長崎県対馬市上県町佐須奈の「対馬歴史研究会」代表・長崎章さん(65)が、鎌倉時代の蒙古襲来・元寇の実態に迫ろうと
遺物調査に力を入れている。
今年は最初の文永の役(1274年)から750年。長崎さんは「謎が多い元寇の実態解明に貢献したい」と意気込んでいる。
(島居義人)

【写真】てつはうがさく裂する中、騎乗で元軍と戦う竹崎季長(右端)を描いた「蒙古襲来絵詞(模本)」
(九州大学付属図書館所蔵)
https://www.yomiuri.co.jp/media/2024/01/20240124-OYTNI50012-1.jpg

 元軍の上陸地と推定される同市厳原町南西部の集落で、長崎さんが土器片を拾い上げる。調べてみると、
江戸時代の壺のかけらで元寇とは無関係だった。「空振り」は続くが、こうした調査を粘り強く続けている。

 小学5年の時、地元で貝塚の発掘調査を見学したことで遺跡に関心を持ち、地表での遺物の収集を始めた。
約10年前から活動を本格化。これまで1500点以上の遺物について、発見日時や場所、形状、大きさなどを記録し、
市教育委員会文化財課に情報提供してきた。

 2016年には、市内の海岸沿いの斜面地で黒曜石や土器片を発見。同課の調査で、
一帯が縄文時代中期以降の遺跡であることが確認された。
18年にも近くで新たに土器片を発見。6~7世紀頃とみられる箱式の石棺墓の遺構である可能性があるという。

 元寇については1年ほど前から、大きな被害を受けたとされる同市の中央部や南部地域の調査に取りかかった。
伝承を手がかりに、畑や集落内の空き地、海岸部などを丹念に歩いて調べている。
当時の絵巻「蒙古襲来絵詞」には、「てつはう」がさく裂する様子などが描かれているが、
地元では元軍の武器などは見つかっていないという。

 遺物は大雨や大波、開発によって壊れたり失われたりする恐れがある。
調査は時間との闘いでもあり、長崎さんは「元軍の兵士が身につけていた武具類などを少しでも早く見つけ、
元寇の謎を明らかにするカギにしたい」と話している。

◆元寇=モンゴル帝国(元)による日本への侵攻。文永の役では約2万数千人が約900隻で来襲し、
対馬、壱岐、博多付近を侵攻。撤退の途中で暴風に見舞われたという説などがある。

3/23(土) 12:04配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c2fee1b94b4d113a0d6d177e84ddbdb629495896