韓国で暮らすイエメン難民のいま 2018年、ビザなし済州島に殺到
2020/3/22 6:00

急増に波紋…「門戸開いて」

 世界各地で紛争が絶えない中、国内外に逃れた避難民は過去最多の約7080万人(2018年末)に上る。観光振興の特例でビザなしの入境を認める韓国南部のリゾート地済州島では18年、内戦が続く中東のイエメンから500人を超える人が押し寄せ、その受け入れが社会問題となった。あれから2年。韓国で暮らす彼らを訪ねた。 (済州島、ソウルで前田絵)

 「受け入れてくれた韓国に感謝している」。

アラビア半島南端に位置するイエメンの首都サヌアで新聞記者をしていたエスマイル・アルクブラニさん(32)は18年に難民認定を受け、ソウルで暮らす。

 イエメンはサウジアラビアが支援する暫定政権と親イランの武装組織が対立し「世界最悪の人道危機」(国連)に直面する。アルクブラニさんは15年、会員制交流サイト(SNS)に反戦記事を掲載して双方に敵視され、武装組織から「弟を戦場に連れて行かれたくなければ沈黙しろ」「殺すか、誘拐する」と脅されたという。「怖かった。今も思い出すと眠れない」
 国内で約1年半身を隠し、16年末にイエメンを脱出。ビザが不要なマレーシアへ渡った。だがマレーシアは難民条約に加盟しておらず就業も難しい。そこへ旅行会社から「格安で行ける」と勧められ、18年5月に済州島へ。韓国は難民条約加盟国。すぐに難民申請し、7カ月後に認定を受けた。

 済州島で地元メディアに難民の窮状を訴える記事を寄稿しつつ農場や建設現場で働いた。昨秋、ソウルへ移住。現在はフリージャーナリストとしてイエメン難民に関する本を執筆中だ。

 故郷には母と弟がいる。だが「戻れば戦争に駆り出されるか、殺されるか。帰国はできない」と話す。

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 元来、韓国とイエメンは互いにビザなし入国が可能だったが、14年にイエメン側の措置によりビザが必要となった。済州島はビザ不要の特例が適用されたが、イエメン人の入境はごく少数だった。

 だが17年12月、済州島−マレーシア間に格安直行便が就航したことで一変。17年は52人、18年は5月までに561人が入境し、そのほとんどが難民申請した。
 韓国政府によると、20〜30代の男性が中心で、多くが武装組織の迫害を受けたと申告したという。


 韓国政府は6月、イエメン人の特例を停止。一方で難民申請したイエメン人のうち3人を認定し、さらに443人に就労可能な「人道的滞在許可」を与えた(今年2月末現在)。

 同許可を得て、済州島の電気設備会社で働くムハンマドさん(28)はイエメンの大学で薬学を学んでいたが、自宅近くが爆撃を受けた。済州島では「社長や同僚が家族のように温かく接してくれる」。黄相〓(ファンサンヨン)社長(54)は「外国人の雇用は初めてだが問題はない。受け入れ拡大も検討中だ」。

 ただ、このようなケースばかりではない。済州島で難民支援に携わる社会福祉士の趙愛英(チョエヨン)さん(47)は「韓国で働く準備をしてきた外国人労働者とは違い、避難してきたイエメン人は韓国の言葉も文化も分からない。仕事を転々とする人も多い」と語る。
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 韓国では18年、1万6173人が難民申請し、144人が認定を受けた。日本の同年の難民認定数(42人)を3倍以上上回る。


 だが突然のイエメン人の流入は韓国社会に波紋を広げた。18年の世論調査ではイエメン難民の受け入れ反対が過半数を占め、大統領府の公式サイト上の「国民請願」では難民受け入れ制度の見直しや廃止を求める賛同者が70万人を超えた。

 済州島の外国人移住支援団体「ナオミセンター」の金湘勳(キムサンフン)事務局長(63)は「当初は難民を怖がる島民もいたが、ボランティアなどを通して直接交流することで心を開いていった」と草の根交流の意義を説く。

 済州島のビザなし入境の特例除外はイエメンのほか、同様に紛争が続くシリアやアフガニスタンなども対象だ。アルクブラニさんは「世界各国は難民に門戸を開いてほしい」と話す。「難民は労働者として受け入れ国の発展にも役立つ。日本も扉をもっと開けば良い変化があるはずだ」

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