発狂欲界熱ゲロ祭り
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引き続きゲームやりながら妄言をゲロのように吐きまくるクソスレ 弱っているムカデはなにかカリカリと音を立てるが、あれは何の合図かわからない 虫も微細な領域で何かコミュニケーションをとっているに違いない 唯識では主観や客観というものが消え去る
心が何かを対象にするたびに消滅することを知るという 心に集中することであらゆる妄執を消してゆくのが瞑想のプロセス ネットで調べるとその道のプロが瞑想の方法をいろいろ説いてくれている
そういったものも参考にする 妄執を一時的にでも止めることができれば良しとする
悟りにはこだわらない 真理を知ろうだの悟りを開こうだのといった強い情念もまた修行のさまたげになるらしい 霊的修行をしていたバラモンの僧侶も似たようなことを言っている あらゆるものに対する拘りを消すことでようやくアクセスできたと 俺はしょーもない拘りや強迫観念の強い人間で、永久に輪廻を繰り返すだろうな
という気がしている ゆりかごTに参加したが人数がおらず主がすぐに破棄した チャットでロビーアナウンスしたら集まったと思うがなあ
主がキャンプシップに籠っていた は?
こっちは1人でやってんだが?
>本当の苦痛を知っているか!?
圧倒的なスタミナで、またしてもアークス12人をいたぶり尽くす!
超界探索…。なぜ再びここに連れてこられたのか?なぜ囚われているのか?
その理由も分からぬまま、超化エネミー達の責めが始まる。
屈強なゴツいガタイのアークス12人。今まで、怖いものなどなかった。
しかし赤箱の表面が鈍く光る度に、誰も知らないこのYSOKの牢獄で、
12人のアークスはメセタの亡者へとおちてゆく 1人でボス連戦すると懲戒と言われる理由がよく分かる 超界で発生するトライアルがマルチ用に特化されたもので
誰が一番火力出したかを競う形式になっている
それだけボスが異常なまでに硬くなっている 運営の底抜けのアホさ加減がよくわかる
絶対にソロでテストプレイなどしていない 超界にソロで行くたびに運営に殺意が湧くな
いい修行になる ドロップアイテムの質が良ければマシだがほとんどゴミが出る ゆりかごTに出遅れるとかなりイライラする
なぜかわからんが取り残された気分になる 他人を押しのけてまで行きたくはないから人数が満員だと別にイライラしない ゆりかごは人数が多い方が絶対的に良いのだから空きがあること自体がストレスになる 言語設定を日本語にしてあるからゆりかごトリガーを貼った時に表示が不安だな
俺の知る限り日本人(アジア人?)差別しそうなプレイヤーが少なからずいる 過去の態度や発言を総合すると白人至上主義者っぽいなあと 自己紹介欄にアジア人カミングアウトしている人にはどことなく冷淡に接している節がある
俺に対しても失礼な態度とってきた コロナの折でまあ中国人にヘイト向ける人が多いのは分らんでもないが 髪の黒いアジア人を皆中国人のように見るやつもいるからな実際 道教や儒教は実利や生の幸福追求を認めている宗教でそれ自体を嫌う人も多いんだろう 仏教も儒教も中国では為政者の方策に散々振り回されてきたが未だに生き残っている 日本人の和の心というのは基本的に聖徳太子の心から来ているのだと思う
仏教と儒教のやわらかい融合 神社だかお寺だか知らないが昔は神道と仏教と同じところに祀られていた 神道は広い意味で人々の心を治めるというようなものではない
先祖や自然に感謝して正直に生きろというような教えはあるんだろうが 6世紀頃から大乗起信論の教えを大乗の正統派とする流れができあがり
元ある仏教とは変わっていった 仏教をヴェーダ時代から勉強する気になったのはデカルトのせい
デカルトは本当に意味が分からない あらゆるものを疑っていって自分の純粋な精神(思惟)のみに行き着くという面で
唯識に似た部分もある デカルトは唯識に似ているしアウグスティヌスは親鸞に似ている 時代や民族、宗教を越えて似たようなことを人間は考える ことなるものを比較して共通要素を抜き出すというのはおそらく横着だと思う コロナ→中国人→髪が黒いアジア人
日本人を見て「コロナ」と言う ムカデ→不快→殺す
ムカデが出たら殺す
これは差別 生き物を飼った経験があれば分かるが虫でも亀でも個体によって性質がぜんぜん違う 亀を二匹飼っているとき、水槽を叩くと首をひっこめるやつと、逆に首を出して覗くやつがいて
ギャグみたいで面白かった バラモンの差別ももとは皮膚の色の違いから始まったといわれている 仏教は一時期インドで大ブームになった
それはカースト差別に苦しむ人にとって優れているように見えたからだ 縁起を通じて行為によって人は生まれ変わっていけると説いた仏教 行為で人の在り方が決まってゆくのであれば前世の行いが悪いから
現世でひどい目に遭うのだと考える人間も出てくる 病気や障害を持って生まれた人は前世の行いが悪かったからだ、といわれるようになる 宗教は人の根本的認識から生き方まで全域に影響をもたらす 神様は人間は不条理すぎるといって全員デリートします
これで差別なくなります 一元論と二元論、どちらが真理に近いかという問題に挑むしかないのか 相反する二つのものが世界の均衡を支えている、系の思想は二元論 多と一について考えると良い
これは人間の妄執だろう 「すべて」や「ひとつ」という概念自体が人間の認識を支えているとしたら
それ以上のことは分からない ヘーゲルの概念論では概念が一番最初に有るもので、それ以前は無い 概念の弁証法的な運動として人間の精神を記述したのがヘーゲルである ゾロアスターは最初から善神が勝つことが約束されているんだっけか 悪をやっつけようと善人気取りで自己正当化を繰り返すうちに
自分も悪に染まっているということはよくある
悪はかなりしつこいわけである 蚊を殺さないという修行を最近やっている
蚊もゴキブリも殺さない 蚊がいてもそのまま寝る
耳元に来て不快な羽音がしても気にしない 血なんか勝手に吸わせる
何度か吸うと満腹になってどっか行くから放っとけばいい 日本人を見て「コロナ」と呼ぶ白人とまったく同じことをしている スーパー仏教といわれる幸福の科学だが、俺はあまり胡散臭いとは思わない 頭のネジが少し外れてしまっただけで、特にカルト臭がしない 金田一の少年の事件簿の作者(漫画家のほう)も幸福の科学の信者だったな
芸能界にもたまにいる 大川氏は仏教をよく勉強しているので大筋でそこまで外れたことはやっていない
しょっちゅう有名人の霊を呼び寄せたりはしているが 利他行の一環で文明社会に対するサービスやってるんだろう 大川氏は最近亡くなったが転生してまた人類を救うための活動やっているに違いない ヴェーダ信仰はバラモンの強固な血族意識と共に閉鎖的な教義体系へと変えられた 仏教も閉鎖的な教義を受け継いでいる
唯識はその最右翼みたいなものである ヴェーダ古層には大らかな世界観もありそれを復活させようとする宗派もあった カーストも性の禁欲も排除したタントラ主体の宗派もある タントリズムはヒンドゥー由来であり正統バラモンとは関係ないらしいが 性欲を肯定し生命エネルギーの増幅を経てから浄化に至るという発想である
原始仏教ではそのような行為は一切認めていない インディー・ジョーンズの映画に出てきたサンカラストーンはシヴァリンガのことなんだろうか
サンカラというのはシャンカラのことだ
俺が買った本の著者 インディージョーンズの映画は昔好きで何度も見ていた 魔宮の伝説に出てくる敵役はヒンドゥーの邪教集団だった ヒンドゥーは多神教で、邪悪な神を信仰する犯罪じみたグループもたくさん存在した
信者にはいけにえのための殺人を義務付けている ヴェーダにも呪術サイドの経典がある
人を呪う方法が当たり前のように書いてある 因果と訳しても別に良いが簡単にいうとあらゆるものは依存関係にあるということ
何もかもが条件付けられており自由は一切存在しない 東というのは西に依存した概念である
東単体として存在できない
この法則がすべてのものに当てはまる こういった根本知識に自覚的でないまま人は行為に至ると苦しみがまた生じる
そして苦しみを消すためにまた無知の状態で行為することにより輪廻してゆく 釈迦は自分の得た悟りを言葉にすることに強い抵抗をもっていた
言葉に自分の体験がすべて乗るとは到底思えない 自分が新しい考え方を見つけたのではなく古くからある仙人の道を発見した
というようなことを釈迦は言っている 道を見つけやすくする方法を釈迦は45年間にわたり説いて回った 縁起を知る者は法を知り、法を知れば仏が見えるといわれる
法とはすなわちダルマと呼ばれるもののこと 世親はダルマを「それ自体が不変の本性を持つもの」と解釈し
ダルマの分析を行った 法は解釈する者によって意味がころころと変わる
仏教論理学では属性と訳されることもある 瞑想の知識を手に入れるのに必須の項目から優先して調べる バラモンはコアなので大乗仏典をいくつか先によむことにした 唯識やアドヴァイタといったコアなものを中心に調べたい 俺は様々な煩悩、妄執に支配されている状態なので
少しばかりの自覚にも至れないかもしれない 文学や詩などで心が救われるという人もいるだろうが
俺はそうではない 文化に依存しながら、文化に対する否定の気持ちが割と強い それでも仏教は大規模な宗教戦争に発展したことは一度もない 俺はpso2のストレスに耐えかねてついに仏教ごっこを始めるに至ってしまった アニメの絵でオナニーしてメロスピを泣きながら聴いている幼稚な俺が悟り?
ばかばかしい しかしすさまじく難解な本に挑もうとしている
それなりにきついごっこになる デカルトの生得観念とpso2のストレスが俺を駆り立てたのだ
これも縁起といえよう あとからとってつけた屁理屈による因果を俺の悟性は好む あれがこうなったのは〇〇のせい、という短絡的な因果関係である 日本が悪くなったのは安倍政権のせい、とかそういったものである インドの白鳥が魚を食ったから原爆が発明された可能性もあるだろう すべてが同時に発生しているのであればあらゆる因果はでたらめとなる そうではなく心の世界で起こっている縁起の世界を分析する 仏教の難解さを具象化したような思想
それがアビダルマ哲学である 釈迦は涅槃への至り方を様々な法として説明した
人間の行為から物質と心の関係、迷いの多い人間について
さまざまな側面からとらえた法である
アビダルマとはこれらの法をなんらかの実在性のあるものとして捉えなおし
緻密に分析し範疇論に仕立て上げたものである 西洋でたとえるとアリストテレスの説を精密に分析したスコラ哲学に該当する こんなもん読んだら頭が防衛反応おこして強烈な眠気に襲われるにきまっている
いっそ睡眠導入剤に使うか >>200
月が餌を欲して人体に無理矢理エネルギーを沸き立たせているからでしょうな 惑星は生命に力を与えているともいえるし奪っているともいえる 私はアビダルマを読まなければならないので読む前から眠たいです 国際天文学連合の定義では月や冥王星はたぶん惑星の基準を満たしていない
一般的には衛星と呼ぶ 仏教といえばお経のイメージを持っている人が多いかもしれないが 論蔵サイドの経典などは西洋論理学のようなものものしさを持っている pso2のランキング集計が近い
また胃が痛くなる「調整」をしなければ 一位さえ狙わなければレアコンテナは放置でいいんだが すでに移植パス500枚以上あるから躍起になって集める必要もないけど 仏教の場合厳密な論理学ではないかもしれん
釈迦の説明した法にたいする解釈だから 釈迦は言葉の不確かさを恐れて相手に誤解を与えそうなときは沈黙を貫いたという 西洋の論理学では同一律つかえたが仏教ではそれすらもアヤシイ 仏教以前はアートマンを追求する行為は当たり前だったんだな >ごうん
【五蘊】
仏教
人間を成り立たせている五つの要素。
色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識) 長ったらしいお経を覚えるために空海のような暗記術も流行る 経典とか持ち出せないから暗記するか書き写すしかねえだろう あほみたいに経典を増やすから経典格付けができあがる
経典格付けのための経典もあるんでしょう 我々は恵まれている
経典の特に重要な部分を現代語訳したものを適当に読むことができる 経典への情熱というのはすさまじく7000以上の経典を丸暗記する僧もいた 暗黙で数を揃えるのだから知らない人からは談合や不正と思われても仕方ない
それが一番ストレスになる 単に「空気を読んでいる」だけに過ぎない
これが不正ならチャレンジランキングのマルチ同率一位は何なんだと レアコンテナは本当に競い合う意味がない
あまりにもナンセンスだからできるだけ多くの人が報酬もらえればいい
それだけの話 世親のアビダルマは玄奘(俗にいう三蔵法師)も翻訳している 阿毘達磨倶舎論(あびだるまくしゃろん)、アビダルマ・コーシャともいう 日本の法相宗にアビダルマ・コーシャを専門に研究する倶舎宗というのもある 小乗は間違いなく人としての釈迦の言葉を信頼しているのだが
大乗はそうではない人間が非常に多い 釈迦を抽象的に「悟りを開いた偉大なる仏」として見ており
すばらしい理論に対しては釈迦の言葉と関係なくとも仏の言葉として受け止める 初期のキリスト教も神としてではなく人としてのイエスの魅力に惹かれていた信者が多かった 釈迦の望まない形で仏教は広まった
キリスト教もイスラム教もそうだろう 本場のインドでは仏教は一時的なブームでありその後衰えてゆく おかしなたとえだが小乗はヨットで個人で彼岸までたどり着こうとする
大乗は客船である
みんなを乗せてみんな救ってやろうという 小乗は保守的であり教義や解釈を固定しようとしていたのに対し
大乗は解釈の自由を訴えた しかしこの教えというのも釈迦が入滅してから100年後に編纂されたもので
絶対に合っているとは言い切れない
弟子が伝えてきたものである 記憶の美化や自分の主観的思想が入ってしまう可能性は高い 釈迦はいかなる偉人や聖人の言葉でも鵜呑みにしてはいけないと弟子に言っていた つまるところ自分の心と真摯に向き合う姿勢がなければだめなのである 鵜呑みにしてはいけないという言葉は鵜呑みにしていいのか?(屁理屈) 釈迦はバラモンがよく使っていたサンスクリットを排斥していたが大乗では
また使われ始めている 理由はバラモン特有のサンスクリットによる専門用語を使わないようにするためである
しかし大乗ではこれらを再びもってきて仏の言葉とした 俗語のパーリ語で勉強していた小乗の徒は「こんなもの仏教じゃない」と思っても不思議はない 日本では奈良時代にすでに倶舎論は輸入されて南都六宗のひとつに数えられている こんな難しい論理学を奈良時代から僧侶が研究しとったのか 聖徳太子もエリート中のエリートで仏教への理解が深かった 聖徳太子の時代にはまだ倶舎論来てないだろうな
飛鳥時代だから 百済由来の天台宗が日本最初の大乗仏教といわれている 聖徳太子の書いた法華経の解説書を持ってるが言葉遣いが難解で理解が及ばなかった 現物が今でも皇室に保管してあるらしい
もちろん国宝指定 アビダルマは全部読まない
基礎概念だけ調べる
とてもじゃないが俺の頭がついていかない アビダルマコーシャ自体が瞑想によって頭脳のさえわたったエリートの僧侶向けの内容で
とうてい一般人の手におえるしろものではないといわれる しかし大乗の基礎概念はこれを読んで学んできたらしいから
僧侶は頭いいわけだ 西洋的な理知性ではなく「無我」を知識として説明できる 十二縁起だの五蘊だの、一般人はそもそも説明できんが? 釈迦は望んでいないだろうが仏教への宗教的情熱が美学や芸術の発達を促したという側面もある 無駄に美化された仏の物語や装飾性の高い文章、詩人など 大乗経典は退屈なお経の繰り返しではなく比喩や美的表現を用いた物語形式のが多い 娯楽として経典を楽しむなど釈迦は望んでいないはずである
そもそも経典自体を認めないのでは 般若経にある六波羅蜜(パーラミター)の一つ、布施というのは何を意味しているのかというと
他に与える心 般若とは智慧パーラミターのことであり智慧が他のパーラミターを成立する要因になっている 般若は単に表面的な知識のことではなく分別や判断を越えた無分別知のことを指す 自分が布施をしたから救われるというのは執着を生み出すので無分別知を働かせた
布施パーラミターをしなければならない こんなことも分らないやつが新興宗教をひらいて信者に布施をしろと言い散らす 無分別知を自覚する方法は知らない
これも瞑想で可能か? 与える心を知らない信者には教祖自らが示す必要があるだろう
つまり教祖が信者に金をお布施する
これで信者は増えてすぐに破産だ 浄土宗は誰でも簡単に救われるが利他行として念仏道を追求するのは苦行に近い 大幅に初期仏教と違うが「みんなを救いたい」という部分は通じている 近代社会はそもそも他者へ好意が向くような「生産的活動」を余儀なくされる
理由は他者への無関心がアノミー(無秩序)を招きやすいからだ バッドエンドの物語やホラー映画などもそうだが「不安をあおる」というのも
他者と共感を持ちやすい なんかしらんが、まず共感を生み出せよというやつが多い ならそいつらを否定して不安を煽ることで共感を生み出してやる ヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラを読んでいる
会話形式で入りやすい 菩薩は何の執着もなしに布施をしなければならない
菩薩は立派に見られるべきか?
いや、そうではない 〇〇であることは〇〇ではない、という即非の理屈がすでにみられる
執着を持たないとはどういうことかを説明している 釈迦の説法はリアルタイムでの悟りを含める
執着が芽生えるような言説は即非で抑制する
これが空の基本なのではないだろうか アートマンはブラフマンと同一であり絶対的な実在なのだから
それ自体に執着を含むのではないか 輪廻主体まで消えるともはや意味が分からないんだが
難解で意味不明 アビダルマの定義、洞察力による煩悩の絶滅
ここまでは分かる 複数の群、門、類にそれぞれ分類してそれぞれ因果関係の生起の仕方を分析している 科学的分析手法に似ているが、おそらく内観による分析だろうと思う 主観も客観も消え去るはずの心の世界がこのように分析されてよいのかはわからない コーシャより大分前に有部のアビダルマ・プラカラナという類目の書があり
そこからの援用も見られる 有部は実在論だから空や唯識とは相性悪いのかな
関係がよくわからない 世親自身が有部のエリート出身なんだよ
そこから唯識に転向している 著者は弥勒という説と無著という説がある
弥勒は実在したのかどうか分からないので無著が書いたという説が強いっぽい
無著が書いたものに弟の世親が注釈をつけているという構成か
弥勒が著者でも別にいいけど 仏教界最大の論理学者といわれるダルマキールティの解説書も読み始めた
これも難解 唯識の論理学はディグナーガが確立し、ダルマキールティが完成させたと言われる 唯識もある種の実在論か
中論とはぜんぜん違う
だんだん頭が混乱してくる バラモンは唯名論からの超実在論への飛躍みたいなシュールさがある ともかく分からないながらも読み進めるしかない
誰も理解できんだろこんなん 人の愛欲が満たされないときに「害される」と感じる要因についても書いてあるが
これも理解が及ばない 前に読んだ記事に未来から生起する心相続の法則みたいなのあったが
おそらくそれのことだな 生起したダルマはすぐに消滅し別のダルマが相続する
しかしこのダルマは消滅したダルマとは別物である 極限微粒子は二個以上がセットになっているからルーパナ 心のよりどころが壊れると人は害されると思うよな?
これは間違いない あらゆるものは依存関係だぞ
よりどころとはなんぞや? ホッブズ「外部からの刺激により感覚が運動しているだけ」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 近代国家とはギャグの延長にあるシステムで、心の問題は置き去りにされる 聞きなれない概念ばかり出てくるというのが一番の理由か
捉え方が分からない バラモン血族の専門用語や釈迦の深い瞑想に由来する概念がたくさん出てくる 俺は極め付け妄執が強く理解力に乏しいので書いてあることの千分の一も理解できないだろうが 何が書いてあろうが全部自分の妄執寄りに捉える癖がある
ありのままを受け入れることができない 妄執が強化されていくだけじゃねえのかこんなの読んでも 唯一何も考えずに受け入れられるのは浄土宗だけだから
覚えとけ いかなる阿呆でも悪人でも心を入れ替えて念仏となえれば救われる 今日はGACKT氏のお誕生日だそうです
GACKT氏、水星座っぽいなとはおもっていましたが
まさかの蟹座とは
ちなみにわたしの月星座も蟹座です >>398
インド占星術でいうとロヒニーあたりの属性ですな<ガクト 空論の名手竜樹と実在論者の論戦を読んでいる
なにがきても巧妙にかわす ダルマキールティ 論書
プラマーナバールティカ(量評釈)
プラマーナビニシュチャヤ(量決択)
ニヤーヤビンドゥ(正理一滴論)
ヘートゥビンドゥ(因一滴)
サンバンダパリークシャー(観相続)
バーダニヤーヤ(諍正理)
サンターナーンタラシッディ(他相続成就) 唯識になると心相続の根底に阿頼耶識があるから余計に混乱する >>407
俺もヴェーダ文献を調べているときに知っただけで仕組みは分かりません https://nipayoga.site/?p=776
>これはヴェーダ哲学の考え方に由来するもので、以下のような概論となります。
「この世に生まれた人は、日々の善悪の行為の記憶を、潜在意識の
深い部分に種子として蓄積し、この個人の潜在意識の深い部分に
蓄積された記憶の種子がは、肉体と顕在意識を失った死後も
データとして保管され、そのデータの特性によって次の人生の環境を選択し、
次の生の身体を形成する」
宇宙の惑星は+-のエネルギーを放出しています。
このエネルギーは太陽系内の惑星によって受信され、
そのエネルギーは形を変えながら宇宙空間に放出します。
その結果、宇宙空間にある惑星や恒星の放出するエネルギーの状態は、
地球では大地と天空の位置関係によってさらに影響をうけ、
私たち人間は潜在意識でこのエネルギーを受け取ることになります。
受け取ったエネルギーは、潜在意識に種子として保存され、
前の生の善悪の行為の記のにスポットを当てます。
その記憶の種類は、受け取ったエネルギーの強さによって選択され、
潜在意識の欲求が、顕在意識の心や言葉・結果として今世では
幸運や不幸な結果を経験させるということになりまます おそらくメソポタミア由来のものがヴェーダと融合したものだと思われる
ギリシャでは天文学と結びついた 俺はデカルトの生得観念が気になって気が付いたら仏教に行っていた >サンチッタカルマ
その人の過去世で積んできたカルマのうち、人間として積んだカルマだけを指します。
そのため、動物や神だった過去世は含まれません タマス、ラジャス、サットヴァの三つの状態(グナ)から心や宇宙は構成される
https://www.timeless-edition.com/archives/23629
>3つのグナは、世界を現す物質や力の原因で、マーヤー、
もしくはプラクルティ(プラクリティ)とも言われます。
ブランマンという、ただ一つの真実にマーヤーが結びつくことによって
この世界はできています >
サットヴァ:知識、幸福
愛の象徴、献身、喜び、知識、清浄、忠実、公正、正義、上品、知性など
ラジャス:行動
反感の象徴、行動、欲望、痛み、横柄さ、話好き、自尊心、怒り、不正直、競争心など
タマス:慣性
不安の象徴、混乱、無知、不活発、不安、無知、眠り、怠慢、悲しみなど >
五大元素 優勢な性質
空 サットヴァ
風 ラジャス
火 サットヴァ&ラジャス
水 サットヴァ&タマス
地 タマス 心相続は心が瞬間瞬間で生成消滅を繰り返しながらカルマによって特定の影響のみを相続し続ける バラモン血族の儀式に巻き込まれているのではないかと ラジャスが強ければ俺の強迫観念は恐ろしい形となって行動に表れているところだ >俺は極め付け妄執が強く理解力に乏しいので書いてあることの千分の一も理解できないだろうが 何が書いてあろうが
>全部自分の妄執寄りに捉える癖がある
ありのままを受け入れることができない >しゅうかん
【習慣】
ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。しきたり。ならわし 強迫観念が強いと意識に上っても止めることはできない 俺は親父を憎んできたが笑いながら普通に会話することはできる 実際の人間としての親父と俺の中にある憎悪対象は別物なのだ 強烈な嫌悪感、不快感、殺戮衝動がこのイメージから湧き出る 宇宙は人に悪を相続させているだろ
だから苦痛は必ず要請される 何のために保存と経験を繰り返させる
自分の意思とは無縁にこれが起こっている 読もうとしたら眠くなる
眠くなるためにあるのかもしれない アリストテレスの形而上学は難しいながらも眠くはならなかった 大乗起信論も届いた
岩波のやつで丁寧な現代語訳付き
これはありがたい スッタニパータがボロボロなので買いなおそうと思ったが
こっちのほうが風情がある 中古で買った本で古さのあまり全体が茶色く変色している 小乗仏教
・sage進行 ローカルルール絶対厳守
大乗仏教
・age進行 ルールはその都度変更可能 普段心の働きと同化している真我を、心の働きを止めることによって本来ある場所へ移す オームが絶対神と翻訳されている
宇宙の始まりの音とよくいわれている概念である
欲界を超えたときに聞こえるという微細振動音のことだろう ヨーガはサンキーヤ学派の二元論に基づく
精神原理である「真我」、現象世界の原理である「根本原質」 サンキーヤ学派では真我のことをプルシャという
これはおそらくアートマンに相当する概念 ただしアドヴァイタのごとくアートマンとブラフマンを同一とするような教義ではない ヨーガにも古来からさまざまな派閥があるから一概にこれというのは言えない 少なくともサンキーヤのヨーガ聖典ではそうなっている ヨーガスートラすぐに読めるな
なんだこれ
あとで読もうと思ったのに 初心者向けの教本のように要点だけが簡潔に書いてある ヨーガスートラの和訳はネットでも全文読める
「ヨーガスートラ pdf」でググると出てくる 訳者によって言葉選びが全然違うがおおむね分かるだろう ヨーガスートラを基本にしたものはラージャ・ヨガと呼ばれており
古典扱いされているが実際はもっと古くからヨーガはある ファッションヨガはヘルシーフードなどとセットでもはや軽い健康法の一種に過ぎないが
若さを保ちたい女性からは支持を集めている 世界13か国で展開しているというヨガジャーナルのサイトを見たが完全にライト層向けだった こっちはpso2を5400時間やり込んでいるキチガイなんじゃボケ 2chは相当やり込んでいる
これももれなくキチガイレベル なんでもあり板に20年以上独り言を垂れ流し続けるキチガイ 2chはいくらやり込んでも称号がもらえない
終わってるなこのクソゲー 書き込み数1000万以上楽に超えているはずなんだが ブラフマスートラ注解のいくつかの記述は普通に読めるから
まあなんとか読めるだろうが ウパニシャッドや仏教には似たような概念が形や名前を変えて繰り返し登場する
これも難解さに拍車をかけている いつも1人でディバイドクエストやっていたが誘われてやむなく行った
4人だと全ステージSランク簡単に取れる 補充戦だけ危ういかもしれん
敵放置したまま4人とも走り回るとまずい ブラフマンが多数の性質を持つ基体となりえることはありえず
たんにブラフマンを認識するための手段としてそのような思考が要請されるだけである ブラフマンが現象界へ変化することは無い
それらを形成したのは虚空である 虚空にあらゆるものの形態や名称を内在させたのがブラフマンである ブラフマスートラの強化版がシャンカラのアドヴァイタ シャンカラは仏教を否定する立場だが、釈迦の涅槃の概念がどことなくブラフマンの自覚に似ている 引力によりリンゴが木から落ちる、という解釈を信じない人もいる
リンゴは天から離れていったという 落ちるというのは地球の中心や地面を基準にした身勝手な考えでもある 憎悪は最近一度も行ってない
理由?
人がいねえから 憎悪行っても自分が足を引っ張るのではないかと怖くなるからまあいいかと妥協している 原初は白ゲロをよける方法を見つけてから気が楽になった でも逆方向によけないとだめなんだな走ってるときに巻き込まれるケースが多い ファントムのステルステックでゲロの逆方向に動くとぎりぎり回避できる
ヒーローのファイナルストームでは試したことがない HPを盛りまくったエトワールなら直撃しても耐えられるっぽい 人数がばらけるくらいならそのまま行けばいいと思ったが
どうしてもあれと一緒にプレイしたくない人がいるからな 現象世界とかかわりのある主宰神の全知性もまた無知を本質とするもので
ブラフマンからは離れていると断言する 科学がいくら宇宙を解き明かそうと躍起になっても無知から抜け出すことはできない 人間が知りたがる程度の全知存在など程度が知れている アカシックレコードの元ネタであるアーカーシャは虚空のことだぞ
また神様でもあるんだぞ 無駄!無知!無駄!無知!無駄!無駄!無知!無駄!無知!無駄! >「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の
教義を強化した最初の哲学者であった 二元論者の反論に対してきっぱりとそれは間違いだといっている やっぱりそうでしょう
>シャンカラはヴェーダーンタの代表的な哲学者であるが、
その思想は仏教との親近性が高いといわれる[2]。
歴史的にみれば、彼は仏教哲学をヴェーダーンタ哲学に吸収する役割を担ったともいえる 釈迦がもしもアドヴァイタ思想に触れたらどう思っただろう というより釈迦もかつてはヴェーダを学んだ人間だから、自然と影響は受けたか 難しい経典を一気に読んでも俺の幼稚な頭脳が悲鳴をあげるだけだ
これは知的拷問修行か 理解の及ばない新しい概念がつぎつぎと飛び込んでくる拷問 俺も幼稚な頭脳を駆使して経典のようなありがたい話を考えることができるが? あるとき、師が瞑想をしていると、牛をつれた男が通りかかった 男は師にあいさつをした
「師よ、偉大なる聖者よ。わたしはこれからこの牛を肉屋に売りに行くところです」 師はいった
「男よ、その牛を肉屋に売りにいくというのは本当か?」
男はこたえた
「はい、そのとおりです。師よ」 師はいった
「男よ、肉屋に牛を売りにいくとはどういうことか?」
男はこたえた
「それはこの牛がさばかれて肉に変えられるということです、師よ」 師はいった
「それは可哀想だ。売りに行くのはやめなさい」
男はいった
「はい、わかりました。やめましょう」
終わり この話で大事なところは、牛が可哀想だというところです スープで有名なスジャータだが名前の由来は仏教である 6年間の苦行で心身共に弱っていた釈迦に乳がゆを与えた娘の名前がスジャータである
この乳がゆを食べた釈迦は元気を取り戻しその後悟りを開いた インドではスイーツとしてキールという甘いミルク粥があるが
あれとは別物かもしれない スッタニパータにも乳がゆが出てくる
托鉢で出してもらう食事の定番だったのかもしれない 托鉢とはいわゆる乞食である
修行中の僧侶が食べ物をめぐんでもらう 当時は修行者や苦行者の集まる林だか森だかがあって
最低限の食べ物は提供されていたようだ 断食の苦行をやっている僧侶にはいらぬお世話だろうが インディがずっと動かずに論文を書くだけの映像を流したらあまり面白くない 考古学者だから退屈な論文書くだけの作業もこなしているんだろうが 口伝でずっと伝えてきたもので3000年前の記述の段階で相当な洗練が見られることから
5000年以上は最低でも伝統あるだろう 音は色界の原理でもあるから
心を停止しただけでは無色界には届かないということか
しかしヨーガ行者はよく光を見ている サンスクリットはインドの公用語だが使っている人はあまりいない ヴェーダがサンスクリットで書かれていることから権威として認められている 何の予告もなくさらっと阿頼耶識の概念が出てきて怖い 愛欲はのちの世への再生を助長するために執着が識を結びつける作用だと書いてある
だからこんなにしつこいのか 愛欲が強いということはすでに輪廻の準備を始めているということ この経典では人が嘘偽りの判断に至る理由を難解な概念で分類し説明している 愛は再生のためにある
これは子孫を残すという意味ではない
愛を永遠のものにするために心中を図っても再生がなされる 悪の相続は宇宙からの要請でもある
ゾロアスター的には善の勝利が約束されているが ヴェーダが根幹にあるとブラフマンを意識しないわけにはいかない ただしブラフマンもアートマンも認識ができないから、どう扱っていいのかわからない 西洋はとってつけたような理性で虚妄を抑え込もうとする 人の弱さを乗り越える方法ばかり理性が求めるからそうなる 心が置き去りになる
置き去りにされた心を救うための神がもてはやされる なんでキリスト教をdisってんだ俺
アウグスティヌスに挫折したからか 仏教に挫折したらこんどは仏教をdisるんだよ
それが俺の限界 俺は自分の心の外に「宇宙」があると思っているから
唯識を受け入れることができない 客観的に宇宙が存在すると思っているのは無知に他ならない 俺が宇宙の知識をどれくらい持っているか
おそらく学者の努力の数千万分の一程度である 宇宙の存在について自分で調べたことは何一つとして無いと断言できる 文字による説明や写真や映像がなければ宇宙のイメージもできない 自分の心や認識の世界を分析したこともないのになぜそれが存在すると言い切れる インド占星術、まず発音?語感?に慣れないと。って感じが
日本語にはない語感ががが >>633
古代ヴェーダ語が分かりやすく規格化されたのがサンスクリット語みたいですね
サンスクリットは基本は単純で、派生語がやたらと多いみたいです 基本がものすごい単純らしい
俺も少し勉強してみようかな 仏教でよく使われるパーリ語はサンスクリットが俗語になったものっぽい サンスクリットの記述にはデーヴァナーガリーという文字が用いられる
すべて音節文字でaの母音があるという イスラムとかヘブライの言語に少し手を出したが挫折したからな俺
言語習得なんか到底できない
英語も永久に苦手 pso2のチャットで英語使ってるが、自分の発言という気がしない 現在世界で使われている言語は7000以上あるといわれる
そのうち4割がごく少数の民族にしか使われていない 日本語はマイナーな部類だといえる
一位は英語、二位は中国語、三位は忘れた 英語は改造言語で気軽なコミュニケーションには特化している プログラム言語が英語だらけだから英語は便利な道具ではある メンテ明け直後にゆりかごが来てめちゃくちゃ気分が悪い 胸糞悪いのは二人だけのときで時間ギリギリまで待ったあげくもう一人がクエスト破棄するパターン ギリギリまで待ってこなければ破棄、というのは気持ちは分かるが
俺は何がなんでも行くタイプだからな クソ難解な論理学と違っておそろしく優しい(易しい)文章だ
ベストセラーになる理由が分かる 中国でも日本でもいろんな宗派から愛されてきた仏教の大ベストセラー この書物で6世紀以降の大乗の流れが決まったという話もある 作者が誰であろうがこの文章を見るだけで惚れるだろうと思う めんどくせえ人はこれ一冊だけであと経典不要じゃねえの 真如と法の関係性がもともとの仏教と違うらしいけど
そんなのどうでもよくなる 瞑想の知識を手に入れるために本買ったのにこれだからな 難しい経典ばかり読んでイライラしているところにこの優しいのが入ってきたいちころだな まあやさしく感じるのは訳者の力量もあるんだろうけど あぶらっこいもので胃が持たれているときに胃にやさしいおかゆが出されたような感じだ 大乗わからない人はとりあえずこれ読んで、みたいな感じで僧侶が薦めていたに違いない 無知に通ずるあらゆることを停止しろというだけで学問体系として高度化されたものは
認めていたようだ 不安をごまかすために何かを信じることをやめろというだけ 釈迦の根幹を支える知識体系もヴェーダに基づいている 仏教における無知とは苦しみが発生する原因を知らないということである
だから無知は人を苦しめる 釈迦は苦しんでいる人を見てその原因を瞬時に見抜けるが
安易に助けようとはしない 赤ん坊を亡くして半狂乱になっている女性がいて
釈迦のところへ助けを求めに来る 釈迦は「生き返らせてあげるから、どこかの家でケシの実をもらってきなさい」と言った 釈迦は付け加えていった「しかしその家というのは代々死人を一人も出していない家に限る」と 実際に代々死人を出していない家などありえないのだが
女は赤ん坊が生き返るかもしれないと興奮しているのでそんなことは自覚できない 女は必死に走り回っていろんな家でそのことを聞いて回った
結果、どの家でも必ず死人を出していた 結局ケシの実は手に入らなかったが釈迦のところへ戻る頃には
半狂乱だけはおさまっていた
ほんの少しだけ自覚を手に入れたわけである その原因を即座に悟って消滅させることができれば別に良い
できないから俺は無知 学問的知識が豊富で、それらを駆使して苦しみを消すことができればそれでも良いのかもしれない 哲学板を久しぶりに覗いたらソクラテスのスレがあったので読んでいた
何か新理論を提唱している人が連投しとった このステルス賢者というのは感覚としてわからんでもない
イメージの世界に出来上がる全知者みたいなやつ
これが人を無自覚に動かしているという 一部の歴史的な賢者に人々が動かされているわけではないが
賢人の智慧は多くの人々を巻き込むだけの力はある
俺も巻き込まれている 釈迦やキリストの言ったことに振り回されて難しい本を読んでしまうのだから
俺も操られている ユダヤ陰謀論にしろそうだが、世界にはなにがしかの黒幕がいるという発想は
統合失調症にわりとよく見られる 意思や思考が統率できないときにそういった存在があらわれてくる 精神の彼岸から神が現れる宗教現象も似たようなものかもしれない その人の言い分ではプラトンも統合失調症となっている
俺もそう思う 西洋哲学の全域に影響を及ぼした電波王、それがプラトン ソクラテスは精神主義の親玉だから、あらゆるところに顔を出す
だからステルスかもしれん 分量が多いのはビビるが
問題は歴史的な重み
たとえば100巻を超える漫画はすごいなと思っても重みはさほど感じない 生活の全領域が、漫画からの影響を受けている人たまにいるけど 普通は生きていれば苦しみもあるし楽しみもあると考える
楽しみは確かにある 性欲も邪魔だと感じることが多い
若い頃はそう感じなかった 付き合っていたカップルの別れ話がもつれて殺人に発展することは
よくある
あれは楽しいか? グルジェフでいうところの創造の運動における下降オクターブの流れに逆らえなかった カバラは独特で、すべての現象界の事象は神の属性が流出したもの
我々が認識できる物質の世界はその一番下層にあたる
ここから上昇するのは難しい 仏教では執着により識を結び付けて輪廻する営みは悪に通じている 権力というのは元々悪であり歴史を都合よく修正して手前勝手の正義を作る
これは言い過ぎだがある面事実である その権力に自由の大半を譲渡しているのが我々近代国家の住人 シャンカラ先生の本がまだ届かないんだよ
これが本命だと思った ウパニシャッドのブラフマン観が強化されたらなぜか仏教に近づいていたという
「何を言ってるのか わからねーと思うが」状態 しかし俺の目的は「妄執の一時停止」ではなかったか? 昔の未熟な僧侶たちも仏典の難解さに振り回されていた 釈迦は言葉が誤解をもたらすことの方が多いことを知っているので
理解力のない修行僧には簡単なことをやらせて間接的に自覚させるという方法をとっていた 信者はそれでもカルマが落とされるからありがたいと思っていた(思い込まされていた) だから暴力や暴言が当たり前の禅宗の一派は仏教ではない 禅宗は仏教から派生した過激な宗教
カルトではないが 上に書いたことは俺の勝手なイメージが入っている
禅=喝!(叩く=暴力) 文字を追うことはできる
しかし意味として頭に入ってこない 文字の羅列が気味の悪い線や記号の集合、ミミズのラインダンスに見えることが多い ただでさえpso2で拷問受けてイライラしているのに仏教論理学だと 脳がいよいよ混迷を極めてきたときこそ瞑想だろう
脳はまだ混迷期にない 俺の脳も他の生命体にもれずエントロピーの増大に抗っている 18種の項目について完璧さを求められる
かなりシビアな宗教 ジャイナ教は不殺と無所有を徹底するというイメージだが
虫を殺す可能性があるからと火も使わない 水中の微生物や空気中の微生物も吸い込まないように気を使う
衛生のためではなく殺さないため 所有は、修行に必要のないものはすべて捨てる
家も家族も捨てるし服も着ない 命を奪うのは可哀想とかではなくそれ自体が忌まわしい汚れに直結する 微細物質の結合レベルの教えだから仏教よりも徹底している 内的感覚器官を二つ以上もつ生き物?
なんのこっちゃ 命我はアートマンのことだろう
虫や貝にも地や水にもある?? >裸のまま「空気をまとって」世俗にかかわる所有物すべてを放棄し、
12年間激しい苦行と瞑想にその身を捧げた。
苦行を持続するあいだ、かれは感覚に対する典型的な統制のあり方を示し、
また、人間、動植物を含むすべての生物一切に極限と呼べるほどの
注意を払い、あらゆる意味でこれらを傷つけないよう努めた。
リジュクラ川(リジュパーリカー川)の河畔ジュリンビカ(ジャブラカ)村での
修行を完成し、2日半にわたる瞑想のあとの夏の夜、ジュリンビカの
沙羅樹の下で真理を悟って「全能の力」を獲得し、
「ジナ」(Jina、「勝利者」)となった。ジャイナ教とは、
この「ジナの教え」に由来する。
かれは弟子や信奉者によって「偉大な勇者」マハーヴィーラと称されるようになった 虫や貝の内的感覚器官の数まで分かるレベルに達するか 物質の最小単位でのカルマの動きを観察したわけでしょう
凡夫にわかるかボケ! 仏教のせいか知らんが最近ヘヴィメタルを聴きたい欲求が薄れている カタ・ウパニシャッドを読んでいるがすでにこの中に仏教の基本要素が書いてある 黒ヤジュル・ヴェーダにある「死神の秘教」と訳されるものだ あとで「生命の本質」の書も読む
ヴェーダは奥が深すぎて怖い 賛歌の部分は世界的に愛読者が多いらしいが秘教的な要素は本当にコア 西遊記の密教要素ももとをたどればヴェーダだろ
だからドラゴンボール人気もヴェーダの影響なんだよ 因果関係上にある煩悩に支配されているようじゃな俺は 密教といっても中国だから道教も混じっているだろうが 道教の場合は禅に取り入れられていたヨーガの方法をアレンジした イライラすると体がかゆくなるという癖がある
それで、かゆみ物質が心臓から放出されるのがわかるのね、俺 それとも皮膚で作られたヒスタミンが心臓の方へ流れ込んでいるか
感覚としては心臓から出ている
実際分からない 体内で起こっていることというのはなぜか正確に分からない 宇宙にとって生命はアレルギー物質のようなもので
広がろうとするのを良く思われていないのでは?と考えていたことがある エントロピー増大の見地では宇宙はやがて熱死へ向かうといわれる
生命はこれに抗っている アレルギー反応とはそもそも身体の防衛反応のようなものである
しかし反応が過剰になると自身に害をもたらす 仕組みは分らないが宇宙からの要請で生命に苦が要請されている 仏教哲学怖いのは「根本原理」という言葉が情け容赦なく出てくる
原理いくつあるんだよというね デカルトも原理を好んでいたがまだニュアンスがやわらかい さまざまな分類をしたうえでその箇所でのみ働く原理もある しかし仏教はあらゆるものが相互依存なのでそれだけで独立して働く原理はあるのか? 50ページほど読んだが内容はすんなりと頭に入ってくる
仏教論理学にくらべてわかりやすい 要は「これは私だ」というものはすべて捨てるしかない 「これは私だ」といえるすべてのものは「これは私ではない」である アートマンとは純粋な認識主体のことである
それは認識のできる「私」とは関係が無い 仏教は捨て方の分からない人に気づきを与えるために知識を大量に投入する 利他行は無私のサービスになる
ただ与えろ、という
これが修行の基本 なんだ単純じゃねえかァ!
グヴぇえええええええ(発狂) 我執に苦しみながら「これは私ではない」を延々と繰り返す修行 自己を正当化するために他者を否定するという行為は病気のようなものだから
やめたほうがいいんだが、ついやってしまう 心相続の際のカルマの動きに注意しながらアドヴァイタを摂取する アートマンの本性が認識であるという知見は空ではなく唯識に近い ブラフマスートラの強化版が唯識に近づいたのが不思議だ だからシュールなんだな
釈迦がドライになってヴェーダに深く傾倒していたらこんな教えになったのではないかと 二元論からよく非難されたらしいが
あとで二元論の経典も読む >>1立て乙です
短期入院していたのでご挨拶遅くなりました >日本での大麻解禁はいつですか?
欧米から「圧力」がかかってからの話です 日本は習慣と人間関係に完全に依存する国家なので
余所が大麻解禁していても関係ありません 人間関係の圧力をやわらげるためのみに規制は緩和される ジャイナ教徒は扇風機も使わないか
虫が巻き込まれる恐れがある シャンカラ先生の本、稀に見る神本だな
買ってよかった 最初から最後まで夢中になって読めたのは最近ではこの本だけ 西洋哲学読んでいると、理性的になろうと無理しているような雰囲気が漂ってきて
退屈になる 理性なんかただの借り物だと知れ
人間にはもったいない 宮崎駿「世界は動いている!」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 欧米の一流数学者が誰しも驚愕するような才能を持っていた 寝ているときに神の世界にアクセスしていたといわれている
でないと毎日公理なんか閃かないだろ アカシックレコードに意識を接続していたという説がある あらゆる「動くもの」を秩序付けたいという欲求は物理学者が持っている シャンカラ先生に出会えたことを俺の脳みそが喜んでいるようだ シャンカラ先生の論は唯識に近いと俺は書いたが厳密には異なる プラサンキヤーナ念想が必要かどうかという点について突っ込むのはやめておくか この念想は「要点を反復させる」ことによりすでに結びついてしまった善悪の業を消滅させる瞑想法である ジャイナ教と違いシャンカラ先生論ではアートマンとカルマは結びつかない アートマンは西洋の「魂」に相当する?
これはよくわからない
少なくともソクラテスのいう魂とは異なる ソクラテスは魂をできるだけ善い状態で肉体から離すのが目的だった
しかしシャンカラはアートマンをそのようにとらえない 認識を本性とするアートマンが運動などばかげたことやるか? 我々の目は「反射する光」によって顕現する現象に慣れ過ぎている
>宇宙空間はほとんど何もない真空なので反射する物がなく、
光はまっすぐ通過して行ってしまいます。
ですから、私たちの目に戻ってくる光がないので、宇宙空間は黒く見えるのです 繰り返し習慣によってそうなっただけである
つまり宇宙が暗いのは「しきたり」にほかならない 意味のないものにしか縋ることができない
これは苦痛である
宇宙の暗さについて考えることも苦しい 前向きな人は?
宇宙が暗いのはしきたりで意味ねえから
宇宙が明るく見えるように努力すべきというだろうか 要点を反復させるプラサンキヤーナ念想が必要なようですね 要点を反復させるプラサンキヤーナ念想が必要なようですね
要点を反復させるプラサンキヤーナ念想が必要なようですね
要点を反復させるプラサンキヤーナ念想が必要なようですね
これが
要点を反復させるプラサンキヤーナ念想だ 結びつけるのは執着でもスポットまでは指定できんだろう ジャイナ教の解説は何度読んでも理解が追いつかない
説明に用いられる基本概念自体がよくわからない 穢れを寄せ付けないという考えは分かるのだが
人間の正気を試されるような苦行が習慣になっている 人は自然と共存できるか?ということについて考えたときに
「ジャイナ教の生活に耐えられるか?」と言い換えても成立するほどのものだ 家に大量のゴキブリが出てきても一匹たりとも殺してはならない 少なくとも理解しようとしている間だけは妄執を停止できる ジャイナ教はアートマンを認める立場だが基本姿勢は徹底的な相対主義である 相対主義だから正しさも相対化されるのではないか、というと違う
正しさの根本原理がある 根本原理にしたがった徹底的な相対主義という奇妙な形態をとる 恥ずべき行為は捨てなければならない
ここには「不注意によって虫や植物の命を奪う」ことも含まれる よくわからんが信者によって根本原理の種類や数が違う 分類はヴェーダ由来である
アートマンや虚空、輪廻、カルマにまつわるもの 物質とカルマのやりとりの説明が書いてあるがまったく理解不能 最小の空間単位というのがあってこれが何なのかわからない 時間には空間の最小単位は無いが実体と定義されている
これも理解不能 タットヴァ経の定義を援用しているらしい
つまり性質と様態のあるものは実体と定義される 正しいことと反対側への固執はカルマに通ずる物質を引き寄せる 物質を微点、分割、集合、離散などの概念で説明してあるがさっぱりわからん 生命が憎む苦しみのちからか何かで引き寄せられる?? ともかく正しいことと反対のことをやらかすと自分のいる場所にカルマの物質が引き寄せられるわけである カルマは生から生へと離散、凝集するように結びつくのか よくある「引き寄せの法則」なんか、ジャイナ教ではカルマ物質を集めるだけだろ 引き寄せの法則はアメリカ由来のオカルト科学である
たぶんニューエイジ思想あたりがブームの起源 できるだけ何もない場所でマスクして瞑想しているのが良い ジャイナ教は肯定、否定のときに「ある」や「ない」と断言しない
「ある点ではある」「ある点ではない」としか言わない
この点というのはおそらく空間的な概念である なぜ空間なのかというと唯物論だから
これは俺の勝手な解釈 ある点ではあり、ある点ではない、そしてある点ではあるといえるしないともいえる
またある点では表現ができない ある点ではある
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