RKBラジオ 10/11(水) 19:05配信

ー前略ー
・閔妃暗殺を計画した日本人
閔妃は1866年に皇帝の妻となりました。国の実権は、夫である皇帝の父親(大院君)が握っていました。
1873年に閔妃たちのグループが義理の父を追放し権力を掌握した、という状態でした。
当時の朝鮮は、植民地主義の世界で「草刈り場」のようになっていました。
朝鮮より早く開国して植民地主義の世界に加わった明治の日本は、朝鮮の権益をめぐって、日清戦争を戦って勝利。
今度は、南下政策を取るロシアとの争いになりました。
国力が弱い朝鮮は、嫌々ながらでも、日本かロシアかを選択しなければならない状況になっていたのですが、
ロシア側に傾いていった閔妃が、日本にとっては障害でした。
三浦梧楼・朝鮮特命全権公使は、朝鮮駐在の日本守備隊、日本の民間人、それから日本軍人が
指導教官をしていた反閔妃派の朝鮮人部隊も巻き込んで、閔妃を宮殿内で殺害したのです。

日本の守備隊は中隊(140人以上)で、民間人は40人以上いたと言われていますが、もっと多いと言われていて、はっきりしません。
宮殿に侵入した民間人の方が、部隊より先に王妃の寝室にたどり着きますが、宮殿内には多くの女性がいて、
誰が閔妃か分からなかったそうです。そこで、容貌や服装が美しかった女性3人を殺害しています。
そのうちの1人が閔妃でしたが、あとの2人はお仕えする侍女でした。
ー中略ー

実は、「閔妃を刺し殺した刀」と言われる肥前刀が福岡市にあります。博多祇園山笠で知られる櫛田神社で保管しています。
殺害に関わった日本人が奉納したものです。身近なことだなという感じがします。

・もし「他国軍隊が皇居に乱入し、皇族を殺害した」なら――
最後の最後で誰が殺害したのかはっきりしていないのですが、乱入したのが日本人だったことは間違いありません。
かけつけたロシア公使とアメリカ公使本人が、宮殿から刀を下げて出てくる日本人を目撃していて、
言い逃れできる状態ではありませんでした。猛抗議を受けて、事件に関わった日本人をすぐに出国させています。
皇帝は、暗殺に加担したとして朝鮮人3人を処刑しましたが、それ止まり。
熊本出身の安達謙蔵ら48人は日本で裁判にかけられましたが、証拠不十分で「免訴」。軍人も軍法会議で無罪となっています。
これについて、驚くべきことに当時の日本人は大喝采を送ったのです。そういう時代だった、ということですね。
ロシアの南下を恐れるイギリスやアメリカは日本に好意的な対応を取ったこともあり、
安達謙蔵はのちに政治家になりって、大臣を歴任します。植民地主義の時代に弱かった国の悲哀を感じます。

皇后自身は策謀好きで、ぜいたくが好きで、決して国民から好かれているとは言いがたい人でしたが、
外国人から「国母」を殺された朝鮮人たちは大いに反発しています。これがどういうことか、考えていただきたいのです。

「東京で、武装した外国の軍隊が皇居に乱入し、皇族を殺害した」としたら――。

天皇制をどう思うかに関わらず、「それは許せない」となると思います。
この問題は、韓国ではよく知られている話なので、日本人があまり知らないことが気になっています。
独断暴走して外国の要人を暗殺した軍人たちが裁かれなかったという前例ができたわけですが、
もしかすると日本の将来にも影響したかもしれません。
ー後略ー

全文はソースから
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e4293e6f5ce73a6e6ab0046ad0b527d6f397e46