【コラム】小宮山雄飛が焼肉巡り─日本のコリアンタウンを歩く[9/10] [無断転載禁止]©2ch.net
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日本には東京・新大久保をはじめ、数多くのコリアンタウンが点在する。そしてそこには韓国スタイルのレストランやよろず屋など、焼肉スポットが数多くある。ホフディランの小宮山雄飛が各地を訪れ、焼肉観を語る。
コリアンタウンを歩く
ぼくは焼肉、大好きです。父親も大好きだったので、子どものときは休日に食べにいく機会も少なくなかったです。
ふたつかみっつ、行くお店を決めたらずっとそこ、というより、あらゆるお店を試してみたい。それがぼくの性分です。それで東京なら、生まれ育った原宿や渋谷の界隈から、23区26市を対象に、うまい焼肉屋さんがあると聞いたら、出かけていっています。
コリアンタウンと通称される地域が各地にあります。有名なのは大阪・猪飼野、東京・三河島、川崎・セメント通り。戦前から戦後にかけて、朝鮮民族のひとたちが集まって、朝鮮半島の文化・習俗そのままに暮らしていたといわれる区域です。
パリにはさまざまな地域から集まったひとたちがラテン語を共通語としていたカルチェ・ラタン(ラテン地区)があるように、日本各地にもカルチェ・コレ(朝鮮地区)があったわけです。それをぼくは第1次コリアンタウンと勝手に名づけています。
戦前は安価な労働力確保のための強制連行や半島の不安定な政治情勢のため難民的に日本に渡ってきた朝鮮民族の人々がコリアンタウンを作りあげたと聞きます。
コリアンタウンと能天気に呼んでは申し訳ない気もしますが、そういうわけでかつては工場街にコリアンタウンがあったようです。
いっぽう太平洋戦争とも関係しています。東上野などは敗戦直後、焼け出された朝鮮民族のひとが線路わきに多く寝泊まりしていたところから自然発生的に生まれたというのが、地元のひとの記憶です。
焼肉のルーツ
東京・荒川区西日暮里の三河島のコリアンマーケットは済州島出身のひとたちが作りあげたものだそうです。かつて大阪と航路が開かれていたので多くのひとが移住してきた結果です。
「昔は小さな路地にも店がたくさんあったんだけれどね」。質の高い豚肉や牛肉を安価で販売していることで今も人気が高い丸萬商店のオーナー、明彦(コ・ミョンアン)さんはそう話してくれます。
コリアンタウンといえば三河島という思い込みがありました。たしかに焼肉やホルモン料理のお店は目につきますが、日常のなかに溶け込んでいます。散策しながら出合いを探しましょう。
60年代の高度成長期を経由して職業の選択肢が増えるとともに、日本で生まれ育った世代も増え文化の固有性が薄れます。結果、コリアンタウンはバラバラになったと言われています。
つぎが第2次コリアンタウンの時代。70年代以降の焼肉人気です。タレをつけて肉を金網で焼くスタイルは、かつてプロレスラーの力道山も通ったという大阪の「食道園」が始めたものとか。
ぼくも上半身はだかの力道山が食道園のテーブルについている写真を見たことがあります。そこまで気合いを入れて焼肉を食べていたのか、と感心しましたが、おそらく写真のためのサービスですね。
歴史のお勉強みたいになってすみませんが、テレビコマーシャルで「焼肉のたれ」を大々的に宣伝していたモランボンの貢献も見逃せません。
昨今は第3次コリアンタウンの時代で、代表的なのは新大久保。韓流ブームにのっかって、スターのグッズなどを売る店が多くあります。
いまはぼくがかつての父親の立場になったので、休日に家族を連れていっています。
上野肉店
上野肉店がある東上野の一角は本当にコンパクトですが、すごく狭い路地にテーブル2つしかないお店があったりして、雰囲気は異界そのもの。トイレは共同というのも、お店どうしの仲のよさを象徴しているようで好きです。
ぼくはここに来ると上野肉店でカルビや上タンを買い込み、それから「東京苑」や「京城苑」をハシゴします。
https://gqjapan.jp/life/food-restaurant/201709/07/discover-korea-in-tokyo-komiyama/
(>>2以降に続く) (>>1の続き)
前者はハラミを初めて提供したお店ともいわれていることもあり、ぼくはそれぞれのお店で特徴的な料理を注文します。ハシゴの結果、その日の焼肉コースを完成させるというふうに楽しんでいます。
新大久保の「幸永」は学生時代から通っている焼肉店。当時はホルモンが食べられるお店が少なかったこともあり、食べたくなるとここに足が向いていました。店名の由来になったという今のオーナーのお母さんがやっていた頃からのファンです。
「30年前の新大久保は、歌舞伎町で働くひとが住む街で、いまみたいに焼肉屋は多くなかったですね」。オーナーの平山敬裕さんはそう語ります。
2002年の日韓共催サッカー・ワールドカップを境に、新大久保には焼肉屋や韓国料理のレストランが多く出来たと聞きました。
「幸永」はホルモンが得意なお店で、なかでもあえて脂を落とさないように下ごしらえした「極(きわみ)ホルモン」の濃厚さはインパクト大です。個性のある店は時代の波に流されず生き残っていくというよい見本です。
セメント通り
川崎のセメント通りは名前のインパクトで印象に残ります。そもそもセメント会社の工場があったことからこの名がついたそうですが、広い幅員の道路と、駐車場完備の焼肉店と、それに「KOREA TOWN」と書かれた大きな門がほかにない迫力を感じさせます。
コリアンタウンと言うには数軒の焼肉店しかありませんが、どこも規模が大きく、大人数でも受け入れてくれる度量の広さがあります。東上野とは対極にあるワンダーランドです。
川崎に朝鮮民族のひとが多く住んだのは、工場の街であり仕事が多かったからだと言われています。したがって焼肉も、汗を流して働くひとの好みに合わせて味が濃いめだというのが世間一般の評でした。
「川崎の焼肉として特徴を出そうと味は甘めにしています」
1972年創業の「東天閣」で店舗統括部長を務める山岸聖人さんは言います。昔ながらの直球の「焼肉屋の味」というのが美点です。
さいきんは熟成肉とか特別な塩で食べるよう勧めるトレンドがありますが、ぼくはこういうオールドスタイルを守ってくれているお店の方が好みだなあと改めて思いました。
町ごと食べるのがおいしい
なにはともあれ、焼肉は”町ごと食べる”のがぼくの主義です。新大久保にしても川崎にしても、街並み自体がべつの町から訪れた者にとっては非日常的。焼肉を食べるだけでなく、ちょっとした旅行気分を味わえます。そこが魅力にもなっていると思います。「コリアンタウン」とは一種のユートピア願望なのでしょうか。
焼肉というと昨今ではもはや高級なジャンル。とかくA5ランクとか熟成とか肉の質ばかりが取り上げられがちですが、焼肉の本当のおいしさは素材にばかり頼っているわけではありません。ここで書いてきたようにお店や街の雰囲気が大事。それこそ一朝一夕で作れない貴重な財産だと思います。
焼肉はシンプルといえばシンプルな料理ですが、魅力は味だけではなく、幾重にもなって構成されているわけです。家族で行くのにもいいし、デートにも接待にもさまざまな目的で使える。東京と川崎を回ってみて、その奥深さと、焼肉を支えるひとたちの情熱に触れることが出来ました。
近くの高級肉より、遠くのコリアンタウン。わざわざ行くからこそ楽しめる。そういうおいしさもあるのではないでしょうか。
語り・小宮山雄飛 文・小川フミオ 写真・湯浅 亨
(おわり) >戦前から戦後にかけて朝鮮民族のひとたちが集まって、朝鮮半島の文化・習俗そのままに暮らしていたといわれる区域です。
嘘ニダー死ね:((; ` ´ ;)) リンク開いて、javaスクリプト切ってると真っ白になるのを日本で見たのは久しぶりだわ
何このグックJapanって チョンのおもてなし料理ニダ ・・・ケケケ 喰え ウリのオモテナシ・・・ 焼肉がなんで朝鮮料理なんだよ 肉焼くだけだから世界中どこでもあるんだよ 3千年まえでも焼き肉はあったんだよ
縄文時代から日本じゃ肉は焼いて食ってた証拠がやまほどあるのに朝鮮人の専売特許みたいな嘘つくのやめろよ 文化でもなんでもねーよ 松阪牛うめぇ〜w
ゴミアンタウンの床に叩きつけた肉で満足できるやつはすげえわw 思うんだけど ・・こういう人見て ホフディランさんのだれかさんとか。
あの焼肉 そもそも 日本で被差別部落って人呼ばれた 人たちが 生業としていた。
つまり「焼肉屋」は 別に コリアンが持っていた食文化でもないし。
日本の被差別部落の方がはじめたのでしょ「焼肉屋」を。
それを利用したのが在日コリアンなだけで。
リスペクトすべきは 日本の被差別部落の方々でしょうに・・。
元々 「焼肉」「モツ」とか 日本にあるし・・漫画の「じゃりんこチエ」とかああぃうのだよ。
コリアンが「焼肉」を伝えたなら 日本の被差別部落の方々は それは違う 全然違うといいますよ。
コリアン発祥じゃないし 「焼肉」は。 社会的に この日本では云えないのよ。
焼肉屋が部落の人 食肉産業も含め。
これにあてはまるのは50代60代近いおじさんおばさんだろうし。
「焼肉」はコリアンが日本に紹介したものじゃ全然ない。
焼肉=コリアン nono・・日本の部落の人々が考えたんだよ。
クローズアップされるのは コリアン社会のみだが笑・・全然ちゃうし そこらへん みんな ぼかして 在日の焼き肉屋が「焼肉屋」と思ってる風はあるね。
在日のコリアンには 「朝銀」?とか民団系の信用金庫もあっただろうし 「お店」いっぱい出せた。
でも日本の被差別部落の方には かつての「朝銀」みたいなバックボーン 支援してくれる方はいなかったし。
いつの間にか 「焼肉」=「コリアンの食文化」的なイメージがついたのよ。
焼肉=コリアンじゃないとは 云いたいよね。 京都に住んでるんだけど 大昔 そのさぁ 部落の不良とかチョン高の不良とか 喧嘩していたから笑。
焼肉「部落の歴史」を抜きに語るなって思うよ・・・・コリア料理とちゃうし「焼肉」。 戦後の混乱時に不法占拠した界隈だよコリアタウン何て 日本の部落って呼ばれた「同和地区」とかさぁ その人らが「焼肉」ってスタイルいる考えたのに。
在日のコリアンが「焼肉」をあみだしたみたいなのは 同和地区の70代ぐらい爺婆の日本人「ちゃうやん・・っていいますよ」 うちが云ってることは マスメディアでは絶対言えない
ぼかしてぼかして 一世代前の「じゃりんこチエ」みたいなマンガで郷愁みたいな感じで発表するのが落ちなのよ。
焼肉は在チョンとかコリアじゃないんで 「部落」の人々が作り上げた料理なんで。
リスペクトが無さすぎ「部落」の偉人に。 コアなホルモン料理とかほとんど部落地域で育った日本人が産んだし。 悲しいことだけど 江戸時代の「えたひにん」 その身分秩序みたいなのが集落として 経済的な価値があったとはいえ。
焼肉=コリア ぜんぜんちゃうし。 どうぶつを殺してとった肉を焼く
焼肉がスキという理由でコリアン街を
揚げるというのは論理として正しいか 部落のやつらって結局は 社会とのつながりが 在日社会みたいに高度に「銀行」を「闇金」「サラ金」はてまて「新興宗教団体」までいけなかったんだよ。
京都の鴨川の河川敷で 不良の部落の日本人高校生と チョン高の不良どもが喧嘩しあっていたときに チョン校の悪ガキのやつらは 未来を見据えていたってこと・・だな。
ゴミ収集車の運転手とかに収まって はてまて パン屋の従業員とか ラーメン屋企業・・チョンどもはえらいの 昔殴り合ったやつらを今は利用してるんだぜ・・「部落」をよw え、まさかと思ったけどマジでテンフィンガーユウヒかよ 世界の美意識はこん/なに違/った! 1人の女性を20カ国以上でフォトショップ加工(画像)
http://www.zsdfaqw.shop/818235/
南行って食ってこいよ
不衛生な環境じゃ怖くて食えないだろうな >>1
>戦前は安価な労働力確保のための強制連行や
さり気なくちょろっと嘘混ぜてんじゃねえよ、何が強制連行だよ!
スマイル好きなのに。 ■大阪府が1932年に「なぜ日本に来たのか」在日朝鮮人に調査、
7割以上の同胞が「食えないから」日本に来たと答えた■
大阪ではいまでも、在日朝鮮人が多く居住しているところ。
植民地統治下の1930年(昭和5年)には在日同胞の約23%にあたる7万人が住んでいた。
大阪府が1932年に、大阪市内に一戸を構えている朝鮮人の調査をしたが、「なぜ内地に来たのか」という質問に、
「農業不振のため」との答えが、55.7%、「生活難のため」(17.2%)を加えると、
7割以上の同胞が、「食えないから」、日本に来たと答えた という。
朝鮮新報 2015.01.23
http://chosonsinbo.com/jp/2015/01/sk123-6/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています