【たった1つの歌】鈴木康博19【歌うために長い旅】
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チューリップの財津はオフコースファンクラブに入っていた
会員番号20番前後だったと思う
ヤスも小田さんのファンクラブに入ればいいのに >>899
自分と同類だと思ってた奴がモテたり出世したりすると急に嫉妬に狂い出す男ってよくいるよなw 小田は高校時代ラブ凸で最初に知ったけど
ベスト盤だけ借りてその後は興味無くなってたな
なんか昔の人って感じで
そんで最近オフコースに興味持ったけど
ソロ時代とぜんぜん違う多様な音楽性に今更驚いてるよ
結局オフコース時代が一番輝いてたアーティストじゃねぇか
小田も鈴木も
みんな勘違いしてるわ >>903
情報社会なので、部屋にいたままですぐに分かったような気になれるお手軽な時代やわな。そういう時代の落とし子たちや。 >>結局オフコース時代が一番輝いてたアーティストじゃねぇか
これ、いい発言 自分もミスチルとかと同い年で初めてオフコースの存在知ったのは小4の「さよなら」、興味持ったのは中1のヤスが脱退する辺りだから、ヤスがいた時代はほぼ後追いなんだよな。普通に孫がいてもおかしくない年齢だけどw ワルは悪いわけでダメなんだけど
そのとき輝きを放ってるワルもいて
中高女子が憧れたりしてた
小田もヤスも学を修めて(小田発言)その先で
歌なんぞ歌って輝きを放ってチヤホヤされて
その輝きの放散期間の大小に差があって
今はその差が大きくなりすぎたか >>907
俺が高3の時、中2か、じゃあパン買ってこい オレなんかさよならのときで5歳だ
ヤス脱退でせいぜい小3
遠い昔のようだ オレと言うことは男か
当時はタモリが暗いと煽ったせいで
特に男は公言できなかった
オフコースファンと言うだけで小馬鹿にされた時代
隠れオフコースとかもいた
そういう意味ではあまり楽しくなかったので
リアルタイム世代を羨ましく思うことはないと思う アラ還の俺は中高の頃、オフコース聴いてるってだけでツウぶれたけどな たしかに暗いイメージしかなかったな
昔兄貴がベスト盤持ってて
聞かせてもらったら数曲で眠くなったぐらいだったし >>906
オフコース解散後にダブルミリオン売った小田ですらそういう感想なんだから
オフコース時代も大して輝いてなかったヤスなんてw >>902
勘違いしてフテって辞めたのは鈴木本人だけどなw いつも思うけど奥さんが客観的に意見しなかったのかねぇ当時
まぁ言われても聞かなかっただろうけど いつも思うんだけど
「フテって辞めた」っていうの、ヤスにピッタリだな それ聞いたことある。
いつまで𝐧𝐨. 𝟐なの?て。 ただ1つぅ~輝いてぇ~残るぅのは~ファーァンァアアー 奥さんもモデルやってたんだから
自由業のシビアさくらい知ってたと思うんだけどな
よっぽど音楽に疎かったのか >>922
結果あのザマじゃ美談にも何にもならない
そもそも現在まで奥さんと添い遂げてる証拠もないし >>917
あの不貞腐れながらエレキを弾く動画は有名だからな 堀内孝雄はアリス在籍中にソロで90万枚のヒットを飛ばしながらアリス解散時のテレビのインタビューで解散理由を「谷村新司への嫉妬」と素直に告白している
何もかもがヤスと正反対だよな >>926
ヤスも脱退後20年くらいしてから「君の仕事に感じてしまったジェラシー」とか歌ってたけどねw ヤスさんは
今日も音楽活動に没頭していることだろう
夢を見ているのかしら アリスは谷村と堀内と均等にヒット曲出してるけど
オフコースは小田ばっかりだからな >>930
オフコースは小田も鈴木も均等にヒットしなかったのが小田だけヒットするようになった ヤスはボーカルに魅力ないのが致命的
声量がなく上辺からなぞっただけのような
歌い方がダメだったな >>953
なぞったようなだけってなんだよ。
負け犬が気に入っている表現らしいが、
全然伝わらねーよ。 >>934
腹の底から声が出てない
いわば口先だけのひよこみたいな歌い方
同じ高音でも小田はシャウトできるけど
ヤスは出来ない それは福山雅治とかのゴニョゴニョ何を歌ってんか分からないようなのでしょ
ヤスの歌は何を歌ってるのかは最低限伝わる ヤスのボーカルは迫力ないからな
初期のようなフォークデュオなら活きるけど
ロックではだめだ フレディーみたいなボーカルあれば
ヤスの糞曲でもいくつかヒットしたかもしれないのにな ヤスがボヘミアン・ラブソディのコピーして
ガリレオとか歌うと、意外に良かったりして 勝手にしやがれは
ヤスの歌声が何となくジュリーのそれに似ていて
あれ、やっぱりモノマネ入ってたのかなー
あの頃は妙に調子こいてて笑えるね 能力表
シンガー ソング ライト
堀内 A A A
谷村 A A A
小田 A A A
ヤス C B E
これじゃねぇー >>943
別に好きでもないけど
こいつら歌うまいしソロでも成功してるしな
全然知らないオレでも二人の名前も知ってるし
オフコースも小田和正の名前は知ってたけど
ヤスの存在は最近まで知らなかった まーここ数年で出てるベスト盤はほぼ小田曲オンリーだしな
3枚組のやつでかろうじてロンドが入ってたけどそれかよっていう この間チャゲアスに肩入れして、
周囲から大馬鹿呼ばわりされたことを
もう忘れたらしい。
負け犬君の記憶力なんてこんなもの。 スピッツ草野のfm番組でポルナレフの「愛の休日」流れてる >>947
言っとくけど
900以降で俺が書いたレスは8レスだけ 今日もヤスは鼻歌のようなな軽~い歌を作って
悦に入ってるのかも 俺がオフコースを自主的に聴き始めたのは
第二オフコース解散直後の1988年
世間では小室哲哉率いるTMネットワーク全盛期で
リードボーカルにも関わらず歌って踊るだけで作詞も作曲も編曲もできない宇都宮隆をバカにしていたが
改めて聴くと少なくともボーカリストとしては
作詞も作曲も編曲も一応できるヤスより100倍マシ 当時のヤスはガイコツみたいにキモイ顔だし変な歌ばかりだし嫉妬深くてネチネチしててフテって辞めた迷惑な男でサイテーだった ソロになってしばらくしてフェアライトCMIをセッティングしてテレビで歌ってたが、特にフェアライトを使う必然性を感じないしょうむないアレンジのしょうむない曲で哀しかった 今やパソコンで何とかなりそうな機材が1千万したのよね >>955
3人組はよく最後まで勤め上げたといっていたがね。 いやいや、自分から不貞って
辞めたくせにその後
ネチネチ言う奴よりはマシだよ。 その後の人生、
二人の努力・仕事の質というかカラーがガラリ変わったね
ヒット曲をねらうという基本は両者変わらず同じままなのだが、
あちらは
自分の周囲の人間を食わせていく労力も必要となり
幸いそれをこなすことができた
ヤスのほうは
己の中のごく個人的なモヤモヤ解消に拘って過ごし、
一線から離れるにつれ、ますます泥沼みたいな 小田は最近のインタビューでこれまでは周りの要求に沿った歌を作ってきた、その中には本来自分の中にはなかった要素をあえて入れたものもある、でもこれからは若い頃に憧れていたような本当に作りたい歌を作れるかもって言ってた
まあ、実績とともにしがらみや責任も大きかったんだろう
ヤスはのんびり年金暮らしで呼ばれれば週末ライブ、仁も今が一番楽しいって言ってるそうだしジローも松尾も地元でラジオやったりそれなりに楽しそう オフコースの楽曲は小田さんとヤスさんの宝物。
若い時の作品はクォリティが高く、アレンジも
凝っている。たまアリーナ最終日の小田さんMCはツアータイトルの「こんど君と」をきみと今度とか何度も言ったり記憶に混乱が見られた。ヤスさんの最近のMCはわからないが、小田さん歌唱中に歌詞が飛ぶのはしょっちゅう。75才ごく普通の老人の
姿を感じた。 >>963
小田は間違いなく成功者で
他のオフコースだった人たちも勝ち組人生だったという事さ H20に提供した風のロマンスなかなかいい曲じゃねぇか うん、まあまあ。 でもシングルのA面曲にはならない。 ヤスはテレビ出演で、
小田が同じデュオ・グループだったバズの影響か、
ある日突然、ピアノを弾くといいだして、
その頃は間違えが多く、ひどい演奏だったと話していた。
そのバズの二人だと思うのだけれど
ユーミンの50周年お祝いライブ映像では
バックコーラスを務めていたようだ
ユーミンが売れ出したころ
バズもオフコースもがんばっていた
ヒット曲が無かったオフコースだったが、
次は自分たちだと信じていた時代だったと思う
既にしっかりとファンがいて、
関東では当時からチケットがの入手がむずかしくなっていたな
道新ホールの観客13名には驚いたが、
逆にそのお客さんたちを羨ましく思ったものだ 音楽業界では「三年やって芽が出なければ契約解除」
オフコースは1975年「眠れぬ夜」がスマッシュヒット
1977年「ロンド」がギリギリオリコン100位内
1979年「愛を止めないで」がスマッシュヒット
1980年「さよなら」の大ヒット
ヤスのロンドがなければ「さよなら」もなかった >>968
道新ホールの話、小田さんが7月真駒内アリーナツアーの時、話していたのを思い出した。観客は、聖光学園の先輩とそのスタッフ計13名。
オフコース時代、2人はツアー先で冷や飯食っていたんだな。 >>966
財津さんの曲抑えて晴れなるシングルA面曲だよ
売れなかったけどw 眠れぬ夜は75年発売当時はチャートインせず
100位以内に入ったのって秀樹のカバーに便乗して
81年ごろだったかに初チャートインだから
オフコースシングル初の100位以内チャートインはロンドなんだね
すごいねやすさん >>973
小田ソロのセルフカバーを除けば
オフコースの最初で最後のタイアップ曲だよな ヤスがいなければ小田はデビューすらしてなかっただろうから
全ての小田ファンはヤスの存在に感謝すべきだよな
ヤスの楽曲に感謝する必要は全くないけどw オフコースのヤスの曲は邪魔なだけだった
「えーと、次の曲はー『作詞・作曲/鈴木康博』えーっ、4分40秒?長いよ」
と顔が曇ったもんだ ヤスがいたからオフコースなんだよ
ヤスがいなければオダコース >>979
オフコースにヤスがいるのは大歓迎だが
作曲と編曲と演奏だけしてろ
作詞してリードボーカル取んなw 吉田拓郎が作詞して清水が歌うようなのをオフコース名義でやらないで欲しかった 一方松本一起が作詞して松尾が歌うのは
ヤスが作詞してヤスが歌うのより遙かにオフコースらしい 小田ばかり歓声浴びて3バカがしゃしゃり出てオフコース全盛期のライブは居心地悪かっただろうなヤス ライブ自体はみっともないとこ見せたくないと最後まで楽しくやってたんだってさ
でもそれを見た小田が「ヤス自身はほんとは脱退したくないんじゃないか」って思ったらしくそれがまたヤスを怒らせた タイトル「この先の道」だったか、詞曲ともにいい曲だと思った >>985
せめてヤスがチャゲ並みに売れて人気もあったなら
あの辞め方もまだ解るんだけどねーw 2人でやって来てたのに
急にその他大勢枠の方にまわされたら面白くないのは分かるけどな ポップスやニューミュージックの土俵では、
第一人者だろうな。
ギターで裏メロ弾きながら、相方より高いキーで
これまた違う裏メロを歌ってるんだから、
小田も離したがらない訳だよな。 だなー
ヤスの自作曲は置いといて、4人期〜小田ソロのアレンジが平板ワンパターンになったのは事実。またこの感じか〜っていう。 オフコースのピークは解散だ解散だ騒がれて活動休止からの4人でスタートまで
スタートしてからはひたすら失速した 演奏やアレンジに自信持つのは大いに結構だけれど
あの歌や歌詞にまで自信満々なのが理解できない よく気遅れする事なく満員のステージで歌えるよなぁ、という恥ずかしい歌詞 オフコースの活動を通じて
私はミュージシャンに向いてないとよくわかりました
でも音楽を愛する気持ちに変わりはないので
今後は楽曲や音楽機器のエンジニアとして頑張ります
とか
音楽学校講師として後進育成に励みます
とかなら論旨明快で誰もが納得するのに レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。