>>1の続き)

【1】“蝶貝蕾(ちょうばいらい)”は2005年に発足した“傳銷(マルチ商法)”集団で、全国各地にはびこり、多数の被害者を出し、度々大がかりな取り締まりを受けながらも、依然としてしぶとく生き残っている。求人サイト“BOSS直聘”に北京科藍公司の名前を騙って求職者を陥れる罠を仕掛けたのは、“蝶貝蕾”の天津支部に属する“陳〇”だった。
李文星から5月20日午後の列車で静海駅に到着する旨の返信メールと受け取った陳〇は、上司である“張●”に報告し、張●はその上司である“胡△”に報告した。胡△は部下の“江▲”に静海駅で李文星を出迎えるよう指示した。

【2】静海駅で李文星を出迎えた江▲は、李文星を静海区の“静海鎮上三里村”にある仲間の“艾◇”が管理する部屋へ連れて行った。その後、李文星は同じ静海鎮の“楊李院村”にある胡△が管理する部屋へ移され、最後は楊李院村にある仲間の“李◆”が管理する部屋へ移された。
恐らく李文星は“艾◇”が管理する部屋に連れていかれた時点で騙されたことに気付いたはずだが、狼たちが捕らえた獲物を逃がす訳がなく、常に厳しい監視の下に置かれ、身の危険を感じて逃げ出すことができなかったのだろう。

【3】8月6日早朝、静海区はマルチ商法撲滅行動を展開し、2000人余りの取締官を動員して“村・街・社区(村・通り・地域)”など418カ所でローラー作戦による捜査を行い、午前11時までにマルチ商法の拠点301カ所を摘発し、マルチ商法メンバー63人を捕捉した。
拘束した“蝶貝蕾”メンバーの供述から、静海鎮で“蝶貝蕾”集団の監視下に置かれた李文星は強制的に入会金を支払わされて正式に集団メンバーになり、死亡する前の時点では監視を解かれて集団内で自由に活動することが許されていたことが判明した。但し、李文星が溺死した原因は解明されておらず、さらなる調査が行われている。

実は、8月3日に北京紙「新京報」の記者が李文星の死体が発見された池から100m程離れた下水溝でマルチ商法集団が捨てたと思われる“傳銷日記(マルチ商法日記)”などの物品を発見した。この周辺の住民によれば、この地域にはマルチ商法集団のメンバーが集まる拠点があり、1年中多くの人々が拠点に居住し、常に授業を受けていた。

しかし、彼らは1週間前に突然姿を消したので、どうしたのかと思っていたら、彼らの拠点近くの下水溝に布団、衣類を含む大量のゴミが捨てられていたという。彼らは見た目には正常だったが、住民たちと話をすることはなく、衣服は汚れ、ズボンには泥が付いていた。

また、記者が発見したマルチ商法日記には手書きで“蝶貝蕾”の内部構造や“蝶貝蕾”集団が取り扱う商品を販売する際に必要な騙しの話法などが書かれていて、その中には「当社のビジネスパートナーは“広州蝶貝蕾精細化工有限公司”である」といううたい文句のインチキな記述もあった。

2900元の化粧品購入を強要され…

この発見によって、李文星と“蝶貝蕾”集団との関係は明白なものとなったのだが、「新京報」は同じ記事の中で、“苦肉計(苦肉の策)”を用いて、“蝶貝蕾”の拠点から必死の思いで逃げ出した25歳の“李冬”の体験を報じている。その概要は以下の通り。

(1)北京市内の某理工系大学を卒業した李冬は、今年5月に求人サイト“BOSS直聘”で“北京泰和佳通”という名の企業が“軟体測試人員(ソフトウエアテスト員)”を募集しているのを見つけた。李冬はこの企業に応募したが、採用試験は電話面接だけで、李冬の就業経験などを聴取した2日後には合格の連絡があり、天津市の静海駅へ出向いて来社するようにと指示があった。

静海駅で出迎えを受けて向かった先は1軒の農家で、そこには20人程の人数がいた。これを見て李冬は非合法組織だと悟って逃げ出そうとしたが、そのうちの1人に首を絞められた。窒息する寸前に許しを乞うて助かったが、死の恐怖に打ちのめされた。それからは李冬に3人の監視が付き、1人が李冬に話をし、他の2人は李冬の左右を取り囲んだ。

(2)それからの毎日は昼間にこの農家にいるのは短い時間だけで、警察を避けるために、組織のリーダーがメンバーたちを荒野や田畑へ連れて行き、1日中マルチ商法の講義を聴かされた。

李冬と同様に合格通知を受け取って静海駅へ来た人の多くが、駅から農家の門前まで連れて来られた時点で騙されたと気付き、Uターンして逃げようとするが、組織の人数は多かったから、たちまち捕まって連れ戻されるのだった。

(3)この組織は“蝶貝蕾”という名のマルチ商法集団で、扱っていたのは化粧品であった。騙されて連れて来られた人は2900元(約4万6400円)で一組の化粧品を購入することを要求される。

(続く)