【韓国】大韓帝国皇室の晩餐メニューはフォアグラとトリュフ。メニュー開発チーム「フランスのレシピを参考にして開発」[10/12]★2
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大韓帝国皇室の晩餐メニューはフォアグラとトリュフ
大韓帝国宣言から120周年を迎えて、高宗(コジョン)皇帝が外国大使をもてなした洋風宴会が11日に再現された。フォアグラとトリュフなど、最高級食材で作られた本格的なフランス式ディナーだった。
同日、ソウル中区(チュング)にあるウェスティン朝鮮(チョソン)ホテルで開かれた再現イベントで公開された皇室正式晩餐メニューは、12のコース料理だった。クネルコンソメ(肉団子を入れた透明なスープ)、キジの胸肉ブドウ料理、フォアグラパテ(肉、魚、野菜をすりおろして、中に入れたクリスピーパイ)、牛肉ヒレ・トリュフ焼き、ラムステーキ…。皇室を象徴するスモモの花柄の食器と献立も再現された。
19世紀は、フランス式ディナーが世界的習慣だった。メニューもフランス語で書かれた。朝鮮人の使用人が大きなボウルに料理を盛って客に見せた後、個々の皿にサービングした。
同日、朝鮮ホテルのユ・ジェドク・メニュー開発チーム調理場(50)は、「このようによく整備されたフランスのディナー文化が、大韓帝国時期に定着しているとは想像もできなかった」とし、「19世紀のフランスのレシピと国立故宮博物館に保管されているアイスクリームモールド、調理器具などを参考にしてメニューを開発した」と話した。
近代化の流れに積極的に合流しようとした大韓帝国は1887年、日本を皮切りに米国、英国、ドイツ、ロシア、フランスなどと国家間条約を交わして、西洋文化を受け入れた。外交関係も各国の公使が国内に長期間滞在する形に変化した。儀典は西洋の格式と伝統礼節を折衝した方式だった。キャビア、鮭、コーヒーなど、国内で生産されない食材も輸入して使用した。
大韓帝国皇室の洋風宴会料理の再現事業は、文化財庁、文化遺産国民信託、新世界(シンセゲ)朝鮮ホテル、培花(ペファ)女子大が今年5月に業務協約を交わして進めてきたプロジェクトだ。培花女子大伝統調理科のソン・ジョンウ教授チームの研究を基に、朝鮮ホテルの調理チームが調理法を開発した。
ソン教授は、「大韓帝国は宮廷料理の最後の系譜であり、西洋料理を受け入れた食文化のターニングポイントになった時期だ」とし、「今回のプロジェクトはこれまでないがしろにされてきたこの時期の食文化研究に寄与した意義がある」と語った。
ソース:東亜日報 October.12, 2017 09:27
http://japanese.donga.com/List/3/08/27/1087802/1
http://dimg.donga.com/egc/CDB/JAPANESE/Article/15/07/76/80/1507768080769.jpg
前スレ
【韓国】大韓帝国皇室の晩餐メニューはフォアグラとトリュフ。メニュー開発チーム「フランスのレシピを参考にして開発した」[10/12]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1507800019/ その頃のチョンのご馳走って中国人様の糞で作った漬物や酒くらいしかないだろw 帝国の定義は確定はしていないが、常識的に外国に植民地や属州、従属国などの支配地を持ち、他の民族や国家を統治
してこそ帝国と言えるだろう。大日本帝国も、朝鮮半島や台湾、南洋諸島、満州国などを支配していたから帝国だ。
朝鮮人はどこを支配していたんだ。朝鮮人が帝国などを作ったことは歴史上1度もないだろうが。 15年ぐらい前の正月の特番で、韓国に行った千昌夫が、韓国宮廷料理を食べる場面があった。
同行したアナウンサーが繰り返し言う「宮廷料理」に、期待した千。
目の前に出てきたのは、2〜3人用のこぶりのしゃぶしゃぶ鍋に浮かんだ具材。
千は落胆の表情をして、「おでんだ」。
同行したアナウンサーの「宮廷料理」を繰り返す盛り上げに気を取り直し、
具材を箸でつまんで口へ運んだ千。
すると、千はがっかりした様子で「おでんだ」と批難めいた強い口調で言った。
あわててアナウンサー「宮廷料理です」を繰り返すが、もう一つネタを口に運び、
力なく、「おでんだ」。
そうこうしているうちにCM。CMの前に千が「おでんだ」。
あの放送以降、韓国宮廷料理からオデンモドキが消えた。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。総務省の、
『憲法改正国民投票法』、でググッてみてください。☆☆
2017年10月22日(日)の衆議院選挙は、ぜひ投票に行きましょう。
平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆♪ 野菜まるごとふかしただけのヤツは?
ヨン様の超高級宮廷料理 ナイナイの番組でジオラマみたいなのに料理作っていたよな 国家財政の6倍の借金があって何が大韓帝国の食事じゃ。
今までも朝鮮人奴隷の餌じゃないか。
朝鮮奴隷の王様って、自分の餌を食う金を持ってたのか? 「文献から再現した。」じゃなくて「開発した。」…意味がわからない…
あっ!漢文読めないのか!そりゃ文献読めんわな! 大寒帝国がどんな料理で国費迎えてたのかに興味持つのはすごくいいことだと思う
なのにその方法がよその国に展示されてる、縁もゆかりもない調理器具を見物するだけ
文献や記録探すとかもっと情熱ないのかよ
しかも見物で得たインスピレーション()で当時の最先端なフレンチがマナーも含めて定着していた素晴らしい文化国とか
ありもしないものを妄想して勝手に感動するとか呆れ果てる トリュフは中国や日本に近似種が生えてるのが分かったのはごく最近だから
当時はフランスから油漬けか缶詰を輸送してきたか、東京にあるストックを
分けてもらったんだろ。
フォアグラは…さすがに船便で運ぶのは無理。現地のガチョウから作ったんだろ。 >>353
フォアグラの瓶詰は常温(ただし冷暗所)で1年は持つらしいので無理ではない ↑は保存料とかいれてないし、フランスの田舎農家の台所で作って食品工場のような徹底した滅菌がされてなくても1年はもつらしい
瓶詰して煮沸する方法は優秀 >>356
灼熱のスエズ運河と東南アジアで殆どの生鮮物はやられる。瓶詰も危ない。 >19世紀のフランスのレシピと国立故宮博物館に保管されているアイスクリームモールド、調理器具などを参考にしてメニューを開発した
韓国では調達しえない食材でもフランス本国のレシピに載ってた物は入れ、外国から用途も判らず買った調理器具からレシピを妄想したという事ですね。
どこにも韓国で出していた記録があったとは書いてないな。 明治維新の時代にはフレンチキュイジーヌが日本に渡ってきたらしいから
時期的にも韓国に渡ったと考えて自然だよな >>353
生かしたまま運んできて原地調理という手も無くはない
肝硬変が船旅に耐えられるかは知らんが >>358>>363
日本は缶詰のフォアグラを輸入してたらしい。ワインや乳製品も輸入できてたから方法はあるんだろう。
ただ、日本ですら高価すぎて割に合わないんだから韓国ごときに輸入できるわけ無いわな
まして定着していたとかアホかwww
>明治期の食材事情は、先に述べたように居留地を中心に西洋食材が広まっていきましたが、
>フランス料理を楽しむにもソース作りにも欠かせないワインに関しては、
>鹿鳴館時代にすでにシャトー・ムートン・ロートシルトやロマネ・コンティといった最高級のワインの名前がメニューにあり、
>1885年(明治十八年)から食材の輸入販売を行っている竃セ治屋の記録によると、
>乳製品や野菜類はもちろん、シャトー・ラフィットやシャトー・マルゴー、シャトー・デュケムといったワインも明治期には輸入され、
>缶詰のフォアグラも輸入されるなど、当時の輸送・保存技術で可能な限りの西洋食材が日本に持ち込まれていました。
>しかし、そうした西洋食材の入手は決して容易ではなく、非常に高価であったため、
>本物の食材をふんだんに使用出来るのは限られた特別な店だけで、
>高級店でもコスト的に見合わないため、代用品を使われることが多くありました。
>帝国ホテルでも、缶詰のフォアグラですら国賓級の顧客の時にしか出せなかったと言われ、
>第二次世界大戦戦後になっても、バブル期を迎えるまでは、ホテルオークラのような一流ホテルでも、
>料理用に本物のフランス産ワインなどはおいそれとは使えなかったと言われています。
>しかも、本物の外国製品ならまだしも、明治の頃は外国製にみせかけたインチキ商品も氾濫し、
>使用済の缶詰やガラス瓶に全く別の物を入れて売られていたり、
>わざわざ外国製に見せかける偽造ラベルを製造している業者までいたようで、
>イザベラ・バードは"Unbeaten Tracks in Japan"の中で、そのひどい様相について不満を書いています。
http://seiyouryouri.yokohama/jphist/jphist14.html 韓国料理でおもてなし出来ないのですか?
あの豚の餌みたいなのじゃ宣戦布告と見なされるかもしれないですが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています