慰安婦像

草の根交流に水 姉妹都市解消 大阪市・SF市

旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する像を巡り、60年になる大阪市と米サンフランシスコ市の友好関係に終止符が打たれることになった。吉村洋文市長は姉妹都市関係の解消にまで言及してエドウィン・リー市長に像の公的管理の拒否や直接会談を幾度も要請したが、功を奏さなかった。市議会は「姉妹都市解消」という市長決断への支持と批判が割れるが、草の根の交流を続けてきた人たちには「拙速な判断では」と波紋が広がっている。

慰安婦を巡っては2013年5月、橋下徹市長(当時)が「当時は必要だった」などと発言して批判を浴びた。15年9月にサンフランシスコ市議会が像の設置を支持する決議を採択し、橋下氏は書簡で懸念を伝えた。橋下氏の後を受けた吉村市長は碑文の「数十万人の女性が性奴隷にされた」などの表現に「歴史家の間でも争いがある不確かなもの」という認識で、16年8月の訪米時にはリー市長と面談して関係修復を図ろうとした。

今年9月に民有地に像が設置され、その後もサンフランシスコ市議会で公有化への手続きが進んだことで、吉村市長は姉妹都市関係の解消に言及してリー市長に再考を求めた。今月15日付で送付した書簡では「拒否権行使という思慮深い英断を強く望む」と強い表現で要請していた。

しかし、大阪市によると、現地では主要2紙のうち1紙が1度報道しただけで、日本側との温度差が目立ったという。像受け入れを認めたサンフランシスコ市議会の議案が自動成立する24日の前に、リー市長は自ら受け入れを承認した。

大阪市議会では大阪維新の会が「友好関係をないがしろにするものだ」などと市長を後押ししたが、自民と公明は22日に吉村市長と会談し「自治体の行為で外交交渉に影響を与えるべきではない」などと再考を求めたばかりだった。公明市議は「市長は振り上げた拳を下ろせず、突き進むしかなかったのだろう」と話した。

同志社大の真山達志教授(地方自治論)の話 自治体間交流は政治的なものに左右されにくい良さがある。姉妹都市は自治体間の締結という形ではあるが、実際は市民らが草の根で積み上げてきたものだ。一点だけのことで判断されるものではなく、このような決着のつけ方は話し合いや相互理解への道を閉ざしてしまう。市長のやるべきことの範ちゅうを超えており、解消するにしても市民全体がどう思っているかを確認してから決めるべきだ。

姉妹都市「国でできない問題、市民交流で対応の先駆的活動」

大阪市とサンフランシスコ市の交流は姉妹都市の走りだ。港のある都市であることが縁で、サンフランシスコ市側からの申し出で1957年10月の提携に至ったという。双方の市幹部らが相互に訪れ、高校生のホームステイや着付けなど日本文化を学ぶ交流事業も展開。10月には60周年の記念行事が大阪市で開かれた。

民間団体「大阪・サンフランシスコユースコネクト」の久保井亮一代表(71)は「いったん関係が切れると復活まで何十年も時間がかかる。姉妹都市は、国で解決できない問題を市民交流で対応しようとした先駆的な活動だ。交流が人と人の見えないネットワークを作ってきたことを市長は理解していないのでは」と苦言した。

十数年前にサンフランシスコ市を訪問した自民市議は「主張を続けるのは構わないが、外交上の問題と市民の交流は別の話だ」と市長の判断を批判した。【岡崎大輔、椋田佳代】

ソース:毎日新聞 2017年11月23日 22時48分
https://mainichi.jp/articles/20171124/k00/00m/040/093000c