あたかも存在しているような時間という概念について [転載禁止]©2ch.net
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私たちはいわゆる「時間」というものをモノの変化を介せずには捉えることができない
秒針の動き、ヒトの移動、建造。本質をとらえるためには物質的なものをすべて排除しなくてはならない
すると私たちは時間の概念を想像している時のみ「時間」を感じる
人の想像なしに「時間」は現れない
「時間」というのは想像上のまやかしだ。強いて言うなら死への恐れを昇華させたものにすぎない 対案を出せば良いだけ。
自分の自然、科学、認識などの理解を試みてみればそれなりの収穫はあるだろう。
わたしは対話してくれた人たちからけっこう得てきた。
野次飛ばしているだけなら、労力の無駄でしかない。
寝たほうがずっと良い。 ウルトラマンの話で、相手の武器をことごとく吸収して戦闘能力を増大する怪獣がいたよな。
せっかく対話しているんだから、相手の批判を取り込んで成長しないと損じゃないのかな。
ちなみにその怪獣はフルートを吹く少女によって楽器に変えられて、ウルトラマンが宇宙空間に連れて行くという解決。
DVD版はもう一つバッドエンディングがあるとのこと。
ウルトラマンはまったく興味がなかったが、この話で良く出来た話は観てみたいと思うようになった。
他にも大人が観ても面白いのがあると言っている人がいた。
少女は「火垂るの墓」実写版の名子役。 運動とは存在すると同時に存在しないこと
飛ぶ矢の逆説 運動を静止で理解して、存在という規定が運動の静止であることを示す
クレタ人の逆説の本質と同様であるということ
競技場、アキレスと亀、二分の一 一である自然を多で理解するということ
「わたし」という主体を客体にして、他者という客体を主体にして「わたし」と表現する。
観念としての他者は認識主体である。
「わたし」という表現は対象Aをその否定で理解するそのもの
論理の自己言及
自己言及により、自己を表出する・・・ 自然「理解」はヘーゲルが指摘するように観念をいつも伴う。
自然には観念は存在しない。
この場合の「存在しない」も観念を伴っている。
存在は静止であるが、科学によってその静止はその存在を否定される。
静止は観念の中の存在であり、いわば「無」の存在ということになる。
あ、頭痛くなってきた。
やはりクレタ人の逆説の構造なんでしょう。
もっと単純に考えるべきかと。
自然を観念で理解することのクレタ人性。 なぜ自然が在るのか、というのは無意味な問いでしかない 還元主義は「〜で理解する」ということ自体は正当であるが、「〜で自然は構成されている」とするのなら、それは天動説的誤謬でしかない。 対象AをAの否定で理解する。
だからと言ってAはAの否定で出来ているわけではない。
それだけのこと。
自然科学は、その革命において自然に特別なものは何も存在しないことを語る。
自然は無矛盾であることを、認識の立場、有限の否定ー同じことだが、などで語る。
不完全性定理は有限を無限で理解している。
AをAの否定で、ということは変わらない。 《わたし》というクレタ人的認識構造。
わたしの理解が届くのはここまでのような気がします。 天動説の誤りは本質として未だ克服していないことにほとんどの科学者は気がついていない。 正直言うと「存在論」がイマイチわからない。
適切に説明している本でも探してみようかな。 静止は否定された。
有限の否定ということになる。
次元そのものも否定されたということになる。
自然のどこにも出発点は存在しない。
そして時間は次元である。
「現在」、「今」は無で理解される。
AはAの否定で理解される。 厄介なのは、存在というのは運動の否定ということなんだよなあ。
運動する自然を静止で理解する。
存在は静止ということになる。
この意味で存在というのは静止、運動が《無い》ということになる。
静止という無が存在・・・ 時間が実在しないことを端的に示せないかなといろいろ考えている
いまのところ夾雑物があってすっきり説明できないというか
もっと分かりやすくと 三月のライオンのアニメが面白かったが
藤井四段が出てきて将棋熱が高まったそうで
まあリアルの俺は駒の動かし方が幾つかわからなかったりして論外だったりする >>689
まとまったらここで端的に書き込んでおいてください。 無限としての全体
有限としての全体
自然には部分は存在しない
部分の観念性、あるいは有限の観念性
全体という観念は一
一という理解は無限を有限で理解するということ
無限は一であり、かつ一ではない
ということになる
その否定で理解する・・・
無限は理解できない 時間=過去から未来に至る無限の継続。永遠の過去や永遠の未来って想像できる
? 空間は存在しない、つまり時間も存在しない、そのぐらい学べよ 製氷皿で氷を作る。
さて、氷は存在するのか。
存在するように見えるし、掴んでみれば固く冷たい。
しかし、その氷を形作る水分はとどまることなく気体に変わり、
温度が高ければ、溶けていく。一瞬たりとも自らと同一であることはない。
しかし、それでも氷は存在し、存在することが時間である。
昇華によって気化してしまったり、溶けて水となってしまえば、もはや氷は存在しない。 不特定の時間を超えて、その性質が変わらずに反復して現れるという思い込みが、
存在するとされる物体の同一性である。 >>704
存在することが時間というのはそういうことだったのか(о´∀`о)
だからこその諸法無我。 自然に於いて、ということと、それを理解する側である人間を区別しなければならない
静止、次元は理解するのは必要なだけ
対象である自然を理解するこの静止が科学によってその自然存在を否定される
ゼロ次元そのものも、そして三次元そのものも実在しない
それは常に運動が伴う
わたしたちは運動を静止で理解する
理解する対象である自然の事物の大きさ、つまり「ここ」から「ここ」までというのは量子力学を考えてもわかるように存在しないから精確ではない。
次元は、さまざまな対象の大きさを測るために人間が頭の中に作り出した、つまり対象の抽象でしかない
そもそも出発点であるゼロ次元は否定されている
だとしたら一次、二次、三次も同様の存在である
つまりそれらが単体で、つまりこれがゼロ次元、一次元・・・と存在証明はされてはいないし否定されている
時間もまたある定期的な反復運動をする自然の対象によって、個別、つまり地球、人間や車の運動量が捉えられる
次元で理解できるから次元が自然に存在するわけではない
科学自身が次元の存在を否定している
時間の正体は運動量だ
運動とは存在すると同時に存在しないことだ
今、現に在るものをわたしたちは無で理解している
今には幅が無い
在るものが在らないとわたしたちは理解している
存在するものが存在しないと捉えられている
存在とは実は静止である
運動する対象を静止で、つまりAをAの否定で理解している
四次元である時間は今を無限に集めたものである
つまり他次元と同じ規定であることによって自然存在であることを否定される もう少し端的に示せないかなあ
次元の自然存在は否定されている、という一言で終わることではあるんだが 「無限論の教室」読んでいたら、ヒントらしきものがあった
電車の中でいろいろ考えていたが、横の爺さんが倒れそうなんで、目の前の座席が空いたんで譲った
爺さんの前の若いお化粧べったりのスマホに夢中の女性、まったく気がつかず、俺が降りるまで目の前の画面に集中していた
某乗り換え駅では中学生の女の子がスマホに夢中でぶつかりそうになる
七人掛けの四人がスマホでうち年寄りが三人
なんかな、と 某線で丁髷、着物姿の中年発見
月代は本物っぽかったが、鬘だといわれるとそうかもしれないと思ったりする
親父の友だちが四国から上京してきたが
丁髷姿で注目を浴びていたそうだ
親父が四国に行ったおりは二人でバイクにのってあちこち行ったと聞いている 「点から線が作られるのではなく、むしろ線から点が作られる。」(無限論の教室 ) 31P
自然から三次元が作られる。
運動から四次元が作られる。
こちらのほうが端的に示せる可能性があるかな。
模索してみよう。 「点から線が作られるのではなく、むしろ線から点が作られる。」(無限論の教室 ) 31P
自然から三次元が作られる。
運動から四次元が作られる。
時間は運動を量で捉えることから必要なだけ
次元にしても運動を静止で理解するから必要なだけで、現に科学はその自然存在を否定している
それは頭の中にしか存在しないということ
運動を人間は静止で捉えるから量で理解するしかない
ここからここまで、と静止を設定する
その運動量を時間で捉える
その時間という尺度は太陽とか光とかの定期的な運動量の抽象
つまり自然のある特定の何かの運動量を運動量で捉えている
今、現に在るはずなのに幅が無い
在るものを無で理解する
運動は直接に捉えられないから、量にして理解するしかない
時間は他次元同様に目の前の自然から作り出された、自然を理解するための観念的な存在でしかない
科学革命が示すように、次元など無いということになる >>713
問題は、自然においてと人間側を区別することで人間が何を得られるのかなんだが・・・ >>713
結局ね区別しなければならない必要があるのは認識の範囲で
時間はない結論の辻褄あわせに必要なだけであって
言い訳に過ぎないんでは? だから次元を科学が否定しているからの立論です
そこに言及されない限り答える必要を認めません 「科学が否定している」のではなく「科学には肯定する必要がない」であって
「次元を否定する」と科学が立論した事実はないのでは? 今少しずつ書いているんで、そのうちにどこかにアップする予定
というか前に参加してくれた方々に進展具合を報告を兼ねて
・・・たいてい、もともに読んではくれないんで、まともに読んでくれる人にだけと思ったりする
板倉さんが面白いこと書いていたけど、段階を間違えるとこっちも無駄、相手も無駄な時間過ごすんだよな w 問題意識が違うから噛み合わないということは度々経験している
俺も相手の問題意識がわからないから、???と思うことは度々で
それが重なると議論する気が失せる すべて人間が名前を付け概念を与えたもの、そう考えればすべては存在しないということになる
色即是空 万物は夢、幻。 名前か。名前を忘れているから名前も永劫回帰となるわけ。そんな時間が大事。 死への恐れか。死はおそれからやってくるんじゃなく、男だったら飲み込まれていくもん
。若き青き炎だよ。女性については知らないけど、はたしての女性が死ぬのかすらも。
全ての人に訪れるのが死ではない。 >万物は夢、幻。
この認識自体も夢、幻だとしたら・・・ 〜だとしたら、という仮定の話からは仮定の結論しか生じないよ なぜ 男の世界に仮定法過去がいるか、女には 現在 未来完了があるか
ということだろうな。 幻じゃないということでOKか疑問なのはOK
幻じゃないということにするかしないのかはあなたの認識に一任 >万物は流転する
すべては流体力学によって理解できるということですか? 流体力学によって万物を理解する知能が働くっていうなら理解できるだろうね 自然過程説、マジレス、学術は許さない。
清見、しのさんはおっけー。 誰かさんが相当頭にきているみたいだ
くわばらくわばら 実の無い罵倒をたくさん浴びているけど、これも人徳か 自然過程説、マジレス、学術は許さない。
清見、しのさんはおっけー。 >生きてきた分まで仕上がってる哲学で生きてる限り変幻自在だからおもしろいしくだらない
自然過程説のレス
>生きてきた分を言い訳にしてなーんにも無いんで変幻自在にも何も元が無いから面白くない以前だしくだるもくだらないもない
罵倒は当然 野次、揶揄に対応するから余計波紋がひろがり、グチャグチャになり相手の思う壺ということになるんだよなあ
相手は元々議論は放棄しているアラシなんだよな
中身無しだからそうするしかない
ああ、これも余計な挑発だな w
誤読していろいろ言われるのは敵わんな
いまやっていることが完成するまで消えるか
誤読の標本の展示会でもやってください
たまに参考になることを言う人がいるんで、なかなか抜けられないんだよなあ
ごくごくたまあに、だけどね 一貫した認識で運動する自然を前に死に切れないまま滅亡乙 ブラボー!! マジレスすると、時間と存在に直接の関係はないよ
そもそも存在とは何か?何の存在についてなのか? >>758
あたかも間接的には関係しているような時間の概念の存在 >>762
目に見えていない世界だけが自由なのだよ 物差しは伸縮しないものが求められる
時計は遅れたり進んだりしないことが求められる
「時間」を量るにも安定して運動するものが基準となる
つまり「時間」は物差しであるということ 物差しというのは比較対照するためにある
「時間」という物差しもまたそのようにしてある
この車とあの車の速度の違いとか
けっきょく運動量なんだよね、時間は
高さがこれだけ違うと言っても、高さだけが存在するわけじゃない
あくまでも対象をそれで理解しているだけで、縦横高さがそれぞれ在るわけじゃない
時間にいたっては今しか無いんだから、ここからここまである物質が運動する、または繰り返し何回運動することを一秒と設定する
つまり量で理解するしかない
今そのものはゼロで理解するしかない
時間の正体は今をゼロで理解するしかないから量、つまり時間という次元が必要になるということ
縦横高さがそれぞれで在るわけがないのと同様に時間もそれとして在るわけでは無い 存在というのは理解がむずかしい
存在そのものが運動の否定、静止ということだから
存在ある意味無という矛盾ということになる
これを理解するのにかなりかかったなあ >>766
量で理解するなにかって何って話に以降する時間 次元は理解するための道具で他次元が実在しないのとどうように時間もまた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています