7月14日の午後6時55分、天津市の“静海区公安局”(以下「区公安局」)に死体発見の通報が入った。現場は天津市の西南部に位置する“静海区”の郊外を走る国道G104の傍らにある濁った池で、死体は背中を上にして水に浮いていた。地元の消防隊が引き上げた遺体は男性で、服装は整っていた。

上着のポケット内にあった身分証から、死者は山東省“徳州市”の管轄下にある“武城県?王庄鎮仁徳庄村”出身の“李文星”(23歳)と判明した。

同夜、区公安局の警官が李文星の家族に連絡を取り、李文星が死体となって発見されたことを連絡して、速やかに天津市へ来て遺体の確認を行うよう依頼した。翌日、天津市入りした李文星の家族は遺体と対面して本人であることを確認した。

7月20日、家族同意の下で監察医による李文星の遺体解剖が行われた結果、死因は溺死と判定されたが、不思議なことに、遺体の胃袋は空っぽの状態で、死亡当時の李文星は餓死寸前であったことが判明した。

資源探査を学んだが…

李文星とその妹の“李文月”は、1994年の1月に“龍鳳胎(男女の双子)”として仁徳庄村の貧しい農民家庭に生まれた。出生時、男の子は呼吸がなく、女の子は低体温であったが、医院の応急処置によって命を救われた。しかし、李文月は病弱で治療費の出費がかさみ、李家の生活は困窮していた。

李文星は小さい頃から学業優秀で、“高考(全国大学統一入試)”で遼寧省“瀋陽市”にある一流大学“東北大学”に合格したが、家計を考えて入学手続きを逡巡して、父親に叱られた。東北大学生となった李文星は李一族で唯一の大学生であり、李一家の希望だった。

李文星は昨年(2016年)6月に東北大学の“資源勘査工程専業(資源探査工程学科)”を卒業した。

将来に希望を抱いて東北大学の資源探査工程学科を卒業したものの、専攻した学問を活かせる良い就職先はなかなか見つからなかった。就職したら故郷の家族に仕送りをしたいと考えていた李文星は焦りを覚え、世間で人気の“JAVA程序員(JAVAプログラマー)”になろうと考えた。JAVAプログラマーなら給料も高いし、出張もない。

彼の専攻はコンピューターとは無縁であったにもかかわらず、李文星は無謀にも夢をかなえようと北京市へ移り、コンピューター関連の専門学校へ入学した。大学時代に李文星と宿舎で同居していた友人は、今年の年初に別の仕事を李文星に紹介したが、李文星の決意は固く、即座に断られたという。

専門学校の授業を終了した李文星は、5月15日からインターネットの著名な求人サイト“BOSS直聘”を通じてJAVA関連企業の求人広告に応募を開始し、何社にも履歴書を送信した。しかし、どこからも返事はなく、焦りを覚え始めた5月19日に“北京科藍軟件系統公司(北京科藍ソフトウエアシステム)”(以下「北京科藍公司」)という名の企業からメールを受け取った。

李文星は知らなかったが、このメールは北京科藍公司という実在する企業の社名を騙(かた)った“李鬼公司(インチキ会社)”から発信されたものであった。当該インチキ会社は“傳銷(マルチ商法)”集団が求職者をおびき寄せるための手段であったことにより、李文星は最終的に死を遂げることになったのだった。

北京科藍公司からのメールで連絡を受けた李文星が、そこに記載されていた番号へ電話を掛けて電話面接を受けた結果、ハンドルネーム“五殺楽隊”という人物から合格通知のメールを受け取った。

そこには速やかに天津市の“静海火車站(静海鉄道駅)”(以下「静海駅」)へ来るよう指示があり、列車の時刻表を調べた李文星は翌20日の午後1時20分に静海駅へ到着する旨をメールで返信した。5月20日、李文星は北京駅から列車に乗り、午後1時20分過ぎに静海駅に降り立った。

その後の李文星の足取りは不明だが、7月8日に故郷の母親へ電話を入れ、「誰かが電話でカネを要求して来ても、絶対に支払わないように」とだけ言って電話を切ったことが確認されていた。

騙されたことに気付いたはずだが…

ニュースサイト「“中国青年網(ネット)”」は8月6日付で李文星事件について以下のように報じた。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/090500116/

>>2以降に続く)