D-55はエポックメイキングなバックロードホーンスピーカーだった。
それまで不可避と思い込みが有った、斜板を撤廃し直管だけで成功を収めたから。
これを@として、次の段階を長岡さんは更に大きく作れば
重低音の量感を増やせると安易に考えたのがAとする。
@は大成功だったがAは大外れだったが、何しろ今から25年ほど昔の話し。
その後も元気に活躍されていたとしたら、改良案のBやCを出し続けてくれたと思う。
自作スピーカーに於いて、失敗例は決して無駄ではない。
公表することで後続の貴重な糧になるはずだから。
ところがBHを語るヤツはいつまでも@⇒Aのループから抜け出せないでいる。
理由は簡単で理論厨ばかりで自分では決して作ってみないから。
長岡さんがAは失敗だったと明記しない限り、いつまでもメビウスの輪を周り続ける。