発音は省略される風習がありシュラマナはシュラマンになる
中国では沙門(しゃもん)と訳された
これが麻原の言う「サマナ」につながる(多分) 調べたら違っていた
シュラマナをパーリ語でサマナというのか オウムの場合は出家信者のことを指す
オウムは出家信者にはシビアで、無償の労役のようなことや法外な裏ワークをやらせていた 例えば畳一畳分の狭い部屋に閉じ込められて鍵をかけられる
そしてモニターから麻原の説教が24時間にわたって流される 信者のやりたくないことをひたすらやらされるという修行もある チベット仏教の荒行に、仮死状態になるまで断食状態で瞑想するというのがある カルマ落としと称される逆さ吊りの苦行は言うことを聞かない信者に対する
リンチとしても用いられていた サブリミナルによる映像修行もある
これは洗脳といってもいい 解脱ではなく逸脱だろ?と言いたくなるような修行をやらせていた さあ全力で逸脱するぞ
修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ
そして逸脱するぞ 全力で逸脱だ それがグルに対する帰依だ いいね? オウム真理教の後継団体であるアレフは今でもある
上祐はアレフから分裂してひかりの輪という団体をたちあげた
これはカルト宗教ではない しかしアレフの中には未だに熱心な麻原信者がいるといわれる 幹部が処刑されたとてこの問題は決して終わることはない 俺はせいぜい読書をして瞑想し逸脱するだけの個人宗教しかやらない 修行はイライラしたときに読書をして瞑想するだけでよい この神様はイライラしたときに読書と瞑想をする人間皆に平等である イライラ高原のドクショメイソウ人の神話をルーツに持つ
いやどこだよ この戦い覚えてるわ
敵が変なアーム一つしか持ってないのになぜここまで自信あるのか
あまりの糞バトルで印象に残っている このアニメ自体がネタとして変なもてはやされかたをしていた 冨樫義博のパクリとしてよくたたかれていた原作者だが
オリジナリティは充分にあった 冨樫イズムには見られない独特の感じがあったのは確か メルヘヴンを毎週欠かさず見ていたときの俺は何だったんだ クリアでさわやかなお茶とは正反対の独特の濁りと渋みのあるお茶 よく知らないけどもともとのお茶はこういうものだったんじゃないかな ヴェーダの絶対的な権威を認める六つの派閥が正統派とされている その中でも祭祀の重要性を一番に説くミーマーンサー学派がもっとも正統的に近いとされる バイシェーシカ学派は徹底した属性分類の研究
いわばバラモン教のアリストテレス的立場 俺が興味あるのはサーンキヤ学派とヴェーダーンタ学派(のアドヴァイタ) あとはヨーガ学派とニヤーヤ学派で六派
ニヤーヤは知識や論理面の補強 正統派バラモン教六派哲学
サーンキヤ
ヨーガ
バイシェーシカ
ニヤーヤ
ミーマーンサー
ヴェーダーンタ ジャイナ教はヴェーダを権威としないので正統派とは認められていないらしい ミーマーンサーは言葉の永遠性こそが重要であり絶対神を否定する立場らしいが
こうなると他の哲学と矛盾するのか 祭式の言葉で神々さえも操れると考えるいかにも祭式万能のバラモン教らしい思想 ライプニッツが矛盾する哲学の調停者を演じたようにヴェーダでもまた
矛盾解消のための思想があとから形成されてゆく ニヤーヤの聖典はすぐにマイナーになってかわりにタットヴァ・チンターマニというのが
出てきたらしい
経緯はまったく知らない チンターマニというのはチンタマみたいでふざけた名前だが
チンターは知識の意味、マニは宝珠のようなニュアンスである 知識を自在にあやつる解脱論みたいな感じの思想か
これもまったく知らない ニヤーヤはどうも仏教を敵視しているな
考え方が根幹から違うのか 苦を滅する、ということの意味を苦を生起させる者の消滅と解釈する論者を敵視しているらしい
つまりニヤーヤにとって釈迦も論破すべき間違った相手となる 認識対象が12あるうちのアートマンと解脱を除いた10種類からの離別 苦しみを根本から断つ、の意味は釈迦が言ってることもまったく理解できないし
ニヤーヤも意味不明である 釈迦はどちらかというと苦しみ一般すべてを含めた感じのことを言っている
限定していない カルマの影響力がどこまで及ぶのかについても学派や時代によって解釈がまるで違う 人間の行為の結果としてカルマをとらえない哲学者もいる
自然発生的で不可知な何か、など 行為主体は身体と結びつくので非アートマン(シャンカラ) 仏教のむつかしさはヴェーダから来ているのは間違いない どの知識がどの実践に必要か?を知るための知識もいる 苦しみからの解脱、利他行、読経、などの単純なイメージの背後に
超難解な哲学が隠れている だから執着を根本から断つだの、苦しみからの解脱だの、どうやるんだよという
生半可じゃないぞ お経唱えるだけで極楽浄土にいけるという横着な教えもあるが 7月は難敵ヴェーダに少しだけ挑んで、あとは仏教の本を読もう 大乗は自分だけではなくすべての人の救済が目的であることから
利他行という体裁を持たざるを得ない 自分を捨てて他人の利益になることをやれ?
サービスみたいなもの? 楽しいときの記憶というのはすぐに忘れていく
逆に辛いときの記憶はずっと残り続ける 自分の感覚としては、楽しいことというのは自分を原因としていない
誰かに与えてもらったもの
苦痛は逆に自分の内から沸き起こる 神経学的には快や不快というのは欲求とは別のメカニズムとして働いているらしい 宗教でも生の苦痛からの解脱ではなく生の幸福追求を肯定するものもある 中国は共産党が無宗教を旨としているため特定の世界宗教以外の宗教的行為に
制限がかけられる形となっている 道教、儒教、仏教はある程度広まっている
中国人の多くはなんらかの形で道教や民間宗教を生活に取り入れている
中国人の幸福追及スタイルは主に道教だろうと思う ゾロアスター教は幸福や苦難以前の問題として善と悪の対立がある
この対立に決着がつくまで真の世界は始まらない 今週も激震頑張った
VRエネルギーパーフェクトでクリア
しばらく一位キープできる 一番やりたくないのが決断
これは本当につらい
仏教の修行のつもりで挑むしかない 激震はソロでやるとステージ4のボス討伐が無理ゲー
時間が来たら勝手にクリアだから放置でもいいんだが 空海はラーマーヌジャに直接影響を受けたと思っていたがどうやら違うようだ でも密教の基本思想ってラーマーヌジャの提唱したものと酷似している あらゆるものは神の様態が変化したものである、という思想 最高位であるバラモン階級の人々がなぜ乞食をしていたのかということとセットで覚えるべし バラモン階級は生涯のすべての時間が修行のようなものだから 歳をとるごとにだんだん濃い味付けのものが苦手になってきている 物を食べるのが楽しみというのは問題がある
食べるのは身体維持のためだけでいい 親が子供に偏った愛情しか注げず、食べ物を与えることで代替してきた場合
子供は肥満になるケースが多いといわれている
肥満体質というのは子供の頃に決まる 食べることが愛の代替行為だったら愛欲が強いほどそうなるだろう 海外の肥満の特集を見ていたが
食べることと無気力をずっと繰り返していた 無から有が生まれたという宇宙論?世界観はおれは一切受け付けない >ウッダーラカ・アールニの思想は「有(う)の哲学」として著名であり、
『サーマ・ヴェーダ』の奥義書『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』の6章に、
わが子シュヴェータケートゥへ向けたメッセージというかたちで記載された
教えが特に知られている。
それによれば、宇宙のはじまりは当初「有」のみであったが、
「有」は火・水・食物を創造し、そのなかへアートマン(真我)として入り込み、
3者を混合して名称 n?ma および形態 r?pa となって運動を繰り広げることとなった。
人の死は、このプロセスを逆にたどって「有」に帰ることであるとした。
後世の思想家にきわめて大きな影響と問題意識をのこし、
仏教における「無」の思想もウッダーラカ・アールニの思想から多大の示唆を得ている アールニはウパニシャッド初期に大活躍する哲学者である こういった清掃はカースト外の不可触民の仕事とされてきた
だから最下層という言い方はおかしいのかもしれん インドの近代化と共に不可触民差別は表向き禁止になったが実質続いている 釈迦は修行者としてのバラモンは尊敬していたが堕落したバラモンが多くなったことに
不満を持っていたようだ 幼少期は王宮で甘やかされて育ち、人が老いたり病気になったり
貧富の差があるということをまったく知らなかった 幼少期に受けた衝撃的な体験がその後の生き方を決めてしまうというのはよくあること 宗教や哲学はあまりにも情報量が膨大なのでほんの一部分をピックアップするだけに終わる 本来俺は学術音痴のいい加減な人間でwikiをちょっと読んで分かった気分に浸るような感じである 本を読むぞ、と思えただけでも奇跡に等しい
つまり俺は今奇跡を起こしている 学者とかすごいよな
海外に足を運んで原典を何千冊と読み漁る 学者がしてきた苦労に俺はあまり感謝していないのかもしれない
なんせ学問が嫌いだから 学問嫌いの俺が読んでやろうってんだ
何様か知らんが偉そうだな pso2のクエも上手くいかないときは大体「何なんこのクソスレ」って言っている インドの三大神がそれぞれつかさどるのは創造・維持・破壊である >いじ【維持】
《名・ス他》
物事を同じままの状態で持続させること 美少女オタクは対象の曖昧な美少女を得ようとするから苦しむのだろ 俺が気になっているのは生得観念と非アートマンの区別方法だ アートマンはそれ自体を対象に認識することが不可能とされているが 非アートマンは「これ」や「あれ」や「それ」などで対象として指示することができる 「あれ」どこいったかなあ
ああ、「あれ」な・・・
「あそこ」にあったでしょあんた
ああ、「あそこ」だったか・・
全部非アートマン 運動の残骸を維持しながら非アートマンの区別をつけるぞ 俺は頻繁に「これは」とか「それが」とか使ってしまう
全部非アートマン 主語を説明するのに述語は大事だが
それで何が分かる? まずこれを自覚することから始める
「これ」
非アートマン 生まれて非アートマンにさいなまれて苦しみ、単純な「有」に戻るのが人の営みなのか 闇へのいざない行って、俺がつけている累加拡域の威力にビビって喜んでる人がいた 集団へ一気に25万ダメージばらまけるのは累加拡域だけ カーストの差別は権力関係とかではなく単純に不浄だからである
下にいくほど不浄扱いを受ける 日本にも古来から穢れの思想というのがあるが、あれの強化版と考えても良い
身体的な接触も避けなければならない 被差別階級だから少数派かというとそうではなく不可触民はバラモンの4倍はいるといわれる おそらく日本の全人口よりも多い人たちが差別を受けている バラモンとはいったい何なのかと気になるのは確かである 牛を神聖視しているバラモンたち
牛は浄のレベルがバラモンと同格だといわれている
それを殺して食べていた人らはもちろん差別的扱いを受けただろう 病気が発生するのも家畜を殺し始めてからだと信じる人もいる ウパニシャッドの初期の文献には牡牛が人間に話しかける箇所がある 今日はゆりかご二回もあった
しかしバーストが少ない 決断ソロがクソゲーすぎてやばい
でも毎週やらないとあかん シビアなローグライクが好きなプレイヤーならまあ楽しめるだろう 俺もはローグライクそんなに好きではないけど始動くらいのバランスなら楽しめる せめて決断の最初の武器出る前のエリアでドロップありにしとけや ソロだと時間的余裕が一切ない
最速で敵を片づける必要がある 仏教の本をいろいろ調べていたが何を読めばいいのかさっぱりわからない 宗教への興味も信仰心からではなく好奇心に近い
気になることがあるだけ 聖徳太子の書いた(とされる)法華経の注釈書や禅宗の本や釈迦の言行録は持っている 聖徳太子のやつは国宝指定のやつ
まだ現存しているのがすごい 正法眼蔵に挑もうとしたこともあるが分厚過ぎてあきらめた 俺は基本的に個人の意識を超越できるような体験をしたいだけなのである
昔はよくしていた といってもアニメなどに没頭することで我を忘れていただけなのかもしれない 合法化されてもたぶんやらないと思う
大麻やLSDくらいなら一度試すかもしれんが 麻薬や何やらが規制されるのは仕方ないと思っている
子供の手の届く範囲にあふれるというのは良くない 酒は俺は未成年のころから平気で飲んでいた
そもそも親父が勧めてくるのだから終わっている 親父は中学生のころからたばこを吸っていたと自慢していた 動画見ているとアーユルヴェーダを中心に癒し系を語る人が多いな 日本人が日本人向けに分かりやすく書いた本というのはたくさんある
読む気がこれっぽっちも起こらない インドの修験者が書いたできるだけ難解なやつがいい
思考のプロセスがそのまま出ているようなやつ 仏教の難解さから逃れるのになぜ難解なものを読みたいと思うのか 通常の思考プロセスには「イメージすること」が多分に含まれる
これを否定する方法が分からない マザーデウス行ったが人がおらん
二人だけでやって惨憺たる戦いになった マザーのDPSチェックで床ペロ、デウスのDPSチェックで床ペロ DPSチェックって人数分だけ増えていく仕様?
1人のときは削り切れたような気がするのだが デウスの方は初めて食らった
6万とか食らった気がする 激震と始動は現在一位だ
チャレンジクエストにも達人が数人いていつも落とされる チャレンジクエストは全員が条件同じだから平等な仕組みだが
内容がクソゲー過ぎるのが問題 言葉と永遠性が結びつくと絶対の壁として立ちはだかる
このことに早く気づくべきだった 聖書にしろヘブライ語で読まないやつは問題外と考える人はいる 聖書では言語の混乱が始まったのがバベルの塔あたりからである 英語をまともな言語と考えない人もおそらくたくさんいる 言葉をたくさん覚えるとコミュニケーションの幅は広がるかもしれないが
それは自分が制約から自由になりたいからであろう 俺は一年間外国人のプレイヤーに囲まれてゲームやってるが
英語が未だによくわからん ある程度クエスト一緒に回っているとチャットで気さくに話しかけてくるやつもいる あれは常軌を逸した変なプレイヤーで誰も寄り付かない いやがらせや苛めにも一切屈しないようなタイプ
完全な理念に基づいて行動している でも日本のアニメに影響を受けた名前は頻繁にみかける 神話ではなくアニメからの影響
ナルトからの影響だとすぐに分かる 俺は他人と絶対にかぶらないような名前使ってるが
かぶってる人同士が鉢合わせして気まずくなる空気というのを
今まで何度も見ている ファッションとか武器迷彩とか名前がかぶってると微妙に気まずくなるんだよなこのゲーム アークスサーチでそれっぽい名前で検索をかけると
かぶってる人が大量に出てくる
登録だけして放置してあるんだろうな 仏教の本をしつこく調べている
読みたくなるやつは大抵高い 中論の本で700万円とかあるな
どうなっとんねこれ
絶版だからか 正統バラモン教は釈迦を特別視していないな
あくまでもヴェーダに影響を受けた自由思想家の1人 >アースティカ(?stika)とナースティカ(N?stika)は、
正統バラモン側から見た、正統と異端を区別するための呼称である。
?stikaとは「存在する」(Sanskrit: ??????)の意味であり、
N?stika とは「存在しない」(否定形 na + ?stika )の意味[1]。
インドには伝統的にはぐくまれた哲学・宗教思想体系があり、
それはダルシャナなどの名称で呼ばれている[2]。
アースティカは、アートマンやブラフマンなどの存在を信じる者を意味する。
以下の3つの方法のいずれかで定義されている[3][4]。
対照的にナースティカは、そのすべてを否定し、
アートマンとブラフマンの存在を信じない者を指す[1][3] 。
ヴェーダ聖典を認識論的権威として受け入れる者
アートマンとブラフマンの両者の存在を受け入れる者
イーシュヴァラ(絶対神)の存在を受け入れる者
正統バラモンは、そうしたダルシャナを、ヴェーダ聖典の権威を
認めるか否かを基準として区分し、認める思想を
「??????(?stika アースティカ)」つまり「正統派」と呼び、
ヴェーダに権威を認めない思想を「???????(n?stika ナースティカ)」
つまり「異端派」と呼んだ[2]。アースティカとナースティカの定義は、
古くから論争されており、コンセンサスは存在しない >アースティカ
正統バラモンたちからアースティカの代表格と見なされたのは六派哲学で、
その中でもヴェーダ聖典解釈と密接な関係があるミーマーンサーと
ヴェーダーンタを正統の中の正統とする傾向がある[2]。
ミーマーンサー学派 - 祭祀の解釈
ヴェーダーンタ学派 - 宇宙原理との一体化を説く神秘主義
サーンキヤ学派 - 精神原理・非精神原理の二元論
ヨーガ学派 - 身心の訓練で解脱を目指す。
ニヤーヤ学派 - 論理学
ヴァイシェーシカ学派 - 自然哲学
ナースティカ
それに対しナースティカと見なされたのは、以下であった[6]。
仏教徒[2]
ジャイナ教徒[2]
チャールヴァーカ(=唯物論者)[2]
アージーヴィカ教
不可知論 - サンジャヤ・ベーラッティプッタ
古典期においてはバラモンたちはチャールヴァーカや仏教徒たちを
ナースティカとして異端視する傾向が強かった。 俺の中のイメージではジャイナ教がバラモンの最右翼みたいな感じだったが
よく考えるとジャイナ教も唯物論的だった ジャイナ教がヴェーダの権威を認めていないことが一番大きいか 釈迦もヴェーダを学んでいたが身分差別がどうしても許せなかったのだろう インド思想はまったくバラバラの主張をしていることが多いが
共通するところがある ヴェーダでは本来音としての言葉が何よりも重んじられる そしてこの音は知覚なくして認識できないので音より知覚の方が上に置かれる
音の方を上に置く論者もいる ヴァイシェーシカ学派などは原子論の世界を展開するのだが
四代元素の微細なものは二つ以上結合された複合体しか知覚ができないとする
複合体は無常である 宗教がてんでばらばらで考えが統合できないのはグルジェフのいうところの
7の法則がもつ不連続か 砂漠の民に森の重要性を説いても笑われるかもしれない 太陽が四つあって常に等しく地球を照らしていたらどうなったんだろう インドのピュロンか
>サンジャヤ・ベーラッティプッタ(パーリ語: Sanjaya Bela??hiputta、
音写:刪闍耶毘羅胝子、散若夷毘羅梨沸など)は、インドの思想家。
不可知論者、懐疑論者である。正統バラモン教の伝統にとらわれず
自由な思索を行い、当時サマナ(沙門)、または正統バラモン教側からは
ナースティカ(虚無論者)と呼ばれた在野の自由思想家の一人である[3]。
釈迦に先行する思想家で、古い仏教文献では六師外道と記されている >真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする
不可知論である[4]。形而上学的な重要問題に対して確答せず、
判断を中止する態度を採った。懐疑論とも言える立場であるが、
彼の態度は、抜け出すことの困難な形而上学的な難問を
議論することの意義を問う判断中止(エポケー)の表明であると言える[5]。
彼は「来世があるのか」という問いに対し、次のように答えた[4]。
もしもあなたが「あの世はあるか」と問うた場合、
わたしが「あの世はある」と考えたならば、
「あの世はある」とあなたに確答するでしょう。
しかしながら、わたしはそうしない。
わたしはその通りだとも考えないし、
それとは異なるとも考えないし、そうでないとも考えないし、
そうでないのではないとも考えない。
(『沙門果経』ディーガ・ニカーヤ)[4] 唯物論の快楽主義者や不可知論者は外道扱いされているな 一元論と二元論の矛盾を考えるのにアドヴァイタとサーンキヤは必須 サーンキヤにはヨガの根本思想が含まれている
ヨガは二元論をベースにしているといわれる バラモンから異端視される仏教にもまた正統か異端かという闘争がある
キリスト教もそうである 権威主義を徹底して嫌うニヒリストにとってはあまりにもばかばかしいやりとりであろう 人間が集まると権威や利権の罠から逃げることはできない それもまた人が愛憎の罠にからめとられないための苦肉の策といえる 苦しいのうwwww苦しいのwwwww
人間は苦しいのうwwwwwwwwwwwwwww 木があるだけで幸せ
水を飲めるだけで幸せ
ははは、それでいい 仏教の本でけんさくしたらそれっぽいのがたくさん出てくるが
こういったものは読まない あるいはビジネスに活かせたり、自己啓発の一貫だったり
ブックオフの100円コーナーに並びそうなやつのこと ブックオフの100円コーナーをディスってるわけではない
俺はブックオフの100円コーナーが大好きで毎日入り浸っていた頃がある ヘヴィメタルのCDを物色して、100円コーナーで立ち読み
気に入ったのがあれば買うという、ありきたりな行動パターン もちろんいらんものを売ったりもしていた
ブックオフにはかなり大量の本とCDを売った しょーもない(と思っていた)自己啓発本でも読むとそれなりに面白かったりもする 苦しいから生まれてこなければよかった、というのはおかしい それで、仏教は二度と生まれなくても済むように修行する 他人に対して子供を産むべきではない、とはとても言えない 人類は苦労して苦しみを緩和する方法をたくさん編み出してきた
しかし生きている間はそれ自体を無くすことは決してできない 生の幸福を追求している人に対して苦しみが生の本質とかいっても通用しない 無意味なコミュニケーションの失敗を繰り返すよりは修行したほうがいい 生まれてこなければよかったという人間は増えているはずである 人は幸せになるために生まれてくるべき、と考えるのも人情だが 本質である苦を感じなくても済んでいる状態のことである 苦しみに耐えながら頑張って成功している人はよく応援される
他人を応援しているとまた苦しみを忘れることができる 仏教の本を読むぞ
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を読むぞむ読を本の教仏教の本を読むぞ仏教の本を読むぞむ読を本
の教仏教の本を読むぞむ読を ひでえスレ ひでえスレ ひでえスレ ひでえスレ ひでえスレ ひでえスレ いつもやってるだろうが!
いつもやってるだろうが! 釈迦もバラモンに倣って人の身体は不浄なものだとかんがえていた 唯識が気になって法相宗の本を買おうと思っていたが先にバラモン教に行く 唯識を突き詰めると独我論に陥るといって批判されたりするらしいが
独我論は西洋ルーツであろう 西洋と東洋の哲学や宗教比較はあまり意味がないのではと最近思い始めている 神道はなぜか知らんが本当になじみが薄い
地元の神社には昔からいる神がまつってあるから
土地神様みたいなものは居ると思っていたが だんじり祭りってあるじゃん
おみこしを担ぐやつ
あれの意味がまったく分からない 民間信仰に由来するお祭りなのかもしれんが
神様の依り代をあんなふうに乱暴に運んでいいものか 毎年事故あるよなあれって
電柱をへし折ったり人が落ちたり 産土神のような土地の守護神はいるのかもしれない
だから古くからある神道を否定はしない 一時的に非日常の興奮を味わって力を発散して終わり、みたいなやつ 神は人間の想像の産物ではない
姿かたちは想像の産物である 釈迦以降は慈悲という観念がよく出てくるようになるが
バラモン教には慈悲は無い 釈迦はそもそも生命全般に対する憐憫の情を強く持っていた 浅い意味での同情とは違い深いレベルでの共感があったのではないか これがあると他者と自己の差をいちいち考えなくて済む 俺などは虫を殺すのは可哀想と思いつつムカデなどの特別不快なやつはつい殺してしまう 生命全般への深いレベルでの共感はいかにして得られるか 耳元で蚊が飛んでいると不快な羽音がしてつい殺したくなるだろ 音が支配的な純粋な物質次元(色界)
ここでは欲界のしがらみは感じない? バラモンに慈悲が無いのは同一性の究極原理があるから 宗教に限らず他者との共感を生み出すというのはよく商売にされている 何かにつけ他者へ好意が向くようなものがもてはやされる
これはもちろん商売に利用されている 好意をきっかけにして共感を生み出すという手法は浅薄
だからブームで終わる ブームに乗って何か得られるか?
金は得られるかもしれない それで傷ついたら癒しを求めて新興宗教入る?
それも一時的なものだろう 気合を入れるために無意味な書き込みをやるぞ いつもやってるだろうが!
いつもやってるだろうが!違うね 続けることに意味があるのです
なんでもいいから続けろ それが修行だ 無意味な書き込みとは何か?ということを説明しましょう
まずここでいう何かとは無意味な書き込みのことです
これはわかりますね?ここでいうこれとは前に書いた「ここでいう何かとは
無意味な書き込みのことです」のことです、のこととは何かというと
無意味な書き込みとは何か?ということを説明しましょう、と前に私が書いたことです
私が何を書いたのかといいますと、「無意味な書き込みとは何か?ということを
説明しましょうまずここでいう何かとは無意味な書き込みのことです」のことですか?
これが無意味な書き込みです ブームで終わる ブームで終わる ブームで終わる ブームで終わる
ブームで終わる ブームで終わる ブームで終わる ブームで終わる ブームで終わる いつもロビーにたむろしているおしゃべりな人
装備を見たら最強だった その人のショップも覗いたが超一流の素材売っていた
何なんこれ?
どうやって作ったんだろ 重課金勢だろうな
保護アイテムが大量にないとこんな素材作れない この書物は成立過程に謎が多くいわくつきのやつである
しかし日本の哲学者たちに大きな影響を与えてきた 選んだ理由は日本と中国において唯識の受容に深い関係があるから 世界で一番食べられているのがマクドナルドだから一番おいしいに決まっている
と似た理屈wwwwwwwwww 哲学とか面倒くせえなら仏様に感謝して念仏の道を歩め 大乗仏教をグノーシスの一派に指定する学者もいる
なんとなく分かる ちなみに大乗起信論はネットでも全文読める
検索したらすぐに出てくる 日本の伝統的仏教派閥はだいたいこの書物の影響を受けてきた
つまり大乗仏教の要点を理論と実践の面からうまい具合に説明してある 著者が誰なのかという面でいろいろもめてきたようだ
パッチワーク説もある 大乗起信論の成立については相当長い間議論がかわされていたらしい 大乗起信論の理論には元のインド仏教と異なる点があって
日本や中国の大乗仏教がインドのものと別物になってしまった原因が
ここにあるのではないかと見る学者もいる
それくらい影響力の強い書物である 日本の多くの伝統的仏教がこの書物の理論を正統派として受け入れたわけである それでつい最近日本の大竹氏という研究者によって決着がついたという記事があった 経緯はなんも知らないが大竹氏によると6世紀頃に中国の僧侶たちによって編纂された
パッチワーク的なものであるという 仏教の教えがここまでばらばらになったのは地域の習慣や言語の違いなどもあるだろうが
釈迦が文字で何も残さなかったことだ 文字で残さないのはバラモン古来の伝統であるからして
それを間違っているとも言えない けっきょく仏教が何なのかということを知ろうと思ったらバラモン時代から見直すのが良いのではないかと 具体的にインドと中国、日本で何が違うか
たとえば真如(いわゆる真理)について 本場のインド仏教では「あらゆる法則に共通して内在するものが真如である」としている
対して大乗起信論では「本来あらゆる法則は一つの真如だが我々の妄執が
それを法則に分けている」と考える
この違いが分かるだろうか この違いは真如への到達のプロセスを別のものに変えてしまう 大乗起信論の真如のありかたは仏教というよりもむしろバラモン教の一元論に
近いような気さえする インドの伝統的大乗仏教では法と真如は二元的なものである もともとの正統的バラモン教でも一元論と二元論がある
一元論の矛盾を解消するかたちで二元論が登場する 空海は神の流出論が省略される以前の一元的バラモン教に近い世界観をもっている 即身仏は一般的には僧侶のミイラを指す
断食修行した状態でミイラになる 生きたまま土に埋められたり小さな箱に閉じこもって断食したり
苦行として見ると恐ろしいものである
しかし即身仏を信じる者にとってそれは死ではない 苦痛に耐えかねて脱落する僧侶もいたが、脱落した者を殺すという習慣もあったといわれる 飢饉などで餓死が日常化していると僧侶も人々を救うための苦行に入りやすかった 人間の生は苦しみが本質であり修行以外に逃れる方法はない 即身仏修行は完全な断食に入る前に身体の腐食をふせぐために木の皮を食べて
ぎりぎり生をつなぐということが多かったらしい 美味しいものを食べることが幸せという人にはこの修行は到底できない おいしいマロングラッセと紅茶で午後の幸福なひとときを過ごしながら
仏教の苦行の記事を読んでナンセンスだとせせら笑うがいい バラモン教から大乗仏教までを適当に概観したのち瞑想に必要な知識を手に入れよう アウグスティヌスを読んでいる途中だったのに仏教にかわってしまった アウグスティヌスは神の憐みをひたすら押し出すからな 釈迦からは愚か者と叱られ、イエスからは説教され、神から憐れまれる 正統バラモン教からはせせら笑われている気がする
おまえはまだアートマンに気づいていないと こういった俺の中にある幼稚なイメージは瞑想によって黙らせる タルカバーシャーはダルマキールティの唯識論理学の解説書 唯識論理学だからおそらく竜樹の延長線上にある
たぶん俺では歯が立たない 竜樹の中論を唯識哲学は引き継いでいるが
唯識ではすべてが空である、とは考えない 唯識ではすべては空であると認識する心がある
心のみを対象にするという大乗のイメージは唯識のものである ペルソナ二人だけでいったがDPSチェック回避できた 人数分だけ増えるとしたら火力低いのは罪だな
連帯責任で全員やられたらしゃれならん https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000024.000034781.html
>「最近『宗教』に対して不信感が高まった」と10~40代女性の5割が回答。
実際のお寺との接点はますます希薄化していることが浮き彫りに 新興宗教が乱立したとして、そのうちどれくらいが生き残るんだ 一時的に救いがほしいだけでしょーもない新興宗教に入るな 宗教をやっていると胡散臭いと思われて当たり前の社会に生きている 7月は慣れない知識を大量に仕入れるからまた頭混乱しそう 適当に概観するだけとはいえ2500年分の重みがのしかかってくる >仏教学者のエドワード・コンツェは、仏教とグノーシス主義の間に
類似性があると1966年に提唱した。 克服されずに残っている、
あるいは克服するためには特別な霊的知識を必要とする
邪悪な傾向の存在を釈迦が説く限りにおいて、
仏教はグノーシス主義の一派だとしている 大乗起信論の注釈書を空海が参考にしていたという話もある 原典を持たない奇妙な論文がなぜここまで広まったのか 東西思想の比較研究をしていた大家の井筒氏も大乗起信論を研究の最終テーマにしている 宗派を超えて重要だと思わせる何かが隠されているはずである 大乗哲学は難解なことで有名だが本来必要としなかった釈迦のおしえの理論的側面を
あとから次々に補足していった結果である 新しい理論を生み出したというわけではなく補足である 釈迦の到達地点を越える新しい理論などあるわけがない 『意識と本質』は以前に読んだことがある
難しくて分からなかったが イスラーム思想にめっぽう強いが古今東西の思想に詳しい
30以上の言語を操る天才と言われていた 仏教はセックスそのものを禁じるがバラモン教はそうではない
性愛の研究も相当進んでいた セックスの研究書であるカーマスートラの著者ヴァーツヤーヤナは
正統バラモン教ニヤーヤ学派だといわれている 古代インドでは性の追求と聖の追求の両立は基本だった 精液を熱エネルギーに変換するチベット密教の秘術には興味がある 精子は細胞なのに個体の生き物のように活発に動き回る
あれは何なんだ? ほとんどの精子は使われること無く力尽きて捨てられるのに 精子の数だけ卵子があればよいのではないか?
よし、女を増やそう(キチガイの発想) 精子の数にくらべて卵子が少なすぎるから競争が起こるに違いない だから経典が長すぎるんだよ
人間の一生では読み切れないから竜のような長寿のやつが守ることとなる 竜は水の底にいて七宝で作られた城に住んでいる
ドラゴンボールの元ネタかな 大乗起信論が大乗仏教にとって神話的な魔力を持っていたということを知った 無著の書いた唯識の要綱は長いんだよな
読むのに骨折れる なぜ中国のお坊さんは混乱すると分かりながら経典を増やしまくったのか 一冊の薄い冊子に要点だけまとめとけよ
あとは縁覚修行だ 仏教は胡散臭い?
実際に輪廻から解脱した人を知らない
また輪廻があるのかどうかも疑わしい 世界は似たようなパターンの現象が生起しているだけである 俺の存在や思考、感情も過去に似たようなものがたくさんあり
たまたま生起しただけに過ぎない 修行というのもパターンにすぎない
死ぬまで苦行を続けるのもパターンである 縁覚というのは仏に頼ることなく自力で悟りを開くことだという
十二縁起の意味も知らないのにどうしろと 縁覚者の特徴は自力で悟りを開きたとえ開けても誰にも教えない
だからやり方も分からない 吐き気を催すほどの人間の愚かさ、弱さは親から学んだ 生老病死というのはそれぞれが苦である
すべて含めて苦としたわけではない 生まれたこと自体が苦しみであると仏教では考える
だから反出生主義者は仏教徒にもいる 次は老いる苦しみ
身体が衰え自由にならなくなっていく苦しみ
病気と死はいわずもがな 仏教は前向きな考え方なんだが?
あらゆる苦しみから人を解放しようってんだから できるだけ苦を感じる必要なく過ごすのが文化的生活のかなめでもある 日本の仏教は利他行が基本で人々の苦を取り除くサービスとして見ている人も多い 感情はもともとある
欲求が感情を通じて対象を持つと情念が発生する 精神活動を向けることが可能なものはすべて対象となりうる デカルトは精神活動の根幹そのものを対象にしようとした 神経や感覚器官は外界からの刺激と常にやりとりしている
意味で考える対象というのは知覚のレベルからである たとえば身体を生きたまま切り落とされると強烈な激痛があるだろうが
精神はバラバラにならない 身体を切断されるグロ動画を見ていたがみんな苦痛の悲鳴を上げている
パターンが大体決まっている
切断されると痛いのだ 虫をほとんど殺さなくなってから多少気が楽になっている 殺さなければならない、と考えているとそれ自体がストレスになる ああ、殺さなくてもいいんだな、と納得することが必要 苦しみからの解放というのはそれ自体が最高峰の楽の状態といっていい
だからヴェーダでは「楽を手に入れる」とも解釈される
ただし真の楽でなければ意味がない 解説の動画を見たが、身体は激痛でも気持ちは楽という状態になることは
可能だといわれている 末期ガンで毎日嘔吐して激痛に苦しみながら
気持ちは楽そのもの、という人もいるという だから身体のあげている悲鳴と精神活動は別物なんだろうなと 中途半端な快の経験を得るために精神を鈍らせるのは良くないのだろうな 生きたまま心臓を取り出されるマフィアの拷問動画を見たがすさまじく苦しそうだったぞ 7月は大量の知識を仕入れるので脳のデフラグをやっておこう このスレッドは1000を超えました。
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