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▲11日午後、シュレーダー元首相がナヌムの家を訪ねてイ・ヨンス、ハルモニと挨拶を交わしている。
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▲シュレーダー元首相がイ・オクソン、ハルモニから記念ブレスレットをプレゼントされてる。
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▲シュレーダー元首相が残したナヌムの家芳名録。「このように大きな苦痛にあった方々を考えると涙が流れます」と書いた。

「8279キロ」。ゲアハルト・シュレーダー(73)元ドイツ首相の住むドイツ、ザクセンから日本軍慰安婦被害者ハルモニが生活する京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)ナヌムの家までの直線距離だ。
単なる距離ではない。戦争犯罪で犠牲になったハルモニたちのための深い慰労の巡礼の道だった。

シュレーダー元首相は訪韓4日目の去る11日、ナヌムの家を訪れた。外国の元・現職国家元首級要人が訪問したのは今回が初めてだ。単なる訪問ではなかった。彼はナチスドイツ軍のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で犠牲になった少女アンネ・フランク(1929〜45)の肖像額縁をあらかじめ準備してきた。アンネ・フランクはナチスドイツ軍を避けて2年間、隠れて体験した事を記録した。後日、『アンネ・フランクの日記』として出版されナチスの蛮行を生々しく世界に知らせた。

少女時代に日帝に強制的に引きずられて行って散々踏みにじられた慰安婦被害ハルモニは2004年死亡したキム・スンドク、ハルモニが描いた「咲かない花」と比べられる。同じ少女期に日帝に強制的に引きずられて行って散々踏みにじられたハルモニの苦痛・犠牲が決してアンネ・フランクに劣らないというのがシュレーダー元首相の説明だ。

シュレーダー元首相はこの日、慰安婦被害ハルモニらと抱擁して一人一人の手を取ることに少しの躊躇なかった。イ・オクソン(91)ハルモニが予定になかった記念ブレスレットをプレゼントするとすぐに手首に着けた。ハルモニとの出会いでは「人権を実現する方」、「みなさんが書く歴史は過去ではなく未来」のような賞賛も忘れなかった。子孫が再びこの様なぞっとする苦痛・犠牲を体験してはならないという決意に見えた。
(中略)

「1133キロ。」日本の首都、東京からナヌムの家までの距離だ。シュレーダー元首相が来た距離の7分の1に過ぎないが、安倍晋三首相はハルモニたちを訪れたことはない。むしろ、慰安婦の存在の強制性を否認し、慰安婦韓日合意書の着実な履行が重要だという言葉ばかり強調している。

過去の歴史に対するドイツ対日本の認識の差を克明に見せる事件は過去にもあった。1985年、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカーは第二次世界大戦40周年演説で「非人間的な行為を心に刻もうとしない者はまた、その様な危険に陥りやすい」と力説した。

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▲靖国神社(左側)とみな召使いユダヤ人収容所。日本とドイツの全く異なる過去の歴史認識を克明に見せる。

反面、ほぼ同じ時期、日本は「戦後政治の総決算」を掲げながらA級戦犯まで追悼する靖国神社を公式参拝した。30年過ぎた今も過去の歴史認識の変化はないわけだ。少なくともナヌムの家だけはドイツ・日本両国の公共外交面で日本が完敗した。ドイツの国家イメージは跳ね上がった。

アン・シングォン、ナヌムの家所長は「辛い過去の歴史に対する二人の首相の相反した歴史認識が如実に対比された場だった」と話した。

京畿道広州=キム・ミヌク記者

ソース:中央日報(韓国語) シュレーダー前ドイツ首相が得たのと安倍日本首相が失ったこと
http://news.joins.com/article/21929645