戦車(tank)は第1次世界大戦中、塹壕(ざんごう)を突破するために英国が初めて開発した。新兵器開発を隠すため、給水車(tank)だとうその宣伝をして付けた名前が、本当の名前になった。当時、戦線は鉄条網に塹壕、機関銃という「悪魔の三兄弟」で組まれていて、互いにすさまじい数の死傷者を出していた。ソンムの戦いで初めて投入されたタンクは、鉄条網を踏みつぶし、機関銃の射撃に耐えながら敵陣を突破した。だが、干潟のように足場の悪い戦場では機動性が落ち、故障もひんぱんだった。

 第1次大戦では戦車に恐怖したドイツは、第2次大戦において戦車を「ゲームチェンジャー」にした。戦車に無線機を積み、集団を形成して連合突撃戦を展開した。1939年、大規模な戦車部隊を先頭に立てたドイツ軍に、ポーランドは成すすべなく敗れた。ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダも次々と膝を屈した。フランスが誇っていたマジノ線もあっけなく崩壊した。いわゆる「電撃戦」だ。

 ドイツ戦車の花形は「ティーガー」(Tiger)だった。ドイツは開戦当初、破竹の勢いでモスクワの鼻先まで進撃した。だがソ連にはT34戦車があった。耐久性に優れるT34はドイツの戦車に立ち向かい、奮戦した。T34に衝撃を受けたドイツは1942年、「怪物ティーガー」を開発した。対戦車砲にもびくともせず、砲の命中率は圧倒的だった。ティーガー1両で連合軍の戦車10両余りを撃破したこともあった。ティーガー戦車は死神も同然だった。こんにちサッカーのドイツ代表チームを「戦車軍団」と呼ぶくらいに、その当時の威力はすさまじかった。

 戦争には負けたが、冷戦が始まるとドイツの戦車は復活した。ソ連の脅威に立ち向かい、「レオパルト」戦車を開発した。数千両が作られた。だがソ連崩壊とドイツ統一の後、戦車の必要性は減った。ドイツはこの戦車を欧州各国に引き渡した。そのレオパルト戦車が、ウクライナ戦争の始まった後、ロシアのT72、T80戦車に対抗できる兵器として再び脚光を浴びている。NATO(北大西洋条約機構)陣営は声をそろえて、レオパルトをウクライナに渡すべきだとドイツを圧迫した。最終的にドイツも同意した。

 今やウクライナ戦争でぶつかることになったレオパルト2(A4型)とT72は、冷戦時代の古い戦車だ。T72は既に、メンツがつぶれにつぶれている。だがレオパルトも、同じ目に遭う可能性がないわけではない。それでなくとも、ドイツ戦車軍団の名声は既に色あせた。戦車部隊を減らしすぎて、正常に動く戦車が何両あるのか分からないほどだという。戦車の生産性もひどい。逆に韓国のK2戦車は、最新型のレオパルトに劣らないと評価されている。それでいて値段はずっと安い。生産性は比較にもならない。今や西側世界の戦車軍団は、むしろ韓国なのかもしれない。

ぺ・ソンギュ論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2023/01/29 06:30
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