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蔚陵島事蹟

甲戌九月日江原道三陟營将張某馳報内蔚陵島捜事去九月
十九日巳時量自三陟府南面荘五里津待風所發船漉R曾
已馳報為有在果僉使與別遣譯官安慎徽領卒諸役各人及
沙格并一百五十名騎船各一隻水汲船四隻良中從其大小分
載同日巳時量囬西風開洋是如乎戍時到大洋中波濤險
巇之勢五里許二處是乎所必是水宗而諸船為波浪所觸
一時渙散無適所向是如乎同月二十日子時漸入深洋K雲自
北蔽天而電光閃鑠影K波心狂風猝起驟雨隨至怒涛飜
空海雲相盪所乗船隻若浮若沒危險罔狀船中之人莫不失

粛宗二十年甲戌九月日(1694年10月19日から11月16日)
江原道三陟鎮右営将の張某が報告した鬱陵島捜(討)の事
去る九月十九日の朝十時頃、三陟府の南面荘五里津の待風所から発船した事については
すでに報告したとおりである。
僉使(張漢相)は、別遣の翻譯官である安慎徽と共に諸役の各人および船員(漕手と船頭)
など併せて150人を領率して、二隻の大船の騎船と卜船にそれぞれ乗船した。
四隻の補給船には、大小によって荷を分載させた。
同日朝十時過ぎ頃に西風が吹いたので出港した。
午後八時頃、大洋の真只中で、波濤が危険で潮が激しい所が五里(2.2q)程の幅の内に、
二箇所あった。これはきっと海の境界である水宗というものであろう。高波を避けられず、波
浪のために船団がばらばらになり、それぞれの所在が分からなくなってしまった。
九月二十日(グレゴリオ暦11月7日)の夜の零時頃には、深い外洋にゆっくり入っていった。
黒雲が北からやって来て天を蔽い、電光が閃いて波に影が映っていた。
突然強風が吹き荒れ始め、続いて俄に雨が降り始め、怒涛が空に翻り、雲も海も互いに揺
り動かされて、乗っていた船は、浮くが如く沈むが如く、危険な状態となった。
船中の人々は正気を失わないものはなく......

https://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/58249092.html
小嶋日向守さんによる判読と意味通釈