2018年4月8日 5時2分
朝鮮日報

 先日、日本で静かな文化的事件が起きた。岩波書店が国語辞典の「広辞苑」の第7版を出したのだ。日本には1万種類を超える辞典、事典があふれる。そんな国で多くの国語辞典の一つが改訂版を出したところで大したことではなかろうというかもしれない。しかし、クリック数回でインターネットであらゆる辞典が見られる時代だ。民間の出版社が新たな紙の辞典を発売したことを決して軽く見るべきではない。

 「今秋の出版界の関心は宮沢りえと広辞苑だ」??。1991年11月、日本のメディアはそう報じた。18歳の女優、宮沢りえの衝撃的なヌード写真集「サンタフェ」と広辞苑第4版がミリオンセラー競争を展開していることを伝えたものだった。結果は広辞苑の完勝だった。220万部を売り上げ、サンタフェ(150万部)を余裕で上回った。広辞苑は並の国語辞典ではない。とはいえ、広辞苑第7版に昔のような栄華は期待しがたい。

 国語辞典の改訂版を出すとはどういうことか。全ての思考の出発点である言葉を時代の変化に合わせて再定義することだ。広辞苑第7版には25万語が収録されている。改訂には6年をかけ、10人余りの担当チームと外部の専門家220人が加わった。彼らは2008年6月の前回改正以降に収集された10万語の候補から1万語を選んで新たに収録した。既に収録済みの語彙も全て専門家が検討し、必要に応じて再収録した。新たに採用された単語は、クールビズ、レジェンド、婚活、殺処分、ゲリラ豪雨、ディープラーニング、東日本大震災、安全神話などだ。

 広辞苑は10年ごとに同じ作業を進めてきた。市民にも門戸を開いた。初期には日本初のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹のような人物も解釈に参加したという。辞典に完璧はない。しかし、完璧に向かった改善の努力をやめないことが重要だ。日本にはそうした国語辞典が複数ある。個性もはっきりしている。言葉を扱い表現することが文化の水準を決定するとすれば、これは大きな力になる。

 日本も「紙の辞典」が退潮する現象を経験した。広辞苑も1998年の第5版が100万部、2008年の第6版が50万部と販売が落ち込んだ。第7版は6月までの販売目標を20万部に設定している。しかし、インターネット時代に紙の辞典に1万5000円も払う人が20万人もいるということはむしろ驚くべきだ。いい加減な辞典を無料で使うより、カネを払っても信頼できる辞典が欲しいという人たちだ。彼らが日本の国語辞典を支える力だ。広辞苑はソウル光化門の教保文庫でも15部が売れたという。

 韓国では国語辞典という市場自体が死滅した。人々がポータルサイトを利用するからだ。出版社の辞典チームは解体された。それゆえ、改訂競争で辞典の質を高める機会も消えた。国民の税金で設立した国立国語院の標準国語大辞典は1999年の初版発行以降、一度も改訂版を出していない。オンラインでも本格的な改訂はなされていない。載せるべきものと載せなくてもよいものを区別できず。単語の最も正確な意味も盛り込まれていないという批判が根強い。オンライン辞典が大勢ならば、読者がオンライン国語辞典の誤りを指摘し、修正を求めて声を上げなければならない。国語辞典の差が韓国と日本の知力の差をもたらすと思うと恐ろしい。

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