日本には東京・新大久保をはじめ、数多くのコリアンタウンが点在する。そしてそこには韓国スタイルのレストランやよろず屋など、焼肉スポットが数多くある。ホフディランの小宮山雄飛が各地を訪れ、焼肉観を語る。

コリアンタウンを歩く

ぼくは焼肉、大好きです。父親も大好きだったので、子どものときは休日に食べにいく機会も少なくなかったです。

ふたつかみっつ、行くお店を決めたらずっとそこ、というより、あらゆるお店を試してみたい。それがぼくの性分です。それで東京なら、生まれ育った原宿や渋谷の界隈から、23区26市を対象に、うまい焼肉屋さんがあると聞いたら、出かけていっています。

コリアンタウンと通称される地域が各地にあります。有名なのは大阪・猪飼野、東京・三河島、川崎・セメント通り。戦前から戦後にかけて、朝鮮民族のひとたちが集まって、朝鮮半島の文化・習俗そのままに暮らしていたといわれる区域です。

パリにはさまざまな地域から集まったひとたちがラテン語を共通語としていたカルチェ・ラタン(ラテン地区)があるように、日本各地にもカルチェ・コレ(朝鮮地区)があったわけです。それをぼくは第1次コリアンタウンと勝手に名づけています。

戦前は安価な労働力確保のための強制連行や半島の不安定な政治情勢のため難民的に日本に渡ってきた朝鮮民族の人々がコリアンタウンを作りあげたと聞きます。

コリアンタウンと能天気に呼んでは申し訳ない気もしますが、そういうわけでかつては工場街にコリアンタウンがあったようです。

いっぽう太平洋戦争とも関係しています。東上野などは敗戦直後、焼け出された朝鮮民族のひとが線路わきに多く寝泊まりしていたところから自然発生的に生まれたというのが、地元のひとの記憶です。

焼肉のルーツ

東京・荒川区西日暮里の三河島のコリアンマーケットは済州島出身のひとたちが作りあげたものだそうです。かつて大阪と航路が開かれていたので多くのひとが移住してきた結果です。

「昔は小さな路地にも店がたくさんあったんだけれどね」。質の高い豚肉や牛肉を安価で販売していることで今も人気が高い丸萬商店のオーナー、明彦(コ・ミョンアン)さんはそう話してくれます。

コリアンタウンといえば三河島という思い込みがありました。たしかに焼肉やホルモン料理のお店は目につきますが、日常のなかに溶け込んでいます。散策しながら出合いを探しましょう。

60年代の高度成長期を経由して職業の選択肢が増えるとともに、日本で生まれ育った世代も増え文化の固有性が薄れます。結果、コリアンタウンはバラバラになったと言われています。

つぎが第2次コリアンタウンの時代。70年代以降の焼肉人気です。タレをつけて肉を金網で焼くスタイルは、かつてプロレスラーの力道山も通ったという大阪の「食道園」が始めたものとか。

ぼくも上半身はだかの力道山が食道園のテーブルについている写真を見たことがあります。そこまで気合いを入れて焼肉を食べていたのか、と感心しましたが、おそらく写真のためのサービスですね。

歴史のお勉強みたいになってすみませんが、テレビコマーシャルで「焼肉のたれ」を大々的に宣伝していたモランボンの貢献も見逃せません。

昨今は第3次コリアンタウンの時代で、代表的なのは新大久保。韓流ブームにのっかって、スターのグッズなどを売る店が多くあります。

いまはぼくがかつての父親の立場になったので、休日に家族を連れていっています。

上野肉店

上野肉店がある東上野の一角は本当にコンパクトですが、すごく狭い路地にテーブル2つしかないお店があったりして、雰囲気は異界そのもの。トイレは共同というのも、お店どうしの仲のよさを象徴しているようで好きです。

ぼくはここに来ると上野肉店でカルビや上タンを買い込み、それから「東京苑」や「京城苑」をハシゴします。

https://gqjapan.jp/life/food-restaurant/201709/07/discover-korea-in-tokyo-komiyama/

>>2以降に続く)