(花蓮中央社)日本統治時代に開かれた「八通関越嶺道路」の支線、「阿桑来戞支線」を再整備し、観光資源にしようとする動きが、地元の東部・花蓮県で活発になっている。

八通関越嶺道路は、台湾を縦断する中央山脈を越えて東西を結ぶ道路で、大水窟(同県と中部・南投県の県境)を境界として東の璞石閣(現・花蓮県玉里鎮)までが東側、西の中部・楠仔脚万(現・南投県信義郷)までが西側と呼ばれる。阿桑来戞支線がある東側は、日本の統治に反発した地元の先住民、ブヌン族を制圧するため、台湾総督府が1919(大正8)〜21(同10)年にかけて建設したもので、沿線には多くの駐在所が設けられた。

同県文化局によると、阿桑来戞支線は八通関越嶺道路沿いにある佳心駐在所(海抜約820メートル)から北に向かい、かつてブヌン族の集落があった阿桑来戞(同約900メートル)に至る全長約4.7キロの山道で、1925(大正14)年に開かれた。ブヌン族の家屋が残るほか、ここからさらに北東に歩を進め、海抜1350メートル地点まで登っていくと、清朝が1875年に築いた「八通関古道」にも達することができる。地元の長老によれば、支線はすでに10年以上使われていない。

同局は、地元の歴史を再現するプロジェクトを2017年から推進しており、これまでにブヌン族の伝統的家屋、石板屋の再建や、文化財・登山ガイドの育成などに取り組んできた。阿桑来戞支線の再整備もその一環。同地を視察した文化局文化資産科の黄用斌科長は、ブヌン族の文化と歴史を結び付け、独自の登山産業を発展させたいと意欲を示している。

(張祈/編集:塚越西穂)

http://japan.cna.com.tw/news/atra/202003200011.aspx
中央社フォーカス台湾 2020/03/20 19:56

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花蓮県の阿桑来戞支線を調査する人々=県文化局提供